ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

龍田古道を歩いてきた8

2021年03月17日 20時56分50秒 | ウォーキング

龍田大社のお参りも終えたので、
再び龍田古道を出て歩いて行きましょう。



今日はまだまだ信貴山下を経て、
王子まで歩いて行く予定です。

道は田舎の旧道って感じです。



神社の方に向かってか、
屋根の上には鍾馗様がおられました。



左手の方には龍田山や信貴山があり、
そこから下りてくる斜面のような道を
横切るように道は続いています。

また右手には広大な大和盆地が
広がっています。
なかなか感じのいい道が続きますね。

このあたりは「毛無の丘」といわれています。
ああ~妙に親しみのある名前ですね。

昔は草木も生えない不毛の地だったそうですが、
今は豊かな田畑が広がっています。



あ、足元には三郷町のマンふたがありましたよ。
紅葉と大和川が刻まれていますねえ。
しかも紅葉は龍田大社神紋の八葉紅葉。

普通紅葉は七葉で書かれることが多いのですが、
きっちり八葉です。



でもこの車止めの絵は、七葉ですねえ。
土木担当者の知識は低いなあ。

そして、ここにも飛び出し坊やが
置かれていますが、



う~ん薄毛の坊主ですねえ。
このあたりは毛無しやでという、
深―い意味があるんですかねえ。



そしてこれは龍田大社へ
まっすぐの道標ですねえ。



あっ、三郷町がやっているのかなあ、
古社寺史跡めぐりコース
なんていうコースもあるようです。
またネットで検索しておきましょう。



出来立ての新しい三郷中学の横を通ると、
ここでは体育館の下らしきところが
消防団の詰め所になっていますねえ。



消防団は地域の人たちで作る消防組織。
このあたりは昔からの場所ですから
こういう地域の活動も
盛んなんでしょうねえ。



さてコースは大和川沿いの道に出てきました。
このあたり川はくにゃっと曲がっています。
そして川の向こう側は王寺町ですね。
こんな道端の地蔵とか見ながら進んでいくと、
近鉄生駒線の信貴山下駅に到着です。



駅前には大きな図書館がありますね。



そしてこの電車が「東信貴鋼索線」の
ケーブルカー。



駅前の道を見てみると、
見事な登りの道路がまっすぐ
続いています。



これが鋼索線の後にあたる道ですね。
これをずっと歩いてゆき、
途中から登山道で信貴山の
朝護孫子寺に上がっていくという、
散策コースがあるようです。

これはまた別の日に行かないといけませんね。

あ、ちなみに朝護孫子寺というのは
敏達天皇11年(582年)に寅の年、
寅の月、寅の日、寅の刻に四天王の
一つである毘沙門天を聖徳太子が感得して
創建されたお寺という言い伝えがあります。



あちこちに寅の張り子があるそうです。



あ、そうかあそれで先程家の前に寅が
置かれている家があったのですね。

ジャイアンツファンはすめませんなあ。



あ、ここには日本遺産の認定記念証が
ありますねえ。



とまあこの後の活動にも夢を走らせながら、
王子に向かって進んでいきましょう。



途中町役場もあり、
商工会議所では「たつたひめ」の
ピンバッジを売っていたので購入しましたよ。

次の次の龍田古道歩きで
法隆寺まで行った時に
ピンバッジ取り付け式を行いましょう。



ふたたび大和川に出て、
ここからしばらく河川敷を歩きました。



あ、こんな距離表が立っていますよ。
河口まで23.2キロかなあ。
ちょっと文字が読み切れなかったです。

その先でわかくさ橋を渡ったところで







すぐに王子駅に到着です。



王子をねえしばらく歩くか
とも思ったのですが、



駅前施設で食事をしたら、



もうこの辺は龍田古道じゃないし、




もうこころは帰宅道です。
ここの駅から三郷町まで
電車に乗って車で帰宅しました。

そうそうこの王子駅は建物の構造が
継ぎ足しとかあって興味深いものがあると、
先日行った講演会(別日に記載予定)で
言ってましたねえ。

次の龍田古道歩きの時に
また確認してみましょう。
とりあえず第2弾はこれでおしまいです。

さて、これでご愛読いただいた
ハブ ア ナイス doi!は終了です。
新たに、もう ハブ ア ナイス doi!2が
始まっています。
今読まれたブログの末尾に「2」を付けるだけで
行くことができます。


上の部分をクリックしてください。
どうかよろしくお願いします。



 


龍田古道を歩いてきた7

2021年03月16日 21時04分19秒 | ウォーキング

龍田大社の末社である
神奈備神社を過ぎてきました。



たいていは山の端にあるという
数々の神奈備神社。
漢字では「神南備」「神名備」「甘南備」と
いろんな字が書かれています。

でもどれも「かむなび」と読みます。

閉鎖されていて残念でした。
そしてそこからまだまだ急な安村坂を登って、
ようやく到着したのが「龍田大社」です。



この道が「龍田古道」と
いわれるようになった原因の場所ですね。
この大社の祭神は
天御柱命(志那都比古神)と国御柱命(志那都比売神)。
祭神は別名を龍田神・龍田風神ともいい、
社伝によると、崇神天皇の御代に
凶作が続いたとき、
夢でこの風神のお告げをうけて
創建されたということです。

