マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

新たに王子道の道標発見

2020年08月16日 | 東京散歩

 今回のブログは、私にとっての、新たな王子道の道標を発見したという話で、その経緯を綴りたい。
 前回のブログで
旧小台通りと明治通りが交差するところに右道標が建てられていると書いた。道標の裏面には建立された年月が刻まれていて、昭和48年12月吉日とあった。表面の文言は江戸時代にも今と同じ様に書かれていたのだろうか。この道標明治通りを基準に書かれていないかと、ふと不安になった。






 道標には「右 西新井薬師道 左王子稲荷道」と書かれている。明治通りを王子方面に進むと目に入る道標で、私は右に曲がる旧小台通りが西新井大師道で、明治通りを真っすぐ王子方面に進むのが王子稲荷道と簡単に考えていた。右折方向は正しいが、左折方向はとんでもない誤解ではないかとの不安になった。江戸時代に明治通りはまだ造られていない!そこで古地図を見た。







 右図は古地図に現在の明治通りと王子街道を書き加えたものだ。西新井薬師道FBは、Bで少し曲がるが、Bからは真っすぐ音無川まで延びてる。その道は音無川の流れていたEに突き当たる。








 そこで8月5日(水)にBE間を歩こうと考えた。するとEまで行かないうちに一本の道に突き当たり、その向こうは線路だった。その角の地点Dで、草に隠れるように立っている右道標を発見した。そこには「左王子道 右六阿弥陀堂 西新井弘法大師道 船わたし場十一丁」と書かれていた。側面にはこの石の道標が文政11年(1824年)に造られたとも書かれている。この石碑、今から約200年前に建立されたと推測して間違いない。しかしEの手前にDがあった。何故か?私は、田端付近でJRの線路(特に東北回送線)が拡張される際に、王子道もEにあった道標も相当東側のDに移されたのではないかと推測している。






 下谷方面に住む人々が王子稲荷に参拝するには音無川に沿って進むのがベストだっただろう。もし西新井薬師にお参りしたければこの地点(E地点)を右折すればよい。反対に小台方面に住む人たちが王子稲荷へ行きたければ西新井弘法大師道(現在は旧小台通り)をここまでやってきて音無川に突き当たり、そこを右折すればそこからは王子道。
 六阿弥陀道は西新井弘法大師道と同じだった!そのことを初めて知って、六阿弥陀道の全体像が見えてきた。

 後日ネットで調べると、この道標は未知のものでは無く、既知のものだった。それでも、それと知らずにこの道標に巡り合えて大満足だった。(下の写真はD地点に傍にあった)