陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

駅の風景 坂越駅

2018年08月22日 | slow culture

赤穂線、播州赤穂の一つ手前の駅。
坂越は赤穂市南東部、坂越湾に面する港町。

この駅から千種川を渡って20分程歩くと
坂越湾に出る。江戸時代には西廻り航路の
港として栄え、その往時の風情が街並みに
残っている。坂越は歴史の町である。

この日は吟行。午前8時30分過ぎに
神戸から着。一番乗りであった。
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見事な雲の峰

2018年08月21日 | slow life

晩夏の空、それはもう見事でした。
文句なく私が見た今年いちばんの雲の峰。
スーパーセルだ。その下界は大阪湾か
それとも紀伊和泉辺りか?

しかし驕れるものは久しからず。
やがてこの峰も崩れるのが運命。

それも晩夏の物語…。

峰雲ややがて崩るる運命とて
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幸せ昼ごはん 野菜ラーメン

2018年08月20日 | slow gourmet

初老の身には、やはりこの暑さ
じわじわと応えてきているようだ。

まず胃腸が不調を訴える。躰もだるい。
これはきっと、炎天と冷房のはざまで
体が悲鳴をあげているのだろう。
もう少しの辛抱だろうかね。

立てつづけに訃報が入った。これも
この猛暑とは無縁ではないだろう。
ひょっとして、この秋はこんな訃報が
つづくのではないか?
そんな嫌な予感もするこの頃である。

そうは言っても食べなければ。
幸い食欲は落ちてはいない。
食欲は健康のバロメータだ。

ということで、王将に入る。
ラーメンの塩気が旨い。
まだまだ老いぼれてはいないか?
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八月の読書 ハックルベリー・フィンの冒けん

2018年08月19日 | slow culture

八月の読書、夏休みなのでやはり冒険もの。
という訳ではないが、新訳が出たというので
マーク・トゥエインの名作
「ハックルベリー・フィンの冒けん」を読む。
この本結構分厚い。読み応えがあると言えば
あるが、決して少年少女向けの児童文学だけの
域ではない小説である。

いかだでミシシッピ川を下ってゆく。
その間に様々な出来事に遭遇する
(詐欺、ペテン、殺し合い、なりすましetc…)
物語なのだが、(勿論人々の素朴で温かい光景もある)
1800年代前半のアメリカが、しっかり
描写されていて、なかなか奥が深い物語だ。

特に一緒にいかだに乗って逃げる黒人ジム
(ニガーという表現がされている)とハックの友情を
描きながら、当時の奴隷制度、詰まるところ
当時のアメリカの人種差別の実態を描いている。

それにしてもハックの何と機転の利く少年なことか。
教育も全くと言っていいほど受けていない、ほんの
10歳程度の子供のなんと雄弁なことか!
大人を相手にした嘘や詭弁には恐れ入ってしまう。
つまりしたたかに生きているのだ。それでもそこに
時々良心の呵責が存在するとことには救われる。

何とか読み終えたが、やはりアメリカ文学史上の
名作というだけのことはありました。

本書の訳では所々、註釈がつけられて、方言や
背景、意味が親切に解説されていて、当時の
バックグラウンドが解り、理解が促進されました。

ときどきはこうして古典を読まないとね。


■ハックルベリー・フィンの冒けん 1885年
マーク・トゥエイン、柴田元幸訳

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季題 星祭

2018年08月18日 | slow haiku

今年は八月十七日が七夕だった。
勿論、旧暦での七夕だ。しかし
七夕はやはり旧暦で行う行事だと思う。
八月中~下旬の星空こそ七夕の空だ。

よって歳時記では七夕は秋の季題である。
七夕の夜、牽牛、織女の二星を祭る。
星祭と言う。この季題の傍題も美しい。

星迎(ほしむかえ)、星合(ほしあい)とか
星の手向、鵲(かささぎ)の橋とかも。
鵲は七夕の夜、天の川に橋を架けるという
伝説をもった鳥なのである。

星合の空を眺めて君のこと
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街の面白看板 京のれん

2018年08月18日 | slow culture

あざやかな翠の暖簾。
甘味処とあった。のれんの翠と
赤の提灯とのコントラストが
良く効いている。

久しぶりの京都だったので
四条富小路上ル…四富会館近くの店で
昼ご飯食べようと思って行ったら無い。

「確かここだったのになあ。」
悪徳利息のような名前の店であった。
定食が京都らしくない値段で充実。
夜もちょっと呑むのには使い勝手の
良い店だったのになあ、残念。今は
お洒落な感じの洋風な店に代わっていた。

