ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

2015大晦日

2015年12月31日 20時54分59秒 | 生活

ああ、もうどんどん日々が過ぎて
今日はもう2015年の大晦日です。

今年もいろいろあったなあ。

大きな石ころやでっかい溝にも出会ったけど、
なんとなくいろんな人に助けられて、
こうして今年も1年を生き延びて
大晦日を迎えることができました。

別に人のために、
ほとんど役に立たないことばかりしているのに、
それでもまわりに助けられて、
まあほんとにいわば悪運の強い人間
としか思えませんねえ。

来年こそは、人のために
何かやれる年にでもできたら
うれしいんやけどね。

そんな一年を振り返りながら、
昨日は年末恒例いろいろもの造りの第2弾として、
うどんを打ちました。

もうこれは何年続いているんでしょうか。

かつては、スーちゃんと
タッグを組んだりもしながら、
毎年年末に行ってきたことでした。

毎年やっているからと言って、
年に一回だからなかなかしっかりと
ノウハウも学んで年々進歩しつつ
よりいいものができていくわけでもありません。

それにことしは一度、
脳みそを痛めているので、
何か大切なことを忘れているかもしれないので、
まずはじっくりと昔のブログを
読んでみたりしてからの取り組みとしました。

相変わらず素人風の
進歩のない手打ちうどんおやじなのであります。

用いたのは中力粉と薄力粉。
それに今年は事前に別のネットをよく読むと、
暖かい日と寒い日で
使う水の量が数ml異なるなど、
水の量が小さじ一つ分で大きく違ったりするので、
今回は注意書きをよく読みつつ
水、塩の量をきちんと図って
入れることにしました。

部屋の中は暖かいので、
塩の量は暖かい日なみね。

塩は先日味噌づくりで使った
あら塩を使うことにしました。

こんな感じ。



で、次に豆の容易であるが、
豆は中力粉230gに対して薄力粉を70g。
これを厚手のスーパー袋にいれ、



先ほどの塩水を加えてあらもみします。

水と粉がなじんだところで、
厚手の袋状の形にして、
ビニールをさらに上からかぶせます。



これはこの後
足踏をするときのための用意ですね。

こうしておいて、これを30分間寝かします。
時間が来たら、早速足踏を始めましょう。



この時点でかなり柔らかくなっていますが、
だまされてはいけません。

あしで何度も何度も踏み抜いて、
ビニールの中にこだまが付かなくなった頃が
仕上がりですね。

ではこれを伸ばしていきましょう。



場所は、普通のテーブルの上で
ビニール袋を曳いて
そこに残っている中力粉をとりおとしてまき、
その上に卸して伸ばしていきます。

そして、厚さがだいたい
ころ合いになったところで
屏風に折り畳み、



最後の切り込み作業です。



ここは真剣に、気合を入れて
いどまないといけません。

そうしてようやく切り終わったら
それを一本ずつ伸ばして、



形を整えて袋に入れて仕上がりです。



これを、おつゆでたいて
31日の晩(先ほど)にいただきました。



うむうむ、固さはなかなか微妙ですが、
味は悪くありませんよ。



そうやねえ、たとえて言えば、
doironの一年のまとめを
食べているような感じ!?
見た目も悪く、腰もかたさも微妙な感じですが、
意外に食べてみたら味がいいみたいなね。

まあ、そんな感じで来年もすごせたらと思いますね。

皆さんも、新しい年を
新しい気持ちで健やかに迎えてくださいね。
こんなブログにまた1年間お付き合い
ありがとうございました。
今年は病気で2日休んだけど
来年も頑張って書きましょう。

一年間ありがとうございました。

また、これからもよろしくお願いいたします。

それではみなさん、よいお年を!


