ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

93歳の大往生

2014年08月30日 12時43分12秒 | 生活

昨日、前もってこんな原稿を書いてあった。

誤嚥というのは、恐ろしく、また残酷な言葉だ。

92歳の父親の嚥下が異常で
食物を食べたり水を飲む時でさえ
誤嚥をするようになった。

誤嚥すると、異物が肺に入って
すぐさま肺炎になり、高熱を発するのだ。

その誤嚥性肺炎でもう6回は入院している。

肺炎時に投与する抗生物質も、
これだけ回数を重ねると
耐性ができて効かなくなりつつあるそうだ。

今回の入院時に、レントゲンで誤嚥の状況を調べてもらったら、
口から入ったもののうち
1割くらいは肺の方へ流れそうになるとのことであった。

そうなると対処法としては、
胃瘻といって胃に穴をあけ
外部から直接そこに栄養分を流し込む方法
もしくはマーゲンチューブといわれる管を鼻からいれて、
直接胃に栄養分を流し込むという方法がある。

しかし、これらの方法を行うには
療養型の病院に行き、
時々不穏になる父の両手を拘束して
寝たきりの状態となってしまうのだが、どうしますか?
と判断を迫られた。

もちろんもう施設の母親とは
顔を合わす機会もなくなることになる。

もともと、心臓の重病を持っているだけに、
余命いくばくもないと言われている中で、
病院で手足を縛られて
余生を過ごすというのはあまりにも酷というものだ。

そこで選んだ方法は、
そのまま療養型病院に送り込むのではなく
とにかく一旦施設に帰り、
誤嚥覚悟で食べたいものを食べさせてあげ、
水分は点滴で補充しつつ
出来るだけの期間を母親と共に
過ごさせてあげるということであった。

常に「施設に帰りたい」といってたので、
退院時には本当にうれしそうにしていた。
そして帰って食事の時も、
スーちゃんの横で話をしながら
(通じているかどうかはわからないが)、
お皿を舐めるようにして
食事をして喜んで食べていたそうだ。

しかし、退院して4日後の今日現在、
親父は39度の熱を発している。
施設で抗生剤を静注してもらいながら様子を見ているが、
もういつ急変するかわからない状態なのである。

次に救急搬送となった時には、
覚悟を決めておかないといけない
とさえ思っている。

食欲はあるのに食べられない、
というのは何とも残酷である。
自分に置き換えてみると
辛くてつらくてどうにかなってしまいそうな気がする。

今、親父にしてあげられることといえば、
横について話をしてあげて気持ちを紛らわせたり、
熱のせいでいたむ関節のマッサージをしてあげることくらい
という状況なのだが、それさえも本人にしてみれば
周りに迷惑をかけて、申し訳ないという気持ちで
胸がいっぱいになって辛いそうである。

となると、もうどうしてあげればいいのか
わからなくなってくるというのが本当のところなのだ。

これまで介護のことでは、
節目節目でいろんな判断をしてきたのだが、
どうも今回ばかりは、どの判断が正解で、
どの判断が親父を苦しめるのか、
その見極めがとても難しく、そして重い。

生きるということはどういうことなのか
そういう命題を突き付けられているような気がする。

判断基準を何よりも親父にとって一番幸せであるように
というところにおいているが、
果たして本当に今回の判断が正解なのか。

それはもう神様のみが知っている領域なのかもしれない
と思ってしまう今日この頃なのだ。


と、昨日はこんなことを書いていたのだが
けさ早く、親父が静かに静かに息を引き取った。
享年93歳の大往生である。

明日、あさってでしっかり見送ってあげるからね。
親父、安らかに!


澄んだ瞳

2014年08月29日 20時52分55秒 | 最近の出来事

最近、パソコンに向かって原稿を書いていると
とても目が疲れやすい。

午前中いっぱいパソコンに向かったりすると、
午後からは飛んでいる飛行機が2機に見えたりもする。

眼医者で一度見てもらおうかなと思いつつ、
面倒で放置していた。

ところが最近友達が緑内障だと言われて薬を飲み始めたとか、
知り合いの親が白内障の手術をしたとかいう話を聞いて、
これはいよいよ眼科に行かねばと本気で思い始めた。

それに少し前に友達から
「doironさんは目が悪くなりそうな気がするので何か心配だ」
との助言ももらったこともある。
感覚的な話ではあるが、
そういう予感を抱かれるというのも、
何か啓示されているようで、
気になっていたということもある。

