ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

おっさんのタオル

2021年02月28日 20時54分38秒 | スポーツ全般

ジムで使うタオルが新しくなっている。
これまでは村のだんじりに使う
タオルをよく使っていた。

寄付をするともらえるタオルなんだが、
昨年はコロナのおかげで祭りもなく、
そんなタオルも以前のもので
かなり古びてきていたので、
これはもう新調だ。

ではどんなタオルをつかうことにするかなあ、
タンスの中とかを調べてみた。
トライアスロンでもらったタオルなんかは
でかすぎて使えないしなあ。
マラソンに参加したときにいただいた
タオルなんかはほぼ使い果たした感がある。

じゃあ、スポーツショップで買おうか
と思ったがこれもなあ結構な
値段がするんだよね。
アシックスやナイキとかのメーカーだと
もう年金暮らしの高齢者には贅沢品である。

じゃあ何か目立つのんないかなあ
と今探してるねんと友達に言うと、
「よっしゃー、じゃあ買ってきてあげよう」
と引き受けてくれた。

doironさんらしいのん
探してくるわ」といって、
しばらくしたら持ってきてくれた。

一つ目はこれ。



う~ん、これは大人の渋さが出ている・・・
わけないぞ。
クレヨンしんちゃんじゃないか。

「これだったら顔も似てるし」
というのだが、こんなに大きな
目では決してない。
チョコビ食べて、
おしりフリフリは似ているかもね。

二つ目がこれ。



おお、事件解決に導く頭の良さは
そっくりじゃないかって、
ストーリーなんか全然知らないのに
こんなコメントでええのかな?って感じ。

そして三っつ目がこれ。



これはまあかわいいよね。
のどかなスヌーピーのお話なのだが、
それとなくひにくっぽい
イメージもあって、
64歳の高齢者が持つには
ぴったし・・・というわけでもないか。

そんな中でまあ一点だけ注文が
あるとすれば、
男の子がめちゃめちゃ薄毛ってことかな。

それにしても遊び心いっぱいで
こんなタオルを買ってきてくれるのが、
とてもうれしいことですね。

ジムではへえへえと汗をかきながら
こんなタオルを持って運動している
おっさんなんですが、
あんな変なおっちゃんに
近づいたらいけないよと
言われたりはしないでしょう。
なにせここでは約9割が
高齢のおっちゃん、
おばちゃんなんで、
人が使っているタオルなんて
まああまり目立ったりもしないのです。
老眼ではっきりも見えないだろうし。

こんなタオルを眺めながら、
自分一人で有酸素運動を陽気に
楽しんでいるdoironなのでありました。

 


アイ ラブ ニュウヨク

2021年02月27日 21時19分44秒 | 最近の出来事

二月に入ってから、
天気もさほど良くなく、
山に行ったら凍ってるんじゃないか
というような雰囲気が
続いたりした時期があった。

そんな時には何も慌てて
あちこち歩きに行ったり、
登りに行ったりしなくてもいいよなあ
という感じで、もう全く世間は
冬の終わりを迎えているようなときだ。

でも、でかけなくても、
お絵かきやブログの書き溜め、
気になっている小説の読みため、
年度末になってきたので
町内の会計の整理など、
おうちにこもっていても、
やるべきことはいろいろあるのだが、
そんな時でもやたら
お出かけしたいという日もある。

なので、じゃあ曇り空やけど
一度大きなお風呂屋さんにでも
行ってみるかと思い、
お出かけすることにした。

目的地としたのは、光明池の奥にある
「スパ・リフレ光明池」というお風呂だ。

この近くにはゴルフの打ちっぱなし
があり、すこしゴルフが盛り上がって
いるころに何回か打ちに行ったなあ。

ここに車をとめて、
滝畑ダムまで走っていったことも
あったなあ。
もちろんお風呂だけ入りに、
へらへらと出かけて行ったことも多い。

そんな思い出深いお風呂をまず目指して
進んでいくことにしましょう。

車にお風呂セットを積み込んで、
信太山方面へと向かって行きます。
免許証の更新が予約制となった
免許の試験場をこえ、
友だちがよく行くコムボックスもこえて、
ずんずんと進んでいくと
左手にその施設が見えてきます。

