ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

老春還暦きっぷ2

2019年09月30日 20時54分42秒 | ウォーキング

さあ、週明けは青春18切符で
岐阜城巡りだということで、



いろいろと岐阜の事も
勉強しておきましょう。

まず何故「岐阜」という名前なのかを
調べてみましたよ。
諸説はあるのですが、
やはり中国の地名に由来している
というのが一般的に言われています。

鳳凰が舞い降りたといわれる
山」と
孔子の生まれ故郷である
「曲」を合わせて、
織田信長がつけたといわれています。

もしこれがただしいのなら、
都道府県名で中国の都市名から
生まれたというのが唯一
この岐阜県だといわれているのです。

もちろん岐阜城は織田信長が
城を奪って建て替えた
という歴史もあります。

織田信長の歴史も各地に残っていますねえ。
滋賀県の安土城も
かなり面白い所でした。

じゃあここはどんなところなんでしょう。

そんな風に基本的なことを勉強し、
18切符で岐阜へと向かって行くのです。

楽しみやなあと、
そんな旅を明日に
控えていた日の事でした。
昔のラン友からメールが
一通届きました。

「青春18切符で富山県に旅行してきます~」
とのこと。

へえ~これはまた偶然ですねえ。
こちらは旅先で宿泊するらしく、
富山、氷見と宿泊先を決めているようです。
具体的なところはよくわかりません。

どの区間を18切符を使ったのかは
不明ですが、まあよく似たことを
やっているわけですね。

そんな連絡ももらったりしながら、
さあていよいよ、当日がやってきました。
参加するのは3名です。

よく山に行ったりした友達ですね。
和泉府中駅に7時40分に集合です。

駅について、補充用のおにぎりを
一個買って、切符の持ち主の
到着を待ちます。

この18切符は一枚もので、
駅で切符にスタンプを押してもらうと、
そこからその日のスタンプの
日にちだけ使用可能なのです。

ということはまあ、
集団行動をしないと
いけないということですねえ。

迷子になってはいけません。
これがその切符。



改札口で、3人で使用で~すといって
スタンプを押してもらいまして、
さあ、青春18きっぷの旅の始まりです。

まずは朝の満員通勤電車に、
気軽な格好で乗り込みます。
doironはショルダーバッグで、
あと二人はリュックサックです。

ういてるなあ。
満員の阪和線で出発です。

この頃は梅田まで出る
関空快速なんかが便利ですねえ。
天王寺で席を探っていれば
たいていは座れますしねえ。
大阪駅に着くと、こんどは
新快速に乗ります。

京都までは新大阪と高槻に
止まるだけなので早いですねえ。

ささっと乗ると、うまく
4人掛けに座ることができました。

一人だけ知らない顔なのが
ちょっと残念ですねえ。

この辺は18切符も4人だったら
うまくいくかもしれないけど、
それをすると一人分だけ余るしねえ。
5人で利用というのも
何となく中途半端な使用に
なるようにうまく考えられていますねえ。

そもそもこの切符は
いつでも使えるわけではありません。
若い人たちの夏休みや
冬休みおよび春休みの期間に
使えるような設定になっており。
その販売日もきっちりと
決まっているようです。

先ほどの券も見てみますと、



使用期限が9月10日までと
決められていましたね。

まあ18切符だからそういう
長期休暇時ということに
なるのでしょうが、
もしこの切符を発展させて、
高齢者がいつでも利用できるような
切符を売り出したりしないかなあ
なんて思うのです。

使えるのは平日のみで、
仕組みは18切符と同じ感じでね。
その名も「老春還暦切符」。

そしたらもう世の中の暇な老人は
軒並み買うと思うなあ。
この切符持ってたら
高齢者席座り放題みたいな
特典もついてね。

JRさんぜひとも考えてみてね。

例えば市役所高齢介護課が
補助して作ったりしてねえ。
いいんじゃないですか。
これで高齢者が元気になったらねえ。

続く


老春還暦きっぷ1

2019年09月29日 21時12分59秒 | ウォーキング

先日飲み会の時です。

大阪都市近郊区間で
長距離電車旅が格安で
できるよという話をしていると、
ラン友から青春18切符で
二人で「余呉湖」まで行って、
島一周をしてきたよ
という話が出てきました。



ああ、僕も今年の春の桜の頃に
余呉湖1周してきたよ。
桜がきれいやったわという
話もしたのですが、
そこでもっと気になったのが、
余呉湖の事でもサクラのことでもなく、
「青春18切符」です。

