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マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

常念岳めざして

2010年08月02日 | 再びの百名山
 今日8月2日(月)から8月6日(金)まで常念岳・大天井岳・燕岳に出掛けて来ます。予定は8月3日(火)にヒエ平から常念小屋を目指し、8月4日(水)は目的地常念岳から燕山荘への尾根縦走、8月5日(木)に燕岳に登山の後、合戦尾根を下山します。予備日を最大2日取りました。好天気が予想されていますので予備日無しで下山出来そうですが、登山では何が起こるか分かりません。果たして予定通り行動出来たか否か、後日レポートしたいと思います。
 今回の山行での目標は2つあります。一つが常念岳山頂に立つことです。Sさんにとっては66番目の百名山。Kさんと私にとっては30年振りの常念岳です。もうひとつが常念から燕岳への稜線上からの、穂高から槍が岳へと続くの稜線の写真撮影です。予報通りの快晴を富士神社にお願いして来ました。

(追記)「東京都行政書士会文京支部」のホームページに「文の京のスライドショー」なるものが新設されました。私が最近撮影した、主として文京区の花の画像が登場します。上記名称の検索からでもアクセス可能ですし、次のURLからもアクセス出来ます。お暇な折に訪問してみてください。

 URL  http://gyosei-bunkyo.org/


『霧ヶ峰』(再びの百名山 その7)

2010年06月30日 | 再びの百名山

 現在はニッコウキスゲで名高い「霧ヶ峰」一帯は、山と言うよりは高原と呼ぶ方が相応しい。その高原状をなし、たおやかな稜線が続く山々の最高峰が「車山」である。
 
 茅野方面から望むと蓼科山の左側には緩やかな稜線が続き、何処が車山山頂かは見極めが難しいが、1999年に山頂に設置された「レーダー観測所」の球形ドームによってその位置を把握する事が出来ます。(写真:山頂のレーダ観測所)






 深田久弥氏がこの高原で遊んだ頃と比較して、この付近は大きな変遷を遂げています。その中心部を「ビーナスライン」が美ケ原まで伸び、スキー場が出来、多くの観光客が訪れるようになっています。

 

 私が初めてこの地を訪れたのは10代の頃。職場の友人と二人、起伏の乏しい稜線を歩いていると、そこが山頂と知らず、ふと気が付くとそこが車山山頂でした。独立峰ゆえ南アルプス・北アルプス・中央アルプスの三つのアルプス全て見渡せ、遠く後立山の名峰の数々も望めました。数年前、鷺宮高校の同僚4人とこの山頂を目指したときは、深い霧に覆われ展望は叶いませんでした。「再びの百名山」で再びここを散策するのは、レンゲツツジの群落が見られる時にと願っていました。(写真:クロボックル小屋方面より車山を望む)



 昨日の6月29日(火)、草津温泉からの帰り、霧ヶ峰にある「クロボックル小屋」で昼食を摂った後、一人車山を目指しました。梅雨のほんのひと時の晴れ間が覗き、レンゲツツジは満開でした。山頂への道は緩やかな勾配の巻き道を登ります。真っすぐに登る道もあるのですが、高山植物が踏み荒らされるのを防ぐ為かロープが張られ立入禁止になっています。(写真:満開のレンゲツツジ)



 深田久弥氏の「日本百名山」には次の様に書かれ、その頃の登山事情が現在とは大きく異なっていた事が伺えます。
≪車山の裾は、どこまでも果てしないと思われるほど、広い広い草地が伸びていて、その中に跡地らしいものが幾筋もついていた。そんな八幡の藪知らずのような細道を・・・。(中略)私など車山へ登る毎に道が違っていた≫とある様に何処を歩くのも自由であり、≪私はニッコウキスゲの群落の外へ出る毎にさまざまな花を摘んできて・・・≫。現在ではその様な事が許されるはずもなく、私はレンゲツツジを目で楽しみ、写真に収めました。(写真:中腹から見るビーナスライン)




