いよいよ祭りの期間の始まりです。
ていうか、祭りは詰所を含めて
もうすでに始まっているんやけどね。
今年は、特に市制70周年の
記念事業の一つとして
普段は会いまみえることのない
doironが所属する12町と
濱地域の8町が
一堂に会して
パレードを行った。
オール阪神や河内屋菊水丸
をゲストに泉O津市のメインストリートを
順々にパレードをしていくというもので
午前中に行われた。
開催に当たっては
実行委員会としても
いろんな取り決めがなされていた。
そのうちの一つとして
台風の接近に伴い、
中止の目安としていたのが
午前6時の時点での警報でした。
それが発令されたのが
なんと午前6時13分。
神様がちょちょいといたずらしたって感じだ。
というわけで、結局
時折小雨がふるという
さほど悪くないコンディションで
パレードは決行され
見事に成功した。
はいはい、これで
実行委員会としては
一つの難題をクリアである。
ほっとひと息だあ~
そして続いて行われるのが
いよいよ試験曳です。
午後1時からの予定なのですが
台風の状況により
中止が決定されるのが
午前11時でした。
警備員の配置などが11時半ころから始まるからね。
しかし、パレードが終わったころから
徐々に降り出した雨が
問題の11時にはかなりの吹き降り。
台風はまだこれから
接近してくるということで
さっそく役員のみなさんと相談し、
doironが最終決定した。
中止
としました。
とこうなっては、中途半端に
天候回復はやめてほしいと
祈ったね。
だって、中止にして天気が回復したら
台風関連の判断だけに非難の嵐だもん。
結局、天候は回復することはなく
本来なら曳行している時間帯は
大雨と強風の嵐
非難の嵐とはなりませんでした。
賢明な判断だったということで
doironの名前は歴史に刻まれた・・・
なんてたいそうなことではないけどね。
結局、9月最後の日に
課せられた試練は、
中止という形で回避された。
中止決定後は、詰所で飲み会に突入です。
雨を眺めながら、ワイワイと盛り上がりました。
しかし、ほっとするのも束の間で
来週には本番がやってくる。
しっかりふんどしの紐を締め直して
向かっていかねばね。
明日はいよいよ試験曳
でもねえ、それに水を差そうとしているのが
台風17号
実に微妙な状況である。
ここ最近、台風で警報が出ていても
全然平穏だったことが多かった。
なので、一応明日の曳行は
警報が出ていれば中止。
ということになるが
その際に平穏に終わってしまうと
貴重な試験曳ができなかったという
後悔が残る。
その最終判断が
年番長であるdoironに委ねられている。
う~ん、難しい問題じゃ。
曳かせてあげたいが
安全性にも配慮が必要だ。
難しいぞ。
試験曳は明日、午後。
午前中は市制70周年記念パレード。
これも開催は怪しい。
市が主催だからね
せっかくの、
市長の晴れの政治活動の場なんやけど
安全第一だからね。
でもまあ、明日になってみなければ
わからんことだ。
とにかく寝ようっと
doironが住んでいる泉O津市は繊維の町である。
子どもの頃から近所の家では、
小さなはた織り機を置いて、仕事をしていた。
工場で使う糸巻きの管や毛布の端切れなんかは、
子どもたちの絶好の遊び道具であった。
木管はカンカンたたいて楽器代わり、
紙管は吹き矢に使われ、
毛布の切れ端は神社の茂みや
空き地の雑木の間に作った
秘密の隠れ家に敷き詰められたりした。
最近の子どもはそういう遊びをまったくしなくなった。
それがいいかどうかは評価が分かれるところだが、
少なくともdoironは
そうして外で遊ぶことで、
イシミカワの弦にトゲトゲがあることや、
どくだみの汁が湿疹やかぶれに効くことも知った。
触ってはいけない虫やきのこもあることを知ったし、
隠れ家の作り方、
工作の基本も学んだ。
いわゆるそれが生活の知恵というやつである。
もともと人間は様々な菌にさらされて生きてきた。
そうすることで抵抗力をつけ、
それらの菌をやっつける力を身につけてきたわけだ。
それが、人工的な力で菌を抑え、
やっつける薬を開発してきたものだから
MRSAのようにそんな薬に耐える菌が生まれ、
それをやっつける力を持てなくなったのだ。
人間誰しも無菌状態で暮らしていくわけには行かない
ということは自明の理である。
菌にさらしてこそ強くなるわけで、
そういう意味で外で遊ぶことは、
知らず知らずに自然に育ててもらっている、
生活の知恵を無意識に授かっている、
ということを、
もう一度見直さなければならないのでは、
と昔の遊び仲間と居酒屋”詰所”での
会話を通じて
最近しみじみ思っているdoironなのだ。
もともと、外国にはこれまで
一度しか行ったことがないdoiron。
行ったのは、たま家の結婚式に
出席させていただいたハワイのみ。
そうです、引っ込み思案の
doironなんです。
島国根性満タンのdoironです。
井の中の蛙の・・・もうよろしいですか。
とにかく外国にハワイ=アメリカ
にしか行ったことがない。
パスポートもほとんど汚れてません。
汚れるていうのはNG?