おおここだここだと駐車場に入ってゆくと、
アレ?がらすきです。

これはおかしいとよくよく確かめてみますと、
火曜日は休みのようでした。
ウヒャー、これは残念です。

仕方ないなあ、じゃあ今日は帰るかと
あきらめかけたのですが、
まてよ、あの「いよやかの郷」が
別の名前になって再開されていたなあ
と思い立ち、一度行ってみるかと
そこへ出かけて行くことに方針転換です。

車を走らせて向かいます。

くるくると回り、最終的には昔、
バイクの練習でよく来た通りを
通って到着しました。

「ああ、あの頃よくもまあこんな道を
バイクで楽しそうに登ったものだ」
なんて思いながらの運転でした。

施設の名前は「四季まつり」に変わっています。

以前は、施設を通り過ぎたところに
駐車場があったのですが、
今は施設前にもとめるところがありますね。
ここに入りましょう。

う~ん、コロナでこんな時期ですから
ガラガラのようですね。

車が全部で5台くらい
止まっているだけでした。
では中にはいってゆきましょう。

お風呂とかは前の施設を
使っているんやろなあと
想像していたのですが、
変わっていましたねえ。

意外にお金をかけて
リセットされているようです。

無人の更衣室で脱衣し、
中に入ってゆきますと、
あれ無人です。

貸し切りですかあと思ったところに、
階段から一人降りてきました。
その人は水道のところに座ったのですが、
doironは露天風呂へ。

いやあ全く無人でのびのびします。
プラ~と入浴しながら、
何となく春の気配をじわーと
にじませている山並みを見つつ、
のんびりと過ごします。

先ほど階段を降りて来た人がいたので、
どんなかなあと上にもいったのですが、
広いスペースに椅子が一個置かれているだけの
シュールな景色でしたねえ。

コロナの時期なのでお風呂も
混んでいたらいややなあ
と思ったのですが、
なんてことはないほぼ無人風呂で
お出かけ感を満喫した
doironだったのでした。

 


耳寄りな話4

2021年02月26日 21時30分41秒 | 最近の出来事

さあて、いよいよ耳のイボの治療も3回目。

最初に言われたとおりだと
後半戦に入ってきました。

二週間おきの液体窒素治療が
4回は必要といわれて、いよいよ
3回目の塗布の時期が来たのです。

2回目の塗布を終えて、
幹部にはかさぶたが出来ています。
いやあ液体窒素はまあかなり幹部にも
こたえているようです。

でもねえ、その治療の昨日に、
服を着るときにクチャッと触ったから、
その勢いでかさぶたが今は
はがれそうになっているのです。

クク~痛いんです。

これはもうイボの最後のあがきでしょうか。
時折かさぶたが髪の毛に触れ、
幹部をちらちら刺激します。
そのたびに、ううと言って
しまいそうになります。

前回もそれとよく似た状態で、
幹部に液体窒素を塗布したものですから、
かさぶたの下に塗布するときは、
16文キックを食らったように
痛かったのを思い出します。
そんな経験を踏まえたうえでの治療の続きです。

イボもかなり疲弊はしているようですが、
果たして今回はどんな感じに
なるでしょうかあ。

で、先日さあ治療だと緊張しつつ、
皮膚科まで歩いて行きました。

町内会の掲示板の張り紙とかを
整理しつつ、病院に着いたのは、
8時45分の受け付け開始から
15分後。
ちょうど診察の始まる午前9時でした。

受付で聞くと、今回は5人待ちの
状況でしたので、そのまま
皮膚科前のテーブルで、
小説「宮本武蔵」を携帯ソフトで
読みながら呼び出しを待ちます。

本位田又八が、国から追いかけられてきた
母親に見つかり、「又八」と大声で
呼ばれたところで、doiron
看護師に「doiron!」と呼ばれ、
その声にもおびえつつ診察室に
入ってゆきます。

