春とはいえまだ細かい氷の雨が
時折漂っていた今年の3月14日。
真言宗の聖地高野山を目指す4本の参詣道のうち、
2番目に長い西高野街道を、
堺の浜の出発点「大小路」から
環濠の痕跡を眺めつつ、
数々の神社仏閣を訪ねながら
堺の中心部分を歩いたことは、
もうずいぶんと昔のことのような気がしている。
実はその時から、
今回の歩行は計画していた。
全長58キロに及ぶこの参詣道の続きを、
30年以上ともに同じ職場で働き、
マラソンなどで時間を共有してきた
先輩、後輩と今度は一緒に歩こうと思っていたのだ。
それが春先からの介護の慌ただしさに取り紛れて
延び延びになっていたのを、実行に移し、
それを記録したのが今回の
「友と共に 西高野街道」というわけなのだ。
一緒に歩いたのは、
先輩の「のんさん」と
職場の後輩にしてトライアスロンの先輩である「I田クン」。
前回の終着点である三国ヶ丘の駅で待ち合わせて、
午前9時過ぎからテクテクと歩き始めたのだった。
その日は平日だったので、
通勤の人達が忙しく歩く中、
先に着いていた待ち合わせのI田クンは
ベンチに座ってジャージを脱ぐなど
あわただしい街の景色の中で
ひときわ浮いた存在であった。
なのでゴマ塩頭で精悍な顔つきの彼が、
10月だというのにジャージを脱ぎ
半ズボン、半袖のポロシャツで
ベンチに座っているのを
人々は遠巻きにしながら歩いているようだった。
やがて、阪和線に乗り慣れていない
のんさんが天王寺で道に迷いながら
少し遅れて到着。
いつもの歩行スタイルのdoironとあわせて、
奇妙な三人組の歩行がいよいよ始まるのであった。
前回到着時は工事中だった駅が
今はすっかり出来上がってきれいになっていた。
これ。
そこから前回歩行を終えた交差点まで歩き、
この地点でナビをセットして
本日の終着点「河内長野駅」を目指した。
コースはこのとおり。
西国三十三か所や四国八十八ヶ所への
巡礼の旅が「曲線的」であるのに対し、
高野への参詣が「直線的」であることがよくわかる。
しかも道は国道310号と並行しつつも、
それに沿った集落の中道を通るために、
車がビュンビュン走る歩道を歩くということはほとんどなく、
落ち着いて歩ける静かな道だった。
歩き始めてすぐに、こんな道標が立っていた。
堺市が設置したもので、
その先もかなりの本数を目にすることになる。
数えてみたら、今回の歩行時のカメラには
13本の堺市の道標が写っていた。
撮らずに過ぎたのもあるので、
20本近く立っているのではないだろうか。
ここが「撫松山 本通寺」。
真宗大谷派の名刹と言われているが、
今回は距離が長いのと、
一緒に歩いている二人への遠慮もあって、
「たのもう~」と言って中に入ったり
周りをしげしげと眺めたりはせず、
250年以上前に建てられたという
薬医門形式といわれる寺門だけを写真でパチリ。
そしてこのコースで最初に出てきた地蔵がこれ。
立江地蔵尊。
四国の霊場19番札所の立江寺から
勧請された地蔵尊だろう。
春に歩いた和泉の山すそや
司馬遼太郎記念館を訪ねた
東大阪の小坂神社の近くにもあったのを思い出した。
さすがに参詣道とあってこの道沿いには地蔵尊が多い。
中百舌鳥駅前地蔵尊には
お唱えの言葉が書かれてある。その言葉は
「オンカカカビサンマエイソワカ」。
「カカカ」は笑い声を表すそうで、
全体の意味は「地蔵の稀有なる力で
諸願を成就させたまえ」となるとか。
これは仏の言葉であるサンスクリットを
そのまま音写したもの。
その言葉は「真言」といわれ、
この道の終点高野山の真言宗と
深い関わりがあるのにちがいない。
この街道は生活道路として
今の世に根付いている。
またこれだけ道標が立っていても、
それにも気づかず日々の暮らしは続いていく。
初めて街道をこうして歩く二人は口を揃えて、
「あらためて歩くと街の中にも
いろいろ残っていたり作られていたりするものなんやなあ」
と驚いている様子だった。
続く。