そこで、義父さんが黄斑変性とかで通っていた眼医者に
検査の予約をすることにした。

そこは、この辺ではよく診ると評判の眼医者である。
それだけに患者が多く、
なかなか予約が思うようにとれないともいわれている。

意を決して電話をし、
約1か月後に予約を取れることができ、
今日行くことになった。

親のこともあってなかなか1か月後のその時間に
何もなくて行けるという保証もなかったのだが、
無事にその日を迎えることができたのは幸いだった。

目が疲れやすいからから検査を
とお願いしていたので、
行くまでの間パソコンに向かって原稿を書いて、
疲れた状態で行くことにした。

眼医者に行くと、予想通り結構な患者さんが待っていた。

まず問診票にその辺のことをできるだけ詳しく書いたあと、
順番が回ってきたのは予約時間を15分ほど過ぎた頃だった。

先ずは視力検査らしい。

この時、愛用しているメガネを持ってきていなかったことに気付いたが後の祭り。
検査用の矯正眼鏡をかけながらの検査となった。
結果は、矯正すると両目とも1.2以上あるので良好であるとのこと。

ま、これは想定内である。

次に、多分眼圧検査だろう、
あごと額を機械につけて光の点を見ていると
「フッ」と風が来るやつね。
一度失敗したので
検査の人に指で目を広げられてしまった。

そんな検査を終わって再び待合室で待っていると、
診察室から名前を呼ばれた。

入っていくと、そうやな40歳くらいだろうか、
男の先生が診察をしてくれた。

目に光を当てながら、上、右上、右と順番に
八方向を見るように促されて、
両目を検査された。
ここでも指で目を思いっきり広げられながらの検査だったが、
果たして誰でもそんな風に目を広げるんだろうか
と思いながら言うとおりにしてあげた。

「問診で目が疲れやすいということですが、どんな感じ?」
と聞かれたので説明をしたら、

「お歳を取られると、なかなか目の筋肉の
動きが悪くなりますから、仕方ないですね。
加齢でしょう。矯正視力でこれだけ
見えているのだから心配ないですよ。」といわれたので、

「はい。まあ歳を取っているのはうすうす感じていたのですが、
近ごろ周りに緑内障や白内障などの眼の病気の人が多いので気になりまして・・」
と返すと、

「いや、それは全く心配ないですね。
きれいな目をしてますよ」という。

その言い方が、なんだか性格について言われているような気がして、

「じゃあじゃあ、僕は澄んだきれいな瞳で
物事を見てるってことですよね」というと

「ちょっと趣旨が違うような気がするけど
目はきれいですから、病気の心配はありませんよ」
と少しあきれたようにおっしゃってた。

パソコンに向かうときはできるだけ
眼鏡をかけるようにアドバイスされ診察は終了。

「よっしゃ―」と心の中でガッツポーズをしながら、
小さな目で、いつも保護しているのが良かったんだろうと思いつつ、
会計をしたら
異常なしの見立てだけで2500円もかかり、
驚いて目玉が飛び出そうになったdoiron。

それを先に言ってくれたら、
指で目を広げることもなかったのにな。

まあ、とりあえずひと安心です。


スズメバチ騒動

2014年08月28日 21時52分13秒 | 最近の出来事

一昨日、スズメバチ騒動があった。

いつもの散歩道を歩いていると、
神社の神主の息子と母親が、
森の中を見上げているではないか。

「どうしたん?」て聞くと
「近所の人がスズメバチの巣が
あると教えてくれたので探している」とのこと。

おお~、それは大変!
よーし、散歩を取りやめて一緒に探してあげると言って
捜索隊に加わることにした。

しかし、明るいところから暗い森の中はなかなか見えにくい。
ようやく目が慣れてきた頃、
樹木に群がるアリや小さな昆虫が
蠢いているのが見えるようになってきたのだが
肝心のスズメバチの巣が見つからない。

おおよその場所は聞いているので
警戒をしながらさがす。しかし
相手が相手だけに分け入って
踏み込んでいくわけにもいかない点で、
厄介であるともいえる。

そうこうしているうちに、
通報してくれた第1発見者がやってきて、
「あそこやで~」と指さす方を見ると・・・
あったあった。
直径が20cmくらいあるでしょうか。
スズメバチ特有の紋様が描かれた立派な巣が
木にぶら下がっていた。



