フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

映画2題/黒田日銀への評

2016-11-20 18:48:54 | 日記

   昨日・今日の土日は市内での映画を楽しんだ。
   昨日はこれまでも何度か取り上げた三鷹市芸術文化センターでの毎月一回の名画上映会。今年7月から今月までは文豪作品原作の映画特集で、昨日は山本有三作品の『路傍の石』と『真実一路』であった。『真実一路』は深く考えさせる作品であったが、両作品とも主演女優は淡島千景、このシリーズ10作の内の4本に出演している。私が淡島千景をテレビで観るようになったのはもうベテランの域に達してからのことで、華やかさを感じる存在ではなかったが、昭和20年代後半から30年代にかけての彼女は色気が漂う美人女優であったんだ、と感じた次第。なお山本有三は戦後進駐軍から自宅を接収されるまで三鷹で10年ほど執筆活動をしており、その後返還された居宅は現在「山本有三記念館」として一般公開(有料)されている。

   今日は、かつて市内で最後の映画館になった時の番組編成者が主体になって映画好きの有志が名画座復活を目指して活動している「コミュニティ・シネマ映画祭」という企画。3日間の市川昆監督特集の中で『東京オリンピック』を観た。1964年の東京五輪の記録映画として制作されたが、記録映画か芸術作品かで大論争になったことは記憶に新しい。私は上映を見逃していたのでよい機会を得た。
   前回東京五輪は私が大学入学した年、青春真っ盛りの時の大イベントであったから思い出も鮮烈である。マーチの演奏に乗って各国選手団が整然と入場する開会式のシーンから涙腺が緩んで来た。スクリーンは競技の記録より選手の躍動や呼吸が伝わって来るような、どアップな映像で構成される。体操女子のベラ・チャフラフスカ選手の見事な美しさ、男子の遠藤幸雄選手らの力強い躍動感に魅了され、女子バレーのソ連対”東洋の魔女”との戦い、柔道無差別級決勝で両手を挙げた仁王立ちで神永昭夫選手との組み手を迎えるアントン・ヘーシンクの勇姿と、勝者を称えて笑顔を送る神永選手などのシーンで涙腺はさらに緩んで行った。
   極め付けは最終盤、この映画の伝説とも言えるマラソン、ビキラ・アベベ選手の表情のロング映像。求道者を思わせる顔のあごから玉のような汗がひたたり落ちるところが延々とアップで映される。時のオリンピック担当大臣が「記録性に欠ける」と言って映画を非難したが、”記録よりも記憶”を残した作品と思う。

   安倍晋三首相の傀儡とも思わせる日銀の黒田東彦総裁、どうも安倍首相と同様そのドヤ顔が気に入らない。就任早々に「異次元の金融緩和」とか「金融政策のバズーカ砲」とか華々しいラッパを鳴らし、一時は円安・株高を呼んだが、肝心の『2年以内に2%の物価上昇実現』の大目標は目途も立たず、”失敗”を認めずに達成目標をずらしにずらしている。その黒田日銀に対する3人の評が18日の朝日新聞に載った。『しっかりしてよ、日銀』と題したオピニオン欄で、その中の一人、エコノミストの上野泰也氏の論が面白かった。その要旨は以下の通りである。 
=今の日銀と黒田総裁の立場は太平洋戦争で日本海軍が短期決戦を目指して開戦したものの連合軍に長期戦に引きずり込まれた姿にダブル。もともと2%のインフレ目標は明らかに高過ぎるのに、出来ないことを目指して出口の見えない戦いに突っ込む姿勢は戦時中の日本軍のようである。日本軍は負けを認めず「転進」と言いつくろったが黒田総裁もよくならないのは原油安などのせいにして失敗の責任を認めない 
= 他にも旧日本軍との共通性を挙げ、目標が間違っているから勝ち目はないのだから、負けを認めて目標を再設定するしかない、勝つ見込みのない持久戦を続ければいずれ兵糧が尽きるというのが歴史が教える教訓だ、と説いている。
   かなり辛辣だが、私はドヤ顔に浴びせたい評論とニヤリ顔なのである。

 

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