ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

友を訪ねて3.3里 長尾街道1

2014年03月31日 21時28分32秒 | ウォーキング

昔、マラソンやトライアスロンを
始めた頃の友達というと
だいたい南河内方面に多い。

そんな友達も次々と定年退職をして
第二の人生に突入している人が増えてきて、
定年退職の大先輩でdoironのマラソンの大先輩、
そして文章の師匠でもあるKさんもその一人です。

藤井寺にお住まいのそのKさんと
久しぶりに飲みに行くため
藤井寺まで出かけていくことになりました。

でもただ飲みに行くだけでは芸がないので、
せっかくだから、
堺から長尾街道を歩いて
藤井寺までいくことにしたわけです。

距離にして約13キロ、
歩行時間に余裕をもたせて3時間に設定し、
待ち合わせ時間から逆算して
歩き始めたのは午後3時過ぎからでした。

長尾街道は堺から奈良県葛城市の長尾神社にいたる道で、
最古の官道といわれる竹ノ内街道の
北側に並行してつけられた道です。

西高野街道を歩いた時と同様に
南海電鉄堺駅からスタートしました。



その西高野街道の少し北側を東進していきます。

土居川のさくらもまだ咲いていませんでした。
あと一週間くらいかなていう感じでしたね。



大道筋の花田口のチン電駅がある交差点が
長尾街道の起点です。



目印は南西の角にある
「ザビエル公園」。



街道はここからほぼ一直線に
東に向かいます。



スタートは3時20分でした。
歩き始めて5分もすると、
泉陽高等学校の横に出ます。



強いスイマーがいるんですね。

先日歩いた西高野街道沿いの
開口神社の境内に
この高校の発祥の碑がありましたね。



その先で阪神高速堺線の
高架下をくぐるところが中日橋の交差点です。



ここでももし「中日橋」が旧地名なら、
大小路橋同様に橋柱でも残ってないか
と探したけれどこれは見つけられませんでした。

さらに東進し、南海高野線を
今度は歩道橋で超えていきます。



これが堺東駅の北側。



その歩道橋を越えた所に、
このコースで最初の

「長尾街道」

の石の道しるべが立っています。



堺市内でよく見る「歴史のみち」シリーズの規格品です。

この長尾街道沿いにも
堺を出るまでかなりの本数が立っていました。

歩いた日は日差しも強く、
暖かい、いや暑いくらいの天候でしたので
途中Kさんから日焼けするよ
とメールをいただきましたが、
日除けの帽子と花粉除けのマスクをしていたので、
デリケートなお顔は大丈夫でした。

初めての長尾街道の道しるべのあと
すぐに方違神社に出ます。





ここも熊野街道の歩きや
古墳めぐりの時に通った場所です。

それだけやはり昔は要地にあったということですね。

そこからしばらく堺大和路線の歩道を歩きますと、



前方にツインの高層マンションが見えてきます。

JR堺市駅前の建物です。

道しるべの立っている先の
北三国ヶ丘交差点の分岐を





左にとりそのツインの建物の方に
まっすぐ進んでいきますと、
堺市駅のすぐ南側の踏切に出ます。

そこにはまたまた道しるべがありました。



これがJR堺市駅。



以前の職場に通っている頃は
飲み会があればいつもこの駅から
バスに揺られて通勤しておりましたので
とっても懐かしい駅です。

堺のひとつの玄関口ですから、
駅前にはこんなインフォメーションも設置されていました。



数台の電車が通り過ぎて
ようやく開いた踏切を渡ると
街道は商店街の中を東進していきます。



そして商店街のはずれにも
道しるべが鎮座しておりました。



いつも街道をぶらぶら歩いているdoironですが
今日ばかりは街道歩きも、
「長尾街道」だけではなく、
「長尾Kさん街道」なわけで、
友を訪ねて三千里とはいきませんが、
友を訪ねて3.3里ばかし歩いていきます。

続く


ブラリ、オジチャリ8

2014年03月30日 21時37分09秒 | 最近の出来事

桜も咲き始めたことだし
ここでちょっとウォーキング記事は中断して
昨日の出来事を書きましょう。

桜開花の便りを耳にすると
なんだか気持ちがそわそわしますね。
そんなときに、サロマを目指すジム友が
40キロランをするというので
これは、世間の桜チェックに丁度いいと思い
オジチャリで伴走にお邪魔してきました。
さすがに40キロランは
今の体力では未知の領域。
オジチャリでなら丁度好かろうと
参加したのでした。

