ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

山麓リボンの道35 塩屋へ

2019年01月31日 21時11分17秒 | ウォーキング

屋外を歩くのもそんなに
寒くない日があったりします。
上空に冷気が混じりこんでなく、
1月というのに、三月並みの
暖かさなんて言われている
そんな暖かい日に、
神戸のリボン通りの続きを
歩きに行きました。

そんな気候ですから、
六甲おろしもさほど
吹いていない日でしたね。



生駒おろし、鈴鹿おろしときて、
次は六甲おろしかと思っていたのですが
さほどのことはありません。

タイガースも弱いしなあ、
六甲おろしといっても
厳しいものではないと
まあそんなわけですね。

今回は、前回のカーレーター
乗車なんかもあって、
須磨浦公園から西側になっていきます。

神戸の街を端から端まで歩くという
このコース歩きも、
終盤となってきたわけですね。

須磨浦公園を抜けるということは、
六甲山ろくも抜けるわけです。
なのでなおさら六甲おろしとは
縁遠いわけですな。

では、この比較的暖かい日に
車に乗って出かけていきましょう。

え~三重県に行くときには
友達の仕事の車に便乗していきましたが、
また兵庫県とか和歌山とか
京都、滋賀などに仕事で向かう人が
いてたら声かけてくださいね~。

まあ、周りに現役で働いている人も
かなり減りましたけどね。

では阪神高速神戸線に乗って、
若宮から須磨浦公園を目指しましょう。
我が家から行くには、
湾岸線に乗って尼崎あたりで
神戸線に乗り換えがよさそうですねえ。

トラックや社用車などが
忙しげに走り回る道を、
昔は何となく申し訳なさそうに
走っていましたが、
最近はもう何の違和感も感じずに
走り続けていきますね。

もう還暦も過ぎて、
こんな歳になってきますと
社会とは一線離れて
自由な地域歩きをしながら
悠々と生きている感じです。

五十日とか月末とかもあまり考えませんし、
最近は曜日もあまり意識しないように
なりつつありますしね。

一時間ちょいで須磨浦公園に到着です。
ここに車を止めてでは歩いていきましょう。

まず最初の見ものはこの公園の横にある
「平敦盛」の塚だ。

大きさは全国で2位という触れ込みらしい。



発掘調査を起こったところ
下半身の遺骨があったそうです。
そんな敦盛塚を見てから、
こんな石垣の積まれた斜面の横の
歩道を進んでいきましょう。



この斜面の上は線路です。
ときおりトンネルが惚られ、
上からの水なんかを集めて流しています。



六甲山ろくの最西端ですから
六甲のおいしい水もここまでですねえ。

地形上、この辺りには
狭い斜面に道路や線路が
ひしめき合うように通っています。

そんな狭苦しい平地部分を
一キロくらい歩いてきたでしょうか。
ここにはJRの貨物船も通っていますねえ。
尾道に行ってる時も
よく見かけました。



この日も本当に何度も見かけたので、
では貨物ってどれくらい
はしっているのだろうと
帰ってから調べてみたら、
なんと一日に約500本が走っています。

走行距離は地球を約5周も
しているそうです。
うひゃあ、意外にすごい輸送力ですねえ。
このリボン通り歩きでも、
今日一日で5本くらい
貨物車を見ましたもんねえ。

で、その先で街が近づいてきて
右の石垣の上に踏切ができており、
コースは街中へと入っていくようです。



その踏切のすぐ先にあったのが、
グッゲンハイム邸です。
眺めのいいところですねえ。
残念ながら一般開放は月に1度だけ。
第三木曜日に決めておられるそうです。



残念ですね。
外から写真を撮っておきましょう。



急斜面をはあはあ上がっていきますと、
そこには「西向地蔵尊」があります。



明治から大正にかけて
海に投げ込んでいた地引網に
かかりあがってきた地蔵尊
といわれています。



それにしても、地蔵尊てよく
こんな海の中や川の中、
泥の中などから上がってきたんだ
といわれてますねえ。

大災害とかで流されたり
することが多いのかなあ。
ここの地蔵尊にある石票とか見たら、
カタカナで書かれた
外国人の名前なんかも
結構書かれていました。

続く


雪国は大変だろうなあ

2019年01月30日 21時06分21秒 | 生活

しばれるねえ。

最近はやはり一年で一番寒い時期。
歩いていても、手や首、顔など
外面に出ている部分はとても冷たい。

はやく暖かくなって、
桜の舞い散る道を
ぶらぶら歩いたりしたいなあ
と思ってしまいますねえ。

まもなくドジ旅で石垣島へ行くのですが、
向こうは暖かいやろなあ。
二か月後にはもう
トライアスロンの大会が開かれる
くらいやもんなあ。

今はそんな石垣に行った時に向けて、
あそこに行きたい、こんなことがしたい、
あんなものが食べたいなどと
いろいろ夢を膨らませているのだ。

計画書も作成中である。

あそこの店にはいかないとなあ
とリストアップしたりしてね。
もう石垣に行ったらひと時の時間も
無駄にせず目いっぱい過ごしてこよう
と思っている。
そんな石垣島にも、
もしかしたらもう桜が咲いたり
しているかもしれないなあ
けど、かの地に桜なんてあるのかなあ
八重山桜とかねえ。
まあそんな具合にいろいろと
めちゃ期待をしているわけだ。

