ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

添乗員の心得

2011年10月31日 22時37分07秒 | マラソン

昨日は大阪マラソンの
応援に行ってきた。
昨日も書いたが
最終的に15名(うち子ども2名)を
引き連れての
大応援ツアーであった。

それにしても
3万人はすごい。
次々やってくる選手、選手、選手。
そんな中から
皆さんそれぞれの
お目当て選手を
見つけるのは至難の業だ。
高速で混ざり合ってる
マージャンパイを
すばやく積み込みするほうが
たやすいかもしれない。

最近は目が回るほど
仕事も忙しいが、
せっかくの休みでも
沿道からの選手探しでここでも
目が回りましたぜい。

まず最初はスタート後300m地点。
それから10キロ地点に
移動しました。
あらかじめ調べておいた
地下鉄の出口番号の
情報がこのときとても
役に立ちました。

おかげで、こんな選手や



こんな選手も見つけましたが
(さてどれでしょう)



その時点での皆さんが応援の目当にしている
選手の通過には気づきませんでした。
後でわかったのですが、
あらかじめ予想していた
通過タイムより
ずいぶん早く通り抜けたようです。

最初2回はそんな風に
お目当て選手を見つけられなかったので
応援監督兼応援ツアー添乗員のdoironは
次第に焦り始めました。

このまま選手を見つけられなかったら・・・

「金返せ~」といわれるかも
(びた一文もらっとらんけど・・・)

かくなるうえは
23キロ地点の大国町では
必ず見つけなくてはと
ちょっと移動距離が長くなるので
気持ち急ぎながら
駅に向かいました。
天満から大国町へ
地下鉄で移動です。
しかし、こちらも15人をひき連れています。
これだけいるとなかなか一筋縄ではいきません。

あらかじめ地下鉄の時刻表を調べてあるので
少々余裕もあることはわかってるから
とたかをくくっていたら、

駅に着くたびに
「ちょっとトイレに行くわあ」と数人が離脱。

ぎょえ~、
あと一分で電車が来るのにぃ~
と、緻密な計算で動いている
doironの完璧計画が
ベルリンの壁のようにガラガラと
音を立てて崩れていくようだ。

さすがにチャック開けたままで
引きずり出してくるわけにもいかないので
仕方なく予定していた1台をスルー。

何とか次の電車で乗換駅へ。
するとそこでも
別の人が
「トイレ行くわあ」

え?さっき行かなかったの?
「行っとけよ~」と叫びたくなる
気持ちを抑えて
ここでも大人の対応だ。

「はいはい」と観念しました。

で、ここで添乗員の心得その1

トイレのご利用は計画的に!

です。行きたくなくても
いけるときには無理やり
済まさせておきましょう。

そうして何とか
通過予想タイム内に大国町に到着。
あらかじめ設定していた
応援ポイントに
歩いて100mほど移動しました。

まだ通過していませんように
と祈るような思いで
回る目を制御しつつ
必死で探していたら
予想タイムの1分35秒前でした。

「発見!」の声が・・・。
わあい
ようやく撮影も出来ました。

しかし「白線から出ないでください」と
注意されても、言うことを聞くのは
そのときだけで、
もう暴徒化しつつあるツアーの連中。

マラソンのため休業している
お店のショーウインドが
叩き割られるのも時間の問題です。
って、そんなことはないない

冷や汗をかきながら、その地点で
選手数人の応援を何とか無事に済ませて
次への移動のため
再びツアーを召集したdoironであった。

次は8キロ先の玉出に移動です。

「はーい皆さん、次は玉出に行きます~」
と説明をしたら
ツアーの中の一人が
「あら~、スーパーに行くの?」だと。

お願いだから~と言いつつ
ひざから崩れそうになりました。

そこで添乗員の心得その2

「ツアーは事前にしっかり確認させて起きましょう!」

です。

あらかじめ応援計画を冊子にして
配ってあったにもかかわらず
諦めにも似た、無力感を感じました。

とはいいつつも、再び気を取り直して
時刻表をチェック。

「次の電車まであと5分あるから
トイレにどうぞ~」と
親切に呼びかけたものの
そこでは一人も動きませんでした。

ぐすん

添乗員としてまたまたここでも
無力感を感じましたわ。

しかしマラソン、トライアスロン、
ウルトラマラソンで鍛えた精神力は
これくらいでは折れない。
再々度気を取り直して
「ではホームに向かいます~」と
呼びかけるdoironの頭には
ハロウィンのカチューシャが乗っていました。