幹部を見せると、

「ああ、かさぶたが浮き上がっていますねえ。
これは切り取りましょう」と
治療用のはさみを取り出してきます。

後ろでは看護士が、
ちょろちょろっと液体窒素を
容器にそそいでいます。

「少し痛みますよ。」とかいいながら
幹部に触って来ます。
もうまな板の上の鯉、
台所につるされたアンコウです。

おびえた顔をしながら
チョキ、チョキッと耳元で
作業が続いています。

ここはそれ、むつかしいことを
考えながら、神経を耳から
離してゆきます。

「え~っと三角関数の余弦定理は」
と考えているうちに



「じょきっ」と一瞬鋭い痛みが
走ったところで、かさぶた取りは終わりです。

「こんなんでしたよ」と言って
見せられたかさぶたは、
悪魔のような顔をしていました。

「では、液体窒素を塗布してゆきます」
と先生。
ウヒャー、もうここからは、
頭の中で「般若心経」を始めて
ゆくことにしました。



もうこころは曼陀羅に
向かってゆくようです。

ジュルジュルっと治療が続き、
もう少しですよというところで、
やってきました。
16文キックを超え、今度は32文キックです。

「はい。痛かったですね。
テープを貼っときます」といわれて、
ペタッと貼られました。

念のために先生に
「そのテープには痛み止めが
たんまり塗布されていますか」
と聞いたら、笑いながら
「はあ、残念ながらただのテープです」
との答え。

そうかあ。しかたないなあ。
「じゃまたしばらく耐えて見せます」
と大口をたたいて診察室を
後にしたのです。

会計を待っている間も、
耳がじんじんします。
もう帰る時なんかは、
あの手品師のギャグのように
「耳がこんなに大きくなりました」
ていう感じです。
痛みのおかげで、左耳だけが、
小象のようにダンボ状態に
なっていたかもしれません。



そうやって、半日くらいは
定期的な痛みに耐えながら、

「頑張れ、頑張れ」と
自分に言い聞かせつつ、
悟りの世界に近づきつつある
doironだったのでした。

 


オーバーオールという服

2021年02月25日 20時49分23秒 | 生活

最近はマラソンなどの大会に
出ることはないので、
参加賞のTシャツが少なくなってきている。

といってもまだ段ボール二つくらいはあるのですよ。

でもねえ、残念ながら大き目のシャツを着ないと、
ぼてぼての体を強調してしまって
この上なく格好悪いのです。

となるともうかなり枚数が減ってくるのだ。
たまに安い服屋さんで380円くらいの
シャツを買ったりもして
来たりしているのだが、
これもねえなんかシャツに
書かれてある字が変だったりする。

「切磋琢磨」なんて書かれてあったら、
ふ~んと感心したりするのだが、
今よく着ているのが「一心不乱」と
書かれたシャツだ。

doironさんらしいねえとか
言われたりするのだが、
いやいやなかなか何事も
一心不乱にはいかないものです。

そういわれたりしたときは
「いやあ、全然『注意散漫』です」
なんて答えて、これって
反対語だろうかと悩みこんだり
してしまいます。

そんな中、若いジムの客が
「あなたならどんな四字熟語を書きますか」
と皆さんに投げかけています。

私は「焼肉定食」かなあとか
私は「一期一会」かなあなどと
意見が出てきます。
若い男の子は「獅子奮迅」とか
言ってました。

ああなんかスポーツウエアに
そんなシャツがありましたねえ。
自転車こぎながら、「穴馬馬券」とか
考えてると、ジムのトレーナーは
「一攫千金」やと。

これもええなあ。

でも漢字がむつかしい。
これを印刷するとなると
テクニックが必要ですねえ。

こんな風に一日のうち多くの日は
ジムで汗をかいているので、
そんな時に着る服には、
色々と思いを巡らせているわけだ。

じゃ、ふだん着というとどうだろう。

実は最近興味のあるのが
オーバーオールだ。
生まれてから間もなく65年。
この間、オーバーオールの服を
一回も着たことがないのだ。

年齢的に今こんな服を着るのが
似合うのかどうかはわからないけど、
まあ出川君がテレビの中で着ているので、
世間的には許され度が
高くなっているんじゃないかと思うのだが、
どうだろうか。

ていうか、いまdoironがそれを着れば
「出川みたいやあ」といわれるかも
しれないけどね。

でもねえ春も近くなって、
あの気軽さには近頃はとても
心ひかれるのだ。

退職したころは、遊びの服を着て
朝の満員電車に乗るのも
少し気を使ったが、
いまはもう全くそんなことはない。
皆さんに遊ばしてもらっています
と心の中でお礼を言いながら、
通勤電車にリュックを背負って
揺られていたりするのだから、
月日の流れは恐ろしい。

