葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀

一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

葬儀とは自分を見ることでもあるのです

2008-01-25 19:00:22 | 道順庵の徒然草
じっと見つめることは時には必要なのです、

じっと手を見つめたのは石川啄木、じっと見つめた黒い瞳は好きな人、

じっと見つめているのを見つめているのは、道順庵のワタシ、

じっと見つめてなにも言わないのが、家族の遺影写真の前に佇む身内の方、


葬儀の中で、遺影をじっと見つめて要る時間は、遺族と会葬者では長さが違います

ご遺族の方が、じっと見つめて動かないときは、故人様と会話をしているときなの

です。


葬儀は故人様のため、にするのでしょうか、

家族の方は、「死」や「別れ」に「受け入れることが出来ない状態」で、

遺影写真に向き合います、

じっとみながら・・

じっとみながら、過去形にしようと自分に言い聞かせるのです、

でも、じっと見れば見るほど、アルバムを紐解くように、いろんなことが

脳裏を駆け巡ります・・・

そう・・・

今、一生懸命に故人様との「古 縁」を想っているのです、

ずぅ~とっ故人様を見つめてください・・・

そして、生きている自分の存在が感じられたら、

故人様と交信が出来たこと、

魂を頂いたことなのです・・・

そして、感謝と涙を、たくさんして下さい・・

じっと見つめながら・・・







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