ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

第1回退職者サミット顛末記5

2016年06月30日 21時49分15秒 | 最近の出来事

部屋に入って窓を開けてみると、



「おお~」窓の外はすべて那智湾です。



那智の海がすべて見渡せます。



しかも、な、なんと山手には
白くかすむあの世界遺産の滝
「那智の滝」が山の中腹に
見えているではないですか。

これはすごいです。

第1回退職者サミットの
一回目の会議をおこなうのに
ぴったしの部屋です。

え~晩飯までまだ時間があります。
それではさっそく温泉に行きましょう。

この日は平日だったので、
客は我々だけです。



では、まずは恒例の露天風呂撮影です。

え~実はイノブータン大王と
写真を撮ってもらった時も
そうだったのですが。
どうもiPhoneの写真は
慣れていない人にはむつかしいらしく、
写真を撮ってもらったら
連射になっていて、
あとで携帯を見たら写真メモリーが
1シーン当たり10枚以上
残っていたりするのです。

たぶんシャッターをずっと
押し続けているのでしょうねえ。

いやあ、これもまた首Dさんらしい
写真撮影ですねえ。

露天風呂のいけない写真が
大量に映っていました

で、この後は、露天から
また那智の滝や熊野の海々を
眺めながら、
の~んびりとあったまりました。

ここの温泉は脱衣室に貼ってあった
成分表によりますと弱酸性です。

長く入っているとお肌もピカピカ、
心もふわふわになってしまいます。

あ~とろけましたあ。

もう脳みそもふにゃふにゃです。

早速部屋に戻って、
買い置きのビールを飲みましょう。



と、ここで、退職者サミットの
重要提案が出てまいりました。

株価が大幅に下がったその日、
イギリスはEU離脱をするのかしないのか。

これはT本さんが離脱しない派、
首Dさんはやや離脱派です。
ではdoironはどうなのか。
これはもう離脱派かなあと思ったのです。
やはりなんといっても
全体の動きというより
最近は自国の動きがめちゃ気になる時代。
そういう人もたいへん増えた
近頃ですからねえ。
ということで、サミットの会議では
離脱ということになりました。
その後やっぱり離脱でしたね。
退職者サミットの考えが
世界を動かしたのですねえ。

離脱して一気に株が安くなったら、
株はその時が買い時ですねえ。

なあんて言っておりますと、
ぼちぼち部屋に料理が
運ばれてきました。

おお~、これがメインの刺身ですかあ。



勝浦はマグロの水揚げ日本一
と言われています。



でもねえ、マグロ日本一を
掲げる港はいくつかあるんですよ。

焼津とか三崎とか塩竃とかね。

でもねえこれがまた
ご当地マグロとか近海マグロ、
あるいはメバチマグロ日本一だったりする。
またあるいは
水揚げ日本一の都道府県の中にある
港だったりするそうです。