で、一方こちらの今の季節はというと
まだまだ寒い時期だ。
そして北の方の
雪国ではホワイトアウトや
超低温で被害が続いているし、
雪かきの景色なんて見ていて
気の毒になるくらい重労働そうだ。

で、ふと思ったんだよね。
もし自分がそういう国の生まれで、
いまのように退職して、雪国で
毎日を過ごしていたらどうなるだろうって。
何をしているかなあ。
まあ、夏はいいよねえ。
涼しいだろうし、自然も豊富そうだもんなあ。
あちこち歩きながら
いろんなものにぶつかって
過ごしているんだろう。

でもこれが冬となると、
大変だよなあ。
一面の吹雪っていうことになると
それに震えて歩く気候じゃないしねえ。
ホワイトアウトの中、
途中経過の写真なんかも
全く取れないしなあ。
地蔵さんなんて雪の中なんだろう。

じゃあ、そんな時はさあ、
遠出をして歩けそうなところまで
行って歩こうと思っても、
車も出せないし、道もわからないまま
遭難してしまうよなあ。

だったら雪国で
できる遊びってなんだろう。
今まで通りだったら
家で酒でも飲みながら
絵でも描いているのかなあ。
ひと冬を越すだけで絵の技術も
上がっていくのかもしれんね。
まあそれもいいかもしれんけどね。

今もこういう雪国に、
社会の一線から離れて
毎日を暮らす人々も多いやろうねえ。
そんな人らは本当に、いったい何をして
暮らしている人が多いのかなあ。
調べれるだけしらべて見たよ。

ネットではさあそんな暮らしを
比べてみる記事が多かったなあ。

「定年退職したら、
北海道と九州のどちらに住めばいいか」
なんて質問が多く出ている。
退職に夢をはせている人も多いのだろう。

そんな質問に対して答えを
並べているブログもたくさんあった。

どうも移住するなら
暖かい方がいいよ
という意見が圧倒的に多かったなあ。

寒い所で雪かきしながら寒さに耐えて・・・
なんていけませんという
意見が多数だった。

確かに雪国の人の冬は
どうも大変そうやねえ

まあdoironは今のところは
移住する気はないけどねえ。
今住んでいるところだと
友達も多いし、一年中歩いて遊べるし、
いろんな遊びが手軽にできるのだ。
それにこの辺は歩いていても
見どころが多いもんね。
それなりに古い歴史に
彩られているから今の趣味が
ぴったりなんだろう。

ニュースで雪国の大変な
ニュースを見るたびに、
そんな風なことを考えてしまうのだ。

今のところで、のんきに
それなりの趣味に合わせて
いろいろ恵まれて
doironは遊びまくっているんやなあ
とおもう今日この頃なのです。


鈴鹿おろしの中を7

2019年01月29日 21時22分08秒 | ウォーキング

田んぼの中から広い自動車道に
出てゆきます。

右奥の方に伊勢電鉄の電車が
走っていますねえ。
駅はあの辺でしょうが、
ちょっと稲生の町の方に
入っていきましょう。

地図では稲生小学校のそばを
通っていきます。

ああ、あそこに避難所案内の
看板が立っていて、
小学校をさし示していますねえ。
向かっていきましょう。



ちょうど、子どもらが
学校から帰ってゆくような
時刻です。
元気な子どもたちがブワーっと
走りながら帰宅しています。
でね、みんなこんにちはと
挨拶してゆくんです。
親しみの持てる田舎ですねえ。

