ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

さらに遊ぶぜ新年度

2016年03月31日 21時21分13秒 | 最近の出来事

昔から3月31日といえば
年度の大みそかです。
あすから新しい年度が始まります。

え~明日から値上がりするものも
たくさんありますねえ。
ウイスキー

お菓子など様々。

それに家庭ごみもdoironの地域では
新たにプラごみ収集も始まります。

あっ、doiron家の電気も
東電のものに変わります。

世の中もいろいろと変わりますし、
働いているころは
この日をさかいに
人事異動なんかでコロッと
毎日の生活状態が変わったりもしました。

それはまあ昔の話ですけどね。

年を取ったらころっと変わることは
少なくなりましたが
でもまあ、今年は還暦を迎えたということが
あったので、何となく気持ちが
新しくなった部分があります。

その還暦の時はたくさんの人に
お祝いしていただきましたねえ。

贈っていただいたのは
やはり赤色のものが多かったですね。

赤いチャンチャンコ



赤い帽子



赤い水筒



赤いTシャツ



それに反してこんな青い手袋



いやあ、皆さん本当にありがとうございました。
大切に使わせていただきます。

そして自分でも、
60年間よく頑張ったねという
お祝いに
こんなものを買いました。



豪邸です・・・な、わけはない

これです



赤い山用の時計です。

昔ランニングを始めたころに
初めてラップを記録できる
時計を買った時はうれしかったな。
毎日、公園を走りながら
どんどん周回記録をためていったし
レースの記録もたまっていきました。

なんかあの時の気持ちとよく似てます。

高度、気温、気圧、方位
登高スピード、登山記録
なども図れます。

でもねえ、まだ使いこなせていないんだよね。
ボタンが多すぎて
どこを押したら何が出るのか
まだ全くわからない。
最近やっと、現在時刻を
合わせることができたほどだ。

まあ、これを使うのも
ボケ防止になっていいかもね。

本日も船戸から紀伊長田の
大和街道を、桜と桃の花見を兼ねながら
新しい時計をはめて
てくてくと歩いてきました。
少しずつ使い方には慣れていきましょう。

あらたにほっつきウェアを
いただいたり
ほっつきグッズを手に入れたので
新年度には、さらに
しっかり遊ばないとなと
喜んでいる還暦おじさんの
新年度突入前夜なのでした。