まあ、もう見てくれもそんな感じやしね。
だから、オーバーオールを着て
ウロウロと歩き回っていても、
もう精神的に追い詰められる
こともないだろう。

これはもう購入しに行くしかない。

アウトレットなんかに行って、
製品をいろいろ見てみると、
それなりにいろいろと置かれている。

ジーンズ色のもあるかと思えば、
黄色、茶色、白黒ストライプなどもある。
でもねえ、ちょっと有名な
ジーンズショップとか行くと
高いんだよね。

軽く1万円は超えている。
まあ最初に着るのでそんな
高級なものでなくていい。

大型スーパーのすみっこで
売られているような安いのでいいのです。

とまあそんな風に思いながら、
まだ買えずにいます。
果たしてdoironは今の理想の
オーバーオールは手に入れられるのか。
果たしてそれを着て、
「出川やあ」といわれたりしないのか。

今はそんな具合に着る服の
買い物に興味を示している今日この頃なのだ。

 


最寄りの阪和線3

2021年02月24日 20時50分05秒 | 生活

阪和電鉄に客を呼び込むのに
ほかにも様々な取り組みがありました。

「もみぢ狩り」「ミカン狩り」
「蛍狩り」「潮干狩り」のほか
「松茸刈り」なんかもあったようです。



飯盛山や大福山に登った時に見た
松茸山なんかはきっとその
名残なんでしょうねえ。

展示物の中にはそんなイベントの
関連パンフレットもたくさん
並べられていました。

ほかにも、紀泉アルプスなんかは
「近畿行楽の處女地」
ととらえられたりしていましたよ。



パンフレットもたくさん出ていましたね。



牛滝山、お菊山、信太山



そして浅香山と大和川なんて言う
パンフレットも出ていたそうです。

どこもこれまで何度か歩いたところなので、
当時のなかみが見てみたいですねえ。
浜寺の宣伝なんか「躍動する裸像群」



なんてタイトルで紹介されていましたよ。

あれ?このパンフレットでは
「信太山ゴルフ場」なんて
書かれていますよ。



調べたら、現在府立の青少年野外活動
センターがあるところですね。
世の中の流れに合わせて、
地域の様子もどんどん変わるんやねえ。

こうして沿線沿いの観光とかも
一緒に変わってゆきます。
それに合わせて、鉄道会社は
地域の住宅地の発展にも
大きく貢献してゆきます。

泉ヶ丘の住宅地、



泉北の住宅地なんかが
どんどん進み、駅との接続で
バスを走らせたりし、
地域はどんどん進んでいきます。

そんななかで阪和鉄道は
次の世代を迎えます。

南海本線との合併です。

設立された阪和鉄道は
10年足らずでなくなりました。
この買収に合わせて、
駅名も阪和岸和田が東岸和田になったりと
変更されるなどあちこちで
名称変更があったようです。

阪和鉄道そのものも「南海山手線」という
線路へと変わってゆきました。
当時の世の中は中国との戦争なんかもあり
どんどんと変わってゆくような
状態だったんですね。

そんな南海山手線も4年足らずで幕を下ろし、
ついに阪和鉄道は国の鉄道である
「国鉄」となりました。
国鉄阪和線というのがその名前です。

こうして阪和鉄道は今のJR経営の
線路となってゆきました。
90年という歴史は大変な長さですが、
でもまだまだあちこちに
当時の名残があるそうです。

天王寺駅にあるドーム状のホーム、



富木駅、東佐野駅、長滝駅、
和泉砂川駅なんかはそのままの
形を残したりもしています。



またその砂川には、昭和5年の



記載のあるプレートが
残っていたりするそうです。

この弥生博物館では、
様々な過去のものを展示するとともに、
テーマを4つに分けて講演会もしています。

往復はがきで申し込んで
抽選に当たれば参加できるようです。
doironは今は第3回の講演会である

「阪和電鉄の痕跡をさぐる」

に往復はがきで応募していますが、
当たればいいですね。

痕跡をいろいろ聞いて探りに行く旅を
またしてみたいなあと考えたりしています。

いまや黒潮号や関空への特急なんかも
走る阪和線なんですが、
90年の歴史の中で大きく変わってきました。

地域の状況に合わせて
どんどん変わってゆく電車。
これからもまだまだ変わってゆくのかな。

まあこちらの寿命もさほど
残っていませんから、
どこまで確認できるかわかりませんが、
あと残りの人生を
この線路をまだまだ利用して遊びに
使って行けたらなと考える
今日この頃なのです。



展示会はまだ来月いっぱい近く
やっていますよ。
駐車場もちゃんとありますので、
阪和線の歴史に興味のある方、
ぜひとも一度訪ねて見られては
どうでしょうか。

月曜日は休みで、参加費は430円となっています。

 