そして足元にはこんなマンホールが。



小川を泳ぐメダカが描かれ、
下水道によってこういう光景を
取り戻そうとの願いを
込めているそうです。

鈴鹿のマンホールには、
最初に紹介した川の絵のほか、



トンボの絵やサツキ満開の絵



なんかもあるそうですが、
これらには出会いませんでしたねえ。
写真はネットの資料です。

やがて、伊奈冨神社の駐車場
というところに到着しました。

といっても近くに神社がありません。
あれ~どこかなあと縮尺の
大きい地図を見ながらウロウロしましたよ。

こっちかなあと思いながら
そのうちに山の中の方に
入っていきます。



駅方面に向かうという
立て看板をさかさまの
頼りに進んでいきますと、
ようやくここがその神社です。



伊奈冨神社は稲生の地域に
ありますねえ。
稲が生えそろうという意味と
神社の名称は
やはり関係あるでしょうねえ。

「鈴鹿の南側の町をじっくり見てきました。
ありがとうございました」
とお祈りしておきましたよ。

ああ、今日はここまで
約16キロを歩いてきましたねえ。
結構歩き回りました。
でもまだ歩きは残っています。
神社からてくてくと
1キロほど歩くと、



伊勢電鉄「鈴鹿サーキット稲生駅」
に到着します。



ホームに行き、時刻表を見ると
ちょうど電車がきそうです。

一時間に一本だから
乗り損なうと大変です。

友達にメールをすると、
じゃあその先の「伊勢上野」という駅で
待っといてということですので
無事に乗車しました。

念のために女子高生に
「伊勢上野」という駅には
止まりますか?と聞くと、
待ってね~とかいいつつ
携帯で止まると確認してくれましたよ。

いやあありがたいですねえ。

大阪だったら女子高生に
いたずらおっさんの
警戒情報が出ていたかもね。

ついでにその娘に切符の
買い方についても教わったもんね。
ありがたいことです。

10分ほどで目的の駅
「伊勢上野」に到着です。

女子高生にお礼を言いながら
降りてみると、な、なんとそこは
田んぼの中のぽつんとした
駅ではないですか。



周りに何もありません。
きっとさっき電車で
いろいろ教えてくれた女子高校生も
驚いたでしょうねえ。
伊勢電鉄のことがあまり
わからんおっさんが、
こんなところで一人でおりて
何するんやろ?みたいな
素朴な疑問を抱いたでしょうねえ。

「ああ、もしかしたらあの人は
私の神様だったかもしれない」
なあんて、かわいそうなことを
考えたりしたんじゃないでしょうねえ。
いや、それよりもあの人は
「田んぼの神様?」
みたいな印象だったかもしれません。

駅の景色を見て呆然としましたが
ここでは友達を待てません。
寒くって、寒くって。

どこかお店とかないかなあと
遠くの方を見ると
どうやら1キロくらい先に
コンビニがありそうですから
そこに行きましょう。

暮れかけた鈴鹿の町は
なお一層寒いですが
じわじわっと歩いていきました。

コンビニに入って、
幸せを感じましたねえ。

よしじゃあビールだあ
と思いましたがイートインで
飲酒は禁止ですので、
あったかいコーヒーをのみながら、
店の中で45分くらい待ちましたよ。

ようやく友達が社用車で到着して
doironの旅も終わりです。

帰りの山々は雪はなかったですよ。
友達には、また次回に行くことが
あったら声かけてねと依頼して、
鈴鹿おろしの中を歩いた
三重旅もようやく終わりました。



寒かったけど楽しかったなあ。
次回は四日市か桑名を
歩こうかと期待をしつつ
今回はおしまいです。


鈴鹿おろしの中を6

2019年01月28日 20時49分59秒 | ウォーキング

この玉垣あたりで
送ってくれた友達から
メールがありました。

今日は仕事も少し遅くなりそうやから、
タイミングが合えば迎えにいくよ
って感じです。

大体コースはここで半分。
でも見どころはあまりありませんから、
時間的にはここまでよりは
短くなるでしょう。

さあて、うまくいくかなあって
感じですが、またメール連絡しあおう
という感じになりました。

いよいよコースは「玉垣」の
駅のあたりに来ましたね。



これが駅です。

時刻表を見ると、電車はだいたい
一時間に一本くらいでしょうか。



この時刻表の電車は
すべて伊勢電鉄のようですが、
JRは止まったりはしないのかなあ。
電車配分とかはあまりよくわかりません。

駅のそばには伊勢電鉄の
事務所もありましたねえ。



高架橋で線路をこえていきます。

途中駅舎とかはないから、
高架橋から直接ホームに
降りていく階段があったりします。

駅前からはやたら広い道が
まっすぐ東向いて続いています。



その歩道を進んでいきますと、
「吉田神社」というところに出ました。



あと少しですねえ。
しっかり回らせてね
とお願いしておきましょう。



この神社の先に久しぶりに
コンビニがありました。
イートインもついていそうなので、
ちょっとここでコーヒーを飲みましょう。



帰りは遅くなりそうや
ということなので、
時間調整の感じもありますしねえ。

どうも朝からあんなに
雪の中を走ってきたのだから、
帰りも助手席に相棒がいた方が
いいんでしょうねえ。doironも
うまくいくことを祈っています。

さあ、また歩き始めます。



大きなマンションが立っているところを
左に見ながら進んでいきます。
地図に載ってた旭ヶ丘中央公園
というのもこれでしょう。



この辺りは比較的新しい住宅が多いですねえ。
広い田んぼや池があって、
ブワーと開発された新しい家が
立ち並ぶ村々が新しく
開発されたんでしょうねえ。

表札なんかもみんな英語の
記載になっています。

と思って通りかかりの家の
玄関を見ていると・・・、



おお、ここの家はな、なんと
GIGAさんじゃないですかあ。

「吉我」とか書くのかなあ。
それとも「義我」?
でも今めちゃ流行の名前ですよねえ。

三人家族でうちは3GIGAやあ
とか言ってるんでしょうかあ。
それとも俺がいないと仕事が進まんぞ、
「ギガ不足やあ」なんてね。

ニコニコしながら歩いてしまいました。

やがてそんな新興住宅街を、
ほんの一歩出ただけで、
またまた超田舎になっていきます。

コースは田んぼの中の
あぜ道になっていたりしてね。



あ、こんな道を自転車に乗った
女子中生なんかが
「こんにちは」とあいさつを
交わしていくではないですか。



大阪なんだと、防犯情報で、
女子高生に声をかけるおっさんがいてる、
とか小学生にカメラ向ける
若いやつがいるとかの
情報が流れているが、
こういう田舎は女子中生が
高貴そうな顔をしたおじさんに
挨拶してくるんやなあ。
なんかまったく別の国に
来たような感じですな。