最初の応援時につけてたこれね。



実は地下鉄では、さすがに恥ずかしいので
最初は車内ではそれをはずしていたのですが
みんなからブーイングが出て
ハロウィン目当てに必死について行ってるのだからと
再び無理やりつけさせられました。

そこで、添乗員の心得その3

添乗員の服装、装備品は派手に!
出来ればやはり旗を持ちましょう。

です。

もうこの時点で気疲れして
フラフラのdoiron。
何とか30数キロの地点である玉出で
いずれも予想タイムを少しオーバーして
通過していく選手のひとりを無事撮影しました。



(さてどれでしょう)

ここでも選手数人を見送って
ようやくこれで添乗員の
役割も終わりです。
あとはゴールに向かうだけですからね。

しかしなんとゴールに向かう
ニュートラムは超満員。
ホームに入場制限までされていました。

「はいはい2列に並んでください」
と呼びかけたりして
添乗員癖がすっかり染み付いてしまった
doironなのでした。

ゴールに着くと
そこには恐ろしい人数の
人がいました。
正月の住吉大社か
このゴール会場かってくらいです。

南港が人の重みで
沈むんじゃないかと心配したほどです。

疲れました。
走るより大変だったかも。
なあんていったら
走った皆さんに失礼ですね。
お疲れさんでした。
doironも燃え尽きましたわ。


今日は大阪マラソン

2011年10月30日 17時06分29秒 | マラソン

朝、四時半に起きて電車に乗り
応援に行ってきました。
ご近所のランナー
ルネのランナー
昔からの知り合いランナー
職場のランナー
総勢で30名ほどが
参加しました。
3万人が走ったわけですから
まあ、0.1%ほどの人が
doironの応援対象だったわけです。



スタート前の大阪城公園。
スタート後300m地点くらいです。

doironが応援に回っていることを知り
引き連れる応援団が
徐々に膨れ上がり
最後には総勢15名くらいの
応援団を引き連れての
応援ツアーとなりました。

レース後打ち上げに
ご招待いただいたので
これから参加してきます。

詳細は後日紹介いたします~


介護運動会

2011年10月29日 22時19分54秒 | 生活

今日、施設にいるスーちゃんを
見舞ったときに
エレベーターのなかで
奇妙な張り紙を見つけた。
これ



明日30日に開催されるらしい。
残念ながら、大阪マラソン応援のため
駆けつけることはできないが
ひじょーに興味が沸くと言うか
想像力をかきたてる張り紙であったので
こっそり撮影をしてきた。
あわてて撮影したので
写りは悪いが
まあ何とか読めるでしょう。

で、doironがかきたてた
想像はどんなのかと言うと・・・・・・
あくまで想像、いや妄想といっていいと思います。

本気で読まないでね

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

線香の煙たなびく絶好の運動会日和。
会場には万国旗の代わりに
色とりどりの紙おむつがはためいています。
選手は菊組と蓮組に分かれ
選手控え席には、祭壇のように
菊組には菊の花、
蓮組には蓮の花が敷き詰められているようです。
その前にはくるくる回る走馬灯のような
提灯がおかれてあるのは言うまでもありません。