私のイメージでは京都の店というのは
あんまりつぶれない。それが例え
どんな小さな店であっても…。
だからなくなっていたのがちょっと
ショックだった。「えっ!」って感じ。
ただしこの店は北陸系の店だったから
京都での役目を終えたのかもしれない。
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幸せ昼ごはん 隠れ家中華

2018年08月17日 | slow gourmet

サラリーマンの昼飯、所謂サラメシは
ささやかな探訪の楽しみだ。
特に外廻りの多い人間にとっては
唯一至福の時間かもしれない。

独りで飯を食ったり、呑んだりするのは寂しい
という人もいるが、私はどちらかというと
“孤独のグルメ”派だ。
旅先でも街中でも独りは全然苦にしないタイプ。
どうも私は小さい頃から集団にずっといるのが
苦手なタイプだったようである。
連れメシなどほとんどしないので、あいつは
付き合いの悪い奴だと思われているだろう。

さて、今回はかねてより目っこをつけていた店へ。
三宮は二ノ宮の辺り。目だたない場所にある。
油でギトギトの大衆中華も好きであるが、ここは
小奇麗なチャイニーズレストランって感じ。
初回の訪問、まずは定石の日替りランチを。
優しそうで品のあるランチだった。デザートが
ついているのがいい。これも優しい甘さ。

そうだな。この店なら今度は夜にでも
独りでなくて親しい人と来て見よう。

■CHINESE RESTAURANT友喜苑
神戸市中央区琴ノ緒町4-8-2
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炎暑の京師 その四

2018年08月16日 | slow life

祇園巽橋から川端通りに出て三条へ北上。
三条大橋を渡って寺町商店街へと入る。
鳩居堂に寄ってから、寺町商店街を南下。
錦市場を烏丸へと歩く。

ここもインバウンドの威力。
外人さんが犇めいていた。大阪は
アジア系の人が多いような気がするが
京都は欧米系、アジア系、南米系と
いろんな国の人が訪れている。

錦市場も結構儲かっているだろうな。
あの大阪城のたこ焼き屋があんなに儲かる
のだから、京都はその比ではないだろうと
余計な詮索をしてしまう。

レンタルの浴衣を着ている人が多い。
それなりに可愛らしく纏っている。

楽しげに浴衣姿のエトランゼ

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73回目の終戦記念日

2018年08月15日 | cocoro

八月十五日。終戦の日。

玉音放送が流れたのは1945年
昭和20年の八月十五日のこと。
よって今年は、終戦の日から
73年が経過したということだ。
つまり今の73歳以上の方たちが
戦争を知っている世代ということになる。

墓参に行く。

私の亡き父も出征世代であった。
父は海軍の通信兵だったという。
モールス信号を打つのであるが、間違うと
手の甲が腫れるまで叩かれたという。
その父の長兄も空母に乗っていたと聞かされた。
勿論戦死だ。父の兄といっても歳はかなり
離れていたらしい。とても優秀な兄だったと
よく語っていた。

親から直接、戦争の話しを聞いたのは
おそらく私の世代が最後ぐらいではないか?

戦争の悲惨さを
私たちも語り継いでいかないといけない。
最近そう思う気持ちが強くなってきたように思う。

戦争を語り継ぐ。災害を語り継ぐ。
世代を超えた使命だと思う。
俳句作家としても使命でもあると思う。

あの戦争で犠牲となられた方々の
ご冥福を謹んでお祈りいたします。

南溟に散りし青春雲の峰
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炎暑の京師 その参

2018年08月14日 | cocoro

祇園・白川の柳が
けだるそうに風に揺れていた。
銀座の柳も風情があるけれど
京都・祇園や高瀬川の柳もいい。

若山牧水、石川啄木、吉井勇、
与謝野晶子…私の大好きな歌人たち。

毎日退屈な授業がつづく思春期。
そんな或る日、短歌好きだった
とある国語の先生は牧水の句を
朗々と吟じそして解説してくれた。

“ともすれば君口無しになりたまふ
 海な眺めそ海にとられむ”

私はこの歌に、全身に電流が奔ったような
言い知れぬ感動を覚えた。今でもあの時のことは
鮮明に記憶から引っぱりだすことができる。
以来、私は短歌の、特に牧水の虜となってしまう

そらから何十年が過ぎ、教養講座の門を訪ねる。
もしもあの時、週末に俳句講座ではなく
短歌講座があれば、今頃、私はきっと
俳人ではなく歌人になっていただろう。

運命とは、鉄道のポイントの切替のように
ちょっとした選択の差で、その後の方向が
大きく変ってしまうものだ。

吉井勇の歌碑を観るたび想い出す。

かにかくに祇園はこひし寝るときも
枕のしたを水のながるる 吉井勇
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