丸投げ味噌 第2弾

2015年12月30日 19時43分38秒 | 最近の出来事

さあて、
年末恒例のいろいろモノづくりの
第1弾が始まった。

この日は「味噌造り」だ。

昨年も和泉の豆を利用して、
地産地消の豆を作りました。

そしたらこれのなんとうまかったこと。
ぼくらが普段食べている味噌とは
全然違っていて、
これぞ「味噌」という感じに仕上がりました。

昨年は和泉の500gの豆で作ったのですが、
今年は泉佐野の大豆を今年は600gとしました。



ほんとは1キロ買ってきたので、
それを全部味噌にしようと思っていたのですが、
鍋や容器の関係でそれ全部というのには
ちょっと無理があります。
まあ、とりあえずは600gくらいで
作っておこうとしたわけです。

あ、麹も結構量が増えますしね。

この味噌を作る作業は2日はかかります。
豆を水の中で一晩寝かしておいて、
朝おきたらつけたストーブの上に置き、
じっくりと3時間以上煮込みます。



まあ、ストーブの周りを
うろつくグーももういないので、
安心して置いとけます。

そして、昼前にストーブから降ろすと、
うんうんうまい具合に
豆も柔らかくなっています。

ではこれをつぶしましょう。

昨年はアルミゲージに味噌を入れ、
ぐちゅぐちゅと豆をつぶしたが、
たまに出来上がった製品を食べているときに、
つぶし切れていない豆が出てきたりするので、
今年は豆をすり鉢に入れて押しつぶした。



これだと、何度か時間がかかるので、
できるだけ素早い作業が必要となる。
だんだん面倒になって、あとのほうは
こんなに多くの豆を入れてしまいました。



というのも豆が冷えたら
固くなって割れにくくなるからだ。

翌日以降の筋肉痛を覚悟しつつ、
渾身の力で豆を砕いていく。

一方、麹はというと
事前に細かく砕いて、
若干の水で混ぜながら
塩を混入させておく。



豆600gに対して、麹も600g、
塩は250gを用意して置き、
後半のそれら二つを混ぜおいて
用意しておきます。

その麹+塩に、割り込んでおいた
味噌を投入していきます。



まぜまぜまぜ、と。

そうして出来上がった、
味噌の元を今度は手で小さく握りつぶしながら、
容器の底から並べていきます。



昨年作った様子から、
空気がたくさん残っているところには、
カビが早く生えてきそうだったので、
できるだけこうして
空気を抜きながら充填していきます。



そして、ようやく最後に
すべてを詰め込んだところで、充填完了です。



こんな感じ。

最後にこれをもう一回そこに向けて
パンチして空気を抜いたところでふたをして、
さあ次の春先まで眠っておいてもらいましょう。



さて、

「丸投げ味噌 第2弾」



のデキアゲはいかがとなりましょうか。

では、今夜はこれから夜警を務めてきます。


2015年末年始の駅伝

2015年12月29日 21時07分22秒 | マラソン

さて、高校駅伝も終わりました。

doironが選ぶ今年の最優秀賞は、
だれか・・・

じゃかじゃかじゃか

世羅女子のアンカー向井選手。

高校総体3位の実力を
いかんなく発揮し、
女子優勝に大貢献してくれました。

これからの駅伝大会にも
またまた出てきて来られんことを
お祈りいたします。

世羅ダブルに終わった高校駅伝でしたが、
これから年末年始にかけて
まだまだ駅伝が続きます。

そう、この区域の駅伝を
チェックさえしていれば、
とりあえずは日本の陸上の様子が
まずだいたいわかるでしょう。

次は12月30日の富士山女子駅伝。

そして元旦恒例の全日本実業団対抗駅伝と続いていく。

この全日本実業団も日本の陸上界を
語るうえでなかなか欠かせない大会となっている。

今年の注目は、
久しぶりに復活してきた「旭化成」だ。

村山、鎧塚の10000m日本記録コンビ、
その村山の双子の謙太、
そしてまた双子の市田兄弟、
そこに加えて福岡マラソンで
活躍した佐々木など結構な選手がそろっている。

実業団駅伝はこの旭化成と
窪田、早川などを要する
トヨタ自動車との争いとなるだろう。

あとは、車と同様に好調を続けているマツダが
どれだけ踏ん張るかも、
ちょっと目が離せないかもしれない。

選手だと、日清食品を抜けた大迫が
出ないのは悲しいが、
日食の佐藤や村澤、コニカミノルタの宇賀地、
ホンダの設楽がどれだけの力を
出すかが注目だろう。

そして、2日、3日の日が箱根駅伝である。
これはもう昨年5区の区間記録で
圧倒的に優位を示した
「青山学院大学」が今年も好調だろう。

秋の全日本大学駅伝で
東洋大学に破れたものの、
一人20キロ以上という
この駅伝に圧倒的な力の差を示すのには
十分な選手の厚さがそろっている。

例えば、選手個人の力の差を見ても、
10000mで29分を切る選手は
11人と他のチームを圧倒しているし、
ハーフマラソンが1時間3分(キロ6分)以内の
選手は5人と駒大と並んでいるものの、
平均タイムは30秒早い。