昨年から書いている
ブラリ、オジチャリの続きですので
8話目となります

ジムを13時過ぎに出て
大津川を下って紀州街道を行くコースです。
天気も薄曇りの格好のオジチャリ日和でした。

川沿いの桜は咲いているものもあれば
まだつぼみだけの桜もありました。

日本のソメイヨシノはもとはといえば
一本の木で、それを接ぎ木接ぎ木で
増やしていったのだそうです。
ならばDNAも同じだから
同時に咲くのかと思ったら
そうでもないんですねえ。

日当たりや、風の通り道など
環境によって微妙に開花時期が
異なるんですね。

その日全体で開花状況は
2割くらいだったでしょうか。
それでも冬にこの道を
歩いたり走ったりした時に比べて
人々の顔はほころんでいたように思いました。

17キロくらいでりんくうに到着しました。
南の方に来れば、もっと咲いてるだろうと
踏んでいたのですが
残念ながら空振り。
あと2,3日といったところかな。

途中、ほっつき走りをしていたセイゾーくんと遭遇。
5キロばかしを一緒に走りました。
(あ、こちらはオジチャリですが・・・)

結局20km地点まで走り折り返し
40kmをオジチャリで桜観察をして回ったのですが
3月29日の時点では桜まであと一息でした。

そこから家まで往復6キロも走り
結局46キロをリンリンランランと
楽しんだオジチャリの旅でした。


七坂、こんな坂 4

2014年03月29日 21時26分57秒 | ウォーキング

滝と舞台を眺めた後は再び清水坂に戻ります。
ここが登り口。



階段ということもあって車は通れませんが、
横にスロープが併設されています。
自転車、車いすなどはこちらを通ります。
ただし車いすでの下りは後ろ向きでないとアブナイかもね。

途中の石垣にはこんな石が埋め込まれています。



「以他力造立」

他力を以って造立したという意味ですね。
調べてみたら、浄土宗の他力本願を表す言葉だそうです。
この「他力本願」という言葉には、
「他人の力を当てにして自分は何もしない」
といったあまりよくないニュアンスも含まれていますが、
宗教用語で言えばこの場合の「他力」とは
阿弥陀如来の力を指すそうですから
この坂道(あるいは石垣)は
阿弥陀如来のお力を以って造立されたという意味なんですね。
合掌しておきましょう。

清水坂を上から見下ろすとこんな感じ。



ここをチャリンコで下るのは少し勇気がいりそうですね。
登りきったところにあった案内板は
まるで謎解きクイズのような虫食い文書。



これが解読できたらすごい。

清水坂を登りきったら次の天神坂までは
谷町筋まで出ずに、中の道を導き石に導かれて
進んでいくことができます。

立札によりますと、



天神坂は安居天神に通ずる坂道なのでそう呼ばれているようです。

そうそう、七坂の名前は、
口縄坂と最後の逢坂以外は、
坂道周辺のお寺の名前に由来しているのです。

と、その時片手を離して
携帯をいじりながら坂に突入していく一台の自転車が・・・



慣れたもんですねえ。

坂の上から見下ろすとこんな感じ。



途中には、先の玉出の滝同様に
このあたりには水の湧き出ることが多く
それらは天王寺七名水と言われており、
それを再現した施設もありました。



それにしてもこのあたりの人は「七」が好きですな。

その施設の下に天神坂の石碑が建っておりました。



そこからさらに下ると
安居神社の山門に出ます。

ここには「真田幸村陣歿の旧跡」があります。



実は先日司馬遼太郎の
「軍師二人」という本を古本屋で購入しました。
今年NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」を見ている
首Dさんが入院しているので、
退屈だろうから読ませてあげようと思ったのです。
(歴史好きの彼ですが、まだ読んでいない
とのことでホッとしました)

そこに、官兵衛の息子である松寿丸と
幼少の頃に一緒に剣術をたしなんでいた
後藤又兵衛の話が出てくるのです。

話の概略はこうです。

徳川に攻め込まれようとしている豊臣の内部にあって、
又兵衛と真田幸村の二人は軍師として高く評価されていました。
ある時、徳川を迎え撃つにあたって、
その二人が主張した陣立てはそれぞれ異なるものでした。

