ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

石切の指切り 前編

2014年01月31日 20時55分11秒 | ウォーキング

「お百度詣り」とはどういうものだろう?

疑問が芽生えたのでさっそく調べてみた。

疑問→調査

これはライター&ブロガーの鉄則ね。

以前、ジダンに宿題をもらい、
T岡町の神社について調べた直後に、
編集でT岡町の神社のことが話題になったことがある。
自分の脚で歩いて、
地元の人の話も聞き、
町史まで調べていたので、
知らないはずはない。
うんちくをかまして
驚かれたといったこともあった。

ライターとしては知識が豊富な方が
もちろん歓迎も信頼もされるから、
疑問を抱いたら即調べてみるというのは、
大切なことなのであ~る。

で、お百度参りなのだが、
神社にお参りするときに、
その願いが切実な場合
何度も何度もお詣りをすることになる。
願いの切実さは
お詣りの回数に比例するもんだという
民間信仰もあるからね。

そんなお百度参りは
鎌倉時代初期にもすでにあったことが伺えるそうだ。
百日かけて満願、とはいえ
百日もかけてられない
切迫した祈願の場合を救済するために、
一日で百回参拝すればいいという信仰が広まり、
それを助けるために「お百度石」を置き、
本殿とその石を百回往復することになったというのが、
今で言う「お百度を踏む」ってやつだ。

なぜ、急に「お百度」なのかというと、
先日ある願をかけて
お百度参りに行ってきたのだ。

行ったのは石切剱箭(つるぎや)神社、
通称「石切さん」といわれる
東大阪の神社である。



ここは昔から「でんぼの神さん」といわれ、
できもの、腫れ物に悩む人々の信仰を集めている。

石も切る剱と箭(や)ということで、
強い御利益があると信じられてついた名前である。

別に、こんな石があるわけではない。



実は、この神社は大阪市内で育ったミセスと同じ沿線にある。

なので、小さな頃によく連れて行ってもらった思い出が
いっぱいあるのだそうだ。

以前から「私を石切さんに連れてって」
とせがまれており、よっしゃわかったと約束をしていた。

石切の指切りね。

そのこともあってこのたび
約半世紀ぶりに訪ねていくことになったのだった。

親父がデイに出かけた合間に、
車に乗って、近畿道、阪神高速をビューンと乗り継ぎ、
わずか30分で到着。

こんなすぐにこれるなら
もう少し早く連れてきてあげたらよかったな。

前日に、このあたりをよくほっつき走るジダンと
春のコラボ企画打ち合わせをした際に、
石切周辺事情や見所を
いろいろ伝授してもらっていたけど、
結局はナビ任せで行くことになり、
高速道を阪神高速の水走(みずはい)で降りて、
一般道を東進しているときに見つけた
新石切駅前のパーキングに車を止めて