最寄りの阪和線2

2021年02月23日 21時18分13秒 | 生活

最寄りのJRに関する展示会を
しているというので、我が家と
阪和線の間にある

「大阪府立弥生文化博物館」

に出かけてゆきました。



「泉州を貫く軌跡」と題して、
阪和電鉄全通90周年の展示会なんだそうです。

最寄り駅のある線路の歴史を
学びに行ったわけですね。
神社を抜けて裏の公園に行き、



てくてくと進んでいくと、
もう5分くらいで到着します。

市の施設でいただいた無料券を
出して入館します。

入り口で係の人に
「展示は二階です。通常展示と特別展示がありますので、
進んでいってください」と言われました。

まあ今のコロナの時期ですから
人々の交差とかを考慮して
順番付けられているわけですね。
まずは常設展示に入ってゆきます。

弥生時代の事や、このそばの公園の
発掘の事なんかが展示されています。



真ん中に女性の人形が立っていますねえ。



どうも弥生時代の卑弥呼は
ここに住んでいたというような
展示なんでしょう。
もし本当にそうなら、
もしかしたらdoironは卑弥呼の子孫で
あるかもしれませんねえ。



これが卑弥呼の食事の例らしいのですが、
こんなに食べていたらあの人形みたいな
細い女性にはならず、
渡辺直美のような姿だったかもしれませんねえ。

ほかにも、発掘の様子なんかも
展示されています。



こんな大きな木の井戸なんか、
プラスチックで復元されていますねえ。
こんな復元技術の素晴らしさも
驚きのひとつです。

足元には近隣の地図なんかも
貼られてありますねえ。
地元事情には詳しいので、
ここに家がないという事は
2年以上前の写真だとかわかったりします。



ほかにもお墓の写真なんかも出てきますねえ。



doiron
は昔からこの近くに住んでいるので、
もしかしたらご先祖さんのお骨なのかもしれません。
まあ常設展に行ったらいつも
こんな具合にDNAが刺激されたりするわけです。

さあではこの先の今回の特別展である
阪和線の歴史コーナーに
入っていくことにしましょう。

入ったところにまずは挨拶が展示されています。
そのパネルには阪和線の
歴史の概略が記載されていました。
この線路の母体というのは



「阪和電気鉄道株式会社」

という民間会社で昭和5年に
大阪から和歌山の間が全通したので、
令和二年度が開業90年に
あたるということです。

この阪和電気鉄道がのちに南海電車と合併し、
さらに国鉄に買い取られて
阪和線になっていったわけで、
その間の歴史に関することなんかが
ここに展示されているという事です。

では見ていきましょう。

この阪和鉄道の天王寺~和歌山間を見ますと、
海辺を走る南海電車と競合しています。
和歌山に行くなら南海電車という
既定の路線があったわけです。
なのでこの路線を発展させてゆくには、
乗降客を増やしてゆくという
位置づけが必要でした。

まず第一が山手における綿産業との
関連付けです。
以前だったら南海本線まで苦労して
届けた製品を簡単に電車に
乗せることができるようになりました。



次いで、信太山の自衛隊との関連、
国が作ろうとしている紀勢線との関連なんかでした。

またそれに加えて鳳から浜寺までの
支線の開通で、海辺への客も
取り込むようにしていたようです。

そして天王寺から和歌山までの
高速電車の開通も客を増やすのに
役に立ったようです。
直線の多い阪和電鉄はスピード化しやすく、
当時の鉄道の最高速度で
電車を走らせていたようです。

また仁徳天皇陵のことや数多くの自然との
連絡電車にもなったうえに、
白浜などの温泉地などとの
関連も大きな力になりました。

続く

 


最寄りの阪和線1

2021年02月22日 21時06分34秒 | 生活

doironの最寄り駅はというと二つある。

ひとつは南海本線の松ノ浜駅。

そしてもう一つはJR阪和線の
信太山駅である。

いずれの駅にも距離は大体1キロくらいで、
歩いて15分くらいというのが
我が家の売りです。
売ってないけどね。

南海本線は、子どもの頃はおふくろに連れられて
百貨店の高島屋なんかに
行くのによく使いましたね。
そこで生まれて初めて乗った
エレベーターは感激ものでした。

また小学校の友達で、
お父さんが南海電車の運転手
という子がいたので、子どもの頃は
その子に連れられて、
南海ホークスのファンクラブに入っていました。
大阪球場へ応援に行ったこともあったなあ。