前回、竜田古道の里山公園から
大和三山を眺めつつ
登った山に奥宮がありました。
ここに風神が降臨したんだ
という御座峰がありましたね。



風の神様として古くから
信仰を集めてきました。

奈良方向から、大阪の方へと人々が向かうとき、
この龍田大社で無事を祈って別れたそうです。
第10代崇神天皇の時代に
天皇が夢で見たご神託で
築いたといわれる官幣大社です。
難波の宮と大和を結ぶ大切な場所にあり、
この最古の官道の
名前にもなっている由縁の深い所。

「龍田古道」の根幹部分となる大社です。

では中に入ってゆきましょう。



まず最初に目立つ鳥居は
「両部鳥居」ですね。
密教の金剛・胎蔵の両部を表す
稚児柱が付いています。

わずかに神仏混淆の思いを
残している鳥居なんですが、
そんな意味も含んでいるのかなあ。



あれ?その鳥居の前の
神社境内ではない側に
小さなほこらがありますよ。

これは「安村家邸内社」と
書かれてあります。

三郷駅と龍田大社の間の坂道を
「安村坂」と言いますが、
その安村氏の庭にあった社だそうです。

安村氏は龍田大社を管理していました。
一方で、大和川の亀の瀬より上流で
「魚梁船」で水運業もしていました。

魚梁(やな)というのは
龍田大社で使う魚を捕る場所のことを
言うそうです。

幕府はその水運で儲けたお金を
龍田大社にそそぐようにと命じており、
龍田大社と安村家の関係は
公認されていたようです。

そんな地域の有力者の社が、
大社の鳥居前にでんと
置かれてあります。

ではそこにお参りして
大社の鳥居をくぐってゆきましょう。

先ず左手に伊勢神宮の遥拝所があります。



この神社は伊勢神宮の二十二ある
明神大社のひとつ。
こうして遥拝所が設けられています。



そしてここが本殿。

もともとこの地は和泉山脈が途切れ、
西からの風が強く吹くところ。
なのでそんな風を神のように
見立てて祈るところです。

風のまにまに旅を続け、
風にあらがってというより
風に便乗してブラブラ生きている
doironは風神ではなくて
風人と呼んでやってください。

さあこれで龍田古道の中心部にもお祈りです。
ここは紅葉も素晴らしく
きれいなところだそうです。
なにせ神紋が八枚羽の楓紋。
秋にも来てみたいものです。

あ、楓で木へんに風って
書くんやね。
さすがに風神の神社ですなあ。

そして本殿の横には高橋虫麻呂の
歌碑がありました。



桜の花を散らす風が吹かないようにと、
風の神のことをうたった歌です。
こんな歌ってあまり形のないモノでも
しっかり残っていたりするんですね。

さあではこれで龍田大社の
お参りも終わりです。
ここではほかにも風鎮祭りとか
行われたりするんですね。
神社の一角にはこんな立派なおみこしが
しまわれていたりしました。



季節を変えてここにやってくるのも
また楽しいのかもしれませんね。

続く


いよいよ別のブログが始まります。
このブログはもうすぐ終わり。
新しいブログをはじめていこうと
思っています。

新しいブログに届くかな?


龍田古道を歩いてきた6

2021年03月15日 22時11分21秒 | ウォーキング

これはまだdoironがうんと若かった頃のお話。

令和3年3月1日。
なんと若干64歳だったころのことです。
テレビや新聞で日本遺産に新しくなった
「龍田古道」のことを知り、
さっそくここに出かけて行くことにしたのです。

1回目は高井田から三郷町の駅まででしたが、
これが山を越える意外にハードなコースでした。

でも途中で出会った人たちが
親しそうに色々話しかけてくれる
あったかいコースでもありました。

で、今回はこの古道歩きの第2弾です。

この道が龍田古道といわれるようになった
根幹の部分を歩くことになるのです。

それでは出かけてゆきましょう。

今日の出発点は、前回のゴールだった
JRの三郷町駅です。
高井田駅から大和川沿いを
さかのぼってゆきます。

車で国道25号とそれと並走する
県道195号のドライブです。
途中、役行者の二十八の地
亀岩の経塚とかの横を車で通り
撮影もしたのですが、まあここは
次の第3弾で通るので、
写真を紹介しないでおきましょう。