もし、故障がちな神野のあの5区の走りが見れなくても、
復路でさえも圧倒的に他の学校を上回るだろう。

ただ、学生会全体を見ると、
国際大会への出場者が
一気に減っていることを考えれば、
全体のレベルは下がっている
といっても過言ではない。

問題は、故障と過酷な気象条件の中で、
どれだけの選手がつぶれるかで
波乱の可能性もないかといえばそうでもないが、
でもまあ、青学の優勝は固いとみてよいだろう。

選手で見ると、日大のキトニーが
5区の山登りでどれだけの力を見せるか、
駒大の中谷がしっかりと自分を出せるか、
そして順大に入った1年生の塩尻が
どんな力を見せるか、
また東洋大の服部がどれだけ頑張れるか、
そのあたりはやはり見逃せないところだ。

こうして、年末年始の駅伝大会で
ググッと力をもらいながら、
来年からの自分のあり方にも
しっかり力を注いでいこうというdoironなのであ~る。


柏原といっても兵庫県 3

2015年12月28日 20時37分08秒 | ウォーキング

そんな丹波市立崇広小学校の横にあるのが、
「柏原藩陣屋・長屋門」です。



柏原藩の初代藩主である織田信休が
立てたもので、
その年代は1714年。

1818年に火事があった時も
類焼を免れた長屋門が、
創建当時からの建物として残っています。

それを潜って中に入っていくと、



建物の外になにやら掲示物があるので
覗いてみましょう。



え~っと、個々は御用所ですねえ。



当時の公務員たちが
この場所で執務をやっていたんですねえ。



そしてここが「カマド跡」。

古代地図にはここにお台所の絵があって、
その土間部分がここにあったことを示しています。

おお~これは井戸ですねえ。



とまあそんな具合に
外回りにもいろんな施設の
あったことがうかがえます。

では、玄関より中に上がっていきましょう。
「いらっしゃいませでございます~」。



で、なかは撮影できませんので、残念です。
まあ4畳半の応接やら
間の抜けた風呂、
子供の遊び部屋なんかがありましたよ・・・
なわけはない。

立派な部屋の数々でした。

これは施設の右側の建物ですが、
これが先ほど見ていた小学校です。



さあ、ではここを出て
織田家廟所のほうへと向かいましょう。

おお~、なんと途中ほかにも施設があったのですが、



ここは水曜日が定休日でした。
しまったあ、福知山と
日を変えてくればよかったですねえ。
これはこれからの歩き旅の
重要な確認事項ですねえ。

まあ兵庫県の柏原総合庁舎を眺めに
行っても仕方ありません。



仕方ないので、
一直線に廟所を目指しましょう。

こういう学校横の道を進み、



こういう案内書きを見ながら進んでいきます。



おお~地蔵堂にも時計が付いています。



これを右に曲がって山に向かって進み、
途中を右へ入っていったところからが

「織田家廟所」です。



墓の位置は入口の案内看板に
立っていたから探せばわかるんでしょうが、



まあdoironは全体にお参りをしておきました。



さあ、ここを出て進んでいきますと、
古い町並みの家があります。



そんな家を眺めながらやがて道は、
先ほどの木の根橋の近くへと
戻ってまいります。



八幡宮の入口鳥居から、
木の根橋のほうを見るとこんな感じです。



おお~、ここで某寺の境内に
めちゃ濃い毛の仏さんを発見しました。



先日、奈良県東大寺の大仏さんの羅髪が
これまで行ってたよりも数が少ない
というニュースを見たばかりですから、
この仏の姿にはかなりの迫力を覚えましたねえ。
ああ~あやかりたい