そんないろんなことを考えたら、
日本の本マグロ水揚げ日本一は
やはり勝浦だろうという声は多いのです。

で、出されてきた
刺身盛り合わせを見てみよう。
イカも乗っているのは
doironにとってありがたいことだ。

そして、そのマグロも
普通の赤いマグロに加えて、
油のこってり乗ったトロ刺身が
ついているのもありがたい。

まあ、どこが日本一であるにせよ、
とれたての新鮮な刺身が
食えるのはありがたいねえ。





料理の中にはもう一つ、
おさえておくべき食材があった。

それが「クジラ」なのだ。



本日ここに来るまでに
通過したのが「太地町」。

日本の古式捕鯨発祥の地
と言われている。

最近ではクジラの
「追い込み漁」が取りざたされ、
いろんな反捕鯨団体との軋轢が
何度もマスコミに取り上げられていた。

そんな港がすぐそばにあるからだろう。

ここの晩料理には
クジラのしゃぶしゃぶなんかも
出てくるのだ。

これがまた何とも言えずにうまい。

いろんな問題がある中でも、
日本の食文化の一つとして
クジラは欠かせないだろう。
これはまた退職者サミットの
ご意見なのだ。

それらをしっかり踏まえて
クジラ文化がなくならないよう
祈っているなんて言ったら、
あまりにも他人事すぎるかなあ。

まあ、退職者には
それくらいの世の中との
離れ具合がちょうどよいのかもねえ、

と変に納得しつつ続きます。


第1回退職者サミット顛末記4

2016年06月29日 23時47分48秒 | 最近の出来事

イノブータン丼でおなかもふくれました。



ここから今日の目的地である勝浦までは、
42号線をどんどん進んでいくしかありません。
頑張っていきましょう。

海沿いの道は気持ちいいですねえ。
時折車を止めては、



こんな景色をカメラに収めたりしながら



進んでいきます。



でももし、大きな地震でも着て
津波が来るようになったら大変ですねえ。
こちらの車の情報は

「ザザア~、と天気は・・・ザザア~・・・
おおむねザザザでしょう」
と聞こえてくる程度です。

周りの住民の様子もしっかりと
チェックしておきましょう。

ばあちゃんが真っ赤な顔して
道横の高台へシルバーカーを押して
駆け上がっていったりしたら、
即こっちも避難ですね。

ま、ネットのニュースにも
気を付けておきましょう。



やがて道の周りがにぎやかになってきました。
道の右のほうにも大きな
島影のようなものも見えてきています。

そう、串本に到着ですね。
かつて夕焼けマラソンで
ハーフを走ったことのある、
日本本州最南端の潮岬のあるところですねえ。

アップダウンもありましたが、
楽しいマラソンでしたね~。

今回は残念ながらそちらのほうに
向かうことはなく、
まださらに42号線を進んでいきます。

そして現れたのが、
本州最南端の道の駅



「くしもと橋杭岩」です。



あ、そうそう日本で最後に
道の駅ができたのは
どの都道府県だったか?の
クイズの答えが残ってましたね
正解は・・・東京都でした。
意外でしたでしょ。

ここの道の駅に横には、
こんな岩が一列にずらっと並んでいます。



「国の名勝天然記念物」

の橋杭岩です。



生成のための地学的な理屈の
よくわからなかった頃は、
弘法大師と天邪鬼が熊野を旅した時に、
空海が一夜で橋を造ろうとして並べた杭が
この橋杭岩だと語り継がれてきた。



まあ、いくら杖でコンコンと
地面をたたいて井戸を掘りあてた
という弘法大師も
この橋杭岩は無理ですな。

もし本当にそんな風に
信じられてきたのだとしたら、
弘法大師ってどれだけの
怪物だったのでしょうかね。

実際は横の解説板にあったように、



マグマが泥岩層を持ち上げて
山になった後、海に泥岩層が削られて
マグマだけが残ったという現象らしいです。

まあ、地球の神秘的な営みによって
作られたという不思議な地形で
あることには変わりありません。

ああ、そうかあそういう意味では
弘法大師も人々の心の
地球のような存在であったのかもしれませんな。

道の駅に入って、
店の人に普段の塩の様子なんかも
尋ねてみたら、かなり詳しく
教えてくれはりました。

観光地の道の駅はこうでないといけませんね。

駐車場に戻るときに海を眺めたら、



水面近くに魚がいっぱい泳いでいました。

ふむふむ、今日はこんな魚の親玉が
旅館で待っているんだぞー
と盛り上がりましたな。

皆さん、心の地球だけではなく
心の胃袋状態も刺激してきます。

あ、ここは和歌山夕陽朝日100選ですねえ。



さあ、あと本日の目的地まで
20キロ程度です。

頑張っていきましょう。
三人の気持ちはもう今夜の
会議の話でいっぱいです。

「doironさん、今夜の夕食は部屋食かなあ」
「はい。そう聞いてますよ。」
「そしたらさあ、ちょっと今夜はおいしい
日本酒を飲んでみたいよなあ。」
という意見が出てきました。

「ちょっと地元の酒屋に行って
おいしそうな日本酒を買っていこうかあ」
ということになりましたので、
旅館近くの勝浦の町中を
酒屋を探してうろうろしてみました。

そして小さな酒屋を
一軒発見したので入ってみました。

「この辺でおいしい酒と言ったらなんですかあ」
と聞いてみると、店員さんは
「そうやねえ、『太平洋』なんかがいいと思いますよ」
とおすすめがあったので
それを買うことにしました。



