ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

臨海町はT本さんの職場1

2020年06月30日 21時07分32秒 | ウォーキング

この前、首藤さんの働いていた
会社を見に行きましたねえ。
北の海で魚を捕まえる
漁師さんと思っていたのに、
なんと北海グループの会社の
役員さん。鉄鋼関係の仕事で、
なんと50年働いたそうです。

50キロ走ってウルトラとか
そういうすごさじゃなくて
50年働いたという
ウルトラ社員だったんですねえ。

で、次に確認してみようと思ったのは、
首藤さんも含めてよく旅行に行った
T本さんの働いていた会社です。

泉大津の臨海にある
薬品会社なんですが、
なんか石切の阪本赤マムシの
会社に似た名前だったんです。

会社名を聞いた時、
doironは彼の仕事を
なんと赤マムシの檻の中で
長靴掃きながら床掃除をする
蛇使い師のような姿を
連想してしまいました。

「おお~オスのマムオ君は元気だなあ」
「メスのマムコは恥ずかしがりだなあ」
とかいいながら、笑顔で
掃除をしてはります。
と勝手に連想していたら、
なんとマムシではなくワセリン関係の
薬品なんかを作る会社の
現場の技術者だったということが、
後のエイでの会話で明らかになりました。

彼はなんと42年間そこで
働いたそうで、仕事は
フルマラソンと同じだあ、
なんて言いながら
円満に退職しはりましたね。

今は実家のある和歌山市で
水泳や山登りを楽しむ
おじさんになってはります。
決してマムシを飼っている
わけではありません。

そんな彼の会社なんですが、
実はdoironは外観を
全く知りませんでした。
同じようにマラソンを
やっている人たちも
大勢いてはったので、
色々付き合いもあって、
会社は多分ここらあたりにある
ということは知っていたのです。

でも、現物の会社を見たことが
ありませんので、この際です、
泉大津の臨海地帯を歩き回る歩きの中に、
その会社あたりをくわえて
歩きに行くことにしたのです。

いろいろと何かと目標を定めて
楽しんでいるでしょ。

今日はいつも通りに
こんな格好で歩きます。



もうこれで道ですれ違った人に
キムタクと間違えられることも
ないほど変装をしています。

補聴器と間違えられそうな
ヘッドフォンを付け、
マスクはなんとBBQと
印刷したおちゃらけマスクで
帽子にサングラス。
すこし以前だったら、
強盗と間違えられて
このままコンビニにも
入れないような姿で
出発してゆきます。



そうそうなにか事件があった時に、
犯人がまだ捕まっていないときの
目撃談はどうなるのかなあ。

犯人は背は低く、やや太り気味。
髪の毛は多いのか少ないのか
わかりません。
年の頃なら、う~ん何歳にみえるかなあ。
ここが問題ですね。
40歳くらいの青年風おじさん、
だったらうれしいなあ。
まあそんなことはないかあ。

とにかくはまあ気を取り直して
出発です。
村はずれの、多分今年は村人集めての
地蔵盆のお参りは行われない
地蔵に行ってきますと報告です。



通りに出ますと、高級バイクを
扱っている自転車屋さんの
近くを通ります。



近所に引っ越してこれらたときに、
すぐに自治会に入って
こられて組長さんとかを
頑張ってはりますよ。

そんな店を見ながら
隣の村中に入ってゆきます。



ここにはせきの地蔵がありますね。
doironが所属している
地蔵講のお隣さんです。
お参りしてゆきましょう。



この公園のあたりは昔の
小学校時の通学路ですねえ。



そしてここには山王院跡の碑があります。
先日の高石歩きの時に学びましたね。
村社になって今は氏子代表をやっている
神社に合祀されています。

もともとは最澄の寺だった
らしいのですが、
あんな大物がここにも来ていたんですね。



そしてこの医院は、
doironの子どもの時の病気を
いろいろと直してくれました。

今でも訪問診療も
してくれるんやなかったかなあ。
けっこう地元では
よく知られているいい医院です。

続く

 


水中貯木場を見に行く

2020年06月29日 21時10分53秒 | ウォーキング

泉佐野とか南の方から阪神高速湾岸線に乗り、
大阪向いて走ってきますと、
岸和田の北の方で左の海に
変わった景色が見えてきます。

海の中に、ポツンポツンと
ドラム缶のようなものが
等間隔に浮かんでいます。



まあ見た感覚通りに、木を浮かべておく
水中貯木場があるわけです。
どんな構造になっているかはわかりませんよ。
でもまあ木を置くエリアが限定できるような
感じになっています。

でもねえ木って建設資材なんかにするときに
乾燥させないといけませんよねえ。
なのに水中貯木場って変やなと思いませんか。

調べてみたら理由がありました。

木ってそのまま地面で乾燥させると
ひびが入ったり割れが出来たりします。
それは木の中でも赤身や白身といった部分で
乾燥時の収縮率が違うので
そういうことが起こるんだそうです。

でも水中で乾燥させると、
木の成分とかの加減で
そういうヒビや割れといったことが
起こらなくなるそうです。

そんなことから水中貯木というのが
メリットあったりするそうです。

今日の歩きは、忠岡から
岸和田にかけてのそんな
水中貯木場を訪ねていく旅としましょう。

まずは南海本線の松ノ浜方面を
目指してゆきます。

そこから我が市では珍しい
「右 信太森十八丁 葛葉稲荷」の
道標なんかを眺めながら



松の浜の町内に入っていくと、
ここにはあの滋賀県の膳所城から
昭和の初期に移築した
高麗門がありましたが、
二年位前の台風で
崩れ落ちてしまいました。
まだかわいそうな姿ですねえ。



