ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

奥和歌浦雑賀崎の旅4

2019年02月28日 21時10分07秒 | ウォーキング

道はのぼりが続きますねえ。



途中にこんな「さんまや」という
お店がありました。
灰干しのサンマを売ってるようです。

でもなあ、ちょっとリュックに
入れて持ち帰りにくいですねえ。
買うのはやめましょう。
あとで調べてみたら、



このお店では「おおやさ」という
ヨモギ団子を売っているようです。

なぜこういう名前なのかというと
2節があるそうです。

普通、こういう櫛団子は
団子三兄弟ではありませんが
くし1本に3~4個刺さっている
ようですがここは
五個を指しているようです。
それを見た現地の人が

「団子普通より多いやさえ」

といったところから
「おおやさ」になっている
という説がひとつ。

そしてこの櫛がいまは60円
という値段で売っており
「おお安いなあ」から
「おおやさ」になった
というのがもう一つ。

写してきた店を見たら
看板が上がっていましたが、
残念ながら今は土曜日
限定販売だそうです。
残念。

そんなお店を見ながらも、
道はどんどん上がっていきます。



う~ん、ちょっとこの辺で
トイレに行きたくなりましたが、
家もほとんどなくなってきました。
地図で見るとこの道は
行き止まりのはずですから
さほど人が来る気配はありませんので、
左側に大きな空き地と
草むらがありましたので
失礼してここでタチションしましょう。

草むらに入っていって、
用事を始めたそのときです。

前方10mくらいのところに、
つながれていない犬が
三匹こちらをじっと見ているのです。

中型の柴犬2匹と黒い犬が1匹です。

う~とうなりながら
こちらを向いて
座っているのではなく、
静かに座っているだけです。

突然とびかかってくる
雰囲気はありませんので、
静かに用を足し、
そっと逃げ去るように
その場を離れました。
よかったよかった。
あのまま飛び出されていたら、
すごい格好で対応しないと
いけないからねえ。

はあ、doiron散歩史上最悪の
出来事にならずでよかったです。

気持ちを取り直して、
さあでは雑賀崎の
灯台の方へ行きましょう。



なんとここは灯台の周りに
つけられた階段で中ほどまで
上がっていけます。



登っていってみましょう。
うわ~いい景色です。
奥和歌の浦の海が見渡せます。
大きく広がる海原や、



目の前の島も見えますし、



遠くには淡路島や沼島も見渡せます。



これが先ほどの番所庭園の岬です。

いやあここ雑賀崎灯台は
なかなかの景色でした。
これで今日の目標は
果たしましたよ。
早速灯台から、
先ほどの犬がいてた草原の
横を通って戻っていきましょう。

いませんように~
と思っていたら
近くにある小屋の前の空き地に
座っていましたねえ。

「ああ、あいつが我々の
縄張りを荒らしに来た人間や」
なあんて顔もしている
わけではありません。
我らは静かに離れていったので
ありました。



住宅地あたりまで戻ると、
右に「中ノ丁道」という
小さい看板が上がっていたので
降りて行ってみることにしました。



住宅地の合間を狭い階段が
続いて降りていきます。





あの当初遠くから眺めた
雑賀の町並みの中、
アマルフィーのように
下っていく道ですねえ。

雑賀さんとかいるのかなあ
とか思いながら降りていきます。
いやあなかなか味のある
道でしたねえ。



きれいで静かな雑賀の漁港に
出ていきます。

漁船が一杯並んでいましたねえ。
結構漁も盛んな感じです。

港の海の中を見ますと、
きれいな水の下に海底も
見えています。

このまま海沿いを進んでいくと、
親子釣りパークとか
奥和歌大橋とかもありますが、
まあ今日はこの辺で
勘弁しておきましょうか。

いまから上のバス停まで
くねくね上がっていき、



バスで和歌山市駅に戻る
はずなんですが、
ついでにこの少し先にある
養翠園という公園を
見に行ってみようと、
ふたたびバス道を動き始めたのでした。

続く


奥和歌浦雑賀崎の旅3

2019年02月27日 21時18分30秒 | ウォーキング

梅の花が咲き始め、



和歌山市内が見渡せる丘の上で、
お茶で作った
和歌山ラーメンを食べました。



ここは静かなのに何となく
人の気配を感じる公園でしたねえ。
さあここの先の砲台や
岬の華の方に行くか
と荷物をまとめていましても、
公園の先の方にかけて
人がいるようなそんな感じです。



歩いていきますと、
こんな石垣の跡がありました。



酸木積みという石垣の塀だそうです。



昔ここで海を見張っていた人たちは
こういうところで詰めていたんですねえ。
そこから上がっていきますと、





ここがその砲台です。



このあたりの、加太や友が島など
海に向かっていろんな
警戒地域があったのですねえ。
この海を守るのは大阪湾を守り、
京への入り口も守るという
大切な役割があったんでしょうねえ。

