ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

春の贈り物

2009年01月30日 22時42分26秒 | 自然
今年も春の先駆け、
フキノトウをいただいた。



フキノトウは、
フキが葉を出す前に
地下茎から直接出てくる花茎のことで、
梅の実程度の大きさのものが
もっともおいしいと思われる。

この、フキという植物は
北海道に行くと
民俗学的に非常に重要な植物で、
この葉の下にいるといわれる
コロボックルという妖精と
アイヌにまつわる話は、
かつて民俗学にとどまらず
人類学にまで発展する事態を
引き起こしている。

また北海道の地名にも
その名残をとどめており、

「十勝」

はコロボックルが
アイヌと決別したときに、
残していった呪いの言葉
「トカプッチ」に由来するとも言われている。

まあ、そんな物騒な話は抜きにして、
春の訪れを告げる食材としてのフキノトウは、
食すると適度の苦味ゆえ
滋味を感じ、
ギュッと詰まった
大地の力をいただいているような
気にさせてくれるものだ。
まあてんぷらが最適やな。
これ



御坊市にいる義理の両親の
庭に芽吹いたもので、
毎年これを食べないと
春が来ないような気がするのじゃ。

八百屋さんでもたまに見かけるが、
養殖栽培ものは
苦味が少ないように思うなあ。

やっぱり天然物やな。
人間も同じ。
養殖ばりに大事に育てられた人間より、
はつらつと遊んでる人間のほうが
味があるもんな

商品開発

2009年01月29日 21時59分07秒 | 生活

日常生活の介助、話し相手、
掃除、買い物、食事の準備など
スーちゃん関連の介護の日々が続いている。
とりわけトイレの世話が大事で、
夜半には

「しも用心~」

といいながらの寝室訪問は欠かせない。

「背漏根絶」を目指して、
試行錯誤の日々は続き、
ようやく最近、一定の目途はついてきた。

奈良のとある商店で、
目にもとまらぬ速さで
餅つきをする二人がいて、
年末年始にかけて
マスコミを賑わしていたが、
あれを見ながら奥さんと
「オムツをはずす→体を清拭する
→穿かせる→着替える→
寝かせるを目にもとまらぬ早業で
できるようになったら、
TV局に売り込むか」
なあんていいながら
わいわいやっている。

そんな風にスーちゃんにかまい続けているから、
愛犬グーが妬くわ、妬くわで、
かまってほしくて、
スーちゃんの歩行を後ろから支えながら歩いていると、
その周りに執拗にまとわりついてきたりする。
帰宅したときの熱烈歓迎ぶりも
これまで以上に激しく、
そんなに飛びついたりしたら
また腰を悪くするのにと
叱らないといけないくらいなのだ。
そんな健気な姿には感動すら覚えてしまうほどだ。
犬だって、犬なりに
嫉妬するんやねえ。

そんな犬もうらやむ介護の中で、
紙おむつについて、
いろいろ商品開発のアイデアを考えてみた。

一つ目

衛生製品は白色でないといけない
という決まりでもあるのか、
市販の紙おむつはみな一様に白い。
高齢者とはいえ
やはり女性はいくつになっても
おしゃれは欠かせないだろうということで、
勝負パンツならぬ
勝負紙おむつがあってもいいのではないか。
花柄模様や黒の透け透けおむつ、
あるいはキャラクターもの
なんかもいいのではないか。
何も勝負しなくてもいいが、
単調な介護生活の中で、
家族の気持ちも和むというものだ。

二つ目。

どうもパッドにもらしている液体が、
わかりにくい。
消臭オムツというのはあるが、
オムツの換え時を見極めるためにも、
さわやかブルーなどの
色がつくような仕組みであればいいのになと思う。
そうすれば、
「多い日も安心」なのだ。

三つ目。+

資源の保護のためにも、
少なくとも再生紙は必ず使ってほしいが、
パッド内のジェルについても、
何らかの再利用の工夫はできないものだろうか。
そうすれば、
紙ごと廃棄する回数も減るってものだ。
経費がかさむということもあるが、
2008年には22%だった高齢化率
(65歳以上の人が全人口に占める割合)
が2035年には30%にまで
上昇すると言われている中で、
地球温暖化の一因となっている
紙資源の使用量を
もっと抑えるためにも
これは必要なことだと思うのだが・・・。

「紙おむつは地球を救う」

くらいの意気込みで
業者には更なる技術開発を望みたいところじゃ。

ほかにも日常生活で、
介護に関するアイデアは
まだまだ山ほどあるが、
あまりここに書いて盗用されてはいけない。

この際、
意匠登録、実用新案、
あるいは特許も視野に入れて
介護の日常生活の中から
新たな可能性をもっと探ってみたいと
思っている今日この頃なのだ~。


目撃!

