ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

親父の謎の生態

2011年02月28日 21時33分58秒 | 生活

親父はこの三月にめでたく90歳を迎える。
超高齢社会においてそれほど珍しい年齢ではない。
なかには200歳などという人も
少し前にいた。

え?それは問題が違うだろうって。
ごもっとも。

ま、世間では90歳とはそんな歳なのだが、
わが村では最長老の男性なのである。

この親父の生態については、
いろいろ謎というか不明な部分が多い。
そもそも、doironと親父は
あまり話しをする機会がないのだ。

というのも朝は、4時ごろから階下でがたがたし始め、
doironが起きていく頃には
すでに歩きに出かけていて、姿形がない。
そこにはただ風が吹いているだけ、状態なのである。

そして、doironが出勤する頃に
入れ替わりで帰ってくるのだ。
高齢者によくあるそんな朝型人間なので、
doironが帰宅する頃にはす
でに布団に入っている。
そんなわけで、あまり話をする機会がないのだ。

この朝の散歩にも謎が多い。
まるで飼い猫が昼間何をしているのか
わからない、そんな感じだね。

まず第一にどこまで歩いていってるのかが
よくわからないのだ。
村の人の目撃者証言によると、
二駅ほど向こうの駅前で見かけたとか、
小学校の校庭でラジオ体操をしていた、
あるいは遠くの公園で
犬と戯れていたなどといろんな声を聞くのである。

そのように親父の生態には謎の部分が多い。

先日の村の結婚式でこんな話を聞いた。
「この前、わしも少し歩いてみるかと外に出たら、
親父さんが歩きに出かけるのと一緒だったので、
どんな歩きをしているのか尾行してやれ」
と思ったらしい。

ちなみにその人の年齢は63歳。
親父よりも27歳若い人でした。
親父の歩行速度の速さに戸惑いながらも、
なんとか村はずれまではついていったのだが、
村を出て親父の脚も温まってくると
どんどん速くなっていき、
ついには見失ってしまったのだそうだ。

そのときの言葉が
「あれは、常人じゃ考えられない速度じゃった。
何かが憑いているとしか思えんかった。」

またある人の証言はこうである。
「あれは、雲間から薄日の漏れる風のない日の朝じゃった。
わしが畑仕事をしていたら、
突然雲がパアーと晴れ渡り、
かまいたちのような一陣の風が吹くように
親父さんが歩いていったんじゃ。
それはもうこの世のものとも思えん姿じゃった。
ありがたや、ありがたや。」
というのはちとオーバーかな。

ま、いずれにしても
非常に速い速度で歩行をしているのに間違いはなさそうだ。

謎の生態はほかにもある。

時折、なにやらわけのわからないものを買ってくるのだ。
先日も、親父のテーブルの上に
奇妙な果物が乗っていた。
ま、そのあたりはよほど変なものでない限り、
店で売られているようなものだから心配ないのだが、
今度はテーブルに
緑色の小さな容器に小分けされた
植物の「活力剤アンプル」と



「マラソン乳剤」が置かれてあった。

よもや飲んでいるんではあるまいと心配になった。

活力アンプルはともかく
マラソン乳剤は殺虫剤である。
いくら、名前がマラソンだからって、
飲めば脚が強くなるなんて
思っているのではあるまいなと、
少し心配になったので、
週末に聞いてみた。

そしたら、
「散歩の途中、弱った植物を見たらあげてんねん」
とのこと。

まずはまあひと安心である。
でも今度は別の心配が沸いてきた。


以前、お菓子を持って散歩しながら、
道すがらどこかの飼い犬に
見境なくお菓子をあげていたみたいで、
ある日

「うちの犬が糖尿になるのでやめてほしい」

と苦情を言われたことがある。

doironも親父に
飼い犬もそうやけど、
どこぞの猫や鳩にえさをあげるのは
よくないぞと諭したことがある。

だからなのかどうかしらないが、
植物なら文句を言わんだろうと思ったんだろう。
最近はそんな植え込みや
立ち木を相手にしながらの
高速散歩を楽しんでいるようだ。

しかし、実は
今度は「うちの空き地の雑草を育てんといて」
と苦情が来ないかちょっと心配している。

それにしても、日々、
親父という人物の謎は深まるばかりなのである。


公園デビュー

2011年02月27日 23時39分50秒 | マラソン

赤ちゃんが、少し大きくなって
外気に曝せるようになった頃
バギーに乗せて
初めて公園に連れて行くことを
公園デビューと言いますね。

doironも宝塚以来
本格的に屋外を
まだ走っていなかった。
今日は天気も良かったし
先月、豊中に引っ越した友達の
ところにいき、服部緑地を走り
公園デビューをしてきた。