おかげでdoironの先祖も
黒船を見ないで
すんだのかもしれません。

昔の人たちのそんな強い思いが
まだまだこの辺りには
残っているんでしょう。

先ほどからなんか人の気配が
するように感じるのは
そういう熱い心が
漂っているからなのかも
しれませんね。

その砲台の端っこに
土手のように盛り上がった
土の切れているところがあります。
そこから出ていき、



さらに岬の先の方に行きますと。
こんな風にロープが張られています。



この先が雑賀岬の先っぽの
華といわれる部分ですねえ。

ここに立ってると、
なんかいきなり上から人が
大量に降りてきて
押されるような変な感じがします。

これはもうあまり先っぽに
近づいてはいけません。
ポロリと岩が崩れるような感じで、
それほどとがって突き出ています。



なにせこの華には
「トンガの華」という名前が
付けられています。

トンガというのは
タケノコ掘りの道具の名前で
(諸説あります)
その道具はこんな形をしています。



この華の横には長い
コンクリートの堤防が
続いていますが、
地形から見たらそこは
埋め立て地ですねえ。

そっち方向から上がってくる
道のようなものもあるのですが、
なんか怖くて近寄れなかったです。

ちょっと不気味な華の先でしたねえ。

そして左側には、
中ノ島や双子島なんかも見えていますし、
陸地からずーっと続いていく
岬の先端が見えています。



あの岬部分が「番所の華」
といわれているところです。

岬の先端ということで
独特な景色を作っています。
ここからだとよく見えていますねえ。

次の目的地はその岬のあたりです。
ではまた雑賀崎の上の方の
道へと戻って進んでいきましょう。





こんな道でしたねえ。
ちょっとなんかさみしい感じが
ぬぐえないです。

道端にはつわぶきが
一杯咲いていますねえ。



昔、御坊に義理両親の家が
あったあたりには
「ハマダイコン」の花が
一杯咲いていましたが、
ここにはそれはなかったですねえ。

閉鎖したホテル横の通路から出て、
一般道を進んでいくと、
道の交差点に出てきます。



ここを右折していくと
「番所庭園」の方に
向かっていきます。



ああ、この辺りは猫も
のんびりしていますねえ。

さらに進んでいきますと、
番所庭園の入り口の
駐車場に出ていきます。



入っていきましょう
と進んでいくと、なんと
ここに入るのは有料じゃないですか。
これはいけません。

遠くからも鑑賞していますし、
庭園の先の方は芝生で
きれいに整備されているようです。



テレビ中継や映画撮影なんかは
良くあったようですが、



まあそんなに必ずしも
見ておくべきところでも
ありませんので、
遠慮しておきましょう。

駐車場からソロッと眺めて
退散しました。

同じ道を戻って、
先ほど右折して入っていった道を、
まっすぐ進むように歩いていきます。
次の目的地が雑賀崎の
最先端である雑賀埼灯台です。

続く


奥和歌浦雑賀崎の旅2

2019年02月26日 21時50分54秒 | ウォーキング

この辺りは、雑賀崎漁港がよく見える。
これが観潮遊園の名前の根源かなあ。



そしてこの辺りから見える
雑賀崎の住宅地の景色が、



まるでイタリアのアマルフィのようだ
とたとえられています。



海辺の山手に住宅が上下に
立ち並ぶ姿ですねえ。

この辺りは海岸線の観光地として
かつては日本のトップにも
選ばれていたところですが、
開発がその景色の多くを
奪っていきました。

また、戦国時代は雑賀孫市を
頭領とする雑賀党の本拠と
伝わる地であります。

今はまだここには雑賀さんが
多いのかなあ。
歩いているうちには見かけなかったなあ。



このバス停の左から
帰りは出てくることになるのでしょうが、
まずはもう少し先まで歩いていって、
この交差点を左折して進んでいきます。



この道をしばらく歩いていったところに、
雑賀崎公園とその先に
華のように突き出たところが
あるはずです。

町はあるのですがちょうどこの辺りは
先ほどアマルフィだといって眺めていた
住宅群の一番上ですねえ。
あまり人がおりません。



なんかちょっと寂れたような感じです。

すると前に方に
「雑賀崎台場」の看板が見えてきましたよ。
ああ、ここを曲がって入っていくんですねえ。



こんなちょっと寂しげな道を
曲がって入っていきます。



階段をこえ、山道を歩いたら
「お城の見える丘」という
案内がありますよ。





行ってみると大きなベンチと
椅子が設置されています。



ああ、ここでちょうどお昼にするか
という感じですね。
荷物を広げて、用意をしますが、
あ、そうそう城はどこに
見えているのかなあと
後ろの方の景色を振り返って
眺めてみます。