淀川完歩23 大阪府へ

2016年03月30日 20時24分51秒 | ウォーキング

河川を走るバイクを見ていると、
高齢者ほど高級バイクに乗っているようでした。



ウエアも攻撃的です。
地図をみてなあるほどというわけではないのですが、
この辺じゃ練習コースとして
山方面とかよりも
河川敷はメインなんですかねえ。

ほんとに多くのライダーに出会いました。

doironは河川歩きなんですが
この辺は河川の草木が多くて
あまり水面が見えていません。

なので時々見える水面を
こうして写しておきましょう。



そして30分も歩くと、
河川敷の先のほうにゴルフ場らしきものが見えてきました。



昔の地図だと、ゴルフ場の辺りは
中を通れなくなっていますので、
そろそろこの辺で上に上がっていきましょう。



距離標も「淀川」になっており、



河口まで34kmの碑になっていました。

そしてもう地名は枚方市ですから、
いよいよ大阪府内に入ったようです。
ここから、寝屋川、守口を経て
大阪市に突入です。

おお~、これが枚方のマンふたですねえ。



菊人形とくらわんか船の絵が刻まれているようです。

そういえば、八幡市のマンふたを
取り損ねていますね。
次回散策の時にでも探しましょう。

県道から1本中の道を歩きました。
見ていると虫籠窓のある家があったり、



倉庫があったりと古い家並もあるようです。
とおもったらその道は
「旧京街道」と名付けられていました。



大阪から京へと続く道だったのでしょう。

道の感じも街道ぽい感じでしたしね。





そしてたどり着いた「くずは」の駅で今回は終了。



地図はこんな感じです。



歩いた距離は石清水周辺のほっつきも入れて
10kmちょいくらいでしょうか。

次回はたぶんこの樟葉から、



以前行った淀川資料館を経て
枚方大橋も越え、枚方公園駅くらいになるかなて感じです。

とりあえず淀川完歩は大阪に入りました。

ああ~、それにしてももう春ですねえ。
あちこち歩いていても気持ちよくって。
これを読んでいるあなたのところにも
春は届いていますか。

いろいろと危機もありましたが
こうして息をしながら
春を満喫しているdoironなのでしたあ。


淀川完歩22 八幡市出発

2016年03月29日 21時01分04秒 | ウォーキング

これが背割堤の散歩道です。



てくてくと歩いていきます。
これを横から見るとこんな感じ。



男山の景色もここからだとよく見えます。
並んだ巨大桜が一斉に咲いたら
どんな景色になるのか想像もできませんな。



とまあ、そんなところでお昼がやってきました。

河原におりて食べましょう。
おっ、蛇に注意してね。



今日はこんなお弁当付きです。



ビールでもあればいいのですが、
それだったらもう住み着いちゃいそうです。

ここまで車で来てるのでそうもいきません。

もう少し暖かくなって
汗がだらだら流れるようになったら
抜けるのが早くて行けるかも・・・
あかんかなあ。

この背割堤の右は宇治川から淀川になっていきます。
なので立っている標識には、ここでは
宇治川 河口から37kmと書かれています。



う~ん、琵琶湖経由の淀川は全長75kmだから、
おおっもう半分過ぎましたね。

そして背割堤の左側は木津川です。

こちらの標識は、
三川合流点からの距離が書かれてあります。



この時点であと1.0kmですから、
三川合流点には「合・流・点」の
碑でもあるのでしょうか。

周りはずっと巨大な桜の木と
たまに混じる別の木とかで
景色が変わらないけど歩いていきましょう。

おっ、河口まで36kmになりました。
もう合流点も近いでしょう。
そして歩く道の突き当りが見えてきました。
そこにあったのがこの碑。

「三川合流点から0.0km」でした。



ああ~、もうちょっと劇的な碑に
しといてほしかったなあ。
ではさあ、大阪湾の河口には
どんな碑があるのだろうね。
これは川歩き最後の楽しみのひとつにしておきましょう。

さて、こうして背割堤は踏破しました。
先の方に橋でもあったらいいんやけど、
何もないのでこのまま入り口の
御幸橋の方に戻らねばなりません。

テクテクと戻っていますと、
おっなにやら御幸橋を大集団が渡ってきます。



しかも先頭の方の人は同じ色の服を着て、
旗を持っていたりします。

うわー、政治団体かなあ。
「さあご一緒にどうぞ」とか
「署名や看破を」とか言われたらどうしよう。
看破はこっちにしてほしいなあ。
とか思っていたら、
どうも「歩く団体」のようでした。

しかも参加者はdoironより
だいたい10歳上くらいかなあ。
そんな人が100人近く歩いてました。

この世界もこんなに人が集まるんですねえ。
そのうち歩くのも抽選になったりするのかなあ。

いやあ、勝手に歩きましょう。

御幸橋に戻るとこんな水質監視地点もあります。



淀川の水質はどうなんでしょう。
僕らが飲んでいる水はこの水なんですねえ。

きちんと管理してもらわないとね。

御幸橋から河川の方を眺めました。
右の手前に見えているのが天王山です。



山の中腹に見えている鳥居は「酒解神社」のものかなあ。



この八幡市にはほかにも飛行神社があったり、
木津川流れ橋や東高野街道があったりするのですが、
さすがにその見学はまたの機会にして
ではいよいよと淀川を下っていきましょう。

背割堤の終点の位置までは
木津川に沿って行きます。



県道13号線に沿って進んでいきましょう。

御幸橋からしばらくは
車道を歩きにくいかなと思ったのですが、
どうやら河川敷内に道があるようです。



そちらにおりて進んでいきましょう。



車の来ない気持ちのいい道を進んでいきます。



しきりにロードやマウンテンが来るのも
見ていて面白いです。



でも途中で休憩している
おじさんのバイクを見てびっくり。

トレックの高級フレームに
デュラエースパーツ。
カーボンハンドルなど経費かけまくり。
乗ってるおじさんは
トライアスリート風でもなく
普通のおじさんだったけどなあ。

