マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

松ヶ岡開墾場を見学後、九兵衛旅館へ

2023年08月24日 | 

 当日、現地松ヶ岡で待っていて下さったのは古野(ふるの)さん。彼は大島先生とは高校時代の同級生で、なんと大学も同じだった。卒業後は山形県職員として県庁にお勤めとのことで、古野さんに案内して頂いて、開墾記念館やワイナリー、旧蚕室など、松ヶ岡(正確には松ヶ岡開墾場)のあちこちを案内かたがた説明をして頂いた。(写真:松ヶ岡開墾記念館)
 松ヶ岡については詳しくは知らなかった。ここが見学地の一つと知ってにわか勉強をしたのだった。古野さんの説明に、にわか勉強の結果を加えて綴ると・・・。
 庄内藩は戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の一員として「官軍」と戦った。「官軍」を寄せ付けないほどの勇猛さで不敗の強さを持っていたが、時に利あらずして降伏した。庄内藩が会津藩の様な運命に会わなかったことを私は不思議に思っていたが、そこには西郷隆盛の存在と、軍事的には敗れていなかったことが大きいと思えた。
 明治5年、旧藩士卒ら3000人は刀を鍬に持ち替え、月山山麓235ヘクタールの開墾竣工を僅か58日で成し遂げた。旧藩主酒井忠發も開墾地を訪れ、「松ヶ岡」の標を自筆し、以降「松ヶ岡」が開墾地の名称となった。
 その地で、明治6年からは茶の栽培を開始し、生糸の生産・輸出を目的として桑園開発も始め、7年末からは本陣東側で蚕室の建設にとりかかった。瓦葺上州島村式三階の蚕室が五棟現存していて、鶴岡城の屋根瓦も用いられているそうな。第一蚕室は開墾記念館となっている。残存する旧蚕室は風格を感じさせる見事な建物だ。
 明治8年(1875年)建築の1番蚕室は、松ヶ岡開墾記念館として、幕末以降の庄内藩の歴史や、開墾と養蚕に関する歴史資料を展示するほか、日本遺産「サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ」認定のストーリーを紹介している。


 現在ではワインの醸造が開始されていて、私たち4人は「ワイナリー ピノ・コッリーナ松ヶ岡」に暫し憩い、松ヶ岡を後にし九兵衛旅館に向かった。

 九兵衛旅館は部屋数13のこじんまりした旅館だった。館内には、藤沢周平が登場する数々の写真が展示され、映画『たそがれ清兵衛』などのポスターが貼られ、周平全集が並べられていた。この旅館の特徴は親切丁寧な接客にあった。更に料理と湯が素晴らしかった。お風呂は3つ用意されていたが、川の湯と山の湯しか入る時間的余裕がなかった。そのどちらの湯も源泉かけ流しの、透明で肌触りの良い湯だった。羽黒山下山の疲れもこの湯で癒えていった。(写真:右は山の湯。下は豊富な金魚が見られる川の湯)
 

 
 私たちが宿泊した部屋は藤沢周平が帰郷の折り宿泊したものだと知って、藤沢ファンの菅原さんも私も大喜びしたのだった。

 
 


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