そこからジダン家の所を通り、
臨海の一本山手の道を
南下してゆきます。
ここらは静かな住宅街ですねえ。

どんどん歩いて行くと、
浜街道のところに出てきます。



そのあたりから臨海の道に出て、
先日は南側の歩道を歩いたのですが、
今日は北側の歩道を歩いてゆきます。



淀川製鋼所の横を通ってゆきます。
この会社は様々な鉄鋼製品を
作っていますが、
ここ泉大津工場では「グレーチング」の
製造を行っているそうです。



汐見緑道の入り口もかすめて、
この先で臨海道路の



大津川大橋を越えてゆきます。



ここでは大変驚きましたねえ。
階段を上がって橋げたの上に
立ったときに、その橋の
揺れること揺れること。
大丈夫かなあというほど揺れましたねえ。



も、もしかして巨大地震?
津波は大丈夫なのかと
一瞬考えましたが、
耳にしているヘッドホンから
そんなニュースは流れてこず、
あいみょんの曲が静かに
流れているだけでしたので大丈夫です。



橋を降りたら、忠岡の
臨海地帯に出てゆきます。
右折して、一番奥を目指しましょう。



テニスコートなんかを眺めながら、
突き当りの新浜緑地まで
約1キロを歩きます。
この時に右に見えているのは
大津川なのでまだ貯木場ではありません。
やがて到着した突き当りを左折し、
広い道路をどんどん南下してゆきます。

右側にみえる会社群は
木材関係の会社が多いようですねえ。
会社名がそんな感じになっています。

そうしてここも1キロほど
歩いたところで右側に
広い道路が見えてきますので
左折してその道に入ってゆきましょう。



この地点が本日の最遠方地点に
なりますね。
そして工場を抜け、
海が見えたあたりが、
目的の貯木場です。



さすがにこの時は木は一本も
浮かんでいませんでしたねえ。



ベテランのおじさんが、
木に乗って木遣り歌を歌いながら
浮かべた木を整理している
なんて情景はありませんでした。

まあそんな景色なんてもうないんやろねえ。

この道路は両側を貯木場に挟まれた
長い一本道です。
まあ歩いて通る人なんか
いないんでしょうねえ。

時折道の片隅に、生活用具を
すべて積み込んだような車に乗って、
猫と戯れている人もいましたねえ。
釣竿もたらしていましたから、
ここで生活とかしてはるんでしょうねえ。
なかなかすごい景色でした。

道はやがて阪神高速湾岸線の
岸和田北出入り口に
差しかかります。



ああ、やっと埋め立て地を
制覇した感じですね。

帰りは大津川をさかのぼって
帰りましょう。



今日歩いたのは、26603歩で
20.6キロですねえ。

まあこんな風に書いてますが、
午前はデスクワーク
午後は歩きの総合計です。
朝の公園散歩の歩数も
入っていますからご注意ください。
何の役にも立っていませんが・・・

では海辺の方に、
ポチンと赤いシールを
貼っておきましょう。



次回は、この前首藤さんの
会社を目指して歩いたように、
今度はT本さんの働いていた
会社なんかも眺めながら、
再度臨海地帯を歩くことにしましょうかね。

 


摩湯山古墳を目指して歩く

2020年06月28日 20時51分52秒 | ウォーキング

歩き地図作成の興味も加わって、
家を出てハードに歩き回る
運動がここんところ続いています。



足の故障も完全に治りましたので、
どんどん出てゆきますよ。
もうこんなに燃えているのは
初めてロングトライアスロンに
出ようとした時以来の燃え方でしょうか。

首筋はもう鉛色に焼けていますし、
腕も真っ黒です。
若い時なら赤銅色というような
どす黒い腕なんですが、
年取って表面にも張りが亡くなったので、
中途半端に焼け焦げた
老杉の枝みたいになっています。

そしてさらには、顔の半分が
日焼けしてトンネルを抜けて出てきた
炭鉱夫のようです。

まあこれは、コロナ架による
マスクの日焼けなんですけどね。
もう全身がそんな感じなんですが、
それでも懲りずに
「さあて今日は摩湯山古墳だあ」
とかいいながら、耳に
ワイヤレスイヤホンを付け、
ナマケモノの柄の手作りマスクをし、
さらに白内障予防のための
サングラスもつけながら
出かけていくのでありました。

