今回が2回目の中山道行は11月7日~10日の4日間、幸運にも全く雨に降られること終わった。今後“飛び石”的に旅の様子を綴りたい。
11月7日、朝5時過ぎには家を出て、駒込発5時20分の山手線に乗車し、5時57分にはひばりヶ丘に到着。意外に短時間。ご同行の熊倉さんと菅原さんと私の3人は熊倉車で新町ステーションホテルに向かった。関越道を藤岡で下り、2時間弱で目的地に到着。そこに車を置いて高崎線で深谷へ。いよいよ中山道行のスタートだ。(写真:ご同行二人)
深谷は義妹夫妻の住む街。何度か訪れていた。いつも車で案内してもらって、渋沢栄一生誕の地にも赴いていたが歩くことは稀だった。初日は、ここ深谷宿から本庄宿を経て新町宿までの19.5kmの道のり。深谷宿は旅籠が中山道69宿のなかで最も多く、その大半が飯盛旅籠で、英泉も描いた女性たちが宿の繁栄を支えていたそうな。その繁栄の面影を垣間見たいと思っていた。(写真:深谷駅)
深谷と言えばネギ。街道沿いにネギ畑を数多く見た。しかし、ネギよりもレンガといった方が良いだろう。駅舎がレンガ造りで、造り酒屋の煙突がレンガ。歩き始めてまず飛び込んできたのが、右写真の、酒蔵東白菊のレンガ造りの煙突。
七ツ梅も酒造りをやめているが、菊泉は幕末から現代まで続いていて、酒蔵や麹室も深谷産のレンガ。この3つの酒蔵の煙突は高さ30m。深谷という町の気高さを象徴するようで、それらを眺めながら“深谷侮るべからず”と思った。(酒蔵七ツ梅のレンガ煙突)
レトロな建物群に吸い込まれるように入っていったのが中山道深谷宿本舗。ここは七ツ梅酒造跡にあり、“中心市街地活性化”の拠点だった。深谷シネマがあり中山道ギャラリとBOXマーケットも併設され、市民の文化活動の拠点にもなっているらしい。(下の写真は営業中の菊泉)
更に進むと西の常夜灯。東の常夜灯との間が深谷宿だった。宿の西入口田所町の桝形に、江戸後期に富士講が建てた高さ4mの常夜灯で、説明版には中山道最大級と書かれていた。かつての深谷宿はここまで。
そこから先、中山道ならではの立派な屋敷を眺めながら歩くのが楽しい。
神流川を越えて群馬県に入った。
(埼玉と群馬の県境を流れる神流川)
(本庄宿の浮世絵。神流川を渡る大名行列。遠景は上毛三山)
途中の本庄宿などは飛ばして、話は一気に新町駅付近に飛ぶ。その日の宿泊先に夕飯の用意はない。そこで夕飯を取りながら一献と、帰り道にそれらしき店を捜しながら歩いたのだが、駅前に一軒あるのみ!!
宿に戻って紹介されたお店に行った。敢えて店名は書かないが、出された地酒3セットがヒドカッタ。3つの小さな杯のどれにも1/3程度の御酒しか入っていない。それを見て同行の二人はガッカリしたと語った。私はそう思っただけでなく、その酷さを店員に告げた。平謝りの後、多分店長に話したのだろう、今度は7分位注がれた杯が3つ現われた。勿論この分は無料だろうが、あまり楽しい思いになれなかった。
新町は群馬では一番東京に近いのだが、群馬の中心街高崎からは遠い。それでか全く活気が感じられない街で、お店の客への対応もダサかった。珍しく悪口となってしまった。