ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

村の盆踊り

2010年07月31日 23時25分19秒 | 最近の出来事

今日は村の盆踊り。



普段は、祭り以外では
あまり顔を合わすことのない
村の連中が
いっせいに集まるのが
この盆踊りである。

これまでdoironの役割は

司会

といっても、場つなぎに
やぐらに上がって
たわごとを放つ役割だ。
飲めば、100人でも
一万人でも相手にしてやるぜ。
我ながら、口先だけで
よくやってると思う。

「○○さんのおばあちゃん、
相変わらず元気やなあ。
今日は頑張って踊ってやあ」みたいなね。

でも、今日は出番もなく
ビールを飲んでウダウダ言ってるだけでした。
主催している青年団も
しっかり司会もしていて
かなり成長してきたようです。
育ってますねえ。

実は、今日の祭りに備えて
スーちゃんを村人の
前に引きずり出す予定でした。
「みんな心配してるから、行こ」
ってずっと誘ってたんやけど
かたくなに拒否された。
今の自分の姿を
あまり見られたくないんだと。
そう言われたら
無理強いも出来ないしなあ。

てことで、doiron単身での参加
となりました。

行くなりいきなり
すきっ腹でビールを3本飲まされ
本部で思いっきり笑い転げて
盆踊りもろくに見ず
フラフラになって
今帰ってきたところです。

会場では
みんなからスーチャンのことを
さんざん聞かれました。

「ま、元気とは言わんけど
機嫌ようやってるわ」と答えておきましたぜ。

こういう場は
近所の人の動向を
色々仕入れるチャンスでもある。
聞けば、△△さんは入院してて
危ないらしいとか
□□さんは10日前に
救急車で運ばれたとか
誰々は嫁さんと大喧嘩をして
顔に傷して出て来れんらしい
とか、今回も村の人のいろんな情報が
耳に入りました。

小さな村でもこんなに
いろんなことがある。

市町村、都道府県、国単位で
仰天ニュースが
あふれているのも
うなずけるよなあ。

人生、まったく退屈しませんな。


ドイツ語

2010年07月30日 23時29分38秒 | 生活

先日我が社にドイツのスポーツ少年団が
やってきて、社長を表敬訪問した。
ドイツから日本にやってくるだけあって
空手など日本のスポーツをやっている
少年少女もいたが、
中にはトライアスロンをやっている
女性もいた。
同時通訳も一緒にやってきて
いろいろと抱負などを述べたのを
日本語に翻訳していただいた。
みな、スポーツに打ち込んではいるものの
日本の文化も学びたいということで
お土産に日本画が描かれた卓布を
差し上げた。
テーブルにさりげなく置いたり
花瓶の下に敷いてくださいといった説明を
ドイツ語で出来なかったので
何も言わずに渡したが
まさか「日本のタオルは汗の払拭が悪いなあ」
などとは思ってないか
と少し心配している。

通訳は日本人で
ドイツ語がペラペラとまでは
いかないが、
社長のこれは微妙な
表現やなという言葉も
何とか訳してくれていたようだ。

同席したdoironもドイツ語は
大学で学んだが
もうまったく覚えていない。

「グーテンモルゲン」と挨拶するのが
精一杯でした。

英語で、「アイアム ア トライアスリート」と
言ってやろうと思ったが
社長を前にして差し出がましいので
おとなしくしておいた。

今思えばやっぱり言ってやればよかったと
少し後悔している。

ドイツ語といえば
山に関係する言葉は
ドイツ語が多い。

コッヘル
シュラフ
ピッケル
ケルン
モルゲンロート
と並べれば
枚挙に暇がない。

日本の登山の黎明期に
ドイツの文化が大きな影響を
与えたのだろう。

「コルでザックをおろしたら
アーベントロートがきれいだったよ」

なんていっぱしの山や気取りで
友達と話し合ったりしたもんだ。

もっと話が進むと
「メッチェンのいない山なんて
ラッセルばかりの山みたいに
つまらんさ」なんて言い出したりする。

「メッチェン」とは
可愛い女性のことを指すのだ。
本来のドイツ語がそんな意味なのかどうか
しらないが
doiron周辺の山仲間では
そんな意味で使っていた。
しかし、それらも所詮日本語の中に
ドイツ外来語を並べただけで
ドイツ語とは到底言えまい。