じゃ、こと外国に関しては
初々しいdoironですということにしておきましょう。
これまでで、
アメリカと少なからず縁があったのは
義兄が仕事でアリゾナの大学で
働いていた頃かなあ。
向こうに一年近く住んでいたというのが
身内で一番の外国人生活でした。
ところが昨年、
長年のランニング友達だった
ミホ・フレイニーさんが結婚をして
渡米し、今はすっかりアメリカ人として
暮らすことになった。
そうです、
初めてアメリカ人の友達ができた~
ってわけです。
てなわけで、これまで疎かった
アメリカ情勢にも、少しずつ
興味を抱きつつある。
そんな友達のミホ・フレイニーさんから
たま家経由でプレゼントが届いた。
これ。
まずは帽子。
つばの部分に
U.S.AIR FORCE
と刺繍が施されている。
う~ん、いいねえ。
気分は”トップ ガン”だね。
トムクルーズ気取りをしたいときに
着用しましょう。
え?それやったら出番ない?
はいはい、”紅のdoiron”気取りにとどめときます。
え?ますます意味わからん?
わかる人だけでよろしい。
次にTシャツ。
たまに言わせると
これまでモンベルが扱っていたブランドで
今は撤退しているのでレアものなんだそうだ。
その辺はよくわからないので
よくわかる人が集うような場で
着てみたいと思います。
例えば?
う~ん、例えば、エイに行くとき?
だめだこりゃ
いずれにいたしましても
ありがとうございました、ミセスフレイニーさん。
この場を借りてお礼を言わせてください。
サンキュー、べりまっち、ね。
さて、祭りが近づくにつれ、
村の連中が集まる機会が加速度的に増えている。
村の中の空き地を借りてテントを建て、
詰所を設けている。
そのテントの中には、テーブルと椅子、
それに村の植木屋のパレットを敷き、
村の人が勤めている毛布屋さんにいただいた
毛布の切れはしを敷き詰めて、
なかなか快適な場所にしつらえてある。
加えてサーバーが設置されているのと、
約1年前に近くにローソンができているので、
まったくもって宴会場にはうってつけの環境が整っている。
doironが属しているのは、
年代別に
青年団、
若頭とあり
その上にある世話人という団体だ。
村の総括責任者は
その中から出ることになっており、
今年は2つ上の年代のものがそれを受けている。
doironが担っているのは
参加している8つの町のパレードのTOPなので、
年番長とはいえ村のTOPではない。
今、担っている年代からして、
来年もしくはさ来年にその役が回ってくるのは
目に見えている。
ただ、各町の意見を総括する年番長と違って、
気心の知れた村の人をまとめる総括責任者は、
比較的気が楽であるとも言える。
祭りが終わるまで”詰所”という名の居酒屋は
のれんを掲げている。
行けば、昔話に花が咲いたり、
村を離れている幼馴染の近況を聞いたり、
熱く祭りを語り合ったりしながら、
楽しい時間を過ごすのだが、
家でやりたいことがいろいろあるdoironにとって
その辺は身体がふたつみっつほしいところなのである。
日本の三大奇祭といえば、
秋田のなまはげ、
諏訪の御柱、
吉田の火祭りが上げられる。
なかでも諏訪の御柱は、
山から切り出した巨大な樅の木に乗って、
急斜面を滑り降りるという勇壮な祭りで、
毎回けが人が絶えないことでも有名だ。
けが人が多いということでは
岸和田周辺の泉州地域で行われる
だんじりも負けてはいない。
というか別に勝つ必要はどこにもないのだが、
それほど勇壮な祭りということだ。
ところが、近年はこのだんじりが
公道を練り歩く、または駆け巡るということで、
