マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

酒井抱一と江戸琳派の全貌(その2)

2011年12月11日 | 映画・美術・芝居・落語

 一人ではめったに美術館に足を運ばない私が、独り千葉市美術館に出掛けたのは11月11日(金)。午前9時15分には美術館に到着しました。「酒井抱一と江戸琳派の全貌展」2度目の来館です。前回には展示されていなかった「夏秋草図屏風」をこの機会に観ておきたかったからです。
 例によってシルバーパスを最大限に利用して、都営地下鉄で総武線本八幡までやってきて、ここからはJR利用です。
 
 入館し、
まずは「夏秋草図屏風」の前に足を運びます。長椅子が置かれていてじっと見入る人只一人。他には誰もいません。東京国立博物館での開催ならば物凄い人出でしょうが、謂わば地方都市での平日の、しかも雨の日の入館、空いていました。私も椅子に座り、じっくりとこの絵を鑑賞しました。華麗な色彩の絵にしては、何故か儚げな風情のこの絵、かって東博で観て以来、私の好きになった絵画の一つです。尾形光琳描いた「風神雷神図屏風」裏に描かれていた事実も興味をそそられる事柄でした。

 右側に2曲一双の下絵が並び、左側に2曲一双の本絵が並びます。
 この展示の直前に知った事柄ですが、
 『その下絵は1991年に発見され、それに付随した書付には「雷神裏 夏艸雨」「風神裏 秋艸風」と記述されていて、「夏秋草図屏風」の右隻は雷神の引き起こした雷雨に打たれた夏草、左隻は風神の起こす風に吹かれた秋草との指摘されていたが、それが制作当初からの抱一の設定であった事が確認された』そうです。抱一は傾倒する光琳の「風神雷神図屏風」の裏を手掛けるにあたり、それに引きあう主題を用意していたのでした。(右上の写真:「夏秋草図屏風」下絵右隻  別冊太陽より撮影)


(「夏秋草図屏風」下絵左隻 別冊太陽より撮影)


 下絵と本絵を同時に観る事が出来ましたので、その両者の色彩の違いをはっきりと認識出来ます。下絵が金地であるに対し本絵は銀地、これで絵の印象がまるで違います。私が儚げと感じたものは、そこに描かれている花々が今を盛りと咲くのではなく、雨や風といった強力な自然のダメージを受けながらも、たくましくも、耐えているかに見える姿から感じたイメージだと思います。(写真:「夏秋草図屏風」本絵右。パンフレットより撮影)



(「夏秋草図屏風」本絵左。パンフレットより撮影)


 11階にあるレストランで早めの昼食を摂り、11時半にはここを辞して、13時から見学予定の銅御殿へと急いだのでした。
 
 


皆既月食の日に

2011年12月10日 | 身辺雑記

 12月10日(土)は天候に恵まれれば、東京でも皆既月食が観測されるとの事、期待を込めてこの時を待っていました。起床5時半、この日今冬一番の冷え込みでしたが、快晴が約束される様な空模様、自宅マンションから朝夕の富士山の姿と月食を撮影しました。カメラは富士フイルム社の「FinePix HS10」で、24mm~720mmのズームが付いた一眼レフ。カメラに詳しい、駒込福寿会健脚3人組の一人Kさんから教えて頂いたカメラで、4万円を切った値段で購買し、1年半が経ったカメラです。


 朝7時56分撮影。前景は徳川マンション



 日没時16時18分撮影 



 月食開始前21時30分に撮影



 月食開始直後21時47分撮影



 22時07分撮影



 22時29分撮影



 22時39分、フラッシュを用いての撮影。シャッタースピードが1/250と速くなり、地球の影になっている部分は撮影出来ていない。
   


 22時48分撮影。フラッシュ使用



 23時03分撮影 月全体が地球の影で覆われる直前。フラッシュ用いず。シャッタースピード1/4。月は肉眼でも観察出来ました。月の色は薄いオレンジ色か?