そこは散歩道にも近く、
ある角度からしか見えないようなところでした。
もう少し見つからなかったら
探している時に危うく接近するところでした。

それにしても椿の枝に囲まれるようにして、
うまく隠れている場所を選んだものだ。
女王バチのセンスが光りますねえ。

正体はオオスズメバチかな?
キイロスズメバチかな?
う~ん、よくわかりません。
ハチ本人を見ればわかるのでしょうが、
あまり遭遇したくないしね。

さあて、次はこの巣をどうするかだ。

ジダンに来てもらって闘っていただきましょうか?
いやあ、ちょっとそれは経験者とはいえ
役に立たないでしょう。

結局、子どもがセミ取りで近づくかもしれないし、
doironが歩いている散歩道にも近いので
専門家に駆除してもらうことにしたようだ。

何年か前、同様のことがあった時に
来てもらった業者から5万円も請求されたそうなので、
今回はそのことを教訓にまず
ネットで検索してみたら
安い駆除業者もおられたそうだ。

早速連絡したらすぐに来てくれたそうだ。

こういう仕事は、スピードが肝心なんだろう。

実は駆除の状況を取材したかったのだが、
残念ながら駆除予定時刻と
親父の退院の時間がちょうど重なってしまい
立ち会うことができなかったのは大変残念だった。

ま、いけたとしても
どこまで近寄って取材できるかという問題はあるけどね。

親父を無事に退院させて帰ってから、
真っ先に巣を確認に行ってみた。
現場が近づくにつれ
あたりにはそこはかとなく薬の匂いが漂い、
見事に巣は消えてなくなっていた。
ま、当たり前っちゃ当たり前なんですが・・・



神主のところに行って話を聞いてみると、
業者が一人でやってきて、
白い防護服に身を固めて
あっという間に駆除してくれたとのこと。

費用は、駆除費用が1万3000円と
あと出張費だったらしい。

「で、とった巣はどこにあるの?」
と写真を撮ろうと思って聞いてみたら
「業者が持って帰った」んだそうだ。

な~んだ、残念じゃあ。

間近で見たかったなあ。

そうそう、帰り際に業者はこういってたそうだ。

「今年は依頼が結構多い」と。

しかも、山よりも家の軒先など
人里に多く営巣している傾向があるそうだ。
それは要注意だ。
一度刺された経験のあるものなら
なおさら最高レベルの警戒が必要じゃね。

デング熱を媒介する蚊といい
野生動物には厄介な奴が多い。
でも考えれば人間だって野生動物の一種なんだけどね。

とりあえず、ご近所のスズメバチ騒動は
被害者もなく無事終了したのであります。


博物館へ涼みに 特別展

2014年08月27日 21時05分19秒 | ウォーキング

普段の平日はガラガラのこの博物館ではあるが
現在、学校が夏休みなので、
ちょうど課題の勉強なんだろうか、
高校生らしき者たちを何人か見かけた。

みんな熱心にメモをしている様子だった。

廊下を抜けて、特別展の展示室に行くと
今度はちょうど、学芸員が結構な数の団体さんに
展示の説明をしているところだったので、
それとなく後ろについて一緒に聴くことにした。
これは観光地でもよくやる手ね。

それにしてもこの日は
これまでで一番たくさんの人をみた
訪問となった。

聞いていると
この時の学芸員はなかなかやり手であった。
さぞかし回数をこなしたんだろう
と思われる流ちょうな説明に、
時折ハハハと笑える冗談も混じっている。

若い人(といっても40歳くらいか)の
こういう仕事ぶりはそれだけで気持ちいいものである。

「遥かなるメソポタミア」と題した特別展は



撮影禁止なので
ここで画像を並べながら紹介することはできないのが残念であるが、
説明の中身とあわせて
興味深い展示がいくつかあったので
言葉で紹介しよう。

発掘現場の様子を写した数々の写真。
その中には発掘現場を訪れた
アガサクリスティの姿があった。
推理小説を一篇書くために
メソポタミアのこんなところにまで取材にきているんですね。