そして高校も、この南海電車沿いだったので、
3年間よく利用しました。
でも子どもの時の思い出は、
やはりJR阪和線のことの方が多いです。
近所の神社の木の上の高い所に作った
秘密の椅子から電車の乗り降りが見えていた。
今よりずっと住宅の少なかった頃です。
子どもの頃というのは恐ろしく目が良くて、
ああ今電車を降りた人は
うちの村の何とかさんやあ
とか言ったりしていたなあ。
今じゃ考えられない楽しい思い出やったなあ。

そして今はそんな仲間と
ビールを飲みながら麻雀してたりするから、
人生はおもしろいもんだ。

doironの親父は和泉府中で働いていたので、
急な雨降りの時には傘を持って
駅まで迎えに行ったりしたなあ。

信太山駅は、むかし駅前に小さな池が
あって少し不気味だったけど、
その池にそそぐ川の上にあった焼肉屋さんからは、
とてつもなくいい匂いが
流れていたのを思い出す。

そして自分が大人になって、
仕事に行くようになってからは、
たいがいは車で通っていたのだが、
飲み会の時は電車でこの信太山駅を
使って通勤していたのだ。
だから今は南海電車とJRの駅の
どちらが馴染みの駅かというと、
やはりこちらのJR阪和線の方になるだろう。

まあやはりあちこち行く時は
この駅を使うことも多い。
近郊区間の割引を使って
クルリンと回ったり、
18切符で遠くは長野の上田まで
行ったこともある。
なので旅情を掻き立てる駅で
あったりもするわけだ。

まあ生きてきてまもなく65年。
その間生活に密着していた駅だから、
いろんな思い出の出発点であり
帰着点でもあったりするわけだけれど、
じゃあそれ以前のこの線の歴史を
知っているかというと、
残念ながらほとんど知らないわけである。

かろうじて覚えているのは、
高校の時に先生が
「阪和線は外国人の設計だから直線が多いんだよ」
って言ってたのを覚えているくらいかな。

それ以上のこの線路の歴史となると
もうほとんどわからない状態だ。

自分の最寄りの駅の線路の歴史かあ。

もう少し知っていた方がいいよなあ
と思い始めた最近、
あの我が家の近くにある府立の博物館で、
この阪和線の歴史について
展示をするという話を聞いたのだ。



あの直線が多い理由のほかにも
いろんな歴史があるんやろなあ。
なにせ開業90周年となる事業の案内である。
これはやはり見に行かなくてはなあ
と大変興味を持ったので、
先日その展示会を見学しに行ったのだ。

入場券は、あまり大きな声では言えないが
市の関連施設で無料券を
配っていたことがあったので、
そこに行ってみると、
「ああ、doironさん。今は配布していないけど、
置いてあるからあげるよ」と言って
もらうことができました。

市の広報で取材をしているという顔が
少し役に立ちましたね。
その入場券を持って
博物館に出かけて行くことにしました。

続く

 


ワクチン接種の影響

2021年02月21日 20時51分47秒 | 生活

新型コロナウイルスに対するワクチン接種が
医療従事者の間で始まっている。

使っているのは米製薬会社
ファイザー社のワクチンだ。

これがどんなふうに我々に効くのか
という情報も流れているが、
メッセンジャーRNAがどうとか
スパイクたんぱく質がどうなんだあ
というようなことを言われても
さっぱりわからない。

筋肉の中に打った注射液が
どうして全身に回り感染を
阻止していくかってかんがえたら、
製薬技術ってほんとにすごいものやねえ。

早くこれで、コロナ騒ぎが落ち着いて、
いろんなことが元に戻ってくるといいよねえ。

今は医療従事者への投与だけど、
4月頃になったら65歳以上の
高齢者への接種も始まるという。

もうその頃にはdoironも対象年齢に
なっているから、順番が
回ってくるんでしょうねえ。

まあでも常備の薬を飲んでいる身にとって、
それはいいのかどうかは
次の定期診察の時にでも、
医者に確認しておく必要があるかもね。

でもねえ、じつはもう影響が
doironの生活の中にも出ているんです。
今飲んでいる薬の中には
血圧に関する薬があるのですが、
それが変わるんです。
成分的には同じなので影響ない
といわれるんですが、
何種類かの薬を飲んでいると、
一回ごとの飲む薬を
チェックしないといけません。