会場内にはお清めの塩が撒かれ
トラックには焼香が敷き詰められています。

そうそう、テントには
お医者さんと看護師さんに加えて
お坊さんも控えている。

おっと、忘れちゃいけないのは
この大会のスポンサーは
ご近所の葬祭会社
「極楽ホール」と「成仏殿」である。

2社もスポンサーがついているから
華やかですねえ。

関係者が笑顔一杯で、まだかまだかと
てぐすね引いてお客様の
ご利用をお待ち申し上げているそうだ。

まずはさっそうと葬送行進曲に乗って
選手入場だ。
大会関係者の弔辞じゃなかった
遺言でもなかった
「送る言葉」の挨拶が述べられて
茶碗が割れるのを合図に
大会が始まるのであった。

大会は張り紙に書かれた
競技の順番で
厳かに執り行われていく。

最初の競技は「シーツ運び」
シーツにくるまれた選手を
別の選手数人で車椅子で引きずっていく
「およねさん、食いすぎじゃあ、重い~」
「ゴンじいさん、もっと体を丸めて」
と怒号が飛び交う中
競技は無事終了。

次は「砲丸投げ」だ。
テントの医療関係者と
お寺関係者がにわかに浮き足立つ。

最初の選手が登場。
おーっと、手に持った砲丸を足の上に落とした。
骨折です。骨折です。
すぐさまストレッチャーが運び込まれてきました。

続く選手はそれを見ていたので
しっかりと砲丸を手に持っているようです。

サークルの中で
パートナーであるヘルパーが車椅子を
くるくると回して、砲丸を投げ・・
おーっと、肩が外れた模様です。
ヘルパーが必死で肩の関節を入れようとしています。

三番目は・・
ん?どうやらけが人続出につき
一人も投げられないまま
中止の要請が出たようです。
これは仕方ありません。

さて気を取り直して
次は紐引きです。
綱引きではないんですね。
これは身の丈にあった
競技ですねえ。

二人の選手が車椅子で向かい合い
紐を引っ張りあいっこです。

おっと早くも白熱しているぞ。

先ほどシーツに包まって運ばれていた
オヨネさんとゴンじいが
それぞれ、腰紐を引っ張り合いっこしています。
そして、抜けた抜けた!
ゴンじいのパンツがずり下がって
オヨネさんの勝利です。

またもう一組は
クビに撒いた襟巻きと
おしゃれな棒タイを引っ張りあいっこしています。
二人とも顔が真っ赤です。
おお~、ついに襟巻きばあさんが
口から泡を出しました。
棒タイ爺さんの勝利です。

と和気あいあいと競技が進んでいきます。

四番目の競技は本日のメイン競技
「パン食い競争」です。

例によってヘルパーさんと
ペアで競技が進みます。
この日のために
3日間ご飯を与えられなかった
選手達は必死の形相で
パンに食らいついていきます。

のどに詰めた選手には
ラグビーの魔法のやかんのように
魔法の急須が供給されます。
それを背中を叩かれながら
飲むわけですね。

パンを食べてようやく
こばらもましになった選手達は
満足げで、早くも
居眠りを始める選手が続出しています。

お~と、
コースにつるされ
残っているパンに
入れ歯が三つ残っています。
そしてその横には
パンを加えたままぶらさがり
足をばたばたさせているじいさんもおります。
関係者のすばやい撤収が望まれるところです。

さて競技も後半に入ってまいりました。
ここでもう一度張り紙を
確認しておきましょう。



この後も、ボール運びや
職員による二人三脚などが
奇声や悲鳴が飛び交う中で行われ、
いよいよ最後の競技
「紅白玉入れ合戦です」

男性陣が紅白に塗った
自分の玉を紙おむつから
はみ出させております。
それを女性陣がひとつずつ
オムツの中に入れていく競技ですが、
これはブログ倫理委員会、略して
ブロ倫に抵触する表現となりますので
省略させていただきます。

とにもかくにも
介護施設の運動会は
衝撃映像満載です。

ああ~明日は見に行きたかったなあ

*なお、登場人物ならびに
シチュエーションは現実の施設とは
何の関係もなく
あくまでdoironの頭の中で
繰り広げられた妄想です。
実在する施設とは何の関係もありませんので
ご理解ください。
良い子は決してまねしないでね。