この公園は都会の中にある
貴重な緑なんだろう、
とても大勢の人でにぎわっていた。
今日は気温も高く
穏やかな気候ということも会って
家族連れがたくさんいました。

走るコースはというと
特に外周道路があるわけではなく
公園内を一般道が横切っていたり
と、特にランナーに優しいランニングコースが
あるというわけでもない。
例えて言えば
大仙公園みたいな感じかな。

それでも友達は
引っ越して以来ちょこちょこその公園を
走っているようで、
今日はとりわけ気持ちのいいコースを
チョイスしてくれていた。

一周約4キロのコースを2周。
そこへ行くまでの距離を足して
約9キロを走った。
都会の中にありながら
結構アップダウンもあり
1周目は心拍数も上がって
少し、不安に包まれながら
たまに歩いたりしながら走り、
2周目にはようやく慣れて
普通にジョグをすることができた。

新生doiron
無事に公園デビューを果たしたわけだ。

こうして少しずつ
不安を除いていこうと思う。
桜の頃には
お花見ランも出来そうやな


今日は結婚式

2011年02月26日 22時17分17秒 | 生活

今日は同じ村に住む
幼馴染の長女の結婚式に
呼ばれていってきた。
幼馴染とはいえ、
doironと同じ苗字の本家の
世帯主の長女なのだ。

親戚の席に座らされたが
親父ギャグが飛び交う
同じ村の人間ばかりのテーブルで
会場の中では
メチャ浮いていた。

新郎新婦の職業の加減で
学校関係者が多い中
我が村のテーブルは
まるで、バラの中の雑草、
ランの花に囲まれた
ヘクソカズラである。

村からバスで送り迎えなもんで
着くなし、片手にはウイスキー。
もう唯一良識派のdoironが
抑え役に回るという状況。
doironが抑え役なんですから
その雰囲気は推して知るべしでしょう。

新郎新婦の関係者の
挨拶など聞くはずもなく
勝手に盛り上がる始末。
ま、さほど大声張り上げるわけではなく
式場の片隅で
押し殺した笑い声に満ちてる程度ですがね。

親父の家庭の事情で
招待せざるを得なかったメンバーなので
新郎新婦にとって見ては
まったくお邪魔虫だったでしょうねえ。
でもねえ、二人に何かあった場合は
ある意味一番頼りになる連中なんだよ。
全力で守ってくれるからね。

その娘はdoironの息子より
2歳年上でした。
村の人間の脱線を警戒しながらも
式の様子を見ていて思ったのは
もし我が息子が
「親父、オレ結婚する」とか言い出したら
どうするべ~ってことでした。

親戚に気を遣い
村の人間に気を遣い
子どもの友人、恩師に気を遣い
会場の人にも気を遣いで
はっきり言って

邪魔くさあい

のひと言じゃ。
こんな事言っちゃあきませんかねえ。

どこか外国で式でも挙げて
友達だけの
結婚パーティでいいやんて
言ってくれないかなあ。
顔ではしぶしぶ了解する
少し難しいが
物分りは良い父親を演じながら
心では

「よう言うた!」

と、ベタほめしてあげるのになあ。

などと、不謹慎なことを考えながら
式の様子をつらつら眺めたり
結婚式司会経験が2度あるdoironの目で
司会を眺めてたら
かなり下手な司会だなというのに
イライラしたなあ。
ちょっと不謹慎なdoironなのであった。