そして、遠くには雪をかぶっている
鈴鹿の山々も見えてきましたよ。



あそこで雪をまき散らして、
乾燥した風が伊勢湾に向かって
吹き下ろしてくるんやね。
上空をビュービュー吹いている
鈴鹿おろしの故郷があのへんなんやなあ。
そしてまた別の向きには
大きな観覧車の姿も見えてきましたよ。



あそこが鈴鹿の遊園地
なんでしょうねえ。
かなりゴールに近づいてきたような感じです。

田んぼの中に咲く春の花なんか見ながら、
今回の歩き旅で最後の町
である稲生のあたりに到着となります。



ここには「鈴鹿サーキット稲生駅」
という伊勢電鉄の駅がありますので
その駅に最終的に向かうわけですが、
その前に最後の名所である
伊奈冨神社を訪ねていきましょう。

続く


鈴鹿おろしの中を5

2019年01月27日 21時18分44秒 | ウォーキング

阿自賀神社を出ましたら、
まだまだ田んぼに囲まれた田舎道を、
伊勢電鉄の線路の方に
向かって歩いていきます。



すると、ずっと前方のほうで
一両編成の電車が線路を
走っていくのが見えましたよ。



慌ててカメラを構えましたが、
ちょろっと移っただけでした。

この伊勢電鉄というのは、
前回、津で乗り損ねた電車です。
そのことをブログにしたら、
よく知っているジダンから、
伊勢電鉄はJRに間借りしてるんだよ、
という案内メールが届きました。

そうなんやなあ。

今日の最初に鈴鹿の受付嬢に
「駅はどちらですかねえ」
と方角を聞いたら
「近鉄ですか?それともJRですか?」
と聞かれました。

え~鈴鹿の駅って近鉄か
伊勢電鉄しかないのになあ
と思いつつ「JRって伊勢電鉄ですよねえ」
と聞いてみると「ああ、そうですね」
と答えなおしはりましたが、
なあんか秘密がありそうです。

で調べてみたら、そう伊勢電鉄が
JRに間借りしてるんや
ということが、ジダンからの
メールの前にわかりました。

ふ~ん、こんな線路間借りって
こともあるんですねえ。

ホームページを見てみますと、
「伊勢電鉄列車は18切符とかの
JRのフリー切符は使えませんので、
伊勢電鉄の切符を買ってください」
と書かれていたりします。

う~んなんか乗りにくい電車ですねえ。

途中駅には切符売り場もないので
電車に乗ってから切符購入なんですがね。

まあそんな具合にここの線路には、
JRの電車が走ったり、
伊勢電鉄の電車が走ったりするんですねえ。

さらにその線路に近づいていくと、
ああこんな四両編成の電車も
走っていきます。



これはもう全くJRの
電車って感じですねえ。

そんな電車を眺めながら、
今度は「地蔵大松」という場所を
目指します。

線路に沿って少し歩いて
くねくねと道を進んでいきますと、
左に大きな池が見えてきました。



これが山上池ですね。



見晴らしのいい池で、
鳥がいっぱいいました。



その池に沿って進んでいくと、
前方に大きな松の木が見えてきました。
これが地蔵大松です。



いわれは、昔地域の人々が
ここに昔からあった地蔵様を
湿地に埋めて信仰をやめた。
その埋めた地にあとでわかるようにと
その目印として松を植えたそうだ。



そののちに干ばつになったところ、
地蔵が現れてそこから水が
湧き出したことから、
ここにお堂を立てて
地蔵を祭るようになったそうだ。

そしてその目印になった松が
大きく育って今の姿になっているという。

黒松がどんどん枯れていく中で
ここの松は元気にそびえているそうだ。

確かに古くて立派な松の木でした。



ほんのわずかしかそこにいなかったけど、
5分くらいの間に3組が
お参りに来ていました。

地域でもしっかりと愛されている
松なんでしょうねえ。

木の上の方の枝が、
強い鈴鹿おろしの中で
歌うように音を鳴らしていました。

子供や孫の健やかな成長を
祈っておきましょう。



さあ、ではここから伊勢鉄道の方へと
再び戻っていきます。

道の横には大きな電気会社の
敷地が続いています。



そして伊勢鉄道の線路に出たところで、



地図通りに線路の横にあるはずの
道がなくて悩んでしまいました。

次の目標は石垣池公園です。
おおきな陸上競技場があるはずです。
地図と道があっていませんので、
そちら方面を頭に描きながら
歩いていきますと、
おおありました。
鈴鹿の陸上競技場です。