さあ、これで準備は完了です。

勝浦の町の少し外れにある旅館に到着です。

部屋に入ってみると~
その窓から見える景色が抜群でした、

と続きます。


第1回退職者サミット顛末記3

2016年06月28日 20時46分14秒 | 最近の出来事

阪和道はいろいろと
変遷区間はあったが、
いまは南紀白浜が最終区間となって
ほぼ確定しているらしい。

昨夏に、海のほうへ遊びに行ったときに
南紀白浜まで開通していた。

以後、熊野古道に行くたびに
上富田などで降りていたのだ。

なので、阪和道は白浜まで通じている
という意識が高かった。
白浜まで高速でいけば、
その日の目的地勝浦までは
50kmほどなのだ。

まあ、白浜で高速を降りれば、
あとは国道42号沿いのお店で
適当に昼飯に入ることにした。

幸い、車の中にはビールも積んでいるので、
お二人にはもう存分に
楽しんでくださいよと
申してあったところなのである。

ところがまあ、お二人とも
運転するdoironに遠慮してなのか、
ビールを飲んだりもしないのだ。

ふ~ん、運転しないのだったら
絶対飲んでるやろなあとか思いながら、
車は白浜についたのだ。

でもねえ、しかしまだ有料道路風の道が
伸びているのだ。

道端の標識を見ると「紀勢自動車」と
表示されており、
すさみ南までつながっているようなのだ。

調べてみたら、白浜まで開通した翌月の
8月30日にこの区間もつながったそうなのだ。
しかも運賃は無料区間ときている。

こうなると、約20キロは
専用道部分が増えることになるので、
これはもう乗りだろう。

白浜でいったん下に降りて
食堂を探そうという目論見は
無駄になってしまった。

こうなれば、すさみあたりで食堂探して
「イノブータン」でもたべるかあと、
目標を切り替えたのである。

で、結局「すさみ南」まで行ったところで、
42号との交差点にあったのが、

道の駅「すさみ」である。

この道の駅が最近はかなり増えてきた。
高速のサービスエリアなどのように
明確な設置基準はないが、
基本的には10キロ程度離れていることが
望ましいとされている。

今回の移動の時には様々な道の駅によったものだ。

あ、そうそう、道の駅はもう
全国47都道府県のどこにでも
あるそうなのですが、
最後に道の駅が設置されたのは
どこの「都道府県」だったかわかりますか。

意外なところです。

答えはまた後程。

で、この道の駅すさみの食堂で
昼飯にすることにしました。
もう一時近い時刻です。

ここすさみ町は昭和の終わりのころに
「イノブータン」を掲げて
イノブータン王国として
地域おこしを狙った地域です。



「イノブータン」というのは
「イノブタ」を表すそうです。

で、ここでのメニューを見てみますと・・・

ありましたあ、
これが一日15色の限定食だという
地元名産のイノブタを利用した
「イノブータン丼」です。



食券を売ってるお姉さんは、
今日はまだ行けますよ~と
言ってくれたので早速それを注文しました。

そしてやってきたのが、
これです。

むむ~、結構肉も多くて豪勢です。
早速食べてみますと・・・



おいしい!癖のない味、適度な硬さが
いい味をさらに際立たせてくれます。

T本さんはサンマずしを
頼んではりました。



たぶんまだ、宿で豪勢な食事を
した後でもないので、
ぜいたくは知りません。

ただ単に素直にいただける
おいしさでした。

食事後は、この道の駅に
座っておられる
「イノブータン大王」と
「キララ王妃」と写真撮影もしましたよ。



む、ちょっと太っていて
イノブータン夫妻の子のように
なっていませんかあ。

たぶん今回の旅は食べきれないほどの
食事に出会うことでしょう。
しっかりと痩せていくためには、
帰ってからのダイエットが大切ですねえ。

帰ったら頑張りましょうって、
怠けたOLのダイエット見たいやねえ。

この道の駅では、お土産に
クジラ製品なんかも結構おいてました、



でもお土産はまだまだこれからです。
ここはスルーして先を急ぎましょう、

と続きます。


第1回退職者サミット顛末記2

2016年06月27日 21時14分07秒 | 最近の出来事

サミットを充実させるために、
もう1泊をどこでするかを
考えねばならない。

まあこういう話題は
普段のエイ会議の絶好のネタである。

候補地をいろいろと出して、
あれこれと検討することにした。

まず、1泊目が伊勢ということは、
期待するのは「食べ物」である。
タイやヒラメが舞い踊り、
イセエビ、アワビが乱舞する
新鮮な海の幸がふるまわれることだろう。



ではもう一泊となると、
これはやはり温泉かなあ。
長年の会社勤めの疲れを
どっと洗い流す温泉三昧を
していただけたらということで
温泉地を選ぶことにしたのだ。



ではその場所はというと、
T本さんを和歌山に迎えに行って、
そのまま伊勢志摩へ行こうとすると、
やはり紀伊半島を
グルリンと周ることがいいだろう。

てことで、温泉地としては、
雄大な熊野灘を眺めながら
じっくりとつかれる勝浦を
一泊目にすることにしたのだ。

ここであれば今doironも
中辺路経由で間もなく
熊野につこうとしており、
一度到着した後は次は
海沿いを進む大辺路を歩こうとしているので、
その下見もかねて行けるし、
ちょうどよかろうということで提案し、
結局そのコースが採択されたのであった。