ここは丹波新聞社です。

え~っと、フリーライターは用事おませんか。

ま、こんな脳こうそくの
ライターには用事ありませんかな。

またまた商店街のほうへと戻っていく途中で、
田舎うどんという食堂を見つけて入りました。
こんかい食べたのは、これ。



むむ、なかなかおいしい食事でした。

ミセスが食べていたのは、
田舎とじうどんで、



麺に野菜が練りこんで会って
なかなかのもんでしたな。

まあ、こうして今回は
約6キロの歩行を終えて、
柏原を歩き回りました。

本当は「おさんの森」や「新井神社」のほうにも
行きたかったのですが、
まだこのころはグーちゃんを
預けてましたからね。

時間を気にして帰らねばなりません。

おかげでナビも止め損ねてしまいました。

この後、高速のサービスエリアで
お土産を買って、
doiron病状回復祈願の
カニカニツアーこれにておしまいです。


柏原といっても兵庫県 2

2015年12月27日 20時45分16秒 | ウォーキング

この太鼓楼の前に、
野口雨情の歌に出てくる一節が
書かれてあります。



「町の真ん中 櫓の上で つつじ太鼓が 昼寝する」

この歌碑が書かれてある石を見てみましょう。
後ろはごつごつの石なんですが、
刻み面はとてもきれいですねえ。



これはやっぱり石の加工でこうなるんでしょうか。
石のことはよくわかりませんが、
立派な石碑でした。

さあ、この後はもうすぐ木の根橋です。
歩いていきましょう。

おっ、この猫はなかなかのやつです。



運んでくれということでしょうか。

突き当りの道を左に曲がりますと、



見えてきました。
大きくそびえる、木の根橋の
「大ケヤキ」です。

普通はこんな名前の「木の根橋」ですが、
反対側を見てみると、
樹齢1000年を超える
大ケヤキの根っこが見事に川を渡っています。



いやあ、なかなかのものです。

いつまでも大事に育ててほしいですねえ。
いやあ、満足しました。

では帰りましょう・・・ではなくて、
まだまだ歩きます。

この木の根橋のすぐそばにあるのが
「織田神社」です。



柏原藩三代目の藩主である
「織田信勝」を主祭神として、
創建されました。
そのご、信勝が死んだあとは
彼に継嗣がなく、柏原藩は絶版となったそうです。

町そのものも2004年に
大合併により「丹波市」になったものです。

ここが「丹波市役所 柏原支所」ですが、



屋根には昔の「柏原町」の
マークの入った瓦が残っているようでしたねえ。



さあ、それではさらに東のほうへと
進んでいきましょう。



これが、ミセスの卒業した大学のジムの
柏原支所のようなものでした。



それを眺めながら進んでいきますと、
「建薫神社」に到着します。



この神社、祭神は誰だと思います?
なんと、あの天下統一の偉業を前に
本能寺で倒れた織田信長なんだそうです。



全国で信長を祀る神社は、
京都と天童市とそしてこの柏原の
3か所あるそうです。

ちょっと貴重ですね。

道は、官庁の建物をいくつか過ぎ、





やがて広い通りに出てきます。

そこにあるのが「柏原藩陣屋・長屋門」です。



この中に入るには、
あとで尋ねる「柏原歴史民俗資料館」で
入場券を買わねばなりません。

まあ、せっかくですからあとで再度きましょう。

その長屋門の前に
なにやら記念碑のようなものがありますので
行ってみましょう。



まず最初がこれ。
「織田信包公」の碑です。



あの信長の実の弟で
柏原藩初の藩主となっております。
そしてなんとこれが、
旧「柏原町道路元標」です。



おお~、秋に伊丹に行った時以来の道路元標です。
これでdoiron収集8本目となるはずです。

この道路元標て、
意外なところにあったりするから面白いですねえ。

そして、さあその横にあるのが、
「田ステ女」の幼児像でした。



それにしても「田ステ」とは偉い名前ですね。
と思ったら、子孫には参議院議員
「田英夫」とかいるんですねえ。

さあ、それでは柏原町歴史民俗資料館に
入っていきましょう。



店内はすべて写真は禁止ですので、
残念ながら何も撮影できませんでした。
昔使っていた道具のほかは、
「田ステ」の関連もたくさんありました。
まあ、中身はそんなものがあれこれです。

