家人に勧められて葉室麟著「柚子の花咲く」を読んでみました。時として、藤沢周平の小説を読んでいるような感覚になる物語です。そこで、この作者の他の作品にも触れたくなり「いのちなりけり」を読みました。歴史上の人物と創作上の架空の人物とが織りなす壮大な物語で、一気読みしました。
ときは元禄7年(1694年)、ところは水戸下屋敷(現在の小石川後楽園)。先代藩主水戸光圀は、交際のある大名、旗本を招いて宴を開き、自ら能舞台で「千手」を演じます。その直後、家老の藤井紋太夫を手打ちにするところから物語はスタートします。突然の凶変に右往左往する大名・旗本たちに対して、奥女中らの多数いた奥は森閑として人無き如き平静な様子との小姓の報告を聞き、光圀は奥女中取締咲弥(さくや)の仕業と知り、“咲弥胆力あり”と感嘆します。
この咲弥こそこの物語の一方の主人公です。
佐賀藩鍋島家の支藩の一つ小城藩竜造寺家。その竜造寺の流れを汲む名門天現寺家の一人娘咲弥は、兄たちが相次いで先立ち、婿として迎えた多久多門も病で没し、延宝4年(1676年)やむなく雨宮蔵人を二人目の婿として迎入れます。初夜の床を前にして「先夫多門様は
“願わくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ”
という和歌を好まれました。蔵人様にとっての、これこそ自身の心だと思われる和歌を教えて頂きたいのです」と問うのですが、蔵人は「浅学故に」としか答えられません。
蔵人がこれぞと思う歌を思い出すまで寝所を共にしない言う咲弥。その名ばかりの夫雨宮蔵人こそこの物語のもう一方の主人公です。武骨者蔵人の藩内の評判は芳しくありませんが、物語の進行とともに武芸に優れた志高き人物像が浮き上がって来ます。
水戸光圀と将軍綱吉の権力闘争を背景として、思わぬ政争の具となりながら、清々しく生きる蔵人。最後に辿り着いた歌は
"春ごとに 花のさかりは ありなめど あひ見むことは いのちなりけり”
です。この歌を携えて17年振りに妻との再会を果たします。
この作品、第140回直木賞の候補まで行きながら大賞を逃しましたが、この著者の小説、「乾山孤愁」「銀漢の賦」「秋月記」「風渡る」など読んでみたい本が目白押しです。