一泊目は勝浦で温泉三昧、
二泊目は伊勢志摩で海の幸三昧、
そして最後に伊勢神宮で
これからの我々の退職者生活の
充実を祈っての締めくくりとなる。

梅雨も真っ只中の6月15日、
前座の国のサミットもすっかり終わって、
いよいよ本来の退職者サミットの
記念すべき1回目が
ついに開催されたのであります。

出発の日は梅雨であるにもかかわらず、
天候は絶好の晴れ日和であった。

スタートは午前9時に首Dさん宅を出発した。

車は首Dさんの超高級
エスティマハイブリッドである。



今回の運転はすべて
doironがする予定だったのですが、
まず最初、和歌山市内で
T本さんを拾うまでは
首Dさんがおこなってくれた。

で、T本さん宅近所のコンビニで
合流してからは、
doironが運転席に座ったのである。

なれないワンボックスで
しかもあまり経験のない
ハイブリッドであるから、
少々不安ではあったが、
海南で高速に乗るころには
すっかりと慣れてしまっていたな。

高速に乗ると、すぐにトンネルである。

ライトのスイッチをオートにして
運転してると、横に座っている
首Dさんが

「あれ~、ライトが勝手についたり消えたりしている」

と不思議そうに言う。

「はあ、オートにしてますよ」
と返事すると
「へえ~そんな機能があったんや」だって。

え~、もうこの車を買って4~5年になるのに、
それを知らなかったとは・・・
う~ん、なんかちょっと嫌な
予感がしないでもない。

高級車なのでハンドルにも
レバーがいっぱいついているんだけど、
もうこれは触らないほうがいいだろう。

もちろんT本さんもこの辺の知識は
ほとんどないだろうしね。

この車には気の利いた
音楽類なんかはあまりない。

首DさんはもっぱらNHKラジオを
メインに聞いておられるそうだ。
そのラジオも御坊を過ぎたあたりから、
なんとなく入りにくくなってきた。

消そうかなとも思ったのですが、
たまに平地でつながる放送に
どうも興味を持たれているようだ。

天気予報が流れたら
「ああ~今日は雨は夜になってからやなあ」
とかいって反応をされている。

しかし、山の中に入ると
ひたすらラジオは

「ザザア~」

とうなるばかりなのだ。



決して壊れてないけどね

「ぼちぼち放送局エリアをかえましょか」というと、
「いやあ、あまりそんなことは
したことがないんでね~」といいつつ
いろいろ触られるが
解決にまでは至らないのである。

仕方なくラジオは「ザザア~」と
サミットのBGMとして流れ続けるのであった。

続く


第1回退職者サミット顛末記1

2016年06月26日 20時41分56秒 | 最近の出来事

勤続50年という
とんでもなく果てしない社員生活を終え、
この春にめでたく
退職者の一員となった首Dさん。

これで、ようやくいつも
エイに集まっていたT本さん、
doironを含めた3人が、
無事にサンデー毎日な日々を
送り始めることとなったわけである。



このメンバー、以前なら、
退職したら100名山完走しよう



とか言ってたのですがねえ、
僕も含めた皆さんの体調のこともあり、
今のままではその実現は
ちょっとむつかしい状態なのである。

しかし、かといって
こんな人生の大事な期間を
おろおろと過ごすのは、
これはもうもったいない、
もったいないなのである。

いま私たち退職者は何をすべきなのであろう。

しっかり生きて楽しんでいくこと、
それがわれらの60歳以上の原点なのだとしたら、
うかうかなんてしてられないのである。

そこで、先日さっそく、
多くの楽しみを含んだ2泊3日の
「第1回退職者サミット」を開いたことは
ブログに書いたところである。

今回は、その第1回退職者サミットの
詳細を振り返りつつ、
われらの今後について
検討を重ねていくことにすることにした。

名付けて「第1回退職者サミット顛末記」
の始まり、始まりなのだ。

まず最初は、エイでの首Dさんと
doironの会話から始まる。

「首Dさん、体調のこともあるし、
今年の株主総会くらいで退職されたらどうですか」

「でもねえ、今は膝も悪いし、
やめても何もすることがないんだよね」

「いやあ、することなんて
いくらでも出てきますよ」

「うん。会社から見ても
もう引退はしてもいい時期だと思うんだけどねえ」

とそんな会話が年初めころに交わされている。

まあ、首Dさんの人生のことだから、
あまりそんな強くも言えないし、
いったところで変わるわけでもなさそうなので、
ちょっと黙っていたら、
それから数か月の後に、
ようやく首Dさんも決心して

「引退することにしたよ」

と言ってこられた。

あ、そうですかあ。
遊ぶことだったらいつでも付き合うし、
誘ってくださいよ。

とその日のエイ会議は
とても盛り上がったのだ。

そして5月の株主総会で、
役員だった首Dさんの
退職が決まるということになっていたので、
とりあえず今後のことも含めて
T本さんも一緒に
温泉でのんびりしつつ検討していきましょう。
ということになり、
T本さんも含めて

「第1回退職者サミット」

が行われることになったのだ。

最初は九州とか東北とかを含めて
候補地に挙げていたのだが、
首Dさんの会社後始末のこと、
doironの義母さんの事などもあり、
一回目は先日もう一つ
世界中枢が集まる別のサミットが開かれる
「伊勢志摩」なんかでやろうか
と決まったのである。