このときのチケットがあれば
先ほどの施設にも入っていけますので
向かいましょう。

と、歴史博物館の前に立派な建物があります。
これは何でしょうとじっと見ていたら、
むむ~なんとこの立派な建物は小学校でした。



実はこのまち、
駅から歩いてくる間もずっと思っていたんですが、
結構ゆうふくなんですかねえ。

立派な家や施設がたくさんありました。
お金が結構あるみたいにね。

ミセスもこの町やったら住んでもいいかも~
なんて言ってます。

まあそれはないでしょうがと続きます。


柏原といっても兵庫県 1

2015年12月26日 20時32分09秒 | ウォーキング

さあて、旅行の帰りにも
歩き旅行をすることになりました。
復路に行くのは、
織田家の家臣が収めた城下町である
「柏原」です。

大阪じゃないですよ。

それだったら「かしはら」ですからね。
ここでは「かいばら」と読みます。

以前からこの辺の町には大変興味があったのです。
でも遠いしなあ、
それだけ行くのは大変やなあ
と思っていました。

それが先日、今doironがはまっている
NHKのこころ旅の番組を見た時のことです。
町の中を通る川の上に、
大きな木が根っこで橋を作っている
柏原の景色が流れていました。

大きな木が太っい根っこで
立派な橋を作っています。
ああ~、これは面白そうなところだな
という印象がその時に
強く残ってしまったわけです。

もちろん、柏原は歴史ウォークの本にも
よく出てくるところでもあるわけですから、
これは行って見なくてはと、
今回の旅行に合わせて
決意したわけです。

宿を出て、薄い曇り空の中を
柏原へと向かいます。

福知山までいったん出てから、
こんな道はたぶん生まれて
初めて走るんやろなあという道を走っていましたら・・・

あれ?