まあこのdoironのブログを
読んでいる人ならこの切符のことは
ご存知でしょう。

年に3回発売されるこの切符は、
JR全線の普通列車、快速列車に
何度でも乗車することができます。

一日中使って、一人一人前で、
5回分の乗車ができます。
なので一人だったらこの切符一枚で
5日間乗り放題となるわけです。

もちろん複数人での乗車も可能です。
二人だったら2日間使用できて、
さらにあと一人分が別に使えます。

切符は1枚ですから、
共同利用は集団行動しないと
いけませんがね。

まあ若い人の夏休み、冬休み、春休み
などの長時間の休み機関に
利用できるというので
こういう名前になっていますが、
もちろん年齢に関係なく
使用することは可能です。

青春という感覚と8という
末広がりのところから
こういう名前になったといわれています。



doironがこの切符を買いに行って、
「おっちゃん、そりゃちょっと
あつかましすぎるやろ」
と駅員に怒られたりは
しないわけですね。
第一切符は決められた期間中に
JR駅の自販機で買えるのです。

実際飲み会に行った時に聞いた話では、
その切符を買ったのは、
最寄りの信太山駅だった
といってましたからね。
誰でも普通に買えるというわけです。

まあいくら若い格好をしていっても
18歳にみえることは
1億%ありませんからね。

この切符は昭和57年から
「青春18のびのび切符」
という名前で発売され、
翌年から「青春18切符」という
名前で売り出されるようになりました。

昭和62年に国鉄から
JRグループに移行したのですから、
国鉄時代からのお得切符
ということになりますね。

値段は11850円で、
12月からは消費税が上がるために
12050円ということになります。
ということは一日一人当たり
2410円で、JR全線の
普通及び快速列車が
一日乗り放題というわけですね。

たしか合間に特急電車に
乗ったりするのは、
その日は以後無効になると思います。
でもこの切符を使う前に
新幹線に乗って目的地まで行き、
そこから18切符というのは
有効なようです。

うまく使えば日本全国これで
旅行できますね。
青春18切符で全都道府県旅行も
いいかもしれません。

で、飲み会でその話をしてくれた
人の話では、二人で余呉湖行きに
使ったものの、
あと三枚残っているよ、
とのことでした。
だったら次の会で参加者が
決まってなかったら仲間に入れて
とお願いしておいたのです。

そんな飲み会からすぐの3日後に
連絡がありました。

え~こんど、18切符で
岐阜城に行きますが
一緒にどうですかとのこと。



実行日は火曜日でしたので
全然余裕でOKです。
今の時期の土日となったら、
祭りの関係の用事があることが
多いのでかなり調整が
必要となりますが、
まあ土日じゃなければ
たいていOKですからね。

時刻表を探ってみると
府中7時半頃に乗れば
岐阜には11時過ぎに到着です。
あの都市近郊区間のために
買った時刻表がこの時も
役に立ちます。

時刻表を探ったついでに、
帰りの便も調べてみました。
せっかくなので名古屋経由で
関西線まわりで帰っても、
東海道線よりは30分くらい
長いくらいで帰れるので、
これは当日提案してみよう
と思っています。

続く


居酒屋エイ、最後の日

2019年09月28日 21時56分32秒 | 生活

今日はエイのお別れ会でした。

店の人に聞くと、これからは
もう続けていけないとのことでした。

長年通い続けた居酒屋が
なくなるというのは、
意外にショックが大きいですね。
人生の一部が削り取られたような
そんな悲しさがあります。

お別れ会ということで店に行くと、
こんな紙が店の前に貼られています。



本日貸し切り、と書かれています。

こ、これはこれまで31年間
見たこともない様子です。
何時もあけっぴろげのお店でした。

店の中に入ると、
待ち合わせしていた
T本さんがいましたが、
車で来ているのと、
用事があるのでということで
すぐに退店しました。



かなり早く来ているので、
ほかの知り合いといっても
あまりなじみがないのですが、
多分来店最高保持者の横に座りました。
41年間、ほぼ毎週来店で、
多い時には周5回来ていた
というおじさんです。