恐るべし高齢者ですなあ。

さすがにここにはあまり走っている人は
少なかったです。

あ、距離標がありますね。
見てみると、ここも
「三川合流から0.0km」。



で、いよいよ瀬田川から宇治川、そして
最後に淀川となって下り始めます。

後半に入った淀川完歩なのでした。

続く。


淀川完歩21 背割堤

2016年03月28日 20時59分12秒 | ウォーキング

石清水の本殿を出たら、
周りの施設も確認しておきましょう。

駅前の観光協会でもらった地図を見ながら
訪ねてみましょう。



まずは三ノ鳥居です。



この鳥居の下に、ちょっと周りの敷石とは
違う石が埋め込まれています。



これは昔、境内で早馬をするときの
スタート地点だったそうです。

まあ、いわば勝ち運の石として
ここに埋められています。

え~最近はあまり勝ち負けに関係する
生活は送ってないなあ。
なので、宝くじでも押し当てときましょうか。

そんな参道の右には大きな広場があります。

駐車場にもなっていますから
車で上がる道もあるんですね。
その道の先に大きな金属の碑が立っています。

「涌峯塔」と言われるシンボルタワーですね。



何をかたどっているんでしょうか?
もしかして、まさにこれが「男」山なんでしょうか。
そ、そんなことはないでしょうね。

そのシンボルタワーの横に据えられてあるのが
「エジソン記念碑」です。



では、なぜここにアメリカの
発明家であるエジソンの碑があるのでしょうか。
それには意味がありました。

かれが白熱電球を改良して
人々の暮らしで使えるようにしたからです。
その電球のフィラメントに使われたのが
この男山の竹だったのだそうです。



その電球で人々の暮らしには
希望の光が与えられました。

そのことをこの八幡の人々は
誇りに思っているそうです。

そうあの八幡市の駅前には
エジソンの人形も立てて
「エジソン通り」と呼んでいるそうです。



そんな街だからこそ、八幡の人々が
この男山の八幡宮が国宝に指定されて喜んだでしょうねえ。

山裾の空き地にはこんな碑まで
作られていたもんね。



さあ、では帰りは違う道を通て
ケーブルの駅へ向かいました。



ちょうどこんな「走井餅」というお土産がある
というので、面白い名前だし
一つ買うかと思ったら出店は休みでした。





今日は天気もいいので担当者が
「走り」に出かけているのかもしれません。

と思ったら、こうしてケーブルで下って
八幡浜の駅前に出たときに
それを売ってるお店がありましたので
寄って買うことにしました。

それがこれ。





走る人が食べる餅ではなくて、

大津の走井というところで
作られたお菓子で、
この八幡に引き継がれました。

その後本家は廃業したのですが、
この地のは残るという形で
成熟してきたとこういう由来のあるお菓子です。

大津で刀を研ぐのに走井の水を使ったので
刀のような形をしておりました。



さあ、これで寄り道の石清水八幡宮の見学は終わりです。

八幡という名前と関連する
鳥の彫り物の多かったこの本殿。



古い歴史に加えて、
現在の八幡市に伝わる様々なものを持っていました。
あのエジソンとの関連も、
いまではこの町の大きな財産になっているようです。

還暦後最初のウォーキングとしては
いいところに行ったものでした。

いまも歩き続けている淀川のまあ、
いわゆる名所のひとつだったでしょう。

で、もう一つ寄りたかったのが、
木津川と宇治川の合流点にできた
「背割堤」という、
長さが1.5キロほどの堤防です。



そこへ行くため御幸橋をテクテクわたってきました。



前回はこの横をちらっと通っただけだったのでね。

ここはロードやマウンテンバイクの人たちの
絶好の練習場所でもあるんでしょうねえ。

この日も、ロードやマウンテンがいたり
市のレンタサイクルを借りて
ここを訪れている人たちも結構いたようです。



では、ここには何があるかというと、
広々とした景色の中に



大きな桜の木が、幅20mくらいの堤防の上に
ズラッと植えられています。



まだこの時には桜には早かったけれど、
この巨大な桜の木に花が咲くころには
ぜひもう一度来てみようと思いましたとさ。

うらうら~と続く。


淀川完歩20 石清水八幡宮

2016年03月27日 21時37分33秒 | ウォーキング

琵琶湖から始めた淀川歩きも
かなり進んできました。

前回は伏見から歩き始め、
ようやく宇治川、木津川、桂川の
三川が合流する八幡市までやってきました。



もう大阪府内もすぐそこです。

では続きはこの前歩行を終えた
八幡市駅からとなるのですが、
この駅の周辺にはいろいろと
見ておきたいところがそろっていますので、
まずはそれらの見物から
入っていくことにしましょう。

まずは、八幡市の名前にもなっている

「石清水八幡宮」

からです。
市内の駐車場に車を止めて



駅に向かっていきますと、
看板がありました。



八幡宮へ続く「男山ケーブル線」
へと向かいます。

もともとこの男山の山頂にある
「石清水八幡宮」には
歩いて登る参道もあるのですが、
まあここは歩き目的ではない寄り道なので、
珍しくケーブルカーに乗って
向かうことにしましょう。