もうなんか無人島の宝物探しの
海賊のような感じです。
まずは曽根神社にお参りしていきます。



「今日も楽しく歩けて、
無事に帰ってこれますように」
と唱えておきます。

あ、この撫牛にもお祈りしていきましょう。
脳が大丈夫でありますようにっと。



今日は信太山の駅前から、



熊野街道に上がっていきましょう。
以前から気になっていた
こんなうどん屋のある



V字型交差点の左の道に入っていきます。
そしてこんな交差点を
右に曲がって街道に入っていきます。



こんな古い建物があったり、



なんか入りにくそうなお店を過ぎたら、



左に自衛隊が現れます。



ああ~もしかしたら自衛隊員以上に
行進しているかもしれませんな。

左が槇尾と書いてある
道標のあるを交差点を右に行きます。



これが熊野街道ですね。



伯太小学校の横を通り、



伯太高校も過ぎてゆきます。
こんな道標を見つつ街道を進んでいくと、
井ノ口王子に出てきます。



まあもうこの辺はジムの近くなので
毎日といっていいほど
やってくるところです。

あ、ジムは車で行きますけどね。
たまに自転車で行ったりもします。

和気町から街道を離れ、
各地の道標でよくあらわれる
妙泉寺へと向かいます。

そこから小田町へと進んでいきます。

これは久米田池に行った時に
通った道ですね。
田舎道を歩いて行くと
松尾川を越えてゆきます。
その川の横に、なんか歩きやすそうな
道がありますね。
この川は泉北1号線を越え、
松尾寺の少し上流を水源とする川です。



これはもう近々さかのぼって
いかなくてはいけませんね。

道は大きなスーパーの裏側を通り、
牛滝街道を横切って、
多治米忠岡線に出たら、
久米田池はまっすぐですが、
今回はその道を山の方へと進んでいきます。



ここをどんどん進んでいくと、
道の突き当りにバイク屋さんのある
交差点に出てゆきます。

実はそのバイク屋さんは、
ジムの知り合いのお店でした。
でも残念ながらご主人がなくなり、
今はもう店を閉めてはります。
人生はいろいろですねえ。

その交差点を左に曲がると、
すぐに府道40号線に出ますが、
今日の目的地はその府道を突き抜けて
さらにまっすぐ行ったところにある、
大きな池に囲まれてる



摩湯山古墳です。

ここは、摩湯町というところ。
昔山から温泉が湧いていた
ことによる地名だそうです。

この町内に入っていくのは
初めてですねえ。
近くは何度も通っているのにねえ。
まわりにこんな大きな池があり、
中に古墳がたたずんでいます。

意外に大きな古墳です。
丘陵の先端を利用して
作られた前方後円墳。

今回の歩きでここが
再遠方地点になりますね。
古墳の中身を見たいなあ
とは思うのですが、事前に
ネットで調べた情報では
立ち入りは制限されているようです。

被葬者もよくわかりませんしねえ。
まあ今回はすぐ横に来たということで、
古墳を右に見ながら下を流れる
松尾川の方に降りてゆきましょう。

この日もいい天気で、
空には太陽がギラギラしています。



ああ日焼けもますます
きつくなりますねえ。

松尾川も渡り、道はまたまた
弥生町の方に登ってゆきますから、
松尾川は谷底を作っていたんでしょうねえ。
結構な登りの道を
えっちらおっちら登ってゆきます。

和泉中央からの道に出たら
そこを下ってゆきます。

 


六地蔵を抜けて、
泉井上神社にも寄って
やっと帰宅ですね。

この日歩いたのは22325歩で
距離は18.6キロです。

 


またまた地図にプロットを
増やしておきましょう。

どんな地図ができるかなあ
楽しみです。
では明日は海の方へと向かいましょうか。

 


東岸和田までぶらつく

2020年06月27日 20時54分29秒 | ウォーキング

さあ次はどこに行こうかと、
前回の歩きの後で作った
地図を見ながら考えた。



今度は南の方かなあ。
和泉大宮と久米田池の間くらい。
東岸和田方面やなあ。
まあこっちはカイさんのお店もあるので、
たまによく行くところだから、
その辺の道ではなくて
岸和田の市立病院の裏あたりを
通って行くコースを歩くことにしよう。

まずは家を出て池上曽根史跡公園から
スタートしていこう。



藁ぶき屋根の住居の見本を見ながら、
泉大津高校の方へと向かって行きます。



コンビニを過ぎたら、
左折して26号線の下をくぐる
地下道を通ります。



ああ、ここはずーっと昔に
原チャリでつかまったことがあったなあ。



そんな地下道を過ぎたら
まだ登校していない様子の
支援学校を眺めつつ南下してゆきます。



阪和線をわたる踏切にある小さな地蔵さんは、



赤い帽子をかぶっており、



横に看板で「帽子をかぶせてくれてありがとう」
の小さな張り紙が張られてあって
にっこりしてしまいます。

そしてこんな飲み屋さんが、





どんどん続いていくのは
和泉府中の駅周辺ですね。
早く解除になって、この食堂に
また行きたいですね。



さあではこの辺りから
熊野街道が続いていきます。

和歌山県内を歩いているときは
ずっと「熊野古道」と言ってたのですが、
この辺では「熊野街道」や「小栗街道」
と書かれていたりします。
ここがその街道の王子である
井ノ口王子跡です。



その横の槇尾川を柳田橋で



越えてゆきます。
むかしこの熊野街道を歩き始めたころ、
ここにある道標を散々探した
ことがあるのですが、
その当時どうしても
見つけられなかった道標がこれ。



きっと橋の改修工事なんかで
一時的に取り除かれて
いたんだろうと今は思っています。

そしてこの橋を渡って
すぐのところにある狭い道を
歩いて行きます。
多分これが熊野街道なんだろう
と思いますが、このあたりだけ
何となく熊野街道があやふやなんです。



JRの久米田にある30号線の
道標くらいまでは何となく
ここかなあというような
道がありますが、
道標が別のところにあったりして、
多分都市開発に伴い
変遷していったのでしょうねえ。
長い熊野街道のうち、
このあたりが何となくあやふやなのは
惜しいですねえ。