幸村は大阪で迎え撃つ説、
又兵衛は城を出て河内国府近くの小松山で迎え撃つ説でした。

二人の人気は絶大だったので、
どちらか一方の説を採用するわけにはいかず、
あろうことか軍勢を二つに分けて
城と小松山に陣立てしてしまったのです。

ただでさえ兵の多さで圧倒的に優っている徳川に対し、
軍勢を二つに割ったがために
兵力を分散するという禁忌を犯した豊臣はいくさに負けてしまいます。

いわゆる大坂夏の陣といわれる戦いです。

又兵衛は小松山で戦死し、
(実は死んでなかったという説もあります)
幸村はここ安居天神の
一本松の下で戦死します。
幸村、又兵衛ともに優れた軍師であったがゆえに
二人とも立てる案を採用せざるを得なかったことで
二人は戦死し
豊臣の敗因がそこにあったと
司馬遼太郎は書いています。

この安居天神を訪ねてみたら、
たまたま友達に読ませてあげようと思って
読んだ本の内容に関連する旧跡があったのには驚きました。

歴史の史実が思わぬところでつながったり、
こんな風に現実と関連したりすると
ハッと驚くことがあったりするのでお散歩はやめられません。

そんな安居天神を出て参道を下っていくと、
松屋町筋沿いに鳥居があります。

これがまた変わった鳥居で、
どんな鳥居分類の範疇にもおさまらない
武骨な石の鳥居でした。



さらに南下し、国道25号の交差点に出た所から
天王寺の方に向かって登って行く大きな道路が
天王寺七坂の最後の坂

「逢坂」です。





なぜ逢坂なのかは定かではないそうですが、
「逢坂の関」にちなんでいる
というのがもっともな説だと思います。

これで七坂はすべて踏破しました。
学園坂も入れて八坂もね。

では、このお散歩の最後に、
松屋町筋と25号の交差点に立つ立派な道標を紹介して





七キロ、一時間半の歩行。
折々に訪ねた神社やお寺で
友達の病状回復を祈りつつ歩いた



このシリーズ終わりです。


七坂、こんな坂 3

2014年03月28日 20時55分31秒 | ウォーキング

愛染坂を下り切ったところから、
古い家並みにそって狭い道を行くと
清水坂の下に出ます。
しかし、そこを一旦スルーして
さらに南に向かっていきました。
すると、こんな道標が立っていました。



「たき道」と書かれてあります。

そうです。大坂市内唯一の
自然の滝へと通じる登り坂です。
ここは清水寺への参道になっています。

登って行くと、お墓の分譲が盛んに行われており、
さらに境内に入ってくと
結界がありました。
そこで帽子をとり、結界をくぐりますと・・・

ありました。これがその滝です。

じゃーん




ウソウソ

これです



もともとは自然の滝だったんでしょうが、
いまは整備をされ、
三本の筒から水が流れ落ちています。

「玉出の滝」と言われています。



滝の下には、打たれる修行、つまり滝行ができるように
さらに結界が張られています。

あたり一帯には何となくパワースポットの雰囲気が漂い
神聖な気持ちにさせるところでした。

社務所の中を閉じられた扉のガラス越しに見てみると、
滝に打たれるための草履や装束が置かれているようでした。

それにしても人はなぜ滝に打たれるんでしょうか。

冷たさや痛さに耐えて
精神修養を行う訓練をするため?
それとも、雑念にとらわれず
一心不乱にお祈り、祈願をするため?

様々な理由があるんでしょうねえ。

滝に打たれると自分の汚れが
落ちていくように思えるんですかね。

もし自分が滝行をするとしたら・・・

やはり厳しい環境に身を置いて
自らの精神を鍛えるため
ということになるかもしれませんが、
それならこれまでウルトラマラソンや
トライアスロンで経験してきたことと
あまり差はないような気がします。

海、風、大地から力をもらってきたもんね。

いずれにしても、
じっとしていては悟りを得られないということなんですね。
おかしいかな?

そこは大阪市内の唯一の自然の滝ということなんですが、
では泉O津市内には自然の滝はないのでしょうか。

上町断層も通っていることだしね。
ジダンならきっと地元のユルランをするときにでも
調べてくれるでしょう~。

この清水寺にはもう一つ見所があります。
それが「舞台」です。

ところで、この唯一の滝があったお寺の名前なんですが、
なんて読むかわかりますか?