往復400円を払って乗車します。

これがそのケーブルで、



車内はこんな感じ。



1時間に4本出ていて、
乗車時間的には10分はかかりません。

座席は全部下向きにつけられているのは、
ここからの景色がきれいだからですね。

今日これから行く川の方角も
良く見えていますし、



少し顔を西向ければ、
川と隔てた場所に、天王山も見えています。



そうなんです。

男山は昔から淀川をはさんで
天王山と向かい合う要所
と言われているのです。

この時の乗車客は全部で6人でした。

京阪にしてみればちょっと赤字ですかねえ。
山頂駅で降り、しばらく歩くと



石清水八幡宮の境内に入っていきます。



そうそう、それではなぜこの山を
「男山」というのでしょう。

いろいろと調べてみましたが、
どうも理由はよくわかりません。
唯一それらしい記述によると、
平地にぽこんと岩が突き出ているから
みたいなことが書かれてありましたが、
はたして本当かどうかよくわかりません。

まあ、とにかく143mのこの山が
京都の裏鬼門に当たることなどから
建てられたといわれています。

そしてさらに最近この寺に
すごいことが起こりました。

それは1634年に建てられた本殿を含む10展が、
ひと月前の2月9日に国宝に指定されたんだそうです。



八幡市では初めての国宝の誕生です。
市の名前が国宝に関係しているのだから、
関係者は大喜びだったでしょうね。

まあ、それくらいこの石清水八幡宮のある辺りは、
歴史的にも重要な地だったようです。

ではその国宝の周りをまわってみましょう。



これが「鬼門封じ」という建て方です。





鬼門の東北を切り取った形にしています。

こんなこともあるんですねえ。

ちなみにdoiron家では家を建てたときに
鬼門の方角に山から切り取ってきた
ヒイラギを植えています。

とってきたときは10cmくらいの
小さな木だったのですが、
今は成長してdoironの身長より20cmほど高い
2mくらいになっています。

う、嘘ですが・・・

それでも身長より十分な
大きさになっています。



そしてこれがクスノキの巨木です。



む~ん、先日のドジ旅で
巨大な木を見すぎたところですからねえ。
でも、その根元に並ぶ塀なんですが、
じつはこれが値打ちだったのです。

帰ってきてから調べたら、
なんとこの塀、信長公が寄進した
攻撃に強い「信長塀」なんだそうです。

瓦や土を固く練りこんでいます。

あ、でもこれは国宝にはなっていません。
まあ、あと熊野神社や熊野三山系の
神社で神木とされている
「なぎ」の巨木もありました。



その名前が、海の「凪」に通じるところから、
漁師なんかはこの木の葉っぱを
お守りの袋に入れて、
災難除けのお守りにしているそうです。

doironも日常の歩行除けに
しっかりお祈りしておきましょう。

続く。


花粉症が治った?

