ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

去り行く夏に思うこと

2011年08月31日 22時46分31秒 | 生活

新しい首相に、民主党の野田氏が選出された。
doironにとっては、初めての年下首相だ。
安倍氏も若かったが、
06年当時はdoironも若かった。
誰が首相になっても変わらないという街の声も多いが、
自分より年下の人間が首相になったりすると、
時代は確実に変わっていくと感じざるを得ない。

そんな年下首相が誕生した8月。

旅もできず、花火も見れなかったが、
いろいろと人の温かさに触れた8月だった。

そんな8月も今日で終わり。
携帯の写真を眺めながら、
少し振り返ってみよう。



これは、先日行った神戸の鉄人。

「鉄人」と一口に言ってもいろいろあるが、
やはりこの28号が元祖かな。

最近の世界陸上で金メダルを取った室伏の父親も
かつて日本選手権12勝10連覇を達成し、
「アジアの鉄人」と呼ばれた。
今も息子の室伏が出場する大きな大会には
必ず姿を見せ、ビデオカメラで撮影をしている。

そんな姿は長居で何度も見かけた。

息子も父親を超えて日本選手権17連覇という偉業を達成している。
「二代目鉄人」と呼ばれるのにふさわしい選手だろう。

野球のカル・リプケンや衣笠もこう呼ばれた。

doironもかつて仲間からこう呼ばれたが、
いまはすっかりナリを潜めている。
しかし、仲間の温かい目で
見守っていただきながら、
折れない心で運動は続けていきたいと思っている。
(懲りてない?)

今年の夏もゴーヤはすくすく育ってくれた。



このブログでも何度か紹介させていただいたが、
8月は2日に一度くらいの割で
ゴーヤをいただいたよ。



お礼の気持ちを込めて、
友達にいくつかもらっていただきもした。



季節の物をその季節にいただくのはいいものだ。
今、実っている今年の残りの分はしっかり熟させて、
来年の種を採取することにしようと思っている。

今年は、地蔵盆の頭屋の見習いもあった。
連綿と続いているこの地蔵盆。
来年、一生に一度だけめぐってくる頭屋に備えて、
儀式の一切を見ておく役割の見習い。
これもいろんな人に支えられて、
きっちり見届けさせていただいた。



そんな村の行事ひとつ、
夏の終わりの恒例行事で、
来るべきだんじり祭りのための
提灯の飾り付けが行われた。

電柱と電柱の間に2本のワイヤーロープを渡して、
そこに祭礼提灯をつけていく作業



と大きな献燈台を立てて
そこに地元商売人さんの提灯を掲げていくわけだ。



8月最後の日曜日、
炎天下の中、
大勢の村の仲間たちと
この作業に打ち込んだ。

こうしていろんな人たちと関わり合い、
日々を組み立てた8月だった。

年下の首相にも、今はマスコミも
アメリカの大統領100日の蜜月を
まねているのかどうか知らないが
スピーチのうまさをしきりに取り上げている。
ま、そんな助走期間の追い風も
日本じゃ10日がいいところだろう。

とにかく新しい首相には
できるだけ多くの国民と関わって、
さみしい秋ではなく、
実りの秋に向かって
しっかりと日本の社会を
組み立てていってほしいもんじゃ。

明日から9月です。


エアー世陸

2011年08月30日 22時14分23秒 | スポーツ全般

昨日は飲み会で遅くなったので、
あわててブログをした。
おかげでニュースを見なかったから、
室伏の金メダルは朝になって新聞を見て知ったわけだ。

ひゃー、すごいすごい。
飛び上がって喜び、
思わずエアーハンマー、
いやエアー室伏をしちまいましたね。

目の回ること回ること。

よくあんなにぐるぐる回って、
投げられるもんやね。

僕なんか2回回っただけで
くらくらしてしまいましたわ。

長居のグランプリ陸上だったかなあ、
室伏がサークルのネットにハンマーを思いっきりぶつけて、
絡まったハンマーをとるのに
係りの人が苦労していたのは見たことがある。

ま、たまにはそんなこともあっても不思議じゃない。

ちょっと重いものを持ってバランスを取りながら、
エアー室伏をしたことのある人ならそう思うだろう。

え、そんな奴はおりませんか?
おかしいなあ。
ふつう、昨日なんかは風呂に入るときに、
エアーボルトをした人はたくさんいるでしょう?
「オン ユア マーク」・・「セット」・・「パ、で
走り始めて、あちゃーと言いながら
ユニフォームならぬシャツをかなぐり脱いだ人。

また、洗濯の物干しざおを持って
エアーイシンバエワをする主婦もいたんじゃないか。

え?さおを持っているからエアーじゃない?

