8月16日、今回の山行を共にするSさんを「茅野駅」に出迎え、中央高速を「諏訪IC」から「松本IC」へ車を走らせました。信州でも快晴の日々が続いていました。
茅野→諏訪IC→松本IC→観光センター前駐車場→(バス:50分)→畳平
→(徒歩:1時間20分)→乗鞍岳剣が峰→(徒歩:1時間10分)→畳平
→観光センター前駐車場(以下往きの逆)
(観光センター駐車場より乗鞍岳を望む)
現在、乗鞍岳山頂付近はマイカー規制実施中。観光センター前でバスに乗り換えます。バスが高度を上げるに連れて、乗鞍岳の連峰がくっきりと見え始めます。乗鞍岳は数々の峰の総称で、一つ一つの峰々は噴火によって出来たものと思います。
登り開始の畳平は既に標高2702m。「日本百名山」の著者深田久弥氏は当然麓から登ったことでしょうが、既に60歳台後半のマーちゃんは、標高差300m、登り時間予定1時間30分の畳平からのスタートでも良しとています。13時30分登山開始。
(畳平)
上るに連れて、峰と峰の間の鞍部に元噴火口が見え始めます。今は池の様に水を湛えています。途中春スキーを楽しむ人々を目にしましたから、残雪は豊富。その雪解け水でしょうか、濃いブルー色です。
高度を上げ、振り返れば奥穂高岳と前穂高岳を結ぶ細尾根が少しぼんやりながら見え始め、その右に三角形の常念岳も。この時点で既に午後2時、普通この時間は霞んでしまって遠くの山々は見渡せないのですが、今日は槍の穂先も遠望出来ます。
(肩の小屋付近からの剣が峰)
登ること1時間20分で山頂(3025.6m)到着。本宮にお参りをして、コーヒーでお祝い。実は同行のSさん、60番目の「百名山」。本人曰く「区切り登山」でした。
(剣ヶ峰山頂の本宮)
(剣ヶ峰の標識の向こうに御岳山)
頂上から「御岳山」が微かに見渡せます。早朝にこの山頂からの展望を味わいたいとの想いを強く抱きながらの下山。下り道は足下の高山植物を楽しみながら帰ってきました。(畳平には高山植物鑑賞用の木道が整備され、北アルプスでも有数の高山植物の群落地帯)
2008年9月9日~10日、単独で尾瀬に行きました。
実は10日ほど前、山仲間3名と、夏休みの終わりを記念して
尾瀬に遊び、「燧ケ岳」に登る計画を立てていましたが、前日か
らの雨が激しく、計画を急遽「温泉三昧」に切り替え、残念なが
ら山行は断念しました。
ただ定年後を過ごす日々、天候の良き日を狙っていました。
9月8日の新聞の天気予報は全国的に晴れマーク。2・3日
晴天が続くとあり、現役の方々はさておいて、単独行での「至
仏山」行きを決めました。
第1日 上野→(高崎線)→沼田→(バス)→戸倉→
(バス)→鳩待峠→(徒歩:1時間)→山の鼻→
(徒歩:50分)→牛首→(徒歩:1時間10分)→
第二長蔵小屋
天気予報通り快晴でした。
尾瀬に行ったのは10数回、一番最近が何時だったか、思い出
せません。母と2人で来た事もありました。同僚10数名で訪れ
た事もあります。職場の先輩とふたり、初冬の皿伏山を歩き、
「平野長靖」さんの墓に詣でた年もありました。ただ単独行は今
回が初めて。
鳩待峠を下り、山の鼻まで来ると、「燧ケ岳」がはっきりと見渡
せます。尾瀬ヶ原に盛夏ほどの高山植物は見られませんが、な
お余りある風景です。人影もまばら、心いくまで、撮影に熱中で
す。
宿泊は「第二長蔵小屋」。20年前のソウルオリンピックの年に
同僚10数名で泊った「尾瀬小屋」の隣の山小屋。その時は部屋
は1室しか取れず、押入れの中で寝た人もいました。このやや
季節外れの、ウイークデーの宿泊は1人1部屋、その差は”天国
と地獄”です。着いて後、この山小屋は生ビールを出すと聞いて
いましたから、早速フロントへ。「うちでは用意がありません。向
かいの”ひのえまた小屋”にあります」と、嬉しい限りでした。
(尾瀬ヶ原から燧ケ岳を望む)
(東電小屋分岐)
(遥か彼方の燧ケ岳)
第2日 第二長蔵小屋→(徒歩:1時間55)→山の鼻→
(徒歩:2時間50分)→至仏山→(徒歩:1時間50分)