そのころだったらもう変な
警備もないだろうしね。

それに、この別の伊勢志摩サミットの様子は
きっちりとテレビで抑えることもしたよ。

ああ、日本の首相はここで
ゲストをお招きしたのか、



とかここを7人で歩いたのかとかね。

そして、それに付随して
放映されたと思えるような

「ブラタモリ伊勢神宮編」

なんかもしっかりと
チェックすることができた。



退職者サミットをブラオジサンと
名付けようかとしたくらいだ。

また、サミットのおかげで
伊勢を話題とする、
いろんな情報番組も
民放各局でやっていた。

今の名物は何かとか、
見どころはどんなところだとかをね。

それらもできる限り見て、
伊勢志摩情報を存分に
仕入れておいたのである。

そう、世界の中枢が集まるサミットも、
実はdoironたちの
退職者サミットのために
事前に開かれたといっても
過言ではない状態だったわけである。

でも旅は2泊である。

もう一泊はどこにしようと、続く。


強炭酸コーラ

2016年06月25日 21時49分54秒 | 最近の出来事

先日カロリーマイナスコーラの話を
したちょっと後のことだ。

ペプシコーラ(サントリー)が
今度新しいコーラを
発売することになったそうだ。

かつてのdoironにとってコーラは
運動時の欠かせない飲み物であった。

あの灼熱の皆生トライアスロンでさえ
コーラだけで乗り切った記憶もある。

あの変わらない味、
変わらない爽快感が
いつもdoironの運動を
支えてくれていた。

しかし、世の中はなかなか
いろいろとあのコーラ感に対して、
ちょっと変わったものを
出してよ~みたいな声も強く、

メーカーは思い切って
レモンコーラ、アップルコーラ、
バニラコーラなんかも出していたものだ。

挙句には抹茶味のコーラも
あったように思う。

そんないろいろと試みを
続けていたコーラもさすがに、
カロリー消費マイナスの
コーラはまだ出していないのだよね。

どうも食品表示法上
そんな表示はできないのかもしれないね。

とまあ、そんなことを
ブログや日常生活の中で
話もしていたのだが、
つい先日今年の新しいコーラとして
炭酸の濃いコーラを
発売するようになった
というニュースが流れたのだ。

種類は
「ペプシストロング5.0GV」と
「同<ゼロ>」の二種類だ。



そもそも運動時に飲むコーラは
炭酸がかなり抜けたコーラだったが、
それでもたまに運動時以外に
飲むコーラも炭酸がきつくて
さわやかだったんだよね。

そのコーラの炭酸が
さらに強烈になった
というニュースなので、
発売日にすぐにコンビニに行き
買ってみることにしたのだ。



飲んでみると・・・

う~ん、炭酸は濃いといえば
濃いが、ウヒャーというほどは
濃くないかなあ。

時々買う安物のソーダが
もっと濃い時があるような気がするなあ、

これだったら今までの
コーラの安売りを買っているほうが
いいかなあ、などと
うだうだと言いながら、

近づきつつある夏の過ごし方を
いろいろと研究している
今日この頃なのだ。


いざ伊賀上野7

2016年06月24日 21時30分52秒 | ウォーキング

藤堂高虎が家康の江戸開府の時、
いまの「上野」のまちに
屋敷地を拝領した。

その当時その場所に
地名がなかったために
自分の領国の地名を付けた
という説がある。

だから上野公園の池も
伊賀上野に「忍町」という地名があるように
「不忍池」と名付けたらしいというのだ。

でもそれは違っていた
というエッセイを
司馬遼太郎が書いたことがある。

藤堂高虎がその地に住む前から、
「上野」という土地はすでにあったことが
別の資料からもわかるらしい。

依然読んだその記事を、
この地を歩いているときに
ふと思い出しました。

あ、こんなお店もあります。



この辺の名物の一つが
この丁稚ようかんですねえ。

そしてこのお店はいろいろと
凝っているようで、



「忍者変身処」と書いてありますぞ。



忍者に変身して
上野の街を歩いてみませんか
と書いてある。

いやあ、もしdoironが変身して
歩いていたら手裏剣を投げられそうです。

いやあ、それか変なおっさんとして
警察に捕まるかもねえ。

で、このまっすぐな通りの
突き当りに赤い鳥居が見えています。



この神社が「愛宕神社」ですね。



本殿が県の文化財になっています。

中に入っていくと、
こんな神社もありました。



「忍者神社」です。

最近できたそうで、
上野城下で生活する人々に
災いのないようにと
祈願申し上げるための
ものだそうです。

番犬の「半蔵」はお出かけのようです。



その寺を出て、
次に向かったのが「蓑虫庵」です。



芭蕉翁の高弟、
「服部土芳」の草庵です。

当時は「伊賀のハットリ君」と
呼ばれていた人です。

うそです。

かれがこの草庵を作った時に、
芭蕉が

「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」

とうたったところから
この名前になっています。

芭蕉が帰郷したときに
門弟の庵を一時の住居に
したこともありました。

そうした庵の中で、
無名庵(むみょうあん)、
西麓庵(さいろくあん)、
東麓庵(とうろくあん)、
瓢竹庵(ひょうちくあん)、
蓑虫庵(みのむしあん)