そこから歩いていくことにした。

駐車場には「石切神社まで歩いて6分」の表示がある。

なーんや、6分しかかからんのか、
と不満そうなdoironに
「どんなけ歩くのんが好きやねん」て、
ミセスはあきれていた。

駐車場を出て歩いていくと、
道の先に生駒山が間近に見える。



「あの山のてっぺんやったらええのにな」
て言ってももう相手もしてくれない。

実は、お百度詣りは今まで一度もしたことがない。

同じところをグルグル回るのは、
これまでダブルフルマラソンの大会で、
公園内を34周したのが最高でしょうか。

道を歩きながら「こんな都会だったかなあ?」
と怪訝そうに言うミセス、
「行けば思い出すよ」と励ましつつ
看板に沿って歩いていくと、
その先に横断幕が見えてきた。



どうやらこのあたりから参道が始まるようだ。

後編に続く


大阪城の次は姫路城へ 3

2014年01月30日 20時54分06秒 | ウォーキング

天正8年(1580年)に、
羽柴秀吉は黒田官兵衛の城に入り、
翌年3重構造の姫路城を築きました。

その時に、官兵衛が進言して作らせた痕跡が
今もいくつか残っています。

西の丸を出て、「はの門」をくぐり
乾曲輪という場所に出ると、



赤い四角で囲ったところに
キリシタンであった官兵衛が作らせた
十字紋の瓦が見られます。



また「ろの門」から「ぬの門」を経て
入っていった二の丸は、
官兵衛が進言して作らせた
といわれる「野面積み」といわれる石垣の上にあります。



その二の丸には、
「官兵衛の歴史館」という名で
特別展示が行われていましたので入ってみました。
見目麗しき女性二人が出迎えてくれます。



そこには官兵衛の歴史が書かれてありました。

本能寺の変のあと、
秀吉が備中高松城から取って返して、
姫路城を通り、山崎の合戦へと向かったのは、
「中国大返し」というんですねえ。

どこかで聞いた昨年の流行語のルーツ?



なわけないか。

また、先週までの大河ドラマの中で出てきた
シーンのいくつかがこれからの布石になっている
ということを知りました。

例えば、官兵衛が堺に鉄砲を買い付けに行くときに
強盗に襲われるシーンがありました。
その時に官兵衛を助けた人物が、
後に運命的な再会をする人だったことや、
官兵衛の祖父が
最愛のおたつを失って嘆いている官兵衛にかけた言葉が、
のちに大きな意味を持つことなどを知りました。

そのシーンの出てくるのが今から楽しみです。

こうしてあらかじめ知っておくと、
ドラマの観方も深くなってくるから、
来てよかったなあと思った次第です。

歴史館には官兵衛と
その長男の兜も展示されていました。
いやあ、大きなお椀を伏せたような
官兵衛の兜はとってもユニークですね。



何となくおにぎり公式飲料のユルキャラ
「午後のこーちゃん」を連想してしまいました。



お椀はさかさまやけど・・・

ドラマの中にその兜が出てきたら
思わずおにぎりを食べたくなりそう、
じゃなくて、思わず拍手をしてしまいそうです。

姫路にあるトライアスロンチームの
バイクヘルメットはこれからはこれですね。

この特別展示は来年の1月まで公開されているそうです。

二の丸庭園には、お菊井戸もあります。



皿屋敷という名前で語られる怪談話は
江戸で語られるときは「番町皿屋敷」となり、
この姫路で語られるときは「播州皿屋敷」という名になります。
かの有名な怪談話の舞台がどこなのか、
まだはっきりしないんだと初めて知りました。

お菊が投げ込まれたといわれるお菊井戸は、
意外に深く、底の方にお金が投げ込まれているのが見えました。

それにしても城の大切な兵糧のひとつである
井戸に投げ込むなど、ちょっと信じられない話ですね。

再び、ぬの門をくぐって戻っていきますと、
傾斜が扇の勾配になっている石垣もありました。

現在改修中で立ち入ることのできない部分が多い姫路城ですが、
他にも見所はたくさんあります。

呪術的な意味を込めて石垣に組み込まれている人面石や、
宝篋印塔や石棺、石臼まで転用している石垣もあるそうです。

はの門のところでは、石燈籠の台石を
転用してあるのを見つけました。



ガイドをつけて(2000円)巡れば
これらを見逃すこともないのでしょうが、
我流で散策して全部を見つけるのは至難の業でしょうね。

時間の関係もあって、
とりあえず官兵衛参りの城巡りと割り切って、
城を後にしたdoironなのでした。

このあと、大河ドラマ館に向かいます。



大河ドラマ館は基本的に撮影禁止なので
残念ながら写真はありません。
でも、展示物はドラマに沿った趣向で並べられており
かなり、今後のドラマ鑑賞の手引きになりました。

なかなかためになった小旅行。
ちょっと気の早い話ですが
来年のドラマは、井上真央主演で
江戸幕末の長州藩士 吉田松陰の妹 杉 文を取り上げた
「花燃ゆ」だそうだ。
そういえば、萩往還のレースの時に
吉田松陰神社の近くを走ったっけなあ。
来年は山口にいきますかね。

