旅の2日目は愛知県にある瀧山寺(たきさんじ)まで行った。そこは思っていた以上に遠かった。しかし運慶仏を拝観出来ただけでなく、幾つもの意外性に富んだ話が聞け、思いがけない事柄にも出合えて、やや高揚した感じを抱きつつ瀧山寺を後にしてきた。 熱海発9時45分のこだま641号を待っていると、向かい側線路を何本もの「ひかり」や「のぞみ」が、振動を伴い物凄いスピードで通過していった。自分が乗車しているときよりも倍近いと思えるスピード感だ。それに反し、乗車した「こだま」は豊橋までの所要時間1時間23分で、停車する駅ごとに2~5分程度停車して「のぞみ」などに道を譲る結果だ。この間停車時間だけで18分。しかも「のぞみ」と同一料金とは解せない。(写真:熱海駅へ入線してきたこだま641号)
豊橋で11時15分発の名鉄特急に乗り換え東岡崎へ。そこからは名鉄バスに揺られること30分弱で「瀧山寺下」。本数が少ないこともあり、”路線バスの旅”気分になりつつ、車窓からの風景は次第に都会風から山里風へと変化していった。下車すると前は青木川の流れで、山側は東照宮本殿へと続く、見上げるような階段だった。私達は急な階段は昇らずに「宝物殿」を目指し緩い坂道を上っていた。 訪れる人が稀なのか宝物殿は鍵が掛かっていた。呼び鈴を押すと本坊からご住職が現れ、その先導で宝物殿へ。そこに運慶仏の三尊が安置されていた。中央に聖観音菩薩立像、右に梵天、左に帝釈天の両立像。ガラスケースなどに納められているのではなく、何の隔てもなく直接に、しかも間近でそのお姿を拝観出来る様になっていた。立ち尽くしたまま、長い旅の末に漸くこの三尊の下に辿り着いたなと感慨にふけっていると、ご住職から「お望みならばお座り下さい」と声がかかった。(写真:宝物殿碑)
そこから住職は丁寧な説明をされた。「聖観音は頼朝公と等身大ですが、脇の脇持像と比較して膝下が短い。膝をやや屈していている状態で、坐って像を見上げると像は大きく見える様でしょ~う。背丈155cmの頼朝公と等身大という制限を受けながら、より大きな姿に見せようとした、運慶の優れた技術の結晶です」(写真:パンフレットより。三尊)
「『瀧山寺縁起』には聖観音内には頼朝公の御髪と御歯が納められていると書かれています。そのことを確かめるためにX線撮影が行われ、その結果その事が確かであると確認され『瀧山寺縁起』の正しさが確認されました。その事を受けて運慶とその子湛慶作の仏様であることが分かり、重要文化財の指定を受けました」と。
『瀧山寺縁起』によれば、頼朝の従兄弟に当たる寛伝上人が頼朝三回忌の折(1201年)に頼朝追善の目的で「惣持禅院」を建立し、運慶にこの三像の制作を依頼し、完成後「惣持禅院」に収められた。その後「惣持禅院」は消滅したが、後世において三尊は修理の際彩色され、確認されない状態が長く続いてきたそうな。
そのあとに続く話は一層面白かった。次回に。
旅の初日、予定通り小田原で途中下車した。目的の一つは、覚えにくい店名なのだが、「サカナキュイジーヌ・リョウ」での昼食。昨年5月に初めてここを利用し二人とも大いに気に入った。その後、妻は昨年の1泊旅行の際に2度も訪れていた。喉に詰まりがちな食事の通りが良い。この店の食事と彼女の喉の相性がいいのだ。
14日(月)は成人の日の祝日でもあり12時を前に既に店は混んでいた。カウンター席に案内され、「サービスランチ」(1180円)3種類から、「海鮮ちらし」と「まかない丼」を注文。板前さんが作るのを眺めていると、手際よく5分程度で調理完成。小田原は直ぐそばに早川漁港がある。魚が旨いのは当然として、ご飯が美味しい。接客マナーが良い。それ故”エクセレンス”認証を受けているのだろう。(写真:左まかない丼、右海鮮ちらし)
このエクセレンス認証は今年で7年目となり、トリップアドバイザーに投稿された口コミで、一貫して高い評価を獲得している施設に送られるものだそうで、このお店、一昨年の2017認証に続き2018認証も受けていた。それもあってかネット情報を頼りに訪れたと思しき若者のグループがちらほら見受けられる。満足度高く昼食を追えた。
昼食を終え、お店をでると目の前にスーパー「小田急」。初めて入店し店のレベルの品定などしながらコーヒー・ヨーグルト・苺を購入。駅ちかストアー内「魚力」でお刺身を買い終えて熱海へ。熱海では2017年オープンの「ラスカ熱海」内のベーカリーで翌日の朝食パンを購入し、ウエルカムバスでホテル到着。二人だけの夕食は持参のワインと刺身が中心。かくして第一次”ご苦労様会”は終了した。
15日6時52分。相模湾上には少し雲がかかっていたが、その上から陽が昇った。
今日から「ハーヴェストクラブ熱海伊豆山」に2泊する旅行に出る。
暮れには育児・家事の手伝いに音更へ出掛け、新年は元旦夜の遅い帰宅で、お屠蘇もお節料理も味わうこと無く終わった。妻側からすると、それらに対しての”ご褒美”としての慰安旅行が必要と感じて来たはず。予定は