→山ノ鼻→(バス)→戸倉→(バス)→沼田→
(高崎線)→上野
早朝4時に小屋を出発。朝日を浴びる至仏山も撮影したかっ
たのです。尾瀬ヶ原途中で、振り返ると、東の山並みから陽が
上りました。山ノ鼻に近づくにつれ、靄にけぶる至仏山は次第
に大きくなっていきます。今日も絶快晴です。
初めて至仏山に登ったのはもう42年前のことです。その年に
都に就職したマーちゃんは、生意気にも、職場の先輩4人にお
声を掛け、夜行で沼田までやって来て、大清水→尾瀬沼→尾
瀬ヶ原→至仏山→鳩待峠 と巡ったのです。当時は装備もしっ
かりせず、飲料水が切れてしまい、山頂の雨水を飲んだ記憶
があります。よくそんな事をしたなと、呆れると同時に懐かしく
も思い出します。
今日登るルートは以前は確か登山禁止。山肌の崩落が激し
い為です。今は山の鼻側からの上りは許されていて下山が禁
止。妥当な規制だと思います。高度を増し、樹林帯を抜けると、
尾瀬ヶ原が一望にひらけて来ました。その向こうにどっしりと燧
ケ岳が。花より展望の尾瀬の二日間でした。
(山ノ鼻近くからの至仏山)
(尾瀬ヶ原から見る日の出)
(雲ひとつ無い青空)
トムラウシ山々行記録 前回のブログの続きです。
第4日 ヒサゴ沼避難小屋→(徒歩:3時間20分)→
トムラウシ山→(徒歩:1時間30分)→前トム平
→(徒歩:2時間)→カムイ天上分岐→
(1時間50分)→トムラウシ短縮コース登山口
→(車:20分)→トムラウシ温泉・大雪荘
この日の予定は、ヒサゴ沼避難小屋をベースキャンプとして
、五色原周辺の散策。のんびりと高山植物の群落を楽しもうと
の計画でした。しかし、夜来の不安は現実のものとなりつつあ
りました。早くもラジオの天気予報を聞いた方から、「今日の天
候は荒れ模様」の声が掛かります。ラジオ放送に耳を傾けると、
今日から明日にかけては雨との予報。Sさんと相談し、五色原
周辺の散策を断念し、早めの下山を決めました。
今から思うと16年前は何と幸運に恵まれていたかが良く分
かります。入山前夜、地上では細川政権誕生のニュースで沸
き返っていました。その入山から下山までの5日間、全く雨は
降らず、快晴続きだったのです。
小屋を経つとき、既にツアーパーティーは出発していました。
下山ルートは私達と同じトムラウシ温泉側と聞いていましたが、
その後会う事はありませんでした。順調に下山されたのでしょ
う。「日本庭園」辺りから雨が降り出し、風も強くなってきます。
登るにつれて風は強さを増し、吹き飛ばされそうにもなります。
屋久島山行でも強風に逢い、岩場で私は吹き飛ばされた経
験を持ちます。後ろを歩いていた同行のKさんとSさん、私が浮
くのを見て、”ハットしたと”。何度も聞かされた言葉です。
その二の舞を繰り返さないよう必死の想いで岩場を越えて行
きます。今回の山行で最初に訪れた難局です。ただトムラウシ
から一気に高度を下げると、次第に風は弱まり、前トム平まで
下って来ると、雨は止み、風はおさまって来ました。天候に煩わ
されることなく昼食をとった記憶があります。この時の雨と風は
トムラウシ山頂上付近だけのものかと安心したのです。
しかし、実はここからが大変でした。強風は去ったものの雨
は再び降り出し、道はぬかりみ始め、何度か尻餅をつきそうに
なります。地図表示の標準タイムを遥かにオーバーする歩み
、下山ルートがこんなに長く感じたのは「魚沼駒ケ岳」以来。漸く
の思い出で、「短縮登山口」まで辿りつきました。
標準コースタイムを遥かに超え登山は2つあります。快調に
歩みを進めたにも拘わらず、1.5倍以上の時間を要した山は
「岩手山」と「妙高山」の所謂裏ルートです。私的偏見では、裏
ルートでのコースタイム測定者(?)は超ベテラン。もの凄く足
の速い人が実踏しているのでは無いでしょうか。
下山口にたどり着き、ふと見ると、一台の車、必死で手を振り
ます。明日の登山の入口を視察に着たとの事、ずぶぬれの状
態での乗車を詫びながら、車中の人となりました。そこから車で
