マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「若冲と蕪村」展終わる

2015年05月22日 | 映画・美術・芝居・落語

  「サントリー美術館」で、3月18日(水)から始まっていた「若冲と蕪村」展は5月10日(日)に幕を閉じた。私はこの間3回も鑑賞に出掛けることが出来た。妻の同伴者ということで、無料。自宅から美術館への行き方は毎回違ったルートだった。今回は自宅前にバス停のある都バスを利用し、本郷三丁目駅前で大江戸線に乗り換え六本木駅へ。3度の経験から実感したことは、このルートは、時間は掛かるが、一番楽で、しかも大江戸線に30分も乗車するのは読書に最適だということ。六本木へは、このルートを多用することになるだろう。

 展示の方は、1回目も2回目も、その全体像を理解しようと、解説文を読むのにかなり時間を取られたが、3回目の今回は、これはと感じていた作品を重点的に、長時間眺めることが出来た。展示作品は数回の入れ替があり、総数は223点にのぼった。特に印象深かった3点について記す。

 蕪村の≪山水図屏風≫は、7年前にも「MIHO  MUSEUM」で鑑賞し、サントリー美術館でも2回観ていたが、今回は偶然にも、階段途中から作品を見下ろすような状態で鑑賞することが出来た。ここの美術館は4階から入館し、3階から退館する。鑑賞の途中で4階から3階へと下るわけだが、その階段を下る途中に、今回は全く人が立っておらず、私達は暫く踊場的空間を独占し、鳥瞰するように≪山水図屏風≫を見た。そこに描かれた山々よりも、こちらの視点の方が高い。あたかも、その向こうに聳える山脈を遠望するように、5メートルほど向うの屏風全体を眺めることが出来た。視点を変えると見えてくる風景が異なった、これは新鮮な体験だった。(写真:右隻)




         (左隻)

 山水図屏風と隣り合わせで展示されていたのが若冲作≪像と鯨図屏風≫。そのスケールの大きさに感心する。若冲82歳での制作と知って更に驚かされる。右隻には陸地の王者象が白色で、左隻には海の王者鯨が黒色で、見事な対比をなしている。かくなる構図の絵画が18世紀の日本で制作されていたとう事実に、江戸時代の“豊かさ”を感じた。和算・天文学・囲碁などと並んで、絵画も花開いた江戸時代。(写真:右隻)


         (左隻)

 ≪奥の細道図巻≫は楽しかった。芭蕉の「奥の細道」を蕪村が全文を筆写し、俳画風の挿図を添えた画巻。文章は読む時間的余裕も無いし、あったとしても私には解読不明なヶ所が多々あるので、絵のみの鑑賞。後日眺めた図録の≪細道図巻≫は、全文に絵が添えられ、”旅立ち”・“那須野行”・“須賀川の隠者”など13全ての挿図を眺める事が出来て、又楽しからずや、だった。蕪村は芭蕉を敬愛し、芭蕉像を10数点以上も描いている。発句と絵を一つの画面に描き、それが響き合う俳画という新しい分野を開拓し、その作品も多数展示されていた。(写真:俳画。「雪月花 つゐに三世の 契りかな」。左弁慶 右義経)






 第6章は「隣り合う若冲と蕪村 交差する校友関係」。蕪村は晩年、若冲の住む京都の四条烏丸近辺に居を構えたそうだが、同じ時代に、こんなに近辺に住みながら、蕪村の手紙五百以上の中に若冲を話題にしたものは現在一通も確認されていないそうだ。二人が一献も傾けることがなかったとは!そこが一番不思議だ。(写真:両宅は至近距離にあった)



(若冲作:≪猿猴摘桃図≫)