これは何か見たことがあるような。

ああ、そうかあ数年前に
久しぶりに5キロのレースを走った
あの「春日局の里」のマラソン会場
じゃないですか。



久しぶりなんで、
とりあえず20分切を目指して走った
しんどかったレースでした。

結局、何とか20分は切れたのですが、
今思ったらあれが最後の20分切でしたねえ。

そんな会場の少し先が、
「柏原」です。

近くの一日200円の駐車場に
車を止め歩き始めました。

これが駅。



中もしっかりしていますねえ。
特急「こうのとり」も全車とまります。

ところでこの駅、
もしかしたら見たことがある人も
多いかもしれません。

なんと、大阪の花博で使われていた
「山の駅」がここに移築されているそうです。

まあ、1991年ですから、
ちょっと古い話ですけどね。

改札で天王寺の駅までを
調べたら1660円でしたねえ。



意外に近い気がしますねえ。



駅前には、柏原にちなんでいるのか
「カウベル」のような置物があったり、



当地の有名人「田ステ女」の
人形があったりします。



で、ここでこの「田ステ女」ですが、
ちょっと解説しておきましょう。

彼女は芭蕉とほぼ同時代に生き、
元禄の四俳女
「ステ女・智月尼・園女・秋色女」の一人です。
彼女の作ったうたで
有名なのは

「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと」

この地で育った彼女は、
子どもを育て、46歳で
播州網干の不徹寺で貞閑尼禅師に修道し、
65歳で亡くなったという人です。

そんな彼女の銅像なんかも
残っています。

そんな街の中へと、
進んでまいりましょう。

道には、こんな看板や



こんな矢印が設置されています。



駅前のちょっと特殊な色に
塗られた道を進んでいきますと、
地面にはこんなマンふたがありました。



そうです。
この地域のマンふたは
あの最初に行ってた
「木の根橋」がデザインされています。

楽しみですねえ。

あ、これが太鼓櫓です。



三層の櫓の最上階には太鼓が置かれてあって、
時報や藩主が参勤交代から帰ってきたときや
家事の時などにたたかれていたそうです。

本来は大手筋にあったものが、
明治初期にこちらに移されてきたそうです。

まだ太鼓はこの中にあるようですね。

入口に
「太鼓の皮にあなたの手の油をこすりつけてください」
と書かれてありました。



皮革の感想防止になるそうです。
こりゃあもう、
吉本新喜劇の末成さんの登場でしょうねえ。

とまあ、そんな感じで
太鼓櫓の各施設をきょろきょろと眺めつつ

続きます。


天橋立カニ孝行

2015年12月25日 21時38分34秒 | 最近の出来事

さあ、福知山での往路の歩行を終え
夜のカニカニ合戦に向かって
一般道を天橋立に向かって
ひた走ったdoironなのでした。

途中、大江山のトレラン会場の近くを通りました。
ああ~懐かしいコースの一部を走り抜けます。

天橋立から500mほど離れた
宿についたのが午後4時。
窓からは天橋立の海が見える。



右手の黒い松林が天橋立である。
逆さ向いても天に架かった橋には見えません。

まだ時間があるので、
部屋で荷物を片付け
すぐに天橋立まで歩いて
遊びに行くことにしました。

雨上がりの道をてくてくと進んでいくと、
橋立も徐々に近づいてくる。



この天橋立地域の古いお話に
「久世戸縁起」という神話があります。

むかしの統治者はこの神話に基づいて
自分がこの地を統べるのに
ふさわしい人間であることを
説いているそうです。

天橋立の大天橋と小天橋の間の松も
「久世の戸」と言われているそうだ。



天橋立の南側には文殊様があります。



「天橋山 智恩寺」

この地方では「切土の文殊」、
「久世戸の文殊」といわれて
親しまれているようだ。

この文殊の横にあるのが「知恵の輪」。



この知恵の輪を潜り抜けたものにのみ、
文殊様の知恵が授かるそうだ。

むむ~、これはきわどい行為となりそうだわい。
まあ、もう文殊はいらないから
無事に元気なだけで
とまっておいてもらいましょう。

文殊様の中にはほかにも
「力石」や



「三種の地蔵菩薩」なども



建てられているし、
山門は黄金閣と言われる
市の指定文化財の丹後地方最大の山門です。



う~ん、脳梗塞にも効き目がありそうです。

そんな智恩寺を出て、次は橋立に向かいましょう。
これが、橋立に架かる回転橋です。
継ぎ目がこんな風になっていて、



船などが通るときには
くるりと回ります。

こんな感じ。



これは帰りなんですが、
おおきな砂利トラが通ってました。



ふーんと思っていると、
ネコがぶわーんと走ってきて、
動いている橋を渡っていき寄りましたぜ。

そのあとは、ぶらぶらと
こんなお店をみて歩きます。

「ぶりのかま煮」に
「あさりうどん」



うまそうですねえ。



おお~、こんなお土産屋さんもあります。



駅横には「立ち寄り湯」がありますねえ。



まあ、観光地としては立派なところです。

でもねえ、doironたちには
やはりカニ鍋が待ってます。

あの、東北の大震災の日に
ここを訪れて以来の
カニツアーですな。

あ、ランニングクラブで
毎年行ってますけどね~

ひと汗かいて、宿に帰りました。

遅めの夕食時間を言ったので
まだ時間がありますから、
では温泉へと行きましょう。

もう宴会部屋では温泉が始まっています。

最初の部屋の案内の人に聞いたら、
今日はまだすいているそうです。
平日やもんなあ。

風呂に入ると、なんと貸切りでした。



露天風呂でこんな写真撮影も可能でしたよ。

たっぷり一汗流して部屋に戻り、
さあ、カニへと進んでいきましょう。

まずはカニを前にして、
doironの無事生還と
ミセスの不安が免れたことにまずは乾杯。

そしてまた、
doironのさらなる自分なりの遊びが
充実することなどもお祈りいたしました。

まあ、よかったですねえ。

こうして何事もなく、
天橋立まで出てきて、
カニが食えるようになって。

まず最初に出てきたのが、
カニの刺身と作りです。



食べ放題のコースもあったけど、
今回はこれで十分。
一通り食べた後は、
つぎはカニ好きと天ぷらです。



むむ~一人あたり、カニ2杯くらいかなあ。
まあ、年齢的に考えてこんなもんでしょう。



最後に雑炊を食べて完了。
あ~おなか一杯になりました。
部屋に帰宅後、さらに温泉に
もう一度浸り、カニの癒し旅行は、
明日の帰りの歩行を残して、
これでほぼ完了です。