2016年03月26日 20時47分05秒 | 最近の出来事

さあ、今年の花粉症もようやく落ち着いてきました。

といっても自分ではなく
ミセスなんです。
花粉症のおかげで
なかなかどこにも出かけられませんので、
いやまあ大変だなあと思います。

でもねえ、最近思うのですが、
自分の花粉症が治ってきているのです。

以前は涙と鼻が止まらず、
この時期の練習となると大変でした。



それがねえ、最近は涙もあまり出ないし、
鼻もおとなしいんですよ。

昨年は花粉が少ないと言ってたから
その影響かなあと思っていたのですが、
ことしも今日は多いぞという日に歩いていても、
あまり影響がないんです。

花粉に対するアレルギーなんだから、
そんな直ることはないと思うのですが、
でもここ4~5年くらいは全然ましなんです。

じゃ、原因は何でしょう。

体重が増えたことで体力的に
余裕ができたことが原因なんでしょうか。
いやあだったら相撲取りは
花粉症にはならんでしょう。



あるいは、心臓や脳に関して飲んでいる
血液サラサラの薬が影響しているのでしょうか。
粘膜が傷つきにくくなったみたいな。

それともあるいは、
仕事のストレスも少なくなって、
免疫機能に余裕ができてきたからでしょうか。
だったらのんきな人は花粉症にならないか。

ではさあ屋外でやるトレーニングが
少なくなって、外で花粉をすう量が
大幅に減ったからでしょうか。

うん、そんなことはあるけれども、
そんなんが治療につながるかなあ。

う~ん、しかしまあこうして考えたら
自分の生活もずいぶんと
変わっていったものですなあ。

でも、花粉症治癒の原因は
やっぱりよくわかりません。

いずれにしても体が抱えている
厄介ごとは減るに越したことはないけどね。

ついでに痛風も出なくなって、
髪の毛も増えてくれへんかなあ。


ドジ旅日記 巨大生物の陰謀編 4

2016年03月25日 21時07分13秒 | ウォーキング

今日の食事はこれ。



還暦という歳に合わせた
健康的な食事です。

ベンチに座ってさあ食べようと思ったら

まてまて~

飲酒不可の看板のすぐ横でした。
こりゃ、危うく陰謀にはまるところでしたな。

あわてて門の外に出て
そこで楽しくいただきましたぜ。

さあ、ではここから頑張って
平野(ひらの)まで歩いていきましょう。

しかしそれにしてもこの辺りの川は深いし、



結構整備されていますねえ。
きっと水害対策もあるのでしょう。
これはきっと調べてみなくてはいけませんね。

今川の駅近くを通り、



商店街も抜けて行きます。



平野は少し前に平野郷を訪ねて歩いたところです。
周囲をぐるっと2重の濠と土居で囲み、
そこに13の門を設けて人の出入りを制限し、
街を守ったという場所ですな。

還暦近くになりますと
これまでいろんなところをあるいていますな。

その中にある神社と念仏寺に
何本かの巨木があるというので訪ねました。

最初にたどり着いたのが「大念佛寺」です。



広い境内に入っていきますと、



本殿の左の方にクスノキがあります。



樹齢は700~800年くらいですかねえ。

ここのクスノキは直接手で触れることができますねえ。

え~っとでは力を注いでもらいましょう。





え~、木が病気にならないか心配です。
まず葉っぱがばっさり落ちたりして。

そして境内のもう一つの建物内にある巨木が
「イチョウ」の木です。

見に行くと、こちらは別の建物内にあって
近寄れません。

門のところから無理やり写真を撮ってもこんな感じ。



仕方がないので屋根の上に
はみ出ている写真で勘弁してください。



doironが今まで見た一本大きなイチョウの木は
千早の山の中にある大木でしたが、
これはあるとき落雷で倒れたと聞いています。
それに比べればやや小ぶりですが、
それでも都会の中でここまで成長しようとすれば、
いろんな世界を見てきたことでしょう。

この木はオスかな?メスかな?

銀杏の実がなるのなら
さぞや立派な実がなることでしょう。

さあ、では巨木は残すところもう一カ所です。

最後の「杭全神社」を目指しましょう。

歴史の道に沿って歩いていきますと、
やがて杭全神社の道標に出ます。



藤井寺や大峰、
あるいは大阪市内なんかもさす道標です。



そう、杭全神社がここまであったんですねえ。
ふと北側を見ると大きな鳥居がありました。



杭全神社の参道入口です。
ずず~っと入っていくと、
大きなクスノキです。





樹齢は約1000年と書いてありました。
あれ?法楽寺のクスノキは
住吉大社に次いで大阪で2番目
と書いてありましたが、
ここの説明からだとちょっと?ですな。

まあ、いろいろ巨木には
巨木の事情があるのでしょう。
60年のdoironにもいろいろあるわけですから

そのクスノキからさらに奥に入っていきます。
熊野権現に関連する本殿の西側にあったのが、
先ほどの念仏寺と同じ巨大なイチョウです。



おっ、ここのイチョウには
小さな乳だれができていますねえ。



ということで
これで今回訪ねる予定だった
巨木はすべて回りました。

当初は巨木に潜む陰謀と
それを取り巻く巨大力士の陰謀
との闘いを想像してたのですが、

いやあ、こういう人々の信仰を集める宗教や
スポーツ人気の中には
なかなかそういうものは見つけられません。

いずれの場でも小さな我々は
細々とただ崇拝するのみでした。
陰謀はこちらのほうが多いかもしれません。

とまあそんなわけでドジ旅第5弾は
これにて終わりですが、
ドジ旅シリーズはまだまだ続きます。

次回は友ヶ島が待っているのか?
あるいはまた別の陰謀が待っているのか?

