加茂郷に到着しました。
電車を降りようとしたら
扉が開きません。
ここで降りたいのに~
と叫ぼうと思ったら
ボタンがあることに気がつきました。
さっき学んだことをもう忘れていました。
一生勉強です。
そして、前回の終着地点である所坂王子のある
橘本神社に着いたのが、午前9時10分。
さあ、やっと熊野古道の続きを歩行開始です。
今回のコースはこんなコースです。
彼岸花が咲く道を、拝ノ峠に向かって
こんな看板も眺めつつ
徐々に登って行きます。
おっ、さすがにミカンどころですねえ、
集落の中にもあのミカンを運ぶケーブルが降りてきています。
これは「橘本上橋」と橋柱に刻まれていました。
地図では「橘本橋」になっていたんやけどなあ。
もしかしたら
「橘本橋」並びに「橘本下橋」もあるかもしれませんが、
まあそれを探すのはジダンにお任せしておきましょう、なんてね。
このあたりも、住民の方の熊野古道への
思い入れは相当なものと見え、
軒先の提灯だけでなく、
道端にずらっと置かれたプランターにも
こんなラベルが貼られてありました。
ん?これは市壺地区の児童会館です。
今回の経路上にこの「児童会館」なるものが
いくつか登場します。
大阪ではあまり聞きなれない施設ですが、
どうやら放課後の児童の活動場の提供などの
児童福祉施設のひとつとして設置されているようです。
保育所、学童保育的な役割を果たすのでしょうかね。
市坪中橋を渡り、
小学校を過ぎると、
本日最初の目玉である、
「一壺王子」に到着です。
歩き始めてまだ20分しか経っていません。
この王子のある「山路王子神社」では
伝統的行事である「泣き相撲」が行われるのが有名です。
赤ふんどしを締めた赤ちゃんが、
境内にしつらえられた土俵に登場し、
必ず一勝一敗で終わるように
背中に土をつけるという
何とも日本的な行事です。
400年以上続いているそうです。
これは子どもの健康を祈るとともに、
産土神に地域の赤ちゃんを披露する
という目的なんでしょう。
ここ「一壺王子」の名前は
昔の文書でいろんな表記があります。
「市壺」であったり「一坪」、「市坪」などとあります。
他にも「沓掛王子」「山路王子」などの、
熊野古道がこれから険しい山道になっていくことを表す
別の王子名もありますが、
今は「一壺」で統一されているようです。
神社の前の宮前橋を渡り、
道の傾斜はますます急になっていきます。
ミカン畑が目立ち始めたところが「沓掛橋」です。
昔の人は歩きにくい沓(くつ)を
ここで草鞋に履き替えて登山開始となりました。
とはいえ現在は道も整備され
歩きやすくなっています。
靴を履きかえるまでもありません。
ミカン畑や
紀州らしく丸太で作られた
ガードレールを眺めながら、
歩きやすい道を・・・ん?
ぎょえ~、この傾斜はなんですか。
もうこれは人の住むところとは思えない急傾斜。
靴をジャンピングシューズにはき替えとけばよかったあ
(持ってないけど)
軽く20%は超えようかという
急角度の道には、滑り止め舗装が施されています。
自転車なら電動でも無理でしょうねえ。
ここに住む高齢者の方はどうしているんでしょう。
昔から足腰が鍛えられて平気なんでしょうかねえと、
ついついそっち方面に思いをはせてしまいます。
これはほんとに道を間違えてないかな
と疑い始めた頃に、
こんな熊野古道の提灯がぶら下がっていました。
間違ってなかったのね~。
昔みんなで、若い元気な頃とはいえ、
よくぞこんな道を走ったものです。
電動でもない、ポンコツエンジンを働かせながら
ヒーヒーと登って行きます。
あごから汗をしたたらせながら、
ようやく傾斜が落ち着いたころに
下を見下ろしたらこんな感じでした。
道もちゃんと整備されていない
蟻の熊野詣の頃の大変さが
つくづく偲ばれます。
ゼイゼイ。
それでも、道端にあったこんな地蔵や
野草は見逃さずパチリ。
次の集落に入って行く頃には
ようやくいっとき平坦な道になりました。
今回のコースではここからミカン畑が続きます。
熊野詣の昔にこんなミカンはなかったんでしょうが、
有吉佐和子の小説「有田川」の世界は
ミカン畑で生涯を送った女性の一生の話です。
そんな世界も思い描きながら進んでいくことにしましょう。
続く。