ええ、ミセス孝行できましたあ。


始めて歩いた福知山 4

2015年12月24日 20時44分04秒 | ウォーキング

福知山城の中にある井戸は、
その深さが50m。
城中の井戸の中では最も深いといわれている。



そこまで行くと、
もうこんな山の中なのに
由良川の水面どころか、
海抜よりも7mも下になっているそうだ。

さぞやくみ上げるのもたいへんやったでしょうねえ。

城にとって、井戸の水は
生活にも必要だろうし、
戦いのときにも籠城のかなめとして
欠くことのできないもの。

福知山藩主の慎重な性格が
うかがえるこの井戸には、
当時の藩主の神号を取って
「豊磐井」という名前が
付けられています。

参加費無しでみられる部分ですから
しっかりと見学しておきましょう。へへ。

では、こんなもんから外に出て、



さあ下っていきましょう。

あ、ここにも転用石の展示があります。



中には1300年代の年号が
入った石もあったとのことで、
なかなか面白いものです。

むかしこの福知山地方には
石材を切り出す産業もにぎやかにあったとのことで、
そういえば歩いていてそういうお店をよく見かけました。



城の坂道を下っていき、
もと来た道に戻ります。

駅に向かって歩いていきますと、
役所街ですねえ。

裁判所なんかもありました。



そしてその先には市役所があります。



立派な市役所ですねえ。
屋上のマークを見てみますと、
なるほどあれが市のマークですか。

マンふたの中央にあるマークが
ようやくわかりました。



このマークの意味は・・・
なんとカタカナの「フ」の字を
9つ並べたものだそうです。

「フ」「九」ちやま・・・なんてね

この日は平日なので、
みなさん熱心に仕事をされていますねえ。
ああ~自分もかつてはこういう世界にいたんですねえ。

市役所の前庭にはこんな時計台が。



駅前や御霊公園にあるからくり時計が
ここにもあるなど、
なぜかこの地方は時計の置物が好きですねえ。

あ、そういえば大変です。
時計を見て思い出しました。
昼飯をまだ食べていません。
これ以上昼飯が遅くなると、
晩の「カニライス」に響きます。
ていうか、もう響く時間ですから、
ここはそうもう簡単な昼食にしておきましょう。

うまい具合に、お肉屋さんで
揚げたてのコロッケを売っていたので購入。
あとはスーパーで簡単な弁当を
1個だけ買って分け合って食べましょう。

しかしこんなことならあの
「ゴム焼きそば」を食べておけばよかったかなあ、残念です。

仕方なく歩いていくと、
おお~さすがにここは雪国なんでしょうか。
商店街の入口あたりに屋根がついてます。



「う~ん、これは雁木かなあ」

などというと、ミセスが驚いていました。

だって、脳こうそく以来
簡単な名前でもなかなか出てこなかったりするのに、
よくもまあ「雁木」なんて言葉が
出てきたなあってね。

確かにそうですねえ。
よくぞ思い出しました。

で、実際そこが「雁木造り」なんかどうなんかというと、
そんな記述はどこにもありませんでしたねえ。
帰って、ネットでも見ましたけど、
そこにも書かれていませんでした。

さあ、これで途中のスーパーで、
弁当を一個買い、
結局駐車場の車で食事して、
トータル6キロ程度のウォーキングは終わりです。



マラソンで散々走り回った後の福知山。
距離は短かったですが、
いろいろあったところでした。
ほんらいなら、
まだまだこの後今のマラソン会場の
三段池や由良川沿いに歩いて
「新音無瀬橋」まで歩くコースもあるのですが、
まあその辺はまたいつかめぐることもあるかもしれません。

