マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

伊豆へ(その2)

2011年03月05日 | 

 翌3月1日(火)の朝、天城高原は小雨。樹々は霧氷で、白い桜の花が咲いた風情でした。
 この日は宿主催の『早春の「河津桜」と歴史薫る街「修善寺」散策の旅』を申し込んであり、朝9時の出発時点でも雨は上がらず、雨の中での花見を覚悟しました。バスは濃霧の中をゆっくりと河津目指して下ります。かなり下った頃から、霧は一気に消え、伊豆半島の東側の海岸線が見え始めました。山でよく経験するように、標高一定の高さ以上で天候不順だったようです。

 河津では桜が見頃を迎え、大勢の人で賑わっています。バスガイドさんの話によればこの前の土・日には33万人の人がここ河津を訪れたとの事。桜並木の川沿いの道は、進むこともままならないほどの人で溢れかえっていたことでしょう。その時ほどではないにせよ、多くの人がここ河津を訪れ、見事に咲き誇る桜を愛でていました。幸運にも雨上がりの散策となりました。

















 バスは河津から、再度伊豆山中に入り湯ヶ島温泉「落合楼村上」を目指しました。ここ落合楼村上は宿の殆どが、国指定登録有形文化財に指定され、私にとっては修善寺よりもこちらが”目玉商品”です。ここ落合楼へはかって一度訪れたことがありました。記憶違いかも知れませんが大きな露天風呂が印象に残っています。その頃はこの宿の部屋等が文化財の指定を受けてはいなかったと思いますが、その時は、温泉やお酒にのみ関心がいっていて、その素晴らしさを殆ど認識する事なく宿を去っていました。(写真:落合楼村上玄関)


 昼食後、案内が始まりました。有形文化財は全部で7つありました。その中でも特に私が感心したのは、108畳もの広さの紫檀宴会場と配膳室階段です。108畳の宴会場には、室内に1本の柱も釘もありません。明治の時代の日本家屋建築技術が、非常に高度であったことが分ります。階段も見事なものでした。踊り場への2本の下り階段と2本の昇り階段が用意されていて、現在では高島屋デパートと京都大丸百貨店でのみ見られる階段様式が日本家屋で作られていました。(写真:レトロな洋間)
 私の拙い表現能力では的確に伝えられません。次のブログに飛ぶとその有形文化財の世界が展開されています。
http://red.ap.teacup.com/tabizuki-naho/1308.html

 かっては「落合楼」と呼んだこの宿が「落合楼村上」と名称変更した理由を案内人に聞くと、予想されたことですが「経営者が変わりました」との事。幾星霜は移り、諸行は無常です。

 落合楼から修善寺へ。生憎雨が降り始め、「修善寺」へ詣でただけで街の散策は簡潔にとどめ、伊豆を後にしました。

 


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