でもこの辺は陸上競技というよりは
サッカーに熱心なようですねえ。
競技場の周りをぐるりんと歩き、



住宅街の中から伊勢電鉄の
「玉垣」の駅の方へ地向かっていきます。

静かな住宅地が続きますねえ。
鈴鹿で働く人々の住宅地
って感じなんでしょうかね。

続く


鈴鹿おろしの中を4

2019年01月26日 20時47分13秒 | ウォーキング

地下道から上に上がって
周りを見回してみますと、
大体地図の中の
自分のいる位置がわかりました。



ここを左に曲がってしばらく歩くと、
中央通りの方に出ていきます。



選んであるコースは今度は
ここから南下して
いくようになっています。



静かな田舎道を南下していきますと
左にこんな石が立っていました。



沢城址

先ほどの公園になっていた
神戸城に移るまでの間
ここに神戸氏が城を
築いていたそうです。

田んぼの中のぽつんとしたところに
こんな石が立っていましたよ。



ここからいろいろと
発掘されたそうですが、
特徴のあるのが

「むめ、かく」と書かれた

土器が発掘されたそうです。

これはどういう意味なのか
分かりませんが、ネットで
調べたらかろうじて
「女性の名前ではないか」
という説がありましたねえ。

「むめ」さんと「かく」さんが
お皿に使っていたのかもねえ。

そしてその先の道を
左折して進んでいきます。

田んぼの中の一本道で、
進む方がこれで、



後ろを向くとこんな感じで



ほんとにまっすぐ。
人口20万の都市といっても
田舎部分は道がめちゃまっすぐです。

田んぼの中の道を鈴鹿おろしに
吹かれながらおじさんは
歩いていきます。
周りに全く人もいないので、
はたから見たら頭のおかしい
おっさんちゃうかと
思われたかもしれませんね。

こんな田んぼ地帯を抜けたら
ちょっと広い道に出ます。



するとその道を、
かなりのエンジン音を響かせながら、
ホンダのスポーツカーが
走っていきましたよ。
さすがに鈴鹿の町ですねえ。
田舎道でもあんなにすごい車が
走っていくのですからねえ。

沖縄だったら牛車が走っていく
みたいな感じなのかもしれません。

そんな道をこえてまだ進んでいきます。

向こうに森が見えてますよねえ。
あれが次の目的地である
「阿自賀神社」のようです。



で、ふと思ったのですが、
この辺は医者の案内看板が
多いですねえ。



周りを見渡したらいろんな
医者の案内看板が
あちこちに立っていますねえ。



田舎にはこんな景色が
多いんでしょうねえ。

そしてようやく阿自賀神社の方に
やってきました。



中に入るとこんなにおおきな
スダジイがあります。



ああかなり大きいですねえ。

幹周5.5m、高さ15mといわれています。

いやあこれも立派な祭神ですねえ。
それにしてもこの神社、
名前が変わっていますねえ。
「あじか」神社というそうです。

で、あちこち調べてみましたが
由来はどこにも出てきません。
唯一、名前のいわれは全く不明
という項目に出会ったりしました。

そうかあわからないのかあ。
この神社のある地名は「安塚町」です。
なんか地名と関係あるのかなあ
と考えてしまいましたが、
わかりません。
鈴鹿市内には、もう一か所同じ名前の
神社があります。
そこの地名も「須賀町」と
何となく関連ありそうな、
そうでないような。
かなり調べてみましたが
結局わかりませんでした。

まあ、そういえば、doironが
氏子代表をやっている神社も
創建のいわれは不明です。

曽根氏の氏神ということくらいで、
なぜ曽根氏なのか、
そしてdoironはその曽根氏の
子孫なのか、わかりません。

これからいろんな資料に
出会ったりして
少しずつ分かってくるかも
しれませんが、地域の氏神という
それだけでもなんか神と人の関係を
ぼやっと表すものにすぎないしねえ。

阿自賀神社も何となく
地域の人々との関係の中で、
大事に育てられてきているとまあ、
そんな具合に見ておきましょう。

歩く経路から言うと裏口から
入ったようです。
表はこんな感じで結構整備されています。



大きな池もあります。



地域の人たちの気持ちで
支えられているんですねえ。



「え~、同じ式台の曽根神社の
doironです。しっかり頑張りましょう」
と声をかけときました。

続く


鈴鹿おろしの中を3

2019年01月25日 21時06分55秒 | ウォーキング

なぜ鎌倉氏の碑がここにあるかは
定かには決まっていないそうです。
伊勢参りの途中ここで
片目を洗ったとかいう説もあります。
そうですねえ、この辺りは
やはり伊勢参りとの関連なんかが
結構残っているのでしょう。

さあ、ではここから西に向いて
進んでいきましょう。



それにしても寒い。
町の喧騒の中でも冷たい風が
ビュウビュウ吹いている。
これを鈴鹿おろしというんだと、
あとで弁当を食べているときに
公園にいたおじさんに聞きました。