初日は小田原で昼食をとり、刺身などを購入し「熱海伊豆山」で部屋食。
二日目に熱海から豊橋経由で東岡崎へ。瀧山寺で運慶仏を拝観後「熱海伊豆山」に戻って来る。
三日目に熱海を散策し帰宅。 前回、「熱海伊豆山」に宿泊したときは伊豆長岡まで足を延ばし、願成就院で運慶仏を拝観した。今回もそれに倣って東岡崎まで行く旅行計画を立てた。「熱海伊豆山」の宿泊に満足してそこだけに滞在することが多かったが、そこを起点にしての文化財などの拝観に遠出するのは経済的に見て効率的で、旅の楽しさも増すと思うようになってきていた。
今回の旅行のメインは瀧山寺の運慶仏。18/02/05のブログにも書いたが、愛知の瀧山寺には源頼朝の追善供養のため三体の美仏が造像され、仏師は運慶とその子湛慶と記録されている事を知った。その三体がお揃いの瀧山寺には是非行きたいと書いていた。(写真:瀧山寺にある梵天立像)
東京⇔豊橋の往復切符(6日間有効)と熱海⇔豊橋の特急こだま往復の切符はすでに購入した。ジパング倶楽部会員ゆえ3割引きの運賃値段は1人10560円だった。
明日朝から来年の元旦まで帯広・音更に出掛け、帰宅は1日の午後11時半過ぎと思われる。息子宅のネット環境は標準的で、ブログ更新も可能なのだが、育児と家事の補助に専念するので、ブログ更新は暫く休み2日以降の予定。
やや早いですが、良い年をお迎え下さい。 数日間ラジオ体操不参加の場合には回りの仲間には一言声を掛けることにしている。4泊5日で北海道に行ってきますと告げると、「お気をつけて行ってらっしゃい」とか「北海道は豪雪のようですが大丈夫ですか」と心配された。有り難いことである。ただ帯広の、元旦までの天気予報は晴れ。北海道は日高山脈を境にして東と西で天候が大きく異なることがある。西側の札幌は雪模様でも東側の釧路は快晴ということもある。(写真:ピンク色が雪雲)
今日から明日の雪の具合は日本海側で雪になる模様に反し太平洋側は概して晴れ。私の利用する帯広行きは写真右の様に太平洋沿岸上を北上する。雪模様の今夜の天気図は写真上。比較して眺め、雪の影響はあまり受けないと思っている。(写真:羽田からとかち帯広空港への飛行ルート)
19時08分に更新。時間の経過とともに状況は厳しくなってきているようだが・・・。
かつて息子の好きだったミートローフを持参しようと、今日の午後妻とその調理をした。昨日は「コシヅカハム」で豚挽肉を、今日は「クイーンズ伊勢丹」でハムとウインナーを購入してきての料理。最後はオーブン利用だが、漸く1時間前に完成した。レシピは後日に回し、概略の写真のみを掲示。 器に肉やハムを詰めた。
オーブンで焼き上げた。
容器から取り出し完成。
帰って来て十勝地方は良いところだなとしみじみ思い出している。モール温泉は豊富に湧出し、広大な土地から採れる食材は、小麦・大豆・じゃがいもなど質量とも豊かだ。 十勝川温泉に宿泊したのは初めてだったが、湯には2度ほど浸かっていた。富士ホテルの直ぐ傍には、2年前には無かった「ガーデンスパ十勝川温泉」が建てられていた。
十勝の美味が味わえるレストランや、北海道遺産モール温泉に水着を着て入浴する温泉などが揃った総合施設だ。
十勝川温泉へは新千歳空港からの直行便が出ていて、3時間弱で来られる。世界に数ヵ所しかないモール温泉の価値は高い。外国人にも来てもらおうと、十勝地方は積極的戦略を取り始めたなと、私は思った。(写真:建物の平面図)
特に天然モール温泉は、平成初めまでは十勝川温泉とドイツのバーデン=バーデンの、世界で2か所しか確認されていなかった。現在では他の地でもモール成分を含んだ温泉が確認され始めたが、主成分が鉱物成分より植物成分が多いモール温泉は肌に触れるとツルツルとした感触が特徴だ。 4日目は月曜日で、息子夫婦は勤務。以前より仕事も忙しくなって、帯広案内をしてくれる余裕はないらしい。そこで私達は二人だけで市内を移動し、以前に行ったことのある「ばんえい競馬」に遊びに行った。(写真:競馬場。右側が直線のコース)
普通の競馬場の様に一周のコースは無い。200mのセパレートコースを最高1トンもの重量物を載せたソリを曳いて競う競馬。コースは直線で、高さ約1mの第1障害と約1.7mの第2障害を越えなければならない。お馬さんにとっては過酷なレース。私達は一段と高いスタンドからレースを眺めた。今回も遊び半分で馬券も買った。400円を投資して370円の収穫。まあまあ安く楽しめた。
息子夫婦は仕事と子育てに専念していた。特に感心したのが、時間の余裕があれば何時でも子どもと遊んでいることだった。1歳半の冬には芽室でスキー板を履かせていた。室内にはブランコと滑り台が置かれていた。誕生祝に買って上げたオモチャ2種類が新たに加わり、孫は遊びに夢中で、夫婦揃って遊びに加わり、時に手助けをしていた。
子育と仕事に忙しく過ごしている息子夫婦を目の当たりにして、大変だろうなと思う一方で、私達は何やら安心して帯広を後にした。