このシリーズ、終わり。


大阪城の次は姫路城へ 2

2014年01月29日 20時57分52秒 | ウォーキング

姫路の名物といえば何が思い浮かびますか。

「しほみ饅頭」?
いいえ、それは赤穂です。

では、「明石焼き」?
いえいえ、名前からして違いまんがな。

では・・・、出てきませんよねえ。

と、そんなわけで
食べ物で姫路を盛り上げようと、
最近考えられたひとつが

「姫路おでん」

昔からこの地で食べられていて、
特に名前のなかった
生姜醤油で味付けされたおでんを
姫路おでんと名付けて、
各所で販売をしているそうです。

姫路城の前にあったお土産の販売店
などの間に食堂があります。
そこにも「名物姫路おでん」の文字がありました。

福祉・・何とかいう名前が付けられたそのお店では、
障がい者の人が働いているようでした。

障害者就労継続支援事業所なんでしょうか。

a型かなb型かな?

とにかく、まあ、頑張っておられるようなので、
応援の意味も込めて入ることにしました。

頼んだのはもちろん

「姫路おでん定食」

出てきたのがこれ。



ビールにも合うだろうと頼んだのですが、
おでんを見て思わずカラシを探してしまいました。
違います、ちがいます。
姫路は生姜醤油なのです。

二階にある食堂からは、
これから攻め入る姫路城が目の前に見えます。



それを眺めながら、お腹いっぱい食べちゃいました。

ここで昼寝がしたいほどですが、
こらえて店を出ました。

店の裏にはこんな展示館もありました。

「黒田官兵衛大河ドラマ館」。



ここに来るまでの間でも、案の定、
姫路は官兵衛一色に染まっておりました。





その名も「ひめじ官兵衛」と銘打った
観光キャンペーンの真っ最中だったのです。

そのドラマ館には、後で行くべく、
まずは姫路城へと入っていきます。

入り口の「さくら門橋」を渡っていきます。



おや?こんな立て看板があります。



来週開催なんですねえ。

それにしても惜しい!

ここまで街をあげて、
官兵衛で盛り上げているんだから、
駅伝も「官兵衛駅伝」とかにしてほしかったなあ。

襷の代わりに采配を持って走ったりしてね。



「おのおの方、駅伝はいくさでござる」
なんちゃっていいながら、
スタートの合図は陣羽織を着た官兵衛の
ほら貝ひと吹き
というのもいいのにねえ。

大手門をくぐって中に入ると、
でっかい石碑があります。



おお~そうだ。
姫路城は国宝なだけでなく、
ユネスコの世界文化遺産でもあったんですねえ。

おお~、城の中も官兵衛、官兵衛です。



昔、昭和の大修理の際に、
この城を支えている大柱の木材を探す
という番組があったのを記憶しています。

たしかその時は、
恵那のヒノキを持ってきたと言っていたと思う。

その修理の際に、交換した旧い柱が
広場の横にひっそりと展示されていました。



大きすぎて、写真に納まらん。

入城口で、先ほどの大河ドラマ館とセットになっているチケットを購入。
700円でした。
JAF会員証、イコカ、ワオンカードなどがあれば
630円となりますのでいかれる方は持参してください。

まず最初にくぐるのが「菱の門」。



冠木に名前の由来となっている
「花菱」が飾られているとのこと。
写真を撮ったのですが、
暗くてはっきり写せませんでした。



残念。
写真は写したその場でしっかり確認しておきましょう。

本丸が工事中なので、
西の丸の方へと進みます。
春になったら。ここは桜がきれいんでしょうねえ。

こんな古木も植わってました。



ワの櫓のところにある入り口で
靴を脱いで、中に入っていきます。

姫路城は、門や櫓がたくさんあって、
それぞれに「いの門」、「ろの門」、「はの門」と、
いろはにで区別され、
櫓には「チの櫓」「リの櫓」とチリヌルの
カタカナの名前がついてます。