ちょうど市役所の南側当たりの地名は
「神戸(かんべ)」といいます。



この辺りに「神戸城」があるはずです。
鈴鹿市の中央道路をしばらく進み、
右に曲がって神戸の中心街の方に
入っていきますと、ここに



「旧制神戸中学校の校門」

が残っています。

神戸の人たちの交流を祈念して
残しているそうです。

そしてその先を右折していきますと、
そこに神戸公園があり、



そこに神戸城の遺跡が残っていました。



神戸氏の一族がここに城を
作りすんでおりました。
織田と和睦しましたが、
秀吉とはうまくいかず
自刃した後は本多氏が
入国したそうです。

う~ん、今、この鈴鹿にある
Honda自動車と関係あるのか?
と一瞬思いましたが字が違いますね。

この本田技研の鈴鹿工場は
この会社の最大の自動車製造工場だそうです。

神戸城跡の中をウロウロしました。
ここには三等三角点もあるのですねえ。



そしてこんな石垣もあります。



結構広くて整備された公園でした。
そんな神戸公園を後にして
コースを進んでいきますと、
こんな小さな本多公園があり、



周りを住宅に囲まれているので
風も弱いようなので、
ここで昼飯にしましょう。



今日は、こんな弁当と
寒いのでしっかりお味噌汁も
持ってきています。

まずは湯を沸かしてと座っていると、
高齢者が近づいてきましたよ。

「あれ?ここは火はダメなのかな」
と注意されるのかと一瞬心配しましたが、
ただの散歩でした。
でもひとこと言葉を残していきます。

「寒いやろ~、今上空を
ビュウビュウ吹いてる風は
『鈴鹿おろし』というんやあ」
とつぶやいていきはりました。

鈴鹿サーキットの爆音は
休業なので聞こえませんでしたが、
空でもがりぶえをかき鳴らしながら
「ビュウ、ビュウ」と強風が
吹いていました。

前回歩いた大東は生駒おろしで
今回は鈴鹿おろしですねえ。
うう、冷たい風なんかに
負けるものかあ。

凍った地面の上を滑って
転ばないように走った駅伝の経験や、
穂高で包まれた寝袋に
霜の張った初冬の低温が
doironを支えています。

お弁当はおいしかったなあ。

交通費節約のおじゃまむし旅行で
弁当を食べる。
ああもう年金生活者の
理想的な遊びですねえ。

静かな住宅が並ぶ公園で
むしゃむしゃ食べていますが、
もしかしたら地域の人は
物陰から観察とか
してるんじゃないでしょうねえ。

真昼間に犬を連れて歩いてくる
高齢者もいたなあ。
怪しいおっさんが変なものを
売りに来てるんやないやろうか、
なあんて押し売りおじさんみたいに
観察されているんじゃないでしょうねえ。

まあとにかく食事を終えて
ぼーっと風の音を聞いていると、
友達からメール。

帰りの時間はまだしっかり確定しないけど、
時間が合えば迎えに行ってあげるよ
とのこと。

ああ、鈴鹿おろしに乗った電波が
ありがたいメールを届けてくれました。

まあ、それではそういうことも
期待しつつ、とにかく最初の
計画通りに進んでいくことにしましょう。



公園を出て細長い車の通らない、
公園の道なのか散歩道なのか
地元の道なのかよくわからない
道を進んでいきます。



あ、前方にトンネルのような
道になっていますが



この辺で上に上がっていきましょう。

続く


鈴鹿おろしの中を2

2019年01月24日 21時15分29秒 | ウォーキング

「鈴鹿市」の地域名については、
定説はありません。

壬申の乱のとき吉野から
美濃へ向かっていた大海人皇子
(後の天武天皇)が、増水した川を
渡る折に鹿に鈴をつけて
渡ったという伝説があったり、
現在では、篶竹(すずたけ)の
生育地からきているというのが
有力視されているそうだ。