を芭蕉翁五庵といい、
唯一現存するのがこの蓑虫庵です。

では入ってみましょう。



と切符を買いに行くと、
係の女性が親切そうに
話しかけてこられました。

「ひとつ質問があります。
庵の中に芭蕉の書いた
「みのむしよ~」の掛け軸があるのですが、
そこに俳句とともに描かれた
「絵」が何を書いてあるのか
探ってきてください。」というのです。

ウヒャー質問付きの切符ですかあ。

では入って確かめてきてみましょう。

みのむし塚や古池塚を眺めた後、





庵のところに到着しました。

ん?掛け軸はどこ?
と探してみたら奥のほうに
かけてあるのが見えています。



むむ~老眼じゃこれはつらいぞ。

よく見ると横に窓があるので
そちらに回ってみましょう。



むむ、やっと見えました、
何やら坊さんの後ろ姿の
ようなものが写っています。

もしかしたらあれが「みの虫」?
そんなことはないなあ。
結局何かの後ろ姿に見えたんですけど・・・
と回答したら、
「そうなんです。あれは達磨大使なんです」
と答えてくれはりました。

「一句作っても達磨大使に
聞かせるつもりでしっかり
作りなさいという願いが
こもっているそうです」とのこと。

はあちょっとむつかしすぎましたねえ。

ではここを後にして、
次に向かったのが「上野天満宮」です。



あの芭蕉が処女出版の
「貝おほひ」を収めたところです。



なかなか立派な神社でしたよ。



さあ、これで回ろうと思っていたところは
あと1か所。

芭蕉の生家です。

上野の駅を過ぎて、
途中のコンビニでお昼を食べてから



向かいました。

この施設も中に入ろうと思ったのですが、
これも入館料がいります。



ちょっと経費かけすぎかなあ
ということで、まあ、いいかと
外見だけを撮影しておきました。



これで、この日歩いたのは約12キロ。



前から興味のあるところだったので
よい歩きができました。

まえから行きたかったところへという
「いざ伊賀上野」の旅

これで終わりです。


いざ伊賀上野6

2016年06月23日 20時59分45秒 | ウォーキング

旧小田小の展示の中には、
かつての生徒の通知表
なんかもありました。

中身をさらしたりしているのは
もうなくなった人のものかなあ。

そういえば、両親が亡くなったときに
親の持ち物を整理していると、
大量の写真とともに
doironの通知簿も出てきました。



まあ、成績はホニャホニャでしたけど、
性格欄が面白く、
友達との付き合いが熱心な人と
ずっと書かれてあるのが
なんかうれしかったなあ。

ここに展示されている通知簿も
そこまでしっかり見たら
面白かったかもしれませんねえ。

構内を回っていくと、
こんなステンドグラスの部屋もありました。



当時、この学校を設計した人たちは
最初の学校づくりをとても
大切にしていたんだそうです。

外観の塔のある建物も
熱心に考えたそうですし、
このステンドグラスも
わざわざ神戸まで買いに行って
手に入れてきたもので、
数枚残っていたものをもとにして
復元もされたそうです。

明治14年。

この山の中の小さな盆地に
どれだけの人がいたのかわかりませんが、
災害に襲われたりする田舎の中の
とっても熱い思いを語る人たちで
この小学校は作られたようですね。