案内板があるのですが、
非常に細かい景色ですねえ。
あの茶色いビルの向こう側かなあ
とか思って眺めていたら、
ベンチのところに人が来たみたいです。

荷物を広げているので
邪魔したらいかんなと
振り返ってみたら、
誰もいません。

あれ?勘違いか。

そしてまた城を探してみたら、
どうもうっすらと城の天守閣の
ような姿が見えます。
ああ、あれかあ、
城の見える丘といっても
細かい景色やなあ。

そしたら駅はあの辺か?
とおもって探っていたら、
やっぱり後ろに人が来た気配がします。

もう荷物を片付けたので
じわっと振り返ってみると・・・
やはり誰もおりません。
変な感じやなあ。

ここは雑賀崎の中でも
よく人が来るところなのかなあ、
そんな気配が残っているのかなあ
とかおもいつつ、
さあではここで食事にしましょう。



今日はコンビニで買ってきた
和歌山ラーメンをいただきましょう。

お湯を沸かしてっと、ん?
あれお水がないぞ。
今日は確かに持ってきたはずなのになあ。
どこかで落としてきたのかなあ。

仕方ないので、この際です。
お茶を沸かしてそれで
ラーメンを作ってみるかと考えました。

う~ん、これはなかなかいい
考えかもしれません。
こういう状態はたまには
考えられるからです。
水があるだろうと思ってきた公園で
水がなかったなあんてことは
たまにあることですからね。

お茶を鍋に入れ、
厚―く熱してそれを
ラーメンにそそいでいきます。

お湯が沸くまでの間なんですが、
なんかこんなバカなことをしているのを
人に見られたりしないやろなあ
と何か回りが気になります。

もしかしたら木の上に
植木剪定の人が登っているのか
と確かめたくらいです。

静かな公園なのですが変な感じです。

結局そのお茶ラーメンは
どうだったかというと、
うう~これが意外にうまかったです。
ラーメンを食べて、汁を飲みますと
食後のお茶も一緒にいただいているみたいな
ちょっと時間的にお得な感じでしたねえ。
これはいけると思いました。

和歌山にお茶の味
う~ん、和歌山静岡らーめんでしたね
これからの歩きに役立つときが
また来るかもしれません。

続く


奥和歌浦雑賀崎の旅1

2019年02月25日 21時14分51秒 | ウォーキング

先日は和歌の浦の景色を
満喫してきましたが、
まだまだ全部歩き切れていません。



そもそも和歌の浦と言いますと、
玉津島と片男波を結ぶ砂嘴と
周辺一帯を指すのに対し、
もっと広い意味では最近は、
新和歌浦、雑賀山を隔てた
漁業集落の田野、雑賀崎一帯を
指すようになりました。

前回は片男波に車を止めて、
海沿いの遊歩道や県道151号を歩いて、
雑賀崎の方へと向かいましたが、
途中でバスに乗って帰ってきた
という経過があります。

今回はその続きを歩いてみよう
と計画したのです。
ではまず交通機関について
調べてみましょう。

前回バスに乗ったのは
「観潮遊園」というバス停からでした。
なぜあそこは観潮遊園だったのでしょう。
近くに潮の動きが見渡せる展望台があるとか、
潮が押し寄せてくる洞窟があるとか
そんな意味なのかなあと調べてみましたが
よくわかりません。

ここからは雑賀崎の港が潮の様子とともに
ある程度見渡せるとか、



その海岸べりに「観潮」という名の
料理旅館があるからとか



そんなことでついている名前のようですねえ。
違うかなあ。

ほかの記述は見つかりませんでした。

その場所まで今度はバスで
駆けつけることにしました。
電車の駅からの便として調べてみると、
南海本線和歌山市駅から
バスが出ているようです。

はは~ん、これは昔の和歌浦まで
行くための路線バスなんやなあ
と思い調べてみると、ちょっと意外な
その素性を知りました。

実はこのバスの経路は、
かつて路面電車である
「和歌山軌道鉄道」が走っていた経路を
ほぼ踏襲して走っているんですねえ。

1971年にその路面電車は
廃止されたようなんです。
残念ですねえ。
一体どんな電車だったんでしょう。

実はその電車も屋外に
残されているんですね。
和歌山城の南側の公園に
一台保存されています。

それを写真に撮ろうと思っていたのに、
バスの中でついつい忘れてしまいました。
仕方ないのでネットの写真を
見てみますと、こんな感じ
だったそうです。



岡公園というところに
静態保存されているんですねえ。

今度わかやまを歩きに行くときには
是非確認に行ってみましょう。

ではそのバスに乗っていきましょう
と思いましたが、なんと
和歌山市駅についたときは
そのバスが出るまで
30分ほどかかるようでした。
仕方ないので、現在大きな工事をしている
和歌山市駅の周りを少し
散策してみました。

