7月19日(日)の東京新聞に<首都残影>(14)として旧岩淵水門が紹介されていた。1924(大正13)年に完成し1982(昭和57)年まで使用され、赤水門の愛称で呼ばれる旧水門だ。岩淵には赤水門と青水門の二つがあるが、老朽化した赤水門の役割を引き継いだのが青水門だ。
記事にはその両水門が紹介されていた。
現役の青水門の活躍は昨年10月の台風19号上陸時で、荒川は増水し青水門は12年ぶりに閉門した。もし水門がなければ隅田川の水は堤を越えていたと見られると伝えていた。
赤水門については2つのことが記されていた。「幅9メートルの通水路が五門並び、30トンの重さの鉄扉を上げ下げするために水門の上を蒸気機関車が走り、見る人を驚かせた」と。
「水門の横の緑地に<草刈の碑>が立っている。・・・1938年から6年間、水門の両岸で、農家の若者の士気を高めるため、全日本草刈選手権開会が開催された。・・・」(写真:下が草刈りの碑)
<草刈の碑>については7月27日(月)に岩淵水門そばの「都市農業公園」で草野さんと会う約束にしていたので、その前に見学に行った。赤水門の上を歩けるとは迂闊にも知らなかった。橋のようにも見える水門を渡るとその向こう側は小公園になっていて、荒川の上流方面が良く見え、<草刈の碑>も立っていた。全国から選ばれた精鋭が釜を手にどれくらいの草を美しく刈れるかなど技術と体力を競ったそうな。(写真:小公園へ続く“橋”)
気になって仕方がなかったのが「赤水門の上を蒸気機関車が走った」の記事だった。紙面へのご意見、ご要望はメール下さいと書かれていたので、東京新聞に「水門の上を蒸気機関車が走る」部分の出典をメールで問い合わせたが梨の礫だった。止む無く「荒川知水資料館」に電話すると、「蒸気機関車が走っていたのは誤りです。電気機関車が使われていました。それらしき写真が展示されています」という回答だった。それでは荒川知水資料館に見学に行こうとすると、現在は予約制とのこと。そこで18日(火)10時に予約し、出掛けていった。