でもでも
写真の得意なdoiron。
きっちり幸せそうな
写真が撮れましたよ。



どうです?
なかなかロマンチックでしょう。
手前を白いクロスで
ぼかすあたりは
憎いねえ~

結婚式で浮きまくってたおじさん達を
この写真に免じて許してね。


送別会

2011年02月25日 23時33分22秒 | マラソン

doironより昔から走っておられた
職場のランニングクラブの会長の
送別会に行ってきました。
今日のメンバーはそんなクラブの中でも
大阪実業団1部の50位前後で
たすきをやり取りした仲間と
マラソン元祖様のK崎さんと
当の会長T松さんの7人でした。

このメンバーで集まると
懐かしい話が尽きることがありません。
K崎さんは、社報編集の大先輩で
しかもマラソンも多分職場で
初めてフルマラソンを走った人です。

駅伝、マラソン、ウルトラ
あの頃僕らは、道はどこまでも続き
絆は永遠に途切れないと
思っていた。
そして、明日は今日よりも早く
強く走れる自分になるんだと
信じて疑わなかった。

20年以上の時を経て
マラソンに対する思いは
ずいぶん変わったけど
絆は前にもまして太く強くなっていたなあ。
だって、あんなにたくさんの
素晴らしい思い出を共有している
仲間なんていませんもん。

脚は弱くなったけど
お酒の強さは相変わらずでしたな。
doironも今夜ばかしは
溶けちゃいました~

といいつつ、ちゃっかり更新
へへへ


新世界

2011年02月24日 22時00分02秒 | 最近の出来事

先日、知り合いと新世界にいってきた。
目的はもちろん串カツとビールだ。
今年、この新世界は生誕100周年となるらしい。
それにしてもここの呼び名

新世界”

とは大きく出たもんだ。
なぜ、「新世界」なのかと、
ネットで調べてみようと思って
いろいろ渡り歩いてみたが、
どうもその語源がはっきりしない。

この新世界のシンボルである通天閣が
かつては、パリの凱旋門の上に
エッフェル塔を乗せたような形で、
しかも町並みもパリに合わせて
放射状に道がつけられたことから、
グローバルな名前がつけられたんだろうと
みているのだがはっきりとはわからない。

その昔、この街には娼婦が横行していて、
健全化のために

「街娼には声をかけるな」

というような張り紙が
あちこちに張られていたそうだ。
そんなこともあって、
女子供の寄り付けない
怖い街みたいなイメージがあったのは確かだ。

しかし、最近は様子がかなり違う。
若い女性やカップルが闊歩しているし、
以前はずぇーったい近寄らなかった主婦層も
串カツ目当てに訪れてきている。

京都の街をガイドブックを持って歩くように、
観光気分で訪れてきているのだ。
各店の前には、愛くるしいビリケンさんの像が置かれてあり、



その前で記念撮影なんぞをしている。

かと思えば、
ひげマムシの日雇いおじさんが
酒のにおいをぷんぷんさせて
よたよた歩いてたりする。

要するに不思議な街なのだ。

数ある串カツ屋さんの中から
どの店を選ぶのかは、
面子にもよる。
新世界を満喫してみたいという面子なら、
串カツを目の前で揚げてくれる
カウンター形式のお店がいいかな。

新世界の独特の雰囲気の中で、
気のあった面子とワイワイやるなら
テーブル席のお店だ。

doironは初めてのときは
カウンター席の店に行き、
串カツを満喫したが、
以後はテーブル席のお店に入っている。

このときもテーブル席に陣取った。
周りを見ると会社帰りのサラリーマンや、
観光に訪れた若い女性グループなどもちらほら。

「ソースの二度づけ禁止やで~」

「どうしても二度づけしたいときは、
キャベツでソースをすくってかけるんやで」

などという会話がきっと交わされているんだろう。

一緒に行った友達とも、
大いに盛り上がった
楽しいひとときを過ごしましたあ。


さよなら、こーちゃん

2011年02月23日 22時05分32秒 | マラソン

あなたがいつもヒョコヒョコ走る姿は、
私の仲間たちの心をいつも温めてくれました。
もくもくと走り続け、
そのランナーとしての実績も
たしかフルで3時間一桁を持っておられた猛者でしたね。