おじさんと書きましたが、
まあ同じ年くらいでしょう。

店がなくなることは
たまらく寂しいといってはりました。
ほんとですよねえ。

doironは食べ慣れたメニューを注文します。
ひとつはどて焼きです。



これがねえ、たまらなくおいしい。
もう最後なのでレシピが
欲しいくらいです。



それとおでんね。
多分生涯最高に食べたおでんでしょう。
おでんと言ったら
昆布とジャガイモと
もう店の方も理解してくれています。

あとは焼き鳥ですかあ。
ここへ来た時から、
この店は「焼き鳥」という
看板を出していました。
ママさんの葬式でも
のれんと焼き鳥の提灯を
あげていたそうです。



僕らはいつも3本セットを
違う種類で注文していました。

例えばネギ身と注文すれば、
ネギ身の串が3本出てくるのですが、
僕らは注文するときに
キモ、カワ、ネギ身というと
一本づつ三本セットで出てきました。

もう味付けもキモはたれで
後は塩と決まっています。



ここへ友達を連れてきた時は
こういうメニューを
良く注文していましたね。

誘ってここへ来てくれた友達は
みんな大切な友達ですね。
人生の大切なことを語り合った
友達軍でした。
もう一緒に行けないねえ、
それもとってもさみしいです。

店の中にはママさんの遺骨も
置かれていました。



そしてこの作品はdoironの絵で、



ずっと店にこんな風に
おいてくれていました。



最後に処分するんなら
持って帰るよといったら、
店の妹ママさんが

「え~私がもらって帰るんやで」
と言ってくれたので
喜んでおいていくことにします。

たいした絵じゃないけど、
気持ちはたっぷりこもっているので
大切にしてやってください。

その妹ママさんと写真も
撮ってもらいました。



横にうつっている人が
エイ最高来店保持者です。

今日も来る予定の仁Oさんと
この前に話をしていた
肥Gさんが来てから
帰ろうと思いましたが、
祭りの用事もあって
残念ながら先に失礼することにしました。

なんかこんな心いっぱいの
居酒屋からの帰宅は初めてです。

お土産にボトルを入れてた
焼酎も二倍にしていただきました。
あと生ビールのジョッキと
お酒のぐい飲みを二ついただきました。

エイのママさん達には、
マラソンもいっぱい
応援していただきましたし、
大切な友達たちをしっかりと
お迎えしていただきました。

エイさん、本当にありがとう。
僕の人生を、ある意味とっても
たのしくしてくれました。

こんな形でお別れになるとは
思いもよらなかったけど、
今はもうとってもとっても感謝しています。
人生の大切な場面として
心の奥底にちゃんと
しまっておきますね。

今日はお別れ会で
店の御馳走でしたが、
最後に「ママさん、お愛想」と
叫びそうになりましたよ。

本当に、本当に、ありがとうございました。


月日の流れは2

2019年09月27日 21時10分09秒 | 生活

この夏、エイが長期に休んでいました。
なのでdoironにとっては
長期に店をとじる理由も
わからないまま、
もう店止めるのかなあと
心配していたのです。

夜に散歩するときには
ついでに様子を見に行ってましたが
シャッターには「しばらく休みます」
という紙が貼られたままだったのです。

ところがある日曜日の夜です。
夕食後にミセスとそっち方面に散歩に行くと、
その張り紙がなくなっていたのです。

「お、これはまた店が始まるのかな」
と思い、わくわくしてしまいました。

なので翌日の晩飯を
外で食べようとそっち方面に
出かけてみると
「おお~開いているではないですか」。

懐かしい暖簾も上がり、
こうこうと電気がついています。

迷わずミセスと店に飛び込みましたね。
店に入るとママさんの言葉が、
「いらっしゃい」ではなく、
「ごめんね~」でした。

理由を告げようと店の人が
doironに携帯にしたけど、
どうも電話番号が
間違っていたようでした。
結局間違いを訂正せずに
そのまま日にちが進んで行きました。

首藤さんがいないので、
エイ仲間の人なんかとたまに行き、
エイでの晩飯を楽しもうと
していたのです。

でもねえひとつ心配は、
入院していたので参ったのか
ママさんの対応が鈍く
それがとても心配だったのです。
料理の注文がひとつ入るごとに、
前の注文を忘れていきます。

そういえば、doironの母親も
骨折による入院から介護が
始まったのでした。

母親を病院から連れて帰るときには、
もうまともな会話も
動きもできない状態でしたね。

エイのママさんも心の中で
いろいろあった挙句の骨折による入院です。
doironの母親ほどではないにしろ、
お店というハードな仕事から離されて、
一気に心の年が取ったなあ
という感じになっていました。