あ、工事現場の壁に和歌山市駅の
変遷が張られていますよ。





ああ、そうかあ、今工事しているのは
4代目の和歌山市駅なんですねえ。



そして、ああこういう和歌山と
淡路島を結ぶ「紀淡連絡道路」
という考え方もあるんですねえ。

なんとdoironが住んでいる市も
この道路の実現期成同盟会に
参加しているんですねえ。

もしも出来たら淡路島も
近くなりますねえ。
でも生きてる間には無理かなあ。

市駅の前のコンビニでコーヒーを飲み
ようやくバスに乗り込みました。



乗客はdoironを入れて3人です。
高齢の女性二人が乗り込みました。
そして運転手に
「このバスは観潮遊園に止まりますか」
と聞いてはります。

ウヒャー、あんな周りに家のない
田舎の駅で同様に降りるんですねえ。
なんか不審がれらないかちょっと心配です。

しばらく和歌山城の方を向いて
バスは走っていきますと、
ほかにも高齢者の人々が
結構乗ってきはりました。

ああ、あんな高齢者の方々は
昔は路面電車で
移動していたんでしょうねえ。

和歌山市役所や県庁前を抜けて
バスは進んでいきます。

田舎の広い道を観音崎まで行ったら
そこから雑賀崎に向かう県道151に入り、
ここで降りるといってた高齢者より
先にバスを降り、
さっそくてくてくと歩きだした
doironなのでした。

続く


御神体に触れてきた

2019年02月24日 21時00分00秒 | ウォーキング

え~昨日から沖縄の石垣島に来ています。
遊び、グルメではしゃぎまくっています。

詳細はまた大阪に帰ってから。

とりあえずは、たまりネタをアップしておきます。

******* 

海沿いの和歌の浦の続きに
出かけようと思いましたが、
その前に一か所行くことにした
山登りを報告しておきます。

海の話の前に山の話です。

先日、友達のこと、息子のことなど
心配事がいくつかありましたので、
神様と向き合って来ようと思い
出かけて行った山があります。

その山は三輪山です。

大神神社の御神体といわれる山ですねえ。
なので、これは最初に山登りと書きましたが
そうではなく、御神体との
触れ合いという意味ですねえ。

ここにはずっと以前から
入ってみたかったのです。
元気だったころはもちろんのこと、
体を壊してからも一度は入ってみたい
と思っていたのです。

でもねえ、なかなかそうは
うまくいきません。
何度か知り合いなんかと
来たこともあるのですが、
なかなか山に入っていく
というところまではいかなかったのです。

遠くから見た目には
さほど大きな山に見えないのです。

標高は467.1m、
スカイツリーよりも低い山ですねえ。

少し歩けばすぐに山頂だ
と思っていたのですが、
現地に行くとだいたい往復約2時間
かかる山だといわれるので
ちょこっと行ってなどと
簡単にいくわけにはいかないのです。
それなりに汗もかくという覚悟で
入山していくことが必要なのです。

そんな具合なのでここへの入山は
これまで一度もしていなかったのですが、
ついに先日、さあこの山に行くぞ
という覚悟を持って出かけて行ったのでした。

車に乗ってこの寺には
あっという間に到着します。

高速道路の発達は本当に
ありがたいものですねえ。

駐車場に車を止めて、
大神神社に参り、



そこから山の入り口となる
「狭井神社」の方へと向かっていきます。







その神社で入山料300円を払って
受付をすると、山の心得の説明があります。



水分補給は行けるけど食べ物はダメ、
写真もダメ。登山ではないのだ
という説明をしっかりと受けます。

そしてその後、入山証となる
白いタスキを渡されます。
入山時にはこれを必ずしないと
いけないそうだ。

その神社の前にある入り口から、
さあでは出発だ。



山の様子は・・・というと、
もうこれもあまり大ピラに
しゃべってはダメということなので、
何も説明できません。
もちろん映像もありませんしね。

とりあえず約束通り、
ほぼ2時間で同じ場所に
帰ってきたのです。

体を壊したときには、
もうこんな山にも登れないかなあと
不安になっていたことを思い出します。
それがもうなんとか普通に
登れるくらいにはなりましたね。
健康は本当にありがたいものです。

いろんなことを考えながら、
神体である山に触れてきた時間でした。
この山の聖なる力を授かってきたかなあ。

帰りには、お寺の前で
にゅう麺と柿の葉寿司を食べてきましたよ。





以前から行ってみたかった山ということで
満足に帰宅した
doironなのでありました。


鶴鳴き渡る和歌の浦5

2019年02月23日 21時24分48秒 | ウォーキング

石垣島に来ています。

あ、あつい

ブログは昨日の続きです。

*******
この辺りには結構古いおうちがあります。
こんな虫籠窓がついていたり、



なんか屋根の上に瘴気さんのような
人形が付いた家もありますよ。



もう海も近いので、
標高はもうこんな感じです。



なんか面白いお店がありますよ。
「どんどん焼き」と書かれています。



少し買って食べてみようか
と思いましたが、いけませんいけません、
ダイエット中ですからね。

でも帰ってから調べてみたら
結構おいしそうな食べ物でしたねえ。
こんな感じです。



買えばよかったかなあ。
でもねえ、そういう好奇心を
これまで同様すべて
満足させようとするから
アカンのですねえ。

買ってたらきっとビールも
買ってるやろなあ。

将来のことも考えて我慢しましょう。

で、その先で地図を見ながら
ウロウロしている男性がおり、
その人が近づいてきました。
きっと中国人でしょう。



地図を指さしながら東照宮の
位置を聞いてきます。

ああ、これは英語で答えなくては
いかんだろうなあとおもいつつ
周りを見渡したら、
東照宮の横の公園の赤い橋が見えますので、
それを目印に説明してやろうと考えたのです。