ヒンシュクものですみません。


もうすぐ大阪マラソン

2011年10月28日 23時33分46秒 | マラソン

走り始めて23年。
マラソンがこんなに市民権を得て
大阪市内を数万人のランナーが
駆け回る日が来るとは
予想もしていなかった。

学生の頃は山登りのために
下宿周辺でジョグしたり
社会人になってからも
職場の仲間とサッカーを楽しんだり
していたから、
5キロくらいなら何とか完走できるかな
と思って、職場の仲間と
大会に出たのが最初だった。
当時、5キロレースでさえ
カーボローディングしなきゃ
なあんて思っていたほどだ。

初めて10キロを走って
そのあと車で10キロ走ったときには
人間てなんて長い距離を走れるんだと
感心したりもしていた。

その頃は
フルマラソンを完走したことのある先輩達が
まるで神様のように見えていた。
初めてのフルマラソンを走る前に
経験者の話を聞いたら
それはそれは過酷で
全身筋肉痙攣をおこずぞと
脅かされていた。

そのため半年かけて
距離を踏む練習をし
初めて走ったフルマラソンは
出だし余裕、中盤余裕、
後半アップアップ
でも3時間19分でゴールでき
一箇所の筋肉痛もなく
その半年後にイケイケどんどんで走り
後半の地獄を味わったものの
3時間9分をたたき出した。
これはもう少しでサブスリーだと
思ってから15年間40レース以上は
3時間一ケタの結果ばかりであった。

その間にトライアスロンに出会った。

出場選手はみんな陽気で楽しく
ウェアも異常に派手で
そんな世界の居心地がとても心地よかった。

その頃は超長距離のレースも
何の苦もなくこなすようになっていた。
元気な頃は
スイム2キロ、バイク200キロ、ラン43キロの
トライアスロンを完走直後でも
もう一度スタートしても
完走できるぜ!くらいの余裕があったもんだ。

トライアスロンで鍛えた
持久力を武器に
100キロマラソンで
念願のサブ10を達成し
250キロマラソンも完走できるようになった。

気がつけば、走り始めた頃に比べて
そういう意味でまったくの別人状態に
なっていたわけである。

そしてそんな競技にのめりながらも
トラオフの冬には
マラソンを走り続けていたのだが
トライアスロンに比べて
スタートラインに並ぶ選手は
ストイックで地味で
何か思いつめたような選手が多かったもんだ。

そうこうしているうちに
腰だの貧血だのと故障を重ね
心臓まで悪くして
挙句に死んでしまったdoironなのだが
今ここに、さまざまな抱腹絶倒、紆余曲折
波乱万丈を経て
メジャーでおしゃれな
大阪マラソンなる大会の
開催を見届けるにいたっている。

本来なら、doironも絶対走ってる大会だ。
抽選にもれても
人脈とコネとズルとあらゆる手段を
駆使してでも走っていただろう。

本当に残念である。

昨年だったら絶対走っていただろうな。
走りながら、以前に比べて
明るく楽しく派手になってきたマラソンという
競技を感慨深く眺めることが
出来ただろうにな。

今は叶わぬ夢ではありますが
参加される皆さんは
結果も楽しみでしょうが
長い歴史の果てに生まれたこの大会を
しっかりじっくり楽しんで走り
走れる喜びを心から感じて
自分を愛してあげてくださいね。

沿道に応援で出没しますからね~


零余子

2011年10月27日 22時29分43秒 | 自然
「零余子」と書いてなんと読む?
昔々、中国に
「零余子」という名のたいそう可愛い娘がおったそうな。
その娘は顔が丸くコロコロしており、
それはそれは気立てのよい娘じゃった。

という話ではない。

丸くてコロコロしているのは確かだが、
これは

「むかご」

と読みます。
やまいもなんかの葉腋につく、
球状の芽で地面に落ちると根を出して
新しい個体となります。
子孫を増やすための仕組みです。
大きさは小指の頭ほどで、
調理して食べると小さな丸い粒の中に
やまいもの香りとコクが凝縮されていて、
野趣に富んだといいますか、
素朴なと言いますか、
とにかく季節ものとして、
ありがたい味がします。