そんなことを書いてたら
少しずつ思い出してきたぞ
確か、ドイツ語では名詞を
男性と女性と中性に分けてたはずだ。
学び始めてすぐに
机が男で椅子が女(逆かも?)
なんて説明されて
これはお手上げだと
匙を投げたんだったなあ。

結局、ドイツ語といえば
志村けんと
結婚相談所と
ビールの名前を並べたような
アイン、ツバイ、ドライ(1、2、3)と

イッヒ リーベ ディッヒ
くらいしか覚えてないってことを
思い知らされた
ドイツスポーツ団訪問でした。


ありがとう、皆生

2010年07月29日 22時53分26秒 | トライアスロン
灼熱の皆生から帰って10日足らずが経つ。
出だしから帰りまで、
いや帰ってきてからも
いろいろあったが、
皆生戦士たちが躍動した、
あの感動の一日の余韻は
今もふつふつと
doironの中で燃え盛っている。

大山をバックに、
選手たちが日野川河口からいっせいに
海に入っていくのを見るのは今回が初めてだ。

三年前に故障で出られなかったときは
ラン→バイク→ランのデュアスロンだったが、
それまでの大会では
ずっと
doironはあの群衆の中にいた。
それを見ながら
doiron
下唇を噛み切らんばかりの
悔しい思いをしたもんだ。

一日中、朝から晩まで
そんな思いでレースを眺めていた
ような気がする。

知り合い選手たちの結果は
おおむね良好でよかったなあ
と思うと同時に激しく嫉妬もした。
今年は仕方ないやん
と何度も自分に言い聞かせたはずなのに、
まったく了見の狭いおっさんである。

今年も去年もエントリーしていながら
ゴールしていないということで、
心配するのは、
来年の選考から漏れるのじゃないかってことだ。
皆生に出たくて
しっかり練習して身体も作り、
いくら申し込んでも結果、
選考漏れとなっている選手たちのことを思うと、
完走もできずに
出場枠だけ占領するのは
忍びないってもんだ。

来年、選考漏れとなったら
doironは潔く皆生を卒業しようと思っている。

そんな皆生から先日
バスタオル、スイムキャップ、
ナンバーカード、トランジッションバッグ等が届いた。

わがまま言って直前に
DNS(Do Not Start)となった勝手な選手に
なんと温かい配慮であることか。

明日、大会事務局に
お礼と暑中見舞いを兼ねて
カモメールを送っておこうかな。

ゴーヤづくし

2010年07月28日 23時23分00秒 | weblog
ミセスdoironは結構
地球温暖化防止に興味があるようだ。
毎回の電気・ガス・水道の使用量が
わかる伝票をきっちりためているし、
電気をこまめにうざいくらい
消して回る。
ただ単に家計を気にしてのことか
と思えば
ゴーヤカーテンの製作を
提唱したりもする。
ま、出来ることからやっていこう
というその行動は
doironも後援している。

そんなゴーヤを
doiron家の総力をあげて
育てたおかげで
立派なカーテンができた。
家の中から見ていても
気持ちの良い日陰を生んでいるよ。



このゴーヤの実が
最近どんどん実っている。
採っても採っても
翌朝には別の実がなっている。

そんなゴーヤの習性で
最近気づいたことがある。
朝取りのゴーヤは
実がしっかりしているが
夕方の実はしな~っと
しおれている。
だから、ゴーヤの収穫は
朝にすべきだろう。