私とは、福知山、泉州、篠山など
数々のフルマラソンを一緒に走っていただきました。
ウルトラも
高野山や
あの萩も
何度かご一緒させていただきましたね。

萩では、一緒に走っていた友達とはぐれ、
その人を待っていたつもりが
置いていかれてたことを知り、
愕然としながら走っていましたねえ。

100マイルの大会でも、
太陽の道で勝手に離脱し、
大騒ぎになったこともあると聞きました。

トライアスロンの練習で、
一泊二日でバイクに乗って伊勢に行ったときも、
コースのあちこちを一人で黙々と走っていたそうですね。
あなたの思い出は、
すべてあなたの人柄に満ちた、
本当にあなたらしい思い出で埋まっています。
そんなあなたが亡くなるなんて・・・

渓流釣りも趣味で、
オートバイも駆使しながら、
山奥に渓流釣りに行っておられ、
何度か誘われたのに
一度もご一緒できないままでしたのは、
悔やんでも悔やみきれません。

また晩年は、片目が不自由というハンデをものともせず
というかそのハンデがあったからこそでしょう、
目の不自由なランナーと
“絆(きずな)”と呼ばれるロープを持って
伴走のボランティアをされてましたね。

さぞや一緒に走られたランナーの皆さんは
悲しまれていることでしょう。

仕事は一緒にさせていただいたことはありませんが、
その職場を見る限りにおいて、
あなたは高齢者の皆さんの頼れる相談相手であったことは、
想像に難くありません。

仲間との飲み会では
いつもいらわれ役でしたが、
いやな顔ひとつ見せず、
いやむしろそれを楽しんでおられるような、
仏様のような人でした。

今日、あなたの訃報に触れ、
溢れ出す涙をこらえることができません。

でも、あなたのことです。
天国に行かれても、
楽しくひょこひょこ走っておられることでしょう。
残ったわれわれをその優しい心で、
空の上から見守っていただきたいと思います。

そして「doiron!しっかり俺の分まで生きろ」
とたまにしかってやってください。

山田幸一さん、
ほんとうにお疲れ様でした。
そして、心の限りを尽くして、
お礼を言わせていただきます。

ありがとうございました。


日々進化

2011年02月22日 22時34分48秒 | マラソン
今日はスーちゃんが
月に一度のショートステイ。
施設暮らしにも徐々に慣れてもらわないといけないし
気分転換のようなものも
味わってくれたらいいなと思っている。

ミセスdoironも飲み会。
おやじもどこか友達のところに
出かけていって
夕方、家に帰ると
グーがひとりで、いや一匹で
留守番をしていた。

洗濯物を取り入れ
風呂も洗う。
台所にたまっている
使った食器もごしごし洗い
グーちゃんにご飯をあげて
ジムに出かけた。

トレッドミルで走り始めると
むこうずねが変に疲れている。

ん?と胸に手を当てて考えてみると
原因は泉州マラソンだ。
走ったわけじゃないよ。
片道5キロをテクテク歩いて
会場に行き、
スタート後もテクテク歩きながら
応援をしながら帰った。
で、都合10キロを歩いたわけだ。

そういえば、競歩の選手の足も
膝から下の前の部分が
しっかりしているよなあ。
同じく脚を使っての移動も
ランとウォークとでは
かなり使う筋肉がちがうんやろなあ。

トレッドミルで走り始めると
身体は徐々に反応を始め、
すぐにジョガーズハイに。

さて今日は昨日までに比べて
どんな進化を自分に課そうかと
ハイになった頭で考え始める。

進化の方法は3つ。
ひとつはスピードをあげること。
そしてもうひとつは
距離をのばすことだ。

宝塚以来、ジョグでなにごともなく
こなせるようになったのは
1時間で8キロのラン。

そこで、今日は一時間で8.2キロを
目指して走った。
脱水は禁物なので
汗をかいた分は
すぐに補給できるように
器具に備えられている
ボトルホルダーに
水のペットボトルをお供えし
ちびちびとやりながらのジョグだ。

途中、知り合いと話をしたが
トータルのべ一時間で
無事に8.2kmを走ったぜ。

だいたいこの5倍がフルマラソンだ。
いつ、そんなレベルにまで
戻せるかわからないが
鍾乳洞に石灰が積もるように
少しずつあげていこう。
(気が長すぎるのにもほどがある?)

