マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

弘前にて(その4 景勝院 禅林街)

2017年07月08日 | 

   (9)景勝院
 6年前の弘前行でも、真言宗智山派の景勝院を訪ね、五重塔を仰ぎ見た。優美にして端正な塔だと思った。ただ訪れた時刻が日没間際で、これはという写真が撮れなかった。明るさが足りなかった。今回の弘前行では景勝院の五重塔をじっくり鑑賞し、納得のいく写真を撮りたかった。9時40分頃、景勝院到着。山門を潜り五重塔へ。国指定重要文化財の五重塔としては日本最北端に位置すると言われるこの塔、期待を裏切らない佇まいだ。津軽藩3代目藩主信義、4代目藩主信政の寄進により1667(寛文7)年に完成。総高31.2メートルという高さだ。
 帰宅後調べると、神仏分離令によってこの付近の11の寺は廃寺となり、景勝院は廃寺となった寺院の檀家衆を引き受けて現在地(旧大円寺跡)に寺籍を移転した。それ故市民からは今でも「大円寺」の俗称で呼ばれているそうな。大円寺は大鰐町に移転したが、五重塔はそのままここに残された。

  
                                                                          (景勝院三門)
(10)禅林街
 今回は旅先でも早朝に街を散歩した。前日に歩いたところを復習の意味で散策したこともあったが、禅林街への道は予習を兼ねての朝散歩。こちらに来て初めて禅林街と名付けられた地域のあることを知ったので、予めネットで情報を仕入れることは出来ていなかった。
 宿泊先「ドーミーイン」から歩くこと30分弱でその入口の黒門に到着。そこから、正面に位置する長勝寺へと続く直線道路が禅林街で、道の両側には20の曹洞宗の寺が存在している。黒門からは400mはあろうかという真っすぐの道路。赤門から先にも12寺。門から先は後刻妻と訪れることにして、早朝はこれにて引き返した。


 禅林街へは11時着。
 2代目藩主信枚が、弘前城の南西(風水でいう裏鬼門の方角)の砦として、1610年に津軽一円の主要寺院をこの地に集め、禅林街の出入口部分に枡形と土塁が設け、禅林街全体を弘前城の出城や郭のような軍事的な施設的として完成させた。全てが曹洞宗という全国的にみても類例がない寺院街。「津軽氏城跡 弘前城跡長勝寺構」として、1952(昭和27)年に国指定史跡に指定された。
 
その長い道路の正面に位置するのが長勝寺。津軽家最初の菩提寺で、江戸時代初期の代表的な建造物。三門が堂々としている。(正面が長勝寺三門)
 さて、今夜の”ブラタモリ”は弘前。どんなお題が待っているのか楽しみだ。




  
             (重文の長勝寺本堂)                                (重文の長勝寺三門)


  
               (黒門)                                      (栄螺堂も存在する)


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