そういった収穫が
毎日続いているおかげで
doiron家の食卓には
この頃毎晩ゴーヤが登場する。

ゴーヤチャンプルー、

ゴーヤの酢の物、

ゴーヤカレーまではよかったが
この頃は、メニューに困って
ちょっと変わったものが登場したりする。
今夜は、ゴーヤ入り焼きそば
略して、ゴーヤキソバだと。


ネーミングに気をとられて
味は・・・
びみょーだ

ぼちぼち、メニューに
困ってきたって感じは否めない。
聞けば、明日はゴーヤ炊き込みご飯。
あさってはゴーヤチャーハンだと
何か怪しそうなメニューだな。

ほかに何かある?
って聞くから
ゴーヤと豆腐の煮物で
ゴーヤ豆腐(高野豆腐のパロディのつもりです)や
ゴーヤラーメンなんてどう?
それから
ゴーヤフラッペや
ゴーヤストロガノフなんかもいいやん?
と、やけくその冗談で言ったら
「それ、全部いただき!」だと。
どうやら本気で作る気のようだ。

ゴーヤカーテンで温暖化防止が
えらいとこに波及してきたぞ。

地球環境は守られたが
doiron家の食卓環境が壊れつつあるのだ~

雄姿

2010年07月27日 22時55分48秒 | トライアスロン
あの春のバイク転倒以来ずっと、
バイク置き場に
臥薪嘗胆とばかりに吊るしてあるヘルメット。

あの転倒で、このメットが
どんな具合になったのか、
それは
doironの心の傷ともいうべきものであるし、
長年連れ添ってきた
ヘルメットに申し訳ない
という気持ちもあって、
公開しないでいた。

しかし、最近ようやく恐怖心なしに
バイクに乗れるようになってきたし、
新しく注文したメットもまもなく届くので、
その
doironを守った雄姿を
ネット上に残しておこうと思う。

これだ。



全く涙が出ます。
このメットで宮古島も
皆生もオロロンも完走しました。
水泳の苦手な
doiron
海から上がってくるのを
トランジッションでじっと待ち続け、
スイムを終えたら
さあ行こうぜとばかりに
doironを頭の上から
魂を鼓舞し続けた相棒だ。

時には、暑い夏の練習もずっと一緒。
そんなメットの内側には、
doironの本名、住所、電話番号、
血液型を書いたテープが貼られている。

幸い紙一重でこのテープが役に立つことはなかったが、
常に頭の上で
doironの戦いを
見守ってくれていたのには変わりない。

ミセス
doironはドライだ。
「いつまでこんなメットを吊るしておくの?
捨てたら?」だと。

う~ん、女にゃあわからんだろうなあ。
っていうか、こんなとき
案外男の方が女々しいんだろうな。
doiron
のトライアスロン人生を
共に歩んできた、
コスミックブルー
(星もちりばめられているのだ)
のヘルメット。

何らかの儀式なしに、
ポイと捨てるのは許されるものではないだろう。
doironを守ってくれて
ありがとう!
君はその役目をすべて果たしてくれた。
安らかに眠ってくれ!

合掌

痙攣

2010年07月26日 22時19分12秒 | 最近の出来事
昨夜、寝ているときだ。

突如、
これまで経験したことのない
痛みを覚えて目が覚めた。

脚のスネの部分を
強烈な痛みが襲っている。
これは一体何事だと
あわてふためく頭の片隅で考えた。

もう息子も就職を果たしているから、
今さら彼にかじられることもなかろう。
足首が上に曲がって動かない。
痛みの種類が、
切り傷や打撲のようなものではない。
これらのことから、
どうもこれは筋肉の痙攣らしいと判断した。

しかし、ふくらはぎの
こむら返りならわかるが、
こんなスネの前面が
痙攣するなんて初めてだ。

寝室の暗闇に響く
doironのうめき声。

痙攣停止のための常套手段としては
筋肉を伸ばして収縮を止めることだが、
この筋肉を伸ばすのなんて
どうすればいいのだ?