「きよみず」寺は京都にあるし、
「しみず」と読むのだろうと思いませんでしたか?
実は・・・やはり「きよみず」寺が正解なんです。

で、由来を見ると、京都の清水寺ではなく、
中国の洛陽の清水に模したのだ
と書かれてありました。

ということはあの京都の有名な清水寺とは
兄弟寺なのかもしれません。
本尊も同じ「千手観音」だしね。

その証拠に、このお寺にも
なんとあの「清水の舞台から飛び降りたつもりで」
のあの舞台があるのです。
それがこれ。



そこに立って眺めると、
西に広がる大阪の街を望めます。



新しい舞台なので昔からあったのかどうかは不明です。
もし昔からあったとしたら、
西に広がる湿地・荒地で蠢く庶民の暮らしを
目の当たりにできたでしょうね。

そして夕方には夕焼けが、
夜には夜景がさぞかしきれいでしょうねえ。

梵鐘の横には通天閣も見えます。



日本最高の高さを誇るアベノハルカスも見えます。



これらはまったく大阪を代表する景色といってもいいでしょう。
まさに近代と歴史が融合した場所ですね。

大阪にもこんな清水の舞台があったことに驚きでした。

ちなみのこの舞台から飛び降りると、
あの世に近道できますよ。
だって、下は墓場ですから~。

あと坂は三本。もう少しこのシリーズ続きます。


七坂、こんな坂 2

2014年03月27日 20時55分47秒 | ウォーキング

熊野街道を歩いている時もそうでしたが、
大阪市内の歴史探訪の道には
四角い導き石が埋められています。
ありがたい取組ですね~。



その導き石の先に見えてきたのが大江神社です。



愛染坂を左に見ながら
とりあえず右の神社の鳥居をくぐります。

境内を歩いていると、
なにやら右奥の方が賑やかです。
行ってみると、

な、なんと、こま犬が「虎」でした。

これ。





台石にも「虎」と刻まれています。

虎は毘沙門天を護るとされているそうです。
ここには300年以上前に制作された狛虎があったそうですが、
いまは保存のために収蔵されているそうです。
その狛虎に守られた奥にある毘沙門天の社の前の柵に、
阪神タイガースの応援メガホンなんかが
賑やかにおさめられています。



そうです。狛虎にちなんで、
ここにはタイガースファンが必勝祈願、
優勝祈願に数多く訪れるんだそうです。

熱い思いを書いた紙や札などが張られてありました。







なので巨人ファンは近寄れません。
以前熱狂的な巨人ファンが訪れた時、
一転にわかにかき曇り雷鳴がとどろいた・・・

というのはdoironの創作です。

この大江神社にはもう一つ見所があります。

それは、坂道の下から登る参道の階段が
全部で101段あるということです。
100年を人間の一区切りとして、
そこからさらに一歩
という思いが込められているとか、いないとか。

とりあえず人生をかみしめながら
一段ずつ登ってみました。

50段までは順調でしたが、
そこから先は波乱万丈。

54段では一度死にました。
そして生まれ変わって56段目。



ここがまた人生好転に向かう
記念すべき石段です。

そしてここが現在の58段目。



しっかりと地面に鎮座しておりました。

資料通りに101段で境内に出ると、
本殿の前に生きたト、トラがいました。

なわけはありません。

奇しくもトラ猫がお参りに来ていたのです。



またこのあたりから眺める夕日は素晴らしい
ということで、一帯は「夕陽丘」といわれております。
その銘を刻んだ碑が境内にありました。



境内で虎とたわむれたり、
夕陽の光景を想像したりしながら
しばし時間を過ごした後、
ふたたび鳥居を出て愛染坂の下り口に出ます。



ここもかなりの急坂です。
雨が降ったら水も勢いよく流れるでしょう。

これは上り口にある石碑



その証拠に、次の清水坂のそばには、
平坦な大阪市内で唯一といわれる
自然の滝があるとのことなので、
次はそこを目指します。

また続く。


七坂、こんな坂 1

2014年03月26日 21時15分53秒 | ウォーキング

今朝、雨が降っていましたが、
近所の公園に散歩に行きました。
ていうか、毎朝そこを散歩していますから
散歩は日課のようなものです。
いつもは大勢の歩く人でにぎわっており、
顔見知りもできたのですが、
さすがに雨ともなると
歩いている人の姿はまったくなくさびしい景色でした。
毎朝せっせと歩いている人は
きっとこんな日には家で悶々としているんでしょうねえ。