道路交通法なるものが絡み、
警察の介入が著しい。
市民の安全を守るという意味で、
それはそれで大切なことかもしれないが、
祭りという性格上、
危険なことは一切してはいけない
というのは、
もう祭りをしてはいけない
といってるのと同じである。
多分これは、どこの祭りでもそうだろう。
安全と伝統の狭間で、
常に警察は苦悩しているに違いない。
なにせ、世知辛い世の中だからね。
何かあれば、警察の怠慢だのと
はやし立てる人々がいる。
でもさあ、祭りはやはり自己責任でしょ。
警察が許可したから、
祭りでそんな事故が起った
なんていうのは、お門違いもいいところだ。
それでも世論に耐え、
建前を通さないといけないのが警察だ。
だんじりの曳行に関連して
人身事故があった場合は、
その事故の程度によっては、
そのだんじりは以後その年の
祭りでの曳行を取りやめにする。
あるいは、警察から許可を取り上げられて、
曳行をやめさせられるということがある。
一年間、このときを楽しみに生きてきた人も
中にはいるので、
まさか曳きての捻挫くらいでは
中止にならないけど、
入院するあるいは最悪の場合亡くなる
というようなことが万が一あれば、
これはもう自主的に曳行はとまる。
それを知っている関係者は、
だから少々の怪我のことは
極力口に出さないか、
隠し通すのである。
もう時効だろうから、
ひとつの出来事を紹介をしよう。
以前、doironらが参加する祭りで
こんなことがあった。
あるだんじりが、
やりまわしをして電柱にぶつかったときに、
一緒に歩行者信号が吹っ飛び、
それが関係者の腕に当たって、
ズバッと腕に切り傷をつけたことがあった。
祭り中は、物損事故なら
その場での警察の検分も簡単に終わり、
後刻にあらためて報告をすることになっている。
だから信号が吹っ飛んだ時も
すぐに警察が駆けつけた。
そのとき警察から
「人身事故はないですか?」
と聞かれて、
「いやあ誰も怪我なんかしてませんよ」
と答えているその人の腕から
大量出血し、指先から血が滴っていた
という伝説がある。
それほど、祭りにかける人の思いは強い。
まもなく今年の祭りが始まる。
年番長としてdoironは
本部に鎮座ましまさなければならないが、
そこは一番のやりまわし場である
交差点のすぐ横である。
くれぐれも警察が駆けつけるなんてことがないように祈りたい。
我が家にはヤモリが住みついている。
ていうか、家の周りに生息しているのだ。
あるときは、ゴーヤの陰に
またあるときはお風呂の窓ガラスに
ペタリと張り付いている。
よもやこのブログの愛読者に
ヤモリを知らない人はいませんよね。
我々にとって結構身近な
爬虫類。
厳密にいうと分類学的には
「爬虫綱」
ネットから頂戴した写真がこれ。
自分でも写そうと
見つけた時に
携帯で写真を撮ろうとすると
こそこそと逃げていくのでなかなかうまく
撮影できない。
真剣にカメラを持ち出して
撮影してやるぞと思った時が
ないわけではないが
そのたびに、茂みから襲いくる蚊に
ひるんでしまうのと
彼(彼女?)らの平穏な生活を
乱してあげてはいけないという
気持ちが混然一体となって
ま、いいかって萎えてしまうわけだ。
今日、とある建物の
自動扉から出ようとした時だ。
どんな風に佇んでいたのか知らないが
首筋にペトリと落ちてきた。
その時は何かわからなかった。
一瞬ゴキブリかと思って
ゾクっとしたが
あわてて振り払うと
足元に落ちてきたのがヤモリだった。
それも小さなまだ子供。
こんな人の出入りするところにいては
踏みつぶされそうなので
近くの茂みに逃がしてやろうと
捕獲にかかると
逃げていったのが