で、今日歩いたのは、
このあたりから国道26号に
並行してついている
住宅街の道をゆきました。



この道は熊野街道からは
少し西にずれた道のようですが、
結構まっすぐでいい感じに続いています。

我が町の老人会で新年会をやった
ホールの裏を通り、



doironのメインの病院である



岸和田市民病院も抜けていきます。



最近はこの市民病院からも
メインは離されて、小さな近所の
病院でとなり、薬をもらっている感じです。

そしてやがて道は
東岸和田近くになってきます。



あっさり書いていますが、
ここまで来た時間を考えたら、
このままカイさんとこで
お茶を飲むのも忙しいですね。

今日はまあここから帰っていきましょう。

帰りはしばらく熊野街道を通り、



久米田の駅の近くから来た道へと
戻っていきます。
太陽もかなり低い位置まで
降りて来たころにようやく
和泉府中に到着です。
その駅も過ぎて、ようやくわが家へ。
こうして今日の歩きも終了です。

この日は、25969歩で
20.7キロとなりました。
ええ感じですねえ。



作成している地図がなんか楽しい
地図になってきましたよ。
次はどこかなと考えるのも
なんか楽しいです。

コロナの時代のええおもいでと
なるでしょうね。

そして次は、久米田池と和泉中央の
間くらいを目指しますかね。

地図を見ると磨湯山古墳というのが
あるようです。
まだ未知の場所ですねえ。

次回はこの場所まで歩いて行きましょう。


平井大橋ってどこ?2

2020年06月26日 21時16分51秒 | ウォーキング

泉北二号線をこのまま進み続けても、
どんどん我が家は遠くなってゆきます。
これはもう途中から右折して、
信太山丘陵の方に向かって
いかないといけませんね。

前方に阪和自動車道が
グルっとまわっていきますので、
あれに沿って行きましょう。

でもこの辺は自分にとっては未踏地です。
何となく方向だけをみうしなわないように
しつつ村中の方に入って行ってみましょう。

本日の再遠方地点をこの王将として、



そこを過ぎて、こういう心惹かれるような



お店の前から村中の道に入っていきます。



静かな住宅街ですねえ。

小代というところのようです。

この辺は泉北二号線が通る前は
かなりの田舎地区だったんでしょうねえ。

地蔵があったり、



道の端っこにこんな常夜灯が残っていたりします。



古い道を通り、田んぼの中の道を
抜けて阪和道をくぐったら、
その側道を進んでいきましょう。
時折小さな町工場があったり、
開発されたばかりの新しい住宅地が
あったりする道を進んでいきますと、
ああこんなところにカフェがありますよ。



ん?おお~、
なつかしいトライアスロンクラブの
名前があるじゃないですか。



そうかあ、ここに引っ越してきてたのかあ。

これはもうここで見つけたのは
運命のような感じですね。
せっかくなので寄っていきましょう。



このクラブには大変お世話になっています。
むかしトライアスロンに
取り組み始めたころ、
個人でレースに出るのは大変でした。
レースそのものも多くはないのですが、
申し込んでも審査も厳しくて
なかなかOkが出ませんでした。

申し込んでも申し込んでも不選考。

ああ、なかなか夢もかないません。
とはいえこんな風に泳げれるように
なったのが最近という選手ですから、
ロングの大会なんかは
自分なりにも少し不安がある中での
申し込みですから
仕方ないかもしれないねえ
という感じもありました。

水泳の危険、バイクのハードさなんかを
考えれば、大会側も誰でもいいよって
感じでもないでしょうしね。

ではどうしたらよいか。

ひとつは、プールなどを使う
小さな大会から実績を
積み上げていく方法です。

そしてもう一つは、有名なチームの
一員としてエントリーしていくやり方です。
その二番目の方法で、
このチームにも入会して
やっと大会に出れたという
実績もありました。

以後はその実績をもとに、
積み上げていくことができましたので、
よかったですね。

ほかにも羽曳野のチームにも
エントリーしていたので、
これらのチームは僕の
トライアスロンの恩人ともいえるチームです。

店の中に入っていくと、
懐かしい自転車の整備の人がいました。

「ああ、こんにちは。久しぶりです」
から始まって、昔の話が始まりました。

「ところでdoironさんはどこに車止めた?」
と聞かれたので
「歩いてきたよ」というと
びっくりしてはりましたねえ。

「そのうちまた自転車持ってくるから
整備してね」と約束して、
30分ほどで店を出ました。

いやあ、ほんとに懐かしくてよかったです。

そこを出たら、あああんなことも
あったなあなんて思い出しながら、



歩きはどんどん信太山の方に
向かって行きます。



そして伏屋の交差点に出たら、
そこから信太山丘陵の
歩道のない狭い道を車に注意しながら
歩いて行きます。

今回は丸笠山古墳のところから



信太山駅の方に降りてゆきます。
熊野古道を越え、
伯太神社の横を抜けると



その駅に出ます。



そこから池上を抜けると、
池上曽根史跡公園です。

曽根神社にお帰りといって
今回の旅は終わりです。



平井大橋がどこなのか
よくわかりましたねえ。

今回は27994歩で
22.6kmを歩きました。



地図にまた一つ赤いプロットを
残しておきましょう。



さて、次は南の方に向かって
歩きましょうか。

 


