亡くなった親父が外の納戸に積んであった
プラスチックの衣装ケースから、
大量の本と共に一冊の古いアルバムが出てきた。
防水の箱だけれど長年の放置で、
湿気が回り中の写真は崩壊寸前になっていたので、
一枚ずつていねいにはがして読み取り
デジタル保存することにした。
写真はもちろん白黒写真で、
サイズも切手くらいのものがあったり、
今で言う2L版くらいの大きさがあったりとまちまちだ。
ボロボロになっている写真を
崩れないようにそーっとスキャナ台に乗せ、
一枚一枚スキャンしていく。
ここで紹介するのは恥ずかしいくらい
御幼少のdoironの写真も含めて
枚数はおよそ50枚。
裏面にはかろうじて、
当時親父が書き込んだ文字が残っているものも何枚かあるし、
アルバムにも書き込みがあったので、
突き合せながら整理もした。
そんな中に、少し前に整理した写真とあわせて、
昨春登った泉南の「お菊山」の写真が4枚見つかった。
ちょうどジム友に「お菊山に行こう」
と誘われていたので、
この50年以上前と思われる写真と、
今のお菊山を比べてみるのもおもしろいなと
連休の合間にヒガンバナの咲く中を出かけて行った。
昨春、首Dさんと登って以来のお菊山である。
古い4枚の写真のうち3枚は
山頂のお菊松のところで撮影した写真だった。
これはまあ山頂なので場所は決まっており、
比較するのは簡単だ。
問題は、もう一枚の
登山中に写したとみられる写真の場所である。
これ。
崖の上に立つ親父を下から撮影している。
バックに斜面も写っているので
山頂ではなさそうだ。
この山は砂岩に覆われた部分が多く、
そのせいかところどころ地面が崩れて
木の生えていないはげ山になっているところが各所にある。
その古い写真を見た時は、
昨年の記憶をたどると
ああ確かこんなところもあったなあと
いう感じだったので、
その場所はすぐにわかるだろうと思っていた。
いつものように、「新滝ノ池」の駐車場に車を停めて
テクテクと山頂を目指し、
奥にあるもう一つの貯水池
「滝ノ池」も過ぎて短い急な登りを登り終えると、
見晴らしの良い「馬の背」といわれる
狭い尾根道に出る。
この尾根の道に写真のポイントがあるとみていたので、
手にはプリントアウトした写真を持ち、歩いていた。
ウバメガシの森を抜け、
何か所かあるガレ場に出るごとに
写真と見比べるというのを
繰り返し繰り返し行ったが、
結局写真ポイントがわからないまま、
分岐点の鉄塔にたどり着いてしまった。
よくよく考えてみれば多分50年前には
貯水池などはなかっただろう。
なので登山ルートが変わっていたとしても不思議ではない。
では、山頂の写真はどうなのか。
これも、古い写真には大きな松の木が二本写っているが、
これはもう既にないことは知っていた。
これが古い写真
そして今は代わりに山頂には、
50年前にはなかった
「お菊松の石碑」が建てられていることも。
というわけで、親父の写った写真と
同じ風景に出会うことはできなかったけど、
間違いなく親父が立ったお菊山のてっぺんで、
お昼ごはんと食後のコーヒーを楽しんで
帰ってきたのでありました。
こういう山登りも楽しいもので、
まだ親父の残した写真には
いくつかの山の写真がある。
若いころはマラソンばかりしていて
親父と山に登ることはほとんどなかったので
これからはこうして
かすかに残った親父の鉛筆の文字と
写真に写る山の形を手掛かりに
親父の足跡を探しに
出かけてみるのも面白いかもしれないと今、思っている。
もちろん、このお菊山もルートを変えて
また来てみることにしよう。