またお楽しみにお待ちください。

鑑賞後、平野の駅前で





手ごろなお店を見つけて大乾杯をやりながら、



doironの還暦祝賀も行ってくれた仲間とともに





めでたく還暦前の最終歩行を終えた
ドジ旅だったのでありました。


ドジ旅日記 巨大生物の陰謀編 3

2016年03月24日 21時45分30秒 | ウォーキング

その力石に書かれてあった名前は
「千代の富士」



これは、この力石を持ち上げさせて
お祈りさせようという陰謀ですか?
いえいえそうではありません。
力自慢の石です。

じつはこの山阪神社には、
あの千代の富士の「九重部屋」が
宿舎をはっていたのでした。

力石は入門関取の入学試験・・・なわけはないです。



本殿の奥に入っていきますと、
そこに練習部屋がありました。



窓から除いてみますと、
その中には土俵があり、
しかもその土俵に「必勝」の文字が
塩で刻んであるではないですか。



たぶんみんなあそこで円陣を組んで

「今日も頑張るぞ~」

と声をかけた関取に掛け金が支払われるわけですな。

なんてことを言ってると、
張り倒されそうです。

相撲取りには勝てそうもありません。
まだ、陰謀と闘っているほうが楽そうです。

と、その時です。
裏の公園の方に向かっている二人の力士が見えました。

近づいていくと、
どうやら選択した稽古まわしを
干しにきているようです。



う~む、まわしの全貌がよくわかりません。
どこをどこにかけてどう占めるのでしょうか。
いたくないのかなあ?
気持ちいいのでしょうか?
一体どれくらい占めるのでしょうか。
そこに力士の陰謀はないのでしょうか

むむ~謎だらけです。

特に、トイレがあれば用足しに駆け込む我らにとって、
おしっこできないまわしで歩くというのはもう殺人行為です。

相撲取りも年を取ったら
そんなことに真剣に悩まないといけないかもですね。
まあ、還暦迎えて相撲とる人はいないでしょうが。

ネットで調べてみたら、
けいこまわしは前の部分を
垂らしてできるそうですよ。
よかったですねえ。

でも、化粧まわしや本番の締め込みでは
トイレはできないみたいです。
当日おしっこが近かったり、
お腹の緩い力士がいたら大変ですねえ。

いやあ、まわしに秘められた
力士の苦労を知ってしまったようです。

あ、そうそうここにはもう一つ見どころはあります。
それが「田邉町之碑」です。



そのむかし、ここに渡来した「田辺史」の名前から、
この地域の田辺というのが決まったようですねえ。

巨木、力士、地域のいわれも潜んだ山阪神社。
ドジ旅にはちょっと拡張が高かったかもしれません。



さあ、では次の目的地である
「田辺不動尊法楽寺」に向かいましょう。

山阪寺の近くの商店街には
「九重部屋」の歓迎幕がかかっていました。



ここで、なにか昼食代わりに
食べるものでもと思ったのですが、
それらしきものがありません。

むむ~これは陰謀です。
闘わなくてはなりません。



ぐわっ、ここにもまわしが干してある。
いや、ちょっと寂しい商店街の屋根でした。

法楽寺に向かって歩き回った挙句
スーパーを見つけたので、
ここで、昼食を買いました。



今日はこの後、歩行後に
一杯ひっかけて帰るのですから
まあいわゆる予行演習というやつで
ビールとおにぎりを買いました。
ブラドジにはピッタリですなあ。

ではまあ法楽寺で見学をした後
休憩しつついただきましょう。



まずは巨木です。



ここもまたクスノキのようです。
樹齢は800年くらいと言われています。
大阪市内でも昔は2里ほど先からでも見えたといいます。
住吉大社のクスノキに次ぐ古さ
と言われているそうで、
大きなクスノキは広大な影を作り、
多くの信者がこの木のところに集まったそうです。

ああ、そうかあ、神社や寺院にクスノキが多いのは、
目印になったり
そんな広大な日陰を作ったりもするんですね。
そんなクスノキの横には、

「田辺大根」の碑です。



この法楽寺周辺はこの大根の産地でした。
特に品種改良された筒状の大根は、
この法楽寺の「西門」の横門の名前を取って
「横門大根」と言われていたそうです。

ある時絶滅したと思われていたこの大根も
ある日市場に出ている大根を
偶然に発見した人が種を譲り受けて育てたそうで、
今は和泉市などでも盛んにつくられているそうです。
巨木だけでなく、こういう小さな植物も
命をつないでいくのは大変やねえ。
巨木の横にはこんな大事な
植物の碑もあるのでありました。