颯爽と
「おー、ダッツ、レッドブリッジ」
とここまでは良かったのですが、
そのあと「ソノムコウ」と
付け加えてしまいました。

う~ん、英語を使った日本語ですねえ。

でもその人はよくわかったみたいで、
ありがとーと言って去っていきましたよ。

ああdoironのおかげで
日中の有効関係は良好に
保たれたようですねえ。

さてコースは和歌浦漁港の
入り口あたりに出てきました。



そこにはこんな道標がありますねえ。



今日向かっていくのは雑賀崎方面ですが、
そこには観光遊歩道路を
通ってもいけるはずです。

そちら方面へと向かっていきましょう。

こんな壊れそうなほど屋根の壊れた
神社の下を通り、



開いているのかいないのか
わからないようなシラス店
の横も通ります。



海の向こうには堤防とそのむこうに
海南の町も見えていますよ。



港の端っこの有料道路に
近づいていきますと、
あれ?なんか遊歩道路の入り口に
ロープがかかっていますよ。

階段を上がっていって
のぞいてみますと、
道路が波で崩れたようになっています。



ああ昨年の台風が原因なんでしょうねえ。

でもこんなに港の奥まで入ってきて、
またあの入り口に戻って
自動車道を行けというのは
あまりじゃないですか。
ここはこそっと入って、
ほんとに危なかったら戻っていこうと
突入していきました。

ロープが簡単に一本だけですから、
自己責任で行けということでしょう。
砂浜に降りたりしていきます。



あ、テトラポットが
打ち上げられたんでしょうか。
あまりにも強烈な嵐だったのかなあ。

で、まともに行けなくなったところで。
横の階段を上って車道の方へと
上がっていきます。
ちゃんと危機回避はえらいですねえ。

あ、ここのホテルは
営業しているようですねえ。



いいお風呂なのかなあ。
でも他のホテルはこんな感じで
閉まっているところが多いです。





そして見つけました。
こういうホテルの新しい生き残り方を。
実は高齢者の施設として
生まれ変わっているところが
多いのです。



むかし、和歌の浦の温泉で楽しんだ人々が、
今はここの施設で余生を送っているんですねえ。

なるほど、こういうホテル街の
新しい生き残り方の姿を
見たように思います。

で、今回は雑賀崎まで行こうと
思っていたのですが、



スタートが遅かったので、
ちょっとこの辺で切り上げる
ことにしました。



距離は6.3キロ。

バスが来たので御手洗池公園まで戻り、



駐車場へと引き返しました。

あ、驚きです。
あの沈んだボートも浮いていますよ。



途中にあったイタリアンレストランで



海を見ながらちょっと豪華に
遅い昼食を食べて、





残りはまた近いうちにやってくるぞ~
と誓いながら和歌の浦
1回目の旅はおしまいです。


鶴鳴き渡る和歌の浦4

2019年02月22日 21時13分23秒 | ウォーキング

紀州東照宮



ここは、和歌山県の名勝・史跡、
ならびに国の名勝に
指定されています。



奥の鳥居をこえて歩いていきますと、
おお~すごい急傾斜の階段が
見えてきます。



そこにいた参拝者の方に
無理を言って写真を撮ってもらいました。
角度もかなり急な登りです。



で、この階段をよく見てみますと、
上の方に行くほど階段の幅が
小さくなっています。
ああ、あの安珍清姫の道成寺と
同じですねえ。
より本堂の高さを強調するための
細工が施されているんでしょう。