お店は、妹と二人でやっていますが、
妹さんもかなり戸惑っているようでした。

ママさんは耳が遠いので、
こっちで好きなように妹さんに
「まあ慣れていないから、
そのうち戻ってくるよ」
とか言いつつお酒を
飲んだりしていました。

ああ~エイの楽しい日々も
また始まるんやなあ
とかおもいつつ
日々をすごしていたある時です。

エイの友達から

「店がまた閉まっているけど
また何かあったん?」という
連絡がありました。

「え~それは知らんでえと」
返事しつつ店に行ってみると、
またシャッターに紙が貼られています。

「もうしわけないけどやすみます」
とのことです。

どうも電話番号の訂正も
しないままここまで来ているので、
前と同じく状況がよくわかりません。

ママさんと一緒に働く妹さんが、
マラソンをやっている
肥Gさんのとなりなんだという話を、
10年位前に聞いており、
世間が狭いなあと思っていたのですが、
丁度その肥Gさんと
三時間走の打ち上げで
お酒を飲んでいるときに、
エイの話をしました。

そしてなんとその肥後さんの
娘がdoironのエイ友達と
同じ職場なんだというのも
また仰天する出来事でしたな。

その肥Gさんに最近エイが
閉まっているけど、お隣さんは
何も言ってないと
聞いたりしていたのですが、
「何もないけど」との返事
そんな時に仁Oさんからの

「エイのママが亡くなったよ」
との電話が入ったのです。
なんかこの話は物語のように
つながって現れますねえ。
もうまるで人生という名の
観覧車に乗っているように
次々話がつながっていきます。

しかもその宴会で飲んでいるときに
肥Gさんは向かいに座り
よこには田B君という男の子が
座っていましたが
なんとその子も、エイの故郷である
九州の頴娃町の近くの出身だった
ということもまたとっても驚きでした。

話しはそんなつながりの中で
起こったことでしたからすごいです。

結局ママさんの妹すなわち
肥Gさんのお隣の人から、
doironさんに言ってほしい
といわれたという連絡で、
土曜日にはお別れ会をするので
エイに来てほしいとのことです。

行きますとも。
必ず行きます。

その日の三時間走の宴会が終わって
帰宅する途中いろんなことが
思い浮かびました。

首藤さん、エイの旦那さん、
そしてママさんとエイに関する
知り合いがどんどんなくなって
いくなあと思ったら
涙ぐんでしまいましたね。

高齢になると、これからも
こんなことが増えてくるんやなあ
と思いつつ、お別れ会の
土曜日は祭りの事も
キャンセルしていってきます。

あ、そうそうdoironが聞いた
ママさんの言葉が
店を出るときにまた言った
「ごめんね~」でしたね。
いやあ、ホンマに「ごめんね」ですよ。

今後お店はどうなるのかなあ?
そんなこともとても心配なんですが
とりあえずはママさんの
ご冥福をお祈りしに店に
行ってきましょう。


月日の流れは1

2019年09月26日 21時03分13秒 | 生活

ああ~日常の中で不意に
人生がガラッと変わるような
そんな連絡が飛び込んできたりする
ことがたまにありますよねえ。

先日も三時間走の打ち上げで、
おいしい料理とお酒を
飲んでいるとき、携帯に
びっくりするような連絡が
飛び込んできました。

連絡があったのは、
昔からマラソンやウルトラを
楽しんできた仁Oさんからだ。

宴会の中でみんなから
最近は仁Oさんもあまり
見ないねえとか
話をしていたところだった。
まあdoironは行きつけの
飲み屋さんで仁Oご夫婦に
よく合うのでみんなよりは
馴染みがある。