そもそも、
こんなところにこんな大きな筋肉があったとは
思いもよらず驚くと同時に、
ちょっぴり頼もしくも思えて
少しうれしかったところもある。
まだアスリートの端くれだったみたいなね。

さらにその時の気持ちを
もう少しわかりやすく言うと
それはまるで、
飲み屋で出てきたハゲの煮付けの
頭の部分をめくると、
骨のくぼんだところに

“おっとこんなところに身が隠れてた”

みたいな気持ちに似ている・・かな?

え?かえってわかりにくくなった?
スンマソ

そんな痙攣の原因は、
やはりあの葛城山の
下りの激走だろうね。

登山とマラソンはやはり似て非なるものだ。
使う筋肉も微妙に違うのだろう。
それに腰が痛いこともあって、
片足だけに異常な負荷がかかったんやろね。

それにしても痙攣は痛かった。

ただでさえ「弁慶の泣き所」
といわれるスネの部分だ。
doiron
にだって泣き所なのだ。

え?「私の泣き所は膝小僧よ
だって?

う~ん、それは少し違う気がするなあ。

なすすべもなく、
暗闇で呻くこと数分。
時間と共に痛みが薄れてくるのを待つ他はなかった。

時間のものさしは違うけど、
腰もやっぱり痛みが消滅するのを
時間をかけて待つ他はないのだろうかねえ。

でも、久しぶりのヘビー登山で
身体にたっぷり刺激が入ったと
ひそかに喜んでいるdoironなのであった。

リハビリ登山

2010年07月25日 21時48分48秒 | 自然
今日は舞洲でトライアスロンが開催された。
見学に行こうと企んでいたが、
先週も皆生見学だし、
二週連続で見学も情けないかなあと思っていた。
体育の授業も見学は1回でいいっしょ。

Shimizu君には悪いが、
この日曜日は自分のために使うことにした。

近頃、山友達からメールをいただくことが多い。
山登りは
doironの原点だ。
そもそもマラソンは
山に登るためのトレーニングにと
始めたスポーツだ。
ここらでひとつ原点に少し回帰してみるか
と思っていたところだったので、
そんなメールは心に響いた。
とはいえ、まだ腰のポストイットは
貼り付いたままだ。
登りは登れても、
下りはかなり不安がある。
そこで、思いついたのが大和葛城山である。
この山にはロープウェイがある。
頑張って登って、
下りがダメなら
それで降りてこれるということで、
おそるおそる行ってみることにした。
腰のためのリハビリ登山だ。
のぼりは大丈夫とはいうものの、
それさえ不確定だ。
腰の様子をみながら
自由に行動するために
一人で出かけた。
それに原点回帰なら
どこに向かってでも降りれるように、
移動は電車だ。
山でビールも飲みたいしね。

早朝(といっても7時頃)に家を出て、
電車で一路奈良県へ。
御所からバスに乗り、
ようやくロープウェイ乗り場に着くまで、
2時間以上かかった。

この山には、
櫛羅の滝コースから登った
楽しい記憶があるが、
この道が以前の大雨で
あちこち崩落し、通行止めになっている。
そこでこの春、別の登山道

「北尾根コース」

が開通しているので、
それを登ることにした。

スタートは午前9時10分。
ロープウェイ周辺に人は結構いたが、
登山道はひっそりしていた。
そりゃそうだ、
ロープウェイという文明の利器があるのに、
この暑さの中を
わざわざ歩いて登るなどという
もの好きは少ない。