時によっては電話とネットだけで
取材を済ませてしまう自分に比べて
なんと手厚いことか。反省です。

土器や石器などの出土品、
分銅も用いていた商取引の慣例など、
メソポタミアの様子を紹介する展示も並んでおり、
どれも興味深く拝見した。

中でもくさび型文字を翻訳するコーナーが出色もので、
石板だったか粘土板だったか忘れたけど
そこに書かれてあることを
解説している展示がわかりやすく面白かった。

その内容がまるで、
古代版ツイッタ―なのである。

例えば「結婚はある意味あきらめ」
であるとか「楽しみはビール。いやなのは戦い」
みたいな意味のことも書かれてあるという。

まるで現代でも通用するつぶやきじゃ、あ~りませんか。

このほか日本の出土品とかと比較もしてあって、
特別展の副題が
「時空を超えたヒトの営み」であるように、
遠く離れたメソポタミアと
日本の弥生風土でよく似た形のものが
出土することがあったり、
文化の交流もない時代なのに
人間だからこその同じような考え方が
石板や粘土板などに書かれて
残されていることに着目する展示となっていた。

人間本来の「心」は時空を隔たっていても、
生物学的に同じ志向を持って
よく似たところへ向かっていくんだ
ということを言おうとしているんですね。

ひいては考古学とは、
かつて人は何をしていたか、
だけではなくて、
何をどう考え日常をどう生きていたか
を考えることによって今を知り、
どこに向かっていくんだ
ということを学ぶ学問なんだ
ということも言いたいのでしょう。

昔の人が何を考え、
どう生きてきたかを学ぶ
街道歩きにも少し通じるところがあるのかな
と思った特別展。

パワーアップしていた常設展とあわせて、
涼しい博物館でいいものを見させてもらいました。
8月中に、水筒にアイスコーヒーを入れて
もう一度いってみようと思っているdoironなのでした。


博物館へ涼みに 常設展

2014年08月26日 21時01分48秒 | ウォーキング

いろいろとツテがあって、
近隣の博物館や美術館の招待券をよくいただく。
先日も、あちこちの入場券を各種いただき、
その中に家の近所の博物館の招待券もあったので、
あまりに暑かった日に
涼みがてらにぶらっと行ってみた。

「大阪府立弥生文化博物館」。



このブログでも何度か紹介したことがある。

この施設には、ゆったりとした休憩ロビーがあり、
歴史関連の蔵書も備えられているので、
原稿のアイデアに詰まった時や、
創作がはかどらないときにはよくお邪魔をする。

何せ博物館だけに、
空調は完ぺきで何よりも静かなのだ。

それに疲れたらロビーの大きな窓から見える
ケヤキが風に揺れる様を見るともなく見るのが好きで、
そんな時にふとアイデアが降りてきたり、
創作の内容がぼんやり浮かんできたりすることがよくある。

なかなか本や資料であふれる
落ち着きのない自宅の書斎じゃこうはいかない。

これで、景色を眺めながら
コーヒーなんかを飲めたりしたら最高なんやけど、
そうはいかない。
自販機のドリンクで我慢だ。

あ、もしかしたら水筒持参は可なのかも。
今度冷たいコーヒーでも入れてきて試してみよう。

さすがにビールはあかんでしょうが・・

たまに頭のCPUが過熱しすぎた時には
気分転換に2階の展示室に行ったりもする。

この時も行った。

おお~、いつの間にか常設展が
パワーアップしているではないか。



そこにはこの博物館に近接している
遺跡公園



の発掘調査で分かったことや、
出土品などが並べられていた。



たしか前に来たときはなかったように思うのだが・・・

今やこういう文化施設は
生き残りの競争が大変激しくなっており、
それぞれ工夫を凝らして
存続意義の向上に努めているんじゃね。

これが遺跡公園の発掘時の様子。



写真の向こうに写っている木々が、
我が氏神様の神社の森である。

で、これが復元された当時の集落。



説明板にはいかにもそこに
卑弥呼がかつて住んでいたように書かれてあるのが、
大胆というか何というか、
公設の博物館にもかかわらず
何ともローカルならではの記述である。

それにしても、昔から思っていたのだが、
なぜ地面の下を発掘すると
昔の遺物が出てくるんだろう
というのがマイミステリーであった。

けど、今回各地で発生している
土砂災害の様子なんかを見ていると、
それはまあ当然のことだったんですね。

このイラストパネルに描かれているように、



和泉山脈から流れてきた水が
このあたりで網目のように
川になって流れている図を見ていると、
長い年月の間に
時間が土砂の下に埋もれてしまうのも
まあ無理はありませんよね。