ごもっとも!


では、ごみを出し忘れて、
あわてて両手にごみ袋を持ちながら、
エアー福島さながらに
走ってパッカー車を追いかけている主婦
はいなかっただろうか。

駅までの通勤道、
電車に乗り遅れまいと
20km競歩のエアーボルチンを気取って
汗まみれで歩くサラリーマンはいなかっただろうか。

う~ん、そう考えたら、陸上競技って日常生活の延長なんやねえ。


若手と飲み会

2011年08月29日 23時19分44秒 | 最近の出来事

今日は職場の若い者と
飲み会でした。
仕事のこととか
いろいろ話をしたけど
いいよなあ。
doironが若いころには
こんな飲み会はあまりなかったなあ。
まだまだ前途洋々な若者と
飲むのは刺激になっていいよなあ。

先輩ぶって話をできるのも
悪い気はしないが
彼らの若さに嫉妬を覚えるくらい
歳をとった自分をみると一抹の
寂しさをおぼえるよなあ。

社会はどんどん進化し
彼らの役割もこれから
ますます重要になるんだろう。

老兵はただ見守るばかりだと
思わずにはいられない。

生中2杯
チューハイ4杯

うん、しっかり飲みました。


見てしまうよなあ、世界陸上

2011年08月28日 21時45分17秒 | スポーツ全般

今回からフライング一発で失格なんやねえ。
そんなルール改正は知らなかったなあ。
短距離だけなんやろうけど
200mはどうなんやろ
400mは?
かつての短距離では
意地悪で図太い選手なら
わざとフライングをして
速いけどナーバスな選手に
揺さぶりをかけたりすることもあったんやけど
そんな小細工もできなくなったんやねえ。
ただ、ピストルの音を聞いたら
少しでも早く立ち上がり
全力で走ればそれでいいんやけど
勝負の世界にはなかなか実力一辺倒ではなく
そういう駆け引きも
あってしかるべきだと思っていた。

そんなルール改正に
引っかかっていたところに
あのボルトが100m決勝で
フライングをして失格となった。

今回のルール改正が
最も劇的な形で浮き彫りとなった。

あ~あ、せっかく異次元の走りを
期待していたのになあ
と、世界中の人間が思っただろう。

ま、ルールはルールだ。
彼の心に100mをいかに速く走るか
以外の気持ちが働いたんだろうな。

気持ちを入れ替えて
200mで爆発していただこう。

そして、もう一人は福島だ。
世界大会の女子短距離で
準決勝に進んだのは
もう記録もたどれないくらい
昔のことだったらしい。
普段は、ちょっとぬるい感じで
話をする彼女の話しぶりからは
想像できないくらいの闘志を
むき出しにしてキビキビ走る姿は
神々しいまでに美しい。

そして、今日は珍しく
10種競技の最終種目である
1500mの映像が放映された。

2日間で9種目をこなし
乳酸でパンパンの身体で挑む
最後の1500mはさぞかしきついだろうな。

ゴールして倒れこむ右代クンの
姿には感動したね。
日本記録更新とは行かなかったけど
世界の舞台で得たものは
大きかったろう。
まだまだこれからの彼には
doiron一押しの注目だあ。


開幕!世界陸上

2011年08月27日 22時11分38秒 | スポーツ全般

いつもなら、
まだかまだかと待ち遠しかった
世界陸上。

今年はなんか突然始まった感じがするのは
なぜだろう。

そんなに期待すべき選手が
いなかったせいなのか?
いやいやそんなことはない。
相変わらず室伏クンは
力を維持しているし
あのボルトも出てくる。

震災以来、めまぐるしく
ニュースが動き
つい最近も
引退がどうの
退任がどうの
大佐がどうの
といろいろとりざたされることが
多いため、今回の
世界陸上に向けての
盛り上がり部分が欠けていたのかもしれない。

ま、そんなことはどうでもいい。
とにかく始まったのだ。

男子マラソンも面白そうだし
女子短距離の福島が
世界でどこまで通用するのかも
見所のひとつである。

しかし、しかし
なんといっても注目してほしいのは
今年の6月18日のブログに書いた
デカスロン
すなわち10種競技で
日本人初の8000点オーバーをマークした
右代啓祐クンである。
メダルは、8700点を
たたきだすハーディら怪物選手が
居並ぶ中で期待をするのは無理だろう。