碑から生えている大根が面白い。

さあ、ではお昼時間です。
頭ではなく、鐘をついて



食事に向かいましょう。


ドジ旅日記 巨大生物の陰謀編 2

2016年03月23日 21時24分12秒 | ウォーキング

さて、住吉大社の訪問は終わりました。
もうご加護はいっぱい授かりました。

さあ次はあびこ観音を目指して



南東の方向へと移動です。



あびこ筋を東に向かっていきます。
コンビニでトイレもすましながら
歩いていきますと
やがて、道の周りにはお店も現れます。



doironはイカ焼きのこういうお店に、



ジダンは日本酒の並ぶこういう店に、
そして、セイゾーは「タマヤンチーノ」という
こういうお店の名前に反応しております。



こうして店をいろいろみていましたら、
ウヒャー猫ににらまれてしまいました。



さて、この辺りがJRの我孫子町駅です。



もう目的の観音さんは近くのはずです。
大きな木を探しましょう。

これじゃありませんし、



おおこれです。



境内の中に大きなクスノキが見えています。

それにしても、神社の大木は
この「クスノキ」が多い。
虫よけなどいろんな用途があるからかなあ。
それとも長生きで大きく育つからかなあ。

樹齢何百年、中には1000年という木も多い。
これまで見た中で大きかったのは、
2013年に行った熊野古道の泉南にあった
樹齢1000年の「岡中の楠」かなあ。



この我孫子観音のクスノキは
樹齢が800年だそうです。





幾多の戦争を乗り越えてきたんですねえ。

また近辺にはそうやなあ
樹齢500年くらいのクスノキも立っていました。

え~っと、ちなみにdoironの樹齢は60年です。
戦争も知らんし、かわいいもんですなあ。
今日は巨大な陰謀と闘いに来たのですが、
こんな年上の木々を相手に
とんでもない話。
おとなしく拝んでおきましょう。



こんな巨木がそびえる
あびこ観音の御本尊は、
身の丈1寸8分の聖観世音菩薩である
というのも面白い話です。



それにしても、境内を散策する猫にも
迫力がありますな。

そうそう、このお寺では現在
真田丸のお守りを発売しています。



敵同士だった家康と真田丸をあしらったお守りです。
いやあ、懐のひろいお守りです。



ではぼちぼちここも出ていきましょう。



途中、王将と



大阪王将を眺めつつ、



北上していきますと
つい最近いった長居公園にまた出てきます。



そうこの長居公園には
相撲部屋宿舎が2つもあるのです。

一つはここ、鏡山部屋です。



スタジアム入り口近くのお寺に陣取っています。
ここに宿舎があったら足腰を鍛えるのに
マラソンしたりは・・・してないでしょうな。

もう一つは芝田山部屋ですが、
長居ユースの方のこちらには寄れませんでした。
夕方くらいになったら散歩くらいはするのかなあ。
力士が10人くらいで散歩してたら、
思わず拝んでしまいそうですな。

この長居公園にはさして巨木はありません。
なにせ、doironが生まれるまでは
競馬場と競艇場だったんですからね。
ここはまあ、doironにしてみれば
年下なわけでありますな。

あ、本日はセレッソの試合があるようです。
入り口の方には大勢のファンが
たむろしておりました。

大相撲の陰謀、サッカーの陰謀に
まみれていた長居公園であったわけですな。
あ、まみれていても
相撲賭博や、サッカー賭博ではありませんよ。

しかしそれにしても試合前の待機の状態とか見ても
サッカーの応援って大変そうですねえ、
歩き回っているほうが楽そうですやん。

さて次の巨木は、
田辺にある「山阪神社」です。
大阪市内の住宅街を歩いていきましょう。



ここまで猫は元気に気を放っておりましたが、
この犬は静かですねえ。
陽だまりで昼寝中です。



え~っとジダンの記憶を頼りに、
きょろきょろと周りを探しておりましたが、
なんとこの辺りは大阪市内歴史の道の
案内が埋まっていました。



これを頼りに進んでいったところが、

山阪神社でした。



入り口には大きなクスノキがあります。
これがその御神木です。



境内に入っていきますと、
先ほどは「おもかる石」でしたが、
ここには力石が並んでいます。



明日のジョーのライバルではありません。
もとはといえばおもかる石から生まれ
力自慢に発展した石です。

ん?一番右端の力石には名前が書いていますよ。



どれど~れと続く。


ドジ旅日記 巨大生物の陰謀編 1

2016年03月22日 21時03分06秒 | ウォーキング

え~今回の旅はスタートが住吉大社駅です。



ここから東を向いて進み、
ブラドジ歩きしたのちに
JR平野駅に到着となるのが今回予定の旅です。

参加者たちとは南海電車で待ち合わせしました。

今回のゲストは、ドジ旅初めての参加者
「セイゾー」も参加します。
新社長の元、仕事でもいろいろとあるようですが、
頑張って参加となりました。



さあ、ではこの記念すべき場所から
ナビをスタートさせましょう。
公衆トイレ!