2009年01月28日 22時05分31秒 | 最近の出来事
せがれの交通事故は、
無事示談が済み、
相手の車の損傷のみで
対物保険の対応だけで済んだと
メールをよこしてきた。

そのメールの返信で、
「ええ経験をしたと思っておけよ。
雪道の運転とギャグはすべりに注意やな」
と送っておいてあげたよ。

変な親父だと思ってるかなあ。

そんなやり取りをした翌日だ。
今度は朝の通勤途上で
目の前で交通事故を目撃した。
右側の追い越し車線を走りながら、
左の走行車線の遅い車を
追い越してから、そちらへ
車線変更をしようと思ったときだ。
センターラインを結構なスピードで
走ってきたバイクがあったので、
それをやり過ごし、
そのバイクの後ろに入った直後だ。

交差点に差し掛かったときに、
対向から強引に右折しようする車があり、
こちらはあわててブレーキを踏んだが、
そのバイクは間に合わなかった。

ガッシャ~ン!

右折車の左前部にもろに激突。
バイクは弾みで左の歩道に吹っ飛び、
ライダーは宙に舞って
まっすぐ10mほど飛ばされた。
もし歩道に人がいたら
ひどい巻き添えを喰っただろうが、
幸いバイクの吹っ飛んだ方向に
歩行者はいなかった。
しかし、ライダーは人形のように
飛んでいったなあ。

あ然としてとまっていたら、
歩道の人と運転手が
ライダーに駆け寄っていた。
ライダーはかろうじて動いていたので、
意識はあるようだった。
救出の手はあるようだったのと、
始業の時間が迫っていたので
そのままやり過ごしたが、
もし目撃者が必要なら名乗り出てあげよう
と思っている。

時間は見ておいたし、
状況は目に焼きついている。
それにしても、
交通事故は怖い。
なんでもない日常が一変するからなあ。

通勤と遊びで
月間1000km以上の運転をする身としては、
それだけ事故に遭遇する可能性も高いことになる。

今回の事故目撃を教訓に、
運転にはくれぐれも注意をしなければ、
と思いを新たにしたdoironでした。

皆さんもご注意あれ~。

GS景品

2009年01月27日 22時21分16秒 | 最近の出来事

あの手この手で顧客獲得を目指す、
セルフGS。

先日、奥さんが給油をしたときのことだ。
近寄ってきた店員に
「ガラガラ抽選会をやってますのでどうぞ」
といわれて、導かれたらしい。
こういう抽選には
まったく弱い奥さんは
何も期待せずに、
商品に紙おむつでもあったらいいのになあと
思いながら、ガラガラと回したそうです。

そうしたら、
あの八角形の抽選機から
こぼれ出てきた玉が、銀色の玉。

略して「銀玉」。

後に振り返って奥さんは
「金色だったらもっとよかったけど、
人に自慢話をしにくかった」
と語っている。

それはさておき、
立ち会ってた店員から、
「おめでとうございますと言われ、
ティッシュ6箱セットでも当たったかと
喜んだそうです。
「これでばあちゃんのお世話の足しにできる」と。
そしたらなんと当たっていたのは、
「5000円分のプリカ
もしくは高級黒毛和牛しゃぶしゃぶセット」

だったそうです。

それを聞いた瞬間、
もう彼女の頭には
5000円分を家計の足しにして、
紙おむつ・・・
なんて毛頭なく、
黒毛和牛を囲む
楽しい食卓しか
浮かばなかったそうですわ。
迷わず、

黒毛和牛

と叫んだそうです。

それでさあ、
「あんたには黒毛あげるわ、
私は和牛。お互いうれしいやろ」
だって。
「黒毛でも茶毛(そんなんあるんか)でも、
毛やったらうれしいよ」
と一応反応して返しておきました。