しかし、世界の舞台で
さらに日本記録を伸ばしていただきたい。
10種競技は
今日と明日の2日間で争われる。
このブログを書いている時点で
彼は3種目を終えて
全体の28位である。
残りの競技
全力でいってほしい。

しかし、放送もそんな10種競技の様子を
もっと放映してほしいなあ。

世界のキング オブ アスリートが
躍動する姿をリアルタイムで
見てみたいものじゃ。


山小屋の想ひで

2011年08月26日 22時37分35秒 | 自然

北アルプスの白馬から
針の木に続く後立山連峰の南側、
烏帽子から三俣蓮華方面に続く人気コースとの狭間に、
北葛、七倉、船窪、不動、南沢と続く山々がそびえる。
そこは「北アルプスの大峰」といわれる山域で、
視界も樹木にさえぎられて良くなく
道も悪路のためそこを訪れる登山者はあまりない。

今のような山ブームではなかった昭和53年に
新潟の白馬から岐阜の笠ヶ岳まで
一気に歩いたことがあり、
その山域にその時に訪れたことがある。

とりわけ、船窪あたりは当時、
登山道の崩落が著しく事故も発生していたし、
縦走ルートである尾根筋は
右も左も断崖で草つき部分だけがかろうじて残っている
スリリングな状態であった。
今はどんな状態になっているかはよく知らないが、
当時はそんな状況で、
それでも何とかなると思いながら
縦走コースに選んだのであった。

第一、そこを通らないと、
針の木から黒部ダムに急降下し、
その後、読売新道をえっちらおっちら登って
主稜線に出るという、
果てしない遠回りをしなければならないし、
烏帽子岳や野口五郎岳をスルーすることになるので、
選択の余地はなかったわけだ。

そうして覚悟して突入した蓮華岳で見た
がれ場に咲くコマクサの大群落は今も色あせず、
しっかりと記憶に残っている。

そんな蓮華をあとにして、
いよいよ突入した北アルプスの大峰山域の真ん中あたりに、
ぽつんとあるのが船〇小屋だった。

白馬からずーっと山中を彷徨し、
台風の中ではテントで沈殿しつつ、
ようやくこの小屋にたどり着いたときには、
かなりの山男ぶりになっていたのだろう。
テントを張るための申し込みに
小屋に足を踏み入れた途端、
中にいた初老の男性が言った言葉が

「おお~、久しぶりの山人やあ」

だった。
そのあとの話で、その人は夏の間中、
この小屋の番をしているんだとのこと。

そして、マイナーなコースにあるこの小屋に
来る人はほとんどいないことを知った。

少し話をしているうちに、
すっかり打ち解けて、
長期間山を歩き貧相な食事しかとっていないからか、
すっかりむくんだdoironの手足を見て、
野菜のてんぷらを御馳走していただいたのが
この世のものとは思えないくらいうまかったのを覚えている。

そしてその後、おもむろに将棋盤を持ち出してきて、
将棋を指そうというのだ。

そこから先の道が荒れているという情報は
あらかじめ持っていたので、
その時間から次のサイト地に行くのは、
時間的に無理があり
早い目にテントを張ろうと思っていて時間があったので、

「ヘボですが」

と断ったうえで将棋に付き合うことにした。

数手指したところで、
その親父が

「どうや、負けた方が水を汲みに行くことにしよう」

と提案してきた。
今から思えば、数手でこいつはヘボやと見切ったんでしょうなあ。

ま、水汲みくらいお安い御用だと、
提案を受け入れた途端、
あっという間に負かされてしまった記憶がある。

で、水汲みに行くことになったわけである。

水場までは、少し歩いて行かねばならない。
水場と書かれた、案内板の先をみると、
そこには黒部渓谷に向かってドーンと落ちていく斜面があり、
2mほど下ったところに
チョロチョロ水が湧いているような水場だった。