教職ボランティアという仕事

2011年12月09日 | 身辺雑記

 主として、東京都に働く教職員を正会員として組織する「社団法人 東京都教職員互助会」(以下互助会)なるものがあります。退職後もその組織に属することが可能で、私は今もその会員です。
 この互助会は昭和8年には、教職員のための職域病院として三楽病院を設立し、現在、会員11万人余を擁する団体となっています。 教育に関する調査・研究等を実施すること、公教育を支える教職員の福利厚生に寄与することを設立の目的として、この目的を達成するため、教職員の健康管理の支援、三楽病院の経営による医療サービス、教育振興に関する事業、教職員の生涯生活設計の支援等を行っています。
 その事業の中での教育振興に関する事業の一環として、新たに、平成23年から「退職教職員ボランティア事業」が開始され、私も退職教職員の一員として、今年の9月に人材バンクに登録をしました。教育活動で学校を支援するのは、多分正規教職員の補助的仕事、例えば採点・個人指導・得点入力等の作業をするのだろうと思っています。
 10月に互助会から、区立荒川中学で4日ほど働いて頂けますかとの連絡が入りました。時間は午後3時30分~5時30分、交通費は支給されませんが、時給1000円ほどが支給されるとのこと。4日間とも都合の付く日で、打ち合わせに出向くと、「本校では11月11日に”計算力コンクール”を実施します。その実施前に計算力の弱い子を個人指導する補助をお願いします」とのことで、11月の7日・8日・10日・24日の4日間、
中学校に出掛けました。
 朝の計算テストで3割に満たない生徒が数人残されています。ボランティアは私を入れて3名。正規の先生を含めて4名で個人的に面倒を見ます。やはり、正の数と負の数の加減で躓いています。ここを短時間で教えることは難しいと感じつつ、ともかく寒暖計などを例に出しながら指導しました。ここが出来ないと一次方程式の解き方など、多くの場面で原理は分かっても正解には達しないのです。教える事が好きな私には、満足の4日間でした。
 後日、副校長から電話があり「個人指導はそれなりの効果があったので、今後も継続してお出で頂ければ」との連絡があり、以後もこちらの学校での教育補助の仕事をすることになりました。毎週、日を決めての出勤ではなく、あちらからお声が掛った時にのみ出向くのですが、学期末や学年末に集中する仕事かなと思っています。


京都紅葉5景

2011年12月07日 | 

 12月2日の午後から京都を離れる3日午後までは、今回の旅のもう一つの目的である紅葉を愛でに,、お寺さん5ヶ所を回りました。12月2日が岩倉実相院と真如堂。12月3日が東福寺・阿弥陀堂・北野天満宮です。紅葉の遅い今年、京都では見頃の寺もありました。奈良が黄葉が多いのに対し京都のそれはまさに紅の葉となります。簡単に紅葉の様子などレポートします。

①岩倉実相院
 地下鉄烏丸線「国際会館前」から京都バス24番に10分ほど乗車。天台宗寺門派の単立寺院で、拝観料500円。床に写る紅葉が”床紅葉”として有名です。(写真:絵葉書より板紅葉)









 (絵葉書よりの板青葉)



②真如堂
 
2年前のミニクラス会でも訪れました。拝観料は要りません。京都市バス「真如堂前」下車徒歩15分。比叡山延暦寺を本山とする天台宗のお寺で、紅葉の美しい寺として秋のシーズンには多くの観光客がやってきます。それ以外のシーズンは多分静かなお寺。本堂裏側の紅葉が見頃でした。(真如堂本堂裏側の紅葉1)




    (真如堂本堂の裏側の紅葉2)


  (三重塔を望む)


③東福寺
 JR奈良線で京都駅から一つ目の「東福寺」下車徒歩10分強。臨済宗の総本山。拝観料は400円。通天橋から眺める紅葉が見事で、ここから洗玉澗(せんぎょくかん)と呼ばれる渓谷を見下ろしながらの紅葉は京都でも有数の眺めだと思います。(写真:通天橋を望む)






       (通天橋よりの眺め)



    (通天橋の下を流れる渓谷洗玉澗)