渡り廊下となっているこんな真っ直ぐな通路は
「渡櫓」といわれ、
「ヨの渡櫓」など
これもカタカナの名前が付けられています。

これが「レノ渡櫓」。



通称百間廊下を渡っていく間に



「千姫」のことを学べる仕組みになっています。
その廊下の奥に千姫がおられました。



さてここを出ると、
いよいよ官兵衛ゆかりの痕跡がいくつか見られます。

また続く。


大阪城の次は姫路城へ 1

2014年01月28日 21時23分12秒 | ウォーキング

NHKの大河ドラマはあまり見ない。
何せ日曜日の20時といえば、
たいがいマラソン大会の後の
打ち上げとかとかぶっており、
見逃すことが多いからだ。

これまでで一年を通して見たと記憶しているのは、
11作目の「国盗り物語」と
16作目の「黄金の日々」ぐらいだろうか。

いずれも、まだマラソンはしていない昔、昔のことだ。

この大河ドラマは、今年で53作目を迎え、
現在は「軍師官兵衛」が放映されている。

最近は、DVDのみならず、
HDDの機器も発達しており、
気軽に録画をして
後で見れるという気安さも手伝って、
今年は1回目からちゃんと見ている。

またそれに後で見る場合、
時間がもったいないというときでも
早送りで見ることができるというのも、
大きなメリットである。

NHKだから気にすることはないが、
民放の録画ではCMもスキップできるのが便利だ。
ミセスの韓ドラも、
合間に挟まっている強烈なCM、
例えば「この人は何歳に見えますか・・・」
とか「もう三日も出ていない・・・」
などといううんざりするような
通販まがいのCMもスキップしてみているようだ。

まあ、そんなわけで、
今年は話題の岡田クンも主演をしていることだし、
頑張ってみてみようと決心したわけだ。

でも見るからにはしっかりと楽しみたいので、
ドラマの歴史的背景についても
おさらいしておこうと思い、
官兵衛ゆかりの地である
姫路に行ってみることにした。

大阪城の次は姫路城へ登城することにしたのである。

抜けるような青空の下、
昨日電車でとことこと出かけて行った。
大阪駅に着くと、
舞子の辺りで人身事故があったので、
新快速の運行が中止になっている
とのアナウンスが流れていた。

え~、どうしてこんな日に限ってそうなるの?
と憤りつつ、
快速は運行されているようなので、
しかたなくそれで行くことにした。
所要時間は30分ほど違うんだよね。

大阪駅でクリームパンを購入し、
ちょっとした旅気分で電車に揺られていきました。
これがクリームパン。



中身はクリームがたっぷりです。



カロリーがメチャ高そうですが
歩き回るから許してあげましょう。

座れたのは三宮を過ぎてからでした。

右に六甲連山、
左に明石海峡大橋を眺めながら、



ごとごとと揺られていると、
もう朝っぱらからビールが飲みたくなりましたが、
さすがに快速電車に車内販売はありません。
パンとお茶で我慢しときました。



途中、明石市立天文科学館の横も通ります。
ここが東経135度です。



それにしても姫路は遠いですねえ。
姫路駅に到着したのはもうお昼前でした。
快速で1時間40分ほどかかりました。

駅前に降り立つと、
一キロほど続く大手前通りの突き当たりに
姫路城がデーンとそびえているはずが・・・、
只今保存修理の工事中です。



平成23年4月から始まった工事がまだ続いています。
平成27年の3月頃まで続くそうです。
天守閣全体に大きな囲いが施され、
そこに姫路城の大きな絵が描かれています。

城へ続く大手前通りは
まっすぐ一直線に続いています。
昔なら、敵にまっすぐ攻めてこられる地形ですね。
昔は絶対そんなことをしなかったんでしょうが
今は、逆に城を意識した都市計画に沿って、
こんな配置になっています。