はあはあいって階段を上り、
門のところに立つと景色がきれいですねえ。



和歌浦の海の方も見渡せます。

そしてここの神社は権現作りで、
左甚五郎の彫り物なども置かれていて、
日光東照宮に似ているところから、
関西の日光といわれたりするようです。



様々なことをお祈りしておきました。

では下っていきましょう。
階段を降りようとすると、
右手に緩やかな坂道があることが
書かれてありましたので
そちらを通っていきましょう。



結構暗い森の中を下っていきます。

ああ、年配者はこちらの方が
安全でいいですねえ。
さっきの階段だと転べば大けがしそうです。

と、そのときです。

少し離れたところにある木から
人の高さくらいある大きな枝が
バサーと落ちてきました。

ああ、森の中だとこんなことも
あるのやなあと思ってそちらを見上げると、
おや?何か生き物がいるようです。

ああ、リスじゃないですか。



タイワンリスかなあ。
よく見ると3匹いますよ。



もともと群れで生活する種ではないので、
もしかしたら親子関係の
家族なのかもしれませんね。
大きさなんかはあまりわかりませんでした。

その3匹が木を折っていたんでしょうねえ。

何となく楽しそうに
群れている感じでした。

リスは金勝山とかでも見かけたのですが、
こうして写真をとれたのは初めてでした。

ま、そんなリスたちに
さよならを言って
神社を後にしましょう。

境内から出ていくと、
この神社の横には大きな池があります。



「御手洗池」といいます。

お寺の名前通りにここには
トイレもありますから
用をすましておきましょう。

池の中にある島に橋で渡っていきます。



ああここは桜が咲いたら
よさそうですねえ。
きっとご近所の絶好の
花見場所じゃないですか。

島の休憩所でちょっと休憩です。



山の方を見上げると、
和歌山らしく大きなフェニックスなんかの
木の生えた景色の中に、
神社がありますねえ。



あれが次の目的地「和歌浦天満宮」です。
もう一本かかっている橋を渡って
向かっていきましょう。



それにしてもこの天満宮も
高いところにありますねえ。

中に入っていきますと、
もう威圧されそうな感じで
登りの階段が続いています。
手すりも一本しかありませんし、
周りも結構イケイケの
オープンな石段です。



先ほどの東照宮よりもさらに
角度が急な感じがしますねえ。
とりあえず目の前の一歩を意識しつつ
淡々と登っていきます。



そうして一番上に到着し、
後ろを振り向いた時の景色が
こんな感じです。



ウヒャー、和歌浦の景色全体が
見渡せますねえ。
この時同様に上っていた高齢者の一弾も
この場所でさすがに
喜んではりましたねえ。



ここの神社はこういう景色が
売りなんですねえ。

そしてもう一つの売りが、
ここの本殿の飾りが
江戸時代の大工として有名な人である
平内政信のデザインなんだそうです。

しっかりお参りしておきましょう。

帰りはまたまた先ほどの
石段を下りていきます。
一歩足を踏み間違えれば、
ドドドワ~と落ちていきそうです。
しっかりと気合を入れて降りていきましょう。

そうしてこの天満宮をでたら、
いよいよ海岸線沿いの道を
雑賀崎へと向かって進んでいきます。

続く

*******

とりあえず明日から石垣島へ
行ってきます。
ブログは予約で流して行きます。
ドジ旅第10話近日オープン
お楽しみに。

三泊四日
果たして南の島に
楽園は待っているだろうかあ


鶴鳴き渡る和歌の浦3

2019年02月21日 21時19分19秒 | ウォーキング

山に登っていくと、



上から年配のおっさんが
一人で降りてきた。



変なおっさんやなと思ったが、
それはお互いさんである。
もしかしたらdoironより
若いおっさんだったかも
しれないなあ。

まあ世の中こういう同好の士が
ウロウロしてるんですねえ。

走れなくはなったけど
歩けてさえいればこういう
楽しみにはまっていく人も
多いのでしょう。

最近doironの周りにもこういう人が
増えてきたしねえ。
皆さん健康は大事ですよ~。

さらに坂道をてくてくと
登っていくとすぐに山頂にでます。
うわ~これはすごい景色だ。
玉津島と片男波を結ぶ砂嘴と
周辺一帯ならびに紀三井寺と
名草山もしっかり見えているし、
遠くには熊野に通じる
古道の山々もみえてるなあ。

あ、あそこはジャズマラソンの
ランニングコースだ。
せっかくなので、携帯のパノラマ撮影を
しておきましたよ。
こんな感じ。



歌川広重もこの辺の山に登って
こんな絵を描いたんでしょうねえ。



ほんとにすごい景色でした。
満足して山を下りていくと
この和歌浦の説明も書かれてありました。
もともとこの辺りには紀ノ川が注いでおり、
6つの島を作っていたそうです。