20分も掛かりました。このコンディションのなかで、歩いたら
2時間は掛かったでしょう。感謝!感謝!の気持ちで一杯でし
た。
宿はトムラウシ温泉・国民宿舎大雪荘。飛び込みなので正規
の部屋に空きはなく、大広間の雑魚寝。後から聞いたところに
よればこの宿、国民宿舎の人気度でベストテンに入る宿とか。
今年の遭難の報に、私達が下山に遭遇した雨風より遥かに
強烈であったのではないかと思います。全く同じコースを辿っ
た私達が受けた雨風はそれに比べればより緩やかでしかも
短時間であった事が幸いしたと思います。詳しい原因分析は
今後に待つとしても、トムラウシ直下の北沼からの瀧の様な
雨水を全身に浴びられた事が、大変な事態に繋がる遠因にな
ったであろう事が想像されます。
振り返って、アンダーシャツが木綿製である事、防水能力がか
なり弱くなっている雨衣を着続けている点など、自省すべき事柄
が数多くあることを実感しています。
第5日 終日 大雪荘
第6日 大雪荘→(バス)→新得→札幌→新千歳空港
→羽田
トムラウシ山々行記録を終えるにあたり、再度、遭難に逢わ
れた方々のご冥福をお祈りいたします。
トムラウシ山々行記録、前回ブログの続きです。
第3日 白雲避難小屋→(徒歩:3時間40分)→忠別岳
→(徒歩:1時間20分)→五色岳→(徒歩:1時間
20分)→仮雲岳→(徒歩:1時間)→ヒサゴ沼避難
小屋)
いよいよトムラウシ山目指しての出発です。起床して直ぐ天候を気にする。昨日ほどの絶快晴ではないが、遥か彼方に冠形のトムラウシがはっきりと見えている。朝食を素早く済ませ5時にスタート。
ここからヒサゴ沼までは距離は長いが、ゆったりとした尾根コース。豊富な高山植物の群落を間を縫う様に、快調に進みます。ただ、このコースは”ヒグマ生息地”、一番緊張度が増す地域でもあります。
徐々に徐々にトムラウシが大きく見え始めます。
トムラウシへのアプローチコースは大きくは5つ考えられます。その1は「十勝岳オプタテシケ山縦走」コース。
その2は沼の原・五色沼を経るコース。
その3はトムラウシ温泉からの、直に頂上を目指すコース。
その4は天人峡からの登り。
その5は私達が目指した白雲岳からのコース。
どのコースも長い長いアプローチ。その苦労に比例する魅力に富んでいると思います。(マーちゃんはその1とその2は未経験です。語る資格はありません。三たびへの想いはありますが実現していません)
私達が進まんとするコースは、その5。このコースの特徴は白雲避難小屋からトムラウシまでの高低差が少ないこと。小屋の標高が2000mくらいでしょうか。途中通過する忠別岳が標高1962m、五色岳が1868m、化雲岳が1954mで、目標とするトムラウシの2141mと比較しても分かる通り、通過する峰々とトムラウシの高低差は殆どありません。トムラウシを眺めつつアップダウンの少ないコースの尾根歩きを、一日楽しめる点に最大の特徴があります。イワカガミなどの高山植物咲き乱れる中をです。
しかし問題はこの辺り一帯がヒグマの生息地、一番恐れたのはこの事です。夏最盛のこの時期でもこのコース上に人影はまばら。ズルをさせて貰いました。賑やかな6人パーティーのやや後ろからの行進。
五色岳まではほぼ真南に進路を取ります。
五色岳から化雲岳に掛けては進路をほぼ直角に曲げて真西に。この近辺はお花畑を前景にトムラウシを見るにはベストビューポイント。ただ残念なことに、頂上付近には雲が掛かり始めてました。明日への微かな不安を抱きつつ、先行6名様にやや遅れながら無事ヒサゴ沼避難小屋に到着。小屋には関西方面からのツアーパーティーが十数名、先行6名様、私達2名も含め収容能力内の人数、この日もテントのお世話にはなりませんでした。
16年前は、特に小屋内の様子を確認する事も無く、テントを張りました。食事の準備を終え、その日の行程のあれこれを振り返りながら、酌み交わすひと時は、別天地にいる感覚になります。テントかたわらのヒサゴ沼水面に映る山肌、見渡ば残雪も豊富で、小屋内泊まりに勝るのはこの点でしょうか。