通りのあちこちで、
オブジェがいくつか配置されていました。



この像のタイトルは「帽子を被ったら歩いてみよう」でした。
帽子だけでなく、
パンツもはいた方が良いと思います。



これは「切り株と少女」。
背後のママチャリでここまで来たんですね。
うん、きっとそうだ。

などと突っ込みながら、他にも









などを眺めつつテクテクと城を目指します。

ジャーン、そしてこれが姫路城(工事中)です。



通行人に、指の位置と城の位置関係まで指示して
撮っていただきやした。
変なおっさんやあ~。

もう少し近づいて、パチリ。



そうです、姫路城はわれらが国宝だったんだと思い出しました。

そしていよいよ登城ですが、その前に、
まずは腹ごしらえです。

武士は喰わねど高楊枝ではなく、
腹が減っては戦ができません。

城の周りの店が立ち並ぶところに立っていた
姫路名物!の幟旗にひかれて
お店に入ったdoironなのでした。

続く。


大阪城へ連チャン2

2014年01月27日 21時50分31秒 | マラソン

今日はマラソンの話。

今から26年前、
doironがマラソンを走り始めた頃の大きな大会といえば
大阪国際女子マラソンのサブイベントで行われていた
ダイエー10000人マラソンがあった。

これの参加料は、
たしか500円か1000円で
ダイエーのシンボルカラーである
オレンジ色のトレーナーをもらえるというので、
とても人気が高く、
今の市民ランナーのマラソンブームの
礎を築いた大会のひとつだったといえるだろう。

どこの大会にいっても、
大勢のランナーがオレンジ色の
そのトレーナーを着ていた時代があった。

そんな時代、
大阪国際女子マラソンの出場選手と
そのサブイベントの出場選手との間には、
とても大きな隔たりがあった。

一般ランナーにとって国際は、
「出る」大会ではなく、
「見る」大会でしかなかったのだ。

ところが、女性の市民ランナーも順調に増え始め、
レベルもどんどん上がってきて、
今や国際も「見る」大会から、
がんばって「出る」大会にとなってきた感がある。

今年の大会も一般参加選手のエントリー
は500人を超えており、
実際その中には、
I原さんやO野さんなど、
10人以上の知り合いが名を連ねていた。

昨日は、大阪城公園の周辺で、
その国際マラソンや
サブイベントのハーフマラソンの
知り合いランナーたちを応援させていただいた。

元気に走られている姿はとても美しい。
応援も大変盛り上がりました。

走りたくても思いっきり走れない身としましては、
皆さんの美しいお姿は
ちょっぴりうらやましくもあると同時に、
自分もこうして走って生きてきたんだ、
それでよかったんだ
と思わせてくれるのに十分のお姿でした。

連日の大阪城公園。

初日は稀代の歌姫の天才的なお姿を拝し、
二日目は、ハーフも含めて、
人知れず努力して走り続けている
努力家の皆さんのお姿に励まされ、
とっても心躍らせた週末となりました。

いやホンマ、連チャンで
ええもんみせてもらいました。


大阪城へ連チャン

2014年01月26日 21時37分46秒 | 音楽

え~、昨日のコンサートの様子を少し。

JR環状線の大阪城公園駅を降りると
もう城ホールが見えています。
さすがに人が集まることを見こしてでしょう。
イカ焼きなどの出店が並ぶ中を歩いていきますと
ホール前の広場に出ます。
そこには、何人かのダフ屋もいます。
「券、余ってない?」と呼びかける声は
決して遠くに届かず
それでいて、聞き取りやすい声でした。
まるで、6尺より向こうには届かないという
天切松の闇語りの声のようでしたな。

会場は6時で、開園は7時。
doiron御一行も6時過ぎに到着した。
訪れている大勢の観客を見ていると
だいたい、女性が全体の7割といった
ところだったでしょうか。

doironくらいの年齢の男性も
結構いたので少しホッとしました。



観客席は
出演者とほぼ同じ目線の高さの
アリーナ席と
その周りをぐるっと取り囲み、
上から遠くに見下ろす感じの
観覧席に分かれていました。
残念ながら、会場内は一切撮影禁止なので
映像はありません。想像してください。

doironはもちろんリーズナブルな
二階の観覧席で、しかも最後列から
数えて3番目という遠さ。
まあ、臨場感を味わえればいいさ。ぐすん

観客には入り口で全員に
青く光るLEDのブレスレットが配られます。
それを腕につけて鑑賞してください。と
しきりにアナウンスしてました。
そんなに無理強いしなくてもと思ったのですが
会場の電気が消えたら理由がよくわかりました。
観客席が、青い星の海になってたのです。
コンサートのタイトル、