ふん、届いたらむさぼり食ってやる。


みぞれ降る中で

2009年01月26日 21時49分57秒 | マラソン
大阪シティハーフゴール会場で、
知り合いたちのゴールを待ちながら思った。
小雪やみぞれが舞う気候の中、
次々にゴールしてくる選手たちの顔は

とてもまぶしい。

自己ベストをたたき出した仲間(98分)、
故障明けでもがんばって駆け抜けた仲間(98分)、
前半の混雑さえなければ
90分を切れたのにという職場の同僚(92分)、
とりあえずY先生に勝てたと
喜んでいた仲間(109分)、
トライアスロンのスタミナを
生かしきれず首をひねっていた仲間(101分)。

そんな風に選手たちは、
それぞれの思いでゴールを駆け抜けるが、
傍から見てるとやはり皆一様に爽やかやね。
あ~、走りたい
ってマジで思ったわあ。

そしてこの大会が終わる頃、
本日のメインイベント
大阪国際女子の29km地点通過の応援だ。

今年はタマが出ていないので
興味半減だが、
ひたむきに走る
市民ランナー達を
目撃するのは
自分の力にもなるしね。

沿道でしばらく待っていると、

キタア~

先頭は10名くらいの集団だ。
渋井もいるし、
シモンもいた。
スローペースだったのかな。

先頭集団となると、
みんなそんなに息が乱れていない。
静かに、足音だけ響かせて
あっという間に通過していった。

先頭が行き過ぎると、
しばらくはポツポツと離れている。

数人がそれぞれ声援を一身に受けて
駆け抜けて行ったあと、
ある意味
この大会の主役である
市民ランナー達が通過し始める。

念願の初ゴールを目指す
babiさんも元気に走っていった。

初挑戦のOさんは振り返る元気さ。

Mちゃんは手まで振ってくれる余裕。

そうして最終ランナーまで
知り合い10人くらいを見送ってあと、
さあ次は
ゴール会場の長居へGOだ。

駅でワンセグを見て
渋井の優勝を確認。
まあ、よく頑張ったというか
ちゃんと本来の力を
出せてよかったねえ。

競技場手前100mくらいの
公園周回の歩道に着いたのは、
スタートして2時間55分くらい。
もうこのあたりは
大阪城公園と違って
声をかけても、
朦朧としてるランナーが多い。
競技場しか目に入ってないんやろね。

babiさんは手に
何か書いた小さな旗を持ってたなあ。
何が書いてあったのかなあ。
なんかbabiさんらしい
パフォーマンスだったな。
念願のゴール間近。
今回最も感動した姿でしたよ。

Oさんも3時間10分くらいでゴール。
初国際で、堂々たる成績だ。
また資格をゲットしたねえ。
一段と早くなるんやろナ。

今回
ハーフ、フルの応援を通じて、
間違いなく力をもらったなあ。

折りしも、
相撲では引退の瀬戸際から
優勝を勝ち取った朝青龍が
優勝して「朝青龍が帰ってきました」
と叫んだように、

「doironが帰ってきましたあ」

と言える日を目指して、
いただいた力を糧に
執念で頑張るかあ。

改めて
そんな気にさせられた
素敵な一日でした。

宮古鍋

2009年01月24日 22時47分10秒 | 生活
今日は奥さんが送別会
親父が会合で
スーちゃんと二人での
夕食となった。

なので、
今日は、先日セイゾー君に
宮古そばをいただいたときから
あたためていた料理を
することにした。

宮古鍋

古謝そばについてた
ダシ、ソーキ、麺を用いて
野菜を色々入れた鍋料理だ。
あったまいい~

用いたお土産がこれ。



そして、これと
こんな肉と野菜群を投入した。



炊いているところが
こんな感じ。



炊き上がったものに
わしは、柚子コショウを入れた器に
取っていただいた。

辛~

太めの宮古そば
柔らかいソーキが
スーちゃんに好評だったなあ。

今日は夕食に限らず
一日中
スーちゃんの世話を
焼いてあげた。



4ヶ月ぶりの散髪は、
とっても気持ちよさそうだったにゃあ。
カットの後、さらに髪を
染めて欲しそうにしていたが
予約時間も短いので、
まあ、次の課題としよう。
ただし、
眉毛は書いていただいた。
でないと、不器用にしか動かない
スーちゃんの手だと
雪ダルマみたいな
顔になっちまうしな。