 ④毘沙門堂
 地下鉄東西線「山科」下車徒歩20分。毘沙門堂は天台宗五箇室門跡のひとつで、京の七福神のひとつ毘沙門天を祀ることから毘沙門堂と呼ばれます。境内だけなら拝観料無料。駅から往きは一般道を歩きましたが、帰りは川沿いの里道を発見。そちらの方が近道でした。途中、疏水と出合いました。イン・クラインの上流を流れる疏水で、何故か第一次疏水と呼ばれていました。(写真:勅使門へ続く階段)



 (毘沙門堂からの帰り疏水に出合う)




⑤北野天満宮「もみじ苑」
 京都市バス「北野天満宮」下車。もみじ苑への拝観料は600円。お茶とお菓子付き。苑内には、秀吉が京都の四囲に築造した御土居の一部が残り、御土居一帯には紅や黄に染まった見事な紅葉が見られました。その紅葉が、紙屋川の水面に映えていました。この御土居については昨日の22時から放映されたBS朝日「京都1200年の旅」で豊臣秀吉による京都改造計画の一つとして紹介されました。(御土居からの眺め)




   (御土居の下を流れる紙屋川1)



(御土居の下を流れる紙屋川1)

 ⑥番外
 
 上の写真は、イン・クラインより南禅寺へ下る道より眺める何有荘の紅葉で、別荘は現在はアメリ実業家の所有になっていると聞きました。未公開です。

 かくして3泊4日の奈良・京都旅行を終え、12月3日18時29分発ひかり号で帰路の途につきました。

 

 

 


神護寺へ

2011年12月06日 | 

 旅の3日目、12月2日(金)は雨。一段と寒さの増したこの日、体力に自信のない家人は、山登りの様な神護寺拝観を拒否し、私一人、京都駅発8時丁度のJRバスで高尾方面へと向かいました。

 9月14日に出掛けた「空海と密教美術展」を観て、空海が住み、密教の儀式を施したのが神護寺であった事を知り、どんな寺なのか実際に訪れてみたいと思いました。これがこの山寺を訪れたい一番の動機ですが、ある大きな錯覚もありました。この寺にお参りすれば両界曼荼羅(いわゆる高尾曼荼羅)を再度拝観できるものと思い込んでいたのです。これは全くの誤解で、私の浅学さを思い知ることになるのですが・・・。それに、友人のBさんから「神護寺にいらしたら、必ずパンフレットを2部頂いてきてね」との強い要望もありました。


 バスに揺られること55分で山城高尾到着。バスを下車したのは私只一人でした。雨降る周山街道から、谷を越えた山中にある神護寺は全く見えません。心細い思いで清滝川への階段を下る道すがらに、終わりかけた紅葉と落葉が私を迎えてくれました。(写真:まずは清滝川へと下りま)





 谷まで降り切りいよいよ昇りに掛かります。かなりの階段と坂道を昇ること15分くらいで漸く楼門到着。350階段はありました。拝観料400円を支払い、パンフレットを2部頂いて境内へ。バスを降りたときは私一人でしたが、この辺りまで昇って来ると、バスツアーの拝観者が多数。とくにこのところ、クラブツーリズムの団体が目に付きます。更に階段を昇って金堂到着。(写真:神護寺へ至る階段)





            (楼門)


 本尊の薬師三尊をお参りした後、側面をまわると曼荼羅の模写があり、高尾曼荼羅に付いてお坊さんにお聞きすると、「ここには保存されてはおらず、京都国立博物館に保存されていて、今は非公開ですよ」との事。両界曼荼羅のようなものは保存状態の良い場所にしか置かれていないという、当たり前の事に思い至ったのでした。(写真:金堂)




 多宝塔まで昇ると金堂の屋根や山が良く見渡せます。雨は上がり一時青空も広がって来ました。”弘法大使霊場遺迹本山”と称するだけの険しい山中の寺だと実感しました。苦労して登り詰めてお参りをしてこそ、有難みも増すというもの。家人とは京料理店「乃し」での待ち合わせ。それに間に合う京都市バスは10時48分発。慌てて下山を開始しました。(写真:多宝塔よりの眺め



  (ハイキング中の一団にも出合いました)