スタート直後から、
北尾根に向かってのかなりきつい上りが続く。
10分も歩けば
あごから汗が滴り始めた。
Tシャツもズクズク、
パンツまでぐっしょりだ。

夏の低山は、
ショートタイツか
海パンがいいかもな。

腰は、予想通り
上りではあまり不安を覚えることはなく、
ゆっくりと着実に高度を稼げた。

一時間くらい登ったところから、
尾根道に出て、
登りは登りでも快適な登り道になる。

腰も張りはあるが、
たいしたことはない。
痺れさえ出なければ、
痛みには耐えれる。

用意した水は1リットル。
途中ダイトレコースとも合流し、
約1時間30分かけて、
山頂に着いたときは
四分の1が残ったぐらいで、
適量だったといえるだろう。

皆生で買ってきた漬物が包装されていた、
アルミの袋に
凍らせた保冷材とともに入れておいて、
まだ冷え冷えのおにぎりを取り出し、
山頂の店で買ったビールとともに
山頂三角点横のベンチでいただいた。

何はともあれ、
登頂できたことに乾杯である。



山頂からは東に大和三山が配された
奈良の街が見渡せる。
西はもちろん大阪平野。

今日は少しかすんでいたので、
関空までは見えなかったな。

このかすみは午後の夕方頃には
積乱雲になり荒れることが予想された。
前日にネットでチラッと見ておいた
高層天気図にも
南の湿った空気と
北から忍び寄ってる
冷たい空気がけんかしそうな気配であったもんな。

思いのほか早く登れたので、
山頂付近でスケッチと
自然観察に時間をとった。

そのころは、
時折直射日光が射す程度の曇り空で、
日陰のない山頂で遊ぶには最適でした。

スケッチは、下手すぎて見せられないけど、
花の写真や蝶の写真は数枚撮った。
花はこの時期少ないが、
時間があったのでいくつか探せた。
まず目に付いたのが「アザミ」



そして「オカトラノオ」。



ある日陰の場所では、
この花一つ一つに
写真のようにベニシジミがいました。



これは「ネジバナ」
よくあるランの一種です。



「オトギリソウ」は弟を刀で切り殺したときの
血しぶきが葉っぱに点々とついているという
悲しい逸話のある花です。



カワラナデシコも
野生となると少なくなりました。

そうそう、最初のオカトラノオには
長距離を旅するという蝶
「アサギマダラ」も見かけました。



山頂周辺でそんなことに戯れて、
さあ、いよいよ問題の下山の時間です。
帰りは、ダイトレではなく
自然観察路を経て
北尾根コースに合流する別ルートをとりました。

下りが無理とわかったら、
すぐさまロープウェイに取って返せるからです。

下山開始は13時07分。

春なら「カタクリ」の花が群生する山道を
少し勢いよく下ってみました。
イケル!右腰に少々響くが、
主に左脚を着地に使えば
相当いけるではないですか。

そのままの勢いで、
ぶっ飛ばしてみました。

山中を駆ける一頭のカモシカ、
え?はいはい、
一頭のサルです。
ええ、そうですとも。

今日は、ランニングシューズではなく
山用の靴だったので、
グリップはいいし
足首も保護されているので、
思い切っていけました。

ロープウェイの下の駅に着いたのは
13時44分。
登りの半分以下の時間で
駆け抜けたことになる。

これは、
doironのとても自信になった。

思ったよりも腰は治癒しているぞ。
まだまだ夏は始まったばかり。
山にトレーニングに、
使える時間は目いっぱい使って
楽しい夏にしたいと、
意気揚々と帰路に着いた。

今日のリハビリ登山はとても実のある旅だったと
チューハイをすすりながら
ニコニコとブログってる
doironなのであった。

大暑翌日

2010年07月24日 22時02分00秒 | 最近の出来事
皆生以来、暑い日が続いている。
ちょうどこの時期は
暦で「大暑」というだけあって
一年の最高気温を記録するのも
この時期だ。

観測史上、もっとも暑かったのが
1933年7月25日の山形で
40.8度を記録している。
日本の最高気温ベスト3はいずれも
この時期で7月末に集中している。
40度以上の異常な気温は
台風に吹き込む風が
巻き起こしたフェーン現象など
異常気象がもたらしたものだけど
もともと太平洋高気圧の
持つ気温が高いということから
この時期に集中している。
ちなみに、非公式ではあるけど
1923年の9月2日に
東京で47.3度が記録されているが
これは、関東大震災による
火災の熱波だそうである。
もひとつちなみに
世界の最高気温は
イラクのバスラで
1921年に観測された
58.8度だそうである。