大和川を大きな橋で渡り、
三郷町の駅横に到着です。
その手前にあった駐車場に車をとめて、
さあでは歩き始めましょう。

この日はさほど寒くもなく
青空満載の気持ちいい天気でした。



ここが三郷町の駅。
こんな飾り場もあるし、



ボランティアの人が傘を置いていたりします。



「三郷町」とは、
立野(たつの)、勢野(せや)、南畑(みなみはた)
の三つの村を合わせてこの名前になったそうです。



今も自治体は三郷町という自治体なんですが、
ここの三郷を代表するような名前の駅の所には
町役場はありません。
役場はこの先の信貴山下のところです
と張り紙がされていましたよ。



駅を過ぎると、山の方から
1本の川が下ってきています。



その川のところに立っていたのが
龍田古道の道標です。
新しいですね。
こんな活動を通じて、日本遺産に
なっていったんでしょうねえ。

川を越えたら登り道が始まってゆきます。



この近くに「神奈備神社」があるはずだ
と思ったら、左に階段が続いて
その上が神社になっています。



「神奈備」とは昔からある言葉で
「神と並んで」という意味があるそうです。
どんなところかなあと調べてみると、
ネットではこの神社は龍田古道沿いの
三室山の山すそにあったものを
ここに持ってきているそうです。
神がそこに鎮座する、
あるいは隠れ住まうというような
意味があるので、万葉集にも
この「神奈備」を歌った歌が
22首読まれているようです。

「神奈備の 磐瀬の杜の 呼子鳥 
いたくな鳴きそ わが恋まさる」。

とまあこう書けば、
昔からこの辺は重要な地という
意味があるように思いますが、
じつは三室山は斑鳩にもあったり、
龍田川も完全にその場所が
特定されているわけではないので、
謎を含んだままではあります。

では実際のこの神社は
いったいどんなところかなあ
と思って階段を上がろうとしたら
残念、いまは工事中で階段も上がれず
お参りもできないようになっています。



これは残念です。

上では何人かが工事をしている感じでした。
しかたないのであきらめて進んでいきましょう。



電柱にまた道標がありますよ。
この先にあるのが、
この古道の名前の元になった
「龍田大社」があるところです。

坂道を登ってゆきます。



あ、この坂道には名前もついています。
「安村坂」といいます。
安村氏はここの立野地域一帯を
支配していた人です。
安村氏は「魚梁船(やなぶね)」で
大和川の水運を担っていた人でもあり、
龍田大社の管理もしていた人なんです。



大社に向かっての
歩き始めの急な坂道はきついですね。

続く


龍田古道を歩いてきた5

2021年03月08日 20時51分18秒 | ウォーキング

コースはここから大和川方面に
下っていくのですが、



その前に一か所寄っておく必要があります。

それは「龍田本宮御座峰」です。

龍田大社の風神の降臨地と
伝わっているところです。

この里山公園のさらに上に
その場所があるというので、
ここは是非行っておきましょう。

広い自動車道を上がってゆきますと、
このあたりからは奈良方面の景色が
めちゃめちゃ気持ちよく見えます。



橿原方面ですね。
あの大和三山が一望にみえるんです。
正月に歩いた橿原神宮、
大和三山をめぐり歩いた場所が
全部見えています。



これはまあ昔の人にはたまらん景色でしょうねえ。
ずらーと見渡せる景色の前に、
doironもしばらく立ち尽くしてしまいました。

大阪側にはあべのハルカスも
見える景色がありましたが、
ここはまた大和の地を見下ろす
すごい景色でした。
こんな所だったか
らきっと風神も
舞い降りてくるんでしょう。

そんな景色を見ながら歩いて行きますと、
道の左側に「御座峰」への
案内看板が現れましたよ。



案内に沿って急な山道を登ってゆきますと、
山の林の中に広場がありました。



ああここが御座峰かあと思ったのですが、
神域で中に入れないように
ロープが張られています。
資料ではこんな石が建っている
はずなんですがねえ、



でも奥には入ってゆけないので
確認できません。
仕方ないですね。
御座峰であることを頭において
しっかり拝んでゆきましょう。

おりしも山地に吹く風が、
ざわざわときつくて
風神を感じさせてくれましたねえ。

では先ほどの里山公園の方に下っていきます。

それにしてもこの公園は
気持ちのいい所ですねえ。
風神が好みそうなところです。

その公園の先を左折して、
大和川の方へと降りてゆきます。



かなり急な傾斜の自動車道ですねえ。
ここを登ってくる若い男性もいました。
いでたちは歩き人です。
あんなに若い時から歩いていれば、
さぞかしいろんな景色を
眺めていくんでしょうねえ。