作られた当時は
「啓迪学校」と呼ばれていたそうで、



中国の書物の中から啓迪後人という
一説からとったもので
「教え導く」という意味だそうです。

最後に校舎の上の塔なんですが、



何に使われていたのかといいますと、
学校でしょ、
だからそのなかに「鐘」を
入れていたんだそうです。

災害に悩んだ地域の中でも
この辺は地元へ時間還元
ということで意識したことも
あったかもしれません。

さあ、ではここを出てから一気に
南の方へと歩いていきましょう。

あ、そうそう、この地域の
マンフタを説明していなかったですね。

道を歩いていて見つけたマンフタは
3枚ありました。

この辺りは2004年までは
「上野市」という名前でした。



まず最初はこれ。

旧上野市のものがまだ残っているもので、
忍者と伊賀上野城が描かれています。

忍者とともに描かれているのは
旧上野市の「市の鳥・・・シラサギ」と
「市の花・・・萩」だろう。

でもう一つが「市の木・・・カシ」ですねえ。

そして、上野市のブランドのものはもう一枚。



これには城の姿は描かれず、
ほかの素材は使われていましたね。
そして、もう一つのマンフタがこれ。



今の伊賀市のもので、
3人の忍者が頭に
「市の木・・・アカマツ」
「市の鳥・・・キジ」
「市の花・・・ササユリ」
を載せているような
デザインになっていました。

ま、いずれにしてもマンフタには
松尾芭蕉は現れず、
主役はすべて忍者でしたねえ。

道の傍らにこんな地元の
酒屋を見かけました。



あれ~でも杉玉が上がってませんねえ。

まだ新酒が出来ていない
ということなんでしょうか。

ひなびた駅を眺めながら、



こんな交通看板の下を進んでいきます。





そして途中から町の田舎道へと
左折して入っていきます。



これが上野の本町通です。

こういう虫籠窓もあるような
古い家や、



昔からのお店も並んでいますが、



さほど繁盛している様子はないですねえ。

あ、これは何お店でしょうか。
「伊賀流忍者店」と書かれています。



休みだったので調べてみたら
忍者のウェアや武器を
売っていたようです。

この辺りは外国の観光客の人たちも
さほど多くもおられないようですね。

本町通と合わせて二の町通り、
三の町通りが並行して引かれ、
それに直行して西の立町、
中の立町、東の立町が築かれるという、
城下町にしては珍しく、
藤堂高虎により見通しのよい
町区画割がすすめられたようです。



街中で珍しい地名がもう一つあります。
昔、忍者がよく住んでいた町が
三の町通りの外にあって、
今も町名は「忍町」
と言われているそうです。



いやあ、かっこいい名前の町ですねえ
といいつつもう一話続きます。


いざ伊賀上野5

2016年06月22日 20時58分20秒 | ウォーキング

「伊賀越資料館」の中には
鍵屋ノ辻の交差点の説明や、
様々な錦絵などもありました。

でもねえ、写真撮影不可の中で
「写してもええよ」と
言われたからといって
そのままボカボカと
乗せてしまうのは気の毒です。

なのでまあ、掲示コーナーの外にある
「河合又五郎首洗い供養地蔵池」
のコーナーだけを載せておきましょう
(再現池です)。



ここは小さな展示館で、
保存会で運営されているようです。

そんな鍵屋ノ辻を後にして、
さあ先に進んでいきましょう。

交差点を左折するように続いている道を
上がっていきましょう。

右手に長い石段と
その上にあるお寺の屋根が
見えています。



これが

「興福寺駒留延命地蔵と地蔵堂」です。



お堂の中には大きな石像の
上半身が祀られているのが
見えていました。



弘法大師や藤堂高虎とも
関連のあるしずかなお寺でありました。

あ、なんかここにきて
入館料がいらないと
見方がどうも雑になってきましたねえ。

いけません、いけません、
しっかりと見学していきましょう。

この寺を出て、搭西坂と



名付けられた道を上がっていきますと、



道は国道25号に出てきます。

この道をいったん北の方を
向いて上がっていきましょう。



目的としているのは、
現存する小学校校舎として
三重県で最も古い

「旧小田小学校」です。



大阪府で一番古いところには
何年か前に行きましたね。

豊中の「旧新田小学校校舎」でしたね。



あの校舎の建設年月日が
明治33年でしたね。

で、ここはというと、
なんと明治14年築造と
19年も古い。

そのわりに塔が立っていたりして、
見た目は進んでいますねえ。



ではちょっと中に入って
行ってみましょう。

庭にはこんな俳句の碑が、



「雁来れば すぐ初霜や 伊賀盆地」。

この小田に生まれた昭和の俳人
「橋本鶏二」の作品です。

数多く門人を育て、
三重県民功労者と言われています。

そしてその横には、
この場所の北緯と東経が刻まれています。



さすがに小学校ですね。

そういえば堺市泉北の
美多禰神社の境内にも
こんな位置表がありましたねえ。



よくみると、さすがここは三重県、
経度でいえば堺市とじゃ
1度近く違うんですねえ。

では建物を見てみましょう。

まず、柱は中央部が
若干膨らんだエンターシスですねえ。



法隆寺の柱にも使われている形式ですねえ。



そして門の上には
竜の彫り物が施されています。

あっ、門の横に



「参観できます」と書かれてあります。

じゃ中に入ってみましょう。

え~っと、正門からでええのかな?