セイゾーはさておき
ジダンとdoironにとっては欠かせない存在です。

窓からフェンス越しに見えるのは



間もなく消える「住吉公園駅」です。
今年の1月31日に
運航を終えた阪堺線の駅です。



もう今はだれも使っていません。

このとき写真のホームに残っているのが
防火用水入れで
かつてはここで金魚が買われていたそうです。

それにあの有名だった
平面交差もそのうちなくなるんでしょう。



陰謀に負けたんですかねえ。

駅を外から見たらこんな感じです。



右が阪堺線、左が本線駅です。
そんな駅を後にしながら、
さあ住吉大社に向かいましょう。



と、ここでセイゾーがふと立ち止まりました。
な、なんとお土産を買い始めたのだ。



むむ~、陰謀との闘いの前に余裕である。

そこから汐掛道に並ぶ住友灯籠を
眺めながら進んでいくと、



鳥居が見えてきました、住吉大社です。



さあ、入っていくよ。

とその時である、
丹後の局が石を抱いて
男児を出産したという誕生石の近くで、



マガモが愛の営みを・・・。



う~、この誕生石は
マガモがメスガモを落とす陰謀に違いない。

ぼちぼちと小さな陰謀が顔を出し始めている。

では頑張って太鼓橋を渡ろう。
うんとこしょ。



お~、なんと奥の社殿で結婚式です。



こ、これはまた今日は
男女物語でもおめでたい日なんですなあ。

ちょうどそんな日にふさわしい
「夫婦杉」が社殿の奥の方にありました。



樹齢約800年のクスノキです。
へえ~、800年とは、
これまた長い間夫婦ですねえ。

きっと陰謀に・・・
いやそんなことはありません。
間違いなくありがたいんでしょう。

深くは追及しないでおきます。

それにしてもこういう巨大な木は、
なかなか全身を写しにくいですねえ。
全部を移そうとして離れたら
ほかの者に妨げられるしなあ、



上を見上げてとっても
なにか巨大感がうつりにくいしねえ。

これはもう巨木の陰謀ですかな。

仕方なく地形に合わせて
その場その場で対応するしかありませんな。

この木の根元には「楠捃神社」という神社があります。
その周りに初辰祭りの旗がいっぱい立っていましたが、
そんな旗の中にこんな旗が混じってました。



2007年のちょうど今頃、
この薬を買いに行き



飲んだブログを書いていますから
懐かしかったです。

ちょうどこの住吉大社には、
ほかにもこんな「カイヅカイブキ」や



かなり傷んだこんなクスノキもありました。



神社を一歩出たら住宅やビルが立ち並ぶ地域ですが、
こうして人々が祈りに来る場面には
こういう巨木がそびえているのですね。
ありがたくお祈りしておきましょう。

そしてこういう場所によく宿舎を組むのが相撲部屋です。

3月の大阪場所に向けて
ここ住吉大社にも「立浪部屋」が
相撲部屋宿舎を作っていますが、
この日歩いたコース内では
それを見つけることはできませんでした。

住吉大社は白鳳や日馬富士が
奉納土俵入りを行った神社でもあります。

巨木のそびえるそばに巨大な力士。
今日はこの先、こういう場面にも多く出くわすはずです。

われわれおじさんブロガーにとって
どんな巨大な陰謀が
降りかかってくるかわからないが、
まあとりあえず進んでいきましょう。

ここを出てしばらく歩きます。
大社の周りにはいろんなお寺がありますねえ。

住吉神社の末社である
「おいとしぼし社」に到着です。
ここには「おもかる石」があります。

願いをしながらこれを持ち上げて、
軽ければ願いがかなうという石である。



doironも軽ければいいなと持ち上げましたが・・・
むむやはりこの石の重みは結構ありました。

え~、お二人にはどうだったでしょうか。





つづく