まあいくつか説があるわけだから、
昔からの地域であるのは間違いない。
ではどんな町なんだろうと
予習をしていると、
そんな鈴鹿市のキッチコピーが

「さぁ、きっともっと鈴鹿。
海あり、山あり、匠の技あり」
という言葉だった。

ああどんな景色があって、
どんな匠の技があるのでしょう。
あるいてわかる範囲で
鈴鹿を眺めていきましょう。

しかし、それにしてもこの日は寒かった。

冷たい風が吹きわたっていましたよ。
庁舎内でトイレを済ませて、
玄関口で大黒屋光太夫の銅像に
挨拶していきましょう。

彼は鈴鹿の港で船頭をやっていましたが、
船が漂流しロシアに流され、
のちに帰ってきました。

なので外国の言葉もわかるので
異国見聞者として活躍したそうだ。

ああ、doironもいつも異国見聞者。
鈴鹿の町を見聞しに歩き始めましょう。

これが鈴鹿市役所。



なかなか立派な庁舎ですねえ。
まずは、ここから近鉄の
鈴鹿駅を目指しましょう。

庁舎の受付で場所を聞いて
その方角に歩き始めます。

あ、庁舎の庭に水素ガス充填所がありますよ。
ホンダの名前が書かれていますね。



一時水素を燃料とする車の
開発が進みましたが、
どうも次世代エネルギーの車としては
やはり電気が増えましたねえ。

ゴーンさんのせいですかねえ。
今日はここから南の
鈴鹿サーキットに向かって歩いていくのですが、
まずは北向いて駅を見に行きましょう。

街中をてくてく歩きながら
前の方に線路が見えてきましたよ。

ここが近鉄の鈴鹿駅です。



立派なビルですがあまり人通りは
ありませんねえ。

切符売り場を見てみると、



大阪阿部野橋で運賃だけで2010円、
まだこれに特急券も必要ですよねえ。
いやあ、便乗できてありがたいものです。

では、ここから南向いて
進んでいきましょう。



え~、ここもマンホールカードを
出しているのですが、
配布場所がよくわかりません。

こんなカードです。



庁舎内には下水関係部署も
ありませんでしたので、
別のところで配布でしょう。

写真だけ取っておきました。
鈴鹿の山々から川が流れ
伊勢湾にそそぐというデザインですねえ。



市役所横の県道はなんと
伊勢街道と呼ばれています。

あの伊勢神宮に参る参道ですねえ。

大阪の人たちは
「ええじゃないか、ええじゃないか」
と叫びながら伊勢に向かったそうです。

ここは何か叫んでたのかなあ。
「えりゃあええじゃないか」
なんてねえ。

その伊勢街道と県道54号と
裁判所前で交差します。
その交差点のところには
鎌倉権五郎の塚があるはずです。



う~ん、しかし初めて聞く名前ですねえ。
昔は歴史の授業とかで
習ったのかなあ。
あのころからこういうことに
興味があったら、
きっと楽しかったんでしょうねえ。

この鎌倉氏は昔の合戦時に
目を射抜かれたんだそうだ。
矢が首まで達したらしい。
それを抜こうとした人が
顔を踏んで力を籠めたら、
武士の顔を足で踏むとは
「失礼な」と怒ったんだそうだ。

でもねえ右目を貫いて首まで
矢が刺さってるなんて
よく生きていたものですねえ。

でもまあ彼のそんな話は
目を病む人にとって
効験があったそうだ。

その鎌倉氏の塚がここにあるという。

広場に入っていくと、
奥の方に石段の上に組まれた塚がある。



ここには何も書いたものが
なかったのでこれがそうかなあ
と思って写真を撮ったのですが、
実はその前にある石が
彼の塚だったそうです。



これがそうです。

続く


鈴鹿おろしの中を1

2019年01月23日 21時06分57秒 | ウォーキング

昨年末に三重に仕事に行く
という人の車に便乗し、
津市内や



河芸の方を歩いてきた。



まあ遠くの場所にこうして
都合よく送ってもらえる
というのはありがたいことだ。
まあ職場には黙って
こっそりやけどね。

そしてまた新年になって、
その仕事の続きで
同様に三重に行くけど
どうする?といわれたので、
これはもう全く大歓迎だ。
これに乗らない手はない
というものやね。

さっそく「ありがたいなあ。お願いするよ」
と依頼し、さてでは次回は
どこを歩くかと考えてみた。

実は前回その友達が新年にも
三重にいくよと予告してくれた時に、
次は鈴鹿かなあとか
考えていたことを思い出す。

河芸を歩いているときに
鈴鹿サーキットの爆音を
聞いていたもんなあ。

それでは何かいいコースはないかと、
ちょっとネットで調べてみ見ると、
ああいっぱい出てきましたよ。

そんな中から、鈴鹿の駅から
南向いて歩き、鈴鹿サーキット近辺を
ゴールにするという
コースがあったので、
それを選ぶことにした。

もしかしたらサーキットの爆音も
聞こえてくるだろうし、
うまくいけば遠くから
見学できるかもと思い、
ジムで、昔に鈴鹿サーキットに
よく遊びに行ったという友達が
いるので聞いてみた。

「あのさあ、鈴鹿サーキットの中が
のぞけるところってあるの?」

「いやあ、周りが山の中の盆地
というあそこの地形から見たら
そんなところはないやろなあ」
との答え。

「そしたらさあ、観客席に
安く入ったりする方法ある?」
って聞いたら
「下っ端のレースの練習走行とか
だったらたまに無料開放を
したりするよ」とのこと。

そうかあ、だったらまあ
とりあえず行ってみる他は
なさそうだ。

正月が明けて、
日にちが決まったよと
連絡をくれたので、
その日はどんな状況なのか、
ネットで事前に見てみることに・・・

すると、おおなんだその日は

「場内施設の点検・整備で休業」

じゃないか。残念ですねえ。

今回はあの響き渡る轟音はないのかあ。
でもまあこんな機会を逃すのは
惜しいから、頑張って
いくことにしましょう。

鈴鹿の町をしっかり味わわないとね~。

さて、ではその出発の日を迎えました。
天気は朝はちょっと曇っていましたが、
午後からは回復するだろうとのこと。

ただ、上空に冷たい寒気が
降りてきているので、
山沿いは少し荒れることは
あるかもしれないという状況でした。

では迎えに来てくれた車に乗って
現地へと向かいましょう。

車を降りる所は鈴鹿市役所です。

二時間くらいの旅となるでしょうか。

経路はいつもと同じく、
阪和自動車道から西名阪に乗り、
伊勢自動車道手前の関から
鈴鹿を目指すコースだ。

気温は結構低いが、
車に便乗だから快適である。

今日の仕事は遅くなりそうなので、
帰りに間に合ったら
乗って帰ったらいいよとのこと。

ああ、タイミングが合えばいいねえ。

しかし驚いたのは、
名張を過ぎて山の方に
入ったときだった。

時々フロントに細かい雪
のようなものが当たる。

「ああ、雪かなあ」とか言ってる間に、
見事にふぶきだした。



周りの山もあっという間に
白くなってきたではないかあ。
これが続くんなら帰りは
名神回ろかなあとかいいながら、
何とか山場を抜けたら
あっという間に雪はおさまってきたよ。