あ、そうそう、零余子はいろんな植物につく
栄養繁殖器官の総称なんですが、
ややこしいのでここでは
やまいもの零余子に限定して
話を進めます。

零余子は秋の季語であるように、
秋の盛りにたくさん実ります。
海のダイヤがナマコで
畑のダイヤが小豆なら、
零余子はさしずめ秋のダイヤといったところでしょうか。

先日、気分転換に出かけた
泉南の山で見かけたので
少しだけ収穫してきました。

この零余子を採るのは意外に難しいんです。
零余子は実が取れやすく、
やまいもはツル性のため、
一個とろうとすると、
その振動で周りの零余子が
ポロポロと落ちてしまいます。

いったん落ちてしまうと、
地面の色と同じなので見つけにくいし、
いま落ちたものなのか
それとも以前に落ちて
すでに虫食っているものか
区別がつきにくいため、
あきらめるほかはありません。

少しでも大きい物を採ろうと、
無理に手を伸ばしたり、
ツルを引っ張ったりすると、
それこそ雨あられのあられのように
周りの零余子がボロボロボロッと
大量に落下してしまいます。
そうして、人間よくばったら
ろくなことはないという教訓を
零余子に教えられる羽目になりますから要注意です。

では、どうしたら効率よく収穫できるか。
いい方法があります。
地面をあらかじめきれいに掃除しておき、
落ちた零余子をあとで拾う?
いえいえ山の中でそれは無理です。
落ち葉をどけてきれいに掃除しようとしても、
落ち葉の下から得体のしれない虫が出てきて
ぎょえ~
とのけぞるのが関の山です。

ではどうしたらよいか、
それは零余子のツルの下で、
傘を広げてさかさまに持っておけばいいのです。
そうしてボロボロと
傘に落ちたものを
後で収穫すればいいのです。

ま、たいていは山の中なので、
傘を広げるスペースの確保に
苦慮するところではありますがね。

泉南の山では、傘もなかったので、
できるだけツルをゆすらないように、
そろりと収穫してきました。
なので、採れたのはほんのわずかでした。
でもこれでいいんです。
取り損ねたり、
地面に落ちたものは
山の生き物にあげましょう。

ほんの10粒くらいだったんですが、
知り合いにあげたら
零余子飯(むかごめし)を炊いたから、
と写メを送ってくれました。



味はどうだったか聞いてません。
もっとも、味わうには、
数が少なすぎたようです。

それでも、秋の実りであることには
変わりはありません。
炊けたごはんに
まばらにのってるツブツブが、
doironの顔のブツブツに見えたのかもしれんのう。

虫の知らせかな?

2011年10月26日 21時20分29秒 | 最近の出来事

doironを囲むいろんな人が
幅広い環境の中で
懸命に生きている姿を見ながら
力づけられている。みたいな
ブログを昨日書いたばかりなのだが
そんな幅広い生き方を
自分の中だけで演じ続けた作家が
偶然にも前日に亡くなったという
ニュースが今日報じられた。
北杜夫氏である。

奇しくも昨日ブログを書きながら
頭の片隅に浮かべていたのが
その人だったので、
今日のニュースには
腰が抜けるほど驚いた。

周知のように、彼は
躁鬱のケがある人であった。

躁のときに書いたマンボウシリーズは
doironが小説に興味を持つ
きっかけとなったシリーズだった。
大学も、彼が描く青春期の
世界にあこがれて
下宿暮らしの大学を選んだほどだ。