平井大橋ってどこ?1

2020年06月25日 20時42分40秒 | ウォーキング

さあ、足の調子も良くなりました。

歩き始めだけ少し違和感がありますが、
すぐにわからなくなってきますので、
もうこの故障はしばらくは大丈夫です。

動かしすぎて足を故障するなんて
散々しましたからもうわかっています。
ではまた頑張って家からの
往復歩きをしていきましょう。

今日の目的地は平井大橋です。

え?それってどこ?
と思いつつも
見たことがあるような
橋の名前ですねえ。

実は100円高速を降りて、
泉北ニュータウンの方に
入っていく交差点のあたりにある橋です。
石津川にかかっています。

作り始めている歩行地図でも
この辺りは空白ですから、



それの穴埋めでここを
目指して歩いて行きましょう。

まずは地元の神社に寄って、
行ってきまあすと
あいさつしていきます。



神社の裏の公園を横切り、



いつもよく行く焼肉屋さんの横を
通って行きます。



この焼肉屋さんの人気はすごいんです。
先日、ミセスと出かけていったら、
「今からだと1時間半待ちとなります」
なんて言われてしまいました。
時間はまだ17時半頃ですよ。

「ああそうですか。」とへこんで
店を出て、隣のコンビニで
おつまみになるようなおかずを買い、
豪華ビールも買って帰宅。
その日はそれをいただきました。

まあ焼肉屋に行くことを思えば
3分の一くらいの出費で、
結構楽しめましたよ。
まあいろんな楽しみ方があるものです。

そんなことを思い出しながら
高校の横を通り、



阪和線の方を目指します。



踏切を越えてこのまままっすぐ
上がっていったら、
平松王子のところに出るのですが、
今日はすぐに左折し、
しばらく線路沿いを歩いて行きます。



そして北信太の駅の手前で右折し、
今度は30号線をめざしましょう。



太町の交差点の手前くらいまで来ると、
北側に緑の塊が見えてきます。



これが信太貝吹山古墳ですね。



昔の百姓一揆の時に、
ここでほら貝を吹いて
みんなを集めたというところから、
こういう名前になっています。

割合大型の帆立貝式古墳で、
先日訪ねた黄金塚古墳に次いで
建てられています。
和泉市ではこのコロナの間に、
黄金塚、丸笠山、信太貝吹山の
古墳を回りましたねえ。
まめですねえ。世の中にはもっと
古墳おじさんてのも
いるんでしょうがねえ

そして高架道路のところに出たら



そこが泉大津美原線です。
100円高速道路の下の部分ですね。



平井大橋まではこの道の歩道を
どんどん進んでいきます。



交通量が多いので、
あまりいい感じではないですが、
広い歩道が気持ちいいです。

熊野街道との交差点も過ぎてゆきます。



昔は、ランニングの練習の
ピークの頃は仕事の帰りに
よくここを走って帰りましたね。

信太山から続く坂道を
軽く上ってゆきますと、
ちょっと田舎風な道になってゆきます。

田んぼやため池沿いを進んでいきますと、



ああこの交差点のあたりは



昔はトライアスロンの
ショップに行く時によくとおりましたね。
もうあのお店は引っ越したんだよ
と泉州マラソンの応援であった時に、
会長が言ってました。

まだ皆さん頑張ってはるようですねえ。

やがて道路はちょっとに
ぎやかな場所に差しかかって
いきます。
そこが目的地「平井大橋」です。



泉北二号線沿いに流れている石津川を
わたる橋ですねえ。



大きな橋です。
交通の要所ですから、
たまに耳にする名前の橋ですねえ。
ここが今日の目的地なんですが、
地図を眺めますと右折して
もう少し石津川の上流が、
本日の再遠方地点でしょう。
しばらくは川沿いに
泉北二号線を歩いて
行くことにしましょう。



阪和自動車道の堺インターを
越えてゆきます。

あれ?道になんか木の実が
落ちてべちゃべちゃしてますよ。
ああ、桑の実がたくさんなっています。



ためしに一粒食べてみましょう、
と思いましたが、
こんな交通量の多い道路の
横にあるので何となく抵抗があります。
また表面を水で洗い流せたらいいのですが、
持ってるのはお茶だしなあ。
まあ見た目はとても
甘そうに見えるのですが、
今回は遠慮しておきましょう。
デリケートな胃なのでね。
またどこか静かなところにあれば
つまんでみましょうかね。
あきらめてもう少し先に
進んでいきます。

続く

 


お絵かき遊び2

2020年06月24日 20時54分03秒 | お絵かき

新聞社のイラスト欄に絵を
二枚続けて掲載してくれたので、
なんかもうそれがすっかり
お気に入りになっています。

いろんな人から連絡をいただきました。
東京の義兄からも連絡があったし、
和歌山の友達からも
お祝いメールをいただきました。
何も連絡してないのになあ。

やっぱりお絵かき欄は本当に
全国版だったのですねえ。
ありがたいことです。
もし義理のお母さんが存命だったら
めちゃめちゃ喜んだでしょうねえ。

「イセエビの刺身買っておいで」
とか
「てっさも買っておいで、お祝いしよう」
と大騒ぎだったと思います。

なにせ、僕が絵を描き始めたころから
義母さんも一緒に始めはりました。

それからはデイサービスに行って、
絵手紙会で絵を描くのを
とても楽しみにしてはりましたからねえ。

普段からそこで描く絵や
言葉をつねづね考えてはりました。
ボケ防止には最適でしたね。
時にはお絵かきお披露目ごっこをしつつ、
ああ私もこんな素材の絵を描こう
とか言い合ったりもしました。