公園もただ歩くだけではなく、
あちこちキョロキョロしながら歩いています。
「泣く子はいねが~」
ではなく
「ネタは落ちてないか~」
ていう感じです。

そのキョロの対象のひとつが、
この公園に植えられている
山桜の開花宣言をいつ出すか、
ということでした。
ある一本をdoiron開花宣言の標本木と決めて
事情が許す限り毎日チェックをしていたところ、
昨日までつぼみのみだった標本木に
花が咲いていることに気がつきました。
それも一気に14輪。
昨日がとても暖かかったからでしょうねえ。
ブログは出来事を綴る日記でもありますので
とりあえず本日雨の中泉O津に
ヤマザクラの開花宣言を発令したことを書いておきます。

さてそれでは昨日の続き、「七坂、こんな坂」を再開です。

**********

天王寺七坂巡りは、
街道歩きと違ってあまり距離は歩きません。
せいぜい7~8キロぐらいです。
時間的にもさほど要しませんので、
昼前に家を出て外で昼食をとってから歩くことにしました。

七坂は北から順にめぐります。

まず最初は一番北の真言坂。



でもここは以前、生國魂神社を訪ねた時に
上から下から横から、
眺めまくってきましたので省きました。
その時の写真を再掲しておきましょう。
これは坂の上からみたところ。



そしてこれは坂の下から見上げた真言坂です。



七坂では一番短く、
唯一南北に通っている坂です。

今回実際に歩き出したのは、
そこから生國魂神社を隔てて
東西に横たわる「源聖寺坂」からでした。

難波から日本橋を横切って
松屋町筋に出たところにあります。

これ。



石畳が続く、結構長い坂です。
歩いていると・・・おお~こんなモダンなお寺が・・・



違いました。

ラブホの飾りでした。
この景観の真っ只中に、
よくこんなものが作れたものです。

坂の上から見下ろすとこんな感じ。



雪が積もればまるでスキーのジャンプ台のように見えるかもしれません。

坂道をテクテク上ると
そのあたりにはお寺がずらっと並んでいます。

おや?みると本堂の前に何やら奇妙な形をした石が・・・
と気になります。
このあたりのお寺は拝観料をとらないので、
入ってみてみたいところですが、
お寺の数からいっていちいちひっかかっていてはキリがありません。
一日あっても回りきらないでしょうから、
スルーして先を急ぎます。

坂を登りきってしばらく行くと、
車がどんどん走っている谷町筋に出ます。



開業したばかりのアベノハルカスも正面にそびえています。
そのうちリポートしなくてはと思っています。

また、道の向こうにもいろんなお寺が見られますが、
ない後ろ髪をひかれながら
次の坂に向かって歩道を南下します。



今回回るのは「天王寺七坂」と名前がついていますが、
坂道の数はもっとあります。
例えば次の夕陽丘学園の南側の坂は

「学園坂」

と呼ばれています。
この坂を入れて天王寺八坂といわれる場合もありますので、
通ってみました。
これ。



なかなか急な坂で、車も通りますが、
横に自転車も走れる歩道がついてます。
折しも学生が立ち漕ぎで登坂していたのでパチリ。



漕げよ!若者。

そしてそのまま再び松屋町筋に出ていきます。

次は七坂の中で最も風情があると言われている

口縄坂です。

ここは以前訪れた坂ですが、
下から登るのは初めてです。
これが登り口。



ここも途中でこんな石碑の経っているところもあったのですが、



長居はせず坂道歩きに専念しました。
それにしても海中出現地蔵尊は気になりますね~

また途中にはこんな夕陽丘高等女学校趾の碑もありました。



チラ見で通り過ぎます。

そうして登りきったところに
坂の案内板や



織田作之助の碑などがあります。



歩いたのがちょうど彼岸だったので、
この界隈には墓参りなどで訪れている人も多く、
とりわけ有名なこの坂のところには
一段と多くの人が訪れていたようです。

再び谷町筋に出て、選挙の掲示板を見ながら、
その日が大阪市長選挙の投票日だったことを思い出しました。
さすがに今回は大阪市民の目も冷めていましたね。

谷町筋を歩いているとやがて「愛染さん」の立て看板が目に入りました。



ここを曲がると愛染坂なのですが、
その坂の横に、今回の見どころのひとつ

「大江神社」の鳥居が見えてきました。



ここがタイガースファン必詣の神社なんです。

その理由は?・・・次回に続きます。


七坂、こんな坂 序

2014年03月25日 21時45分01秒 | ウォーキング

大阪市内を南北に走る「上町台地」。
大阪市の大半ははるか昔、
今の大阪湾よりずっと奥深くまで海が入り組んだ
河内湾という海の底にありました。

上町台地はその海に突き出た
半島だったといわれています。

それが寒冷化などで海が退行し、
陸地となって今の大阪になっていったそうです。

なので、上町台地の西側は、
最後まで海に覆われていたため
湿地や荒地が多く残っていました。

先日上町台地を歩きに行こうと、
鉄道の路線図を見ている時に
ふと気がついたのですが、
その地形の名残が
JR環状線の西半分の駅名と
東半分の駅名によく現れています。