欝のときに書いた小説は
そんなに読んでいないが
「楡家の人びと」は
かの三島由紀夫が
絶賛した小説だったという。

躁と鬱の狭間に生き
極端から極端まで
幅広い心の荒野を
さまよい続けた人であったから
凡人には到底到達し得ない境地で
文章を綴った人でした。

凡人doironは自分の中に
そんな幅広い世界を持っていない代わりに
周りの友達がバラエティ豊富なもんで
そんな中で、右往左往しながら生きている。
そういう意味で北杜夫とは違うけど
広い世界を持ってはいるということで
幅広く楽しいブログを綴ったり、
いろんな気持ちを理解できる
そんな人間でいれたらいいなあと考えながら
昨日は書いていたから
彼の死は
まさに虫の知らせという他はない。

S新聞ではコラムの最後に
ある記者が
どくとるマンボウ天国記を
読んでみたいと締めくくっているが
まったく同感である。

どくとるマンボウまらそん記
なんかもあればなおよろしかったのだが・・・

ご冥福をお祈りします。


腐らず、淀まず

2011年10月25日 23時48分47秒 | 生活

今日は小気味よく
寒くなりましたね。
気がつけばもう10月も後半。
来週は11月だ。
風に揺れる街路樹も
そろそろ色づき始めた。
今日のように急に気温が下がると
世界にぽっかり穴が開いたような
気がするなあ。

「枯れ葉よ~」
思わず歌いたくなりますねえ。

そんな気候を反映するように
今日は知り合いが
安定剤をがぶ飲みして
救急搬送された。
病院で彼になぜそんなことをしたんだと
聞いたら
「僕なんかおっても仕方ないと思って・・」だと。
馬鹿なことを言うんじゃない!
と、言ってやりたいが
それはあまりにも酷ってもんだ。
こんなときには
他人ていうのは無力なんだな。
すべてはその人の持つ
生きようとする力に頼るしかないのかな。

そして一方で、最近ようやく
うつ状態から脱して
そろそろ忘年会を計画しようぜ!などと
楽しいメールを送ってくる友達がいたり

いろいろな問題を抱えつつ
暮らしも大変なのに
今日も飲み会ではじけている風の
メールを送ってくる友達もいたりする。

何かとこの季節は
人恋しくてか、物悲しくてか
人、それぞれに心をがさがさと
動かしやすい季節なんやね。

流れる水は腐らない。
動く空気は淀まない。

おかげさんでdoironは
日々様々なことに
悩んだり、喜んだりすると同時に
そんないろんな友達にも囲まれて
腐らず、淀まず生きてまふ。


会議、会議、会議

2011年10月24日 22時18分38秒 | 仕事

 「会議は踊る、されど進まず。」
という言葉は、
フランス革命とナポレオン戦争終結後
ヨーロッパ諸国が集まり
秩序再建と領土分割を目的に
開催されたウィーン会議を
時代背景にして生まれた言葉だ。