それに水害だけでなく地震、
いくさ、津波などでも
地面は少しずつ上に土が重なり
徐々に厚くなってきているんですね。



おっと、この常設展示物には
いつも笑ってしまいます。
これは「弥生人」ではなく「弥生犬」だってば。

ここには、遺跡公園の発掘時に出てきた、
「クスノキをくりぬいた井戸」
のレプリカも展示されている。



なんとまあ手間のかかることをしたのものだ。

こんな具合に常設展でも
少しずつ展示物を替えていってるように、
年に何度か特別展を開催し、
繰り返しこの博物館を訪れても
その都度新しい発見があるようにと
大変頑張っているように見受けられる。

学校が夏休みの期間中に開かれている
今回の特別展のテーマは

「遥かなるメソポタミア」。

常設展だけでなく
その展示室にも足を運んでみることにした。

続く


今年最後の海水浴

2014年08月25日 21時13分01秒 | 最近の出来事

今年の夏の海遊びはこれまで2回。

いつもの湯浅の小浦ビーチと白浜

そして、今日は介護を一日休ませていただき
和歌山西広海岸へ
ジム友たちと繰り出した。



これが多分、今年最後の海遊びとなるだろう。

前日の夜、大阪北部に大雨が降った時には
さすがに無理かとも思ったが
今朝、曇りの中を強行すると
何と現地は絶好の海日和。
さすがに強烈な晴女がいただけのことはある。



今回はジム友のお孫さんたちの
夏の思い出つくりが一番の目的。



ついで、恒例のBBQである。



doironは運転のため最初1本だけビール
後はノンアルコールである。

超遠浅でしかもだだっ広くてがら透きのビーチで



最後の夏をメいっぱい楽しんできた。

いやはや、それにしても疲れた疲れた。
でも心地いい疲れではある。

帰ってきてパソコンに向かっていると
まだ体内に、ビーチの熱がこもっているような感じ。
冷たいビールでしっかり冷やして
今日は早く寝ようっと。


2014地蔵盆

2014年08月24日 21時02分24秒 | 最近の出来事

昨日は地蔵盆であった。

もう、その年の地蔵盆の主役である
頭屋をつとめてから2年が経ち
引き継ぎを終えて
今年から地蔵講の通常メンバーに入る。

地蔵盆の日は早朝から続々と
村の人が集まってきて、
みんなめいめいの場所に提灯を吊るす。

午前5時半でももうこんな感じ。



そこから長い一日が始まるのだ。

村の人間がそこそこ集まったところで、
この日のメインイベントであるところの
夕方にお坊さんがおつとめした後で配る
おにぎりとセットになるたくわんの準備から始まる。

合計50本のたくわんが入ったこんな樽から、



1本1本取り出しては洗っていく。



この時、あたりにはたくわんの強烈なにおいが充満する。

男手で洗ったたくわんを
世話役の女の人達が
適当なサイズに切っていく。

おにぎりのパックは全部で650個ほど作るので、
1パックに5切れほど入れるとして
3000個以上に切り分けることになる。

それが終わったところで、
おにぎりを握るための作業場を
公民館の中に設営するのだ。

ゴマをふんだんに使うので、
後の掃除のことを考えて、
床には隙間なくブルーシートを敷き詰め、
作業の手順が段取りよく流れていくように、机を配置する。
この配置がまた改善に改善を重ねて考え出された最終形なのだ。



そして次は、地蔵堂の周りに祭壇造りとテント張りをする。

作業の一つ一つが積み上げられてきた
ノウハウによって滞りなく進められていく。

さあ、テントの準備も終わったし、
提灯もほぼつけられて完成したのがこれ。



ここへ、決まり通りに仏具が置かれ、
お供えが並べられていく。
これで地蔵さんの準備はほぼ完成である。



次は、お詣りに来た村の人に配るおにぎり造りだ。

この時には村のおもだった女性陣がほぼ全員集まって、



地蔵講の会長の挨拶を合図に一斉におにぎりつくりが始まる。



握る人、ご飯を配る人、おにぎりを回収する人、
ごまを配る人、ごまをまぶす人
そしてできたおにぎりを
たくわんと一緒にパック詰めする人、
パックをホッチキスで封をする人、
パックを箱に入れて積み上げていく人、
これらの作業が流れるように進んでいく様は圧巻だろう。