「星空のライブ」

を作り出す演出だったんですね。

その青い光が音楽に合わせて
あるいは拍手にあわせて
一斉に揺れ動く様は
それはそれは壮観でした。
特に、ほとんどがファンクラブの人で
占められているアリーナ席の
星の揺らめきは、一糸乱れず圧巻でした。
いくらお金を出しても
あの席に座るのには
まだまだファン度が足りないなと
それを見て実感した次第です。

以前に行ったときは
アップテンポな曲が多く、
ほとんど立ち見状態の
五十肩に堪えるライブでした。
なので今回も、六十肩の身体で心配していたのですが
幸いじっくり聞かせる曲が多く
概ね静かに鑑賞できたのがよかったです。

それにしても、MISIAは小さな体で
よくあんなに声が出るもんですねえ。
スピーカーで増幅して流しているというものの
声の張り具合から、すごい音量を放っているんでしょうね。
実際間近で聞いたら
どんな声が出ているんでしょう。

そうそう、途中、バックコーラスの女性3人を
それぞれ紹介する場面があったのですが
そのバックコーラスの人たちの
音域の広さも半端じゃなかったです。
男でも出すのが難しいような低音から
ガラスを爪でひっかくような高音まで
自由自在だったのには
鳥肌が立つほどでした。

ただ、エンターテイメントとしてのコンサート
という面では、もうひと工夫欲しいところでした。
歌う以外はバックミュージシャンの紹介ばかりで
新しさをあまり感じさせてくれませんでした。
見せる声だったという部分では
大満足で帰ってきたんですが・・・

この昨日のコンサートと今日の
大阪国際マラソン応援などで
大阪城公園には二日連続で行きました。
ミセスもいろいろあって
すっかり家をあけるので、
父をショートステイに預けての
週末となりました。

そのショートステイはあと1日。
明日は、ちょっと遠くへ
歩きに行く予定でーす。


本日はコンサート

2014年01月25日 16時08分33秒 | 音楽

明日は大阪国際女子マラソン。
熱い女の戦いが繰り広げられる舞台の一つ
大阪城公園内にある音楽ホールが

「大阪城ホール」

ここで本日開催されるのが

MISIAのコンサートだ。

ミセスが生協でとったチケットを握りしめ
「アラ還」の二人で行ってまいります。

MISIAはデビューの頃から友達です。
(一方的ですが)
皆生トライアスロン第16回大会の
会場でデビューしたての彼女の歌を
大音量でガンガン鳴らしていたのが
昨日のことのように思い出されます。

前回彼女のコンサートに行ったときは
観客総立ちでした。
まだまだ元気だったdoironも
音楽に合わせて手を振りながら
ご機嫌で鑑賞しているとき
横にいた女性の頭に手が思いっきり当たって
にらまれてしまったという苦い経験がある。

あれからン年。
いまやポンコツ親父となってしまったdoironですが
なんのなんの負けませんよ。
「何やこのおっさん!」視線にも耐えて
60肩も必死にこらえて
ストレス(あんまりないけど)発散で
頑張ってきますかね。

では、行ってきます。


現役引退の身といたしましては

2014年01月24日 21時34分07秒 | 最近の出来事

昨日は午前中にマラソン見学をして、
その後親父の通院とおふくろの病院見舞い。
そして今日は、
午前中に施設と病院から連絡があって、
同時に呼び出しがかかった。

なのでミセスは施設へ、
doironは病院へと、
車を走らせた。
とまあ毎日そんな具合に、
医療と介護でてんてこ舞いなのである。

到底、普通の社会人なら
できない生活かもしれません。

そんな感じだから、
医療費の支払いもバカにならない。
今年も医療費控除の確定申告をするつもりなのだが、
そもそも払っている税金が微小なので、
控除といってもたかが知れている。
昨年でさえ、医療費は払った税金よりも格段に多く、
税金分は全て帰ってきた状態なのである。