この言葉からとった

「会議は踊る」

という映画は、
お偉い人と街娘の
夢のような逢瀬を描いた映画である。

実際に見たことはないが、
タイトルの名前にひかれて
気にはなっている映画の一つだ。

しかし、この言葉を実際の仕事にあてはめてみると、
なんともやるせない職場の実態が
浮き彫りとなる。

というのも、
今日も一日会議に明け暮れたのだ。

午前中は団体さんの要望を聞く会議。

ええい、そのメンバーときたら
好きなことばっかり言いおってからに。
会社全体を見渡せば、
そんな好き勝手な要望ばかり出てこんやろ、
というような気持ちが踊る。

そして午後はまた、
今後2年間かけて、
我が社が取り組むべき
ある重要案件の情報共有会議だ。

うまくいけばいいなと心が躍る。

それが終了したら、
すぐさま部内会議だ。
今朝の要望会議についての報告を
取締役に説明する会議であった。

報告をしながらも
そのときのやるせなさが
よみがえってくる。

またまた、憤懣やるかたない気持ちを躍らせた。

そして締めくくりは
そのまま引き続き
doironの部署の問題を
みんなで議論する会議に
突入した。
白熱議論は続き
終礼が鳴っても
終わる気配は全くない。

帰って走りたあい

と言う気持ちを抑えつつ
議論に舌を躍らせる。

結局、この会議の
結論は明日以降に持ち越しとなった。

「会議は踊る。」という言葉には
いろいろ話し合っても
堂々巡りで、ちっとも前に進まない
みたいなニュアンスがあるよねえ。

今日一日もそんな感じで
結局帰りの車を走らせながら
むなしさだけが
残った一日だった。

振り返って考えてたら
別の言葉も思い浮かべたdoiron。

「問題は会議室で起こってるんじゃない!
現場で起こってるんだ」

う~ん、それがぴったりかな。


手帳お買い上げ

2011年10月23日 23時43分00秒 | 最近の出来事

来年使う手帳をようやく買った。
思えばdoironの手帳の歴史は
こだわりの歴史であった。
今日もいろいろと胸に秘めて
手帳ショッピングに向かったのであった。

で、どんなこだわりだったかというと
今年の手帳のコンセプトは
「軽薄縁濃」だ。
軽くて、薄くて、縁起がよくて、中身の濃いやつね。

ではどんな買い物したかを
書く前に、まず最近の社会情勢から
垣間見てみることにしよう。

最近、この時期になると
よくいろんな雑誌で
「大人の整理学」やら
「デキる男の情報整理」
といった特集が組まれているのを
よく目にする。
あのジョブズ氏の手帳学
みたいな本も見かけたような気もする。

だがdoironは「大人」というには
あまりにも無邪気で
「デキる男」とは程遠いことは
自分でもよくわかっている。

いい大人が自分のことを
doironなどというふざけた名前で呼んだり
目玉焼きさえ上手に焼けない男が
「デキる男」なはずがない。

先日も、夕方コンビニで
ワインとパンを買い
「これで、紙袋にでも入れてもらって
持って帰ったら、フランス人みたいやなあ」と
自分にうっとりしているところに
友達から電話がかかってきて
思わず「ボンジュール」と
応答してしまったdoironだ。

そんな、「子ども」で「デキない」doironなのだが
それでも情報整理にはそれなりにこだわっている。

本当はね、まだ
「これだ!」っていう
整理学を極めていないんだよね。
何かしら不満があって
毎年少しずつ替えようとするのだけど
変えたら変えたで
別な不満が浮き彫りになる。
なかなかね~、これという
整理学には出会えないでいる。

そもそも、きっちりと整理しなければ
ならないほどのこみいった情報も持ってないしな。
ええかげんな情報ばかりで
それをきちんと整理するのも
面倒ときているから、
そんなずぼらな人間性を変えずして
きちんと情報管理などできるはずがない
と、最近うすうす気づいてきてはいる。

そこんとこを踏まえて
お店の数々の手帳を前にして
考えたのはこうだ。

まず日々の出来事は
だいたい、このブログに綴っているから
日記的な機能を今年は
手帳に求めないでおこうと考えた。

次に情報整理で大切なのは
ある予定に遅刻したり
ドタキャンしたり
ブッキングをしたりすることを
避けるための機能を持たせることだ。
来年はマラソン応援の日に
買い物の予定をいれてしまったり
寄り合いの日に飲み会を入れたりすることは
避けなければなるまいて。
そのため、予定欄はできるだけ見やすいものを
選ぶことにした。
ま、書く欄が大きければいいだけのことやけど・・

え?そんなんあたりまえですか?

まあまだ続きがあるんです。

次に手帳に求める機能は
備忘録的なメモ書きだ。
ま、これも最近は携帯の
メモ機能を結構使ってるということもある。
で「もなくてもいいというわけではないので
サブ的な使用ができるものでいいか。

と、ここまでは
コンセプトの「軽薄」部分にこだわって
選択を絞り込んでいった。

さて次は色だ。
これはコンセプトの
「縁」の部分に当たるんだよね。

選択に当たっては
この色が、科学的に気持ちを
高揚させるとか
意識を覚醒させるとか
そういう基準で選ぶ
というわけではない。
あくまでも「縁」すなわち
縁起よさにこだわっての選択なのである。
つまり、この色の手帳を持ってた年は
いいことが多かったなあ。
という、歴史学的事実に基づいて
選ぶということで、
今年は黄色を選ぶことにした。