例えば、天王寺から外回りで梅田に向かうと、
途中の駅名が「芦原橋」、「弁天町」など
水を感じさせる名前になっています。
調べたら「西九条」も
荒れ地の九条島が治水工事で分断されて
その西側部分ということでつけられた名前であるし、
「福島」も元は淀川の土砂が堆積してできた
島だったことに由来しているそうです。

ちなみに大阪ミナミの玄関口
「難波」も水に関する名前ですね。

一方、天王寺から内回りで梅田に向かうと、
上町台地の東側には「桃谷」、「森ノ宮」、「桜ノ宮」
など緑を感じさせる名前が見られます。

そのあたりを南北に貫く道路も
「谷町筋」といった名前になっています。
これらはとりもなおさず
上町台地の西と東で地勢が大きく異なっていると
言うことに気がつきました。

その中心に南北に横たわる上町台地上には、
非常に多くの寺社仏閣が集まっています。

一説によると、その密度は日本一だろうということです。

上町台地には
大阪城の南西の警護の役割を持たせた
とか言われていますが、
低地に住む庶民も東にそびえる台地の上を
日々信仰心と憧れを持って見上げていたことでしょう。

で、台地があるということは、
坂道もあります。

数々のお寺や神社を縫うようにつけられた坂の中で、
特に風情のある坂には名前が付けられ、
最近は「天王寺七坂巡り」と称して、
散歩マニアには絶好のコースとなっています。

以前、熊野街道歩きで四天王寺を通過するときに
「口縄坂」に立ち寄ったことがあります。
あの「夫婦善哉」で有名な織田作の
小説にも出てくる坂です。

その熊野街道も
天満から南下してきて
榎大明神のところでカクンと東に折れ曲がって
上町台地の上を通っているのは、
荒れ地を避けたコース設定だったんだろう
と書いたことありました。

先日生國魂神社に行ったときにも、
真言坂、源聖寺坂に立ち寄りましたが、
まだ歩いていない坂を歩いてみようと
先日出かけていきました。

歩きに行くときにはまず地図をコピーし、
そこにコースを書き込みます。
そしてそのコース上の見所を順番に
一覧表にしておき、
ひとつずつつぶしていくという歩き方をしています。

そういう予習は街道歩きの時には
大変役に立ちますし、
山歩きの時もビュースポットを見逃さないためにも有効なんです。

すると、あらかじめの学習通りに、
電柱の陰に道標がポツンと立っていたり、
地蔵の顔がうわさ通りだったりして、
歩きが一層楽しくなるし、
そういう目で見ていると
思わぬ発見があったりもするのなんです。

今回使用した地図は、
てんのうじ観光ボランティアガイド協議会が作った
スタンプラリーの地図を元に資料を作成しました。





あとはネットに出ている情報を
それに盛り込んでいきます。

七坂を歩いたのは、しらけた大阪市長選の投票日。
花粉が飛び交い、
インフルエンザ菌がはびこる中を、
マスクをして歩いてみました。
しかしなんですね、マスクをして歩くと
息でマスクが膨らんだり萎んだりと面白いもんですね。

今回の見どころも
なんだ坂こんな坂と上ったり下ったりした七坂をはじめ
他にもいろいろあります。
大阪市内で唯一の自然の滝、
タイガースファンが詣でる神社、
大阪にもあった清水の舞台、
優れた軍師であったばっかりに、
自らの策で終焉を迎えた真田幸村の話等々。

それらを盛り込んだ「七坂、こんな坂」シリーズ、
明日から始まり始まりです。


ボツ記事 消費税増税編 2

2014年03月24日 22時05分33秒 | 仕事

昨日に続き、ボツ記事のリサイクルです。

では、消費税が上がる前にその対策はどうすればいいのか、
その辺のところも記事にしました。
今さらという部分もありますが、
これは2月に書いた記事であることを念頭にお読みください。
まだ間に合う対策も書いてます。