生ビールをクイっとあおったその時に、
その仁Oさんからの電話があったのです。

その話しの内容は驚くべきもので、
いつも通っていた居酒屋の
ママさんが亡くなったとのお話だ。

一瞬何の話をしているか
わからなかったほどの驚きだ。

ここで話を進めていくためにも
すこしこのママさんの話をしてみよう。

ママさんが松ノ浜でエイという
お店を始めたのはもう今から
44年も前のことだ。

そんなお店にdoironが通い始めて、
もう31年が経つ。
毎週木曜日の夜は、
プールでゲホゲホと泳いだ後は
いつも飲み会をおこなっていたのだ。

年間50回行ったとして
1500回くらいは
ここに通っていることになるわけだ。

オープンして40周年の時には
首藤さん、T本さんと棕櫚竹で
お祝いをした。



まあ、44年も店をやっている
ということは、doironの就職機関より
長いということやからすばらしい。

でもこの話にはすごい続きがあって、
ママさんはこの店開店の資金を
稼ぐために、若い時に和泉府中で
寿司屋さんで働いていたことがある。

その話をママさんから聞いているときに
「あ~じゃその店だったら、
doironの親父の会社の
すぐ近くやなあ」というと、
ママさんの顔がギョギョ~と変わった。

「え?それじゃもしかして
doironのお父さんは
あの会社の人?
ウヒャー、それだったら名字から見て
うちの前の店の大ご贔屓さんや。
doironさんはあの人の息子?
めちゃめちゃおどろきやあ」といいながら、
焼き鳥のくしにおでんの大根を
指すようなうろたえぶりです
(そんなことはなかったけど)

そう、そんな会話が交わされたのは、
僕がエイに通い始めて
10年くらいしてからのことで、
ママさんの頭の中でdoironの顔と
親父がつながったんだそうで
なんと親子2代でママさんには
お世話になっていたのですねえ。
まるで安物の大衆小説のようです。
帰って話を親父にしたら、
親父もしりもち着くくらいに驚いてました。

まあ親父も酒をやめているので、
もう店には行けないけど
何度か顔を出していたそうです。

最終介護になってその頃には
一緒に行けずじまいだったのが
悲しい思い出ですね~。

そんな歴史のあるママさんだから、
年齢も70台後半でかなり高齢と
なっています。
いろいろ体にも支障が来ていて、
晩年は注文がなかなか
一言では通りにくい
という状態になっていました。

そうそう、木曜日のエイには
終了間際には男前の旦那さんが
仕事帰りに店にやってきて
食事をしていました。

春ごろにはそんな状態の中、
常連だった首藤さんが亡くなり、
悲しい飲み会が続いてたり
していたのでした。

今年はほかにもいろんな出来事が
ママさんの周りにも起こり始めました。

大変だったのは、夏前に旦那さんが
入院したことでした。
一週間くらい休んだので、
「ああママさんちょっと体調
悪くしたのかなあ」と
思っていたのですが、なんと
旦那さんが末期のがんだったようです。

病院に入ってすぐの6月くらいに
亡くなってしまわれました。
ママさんのショックは大きかったようです。

心がふさがったまま
仕事をしつつもある日転倒し、
肩の骨を折ってしまう
という事故にあってしまわれました。

そのまま入院し、
この夏は1か月以上も
店は閉まったままだったのでした。

続く


相撲情報通2

2019年09月25日 21時02分46秒 | スポーツ全般

以前、ジムでテレビ見ながら
自転車こいでる時に、
豪栄道のことに対して、
大阪府出身やけど何市なん?
と聞かれたことがあります。



まあ地元力士なのでそういう情報は
耳に入ってくることも多いので、
それは寝屋川市出身やでと答えたもんだから、
もうそんな情報も僕の頭の中に
入っているように思われてしまっている。

だから、貴景勝はどこ出身



とか炎鵬はどこ出身



とかも聞いてくる。

まあそんな人気力士は
それなりに覚えてますが、
突然「朝乃山」はどこなん?



「北勝富士」は?



とか聞かれてあたふたしてしまうのです。

別に知らなくても
なんてことはないのですが、
まるで知らないとこたえると、

「こいつわしの事なんか
ええ加減に思ってるんや」
と変な風に思われていないかと、
余計な心配までしてしまうのだ。

「そこまではわからんで」とか言いつつ
笑いあったりしているのですがねえ。

それに加えてこの人の年齢は?
なんてことも聞いてくる。

これも「さあ、いくつやろね。」とか
「若いようで意外に年取ってるよなあ」
なんて答えたりするのですが、
まあ確かにそこまでdoironの情報も
詳しくはないですな。

あ、そうそう、この前わかりにくい
決まり手は?というのも質問でありましたね。

遠藤の負け技を
「つきひざ」とあてたり、
貴景勝の大関復帰取り組みの時の技を
「突き落とし」とかいうのも
当てたことがあるので、
たまに相撲を見ていた人から
「doironさん、今の決まり手は
押し出しはおかしいよなあ」
とか言ってこられたりもする。

