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一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

49日・・忘れることは、思い出せること

2008-02-09 18:50:00 | 道順庵の徒然草
人のうわさも七十五日などといいます

人の死も100ヶ日も経てば、はるかに遠い「昔のこと」になり

今の現実の忙しさの中に、「過去形」でしか存在しなくなります

考えようでは、忘れることができないのも不幸なことかもしれません

現実の社会で生きていけるのは、「何も考えなくても済む」ことができる

環境があるときなのです、

悩みや、悲観、不安とかいうものが心を支配しているときには何事も

手につかないものなのです、しかも体の健康と心の健康が共に萎えてしまい

脱力的に落ち込みのスパイラルにのめりこんでいきます。

かといって、思い出せないくらい「忘れてしまうのは」これまた

非常なことか「ボケ」が始まったか、なのです、

必要なときにはいつでも思い出し、必要としないときには

心の片隅にしまっておける余裕が必要なのでしょう

忘れることが恥ではなく、思い出せないのが罪なのです


好きな人と別れたあと、新しい恋人が出来たとき、

目の前の人しか見えておりません・・

前の人を思いすぎれば、新しい恋人は出来ないのです、

新しい生活は、悲しみや喜びの上に成り立つのです


自分が前向きに明るくなることを、

故人様は一番望んで、見守ることを約束するのです・・

悲しみは、本当に悲しいときだけにして、

さぁ~49日も過ぎました、

少し自由になりましょうか・・・

ワタシが明るくなれば、マワリモ明るくなるのです・・・




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