 残念ながら展望は叶いません。暫しの時を山頂で過ごし、この日も運転されているロープウェーイを横目に見て、車山湿原のレンゲツツジを楽しみつつ、今日もまた霧に包まれて始めた車山を後に「クロボックル小屋」を目指しました。梅雨時の一日、高原散歩が楽しめた幸運を感じつつ。(
写真:山頂)


 


『黒斑山』(再びの百名山 その6)

2010年05月21日 | 再びの百名山

 5月21日(金)、快晴のなか黒斑山に登りました。深田久弥氏の「日本百名山」には浅間山は登場します。しかし浅間山は噴火活動が懸念され頂上半径500m以内は現在入山禁止となっています。そこでその代替として選ばれたのが「黒斑山(くろふやま)」です。と言って誰が選んだのかは知りません。そのような説が流れ、単純にそれを信じ、謂わば自己流に「百名山」と決めて登って来ました。

 5月19日(水)、妹夫妻とともに高島平から車で、軽井沢の二人の別荘に出掛けました。ご近所に住む従兄達に、母の法事が無事終了したことの報告を兼ねた軽井沢行きでもありました。5月20日(木)やって来た、山仲間のKさんご夫妻も含めて5人で「黒斑山」を目指す計画を立てていました。
 
 5月21(金) 
 別荘→(車 35分)→車坂峠→(徒歩 1時間50分)→黒斑山→’(徒歩 1時間40分)→車坂峠

 夜来の雨も上がり、快晴のなか別荘を出発。浅間サンラインを飛ばす右手には浅間山と黒斑山が青空を背景にくっきりと見渡せます。浅間サンラインと別れ、車坂峠を目指すと、高低差1200mほどの一気ののぼり。着いた峠の『高峰高原ホテル』の駐車場から望むと、眼下には小諸市街や佐久盆地が。目を遠くに転じると八ヶ岳連峰の雪景色が。そしてその右側には2週間前に登った蓼科山も見渡せます。茅野側から見た八ヶ岳や蓼科山と比べるとこちら側から見る北側斜面は当然のことながら残雪が豊富です。 
    
     (登山途中:浅間山の一部前掛山)


 
    
      (黒斑山山頂から見る浅間山)



     (前掛山とその後方の浅間山頂)
 
9時丁度登山開始。ここ車坂峠は標高2000m弱の地点で、新緑はまだですが、高度を上げるにつれ、浅間山のスケールの大きな景色が現れます。ゆるやかで登り易い登山道、1時間50分で山頂(標高2404m)へ。ここから眺める浅間山の姿は雄大で美しい。何度もこの山を訪れた事のある妹夫妻も、今日の様な快晴時に黒斑山を見るのは初めてとの事。Kさん夫妻も暫し無言でこの風景に見惚れていました。





 この黒斑山は実は浅間山を囲む第一外輪山で、標高も一番高く、高山植物が豊富な事もあり、近年人気が急上昇の山。平日にも拘わらず、定年退職したと思しき方々何人ともすれ違いました。浅間山の代替山とされるのも頷けます。浅間山が登山禁止になったお陰で有名になったとはいえ、十分にピンチヒッターの役割を果たしています、などと言えば黒斑山に失礼かもしれません。(写真は外輪山の一つ蛇骨岳)




 
 同じ登山道を引き返し、1時間40分で峠へ。小諸にある「あぐりの湯」で汗を流し、3時半に帰荘。(写真は「あぐりの湯」からの展望:左から高峰山、黒斑山、浅間山)
 

 

 

 

 

 帰ってきて何故”黒斑”と呼ばれるのか調べると、次の記述に出会いました。
 <黒斑という山名の由来はあきらかではないが、東側の急崖である旧火口壁をはじめとして、随所に出現する黒味を帯びた岩石がその理由ではないかと容易に想像できる。その黒い岩肌と紅葉のコントラストは、美しいばかりではなく神秘的でさえある>
 