まあ困ったことになりつつあるわけだが、
相撲を通じて話の輪が
広がるのはまたいいことの
ひとつなのである。

最後にもう一つだけ、
doironが提供できるいい情報がある。

先日、40歳の安美錦が
引退しましたよねえ。



彼の断髪式が、なんと来年
10月に行われるそうだ。

それに対して、テレビの人が
感想を求めたところ、
彼はまだ先ですねえと笑っていたが、
まげを結うのもちょっと困る
くらいの薄毛なので、
doironとしては

「それまで髪が残っているか心配です。
がははは」と笑ってほしかったなあ。

でもまあ、力士最年長といわれるまで
よく頑張りましたよねえ。
関脇を体験しておきながら、
引退時は十両でした。
とってもよく頑張ったいい力士でした。
お疲れさまでした。

で、これに関しての事なんですが、
よく巷で言われることは
「まげがゆえなくなったら
相撲取りは引退」ということですが、
これは本当なんでしょうか。

では一度調べてみようと、
ネット先生に質問してみました。

その結果が貴重なdoiron情報なんですが、
そんなことはないのです。
まげをゆえなくなったら引退だなんて、
そんな決まりはどこにもありません。

逆にまあそんな年齢になると、
髪がそうなることも多いから
誤解されているんでしょう。

かつてはスキンヘッドの
力士もいたそうです。



先日doironも、おなかがひとつに
割れているので、マラソンやめたから
相撲始めようかなあ
と冗談でつぶやいたら、

「それはええねえ。でもまげはゆわれへんで」

と一括されたことがあります。
なので、これはきちんと
調べてみる必要があることで、
結果わかったことなのだ。

へへ。

9月場所、横綱休場でしたが、
大関復活や転落などもあって
楽しかったねえ。

まあ貴景勝が大関に復帰し
御嶽海が二回目の優勝と



まあまあ丸く収まったかな。
栃ノ心だけが心残りになりましたねえ。

次は11月場所。

それまでまたしっかり
自転車こぎながらの
読書が続くことになるのでしょう。


相撲情報通1

2019年09月24日 21時29分09秒 | スポーツ全般

体を壊して以来、
ジムでの運動の大半は自転車こぎだ。

軽い付加で長時間、
といっても1時間から
2時間程度を漕いでいる。

元気だったころは立ちこぎも混ぜていたが、
今は完璧有酸素運動を目指して、
同じペースでギコギコやっているのだ。

でもまあ自転車を漕ぐだけだったら
退屈なので、その漕ぎ時間を
何かに使えないかと色々試した結果、
今は読書に使っている。

これがねえ、とてもはかどるのです。

63年の一生を振り帰ってみても、
今は読書の量が一番多い状態に
なっているのだ。

ミセスにそんな話をすると、
「奥さんが図書館員だった時に
そんな趣味があったらよかったのにね」だって。

ウンそれは確かにそうだったかもしれない。

そんな人生遅ればせながらの
読書なんですが、実はこれも
ちょっと法則があって、
一年間でふた月に一回の割合で
2週間だけピタッと止まることがあるのだ。

え~せっかくの読書の期間を
無駄にしちゃいかんやん
と思いますよね。

じゃ、その期間は何をしているのか
というと、これがもういろんな
妄想に取りつかれている、
というわけでは決してなく、
テレビを鑑賞しているのだ。

その番組はというと、大相撲だ。

自転車こぎながら、
「おお~」とたまに声が上がったりしている。

まあ特に最近は、ごひいきの
琴奨菊が情けなくてねえ。



それに、立ち合いでふわっと変わる
そんな取り組みも増えているしねえ。

とはいえ、横綱の休場や
上位陣の不振もあって、
それがまた場所を混乱させる
中々な見ごたえのある
番組になっているのも
一興なのである。

時間は、土曜日なんかは4時くらいから、
バイクで汗をかきかき
見ているのだが、通常は4時半くらいから
それいけやれいけと思いながら見始め、
打ち止めまでは必ず見ている。

熱戦なんかがあると、
自転車を漕ぐ足が止まって、
ペダル回転数が足りないよ
という機械の警告が出ていたりする。

そうなるとトレーナーから

doironさん足が止まっているよ」

と警告が飛んできたりするのだ。

そうそうそんなトレーナーも含めて、
ジムの中には全く相撲ファンでない
娘も多くいる。
彼女たち曰く
doironさんが相撲を見始めて
ワイワイ言い始めるまで、
相撲って毎日しているものやと思ってた」
なんだって。
そんな話を聞くと笑ってしまいますよねえ。