これも今はどうなっているのかは知らないが、
当時はその水が小屋のライフラインを担っていた。

預かった、大きなポリタンを片手に持ち、
口に布バケツの一つを加えて
斜面を這い降り、水を汲んでいたその時だ。

黒部渓谷の向こうにそびえる立山連峰の稜線が、
折からの夕陽で真っ赤に染まる瞬間に出くわしたのだ。

自然に涙があふれたね。
それくらい見事だった。
しばらく崖の斜面で立ちつくしてしまったdoironだった。

汲んだ水を持って、
小屋に帰り、自家製のヤマモモを漬けたお酒をいただきながら、
見てきた景色の話をしたら、
親父さんはしてやったりの顔をしてたな。

今思えば、将棋の件も水汲みの件もきっと、
その景色を見せてあげようと
仕組んだことだったのかもしれない。

最近の山の情報誌では
その小屋はえらく評判になっているらしい。
山の友達に聞くと、天ぷらがとてもおいしい
というのでも有名なんだそうだ。
東京の方のテレビで

「天空の山小屋」

として近々取り上げられると
ホームページにも出ている。

あの時、20歳そこそこだったdoironと
そんな話をした初老の親父さんは、
もう40年も前のことだから
この世にはいないだろうが、
あの時に見た夕暮れの景色とともに、
doironの中では永遠に生き続けている。

そしてぜひ再びあの山小屋には訪れてみたいと思っている。

当時の自分に会いに行くという目的もいいかもしれない。


勇気と元気を

2011年08月25日 22時51分15秒 | 最近の出来事

昨日、災害地支援のために
東北に行ってたわが社の社員たちが帰ってきた。
彼らの旅立ちにあたって
doironが彼らの行動に
名づけたキャッチフレーズが
タイトルの
「勇気と元気を!」だった。

これは何も、被災者の人たちに
勇気と元気をあげるという意味だけではなく
支援に行った人たちにも
勇気と元気をもらってきてほしいという
期待をこめてつけてあげた。

もちろん、街に元気を、子供に勇気を
という意味もこめている。

彼らが現地で得たものは
思いのほか多かったんだなと
報告を受けて思ったよん。

そして最近のニュースの中にも
そんな勇気と元気を与えてくれる
ニュースがふたつあった。

ひとつは、徳光さんの60キロ強の
マラソン完走だ。
普通、マラソンをやっているものにとって
24時間で100kmなんて
チャンチャラおかしいよと思うのだが
今回は少し事情が違う。
徳光さんは、
心筋梗塞経験者なのだ。
心臓という目に見えぬ臓器に病を抱え
普段の自分の限界を超えて
走ることにどれほどの勇気が
必要だったろう。
彼の勇気は、同じ病を抱える人たちに
大きな勇気と希望を与えたにちがいない。
それはdoironも同じで
彼の行動に勇気をもらうと同時に
復活の遠い明かりを
見失うことなく生きていけるような元気をもらった。

また、もっとすごいところでは
今年の世界陸上では
史上初めて義足のランナーが
出場するという。

病気ではなく、ハンデを抱えつつ
トップクラスのアスリートの仲間入りを
果たしているということのすごさは
体力的な面だけでなく
折れない心の強さなんやねえ。

勇気と元気をもらった
最近のええニュースでした。


ひとつ間違えると

2011年08月24日 21時42分16秒 | weblog

紳助の引退は衝撃的であった。

善きにつけ悪しきにつけ
彼の強烈なキャラクターが巻き起こす事象は
われわれの芸能界に対する
期待の一部を担っていたように思う。

こんなことができたらいいのにな
こんなことこそ芸能界の役割なんじゃないのか
というような期待に
ある面では、
わかりやすく応えてくれていたような気がする。

芸能人によるトライアスロン挑戦も
そのひとつだろう。
おかげで、トライアスロンそのものが
より多くの人に知られるようになったしね。

彼にほだされて、今年その競技に
挑戦しようと考えていた芸能人は
どうするのかねえ?
ちょっと心配してしまうな。

そんな彼の引退のきっかけとなったのが、
彼の黒い交際をうかがわせるメールだったという。

そう、最近はインターネットの世界での
情報のやりとりが
何かと取りざたされることが多い。

知り合いに聞いた話によると
何かの事件に関与しているのではないかという疑いや
なにか事件の事情を知っているのでは
ないかと警察がめっこをつけたときには
任意同行とともに
携帯電話の提示を求められるのだそうだ。
携帯に残っている
通話記録やメールの履歴
あるいは保存画像などを
すべてつぶさにチェックされるのだそうだ。