doironもしっかり負けないように
歩いてゆきましょう。

やがて景色は広い芝生のような
ところに出てきます。
森も建物も何もないだだっ広いところです。
お、マムシ注意と書かれていますよ。



芝生に入っちゃいけないよ
という警告変わりでしょうかねえ。

まあ景色の良かった山からどんどん下って、
降りたところにあったのが
「峠八幡神社」です。



このあたりの地域は柏原市の
「峠」という字なので
こういう名前になっています。
いやあ先ほどの山の上が「地下」地区で
山の下が「峠」地区とはねえ。

この神社の祭神は武運の神
として知られる「品田別尊」。

この前が竜田越え街道だったので
武士も多く通ったのでしょう。
そしてこの神社の下にあるのが、
地蔵菩薩坐像です。



地蔵にしては珍しく、
半跏趺坐しています。

龍田古道の段3弾では、
高井田を通てここに出てくる形になります。

その竜田越え街道を左折して
しばらく歩いたところが、
大阪府と奈良県の境の部分に到着します。

資料を見たら、大阪では
「竜田道」で奈良県では
「龍田道」といわれるみたいですね。

住宅街に入って、大和川に出てきたところに
「関地蔵」があります。



「龍田関」があったところですね。
その横には大きな大和川が流れています。



下界の方も広々していますねえ。
川が作ってきた平地なんでしょうねえ。

そして道はようやく「三郷町」の駅に到着です。



こんなマンホールが町民に
呼び掛けていますよ。



今回はここまでで終わりです。
続きは第2弾で行くことにしましょう。

電車で高井田まで帰り、



そこから帰宅していった
久しぶり歩きのdoironだったのでした。

 


龍田古道を歩いてきた4

2021年03月07日 21時08分01秒 | ウォーキング

この金山媛(かなやまひめ)神社は、
日本最古の金属の守護神
といわれています。

祭神は鉄がとれるところに生まれたとか、
金ぴかの金属を身に着けていた
というそんな話があったのかなあと思うでしょ。
でもちょっと違うようですね。

金山媛は伊邪那美命が
火之加具土神を生んで大火傷をした後に
生まれた神です。
伊邪那美命が火傷で吐しゃしたときに、
その吐しゃ物の中から生まれた神です。

吐しゃ物が、鉱石を火で溶かした様に
似ていることから、
金属の神様であったようです。
吐しゃ物から生まれるってすごいですねえ、
と思ってはいけませんよ。
神様の中には糞から生まれた神様や
尿からうまれた神様もいましたからね。

この道のずっと下部には
「金山彦神社」もあります。

ここには第3弾の龍田古道歩きの
時くらいに行く予定をしています。



近づいていくと、長い階段があります。



それを登りきると、こんな社殿がありますので、



お祈りしてゆきましょう。



百度石も存在感を放ってました。
さあでは元の道に戻って
坂道を登ってゆきましょう。



道が大きく右に曲がったあたりから、



雁多尾畑の住宅街が始まります。
この雁多尾畑は「かりんどおばた」と読みます。

難読地名ですねえ。

このあたり雁が多く飛んでいたから
こんな名前になったという説もありますが、
やはりここにある松谷光徳寺に
雁林堂というお堂があったことから、
この辺がこの名前になった
という説が有力ですねえ。

道を歩いていると、またまたおばさんが
話しかけてきます。

「歩いてるんやねえ。どこまで行くの?」
と聞いてきたので
「光徳寺に行こうと思って」というと、
「ああ、それならここを入ったところやで。
有名なところやから行っといで」。

雁多尾畑の名前になっている
由来のところって知ってるかなあ。
それにしてもこの辺りは
ほんとにいろんな人が
話しかけてくれますねえ。
ほんわかと楽しいです。

ここが光徳寺。



瓦の紋が勧修寺笹に雀という紋。



竹のように元気で子孫繁栄を
祈っているわけですねえ。



ここは円融法皇が建立させた勅願寺。
こんな石碑もありました。



立派なビャクシンも生え、
鐘楼なども古い18世紀の建物だそうです。



坂道の途中にお寺はそびえていました。

ここは何度か焼き討ちなどで荒廃しましたが、
天皇の勅願で再興したといわれるお寺です。

そんな寺を出て、あの山であった人の
お家をでかいなあと見届けて、
それではもう少し道を登ってゆきましょう。



それにしても、こんなきつい傾斜の
山道をよくもまあサポートカーで
上がったりできるものですねえ。



あれ?この家の扉は不思議ですよ。
毎日飛び降りる勇気が必要です。
ナニコレ、ですねえ。

途中、日当たりの良い公園があったので、



買ってあったおにぎりを食べましょう。
湯を沸かして味噌汁も入れてね。
楽しい時間です。



これはおみこしを置く台ですね。
その下に書いてあるのが、
この辺は「地下地区」と書かれてあります。

こんな山の上なのに「地下」とはねえ。

村はずれの公園で軽く食事をし、
さあそれではもう少し登ってゆきましょう。
このあたりの雁多尾畑の村中は、
狭い道が続いているので大型車は入れません。
ここから先は入れないから
大型車は引き返せ!
という警告が地面に印刷されています。



