江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

「瞼の母」 制作ノート

2011-02-07 22:17:07 | 向島百花園公演
「ドサみたいにクサい」
そういう言葉が芝居の世界にはある。
それらしくもったいぶった台詞回しや、あざとく泣かせようとする台詞回しを指す。
私が修業したところで随分聞いたこともあって、私は
ドサ芝居や大衆演劇を見ないうちに毛嫌いしていたところがあった。
だからか、一度は読んでおいたほうが良いと思って長谷川伸の本を読んだが、
その時は丸で印象に残らなかった。

それが7年前、横浜にぎわい座の長谷川伸没後40年企画に声を掛けられたとき
一度はその作品に添わないと良し悪しは分からないと思って応諾した。
ところが、いざ「瞼の母」に取り組んでみると、奥が深い。
そしてその時どうしても分からないことがひとつ。
母親は、忠太郎と名乗ってきた男を、どこで自分の息子と分かったのか。

何本か映画を見た。
でも見た全ての作品で、そこの部分を流していた、誤魔化していた。
子宮で分かるのだろうか。
男の私に分かるのだろうか。

もう一度やってみたい
そう思って相手探しが始まった。
なかなか見付からず、やっと出会っても断られたり
そしてその相手は、意外と身近なところにいた。

コント フリーパー

浅草21世紀で一緒になり、付き合いが永くなる中で
彼らの力を知る。
私たち「江戸糸あやつり人形」は、「笑い」を大切にする。
彼らの「笑い」は、芯をずらさない。 話しが崩れないのだ。
母親と忠太郎の出会いの前後を笑いで固めれば、尚のこと出会いが際立つ。
そして「笑い」があれば、いろんな人形が出せて楽しくなる。

私の場合、理詰めで考えてアイデアがでてきた事がない。
全て閃き。
理屈は後で付ける。

母親が自分の息子と分かるところがハッキリすると、
この芝居の大切なところはそこではないと分かる。
そしてそれがハッキリしたとき、頭の中で突然音楽が鳴り始めた。
実際に芝居で遣ってみると、芝居が明確になっていく。

7年前には考えられなかった芝居になった。
それで良いのだと思う。
人は日々いろんな経験をして、それを糧に必ず変わっていく。
またこの芝居を再演したら、今回とも違ってくるだろう。
この芝居を成長させていきたいと
つくづく思う。
コメント (2)
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無事終了しました

2011-02-07 00:00:21 | 向島百花園公演
向島百花園公演、無事終了しました。
お陰様でお天気に恵まれ、片づけが終わって帰るとき、ちょっとパラりと
雨が降りましたが、お客さんが濡れることなく、何よりでした。
今回は既に報告しましたように、どの回もよくお客さんが入りました。
立ち見された方もいらっしゃって、窮屈な思いをさせてしまい、申し訳ありません。
でも私たちは本当にいろんな方に支えられていると、有難く存じます。
最終公演ではサプライズとして、飛び入りで日本舞踊がありましたし、
毎回やっている日本イラク医療ネットワークの活動への支援のチョコ販売も
完売しました。
売れ残るかと思っていただけに、皆さんの優しさに、感動しました。

有難うございました。

今後ともよろしくお願い致します。
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