あの格闘技を毎日してたら、
相撲取りってなんてハードな
仕事なんだと思ってしまいますよねえ。

でもまあジム全体を見れば、
どちらかと言えば簡単な
相撲ファンというのが
最も多いようだ。
なのでその日の相撲情報通に
なっているdoironに対して、
遅れてきた人から今日の誰々の
取り組みの結果はどうだった?
とかいうのを聞きに来たりする人が多い。

なのでえ~っと、今日の取り組みは
誰と誰の対戦で、勝敗はこうだった
とちゃんと覚えておかないと
いけないことになるわけだ。

たまに用事でジムを休むと、
だれだれの取り組みの結果が
すぐに分からないやん。
休みやったらそういっといて
くれなあとか言われたりする。

休み明けのジム出勤時は
よくそう言われるから、
「いやあ前日は飲みすぎてねえ。」
とか
「今日は遠方に歩きにいってねえ。」
なんて返事をすることも多いのだ。

そんな風にジムの片隅で
毎日相撲を見ていることから、
非常に相撲情報に詳しい人の
ようになってしまっている。

そして最近はそんな評判から、
勝ち負けだけのことに限らず、
この相撲取りはどこ出身?
とか何市出身?とかも
よく聞かれたりもする。
ああどこの国出身?というのも最近は多い。
でもいっときますよ。
そんな情報はあまり詳しくないんです。

ああそれなのに、それなのに、
doironさんに聞けばええやん
というような人になってしまって
いたりするのです。

続く


第8回三時間走は今日でした

2019年09月23日 16時24分56秒 | マラソン

本日は3時間走の大会でした。

台風の影響を心配しつつ
午前6時半に現地集合です。
海上に向かう車の中から
南の方に向かって
大きな虹が出ていましたよ。



う~ん、何かいいことありそうな
そんな感じですな。

体を壊してからこの大会には
少しだけ貢献してきました。

この大会は、3時間の間に
3キロのコースを何度往復するか
という大会です。
特に順位表彰はないのですが、
この季節から始まるランニングの大会を前に
足慣らしで走ってもらう
というのがぴったりの大会です。

まあ主催するルネのランニングクラブや
青馬会の結束にというのもまた
一つの目的でしょう。

doironはそんな大会で周回数の
チェックをしています。

これがねえ、もう最初から
2回目くらいの周回が大変なんです。
集団で来ることが多く
パニくってしまいます。
それが過ぎたら、あとは淡々と
進んでいき、三時間は
あっという間に終わるのです。