夜中に起きてトイレへ。雨こそ降ってはいないものの、強風が吹き始め、天候急変の様子を感じ、安眠できない、浅い眠りとなりました。 (次回ブログに続く)
山を愛するものの一人として、トムラウシ山で遭難された方々に心から哀悼の意を捧げ、謹んでご冥福をお祈りいたします。
3年ほど前の夏、「魚沼駒ケ岳」山頂に立ち、長年の目標だった「日本百名山」完登を達成できました。
思えば18歳のときに登った「浅間山」が、結果論として「百名山」の第一歩でした。教員になって2年目、福島県の桧原湖畔にある”学生村”に籠もっての読書の日々に疲れて、息抜きに登った「磐梯山」。この登山で、初めて山登りの楽しさを味わいました。以来、山岳部顧問として、生徒達と数々の山行を共にし、「百名山」の数を確認すると、60余山。もう40歳台半ばでしたが、この頃から「百名山」完登を意識し出し、目標とする様になりました。
残り30幾つの山々へ20年もの年月を要しました。そして3年前漸くの目標へ到達したのでした。
”待たざるの日々の速さよ。待つ日々の遅さよ”が実感です。今後は「百名山」に捉われることなく自然に恵まれた山へ行こうとも思いました。
ただ、記録の整理が苦手の私、今まで行ってきた「百名山」記録や写真をあまり残していません。その事が非常に残念でした。今後「百名山」に登るときはしっかりした記録を取ろうと心に決め、「再びの百名山」を考え始ました。
2年前の夏に、再びの「トムラウシ山」へ。北海道の”臍”に位置し、”岳人憧れの”山です。山行再開の第一歩、年齢を重ねない裡に、体力が残存する間に是非もう一度登りたい山のナンバーワンがこの山でした。
第1日目 羽田→(空路)→千歳→旭川→(バス)→旭岳温泉
宿泊は旭岳温泉「白雲荘」。こじんまりとした山小屋の雰囲気漂う清潔な宿で、勿論温泉は掛け流し。
第2日目
白雲荘→(徒歩10分)→さんろく駅→(旭岳ロープウェイ)
→すがたみ駅→(徒歩:3時間10分)→旭岳→(徒歩:1時間)
→間宮岳→(徒歩:45分)→北海岳→(徒歩:1時間25分)
→白雲岳分岐→(徒歩:20分)→白雲避難小屋
さんろく駅の始発便は当時6時(ネットで調べると現時点で同じ)。この駅でザックの重量チェックが可能。同行のSさんは14kg、私は16Kg。最初のトムラウシ山行の時は同行者3名で平均重量は20kg。今回は平均年齢が61歳と言うことで、荷物の減量大作戦を立てていました。例えば一眼レフデジカメは150gの簡易デジカメに変更。食料も無洗米やお餅などの工夫等々で、平均5kgの減量に成功。ただテントは持参しました。心配した
のは避難小屋が満員の可能性。最近はツアー登山が多いことを聞いていました。
この日の”難所”は旭岳への登り。ガレた砂地の一気の昇りです。まだ登山に慣れない体での15kgのザックは肩に食い込みます。でもマーちゃんは頂上を見ながらのゆっくり登山では余り疲れを感じません(浅間山や岩手山も同じような感覚でした。いずれの山も活火山でしょうか?)
(間宮岳側からの旭岳)
この日は絶快晴、旭岳から白雲岳までの尾根歩きは、アップダウンも少なく、雄大な展望が楽しめ、高山植物・残雪を眺めながらのハッピーロード。目指すトムラウシが遥か遠くに眺められ、ここまで来れたことの幸運さを感じながら「白雲岳避難小屋」へ。この時期、小屋番の方はいますが、当然食事は出ません。
16年前は、小屋横のテント場にテントを張りました。夕日が山陰に隠れると、急に気温が低くなった事と、朝起きると登山靴が無くなっていたことを、今は懐かしく思い出します。多分北キツネなどが、食料と間違えた咥えて行こうとしたのに、食べられるものでは無い事に気づいて、捨て去ったのでしょう。テントの近くに放り出されていました。登山靴をテントの中に仕舞うという基本動作を怠った罰です。
(白雲避難小屋からトムラウシ山を望む)
再び山行のこの日はテントを使用することなく、小屋でゆったりと就寝できました。(次回ブログに続く)