もう3週間ほど前のことになってしまいましたが、蓼科に着いた翌日の7月25(月)、霧ヶ峰を訪れました。霧ヶ峰と言えばニッコウキスゲです。その1週間前には尾瀬大江湿原のニッコウキズゲの群落を鑑賞して来ましたが、霧ヶ峰の花も又良し。比較的好天に恵まれたこの日、期待を込めて出かけました。
我が山小屋は「東急リゾートタウン」内にあります。ここからビーナスラインに出て、沢筋の大門街道を遡り白樺湖へ。そこで再びビーナスラインと合流し、車山を過ぎるとそこがもう霧ヶ峰です。山小屋から車で40分で到着です。
しかし、ここの駐車場、10時半にして既に満車状態。平日なのに霧ヶ峰は大混雑です。暫し待つも空きそうもなく、已む無く、ビーナスラインをドライブする事にしました。展望の良い高原ドライブを30分ほど楽しんで霧ヶ峰に戻ると、今度は運良く駐車出来ました。
霧ヶ峰のニッコウキスゲには異変が起こっていました。電流の通う線が張り巡らされています。鹿が花を食してしまうので、止むを得ない対策との看板も出ていますが、著しく趣を殺がれます。(写真:白い線が鹿除けの線)
見渡す限り、この線で張り巡らされた地域以外にはニッコウキスゲの群落は見られません。霧ヶ峰のニッコウキスゲは、大ピンチを迎えているのでした。昨年からこの様な措置が講じられているとも聞きました。鹿害は尾瀬沼山峠のみならず霧ヶ峰にも及んでいたのです。(背景は車山)
(写真:残念ながらの線です)
傷心の思いで、その傍にある「ころぼっくる ひゅって」に憩いを求めました。ここにやってくると必ず立ち寄る山小屋です。駐車場の直ぐ傍にあるのに何故か訪れる人は稀です。この小屋は例えばコーヒーは、注文を受けた後、サイホンで煎れるほどのコダワリを持つ山小屋ですが、その山小屋設立の歴史を知るに及んで大好きとなった山小屋でもありました。(コロボックルヒュッテ入口)
「ころぼっくる ひゅって」が建てられたのは1956年 (昭和31年)。ビーナスラインはまだ開通していません。当時のこのあたりは無人境で交通手段はなく、山小屋で使うすべての物資は、約3.5km離れた西の強清水から背負って運んだそうです。山小屋で使う水も300m下の沢から運び、雨水をも利用。電気、電話はもちろんラジオすらありませんでした。
当時は霧ヶ峰でも遭難する人が多く、雪崩、吹雪、濃霧、落雷、寒さなどで死亡する人も出たほど。コロボックルは、登山者の安全を守るための避難小屋の役目も果たしてきたのです。
今はその雰囲気はありませんが、創立者の手塚宗求さん著作(「邂逅の山」)を読むとその苦労が知れます。登山者の安全を願う精神は今もこの小屋に引き継がれ、一度は霧ヶ峰に宿泊し、満天星の夜空と爽やかな朝を体感したいと思いながら、未だ果たせていません。近辺に宿を得たが故の私の怠惰が原因です。今日もコーヒー一杯に喉を潤し、長門牧場を目指しました。来年は泊るぞ!(キスゲに寄すの碑 作詞:手塚宗求)