でもねえ、こちらは医療費の1割負担や3割負担
などと言ってるが、裏を返せば
残りの9割や7割は、
国の社会保障費等で賄われているんだよね。

世間の人には本当にお世話になっているし、
特に今の働く世代の人たちには、
足を向けて眠れませんなまったく。

自分も働いている時には、
高齢者の医療費等を支えてきたのだけど、
若い世代一人あたりにかかる支えの負担は
どんどん重くなっているのが現状だ。

日本の高齢化率は今後も順調に伸びてゆき、
10年もたたないうちに30%を超えるという。

今の23~4%前後の状況から
まだまだ右肩上がりが続くわけで、
医療費を含む社会保障関係予算も
どんどん伸びていくだろう。

本日国会では安倍総理の施政方針演説があり、
2014年度の予算も提示された。
総額は約96兆で、
最も大きな比率を占めるのが
社会保障関係予算で30.5兆円と、
過去最大で初めて30兆円を上回っている。

医療費の負担増が原因のようである。

今でこうなんだから
団塊の世代が後期高齢者となる頃には、
日本はいったいどうなっているだろう
と心底心配してしまう。

そしてそれは決して遠い未来ではない。

国の歳出予算のほぼ半分を
国債などいわば借金で賄っている状況を考えれば、
予算が増えるというのは、
景気がいい話では決してなく、
破たんに向けてまっしぐらもいいところである。

そこで注目されたのが消費税だ。

広く公平にすべての世代から、
安定的に増収を図るということで、
4月から現行の5%から8%に上がり、
2015年度にはさらに10%になる予定で
政治は進んでいる。
働く世代に負担をかけまくっている身としては、
すべての世代から公平に
という考えはわからないでもない。

しかし、5%の増税で見込まれる財源の増は
約13兆円というではないか。
この焼け石に水ともいえる状況を
まず何とかするのが先じゃないかな。

デフレを脱却しようとしている政府の思惑は、
景気回復とともに
この消費税の増税効果も期待しているのかもと、
うがった見方をしてしまうよなあ。

何度も言うけど、
親の医療や介護で
世間の人々に大変お世話になっている身としては、
国の財政再建が全然進まない状況には、
本当にいたたまれない思いでいっぱいなのです。

なんか選挙演説みたいになってしまった。


いつもの公園でマラソン大会

2014年01月23日 21時58分32秒 | マラソン

doironが水泳を憶えたのは、
近所にある小さなプールだった。
そこのプールは6コースもあるのに
一人で泳いでいるということも
珍しくないほどいつもすいていた。
その時代は
かなりさかのぼって、
トライアスロンに出たいと
思い始めた昭和の終わりころのことだ。

なぜ急に思い出しているのかというと、
当時、そのプールの受付をしていた
I坂さんという女性から
先日珍しくメールがあったからだ。

彼女は今、doironの地元の小学校で
障がい者児童の付き添いの仕事をしているそうで、
その小学校のマラソン大会が、
doironがいつも散歩をしている公園で
今日行われるというメールをいただいたので、
応援に行ってきたのです。

行くと、いつもは高齢者が歩いているだけの
ひっそりした公園と全く様子が違っていた。

懸命に走る大勢の子どもたちと
賑やかに応援している父兄の皆さんで、
公園は活気に満ちていたのだ。

寒い中、汗まみれで走っている子どもというのは
見ているだけで心が弾んでくるもんやね。

カメラを構えていると、
遠くからI坂さんが見つけてくれた。

担当の児童のレースは次のスタートだという。

カメラを連射モードにして
コース脇で構えていると、
来ました来ました。
生徒と仲良く手をつないで走ってきた。

カメラを構えていると
その子が「doironさーん」と
叫びながら走ってくるではないですか。

I坂さんが仕込んでいたのだろう。

こちらも懸命に手を振りつつ、
写真を一杯撮りました。

I坂さんは「意外に早い~」と息を弾ませている。
彼女は昔、トライアスロンにも出たことのある人なんだが、
運動をやめて20年以上経つだけあって、
普通の人になってましたねえ。
でも楽しそうに走っている生徒のその姿は
とってもひたむきで、
彼女はきっとそんな児童に
元気をもらっているんだろうなあと思いました。