そんな最高気温を並べるだけでも
暑くなりますねえ。

今日も、日光は
厳しく降り注ぎ
最寄の公式観測地である
堺市で34.6度だったそうである。

入道雲がモクモク湧きあがり
アスファルトの照り返しが
もうもうと熱気を放つ中
今日は、バイクに乗った。
日差しを背中に受けていると
ウェア越しにも痛いほどだった。
クーラーが効いている部屋で
このブログをうっていても
手や首筋だけでなく
なんとなく背中もほてっているような
気がしている。
40キロほどのバイクライドの途中
カインズカフェで一息。
昨日、見事に富士登山マラソンを
制したkaisanはまだ帰還していなかったが
その完登と本日の誕生日のお祝いを伝えつつ
涼ませていただいた。

一緒に皆生に応援に行った
たまとも話をしたが
来年こそ3年越しの
皆生ゴールを果たすために
来夏はバイク練習をがんばりつつ
頻繁に涼ませてもらいに行くことにしよう。

バイク後、スーちゃんのお迎えをし
帰宅してから走りに行った。
これは、さすがにまだまだ
暑かったので
ジムに行き、ローラーで
一時間半ほど走った。
多分、1リットルは
汗をかいただろう。
ローラーの周りは
汗だらけ。
テキトーに掃除をして
ストレッチをしていたら
スタッフが床までゴシゴシやってたな。
全く迷惑な利用者である。

帰宅後は明日の新聞回収に備えて
納戸の新聞雑誌を整理。
ここでも500mlは汗をかいただろう。

このままビールを飲んでは
痛風に向かってまっしぐら
血液中の尿酸達の思う壺である。
グイッといきたい気持ちを抑えて
まずは、ミネラルウォーターを
コップ一杯飲んでから

プシュッ!

今日も暑かったけどいろいろ頑張った
そんな一日に

乾杯!


ポストイット

2010年07月23日 23時14分06秒 | 生活

今の職場である秘書に就任して、
早や4ヶ月足らず。
たまに戸惑うこともあるが、
概ね慣れてきた。

事務の進め方なんかは
今までの部署とあまり変わらないのだが、
人との調整、時間の調整、
ご機嫌伺いなどが頻繁にある。
そしてどんな些細な仕事でも、
相手のこともあるし、
どれひとつ忘れていたではすまないし、
しくじりは許されないから
神経をすり減らす。
ま、これは社会人として当然なんだろうが・・。

この部署にきてひとつ、
事務さばきの中で
粘着性のメモを皆が上手に使っているのを
目にするようになった。
案件一つ一つをこのメモに書き、
机の空きスペースやパソコンに貼り付けてある。
そして案件が片付くごとに
はがしていくのだ。
仕事を自分なりに分類し、
メモの色も変えているから
ときにはパソコンに色とりどりの花が
咲いたようになっているし、
またそのように意識して並べていたりする者もいる。

最近はこのメモの残り具合を見て
仕事の指示をしたりもする。
たくさん貼っておれば、
指示せずにこちらでやってやるか、
別のメモの少ないものに
指示を回したりみたいにね。

それを言うと、
わざとたくさん残しておくなどという裏技を
使われたりしてはいけないので、
それは黙っている。

先日、社長不在のときに
社長室に入ったら、
机の上に、以前
doironに指示して、
まだ処理できていない事項が
メモになって貼られてあったときは
さすがにドキッとしたね。
社長室を出て、
慌ててその案件の処理に走ったのは言うまでもない。