ん?入館料100円。
参観で金とるんかい~!
などと馬鹿なことは言いませんよ。

学校ですから・・・
ええ子にしとかないとね・・・。

友達100人作らないといけないしね。

あっ、最近のブログ読者は
100人以上は入るようです。
ブログで友達100人作りましたあやね~。

え~っと、この時点でもう
このブログに乗せる
写真の組み立てはできています。

教室に入って行って、
おかれてある椅子に座って、
はいこれ。



「はい、そこのdoiron君」

「はい、その答えは“アモーレ”です」
ってどんな質問や。

とまあ、こんなくさい旅姿の
紹介は思惑通りですな。

そしてこの学校内には、
市民等のご尽力、ご協力により
様々な資料が展示されています。

これはかつての「教育勅語」。



ああ、この教科書は
以前ブログに書きましたねえ。



バックに乗ってる「桜」や
「山」や「雲」の景色も
みんないっしょです。

ページをめくっていくと、
上部に展示されてる教科書のように、

「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」

も載っているのでした。

で、これが昭和36年の教科書だから、



たぶんdoironもこういうので
勉強していたのでしょう、

と続く。


いざ伊賀上野4

2016年06月21日 21時18分13秒 | ウォーキング

これがその高虎の兜。



強そうに見えるのですが、
今の時代だったら子供に
「ロペ」と呼ばれそうですねえ。



庫内には、昔の火鉢や武具、





藤堂家の様子などが
展示されています。



それにしても刀なんかは
さびないようにと手入れが大変でしょうねえ。

そして急な階段を二つ上がって、
一番上に上がると、
もう人は誰もいませんでした。

これが天守閣の窓から見える景色です。







これから行こうとする「鍵屋ノ辻」や
「小田小学校」、「蓑虫庵」の方向も
眺めておきましょう。

しかしこのあたり大きな産業も
ないように思えるのに、
意外に人がたくさん住んでいて、
思ったよりもかなり都会ですねえ。

この城の最上階には誰もいなかったので、
ついでにこの都会の最上階に君臨する
doironの記念撮影もしておきました。



さあ、500円の元は取った気はしませんが、
階段を下りて城から出ていきましょう。



あ、この城の階段は急です。
女性の方はスカートはやめましょうね~。

さて外に出て庭を歩いていると、
こんな看板が目立ちました。





ああ、一度そんな高石垣を
眺めておきましょう。

はしっこのほうに行きますと・・・



うわー、これは高い。
これだけ高ければ
こっちから攻められはせんでしょうねえ。
これなら忍者も上るのに
ひと苦労でしょうよ。

さてこうして上野公園の中を
人込みを避けてうろうろと歩き、



街の中へと降りてきました。

あ、ここの飛び出し坊主は
JAのマーク付きです。



地域のためにこういうものを
提供したりしてるんですかねえ。
JAの力が強そうな感じがしますねえ。

白鳳門という門を出たら一般道です。
これを右折して鍵屋ノ辻の方へと
向かっていくことにしましょう。

古い木造校舎の
「三中」などもあります。





道をずっと西のほうへと歩いていきますと、
近鉄伊賀線の西大手駅先の
踏切を渡っていきます。



その先にあるこの鍵屋ノ辻という場所が
歴史上有名になったのが、仇討ちです。

備前の国岡山藩士の
「河合又五郎」が同僚の
「渡辺源太夫」を殺害して
行方をくらましたことが発端です。

源太夫の兄「渡辺数馬」は
藩主より上位討ちの免許を与えられ、
この鍵屋ノ辻で双方が出会ったわけです。

数馬は荒木又右エ門に
助太刀を頼み、
それぞれ武勇の達人同士を助っ人として、
争い、最後に又右エ門は数馬を叱咤し、
激闘の末についに数馬は大願を城主しました。

検視に立ち会った藤堂藩は
部門の作法にならい
二人の武勇をたたえるとともに
又五郎の霊を弔いました。

これが、この日本三大仇討ちのひとつ
と言われる

「伊賀越鍵屋辻の決闘」

と言われるものです。

坂道をおりてゆくと、



道路の片隅にこんな道標が立っています。



「ひだり ならみち」と書かれてありますし、
別の面には「みぎ いせみち」と
書かれてあります。

そう、この道標の立つ交差点が、
曽我兄弟の敵討ち、
赤穂浪士の討ち入りに並ぶ
日本三大仇討ちの一つ
「鍵屋ノ辻」なんです。



持っていたイメージは
昔っぽいイメージの場所だったのですが、
意外にさっぱりとした場所でしたね。

すぐ横に公園がありますし、
その公園の片隅に



「伊賀越資料館」が開いています。



さすがにここは有料のようですが、
受付に立ってくれたおじさんが
いかにも入って行き
という感じで案内してくれていたので、
またまた入館してしまいました。

え~さすがに忍者の国です。
キントンの術にうまく
はまってしまいましたな。



入り口で「ここはカメラはいいですかあ」と
きくと
「いやあ、そこに書いてあるけどな。
あかんのやで。
でもお宅やったら許してあげるわあ」
と許可してくれました。

たぶん写真を撮ってブログなんかに
乗せようとする変なおじさんには
みられなかたんですよね。

ラッキーと続く。