さらに散髪の後は
近場の公園に
梅見学。

しっかし、
携帯のカメラだと
被写体が中心をはずれると
ピントもはずれるなあ。



冷え込みの厳しい日でしたが、
陽だまりのような
公園の白い花が
気持ちを癒してくれたなあ。
一瞬の晴れ間に
撮影に成功しました。
ばあちゃんの枯れ木にも
花が咲けばいいなあ。
ん?それは桜か

とても穏やかで、ゆったりした
一日でした。
で、明日は、奥さんと交代で
わしの気分転換日。

大阪女子マラソン、応援に行くぜ~

せがれが事故した

2009年01月23日 21時38分17秒 | 最近の出来事
先日、通勤途中に
せがれから電話がかかってきた。
交通事故を起こしたらしい。

「もしもし、おやじ~、車ぶつけた。
どうしたらいい?」

「怪我は?相手は?」
怪我は無い。相手は車で軽く追突した。
バンパーが少しへこんだ程度」


聞けば、信号待ちでとまっている車に、
うしろから凍った路面で滑って
止まりきれずに追突したらしい。

せがれは長野県で学生をしているのだ。

「とりあえず警察を呼ばなあかんで」
「もう呼んだよ。今現場で到着を待ってる」

「そしたら、まず相手の連絡先を
きちんと聞いておくこと。
それから、保険に入っているから、
保険で対応します。
と失礼の無いように言って、
その場で決め事はしない。
すべて保険会社と相談すると言っておくこと」

「わかった」ホッ

通勤途中なので
保険の証券は手元に無かったが、
事故時の緊急連絡先は登録してあったので、
そのフリーダイヤルに電話をし、
担当者を決めていただいた。

それにしても、
最近の保険会社の応対は
見事というほかは無い。
せがれが事故をしたことを告げると、

「それはお父様、心配でございましょう」
とまずこうだ。

お父様やで、お父様!

お父様はそんなに心配はしていないので、
「はあ、まあ」と答えておいたわ。
それから
現時点でわかる範囲の
情報を聞き取りしてきたが、
その聞き方も実に効率的で、
こちらへの気遣いにあふれている。

いちいち
「お怪我が無くて何よりでした」
とか
「朝からご面倒なことでたいへんでございましょう」
といった具合に合いの手を入れてくる。

きっとマニュアルどおりの
対応をしているんだろうが、
昔はこんなんじゃなかったんやろなあ。
今や保険会社も
外資系の進出などで、
熾烈な競争の時代だから、
こういう応対は欠かせないんやろな。

電話を置いてしばらくしたら、
今度は
「このたびのご子息様の事故を
担当をさせていただくことになりました、
ビリー(仮称:もちろん日本人)と申します。」

との電話があった。

「ご子息様」だと~。

「こせがれ様」でいいのに、
なんて思いながら
せがれの携帯番号を告げ、
連絡していただくことにした。

しばらくしてからせがれから連絡があり、
「保険会社の人から連絡をもらったので、
あとはこっちで対応するよ」だと。

大阪を離れたときは
18歳だったせがれもまもなく24歳。

そやね、もうすっかり大人やもんな。
任せておくことにしよう。
こんな風にいろんなことを経験して、
子どもは大人になっていくんやねえ。

宮古島の思い出

2009年01月22日 23時02分09秒 | トライアスロン

初めて宮古島の
トライアスロンに参加したのが
今から約14年前。


写真も微妙に色あせるほど昔。
デジカメなんてなかったし。
このときのせがれは9歳。
いまは。23歳の立派な?大人ですわ。
わしは変わらんな

乗ったタクシーの中で
流れていた音楽は
沖縄民謡ばかり。
当時の宮古島は
浮世を離れて
別世界に迷い込んだような
そんな静かな島でした。

ざわわ、ざわわと
風が流れるサトウキビ畑で
ひとりで汗を流しながら
せっせと農作業をしている夢を
時々思い出したように見るのは、
よほど、あの時感じた
宮古の空気が
忘れられないでいる
証のようなものだね。