********** 

◆消費税増税対策のために知っておきたいこと

1.    増税前の住宅購入は得か損か

人生の中でも大きな買い物といえばやはり住宅です。
マイホームの購入などを検討している方は、
消費税が上がる前に買った方が得じゃないか
とお考えではないでしょうか。
でもちょっと待ってください。
増税後に住居を買い
(土地には消費税がかからず住宅だけにかかる)
ローンを組んだ場合、
一般住宅ローン控除の限度額が
200万円から400万円に拡大される
ということを考慮に入れておく必要があります。
また、増税後の「住まい給付金」の制度導入も予定されています。
さらには、前回消費税が3%から5%になった1997年には、
増税後マンションなどの値段が
大きく下がったという事実もあります。
これらを総合的に勘案して、
住宅の購入時期を決める必要があるでしょう。
シミュレーションが難しいという人は、
信頼できる不動産業者さんや
ファイナンシャルプランナーに
相談してみるのもいいでしょう。

やはり、住まいは一生モノの買い物です。
増税に惑わされたりせず、
自分の納得のいく物件を焦らずに
じっくり探すことの方が大切かもしれません。

2.身近な増税対策は?

●通勤定期券などの旅客券は、3月中に買うのがお得です。

 消費税増税にあわせて旅客運賃も
値上がりが予定されています。
JRでは初乗り120円は据え置きですが、
近距離の場合10円程度の値上がりが見込まれます。
そこで、通勤定期などは3月中に買えば、
4月に使用する定期でも旧料金で買うことができます。
6カ月定期などの場合はかなりお得になりますので、
定期購入の前にじっくり検討してみてください。

●郵便料金は、はがきが50円→52円、
手紙が80円→82円と値上げとなります。

その対策としてこれまで買いためた切手や
はがきを有効に活用するため、
書き損じの年賀状などは新しいはがき・切手や2円切手に
交換しておくというのもいいかもしれません
(手数料は必要です)。

●テレビなどの電化製品は、
増税後も技術の進歩によって
価格が下がる可能性が大いにあります。
また増税後の買い控えにより
安売りも予想されます。

液晶テレビも発売当初に比べれば
ずいぶん安くなりました。
なので今、どうしても必要なものは
3月中に買い、
そうでないものは価格の値下げや
技術の進歩をじっくり見極めて買うことをおススメします。

●自動車の場合、
一般的に新車は「登録日」、
中古車は販売会社によって
「登録日または納車日」が
消費税の適用日となります。

3月になると購入者が増えることも予想されます。
3月中に発注はしても
登録が4月になるということも十分あり得ますので、
自動車の購入を検討されている方は、
早めに販売店などで相談されることが大切です。

◆消費税はこれからどうなるの?

消費税は4月に8%に上がりますが、
さらに2015年には10%に上がることが予想されています。
消費税が二けたになることによって、
品目によっては軽減税率が設定されることになるでしょうが、
やはり私たちのお財布をさらに直撃することに変わりはありません。
また、高齢者の医療費負担が
どんどん増えるなどによって、
間接的に私たちの負担も増えていくことは十分予想されます。

一時的な社会の閉塞感で景気が沈滞すれば
所得にもはねかえりかねません。
増税した消費税を有効に使ってもらうためにも、
情報には常に敏感であると同時に、
政治にも関心を持ち続けておきたいところです。
ぜひ身近な情報源として、このOOを活用してくださいね。

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とまあそんな具合に作った記事なのですが、
採用にならなかったのでブログに掲載しておくことにしました。
何かの参考になれば幸いです。


ボツ記事 消費税増税編 1

2014年03月23日 21時17分44秒 | 仕事

依頼を受けて取材をし、
記事を作成して提供するという仕事は、
ミニコミ誌の記者としての仕事ですが、
フリーライターの仕事としては
他にも自分で調べ、
必要とあれば取材もして記事を作成し、
売り込むということもしている。

最近では悪質商法の記事なんかも作成し、
採用していただいたこともあり、
これからはこういう仕事にも
少しずつ取り組んでいこうと思っている。

で、2月にこの春からの消費税増税に関して
記事を作成し売り込んだのですが、
残念ながら不採用になったようです。

タイムリーだと思い、JRなど各方面に
取材もしたのに残念でした。

そこそこ時期的に良い記事だと思ったのになあ。

そこで、このようにしてせっかく作った記事を、
まったくボツにしてしまうのももったいないから、
これからはそんな日の目をみなかった記事は
リサイクルをして「ボツ記事シリーズ」として
ブログで紹介することにしましょう。