でもまあ、火曜日に福知山に行くのは
やめたほうがいいですね。

駅前の安い駐車場から車を出して、
さあここからは一般道を車で走りつつ
天橋立に向かいましょう。

走るだけだった福知山を、
始めて歩いた旅の一区画、

これにて終了です。


始めて歩いた福知山 3

2015年12月23日 21時43分39秒 | ウォーキング

いろいろとありましたが
とりあえず福知山の続きに向かいます~。


広小路の突き当りにある川は「由良川」です。



そのふもとに水天宮社稲荷大社があります。



近畿北部最大の河川がこの川で、
多くの動植物がたくさんの恩恵を受けると同時に、
人々の暮らしにも大きく影響してきました。

近年では、大水によりこの川があふれ
増水被害が出たりしています。

そんな河川の大きな橋がこの

「水無瀬橋」です。



今回の橋がなんと6台目。
古くから交通の要所として
活躍していたんですねえ。

この橋の下には、広い河川敷公園があります。



実は、福知山マラソンの初回は
ここの河川敷がスタートゴール
だったように思います。

あの頃は楽しかったなあ、
今度こそ3時間切れるやろ
とか思いながら、
毎回レースを楽しみにしていたものです。



こんな浄土真宗のお寺なんかを眺めながら、



そのまま道を南下していくと、
突き当りが「福知山市丹波生活衣館」なんです。



しかし、な、なんと
この日は定休日でした。



げげ~、だいたいこういう施設は
月曜休みが多いからと思っていたのですが、
なんとここらは火曜日が休みのところが多いです。

入場無料だったのになあ~。
残念です。

そっから北のほうを向いて
進んでいきましょう。

福知山城の公園があるはずです。

お~、ここで福知山のマンふたを発見です。
もうわかりますよねえ。



福知山音頭と福知山城が刻まれています。

とそうしているうちに、
道は福知山城の入口へと入ってきました。



この入口には佐藤太清の
記念館もあるはずなんですが、



やはり定休日でした。



彼は自然の風景や花鳥を題材にし、
現代的な日本画を書き連ねた人ですから
楽しみにしていたのですがねえ。

もうまったく定休日のチェックをしていませんでした。

仕方ないのであきらめ、
お城のほうへと上っていきましょう。

休館日を見ると、
やはり火曜日ですねえ。



でもこの城は高台にあるので、
まあ眺めはよいでしょうから
一度眺めに行ってみましょう。

てくてくと上っていきますと、
前から降りてくる家族連れも悔しそうでした。
そやねえ、家族連れの団体で来てるのに残念でした。

結構な急坂を上りきったところが



広場になっています。
下から見上げたところが
こんな感じです。



この城は、天正年間に明智光秀によるもので、
三層四階建てで、床面積は1063平米。

うう~、中に入ってみたかったなあ。
仕方ないので周りをうろうろしておきましょう。

これが、由良川のほうを見下ろした景色。



天守前広場の一角に、
いろんな形の石が積み上げられています。



これはなんと、この城の石垣の石の一部です。

ここはもともと、
「野面積み」「乱石積み」と言われる
石の積み方で、
明智光秀建築当時の姿がとどまっています。

不揃いの大きさの石を中のほうで組み合わせ、
隙間に石を補強的に入れてあるもので、
結構頑強だそうです。



なので、石垣の中から
中世の宝篋印塔や五輪塔の礎石が
たくさん出てきたそうです。



写真にもたくさん写っていました。
まあ、こんなことはよくあるようです。

姫路城にもこういう石が使われていたり、
安土城では上りの階段の石も
こんなものが使われていましたもんね。

ここに展示されているのは、



旧福知山城の鬼瓦を、
福知山と旧大江町の
「日本鬼師の会」が原寸復元したものだそうです。

そういえば、かつて「旧大江町」の時代に
ここが行ったトレイルランを走ったことがあります。

大江山という結構急な山を
登り降りてくるというレースでしたなあ。

あの残酷マラソンの主催者の人と
途中知り合いになりました。

合併してもうあのレースはなくなったのかなあ。

あの平成の大合併で
亡くなったマラソン大会も結構あるんやろうねえ。



お、こんな大きな井戸があるぞと続く。


グーちゃん、安らかに

2015年12月22日 20時47分48秒 | 生活

平成2000年に生まれたグーちゃん。

doiron44歳の年に生まれて
すぐに我が家にやってきました。

今から思ったらすぐですねえ。
後半はdoiron家の高齢者夫婦と
楽しく過ごす日々を送り、
両親が亡くなって約1年で
グーちゃんもこの世を去りました。
今日でした。

以前から、
グーにはがんが見つかっており、
余命半年と言われたのですが
もう2年近くも生きてました。

口にできた大きながんが、
半年前には大きく膨らみ、
何も食べれなくなったのですが
親父の吸い飲みで水をやってたら、
奇跡的にがんは小さくなってしまいました。

親父の保護か、
あるいはグーちゃんが
口の中をかみ切ったからかもしれません。

それからしばらく、
親父ががんを直したかも
と思っていたのですが、
doironが退院してきたころから
また口がどんどん膨らみ始めました。

夜寝ているときに彼の姿を見ると、
口は半分開いていました。

でもね、食べれるのです。
ごはんとなったら元気にはしゃぐのです。
水だって、ちょっとこぼしながら
普通に飲めるしね。

どうなるのかなという具合でした。

それでも病気は一気に進み、
腫瘍は両耳まで広がりました。

もうたぶん何も聞こえないでしょう。
そしてついに、
今朝は何も食べられず、
ついに腫瘍は脳の肝心な部分まで
犯してしまったのでしょう。

いわれのないまま病院に行きましたが、
見事にそこで亡くなりました。

15歳と3か月。

楽しい時間をいっぱいありがとうございました。



グーちゃん、安らかに。