初めて、宮古トラを完走したときの感想を
社内報に乗せたことがあり
その時、僕はこんなことを書いている。

「宮古島から帰ってきて
はや一ヶ月が過ぎるが、
あの時島中を巡った僕の
何分の一かは
まだ、あの島にとどまっているような
気がしてならない」と。

そんな宮古島で最近は1月に
100kmマラソンが開催されている。
多分、あの城辺(ぐすくべ)の海沿いの道や
アップダウンの七又海岸、
ドイツ村なんかを通るのだろうな。
東平安崎(ひがしへんなざき)や
池間大橋も渡るのかな?
そんなウルトラマラソンに
セイゾークン達が参加し、
先日お土産をいただいた。



宮古そば

モンテドールのケーキ

宮古そばは
現地でも有名で
僕も行ったことのある
「古謝そば」のもの。
生そば、豚肉、スープがセットになっている。
早速いただいたら、
あの古謝そば本店の景色が
蘇ってきたよ。
今も変わっていないのかな。
前の駐車場が
バリアフリーも
何のそのの、段差だらけだった印象が
あるんやけど・・・。

モンテドールは
大会時に大会記念の特別製の
紅芋のパイを作って
大会会場で売っていたなあ。
オリオンビールのブースのそばに
出てたようなイメージが
あるけど、何となく
記憶もあやふやなほど
遠い昔になってしまった。

そんな風に
昔を懐かしむような
気持ちで、お土産を
ありがたくいただいた。
僕の中の宮古島を
思い起こさせてくれるに
ぴったりの品でした。
セイゾー君、いつも
ありがとうございますだ。

その後、宮古トラには
あと2回、合計3回参加したが
年々都会化していく
島の変化の様子が
少し哀しかったなあ。
タクシーの中で
沖縄民謡でなく
ヒッキーの歌が流れていたときなんか
哀しくて、涙が流れそうでしたわい。

そうそう、
一回目の時、会場で友達になって
2回目のとき、
宿まで訪ねてきてくれた
現地の夫婦の方がいる。
その夫婦に教えていただいた
島内の名所を、レンタルの
原チャリで巡った旅も
忘れられない旅になりました。
砂山ビーチ
宮古島博物館
ツマグロゼミ繁殖地

今、あらためて宮古に行くとしたら
一番したいのは
サトウキビ畑に
どっかり腰をおろして
風の歌を聴きたいのと、
あの時の夫婦の方と
オリオンビールで

「アリッ、かんぱあい」

とやらかしたいもんですわ。


45健診

2009年01月21日 21時28分37秒 | 最近の出来事
わが社では、
45歳以上の社員全員に、
毎年健康診断を実施している。
名づけて

45(ヨンゴー)健診

この健診を先日受診してきた。
当日は、朝食は食べてきてもよいが、
昼飯抜きで、
12時40分に病院に集合。

アイム ハングリー!

約2時間かけて、
血液や尿の検査、
静穏時の心電図検査、
眼の検査、
内科問診などを行う手はずとなっている。

健診は男女あわせて15人くらいが
ひとかたまりとなって移動
していく形で行われる。

まず最初は、
行くなり尿検査だ。
紙コップの計量線で
50ccまで入れてくださいだと。

げっ!さっきしたとこなんやけど

と思いながら、トイレへ。
う~ん、
なんとか所定の量を搾り出せて
最初のヤマ場は乗り切れた。

次は身体測定と血液検査だ。
身長は変わらない(当たり前やな)、
体重は昨年に比べて2kg減だ。
痩せたと喜んでいいのか、
筋肉が落ちたと悲しむべきなのか、
そこは難しい。

血液検査は、
小さな案内には書ききれないくらい
検査項目があるので、
結構な量を抜かれた。

でもまあ注射が上手だったのでよしとしよう。

それが終わったところで

心電図→眼科

と移動。

眼科では、
まず視力検査。
ランドルト環を見ながら検査をする。
輪の欠けてる部分を
「下」、「右」といった具合に
指摘するやつだ。
結果は裸眼で
右が1.2
左が0.9。

この結果を見て
昨年と同じことを言われた。
「お歳の割りにはよく見えていますね」だと。
失礼しちゃうぜ、まったく。
しかし我ながら目はいいんやなあと
最近ちょっぴり感心しているけどね。

そして、眼底、眼圧の検査のときもそうだ。
昨年、機械の前に座った途端に
向こうからにゅ~っと手が伸びてきて、
わしのつぶらな瞳をこじ開けよった
という記憶があるから、
今回は思いっきり目を見開いて
機械の前におっちんしたよ。

