葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀

一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

悩む時間

2008-02-18 11:03:28 | 道順庵の徒然草
車が好きな私は、欲しい車があると一年ぐらい悩みます

あれやこれや、OPはどうかな、性能は・・云々・・

車が欲しいのか、悩むことが楽しいのか、自分でも解らなくなります

選ぶ時間や、猶予が、楽しみを助長するのでしょう・・

葬儀の場合、そんな猶予(ある分けない・・!!)はないのです。

なぜならば、事前に考えていないからなのです、

そこで、提案なのですが、「葬儀」を自分のこととして、考えてみては

いかがでしょうか、自分が死んだらこんな葬儀にしたい・・・

自分の生き様を見直して、自分の死に際を絵に描いてみるのです

モノを買うときの「猶予のひととき」を葬儀のそのときまでを

プランで「楽しんでしまう」のです

最近、エンディングノートと言うことで、自分の葬儀について書き留める

ことが流行っております、

高い買い物(葬儀)なのですから

それまで、あれこれ、悩んでみるのも一考・・

当社にも自作のエンディングノートがございます、

誰にも見せないで、書くことも、良いのではないでしょうか・・

実際には「買わなくて」よいのですから・・・



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内と外と家族葬

2008-02-18 10:41:38 | 道順庵の徒然草
建前と本音は誰にでもあります、政治家はもとより、商売人も

家庭の主婦も誰しもが持ち合わせているのです

こころの内側と体面の繕う外側、葬儀の話でいえば、豪華にお花で

飾ってあげたい気持ちと、現実の財布の中身みたいなことでしょうか、

家族葬はそんな狭間を埋めるのには「好位置」に存在いたします

家族だけで致しますから、費用の面も多少は節約され、大きくない式場ですから

飾りもマッチしたレベルになります、

ましてや、「故人の意志で家族で葬儀を・・」の言葉があれば

「大義名分」が伝家の宝刀みたいに、なおさらクリアができるのです

その大儀の元で費用が少なくなれば、本音の「実」がとれるわけです

ただし、内と外が逆になりますと、

小さい葬儀にするために、意図的に「家族葬」を選んでしまうと

大儀が「お金のため」だけになるのです

まぁ~それも大儀と思う方には、大儀になるのでしょうけれども


回転しないおすし屋さんに「行きたい」が建前で、回転が「早くて安い」が

本音の庶民、やはり懐の力次第でしょうか、

暖房の効いた部屋で、外の雪を見ながら「雪かきはいやだな」などと

ポツリとささやくことも、内と外、

こころウラハラの私のこころなのでした。

内と外・・・仕切りに佇むわたしたち・・・



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