消費税増税に関し、こんな記事を書きました。

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消費税が増税されます。

今年の4月から消費税がこれまでの5%から8%に増税されます。
これにより私たちのお財布にはどんな影響があるのでしょうか。
いろんな方面から検討してみましょう。

◆なぜいま増税なのか

政府は2014年度の一般会計予算を
過去最高の95兆8823億円とする
過去最大の予算案を決めました。
(20日に成立しました)

これにより、医療費などの社会保障関係予算は
30.5兆円とされ、初めて30兆円を超えました。
私たちの医療などを充実させるため、
予算がどんどん上がるのは
景気のいい話のように思われますが、
国家財政の支出の半分が借金からということを考えれば、
少しも喜ばしい話ではありません。
特に社会保障費の増加傾向は、
高齢化などにより今後もますます
右肩上がりになることが予想され、
借金財政は破綻に向かっていると言っても過言ではないでしょう。
そこでこれらを少しでも打開しようと、
注目されたのが消費税です。

消費税は所得税や法人税の増税と違って、
働く世代以外からも徴収し、
国民の負担感が公平であることや、
景気にあまり左右されず
安定した財源となることなどから導入されたものですが、
一方で低所得者層などには
厳しい増税ということもできるでしょう。

◆今回の増税で負担はどれくらい増えるの?

夫婦と子供一人の家庭で、
収入が500万円の場合、
消費税の対象となる支出が
半分の250万円と仮定すると、
年間で7万5千円の負担増になります。

これはとっても大きなことです。

しかもこれらは単に消費に関する負担増だけで、
実際には厚生年金保険料の増額や
子ども手当の縮減、
住民税の年少扶養控除廃止などで、
負担はさらに大きくなることが見込まれます。

そのためにも、様々な生活情報に
さらにしっかりと耳を傾け、
増税に負けないかしこい消費者になる必要があります。

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以上は前置きの部分です。
このあと消費税増税対策のために
知っておきたいことも書きました。

それは次回に続きます。


春の恵み ノビル編2

2014年03月22日 21時00分08秒 | 自然

採りたてのノビルは非常に香りが強いので、
九条ネギのように細かく刻んで、
薬味としての使いみちがある。
これはこの植物の
最もお手軽ないただき方だ。
このようにおでんに少しかけても、



これだけでおでんの濃い味にもまけない
十分な存在感を示してくれる。

一日おいたノビルでも、
冷奴にかけると



野趣に富んだ味を楽しませてくれた。

この際だ、ただの食材なので
ふんだんに他にもいろんな料理に活用してみた。

あさりの酒蒸しは、



酒と貝の味に少々押され気味かな。

ラーメンにも入れてみた。



名付けてノビルラーメン。

入っているといないとで
味がガラッと変わる。
それは蕎麦なんかだと
もっと顕著にわかる。

それにしてもラーメンや蕎麦に
ノビル(伸びる)とは人聞きが悪い。

と、ここで思いついた。
ノビルをチヂミに入れたら面白いのではないか。
ノビル(伸びる)なのかチヂミ(縮み)なのか、
はっきりせいという料理やねん
といってたら、doironさんらしいなあ
と友達に言われてしまったよ。

チヂミにはニラがよく入っている
その代わりにノビルを入れてみることにした。

早速料理当番の日に試してみた。

先ずはチヂミ粉の作成からだ。
市販のチヂミ粉を買ってもいいが、
極力家にあるもので作ってみるべく、
チヂミ粉の調整から始めた。

ネットで検索してみると、
薄力粉10に対して片栗粉を3の割合で
混ぜるのがいいらしい。

そうしてレシピに沿って、
基本のベースを作り、
それにここからはオリジナルとなる
刻んだチヂミを混ぜて焼き始めた。



あとはマヨネーズであえた豚肉も



後ほど載せて完成したのがこれ。



これにごま油をきかせたタレ



をかけていただいた。

ふむふむ、思ったほどチヂミの香りはないが、
食べているうちにじんわりノビルが現れてくる
って感じかな。

ノビルがあまりに細いので、
食べにくくてもいけないと思い
細かく刻んだが、
今度はニラと同じくらいの長さに切って
もっとふんだんに入れて
焼いてみるのもいいかもしれない。

ほかの料理にノビルを使いすぎました。

ほとぼりが冷めた頃にもう一度、
近所のあぜ道に摘みにいってみようかね。

結局この日は並行して、
ニラ入りのスタンダードチヂミも作成した。





色付けにエビも入れてね。

やはりこちらは伝統的な味やね。

桜の便りがボチボチ聞こえ始め
食卓にもそんな春の恵みがやってきた今日この頃だ。