ひとつが唯一小島として残っている
さっきの妹背山、
そしても一つがここの鏡山だったそうです。

また続日本記ではこの辺りは
「弱浜(わかのはま)」と
呼ばれていましたが、
聖武天皇が「明光浦(あかのうら)」
と言いなおしたそうです。

それが「若の浦」となり、
平安時代には「和歌の浦」になった
といういわれがあります。

以来、和歌の浦は代表的な枕言葉となり、
ここでたくさんの歌が作られましたね。

そして「和歌の浦」はやがて
ここから先の雑賀崎までを
そうしてそう呼ぶようになりました。
風光明媚な地域を総合して
そういうようになったんですねえ。

ああ、今日のこれからの歩きが
とても楽しみです。

さあそれでは玉津島神社に
お参りしておきましょう。



「曽根神社の氏子代表のdoironです。
旅の安全を~」と言っておきました。

さあでは、この市町川に沿った
「あしべ通り」を進んでいきましょう。
道の横には結構立派な枝ぶりの松が
街路樹のように植えられています。



こんな松やこんな松。



あ、松の下にボートが沈んでますよ

中には、枝先が川の方に垂れ下がっていて、
先っぽが水の中に使っている木もあったよ。



そして川沿いには堤防が設けられ、
そこにこんな和歌のボードが張られています。
この中の二つ目が山部赤人のあの
「かたおなみ」の歌でした。



ほかにも豊臣秀吉などの和歌が
掲載されているものもありました。



それとなく見ていくだけで、
だいたい10枚くらいあったかなあ。
そんな市町川の道を進んでいきますと
終点あたりの右側に商店街が見えてきます。



「明光商店街」と名前が書いてあります。
あれ?ちょっと聞いたことのある
名前ですねえ。

そうあの聖武天皇がこの辺りを
「明光浦」と呼んでいたところから
生まれた名前なんだそうです。

商店街の入り口あたりにあった
お寿司屋さんが街頭販売をしていて
にぎわってますねえ。

さすがに海に近いこの辺りですから、
とれたて魚のお寿司かもしれませんねえ。
ちょっとまだ朝が早いので、
こういうお寿司を持ち歩くのは
無理がありますねえ。
遠慮しておきましょう。

あ、前に徳川家の家紋が見えてきましたよ。
下には「紀州東照宮」の文字が
書かれています。



江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した
東照大権現と
紀州藩初代藩主徳川頼宣を神格化した
南龍大神を祀る神社である。

かつては様々な祭事でにぎわったそうだが、
最近またいろんな祭事が
復活し始めているという。

若い女性なんかも多いのは、
そんな歴史の好きな寺社子が
流行っているのかもしれません。

続く


鶴鳴き渡る和歌の浦2

2019年02月20日 21時47分48秒 | ウォーキング

この三段峡は不老橋より完成が
昔の橋だそうです。



海の中の島に渡る橋なので
いけないのは残念です。
以前からこの辺りに来た時には、
一度わたってみたかったのですが、
車を止めるところがなく、
行けなかったのが残念で、
今回こそ渡れるぞと
思っていったのに残念でした。

ここを渡ると、小さな島の中に
見どころは多いらしい。

ネットで見ると、島の裏側には
こういう観海閣という
海の上に建てられた建物がある。



1650年ころに徳川頼宣が
水上楼閣として建てたものらしいです。

本物の楼閣は昭和36年の
台風でなくなったそうで、
今は鉄筋で再建されています。

昔からここに座って、
紀三井寺や名草山を見ていたそうです。
海の景色と相まって
なかなかのところのようですね。
ホットコーヒーをカップに入れて
持ってきて、海の景色を眺めながら
一杯って旅行のパンフレットに
なりそうですねえ。
立ち入りできるようになったら、
動画撮影してみようかな。

あ、コーヒーを飲んだりは
できないかなあ。
ビールはあかんのかなあ

そしてこの妹背山といわれる
島の上の方には、
徳川家が先祖の供養のために
石にお経を書いて埋め込んだところに立つ
こんな多宝塔もあるそうです。



ああ、見たかったなあ。
残念です。

そしてなんと、さらにその横から
山頂まで登っていく道があるそうで、
なんでもここは日本の低い山の
第10位らしいです。
面白いですねえ。

まあそんな楽しそうな観光も
できないまま、壊れた三段峡から
離れていかざるを得ません。

あ、そうそうその橋のたもとには、
徳川頼宣が芦辺屋・朝日屋という
茶屋を作らせたという跡地がありますよ。



のちの明治時代に芦辺屋
という料理旅館がここにあって、
あの南方熊楠が孫文と
親交を深めたそうです。



この階段を登ったりしたのかなあ。

粘菌談議に花を咲かせたりしたのかなあ。

最近はdoironもこんな話を
良くしています。
え?それは年金話やろ~へへ

いずれにしても、
さすがにここは名称の地、和歌の浦。
海辺のこの辺りにも
しっかりいろんな歴史が
あったのですねえ。

さあでは歩を進めていきましょう。

不老橋のところへ戻ると、
その道路向かいには神社があります。

鹽竈神社です。



「鹽槌翁」がまつられ、
塩づくりなどから子育ての神様として、
安産・子授けの神社として
地元の人たちに「しおがまさん」
といわれ大切にされてきた神社です。



中に入っていきますと、
こんな「和合の松」といわれる松が



横たわっているのか、
曲がっておかれているのか
よくわからない格好でそこにあります。



神社の中をきれいに掃除してはる
女性の関係者に声をかけると、

「実はその和合の松は枯れてしまって、
いまはその上に次の松が植えられている」
んだそうです。

でもねえ、安産・子さずけの神様ですから
枯れるのはちょっと、
という人もいるかもしれません。

でもねえこれには
ビックリの裏技がありまして、
その女性はさらに
「実はここの和合の松は
DNAを採取して、
同じ松を科学的に植え替えたものなんだ」
そうだと説明してくれました。
驚きですねえ。
だから今も小さな二世の松が
上の方に育っていました。



