葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀

一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

おやじギャグは悲しいのです

2008-02-09 19:09:29 | 作務衣はじめ 昔話
団塊の世代の独り言は、おやじギャグみたいに

「ウザイ」存在でもあります、だいたいおやじギャグを飛ばすのは

「どうだ・・面白いだろう・・」と押し付けがあることと、

独りよがりの為、たいしたことがなく、「しら~・・」となって

引いていきます、それにも気が付かないで二番目や三番目のギャグを

いうのですが、ほとんどが(前に聞いた)話なのです(笑)

おやじギャグは、至ってサービス精神旺盛がなせる業なのですが、

悲しいかな、「ウケテくれません」

そこで昔、ワタシが受けたギャグをひとつ・・

場所は飲み屋のカウンターで、なにやら怪しげな男女の設定です

女が男に向かってこういいます、

  ねぇ・・しあわせってなぁに~・・・

すると、男がダスターを右手に持ち、カウンターの上で

  こう「拭く」・・とダスターを左右に拭くのです

これだけなのですが、飲み屋さんで受けたのはいうまでもありません

ただ、何度もやりますと、悲しそうな眼差しが

帰ってきますから、

ほどほどにして下さい

このギャグは自分で考えたものですが、いかがですか

悲しい眼差しを受けるぐらいの「ぼらんてぃあは」

悲しいけど楽しいのです、あはは・・・
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49日・・忘れることは、思い出せること

2008-02-09 18:50:00 | 道順庵の徒然草
人のうわさも七十五日などといいます

人の死も100ヶ日も経てば、はるかに遠い「昔のこと」になり

今の現実の忙しさの中に、「過去形」でしか存在しなくなります

考えようでは、忘れることができないのも不幸なことかもしれません

現実の社会で生きていけるのは、「何も考えなくても済む」ことができる

環境があるときなのです、

悩みや、悲観、不安とかいうものが心を支配しているときには何事も

手につかないものなのです、しかも体の健康と心の健康が共に萎えてしまい

脱力的に落ち込みのスパイラルにのめりこんでいきます。

かといって、思い出せないくらい「忘れてしまうのは」これまた

非常なことか「ボケ」が始まったか、なのです、

必要なときにはいつでも思い出し、必要としないときには

心の片隅にしまっておける余裕が必要なのでしょう

忘れることが恥ではなく、思い出せないのが罪なのです


好きな人と別れたあと、新しい恋人が出来たとき、

目の前の人しか見えておりません・・

前の人を思いすぎれば、新しい恋人は出来ないのです、

新しい生活は、悲しみや喜びの上に成り立つのです


自分が前向きに明るくなることを、

故人様は一番望んで、見守ることを約束するのです・・

悲しみは、本当に悲しいときだけにして、

さぁ~49日も過ぎました、

少し自由になりましょうか・・・

ワタシが明るくなれば、マワリモ明るくなるのです・・・




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