とりあえず、春になったら
山歩きと
ゆっくりバイクを楽しめるようになれば良いな。

そんな風に、日々少しずつ
進化しているdoironだ。

え?進化の方法3つめが
まだやって?
それはね、また次の機会に。

花粉飛来

2011年02月21日 23時00分46秒 | 最近の出来事
今年は花粉の飛来が激しいそうだ。
夏の高温がたたって
今年はたくさんの花粉源が杉についているという。

数年前から、花粉症の症状が出始めているdoironにとって、
泉州マラソンが終わった頃から恐怖の季節がやってくる。

doironの症状は、
主に目だ。
目がウルウルすると同時に
痒くなってくる。

いや、順番が逆かな。
痒くなるからウルウルするのかな。
て、こんなことを書いていると、
にわかに涙がツツ-っと頬を伝うほど、
もう涙腺は一触即発の状態になっている。

スーちゃんに
「ズボンはちゃんとあげないと格好悪いよ」
などといいながら、
目を潤ませていると
「悪いなあ、世話かけるなあ。そんなに泣かんといて」とのたまう。
いやいや泣けてくるのは間違いないが、
悲しくて涙が湧いてくるほど
介護初心者でもない。
でも、まあこんなときは
「へいへい」といいながら、
スーちゃんのやる気を刺激するために
やるせない演技も必要かと
目を潤ませたままにしとくのだが、
人と話しているときなんかに、
ちょっと困るときがある。

例えば、面白い話をしながら笑っているときに、
目がウルウルしたりする。
さほど面白くもない話でも、
相手は「泣くほど笑ってくれている」と勘違いし、
ますます面白くない話に磨きをかけようとするから始末が悪い。
また、ちょっと悲しい話をされたときなんかは、
こっちが感動して泣いているように思われるから、
これまたとても厄介なのだ。

朝も朝とて、
昨夜にゴシゴシした目が腫れていたりしたまま、
職場に行くと

「こいつ、きのう飲みすぎよったな」

みたい目で
社長や副社長に見られてしまう。

「私はそんなに酒飲みじゃ有馬温泉!」

といったところで信じてもらえないもんなあ。

ま、そんな花粉症状が役に立つのは、
ミセスdoironと
感動ドラマを見ているときに、
本当に感動でウルウルしてても、
「か、花粉が・・・」といいつつ
照れ隠しのごまかしがきくことくらいかな。

5年位前には、薬を処方してもらった。
それはどちらかといえば予防のための薬で、
2月はじめくらいから飲み始めたら
その年には見事に症状が出なかったことがある。

今年もそれを飲めばいいのだが、
今年はいろいろ他の薬を飲んでいるので、
医者の判断がいるだろう。
それもまた面倒くさい。

花粉ごときで、
アナフィラキシーショックもなかろう。
と、思いつつ漫然と
花粉の季節を迎えようとしているdoironだ。

ところで最近、やたら目に付くのが
花粉防止メガネだ。
つるの部分までカバーが
かかっているようなメガネも
以前は違和感があったが
今年あたりから
結構流行し始めて
いろんなおしゃれなタイプが
出始めているようだ。

もう少し流行ったら
伊達でも良いから
そんなメガネをかけてみようかと
花粉予防と
変身願望を刺激されている
doironなのだ。


今日は泉州マラソン

2011年02月20日 21時50分35秒 | マラソン

応援に行ってきました。
浜寺公園のスタート会場まで
ててて~と歩いていきました。
寒いだろうと、薄手のズボンの下に
パッチを穿いて
一生懸命歩いていたら
汗をかきましたなあ。