まあ山手の一時の物
だったんでしょうねえ。

津へ行くのにわざわざ鈴鹿に
回ってくれて大助かり。
例によって鈴鹿市役所でおろしてもらい、
doironの旅はここから始まったのでした。

庁舎の中をまず歩いてみましょう。
まあ、明るくていい庁舎でしたねえ。

ここは人口が約20万人。
一般会計予算が650億の市です。
市長は50歳手前の女性です。

さあ果たしてどんな市なのか。
これから歩いてみていきましょう。

続く


生駒おろしの中を4

2019年01月22日 21時15分47秒 | ウォーキング

今回のコースもここまで来ると、
最後の目的地である
「桐蔭高校」の確認です。

東高野街道が国道170号と
重なったころから、
右手に大きな建物が見えてきました。
遠目に建物名を眺めてみますと、
どうやら大阪産業大学
と書かれています。

地図と合わせてみますと、
どうやらその高校の周りには
大学の建物がいっぱいあって
ややこしい感じです。
しかも桐蔭学園の建物も
いくつか散らばってあるようですから、
どこに行けばいいのか
わかりにくいですねえ。

とりあえずはその大学の建物あたりを
目指して進んでいきましょう。



こちらは学校側から見たら
駅とは反対側ですし、
微妙に坂道とかあって
道がまっすぐつながっていません。



ああじゃない、こうじゃないと
ウロウロしながら進んでいきますと、
ああ、ここが桐蔭高校の
ひとつの学舎ですねえ。



中学校とかも一緒になっているようです。

あの根尾君もこんな道を
通ったのかなあ。

バス停なんかもいくつかあって、
どの停留所がどんな経路なのか
なんかよくわかりません。

駐車場には何台かの
マイクロバスが止まっていたので、
あの有名な野球選手たちは
そんなんで送ってもらって
いたのかもしれませんね。

そして今日は高校ラグビーの
全国大会の決勝日です。

神奈川の桐蔭との対決ですねえ。
どこかこの辺で
「パブリックビューイング」とか
していないのかなあと思いつつ、
周りから探ってみましたが、
どうもそんな看板とかはありませんね。

まあ、ここまでバスに乗って
テレビを見に来るくらいなら
「花園」に行って応援して
いるんでしょうねえ。

そこから大阪産業大学に沿って
川沿いの道をてくてく歩いていきますと、



また目の前に桐蔭高校の
学舎が見えてきました。



ああ、どんな構造になって
いるんでしょうねえ。
かえって調べてみてもよくわかりません。

ただ野球部のグランドなんかは、
こんな街中ではなく、
もう少し山の方に入った
ところにあるみたいでしたねえ。

ラグビーなんかもそんな別口の
グランドを持っているんでしょうねえ。

その二番目に見つけた学舎の裏には
ハンドボールのグランド
みたいなのがありましたねえ。



まあいずれにしてもラグビー桐蔭対決の
痕跡みたいなものは
見つけることはできませんでした。

残念です。桐蔭が買ったのにねえ。

さあではここから帰りに乗る
JRの住道の駅を目指して
西の方へと歩いていきましょう。



この辺で時刻を見ると
もう一時を回っています。
学校の周りをウロウロ歩き
まわっていたので、意外に
時間が過ぎていました。

この辺でどこかお店に入って
昼食をいただきましょう。

この辺の名物といっても
何も思い浮かびませんね。
こんな病院なんかも眺めながら



歩いていくとすし半があったので
入ることにしました。



入り口のところに、
結構お安い昼の定食の看板に
ひかれてしまいました。

そんなご飯がこれです。



まあ駅まで歩いてももう
一キロほどだろうから、
ビールもいただいておきましょう。

最近は本気ダイエットで
お正月以降家でお酒は
飲んでいないので、外に出た時は
許してあげよかな。

まあまるで本気ではないようですねえ。

四条畷神社、野崎観音、友達の家、
桐蔭学園と訪ねた旅を思い出しながら
しっかりいただきました。

ここからは大きな道沿いに
寝屋川まで歩いていきます。



そして昔の交通の要所である



「角堂濱」のところから
左折して駅を目指していきます。

これが途中の寝屋川から
撮影した駅ですねえ。



そしてこれが住道の駅。
立派な大きな駅でした。



今日歩いたのはこんな感じ。
全部で10キロ強ですねえ。



生駒おろしが吹く中を、
これまでほとんど来たことがない所を
歩いたのでいい経験になったなあと
思いつつ、おしまい。