11月22日(日)に山手線1周ウォーキングをした際に、日暮里駅から鶯谷駅への道すがら、羽二重団子(はぶたいだんご)本店のお店脇で、右写真の道標「王子街道」を発見した。初めて知った街道なので早速ネットを中心に調べてみると、かつてそこには「音無川」が流れ、現在は暗渠になっていると書かれていた。音無川といえば、その上流は石神井川で、王子近辺では音無川と呼ばれている。その音無川がここ羽二重団子まで流れていたとは知らなかった。
(現王子駅付近。写真上が上流。丁度赤い線に沿うように下郷用水は飛鳥山の裾を流れ下っていった)
不明を恥じるとともに江戸時代(安政)の地図(復元 江戸情報地図)を開いた。上写真に見る如く、石神井川は現在の王子駅手前で3つに分流している(細かく見れば5つに分流)。本流以外には神谷方面への流れと、飛鳥山の横を通り日暮里方面へと向かう流れ。その地図を見ながら、5年前に購入した、石鍋秀子著「王子に生まれて」を思い出し、“音無川の堰”と“江戸の景勝地”の項を紐解いた。どちらにも王子大滝付近で石神井川が3つに分流する図が描かれ、分水流について詳しく書かれていた。
これは大変貴重な資料だ。少し長いが引用すると「昭和5年音無橋が出来たが、その斜めに江戸時代の下町二十三ヵ村を潤した堰があった。王子七滝の一つで王子大滝と呼ばれ、浮世絵にも描かれた。その堰の少し上流から王子神社を通り、王子稲荷の前を流れ、神谷の方へ流れていたのが上郷用水。飛鳥山の裾を通り、梶原、田端新町、三河島、金杉、龍泉寺、山谷など数村を潤して流れていたのが下郷用水である。・・・」と書かれている。要するに、用水路(=王子より下流の音無川)は安政時代には作られていて、昭和初頭には下郷用水と呼ばれ、多分をそれに沿うように続いていたのが王子街道。
では王子街道の始点と終点はどこだろと、その街道と推定出来る道を歩きながら、その痕跡を求めようと、12月2日(水)、勤務帰りに王子へと向かったのだ。出発点に選んだのが音無川3分水地点。実態報告は次回以降のブログで。(写真:右も下も分流の様子が描かれている)
(浮世絵に登場する音無川の堰)