それから大きさは胸ポケットに
すっぽり収まる幅のもので
住所録も少しはあるもの
カバーポケットに
数枚の名刺を忍ばせておけるもの
等々の厳しい条件(どこがや!)
を課して選んだのがこの手帳でした。



ま、よくある普通の手帳ですが、
決め手は、スケジュールの
予定欄が平日と週末で
形が違っていたことでした。
え?どう違うかって?
ま、手帳探しの際のお楽しみに
書かずにおきます。
手帳屋さんで手にとって御覧あれ。


今日は防災訓練

2011年10月22日 23時54分42秒 | 仕事

今日は大〇川河川敷で
わが社の防災訓練があった。
天気予報では大雨でしたが
doironの日頃の行いのおかげで
ほとんど雨も降らず
絶好の訓練日和であった。

社長、副社長も参加し
隊員はキビキビと動く
それなりにいい訓練であったと
社長も最後に言っておられた。

doironも感心して観覧しながら
一方で、我が家の防災対策に
いろいろ思いを巡らせたりしていた。

そうそう、
こんな訓練のときに
ありがちなのが
かかるべきときにエンジンがかからなかったり
段取りが微妙に狂っていることが
観客に伝わってくることだ。

今日も、ポンプのエンジンがかからなかったことが
2度あった。
観客の視線は
エンジンをかけようと焦って
何度も何度もスロットルのコードを
引っ張る隊員の手元に釘付けになる。
周りの人間も
「どけどけ、俺がやってやろう」と
引き手が何人か入れ替わるのだが
一向にかかる気配がない。
何人目かに代わったときに
ようやくエンジンがかかったときには
思わず拍手をしそうになっちゃいました。
そ、そういうことじゃないよねえ。

それと、気になるのが
会場を所狭しとカメラを持って
走り回っている広報担当者の動きだ。

あれ?そんな写真を撮っても
使いみちがないぞとか、そのシーンを撮るなら
正面ではなく側面からだろうとか、
この放水時には、いつも虹が出るんやけど
その位置から写せるか?とか、
ああ~、このときにこっちから撮れば
看板も、救助も、ヘリもみんな一枚に入るのに、
みたいな、昔とった杵柄で
心の中で叫んでしまうdoironなのであった。

ま、当時広報担当者だった頃は
写真にはそれなりに凝っていた。
そういえば最近のニュースの中で
新聞に掲載されdoironが感心した写真が一枚ある。
それは、ロイターが提供してS新聞に掲載されたもので
カダフィ大佐の死亡を告げるニュースの
片隅に載っていたものだ。
反カダフィ派の戦士たちが
戦車に乗り、銃をかざして
カダフィ派最後の砦のシルトを
陥落したときのものだ。

これ



まるで、一幅の名画をみるような一枚でしょ。
出来すぎ感さえ漂う
完璧な一枚だと思ったよ~

広報担当者だったときは
そんな写真が撮りたいと
いつも願いながら撮影をしていた。
ピューリッツア賞をとるんだあ

みたいなね。

だから、過去に何度もカメラを抱えて
参加したこんなイベントに今行くと
ついつい血を騒がせてしまうんだよな。
いきおい広報担当者の動きが気になるのであった。

う~ん、どうも近頃
マラソンも仕事も
あの頃がよかったなあなんて
少々懐古趣味でいかんなあ。

そんな風に
しっかり写真を撮れよ~などと
偉そうなことをいいつつも
実は今は、すっかり腕も鈍って
こんな写真をとって喜んでる始末なのじゃ



この、柿色の派手な服は
わが社の防災服なんですが
30年前に支給していただいたものなんです。
今でも着れる体型を
保てられてて
ほっとひと安心のdoironでした。