ましてや、今日は薬飲んだっけ?
と忘れてしまうような状況が多く、
ミセスには百均で薬のチェック表を
買ってこないといけないなあ
と言われたりするくらいなのだから、
薬に関して越えていかねばならないことは
意外に多い。

で、なんでワクチン作業が
doironの薬を変えたかというと、
これまで飲んでいた薬が
ファイザー社製だったんです。
でも薬局の人が曰く、
ファイザーがこの血圧の薬を作らなく
なったんだそうです。

なので、今回からこれに変えますねえ
と確認してきはりました。
まあ成分同じやし、これがないと
生きていけないという薬でもないので、
これはもう即、了解です。

ファイザー社はワクチン製造に
力を入れないといけないので、
この薬の製造をやめたというか
中止したようなんですね。

ああ、これでまた薬を飲むときの
種類分けをしばらくは
意識していかないといけませんね。


コロナはいろんなところに
影響してゆきますね、というお話でした。

 


岬町の学文字山3

2021年02月20日 21時18分08秒 | ウォーキング

相変わらず、道はまっすぐついている
のではなくくねくねと曲がりつつ
進んでいきます。



遠くにはどうも学文字山らしき山も
見え始めました。



気の早いつつじも咲いていますねえ。



そしてあちこちに木から落ちた
赤い実が散らばっています。

あれ?ちょっと待てよ。
動いている実もありますよ。
じっと見てみると、
どうも赤いダニ・・・タカラダニの様です。



一時家のコンクリートの塀にも
たくさんいましたね。
我が市の市役所なんかでは
大量発生して、庁舎が赤く
なっていたようです。

最近はかなり数も減りましたが、
時々見かけたりします。
つぶすと赤い色が出るので、
ガムテープなんかで駆除するのが
よいとのことです。
でもまあそのダニは5月くらいに
多かったけどなあと思い出しますが、
普通のダニだと病原菌を
持っていたりするのですが、
そんなダニではなさそうです。

タカラダニと言っても、
いろんな種類がいるようですが、
人を噛むとかいう被害はないのですが、
とりあえずは靴の中に
入ったりしないように
気を付けて進んでいきましょう。



しばらく行くと、時折草の生えていない
砂の斜面なんかも現れてきて、
ちょっと広くなったところが、
第2休憩所です。



加太は和泉山脈が紀伊水道に
没するところです。
地層群には特徴があるそうです。



そしてこのあたりは、
木が立ち枯れしているのも多いですねえ。
ちょっとっ見、大台ケ原を連想させます。



これでもう、コースの半分以上は
来ていますが、ここからは
学文字山の稜線に上がっていく様な感じです。
なのでこの辺りから、
斜面の角度が急になり、
コースも厳しくなってきます。

標高は低いと思っていましたが、
登るところはかなりの急角度で
登ってゆきますね。
持病を抱えている身としては、
あまり心拍数をあげきれません。
登山者も他にはいないし、
もしここで倒れたら、
多分来週の終末くらいまで
帰れないでしょう。
そうならないように慎重に登ってゆきます。

こんな時はいつもジムで
汗をかいている程度が
いい塩梅になりますね。
あれくらいだったら大丈夫、
という安心感があります。
これはジム通いの長所ですね。
それに持ってきている水分も、
このときには存分に補給しつつ
登ってゆく必要があるでしょう。



山道を勇気を出して登る
doironの背中なのでした。

でもねえはいているズボンが
いけませんね。
あんなやわらかい記事のズボンだと、
ひっつきむしに襲われたら
イチコロですねえ、と思っていました。
幸い、ひっつきむしは多量に
出現しませんでしたが、
このズボンだと蔦の胞子なんかに
まみれそうですねえ。
次回から気を付けましょう。