約2000個のおにぎりが
一時間余りで完成するのだから、
手慣れたものである。

ただねえ、今年はこれまで使っていた
おにぎりを詰めていたパックが廃版になったため、
その辺で少し手間が増えたところではある。



650パックのおにぎりが何とか完成したら
女性陣の仕事は終わりだ。

配達された甘~い巨大スイカを
果物屋の大将に切り分けてもらい、



それを頬張ってそれぞれ帰宅されていく。

そしてここから男どもそれぞれに
会席膳とビールが配られ、
頭屋の挨拶が終わるとワイワイと男の宴会が始まる。

バカ話も存分に弾み、
酒を酌み交わしていく時間は
信頼し合った者同士ならではのひととき。

昔は頭屋の家で調理された料理を
みんなでつつきあっていたそうだ。
そうして村の人と人の結束は固まっていくという仕組みである。

お坊さんが来るまで宴会は続き、
6時30分くらいからおつとめが始まる。



村の大師講の人達と講の会長や頭屋が
地蔵堂の前に鎮座してお経が続く。





地蔵堂の前に生けてあった蓮の花が、
朝は大きなつぼみだったものが
その頃にはすっかり開いていたな。

おつとめが終わると、
おにぎり配布→お下がり配布と続いていき、
最後にテントを片付けたら、
地蔵に捧げた村の長い一日が終わる。

地蔵講の皆さん、お疲れ様でした。


木の匂い

2014年08月23日 21時08分43秒 | 最近の出来事

それは少し前のある日のこと。
帰宅して車から降り立った時に
いつもと違う雰囲気が辺りに漂っていた。

何となく胸騒ぎがするような
変な感じが辺りに満ちている。

これはどうしたことかと、
原因を探ると
どうやら直線距離で50mほど離れた家の
解体作業が始まっていたのだ。

築100年は経とうかという、
古い木造家屋を建て替えるのだという。

あたりに漂っていたのは、
その解体時に出る埃と
昔の家らしくふんだんに使われていた梁や柱などの
巨木が折れたり裂けたりするときに放つ、木の匂いだった。

100年前の木でさえ、
そんな命の匂いともいうべき香りを放つのだ。

ましてやつい今しがたまで生きていた木が
毀損されたときに放つにおいは
どんなにか強烈だろう。

先日の大雨で未曾有の大被害をもたらした
広島の土砂災害。
その直前時、地元の人達は、
大きな音と土の匂い、
木の匂いで目がさめたという。

山の木は巨大な力で根っこが音をたてて引きちぎられ、
斜面を滑り落ちながら強烈な匂いを放っていたという。

まさに物言わぬ植物の
悲鳴にも似た匂いを大気に放っていたのだそうだ。

自然とは時に残酷であり、
神秘的であるともいえる。

現地ではいまだ行方不明の人も多く、
生存者には一刻も早い救出を要する
72時間が今朝無情にも過ぎた。

この先どこまで被害が広がるのだろう。

ともかく亡くなられた方に
お悔やみ申し上げます。

この地域には、知り合いの知り合いというべき人が何人かおられた。

ある人は下の家が被害を受けて
二人の子どもさんが亡くなられたという。

他はまあ、知り合いの親の実家があったりしたのですが、
事なきを得たようでホッとしています。

それにしても現場には、倒れて流れてきた樹木や泥から
家屋の解体時に出るどころではない
異様な匂いが満ちているのでしょうねえ。

災害に遭われた方たちにお見舞い申し上げます。

近頃の雨の降り方は、
想像もつかないほど異常だ。

かつてdoironが働いていたM市でも
昭和57年に大水害が起きた。
その時の雨でも1時間で50mm位だったと思うのだが、
その時でさえ恐怖を覚えるほどの雨だったと記憶している。