さすが子育ての神様の神社、
おなじDNAの松を育てているとは驚きです。

枯れた松で「和合の松」の
安産お守りとかできそうですねえ。

この辺の岩は、
とても複雑な形をしております。
そんな岩屋をくりぬくようにして作られた、
見た目とっても味のある
神社でしたねえ。



そんな鹽竈神社を出て
和歌浦の方に向かうと
すぐに「玉津島神社」に到着です。

ここは和歌の神様
「衣通姫」がまつられ、
たくさんの和歌が奉納された
古い神社です。

中に入っていきますと右側に
「鏡山」への登山口がありましたので、
登っていってみましょう。



続く


鶴鳴き渡る和歌の浦1

2019年02月19日 21時21分01秒 | ウォーキング

駐車場とした片男波はというと、
スイム駅伝の時もここに止めましたねえ。
たしか1日当たりいくらの
料金設定がありましたねえ。
ネットで見てみると、
夏場は一日1000円ですが、
7、8月以外は一日400円
と書いてあります。



なのでここに車を止めて
歩けるだけ歩いて
バスで帰ってこようと思います。

阪和自動車道を降りて、
国体道路を進み紀三井寺のところで右折。

海沿いに進んであしべ橋のところから
なおも海沿いに進んでいきます。

あれ?今回立ち寄り所として
計画していた妹背山にうつる石の橋が
壊れて渡れなくなっているぞ。
事前の調査で楽しみにしていたのになあ。
あとで再度チェックしよう。

そして車は片男波の駐車場に停車です。



こんな感じにパラパラでした。
きれいな枝ぶりの松なんかが
植わっているところから、



海の向こうに紀三井寺と
この前登った名草山を見ながら



歩いていきます。



そうそうあの名草山から見えていた
和歌浦方面は、なんかとっても
気持ちよさそうに見えてましたねえ。



左手の方にあるおおきな建物は

「和歌山県立医大病院」

ですねえ。
義理の父親が御坊に住んでいたころに
何度か入院した病院です。

一度、目の手術をしたときに
下向いたまま体を動かせず、
患者も見舞いもつらい思いを
した病院ですねえ。

対面の海沿いの道は
ジャズマラソンで走ったコースですねえ。
3回出走したかなあ。
ランニングコースの途中で、
何か所かでジャズ演奏をしていました。
道で倒れている高齢者を
助け起こしたことがありましたねえ。

この大会は今もあると思います。

そんなことを思い出しながら
海沿いを歩いていきます。
コースの前方に橋が見えてきましたよ。



「あしべ橋」といいます。



和歌の浦と言えば、
その名前の由来となった有名な歌がありますね。
山部赤人がうたった

「若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み
 葦辺をさして 鶴鳴き渡る(たづなきわたる)」。



昔はここに鶴も飛んできていたんですねえ。

先ほど車を止めた「片男波」も
この和歌からきてますし、
このはしの名前の「あしべ」
というのもこの歌の葦辺から
きているんでしょう。

もう1000年以上も前の
万葉集に詠まれた歌が
橋の名前になるなんて
すごいものがありますね。

そんなすごい橋の横に
さらにもっとすごい橋が架かっています。



「不老橋」といいます。



徳川家康を祀る紀州東照宮の
和歌祭の際に、紀州徳川家や
東照宮関係者の人々が、
御旅所に向かうために通行した
「御成道」に架橋したもので、
徳川家の命で作られた橋である。

この橋は和泉砂岩で作られているそうで、
この石は泉州地方の多くの
道標などにも使われている。
加工はしやすいのだが、
ちょっと耐久性に問題があり
多くの道標が壊れつつあります。

アーチ形の石橋で見た目はきれいだ。



欄干の渦型の彫り物も
きれいに残っています。



わたることによって
不老長寿を手にいれるといわれ、
この名前になっています。

その橋のたもとに、
説明版が立っていますが、



もう一つ「不老橋の修復について」



という看板も立っています。
築後160年以上が過ぎた時点で
親柱を軽いものに変えて
負担を小さくしたなどの
修復をしたそうです。

「不老橋」という名前でも
やはり老朽化はするのですねえ。

でもこの橋は地元の人たちに
愛されているようで、
足の不自由そうな高齢者でも
バスを降りたら、平坦な葦辺橋ではなく
アップダウンのあるこの橋を
よっこらしょと渡ってはりましたねえ。

海を背景にしたなかなか感じの
いい橋でしたねえ。

こんな橋を殿さまの命でかけられたのも、
この辺りには多くの島があったそうです。
それらがのちに全部陸続きになっていって、
今はこの妹背山のある島が残るのみです。



この島に渡るようにつけられていた橋が
三段橋で、今は急遽崩れてしまっていて
渡れない状況だそうです。



う~ん、それは残念。

続く