パッチを穿いて汗をかきかき歩くこと
これが、「必死のパッチ」の語源でしょう。
などというのはどうでもよい。

失礼しました。

今日の、天気は
絶好のマラソン日和。
もし自分が走るなら
もってこいの気候だろう。
なぜ、もってこいなどと
命令口調なのかというのも
この際どうでもよい。

とにかく、タイムを狙う人にも
終盤を楽に走りきりたいという人にも
時間内完走をひたすら目指すという人にも
とてもやさしい気候であった。

会場に着くと
久しぶりに見るルネの連中も
心配してくれた。

「doironさん、大丈夫?」
「うん。でもまあ、それは心臓に聞いてくれ」

とか
「〇〇クン、無理したらあかんで」
「doironさんに言われたくないわ」

などと、
久しぶりの再開を喜び合う
感動的な会話を交し合ったのであった。

他にも、事情を知らない
知り合いも多く、
走らない格好で
立っていると
いろんな人が
「何で出ないんですか~?」と
次々に聞いてくる。
そのたびに、
「あのねえ、話すと長くなるんで
スタートに間に合わなくなるから」
といなしつつ、
体調が悪いことを
簡単に説明した。
決まり文句は
「詳しくはブログで」、もしくは
「続きはネットで」だ。

もしくは
「ハブ ア ナイス doi!」で検索、カチッ

そうそう、先日本当にこの検索で
いけるのか試してみたら
ブログタイトルの自治会の
葬儀の記載にひっかかって
「葬儀場の求人情報」が
出てきたのには驚いた。
なんでも関連付けたらいいってもんじゃないよな。

と、話をもどそう。

スタート後、花野クンと別れ
アブママとコースをテクテク歩きながら
泉O津まで応援をした。
こちらから見つけて声をかけた人が半分、
あと半分は向こうが見つけて
声をかけてくれた。
そういえばひとり、
サングラスをかけて
帽子を被って
「doironさ~ん」と声をかけてくれた
ランナーがいたが
誰だったのか不明なんだよな~。

ともかく応援日和だった本日、
選手の皆さんも
日頃の成果が出せたでしょうか。

自己ベストだった
M尾クンとI原さん
おめでとうございます。
これまでの自分を超える快感って
忘れられないっしょ
これからも頑張ってくださいな。

完走された人も
そうでなかった人も
応援の人も
お疲れ様の一日でしたあ。


明日は泉州マラソン

2011年02月19日 22時29分17秒 | マラソン
doironが生息する
泉O津市を通過する
唯一のフルマラソン大会
それが泉州国際マラソンだ。

千亀利マラソンと称して
ハーフから始まり
フルの大会となっていき
平成6年の関空開港にあわせて
国際マラソンとして
開催されたのがこの大会。
doironも15回くらいは
走ったでしょうか。
ベストタイムは
3時間01分02秒。
平成5年2月20日の
千亀利マラソンといわれていたときに
大雨の中で出したこのタイムが
生涯のフルベストとなりました。

続くタイムは
平成12年2月20日に開催された
第7回大会の3時間05分19秒でした。
途中棄権も2回あります。
1回は、風邪を引いて
38度の熱が出ているのをおして
出場した平成4年の千亀利マラソン
30キロ2時間2分でダウン。
あの時は、地面が波打って見えました。
そしてもう一回が
平成9年の第4回大会。
このときは25キロくらいで
心臓発作が起こり
救急搬送。
このときの発作が
この後の心臓カテーテルアブレーションという
手術につながった。
doiron42歳の出来事でした。

このほか、思い出も数多い大会です。

走りながらあのボストンマラソン1953年優勝者の
山田敬蔵氏に話しかけられたことがある。
「このコースはアベベと走ったことがあるなあ」と
言ってはった。
当時はたしか60歳は当に超えていたのに
3時間一桁でゴールしてはったなあ。
あのアースマラソンの
間寛平と30キロ地点で併走しながら、
話をしたこともあるし
東国原元宮崎知事(当時はそのまんま東)と
ゴール2キロ手前まで競って
振り切ったこともある。
スタート前に高石友也と
皆生の話をしたこともあったっけな。

doironのフルの歴史は
この大会と共にあったといっても
過言ではないのです。

今年は、もともとエントリーできていなかったし
出来ていても走れなかっただろう。

そんなdoironの悔しさを
皆さんの元気な笑顔のゴールで
晴らしてほしいと思います~。

応援行きます。