でもこうしてタイマーで撮影できるほど
余裕があるってことですな。



そうしてなんとか頑張って
急斜面を登り終えると、
このあたりが南学文字山でしょうか。



斜面の下の方に橘逸勢の墓が
見えるポイントがあるそうですよ。
孝子の名前のもとになったと
いわれる人ですね。



墓はどこかよくわかりませんが、
下の町が見えていました。



ここから少し歩くとようやく山頂に到着です。
山頂は一部分景色が見えるところが
ありますが、木が多くて
さほど絶景というわけではありません。



さあではここで食事にしましょう。



木に囲まれているのであまり風はありません。
お湯を沸かして味噌汁を入れ、



お弁当にありつきます。
いやあうまいですねえ。

さて帰りですが、途中から
影身ケ池方面に降りる予定でしたが、
風もかなり強いので
今来た道を戻ることにしました。

ゴオーとうなる風の音を気にしながら
戻ってゆきます。



急斜面は、逆に下りもきついですね。
雨上がりの天候だったら、
滑ってこわいかもしれませんね。

登って来たコースはときおり
深日港の方が見渡せるいいコースですねえ。

下がってくると、あんなに吹き荒れていた
風の音も小さくなってきました。

社長と取り締まりがまだ働いている様子の
松風庵を過ぎて、観光案内所に到着。



トータル3時間の学文字山の山登りでした。

 


岬町の学文字山2

2021年02月19日 20時56分25秒 | ウォーキング

めざす学文字山は、
高さが216mの小さな山ですので、
歩いていてもあの辺かなあ
とかあまり目立ちません。

山頂は景色がいいと聞いているので、
見えるはずなんでしょうが
まだ下の町からは見えません。

海辺から歩いているので216mの高さは
丸々登ることになるのですねえ。
頑張っていきましょう。



少し歩くと、青木松風庵の会社が
見えてきました。
駐車場の一角に高級な車が止まっています。

ああ、社長と取締役が出勤していますね。
いきいきパークにもこの会社がありましたねえ。

見学のお土産に「月化粧」を
いただきましたね。
けっこう派手に頑張っているようです。

そのみちの突き当りまで行くと
T字路になっています。
右は帰りはここから帰ってくるコースで
左が登山コースです。



住宅街を案内通りに登ってゆきますと、



さあていよいよここから
山道に入ってゆきます。



車が通れるような、
通れないような少し広い山道を



上がってゆきます。



ここで耳を澄ますと、
先の方で何か工事をしているような
音が聞こえますよ。

「カン、カン」と何かを
叩いているような音です。

ところどころに蔦の繁る山道を
上がってゆくと、前方にタンクが
見えてきました。



上水のタンクのようです。
その横を抜け、丁寧に案内のついている山道を
上がってゆくと。送電線の
鉄塔の下に出てゆきます。



ああ、工事はこんな送電線の
点検かなあと思っていると、
前方が開けてきました。



なんとまあ広い太陽高発電の
パネルを付ける工事の様でした。



もともといきいきパークの方の太陽光発電は、
人口14800人の岬町の
4700世帯ほどの電気を発電していたのに、
ここでまた大規模な発電をしたら、
ほとんどの世帯の電気を
賄えるんじゃないかって感じですねえ。

設置主体はどこなんでしょうねえ。
あんな立派な多奈川発電所があるのに、
背信行為じゃないですか。

まあなんかそんな話し合いなんかも
あったりしたんでしょうねえ。

発電パネルの下に潜り込んで、
作業をしている若い人が、

「おっさん、のんきに山登りしてるなあ」
というような目で見ておりました。

すみませんねえ。
年金暮らしのおじさんは、
君らからいただいた年金で
遊ばしてもらっております。

このあたりの山には、
ちいさなまんりょうの花が
結構いっぱい生えていましたねえ。
春になったら、つつじや
いろんな花が咲いたりするのかなあ。

このあたりは、登ってきた深日港のほうが
よく見えています。



じっと探したら、とめてきた
doironの車も見えているかもしれません。

登山道はそんな送電パネルを設置している
広場に沿って続いています。



なんか広くて気持ちい山道ですねえ。
でも少し風が強く吹き始めました。
先の山の方から「ゴオーッ」と
風のうなりが聞こえてきます。

なぜ真っすぐ付けないんだろう
と思うようなくねくねした道を
進んでいきますと、
やっと最初の第1休憩所に到着しました。



ここからだと、深日港が
更によく見えますね。
そしてどうもこれはみさき公園の
少し西側のような感じですね。



ここで少し休憩します。

工事現場の人たちは何人か見ましたが、
山に登っている人は誰もいませんねえ。
座っていても孤独です。

それに風はますます強くなってきます。
うかつに立っていると、
時折ふく強い風にバランスが崩れそうです。
この風のままじゃ、
お昼に湯を沸かせるかなあと
少し心配になりながら、
足をとられないように
注意して進んでいきましょう。

次の目標は第2休憩所です。

続く