今でもたくさん残っている義母の絵や
それを使ったカレンダーなんかはもう
doiron家の宝物のようです。



言葉も良かったな。

流暢な関西弁で、義母の心が
しみじみ伝わってくる作品群なんです。


ああ、退職後にこんな趣味を
一緒にやっててよかったなあ
と思っています。

そんな義母ですから
新聞に載ったことを告げたら
大喜びだったでしょうねえ。

多分座布団の上で1メーターくらいは
飛び上がったと思います。
そしてさらに思うのは、
生きてたらその義母の作品も
投稿できたのになあてことでした。

まあもう90歳ですから
受かる可能性は高かったのになあ、
なんて思ってしまいます。

これらのことは近々、當麻寺にある
義母さんの墓に報告に行こうと思います。
墓石がドヒャーんと
飛び上がったら怖いですねえ。

とまあこんな具合に自分の中に
浮かび上がった新しい楽しみを
も少し経験してみたいなあと、
掲載を期待しながら
しばらくは投稿を続けていこうかな
って思っています。

次の作品はもう出来上がっているのですが、
さらにその先の作品も絵が
出来上がりました。

笹かまぼこの絵なんですが、
これがねえなかなか出来が良かった。
石巻出身の人にその絵だけ見せたら、
すごい喜んではりました。

まああちら方面の名物でも
あるわけですからね。
でもその笹かまぼこに
いれる言葉がまだ決まっていません。
ヒントはあるのです。
表面に描き込んだかまぼこの
焦げ目がとてもよかったので、
いれる言葉は「焼きを入れて」なんて
フレーズが入るはずです。

時々気分転換の時や歩いているときに
ふと考えたりしているのですが、
そこから言葉がなかなかつながりません。
もしかしたら、これまで何度か経験したように
夢の中にそんな言葉が出てくるかも
しれませんから、まあある意味自分に
期待しつつそれを待つことにしましょう。

ほんの数行の言葉なんですが、
自分の中をどんどん旅して
生まれてくるのですから、
やはりある意味とても
楽しいことで、意味ある言葉になります。

先日、知り合いにアスパラガスを
いただきました。
北海道の人からです。

これがとてもおいしかったんです。

そのお礼にと思って作ったのがこんな絵です。



アスパラガスの力強さと、
それを栽培している人たちへの
お礼を込めています。

そしたらこれを見た北海道の人が、
「今年は天候不順で難儀した
アスパラ農家さんや直売所の人たちに、
この絵を分けたい」と
いってきてくれはりました。

ウヒャー、いいですね。

こうしてできた絵が、
皆さんを励ますなんてねえ。
頭の中に北の国からの
さだまさしの歌が流れてくるようです。

よかった、よかった。

これからも普段から描いた絵が
ひとを喜ばせたり、
新聞に掲載されたりして、
ここで紹介できればいいなあ
なんて思っています。

なので今夜ももしかしたら
夢の中に出てくる言葉を
すぐに書き留められるようにと、
いつも枕元に絵とメモ帳を置いて、
次の絵の完成を祈っている
doironなのでした。

 


再び登った俎石山2

2020年06月23日 20時47分25秒 | ウォーキング

これがその池の中を泳ぐ、
オタマジャクシの超集団。



う~んあまりうつりがよくなかったですねえ。
でも本当に今までオタマジャクシを
見た中で最高・最大の集団でした。
あれが全部カエルになったら
この池の様子は恐ろしいことになりそうです。

まあそれも確認に来るのも
いいかもしれませんね。
もしかしたら小型の動物も
カエルを食べにやってきている
かもしれません。

タヌキとかイタチとかね。

う~ん、俎石山、ワイルドライフだあ。



登山道はその先から登りの
階段が始まりますね。



まあdoironにとっては
ここが一番気を付けるところです。

ゆっくりと、水分もしっかりとりつつ
登ってゆきます。
そうしていると前方に
一人登っている人がいますね。
ちょっと気持ちが楽になります。

15分くらい上ると、
ようやく稜線に出ます。
あ~ほっと一息ですね。
まずは、お茶をしっかり飲みましょう。
ここからは微妙なアップダウンを
繰り返しながら稜線を
進んでいきます。

ん?ウヒャー、気づいたら
おなかのあたりを尺取り虫が
歩いていますよ。

少し油断すると
こんなことになりますね。

時折自分の体を確認して
おかないといけませんね。

ロン毛の中に巣を作られても
困りますしね。
適当な小枝を見つけて
虫払いを持って歩きましょう。

前回、ハルゼミが鳴いていた場所では
やはり同じように鳴いていますねえ。

「ゴロナ、ゴロナ」って鳴いています。

そしてまず最初の第一展望台に到着です。
景色を見ながらゆっくりしていると、
登山者がやってきます。

平日なんですが人がそこそこ多くて、
doironには本当にいい状態です。

右に海の方を眺め、
左に紀泉高原の方を見つつ進んでいくと、
結構あっという間に俎石山の山頂に到着です。



一等三角点も確認し、



では昼飯です。



今日は豪華にお弁当もちです。
お湯も沸かして味噌汁を入れ、
のんびりとしていきます。



お弁当をつつきながら周りを見ると、
いろんな人が登頂の記念札
なんかを置いていますねえ。



今度来る時はdoironも
作ってこようかなあ。
こんな時のために
かまぼこの板も保存してあるのです。

でも自然の邪魔にならないように
置かないといけませんね。
どうするかまたその時に考えましょう。

この山の名前は「俎石山」なんですが、
なぜこの名前なのかよくわかりません。
どこかに俎みたいな
平らな石があるのかなあ
なんて思ったりもするのですが、
不明です。