村中で往生する車とかが
あったんでしょうねえ。

その先に広い公園がありました。
その公園の名前も



「竜田古道の里山公園」と言います。

ここでトイレを借りてゆきましょう。
広い山裾の公園ですが、



中には駐車場もありますし、
桜が結構植わっています。
さほど竜田古道と結びつかない施設ですが、
セミナーとかもあるし、
この日も若い人たちが集まって
何かイベントの用意を
しているようでしたね。

ここは花見には最適かもね。

続く

 


龍田古道を歩いてきた3

2021年03月06日 21時06分21秒 | ウォーキング

この山を越えていく道は
結構ハードですねえ。
もう少し平地かと思ってきたのですが
かなり体力を使います。



そしたら昔は竜田越を
なんでこんな道にしたのかなあ。
川沿いをいけば楽だったのにと思うけど、
すこし不自然ですよねえ。
あちこち湿っていたり、
沼になったりと道が
ややこしかったのでしょうかねえ。
よくわかりません。

山の道沿いには咲きかけの
オドリコソウなんかも生えています。



寒くても季節は確実にめぐってきますねえ。
もう大阪城や月ヶ瀬に行ったら
梅もさかりやろうしねえ。



これからは季節も良くなってきて、
あちこちでかけるのも
またまた楽しくなってくるんでしょう。

それにしてもきつい。

ふうふうはーはーと歩いていると、
道歩いている人から声がかかる。

「歩いてるんやなあ。
どこまで行くんやあ」と聞くので、
龍田古道で三郷町までとか返事をします。

「頑張って~」

何人かそうして声がかかるのです。
素朴ですねえ。ここでは歩いている人には
すごく親しげに声をかけてきはりますねえ。
昔風なところなんでしょうねえ。
田舎風な家も多く、立派な地蔵堂が



あったりもするいい所です。



人々の暮らしの豊かさを感じますねえ。
きっと山手にぶどう畑を広げている
頑張る農家も多いのでしょう。
こんな立派な家なんかもあります。



あちこちの土地のほとんどが
そういうぶどう畑で成り立っているので、
平地の田畑なんかは
イノシシとかに狙われるのでしょう、
こうしてきっちりと防護柵なんかを
設けているところも多かったです。



そしてこのあたりは古い道が多くて、
昔から竜田道と呼ばれていたところです。
前の方の交差点に、何か記載されている
石が見えてきましたよ。



「松谷御堂道標」といわれています。

この先にある松谷光徳寺への道になります。
今は、真宗大谷派の末寺ですが、
松谷御堂といわれて親しまれています。
後ほどこの寺には行く予定です。

段々畑を見ながら山道を下ってゆくと、
また声がかかりました。
電動のサポートカーに乗ってる人です。



「どこまで歩くんやあ」といわれるので、
やはり「三郷町まで行きますよ」と答えると、
「光徳寺に行くんやったら、
そこと農協の間にあるのが
わし○○の家やで」と案内がありました。
もうなんかとっても親しげです。
きっと大きなおうちなんでしょうねえ。

それにしてもこの辺は
とても山の中の道です。
こんなところをよくぞ
サポートカーで通ったものですねえ。
きっと何かからくりがあるんでしょう。



ガタガタの道や、半分塗装の無い道を



歩きながら、これであってるかなあ
と思いつつ地図を見てみると、

あれ?こんな山の中の道に
学校があるようですよ。
これはまるで宮沢賢治の小説にでも
出てきそうな森の学校かもしれません。



道端に生える、ノビルや水仙を眺めつつ



歩いていると、おお突然学校の
ビルらしいものが見えてきました。



これが柏原市立堅上中学校です。

学校の周りをぐるりんと回ってゆきますと、
どうもこの学校は村のはずれにあるようで、
その先は広い自動車道の走る結構なまちでした。



それにしてもこの中学校、
自然について学ぶには
大阪にしては絶好の土地柄でしたねえ。

さあ地図はここからしばらく
自動車道の歩道を歩いてゆきます。
こんな竜田道の案内板も現れました。



この先には「雁多尾畑」という
地名の場所がありますので
向かいましょう。

左に堅上小学校と幼稚園を過ぎると、



その学校の裏側あたりに
入っていく道が現れます。
その奥にあるのが、



金山媛(かなやまひめ)神社です。

立ち寄ってゆきましょう。

続く

 


龍田古道を歩いてきた2

2021年03月05日 20時54分39秒 | ウォーキング

車で高井田へと向かいます。

西名阪を使って藤井寺からと
思っていたのですが、
ナビを入れると南阪和道の方へと
誘導してゆきますので、
それに従って行きましょう。

羽曳野東で高速道路をおり、
河内ワインの里とかを抜けていきます。

いいですねえ。
河内ワインは大好きです。
今度はこの記念館を目指して
やってくることにしようとか考えながら、
さらに進んでいくと河内国分の
あたりに出てゆきます。