このメモの代表格は
アメリカの化学メーカー3M社によって開発された

「Post-it」

強力な接着剤を開発中に
たまたま見つかった非常に弱い接着剤を
活用した製品で、
偶然が大発明を生んだ例として
よく取り上げられる。
全米で発売されたのは1980年で、
以後世界中に広まり、
今は100カ国以上で販売されているとのこと。

この粘着メモ、
使いようによっては
家でも活用できるぞ。

「次のショートステイ○日~○日

「グーちゃんのご飯を買うこと」

「次のカレー製作予定日は△月△日」

みたいにして冷蔵庫に貼っておくのも
いいかもなあ。

第1回本屋大賞を受賞した
小川洋子著の
「博士の愛した数式」
では記憶障害のある博士が
体中にメモを貼り付けていたのは
記憶に新しい。
あれはこんな発想から
生まれた小説なのかもしれないな。

貼ったり剥がしたりが自由な
このメモにも、
難点はある。
剥がさずにずっと貼ったままにしておくと、
接着剤がこびりついたり、
カビがきたりするらしい。
貼ってる時間を短くする、
すなわち案件をすばやく処理しないことには、
遺恨となって残ったりするわけだ。

doironの心臓には
最近まで

「不整脈」

と書かれた
メモが貼られていたが、
これはようやく剥がせたようだ。

しかし、

「バイク転倒!」

と書いて腰に張ったメモ、
これはまだまだ剥がせないでいる。

こびりついたら困るよなあ。
早く剥がすために頑張らねばと
職場の部下のポストイットを見ながら、
デスクの前でこっそり目立たないように
腰のストレッチなどをしている
doironなのである。


35周年

2010年07月22日 22時29分31秒 | 生活
今日は木曜日。
いつもエイに集合する日だ。
先週は、みんな急遽
都合が悪くなって
一人でエイに行き飲んでた。
たまに一人もいいもんだが
やっぱり友達がいないと
寂しいもんだ。
今日は2人は必ず来ているだろう。

帰り道ジムによって
1時間みっちり筋トレをし
あわててエイに出かけて行った。

案の定、2人来ていたので
楽しいお酒を飲むことが出来たぜ。
今日の特別料理はこれ



ハゲの煮付け

身離れがよくて美味しい魚だ。
何も言わなくても
ハイと出てくる。
もう20年も通っているから
阿吽の呼吸というものである。

友達2人は
この3連休に大峰に行って来たそうだ。
熊渡に車を停めて
弥山川から双門コースをとらずに
ナメリ坂に直登し
頂仙岳を経て狼平から弥山へ登り
再び河原小屋まで下って
キャンプしたそうだ。
山は涼しくて
Tシャツ1枚で寝ていたら
寒かったそうだ。

そんな話を聞きながら
ふと店内の壁を見たら
こんな張り紙が・・



そうかあ、もうエイは開店して
35年も経つのかあ。
35年前といえば
親元を離れて
田舎の大学に行った年だ。
聞けば当時は
マンションの1階にあるこの店も
1年間くらい
空き店舗だったのを借りて
初めて自分の店を持ったのだそうだ。
僕らが通い始めた20年前くらいは
大賑わいで
たまに入れなくて
別の店に行ったことも
度々あったが
やはり「エイ」だな
ということで必ず最初に
覗く店だった。
当時は、店も3人でやっていたのだが
今は姉妹2人で切り盛りしている。
それでも十分食べていける
あがりはあって
こうして35年の感謝の日を
迎えることが出来たと喜んでいた。
遠く九州の故郷「頴娃(えい)町」の
名を掲げて、
お客さんに愛され続けて35年。
故郷のおかげだと
きっと思っているに違いない。

帰りには、常連さんにと娘が作った
35周年記念ティッシュもいただいた。
全然豪華でもなんでもないけど



三分の一世紀のご贔屓に
応える心温まる
プレゼントでした。

今夜は何よりのご馳走をいただいた、
そんな気分でほろ酔いの帰途についた
doironなのであった。