ところが今回は3時間に200mm以上の雨が降ったという。

さぞや住民の皆さんは恐ろしかっただろう。

治水対策をするときに、
「100年に一度」や「200年に一度」の
「大雨を想定」するなどして設計をするという話をよく聞く。

しかしその基準も見直しの時が来ているのかもしれない。

先日、解体した家の棟上げ式が昨日行われた。



製材されたばかりのま新しい材木が
みるみる積み上がっていき、
夕方にはすっかり家の形が出来上がっていた。

そして周辺には木の香りが満ちて、
なんとも幸せな雰囲気が漂っていた。

もしかしたら、木が放つ匂いには、
警告成分が含まれていたり、
幸福成分が含まれていたりするんではないか
と思った災害ニュースと近所の出来事でした。


福島な野田 4

2014年08月22日 21時12分32秒 | ウォーキング

下福島公園まで来ると、
雨の前に歩き始めた野田の地域色が再び濃くなってきた。

公園には大きな野田藤の藤棚があり、



その横には野田藤所縁の旧家、
藤邸の庭園も復元されているところが、



野田色満載である。



大きな藤棚に張り巡った緑の枝を見ていると、
今度は是非とも花のある季節に来たいものだと思ったね。

公園を出ると、向こう詰に国際会議場がある、
堂島大橋に出る。



しかしここは渡らず、
橋の上から写真だけを撮ることにした。
川面に映る街の景色もいいもんだ。



お、向こうにあるのはCANONじゃないか。



今日も愛用していますよ「EOS M」。
もしかしたら、我が愛機の故郷なのかもしれません。

しばし気持ちいい川風に吹かれながら
そんな景色を眺めたあとは、
また北詰にもどり、
コースはしばらく川沿いの
気持ちのいい道を歩いていくことになる。

おや、ビルとビルの合間に
神社が見えるではありませんか。



行ってみなくてはなりません。

そこは下福島天神社。



菅原道真公が大宰府に左遷されるときに、
この地で船の航行安全を祈ったとされている。

当時の名所を絵に描いた
いわば摂津の国への旅行案内書

「摂津名所図会」にも描かれているそうだ。

さて、いよいよコースも終盤となり、
大阪卸売市場の方へと向かっていく。

上船津橋を横目に



市場の裏の直線道路へと
続くエリアに入ってくると・・・
ここに入った途端に、
なんか商売が荒っぽくなってくる。

これは、10円の自動販売機。



何が出てくるのかわからないが、
とにかく10円なんだそうだ。

試しに買ってみたかったが、
親子連れや小学生の一団から

「おっさん買うのか?、買うのか?買うのか?」
という興味津々光線を放たれ
変に注目されていたのに臆して
ここは写真だけにしておいた。

う~、買っとけばよかった。

で、好物のゼロコーラでも引き当てて
派手にガッツポーズをしてやればよかった、
いや本当にうれしいものじゃなくても、
とりあえずガッツポーズをすればよかったかな
と今ちょっぴり後悔をしている。

これもまた何とも大胆というか、
売りたいオーラが出まくっているお店。



店先で「ちょっと止まって」と呼びかける看板なんて
ちょっとないかも。

また店の上に設置してある看板が
思いっきり手作りで、
商品よりも看板が「完熟」って感じだ。

こんな店が続くと、コンビニがあったら
正直ホッとします。

それにしても中央卸売市場は広い。

広さは約18万平方メートル。
大阪ドームが5個以上入る広さです。
その北側の道路も約500メートルの直線が続きます。



フェンスがあって、
建物があるだけで歩くのには単調な道なので、
ここは競歩のように早足で歩きます。

キロ7分ペースぐらいでしょうか。

(本当の競歩の選手はキロ4分を切って
10キロを歩く。
ちなみに1万メートルの世界記録は37分58秒・・・
全速で走ってもかないません)

あっという間に一番奥の西口に到着です。



そこからまた野田駅へと向かいます。

このあたりは、昔の風情が色濃く残っている。

階段があって、車じゃ入れない路地もありました。



これは家の前に立つ、水汲み手動ポンプ。



そんな風情を楽しみながら
野田商店街を抜けると、
まもなくJR野田駅が見えてきました。



今回のコースは意外に味わい深いコースでした。

名付けて、福島なのだ。
福島な野田。はい、そういうことです。

ここでめでたく、ビールとたこ焼きにありつき、
腹鼓じゃなかった舌鼓を打つことができた。

今、ちょうど「近つ飛鳥博物館」で、
大阪は昔海だったをテーマにした展示をしているそうです。

今回の散策を踏まえて、
次は是非その博物館を訪ねてみようと
計画しながらこのコースを歩き終え



雨が降る前の歩行と合わせて
トータル約8キロを歩き
家路についたdoironなのでした。

終わり。