またゆっくり調べてみましょう。

さあ、では今日もここから
前回同様に下山していきます。
今来た道を戻っていくわけです。

ちょうど2名の高齢者と
前後しながら降りてゆきます。
展望台では家に電話を
してはりましたねえ。

第一展望台からだとあと30分
くらいで降りてゆくから
なんて言ってます。

まあ、このあたりをよく
ウロウロしてはるんでしょうねえ。
階段の下り道を下って、
登山口に到着し、
少し歩いたところで
「ホーホケキョ」の鳴き声が
すぐそこで聞こえてきます。

鶯はきれいな鳥というわけではなく、
地味な色合いの鳥なんだそうですが、
まだこれまで鳴いているのを
見たことがありません。
どこで鳴いているのかなあ
と思ったら、もうほんのすぐそこで
鳴いているではないですか。



カメラで写真も撮ることができました。

これは収穫です。

初めて野生の鶯の鳴いている姿を
見ることができました。

やったーと思いながら、
駐車場に到着です。



この日歩いた歩数は15343歩で
距離は9.2kmでした。
山だと歩数がやはり多く出ますねえ。

でも楽しい山でした。
また秋にもやってきて、
大福山の方も行かなくては
と思いつつ終了です。

さて足も治ったし、
明日は長距離を歩きに行くか
なんて考えつつ帰宅してゆく
doironなのでした。


再び登った俎石山1

2020年06月22日 20時44分59秒 | ウォーキング

足もしっかり休めて、
何とか痛みはなくなった。
さあまた活動開始だ。

毎日書いていますが
日にちをさかのぼって描いていますので
この間静かな治療期間がありました。



では活動再開です。

先日、ジム友の仲間で山行きを
好んでいる人たちと、足の故障を
意識しながら俎石山へ登ってきた。
総合計人数はdoironも入れて5名。
みんなこの山については
初めての人たちでした。

まあ少なくともこれらの人の中では、
doironが一番この方面については
若干ながら詳しいということで、
道案内を兼ねての山行きになったのでした。



道を間違えないようにと気を使いながら、
同行者の様子もうかがう、
それに自分だって健康万全で
何も病気の恐れもないというような
体ではないのだから、
そんな配慮もしないといけないという山行きだ。

でも実際行ってみると、
それらの心配も杞憂だなと思えるほど、
道もきれいだし、結構人も多く、
しんどい部分もあまり長く続かない
ということなんかで、
とても印象のいい山でした。

ああ、街歩きの合間にやはり山歩きも
いいよなあとその時は実感したものだ。
だからこれからはそんなことも
しっかり加えてウォーキング人生を
もっと楽しもうと思いましたね。

でもねえ、やはり初めての場所への
一人での山行きは不安だ。
全く人が来ないかもしれない山だったら、
とんでもない目にあうことだってある。

奈良のあの大和富士に
登ったときなんかは登山口から
下山口まで全く誰にも合わなかった。



その数日後に脳梗塞を起こしたのだから、
それが山の中の発症でなくて
本当によかったなあと今でも思っている。

だから普段の歩きに山行きを
くわえることも慎重に
やらないといけないのだ。

そう考えたらこの俎石山は
結構人も多いから安心だ。
近隣の町の人が散歩的に登りに
来たりすることもあると
知り合いは話してた。

なので山行きに慣れるためにも、
この山登りを取り入れるのは
いいことだろう。

一人で登る。なので自分の体調を考えて、
周りに面倒見てくれそうな人が
多いというのは、とても
自分勝手なのだが今の体にしてみれば
仕方のないことだもんね。
だったらそんなことやらなくて
ええやんという意見も出てくるだろうが、
まあそれくらいの甘えはもう
許してやってくださいな。

もう人ごみの中でしか
生きていけないdoironなのです。

結局そんなわけで、
山登りも楽しもうという自分の甘さに
ほだされて、その俎石山に
今度は一人で再度行ってみよう
と考えたのでありました。

足の故障上がりなのに
山行きってどうやねんって感じですが
まあ何となく平地のひたすら歩きより
こちらの方がいいかもしれないという
故障なんですよ。

今回は、前回の山行きの時に
最後に見た最上部の駐車場まで
車で行くことにします。
まあ楽勝ですね。

国道26号線の箱作ランプまで直進してゆき、
そこを左折して車で
山に登ってゆきます。

どんどん上って行って、
介護施設のさらにその奥の
無料の駐車場に到着です。



ちょうどこの時、

シルバーの人たちかなあ、
草刈りや清掃をしていましたね。

地域の人たちにとても大切に
されていますねえ。

こんな山の中ですから、
少し気を抜いたら荒れてしまうので
とても手間をかけている感じです。

さあ、では登りはじめましょう。

車をとめた駐車場を見下ろしながら、
登ってゆきます。



今回はお弁当と湯沸かし用の
コンロも持っているので
荷物は少々重ためですが、
まあ眼下に見えている住宅街の
さらにその向こうの駐車場から
歩いた前回に比べたら楽勝です。