ああ、ここは以前玉手山周辺を
歩いた時に出てきたところですね。
大和川をその先の国豊橋で
渡ったところが高井田駅です。

このあたりの駐車場を探すと、
どうもマンション前の一角の
ようなところに、あるようです。
ここに車をとめておきましょう。

え~っと、ここは機械類はないですねえ。
どのように支払いするのかな
と思っていたら、女性がやってきました。

「止め方わかりますか~」と
説明を始めてくれました。
駐車場の片隅にある機械で
駐車券を買い、その領収書を
フロントガラスのところに
置いておくのですね。

わかりました。

第3弾歩きのときにも
ここにとめますので、
そのときもちゃんとそうしましょう。
では歩き始めます。



まずは駅裏の高井田横穴公園の下を
通ってゆきます。



昔、この柏原に親せきが住んでいました。
子どもの時に、ここの横穴には



大きな蜘蛛がいるから、
入っていったら食われるぞ、
なんて言われてましたね。
こどもに変な遊びをさせないための
大人の注意だったんですねえ。

もう全く信じていて、
このあたりには近寄らないようにしていました。
でも今となっては一度よく
横穴を見てみたいものですが、
この日は歩くコースも長いので、
次にここに来た時に覗くことにしましょう。



高井田駅の北側の斜面を
いきなり登ってゆきます。
最初から心拍数が上がりますね。
住宅街をどんどん進んでいったら、
すこし広い場所に出ました。



そこは「鳥坂寺跡」と
書かれてありました。



「続日本記」にかかれたお寺で、
飛鳥時代から平安時代まで
ここにあったそうです。

今は神社と近鉄電車の走る空き地に
なっています。
近鉄もまあこの跡地に電車を
走らしていますから、
てくてくマップには登場させていませんねえ。

このあたりから景色がとても
きれいになってゆきます。



そういえば、doironが働いていた職場からも、
このあたりの雰囲気がよく見えていましたねえ。
あの頃は見えている景色も、
あそこが古道やなあとかじゃなくて、
このあたりのトライアスリートは、
よくこの辺りの山に登っているよなあ
なんて思いながら見ていた気がします。

このあたりからは遠くに
あべのハルカスも見えていますねえ。



山の上から聖徳大使も
「あの辺りが難波の宮かあ」なんて言いながら
眺めていたかもしれません。

さて道はどんどん山道になってゆきますよ。
サンヒルの裏側にはこんな池もあり、



そこにつけられたみちは、もう山道です。



近鉄安藤駅へと下ってゆく道を
左に見ながら、コースはなおかつ
どんどんと山へ入ってゆきます。



あっ、頑張ってそこに入ってきた車は、
側道にタイヤを落として難儀していましたね。



でもJAFかなんかに電話を
しているようなので、
doironは引き上げに協力することもなく、
ふふふんと通り過ぎてゆくのでありました。



道はブドウ畑に沿ってどんどんと登ってゆきます。



そして、道路のずっと上に架かる
高架橋をくぐったら、雰囲気は



田舎の山里っぽくなってきます。

続く

 


龍田古道を歩いてきた1

2021年03月01日 21時02分19秒 | ウォーキング

この頃は朝が早い。というのも、
夜の眠りが早くなったからである。

早寝早起き、健康の元なのである。

じゃ早く起きてどうしているかというと、
まあたまに朝の散歩に
出かけることもあるのだが、
寒い日が多いので家の中でこたつに入って
新聞読んだり、撮りためたテレビ番組を
見たりしている。

朝早くに、ナニコレ珍百景を見たり、
ブラタモリを見たりしながら
へらへら笑っているわけだ。

そんな早起きのある日、
新聞に掲載されている
「龍田古道」の話を読んだ。

あれは前日の夕刊だったかなあ。
大阪の柏原市がこの龍田古道を
テーマにしたアプリを作って
配布していると書かれてある。

へ~そんな古道があったんやあ
と言う感じで読みました。
ちょっと興味あるなあ。
今度歩きに行って見ようかな
と思っていたら、今度はテレビの番組で、
この古道を歩く簡単な番組があったのです。

そこでもう少し調べてみたら、
柏原の広報紙の昨年8月号に
詳細が載せられていました。



この龍田古道に関しては、
国の日本遺産に昨年認定されたそうです。

日本遺産とは、地域の歴史的な魅力や
特色を通じて我が国の文化・伝統を
語る資産として文化庁が認定するものです。

日本では今は104件あります。

これまで歩いたところでは、
西国三十三所のお寺や、
尾道、橿原札ノ辻なんかがありました。

そんな日本遺産に柏原市から
奈良の三郷町に向かう
この古道関連が認定されたそうなんです。

龍田古道は最初は聖徳太子が整備し、
平城京と難波の宮のコースとして
天皇や貴族が行き交ったそうです。

日本の仏教もこの大和川周辺を通って、
奈良に上陸したともいわれていますしね。

そしてその道は、亀の背の地滑りや、
龍田大社の信仰にも絡んでいますし、
万葉集にもこの道沿いで
多くの歌が詠まれたりしたそうで、
歴史や特色を多く持つ道です。

これはもうやはり行かなくては
いけませんね。

少し計画してみようと、
ネットやdoironのアトリエにある資料を
いろいろと探ってみました。

まず、コースはどうなんでしょう。

そしたらねえ、まだ日本遺産に
認定されたところですから、
しっかりしたコース図というのが
見当たらないんです。

地名とか入れてネットに言葉で
書いてあるんですが、
地図と絡めてあるのがないなあ
と思っていたら、ああ近鉄の
てくてくマップに「竜田古道コース」
というのがありました。