 この記述にある急崖側は入山禁止地域ではありません。秋にもう一度訪れて見たいものです。
 


『蓼科山』(再びの百名山 その5)

2010年05月06日 | 再びの百名山

 5月3日(月)、ひとり『蓼科山』に登りました。               

 実は前日の2日(日)、義理の妹から、中山道「旧芦田宿」付近の桜が見事との連絡が入り、蓼科の山小屋から芦田へ向いました。途中桜が見事な芦田氏の菩提寺、曹洞宗「光徳寺」に立ち寄った折り、隣接する神社の巨木が眼に入り、立て看板を読むと「1500年来の神代杉」とあり、その神社は「蓼科神社」の里宮で、奥宮は蓼科山頂にあるとも書かれていました。そこから山側を望むと、頂上付近に微かに雪を冠した蓼科山の端正な姿がはるか彼方に望めました。


 5月3日は絶快晴との天気予報もあり、蓼科山登山は既に決めていました。ただ偶然にも里宮にお参りし、奥宮が山頂にある事も知ったので、山頂の奥宮にもお参りをしようと心に決めました。






 蓼科の山小屋→(マイカー 35分)→姫乃神茶屋→(徒歩 2時間40分)
→蓼科山山頂→(徒歩 2時間20分)→姫乃神茶屋→(マイカー30分)→山小屋

 3日は天気予報通り快晴でした。早朝4時半、辺りが仄明るくなり始めた頃、気温は少し寒く感じるなか歩き始めました。登るにつれて八ヶ岳の山容が次第に大きくなり始める。赤岳・横岳は残雪が豊富で、より北側にある北八ヶ岳と対照的。新緑にはまだ早いものの、熊笹の中をゆっくり歩むと、続いて南アルプスの仙丈ケ岳
や白峰三山も見渡せ、頂上直下に至ると中央アルプスも視界に入ってくる。時折、”ドカ~ン”と言う大きな音が、背後から聞こえ、「そうだ、今日は御柱、前宮の建御柱だ」と気づかされます。


 登った斜面は西側斜面、日当たりが良い斜面なので、遠方から眺めると残雪は見えなかったのですが、登山路に雪は残っていて、滑りやすく、その分歩みは遅くなり、50分、50分、60分の3本の歩みで山頂。頂上直下の急な登りが連続40分。この急登が年々きつくなります。





         (山頂の蓼科神社奥宮)
 山頂からは360度の展望がひらけ、北アルプスから白馬岳に連なる雄大な稜線が見渡せ、槍ヶ岳の鋭い尖りもはっきり見えます。今夏登山予定の三角形の形をした常念岳も。”流した汗が報われ”ました。
 展望を楽しんだ後に「蓼科神社」奥宮にお参り。





 思えば蓼科山には4・5回登っています。その中で悲惨な思い出が一つ混じります。1968年(昭和43年)4月の事。その前年、都立大泉高校定時制に新卒で勤務した私は、いきなり4年生の副担任となり、余り年齢の違わない生徒達とよくあちこちに出掛けました。彼らの卒業記念旅行が蓼科山登山。男子2名・女子3名と私の6名は、4月上旬の残雪豊富な蓼科登山を開始したのです。まだ登山経験も浅く、知識も乏しかった私は、山経験の深い生徒さんに従って雪山登山に不安を感じる事もなく、入山してしまったのです。
 登るにつれ、雪の中に足がすっぽりはまり、歩く事が困難になり始めました。それでも頑張って登り続けますが、女子3名が遅れ始めます。2時間もたった頃でしょうか、数羽のカラスが私達の頭上を舞い始め、”カアカア”と鳴き始めました。この声が不気味に響き、不吉な予兆を感じた私は「降りよう!」と声をかけ撤退を始めました。
 その夜泊まったユースホステルでペアレントから「先生とあろうものが」とこっぴどく叱られました。忘れえ得ぬ思い出です。その時の生徒5人のうち、年賀状の交換は2名。あの時の無念を晴らそうと話すのですが、その生徒達「もう還暦を過ぎ自信がありません」と登山への意欲は殆どなく、”何時かは”はまだ実現していません。