「はい緑のランプを見といてくださいね~」。

緊張の一瞬だ。
手は伸びてこなかったよん。
目にプシュッと空気を吹きかけられて終了。
バシッと光る眼底検査でも、
眼をこじあけられずに済みました。

さて、あと残るは内科問診のみだ。

担当医師は女医。
問診表を見ながら、
ひとつひとつ確認をしていく。
日常での運動の項目は、
以前だと医師にしかられるほどの
運動量をこなしていたけど、
最近は医者にほめられる程度だ。

「ずっと続けてくださいね」だと。

「こんなもんでは終わらせんワイ」
と心の中で誓いながら、
「ありがとうございます」と
笑顔で応対してあげた。

大人じゃないか~

最近は、
血液検査の結果も、
腫瘍マーカーなどの
一部の項目を除けば
小一時間で出るようで、
こちらは今んとこ
まったく異常なしとのことだ。

よかったあ。

あまり走らなくなったら、
貧血も無問題だ。

結局、
少々不整脈が出ているくらいで
結果は良好。

とどのつまり
体の健康だけ考えたら、
今の状態がいいのかもしれんが・・・、

メッチャ物足りない

との心の叫びは
やっぱり抑えられまへんな。

Kさんのこと

2009年01月20日 22時56分06秒 | マラソン
先日のブログで
走りながら般若心経を
聞いていたという人の話を少し書いた。

今日はこの人の話をしよう。

この人というのは
職場の先輩
Kさんだ。
わしがマラソンを始めたのは
今から21年前。
この時すでにKさんは、
篠山マラソンをすでに完走していたばかりでなく、
ニューヨークマラソンや
ホノルルマラソンの完走経験も持っていた。

これからマラソンを始めよう
としていたわしにとっては
まさに雲の上の人だったのである。
そんなKさんの奥さんにしてみても、
まだまだ世間に市民ランナーが
あまりいなかった頃だったから、
他のレベルとあまり比べる術も無かったので、
篠山マラソンに応援に行った際に
こんなエピソードを作った。

トップが2時間そこそこでゴールした後、
いつ旦那さんがゴールするかわからなかったので、
カメラを2時間近く構え続けていたらしい。
さぞや片目で疲れただろう。
当時はフィルムカメラだったもんね。
いまなら2時間もデジカメを構え続けたら
バッテリーがなくなってしまうってもんだ。
そしてKさんは、
今のわしの職席も
経験したことのある
仕事上の先輩でもある。
Kさんが編集長を勤めていた頃の社報を読み返すと、
見出しのつけ方や
記事の取り上げ方、
紙面構成がとてもKさんらしいことに気がつく。

今の社報に
わしの色がそれだけ出ているかとなると
それははなはだ疑問であるところだ。

Kさんは、マラソンだけではなく、
インターネットやブログも
周りの誰よりも先進的に取り組んでいた
(携帯電話はなかなか持とうとはしなかったけど)。

そんな風に常にマイペースで、
自分のしたいことに
積極的に取り組むという点で、
今のわしに大きな影響を与えた人でもある。

初めて、サロマで
ウルトラマラソンに挑戦したのも
この人がいたからこそだった。

マラソンの練習中に
耳で覚えた英会話も駆使して
最近は
海外旅行も頻繁に行かれているようで、
つい先日もカナダの
ナイアガラの滝の前のホテルから、
自らの60歳の誕生日を祝う
メールを送ってこられた。
まったく自由に
人生を謳歌されているにゃあ。

この3月に定年を迎える
そんなKさんのことを、
わしは「停年の星」と呼んでいる。
いつまでも若く、
遊び心満載のKさんに、
定年を迎えても、
いつまでも年をとらず(停年)、
わしらの定年時に
いっぱい遊び方を教えてくれる目標(星)
でいてほしいとの願いと
敬意を込めて、
そう呼ばしていただいている。

この呼び方をKさんはいたく気に入ってくれていて、
あちこちで
俺は職場で「停年の星」
と呼ばれているんやと
言いまわっているらしい。

来月、そんなKさんの
定年送別会を開催させていただく
運びになっている。

思い出話は一晩では語りきれないほど、
山のようにあるぜ。

そして定年後は、
暇にまかせて
頻繁にお誘いもあることだろうな。