てくてくマップ、大阪16番の地図です。



これを見ると柏原市の広報に
掲載されているコースと多くが重なっています。



この近鉄のてくてくマップは
地域の様子を細かく書いてくれているので、
地図と併用すれば結構歩きやすく
作られているので、今回は
これをもとにまず歩くことにしました。

ここを攻める概要はこうです。

最初はJRの高井田駅まで車で行き、
そこに駐車してコースを北上して
歩き始めます。

サンヒルの裏側を通って、
山越えコースで雁多尾畑(かりんどおばた)
を越え、大和側に下ってきたら奈良県に入り、
三郷町の駅まで行くのが第1弾です。
最期は三郷町から高井田まで
電車で戻ります。

第2弾はその三郷町の駅から
神奈備神社と龍田大社を抜け、
信貴山下まで歩いてゆくコースです。
その後王子の町を散策して、
三郷町へ戻るというコースとなります。
三郷町の駅前には駐車場が多いので、
それを利用しての歩きになるでしょう。

そして第3弾は高井田から大和川沿いを歩いて、
亀岩を通り三郷町へ向かう歩きです。
亀岩はあの役行者の
葛城二十八ヶ所遍路の最終地です。

そして第4弾は信貴山下から法隆寺へと
向かうコースということになります。

まずは第1弾に行きましたので
明日から書いてゆきます。

 


岬町の学文字山3

2021年02月20日 21時18分08秒 | ウォーキング

相変わらず、道はまっすぐついている
のではなくくねくねと曲がりつつ
進んでいきます。



遠くにはどうも学文字山らしき山も
見え始めました。



気の早いつつじも咲いていますねえ。



そしてあちこちに木から落ちた
赤い実が散らばっています。

あれ?ちょっと待てよ。
動いている実もありますよ。
じっと見てみると、
どうも赤いダニ・・・タカラダニの様です。



一時家のコンクリートの塀にも
たくさんいましたね。
我が市の市役所なんかでは
大量発生して、庁舎が赤く
なっていたようです。

最近はかなり数も減りましたが、
時々見かけたりします。
つぶすと赤い色が出るので、
ガムテープなんかで駆除するのが
よいとのことです。
でもまあそのダニは5月くらいに
多かったけどなあと思い出しますが、
普通のダニだと病原菌を
持っていたりするのですが、
そんなダニではなさそうです。

タカラダニと言っても、
いろんな種類がいるようですが、
人を噛むとかいう被害はないのですが、
とりあえずは靴の中に
入ったりしないように
気を付けて進んでいきましょう。



しばらく行くと、時折草の生えていない
砂の斜面なんかも現れてきて、
ちょっと広くなったところが、
第2休憩所です。



加太は和泉山脈が紀伊水道に
没するところです。
地層群には特徴があるそうです。



そしてこのあたりは、
木が立ち枯れしているのも多いですねえ。
ちょっとっ見、大台ケ原を連想させます。



これでもう、コースの半分以上は
来ていますが、ここからは
学文字山の稜線に上がっていく様な感じです。
なのでこの辺りから、
斜面の角度が急になり、
コースも厳しくなってきます。

標高は低いと思っていましたが、
登るところはかなりの急角度で
登ってゆきますね。
持病を抱えている身としては、
あまり心拍数をあげきれません。
登山者も他にはいないし、
もしここで倒れたら、
多分来週の終末くらいまで
帰れないでしょう。
そうならないように慎重に登ってゆきます。

こんな時はいつもジムで
汗をかいている程度が
いい塩梅になりますね。
あれくらいだったら大丈夫、
という安心感があります。
これはジム通いの長所ですね。
それに持ってきている水分も、
このときには存分に補給しつつ
登ってゆく必要があるでしょう。



山道を勇気を出して登る
doironの背中なのでした。

でもねえはいているズボンが
いけませんね。
あんなやわらかい記事のズボンだと、
ひっつきむしに襲われたら
イチコロですねえ、と思っていました。
幸い、ひっつきむしは多量に
出現しませんでしたが、
このズボンだと蔦の胞子なんかに
まみれそうですねえ。
次回から気を付けましょう。