最近は時計の持ち込みとおZみんの借り受け、
トイレの設置、回収立ち合いなども
役割をいただいています。

あ、市長との連絡事項もあって、
広報マンの仕事の合間などに
市長と話し合ったりもしています。

まあ主催する貝さんや濱ちゃんの
様々な苦労に比べたら
楽なもんなんですがね。

きっといろいろと手配や会場の状況など
大変なんだと思います。

以前、5時間走の大会が
吹田でありましたねえ。
今もあるのかなあ。
僕にとっては部門別優勝という
名誉をいただいた大会です。

そうあのQちゃんがシドニーで
金メダルをとったのと同じ日でしたねえ。

そんなことを思い出しながら、
集会をチェックしつつも
自分の思い通りに走れている人は、
きっとこんな大会は楽しいでしょう
ねえと思ってしまいます。

この大会も今回は第8回目を迎えました。
今のところみんなで話し合っているのは、
せめて10回までは開催しよう
ということです。

みんな高齢化していきますしねえ。

まあでもなんとか今回も
台風の大きな影響もなく
無事に終了できたことは
良かったですねえ。



走った皆さん、そしてスタッフの皆さん、
お疲れさまでした。


第8回三時間走は明日です

2019年09月22日 21時39分24秒 | マラソン

さあて、明日は大津川の河川敷で3時間走です。

doironもまあちょっとした役割を
こなしながらスタッフとして参加です。

これまで、おZみんをわが家に
民泊してもらっています。
トイレの立ち合いも行きましたねえ。

でもねえ、心配は台風17号。
開催時にはちょうど真北あたりを
通過中であると思います。

そんな気候の時に参加を
予定している市長は
来てくれるかなあ。
ちょっと心配です。

河川敷なので雨は最も怖いです。
川の水がありますからね。
状況をしっかり見ておかなくては
なりませんね。

そして強風も、テントを張ったり
するので不安ですねえ。
対策をしっかりとっておきましょう。

おZみんもかっぱと靴の泥除けを
持参してきています。

トイレは使用時までは寝かせたままで
河川敷ガードレールに
結び付けて保管していますよ。

何事もなく、無事に終了することを
祈っておきましょう。


北アルプス 追悼の涸沢13

2019年09月21日 21時15分37秒 | ウォーキング

ケルンを積み上げた河原で



コーヒータイムをしたら、



また進んでいきましょう。

この先は右手の岳沢という谷が
広がって見え始めます。



奥穂高岳、前穂高岳を登ったら
この岳沢を下って降りてくるのが
早い道です。
doironは大学3年の11月に
この岳沢を下ってきたことがあります。
寒い時期で、雪がパラパラ
降っていたのを思い出します。
山から下りてきて上高地に行ったら
人々が大騒ぎです。
昨夜、北穂の小屋で
一緒にいたグループが、
雪の中、涸沢に降りようとして
大滑落で全員遭難したそうです。
たまたま山岳ルートをとった
僕らのグループが逆に
無事だったのは、今でも忘れられません。

岳沢の下には湿原があります。
そこを木道で抜けて歩いていくと
河童橋の近くに出ていきます。

梓川の堤防に立って後ろを見上げたら、
その岳沢の姿がくっきりと
雨上がりの空の下に
浮かび上がっていました。

そこからすぐのところが河童橋です。



大きなホテルがあって、
スーツを着た女性が
給仕をしているのが見えます。

なんかもう山登りではないですなあ。
河童橋もきれいになっており、
こんな近代的なホテルがある様子は
T本さん曰く

「なんかかなり変わっている気がするなあ」

とのこと。
doironもここは30年ぶりでした。

ここからさらに右岸を歩いて
ウエストン碑まで行きましょう。
この先で今回最後の昼飯を作る予定でした。

料理はdoironがかついできた
アルファ米のご飯です。
でもねえ水がないのですよ。
なので途中にあった西糸屋山荘で
水をお願いしたら
とっても親切に水を入れてくれはりました。



親切だったので宣伝しておきますと、
ここが90年以上も前にできた宿で
とってもロケーションのいい所でした。

通りがかりの山人にあんなに
親切にしてくれて、
とっても雰囲気のいい宿でしたねえ。

本館一泊11000円からだそうです。
この店の前に大きな温度計が
ありましたので見てみますと、



18.5度。

大阪では熱中症の危険メールが
出ていたのにえらい違いです。
ちなみに、涸沢で泊った小屋では
夕方13度を示していましたよ。

水も補充したし、
続けて歩いていきましょう。

この上高地ではいつも6月初旬に
ウエストン祭が開かれます。
この北アルプスを世界で
初めて紹介したイギリス人です。

ここが好きな友達が、
いつもこのウエストン祭に行って
郵便を送ってくれました。
そんなウエストンの碑があることは
知っていたのですが、
まだ実物を見たことがありません。
ようやくここで確認することになるのです。
それがここです。



山の端っこに小さな碑があるところでした。
そして梓川の田代橋を渡ったところで昼食です。



目の前に梓川が流れ、
背後に岳沢が見える最高の場所でしたねえ。



この日は久しぶりの好転で
荷揚げのヘリコプターが
ドンドン飛んでいる日でしたね。



ご飯を頂きながら
ウイスキーも一口飲みました。
その後はバスターミナルまで
一直線です。

最後にお土産を買いに
店に入ったのですが、
ポテトチップの袋が
パンパンに膨れていた
のには驚きでしたねえ。



気圧の関係なんですね。
ゆっくりと今度は地ビールを



飲みながら、やってきたバスに
乗り込みます。

さようなら上高地、さようなら首藤さん。

帰りの道では視線より下から
大きな虹が立ち上がっているのが



見えたりして、往路と違って
ゆっくり景色を眺めながら
大阪へ向かっていった我々でした。

首藤さんと旅行に行ったり
四国お遍路に行ったりした時は
とても楽しくて、
ワイワイと景色を楽しんだりしましたねえ。

こんかいもそんな首藤さんとの
最後の旅でしたが、
雨に降られたり、
満天の星空を眺めたりした
思い出深い旅でした。

秋に首藤さんのお家で
みんなでBBQをすることに
なっていますので、
またみんなにこの度の事
話さなきゃねえと
T本さんと誓い合いながら
帰宅した二人だったのでした。

首藤さん追悼の旅、これにておしまい