公園内のアスファルト道から
登山道に入ってゆき、
すぐに俎石山への分岐点に到着です。



今回はトンボがとても多く
飛んでいますねえ。



阪南の子らのええ昆虫採集場
なんやろねえ。

でも我が家ではトンボは
あまり歓迎されません。

メダカのカメの中に卵を産むからです。
ヤゴはメダカを食べたりします。
なので庭では追い払っています。

その分岐点から少し上ると、
すぐに池の近くを通ります。



前回は紹介しなかったけど、
この池、びっくりするほど大量の
オタマジャクシが泳いでいます。

もうその塊がイルカ以上の
大きさにまで膨らんで、
大量に泳ぎまくっているのです。

続く

 


足を故障しちゃいました

2020年06月21日 20時38分37秒 | ウォーキング

実際のレースから引退してから、
足はとっても元気だった。
筋を痛めることもないし、
筋肉痛もほとんどない。
まあそれほど酷使していない
というのが一番の原因だろう。

しかし、使わないと筋力は落ちるものである。
ジムのトレーナーにも足の筋肉が
最近は落ちてるねえと言われたこともある。

それに加えて加齢であるから、
まあ前みたいに自分でも、
自分の足ってどうなってるんだろう
と不思議に思うほど、
めちゃめちゃ元気なはずもない。

そんな風に自分の足の衰退も
仕方ないよなあとあきらめかけていた。

しかし、ここにきて様子は
少し変わったよ。
毎日どんどん歩いて自分でも驚くほど
筋肉を使っていたら、何となく
足が出来てきたのだ。
足ができると、これは体を
支えるものであるから、
何となく自分の気持ちまで
軽くなってくるんやなあ
と実感している。

ああ、人間やっぱり動かせる範囲内で
筋肉は動かさないといけませんね。

ノースポーツ、ノーライフやね。

で、調子に乗って歩け歩けと
頑張ってきたのだが、
そうなるとやはり注意しないと
いけないのが故障だ。

無茶な歩きをやってるとブログを読んで、
体は大丈夫なのかと
懸念を抱かれた方もおられるかもしれない。

腰は相変わらず違和感があるのだが、
これはもう付き合いが長くて
慣れてきている。
今、一番注意するのが足首なのだ。

え?もしかして脳や心臓?
なあんて思った方はいませんか。
過去の推移から妥当な心配では
ありますがねえ。
でも今のところ大丈夫です(^^)

走ってるときでも、
甲を痛めることはありました。
さほどひどい状態でもなかったけどね。
靴の加減とかも影響する場所だ。
もともと、足の土踏まずがあまりない、
つまり偏平足ぽいから、
ロング走で甲の部分に負担が
かかりやすいのかもしれない。

萩で250キロを初めて走ったときなんかは、
もう指先を動かせないくらい
甲がパンパンになってたなあ。

まああれは特殊な状態だから
あまり参考にはならないけどね。

昔から知ってる走るジム友も、
甲が痛いねんというと
doironさんがねえと珍しそうにしていたなあ。
とはいえ今はもうそんなに
走ることもないから、
やはりここを痛めているのは
増えた体重が絡んでいるように
思えてならないですね。

これはもう足の甲が故障という
段階に入ってきた気がする。

とはいえ治療は、やはりシップくらいかなあ。

でもねえこの故障が厄介なのは
歩き始めは痛いなあと思っても、
そのうちにわからなくなって
くるんだよね。
動かしてて痛くないんだったら、
動かしたらええやん
というのが昔からの痛みとの
付き合い方なんで、
ついつい無理をしてしまう。

そしていよいよ歩き始めも
テーピングがいるなあって
感じになって来たら、
本格的になおしていかないと
いけないだろう。
そんな感じになってきた。

治療はというと
まず何よりも無茶歩きは止める。
一日一万歩を限度にする。
まだやるんかいって感じですが・・・

そして最初はシップとテーピングで
固める方法をとる。
その後テーピングはすぐに外し、
シップのみを固定してはる
というやり方をとった。



実は、ミセスのポケモン友だちで
シップが捨てるほどあるので
あげるといって大量に頂いたのだ。
これはありがたい。
願ったりかなったりである。

ああ、神様は都合よく状況を
見てくれてるなあって感じだ。
これもみな氏子代表をやってる
地元神社の神様と、
いつもお参りしている若樫の
不動さんのおかげやなあ。



もちろん足首関係のストレッチもやる。

そんな治療をしっかり続けて、
三日くらいで歩き始めの
痛さも消えた感じがするのだ。

ああ、年老いてもまだまだ
自分の中に修復する能力って
あるんやなあって感じ。

しばらくは様子を見ながら、
運動をしていこうと思っている。

それにしてもコロナのおかげで、
いい習慣が身につきました。

午前中はデスクワーク、
午後は歩きで、夕方からジム通い。
そして夜はゆっくり、テレビや
ビデオ鑑賞って感じで
毎日が基本的に過ぎてゆく感じ。

コロナの社会の生き方も
面倒くさいけど、
そんなマイナスをプラスに
かえていかないとねえ。