でもこうしてタイマーで撮影できるほど
余裕があるってことですな。



そうしてなんとか頑張って
急斜面を登り終えると、
このあたりが南学文字山でしょうか。



斜面の下の方に橘逸勢の墓が
見えるポイントがあるそうですよ。
孝子の名前のもとになったと
いわれる人ですね。



墓はどこかよくわかりませんが、
下の町が見えていました。



ここから少し歩くとようやく山頂に到着です。
山頂は一部分景色が見えるところが
ありますが、木が多くて
さほど絶景というわけではありません。



さあではここで食事にしましょう。



木に囲まれているのであまり風はありません。
お湯を沸かして味噌汁を入れ、



お弁当にありつきます。
いやあうまいですねえ。

さて帰りですが、途中から
影身ケ池方面に降りる予定でしたが、
風もかなり強いので
今来た道を戻ることにしました。

ゴオーとうなる風の音を気にしながら
戻ってゆきます。



急斜面は、逆に下りもきついですね。
雨上がりの天候だったら、
滑ってこわいかもしれませんね。

登って来たコースはときおり
深日港の方が見渡せるいいコースですねえ。

下がってくると、あんなに吹き荒れていた
風の音も小さくなってきました。

社長と取り締まりがまだ働いている様子の
松風庵を過ぎて、観光案内所に到着。



トータル3時間の学文字山の山登りでした。

 


岬町の学文字山2

2021年02月19日 20時56分25秒 | ウォーキング

めざす学文字山は、
高さが216mの小さな山ですので、
歩いていてもあの辺かなあ
とかあまり目立ちません。

山頂は景色がいいと聞いているので、
見えるはずなんでしょうが
まだ下の町からは見えません。

海辺から歩いているので216mの高さは
丸々登ることになるのですねえ。
頑張っていきましょう。



少し歩くと、青木松風庵の会社が
見えてきました。
駐車場の一角に高級な車が止まっています。

ああ、社長と取締役が出勤していますね。
いきいきパークにもこの会社がありましたねえ。

見学のお土産に「月化粧」を
いただきましたね。
けっこう派手に頑張っているようです。

そのみちの突き当りまで行くと
T字路になっています。
右は帰りはここから帰ってくるコースで
左が登山コースです。



住宅街を案内通りに登ってゆきますと、



さあていよいよここから
山道に入ってゆきます。



車が通れるような、
通れないような少し広い山道を



上がってゆきます。



ここで耳を澄ますと、
先の方で何か工事をしているような
音が聞こえますよ。

「カン、カン」と何かを
叩いているような音です。

ところどころに蔦の繁る山道を
上がってゆくと、前方にタンクが
見えてきました。



上水のタンクのようです。
その横を抜け、丁寧に案内のついている山道を
上がってゆくと。送電線の
鉄塔の下に出てゆきます。



ああ、工事はこんな送電線の
点検かなあと思っていると、
前方が開けてきました。



なんとまあ広い太陽高発電の
パネルを付ける工事の様でした。



もともといきいきパークの方の太陽光発電は、
人口14800人の岬町の
4700世帯ほどの電気を発電していたのに、
ここでまた大規模な発電をしたら、
ほとんどの世帯の電気を
賄えるんじゃないかって感じですねえ。

設置主体はどこなんでしょうねえ。
あんな立派な多奈川発電所があるのに、
背信行為じゃないですか。

まあなんかそんな話し合いなんかも
あったりしたんでしょうねえ。

発電パネルの下に潜り込んで、
作業をしている若い人が、

「おっさん、のんきに山登りしてるなあ」
というような目で見ておりました。

すみませんねえ。
年金暮らしのおじさんは、
君らからいただいた年金で
遊ばしてもらっております。

このあたりの山には、
ちいさなまんりょうの花が
結構いっぱい生えていましたねえ。
春になったら、つつじや
いろんな花が咲いたりするのかなあ。

このあたりは、登ってきた深日港のほうが
よく見えています。



じっと探したら、とめてきた
doironの車も見えているかもしれません。

登山道はそんな送電パネルを設置している
広場に沿って続いています。



なんか広くて気持ちい山道ですねえ。
でも少し風が強く吹き始めました。
先の山の方から「ゴオーッ」と
風のうなりが聞こえてきます。

なぜ真っすぐ付けないんだろう
と思うようなくねくねした道を
進んでいきますと、
やっと最初の第1休憩所に到着しました。



ここからだと、深日港が
更によく見えますね。
そしてどうもこれはみさき公園の
少し西側のような感じですね。



ここで少し休憩します。

工事現場の人たちは何人か見ましたが、
山に登っている人は誰もいませんねえ。
座っていても孤独です。

それに風はますます強くなってきます。
うかつに立っていると、
時折ふく強い風にバランスが崩れそうです。
この風のままじゃ、
お昼に湯を沸かせるかなあと
少し心配になりながら、
足をとられないように
注意して進んでいきましょう。

次の目標は第2休憩所です。

続く