それほど、携帯やメールなど
ネットを経由する情報のやり取りが
その人の生活の奥深くにまで
入り込んでいるといっても
過言ではないだろう。

doironの場合は
このブログもきっちりチェックされるんやろなあ。
たとえば、「×月×日のアリバイは?」
なんて聞かれなくても
このブログでたいてい裏が取れるでしょうよ。

しかし、今回のニュースを聞いて
ちょっと引っかかる過去の
ブログもチェックしてみたぜ。
ま、概ね、他愛のない
内容ばかりでしたわい。

かの大相撲の八百長問題も
きっかけはメールでした。
にせメールで世間を騒がせた事件もあった。
ひとつ間違えると
メールやブログなどの世界は
手軽なだけに思わぬ
落とし穴があるかもしれないので
こうしてブログを続けるのにも
細心の注意をしなければならないなあと
改めて思った今回の事件でした。


2011地蔵盆

2011年08月23日 22時36分53秒 | 生活

釈迦が入滅後56億7千万年後に
弥勒菩薩が出現するまでの間、
人々を救済するという地蔵菩薩。

なにもそんな難しい役割を
求めなくても
doironがずっと小さい
ガキンチョだったことから
村はずれに立っていた地蔵さん。

時にはかくれんぼのときに
潜む場所であったり、
泥団子を供えたりした
そんな地蔵さんだ。
そんな子供たちの
罰当たりないたずらも
地蔵さんはいつも平気な顔で
見守ってくれていた。



今はこんな風に立派なお堂の中に
先日書いたように
5体の地蔵と1基の石柱が
鎮座している。

地蔵盆となると
夕方の僧による念仏のある日にあわせて
村人たちの提灯で飾られる。



さらに、そんな風習にあわせて
村の人々が集うために
大勢の人が供物を並べ
拝所をつくりつつ
ご馳走も食べながら
普段にはできない交流を
一日楽しむという慣わしになっている。



昼間にみんなでわいわい言いながら
ご馳走を食べながら
いただいたビールのおかげで
本番の念仏時には
みんなウトウトしてしまいましたじゃ。

念仏も終わり
供物を分けてお下がりを配った後
一気にテントも片付けて
地蔵さんの周りには再び
静かな時間が戻ってくる。
気の遠くなるような時間をまとって
今までも、そしてこれからも
今日の地蔵盆に関わった
すべての人が
いなくなっても
この村のはずれで
あるのかないのかわからないような
空気のような存在感の中に
ひっそりと佇み続けるのだろう。


抗うつ

2011年08月22日 22時13分38秒 | 生活

道を歩いていると、
突然若い男が

「今、僕のこと笑ったでしょう」

と急に話しかけてきた。
そりゃまあ、こんな顔ですから
笑っていると思われても仕方ないですが・・・
その若い男の表情を見て、
これは病気だなとすぐに分かったのと、
横に保護者らしき女性がついていたので、
「笑ってませんよ。生まれつきこんな顔なんです」
と言ってやったら、納得してか
あっさり引き下がり、
ついていた保護者らしき人が

「すみません」

と頭を下げていたので、許してやった。

最近は、こういう病気の人がとても増えたように思う。
一人で大きな声でブツブツ言ってるおじさん、
見るからにハデハデ症候群のおばさん、
世の中の抑圧的な風潮が
その人たちの精神を押しつぶしているのかもしれない。

職場でも、そんなうつ病になっている人も多い。

原因は、ストレス、自責、過度な自己嫌悪、
対人関係など人によってそれぞれだ。

何がきっかけで起こるのかわからないな
というのが印象だね。
明日はわが身か。

ネットで調べてみると、
この病気の治療法がいくつか書かれてある。

ひとつは、「薬物療法」。

抗うつ薬の有効性は
臨床的に実証されているとのこと。
副作用のみ気を付けなければならない。

それ以外には、
一時的に睡眠を絶つ断眠療法や
強い光を浴びる光療法、
有酸素系の運動をする運動療法が
有効であるとされている。

この三つを同時にできるのが、
好天気の下で
萩往還250kmを走ることやね。

他にも、頭に電気を流して
人工的に痙攣をおこさせる、
電気けいれん療法などという荒療治もあるようだ。

いずれにしても、
病気にならないように
日頃から気を付けておくのに越したことはない。

無理はしない、
のんびりする、
責任を感じて自分を追い詰めない
などを心掛けておくことだ。

doironのように、
人にばかにされても、
いつも笑っているのがいいかもしれません。