                (残雪豊富な八ヶ岳連峰)
 帰路、雪の斜面を慎重に下りながら、雪に阻まれて登頂を断念した時の事を思い出しました。”再びの百名山”必ず過去の思い出が過ります。

 






       




       (この日、刻々晴れ間が拡がる)




         (後方は北横岳)



         (振り返って望む蓼科山)


『天城山』(再びの百名山 その4)

2009年12月25日 | 再びの百名山

 今年の4月23日(木)~24日(金)、Tさんと二人で、伊豆の万二郎岳・万三郎岳に登ってきました。

 1960年代、家族3人で西小山のアパートで生活していた頃の隣の部屋の住民がTさん。同じ定時制高校に通った学友です。母の卒寿にもおいで頂き、通夜にもおいで下さるとの事。
 Tさんと初めて会ったのは、49年前の春、私が学んでいた定時制高校に彼が転校してきたとき。私は高校3年生でした。私は高校入学は1年遅れでしたが、彼は4年遅れ。転校してきたときには既に22歳。席が隣合わせでした。大学受験を志す日々に、英語得意の良き友に恵まれました。彼もまた大学受験を志す夜学生。隣の部屋が空き室になったとき、”机だけでなく部屋も隣に”とお誘いし、同じアパートの住民となりました。大学もⅡ部に進学の傍ら、高倍率のI BM中途採用の試験に合格。40年に及ぶ会社勤務も10年前に定年。今は充実した”余生”を送っています。私と共に旅した事も数々。今年は、初めて「百名山」にお誘いしました。

 第一日目 「東急ハーヴェストクラブ天城高原」宿泊
 第二日目 ハーヴェスト天城高原(マイクロバス:10分)→天城高原ゴルフ場→(徒歩:10分)→分岐→(徒歩:50分)→万二郎岳→(徒歩:35分)→石楠立→(徒歩:15分)→万三郎岳→(徒歩:25分)→十字路→(徒歩:1時間)→分岐→(徒歩:10分)→天城高原ゴルフ場→(バス:55分)→伊東

 この日天候は曇り、今にも雨が降りそうな空模様の中、出発しました。ただこの山々、原生林に囲まれていて、山中に入ると空の様子が気にならないほどの木々に覆われる中を歩みます。分岐を過ぎるころから歩みの調子も出てきて、緩やかな登りの中を快調に進みました。

 天城山とは特定の山を指すのではなく、白田山を中央火口丘として、万二郎岳、万三郎岳、箒木山、三筋山を外輪山とする山々の総称。今回の計画は万二郎・万三郎を回って登山起点に戻るというハイキング的山登りです。
 最初に天城山を縦走したのは、大学卒業を目前にした3月の卒業旅行、男子5人、女子3人の旅でした。(その中で二組のカップルが誕生。意味深い旅行でした)。


 石楠花はまだ開花していません。Tさん曰く「南国の雰囲気の濃い山だね」と。そうです、花の季節にはやや早かったものの、馬酔木やヒメシャラ、石楠花、ブナなどの林が続きます。5月中旬の花の季節では無い事が悔やまれます。程なく到着した万二郎岳から展望は得られませんが、少し下ると樹林が切れ、万三郎岳が望めました。
 ここから続くアセビのトンネルを抜けると石楠立。ここから先、万三郎岳までは石楠花のトンネル。頂上で軽食を摂りました。ここからの展望も叶いませんが、薄緑の原生林での森林浴に身も心も爽やかになりました。が、少し雨の気配を感じ、雨衣を着て、急ぎ足で登山起点に舞い戻りました。結局、道中雨には降られませんでした。下山の後、昼食に持参の焼きそばを食べ終わり、バスの人となりました。

 旧友との気楽な旅路、今後も続けたいとの思いを強くして帰ってきました。