レースは三周回するので、
途中アングルを変えて
何か所かで撮影し、



最後はゴールに迎えに行ってやりました。

ゴールした生徒に
思いっきりハイタッチしてやろうと思ったのですが、
ゴールで真っ先にその子に駆け寄ったのは母親でした。

嬉しそうに抱きしめたりしていたので、
こちらは入る余地もなかったな。

きっと今日のゴールはその子にとっては、
忘れられないゴールになったでしょうねえ。

うれしそうな顔を見ながら、
来てよかったとつくづく思いました。

その学年は4年生で、
男子の後に女子の部がスタートした。

こちらは頑張って写真を撮ることもなく、
じっくり観戦させていただいたのだが、
トップは驚くほど速かった。

距離は1500mでトップタイムはなんと5分40秒。
キロ4分よりも十秒以上早いのには驚きました。

最初は連絡もいただいたことだし、
顔見せに行くかと思いながら
現地に行って観戦していたのですが、
どのレースもよかったし、
特に高学年になるにつれ
それはそれは見ごたえにある
レースになっていったのでした。

寒さも忘れて、すっかり見入ってしまいました。

I坂さん、お疲れ様でした。
久しぶりに、ウインドブレーカーの姿を拝見しました。


新年お絵描き教室

2014年01月22日 22時33分12秒 | お絵かき

ジム友の一人にとっても絵の上手な人がいる。
その人は絵が上手なだけでなく、
絵を描くことに対する知識もとっても豊富で、
その持っている知識を
惜しげもなく素人の我々に教えてくれる。

もちろんボランティアでだ。

月に二回ぐらいのペースでその教室は開かれる。

先日、今年初めての教室が開かれたので参加させていただいた。
その日は6人が集まり、
身近な鉢植えや野菜やカバンなどをデッサンし、
それに色を付けていくという流れで進んでいった。

doironが描いたのは、
あえて一番難しそうなのを選ぶことにしているので
ポインセチアを選んだ。

これ。



みんなが一生懸命取り組んでいるので、
そんなところでは集中して絵が描けるのが
こういう教室に参加するメリットだ。

自分ひとりで描いてると、
あれもこれもやらなきゃと気になって、
ついつい手を抜いてしまうのだが、
ここでは先生に失礼だから
黙々と描けるのがいい。

描きはじめて1時間。

やっとここまでたどり着いた。



あとはこれに彩色するという段階で、
その日の教室は終わった。

翌日、絵と家にあるポインセチアを眺めながら
彩色について考えてみた。

緑の葉についてはこれまで何度か描いてきたので、
経験を活かしてとりあえず緑部分を彩色した。

これ。



問題はここからで、難しいのが赤い葉である。

先生いわく、
透明水彩の場合は
パレットで色を混ぜるのではなく、
紙の上で混ぜるのが良いとのことであったので、
ポインセチアの赤を出すために、
まず別の画用紙を使って色の調整をしてみた。

画用紙に塗ったのは、
オペラ、あい色、紫、黄色、オレンジ、
黄緑、茶色、セピア、リーフグリーン、うすだいだいの10色。



これに、赤とゼラニウムをそれぞれ重ねてみた。
下の二つは、ゼラニウムと赤の単色である。



こうしてみると、葉の明るい部分が
ゼラニウム単色で、
影の部分がセピアとの混色がよさそうである。

赤の彩色は次回のお絵描き教室でと
思っている。

とまあ、そんな具合に絵の方も
色々と試行錯誤しながら楽しんでいるのです。