なんと自動扉の下の溝。
「うひゃあーこのまま閉まったらつぶれるやん」
と焦ったぜ。
扉が閉まらんように
センサーに存在をアピールしつつ
細い溝の中を追い回した。
指が入らないので
追い回して出てくることを
祈るしかない。
そうして1分くらい格闘しただろうか
感覚的には10分くらい
しゃがんでいたような気がした。
その間、このおっさん何してるねん
と思われたでしょうね。
それに気づいた時には
出入りする人に
「ヤモリですねん。捕まえてますねん」
と主張しながら頑張りました。
ようやく溝の中から飛び出してきた
ちびこいヤツを捕まえて
手の中でゴニョゴニョ動き回るのを
感じながら
近くの植え込みの根元に
逃がしてやりました。
そしたらあわてて走り出して
またまたビルの方へ突進していくではないか
これはいかんと
あわてて進路を遮り
草むらの方へ誘導し
ようやく姿を消してくれた。
昼日中から、迷えるヤモリを相手に
わしは何をやっとるんじゃと
思うと可笑しくなったと同時に
ちょっといいことしたなという
プチ満足感に浸っていた
昼下がりのdoironであった。
最近すっかり下手な絵にはまっているdoiron。
このブログのカテゴリーにも「絵」というのを
追加しなくてはと思っている今日この頃です。
今回は抜けるような青空と
秋の賑わいを敷き詰めたような一面のコスモス畑。
遠景には緑の山。
そんな絵を描きたくて、
先日山方面に出かけてきた。
なかなか思うような景色には出会えなかったが、
何とか記憶を組み合わせ、
想像を膨らませて描けそうな感じをつかんだので
数日前から作成にとりかかっていた。
まずは鉛筆で下書きをした。
コスモスの可憐な花の感じが出るようにと
心がけて書いたが、
これがなかなか難しい。
ようやく書き始めたものを途中で
ミセスdoironに見せたら、
「何がどうって上手くいえないけど、
あんたの絵ってすぐにわかるわ。」
だって。
どこがどうなんでしょうねえ。
ま、それでもコスモスには見えるとのことなので、
続けることにして、
まず薄い色から色付けをしていった。
水彩画の色づけは、薄い色からが鉄則だ。
その作成途中の絵がこれ。
絵手紙にするんなら
このままでもよさそうですが
あくまで今回は
青い空と秋の野原を
描きたかったので
筆を進めた。
しかしねえ
水彩画は難しい。
どんな風に難しいかというと
1.油絵と違って(といっても油絵は描いたことないが)
一度塗ったら修正が難しい。
油絵のように重ね塗りがままならない。
2.塗った瞬間の色と乾いた時の
色具合が微妙に異なる。
3.一滴色を落とせば
後の筆がその色に支配される。
ということを、しみじみと感じている。
以前、海の絵を描いた時の
作品がこれ
この絵で一番先に塗ったのが
水平線
この色が強すぎたので
全体を明るくするために
海を白く、空には雲を描きました。
今回は秋の澄んだ青空を
描きたかったのですが
最初の一筆が
ちょっと濃過ぎちゃいました。
でももう修正がきかないのが水彩画。
ま、今回はその辺が
学んだところでした。
完成まであしかけ一週間かかった絵がこれ。
今回はもう一つ
山の遠景の書き方について
一つ技を得ました。
杉の多い都市近郊の山の描き方の
一つの手法じゃなかろうか。
産経新聞に時折掲載される
安野光雅の洛中洛外図
水彩画のぼかし具合や
にじみ具合を逆手にとって
その効果を巧みに用いて描いているところが
やはり、プロ。
昨日今日はじめたばかりのdoironには
到底なせる技ではございません。
ま、趣味なので
ちょっとずつ学んでいこうと思っている。
津和野にある安野光雅美術館に
行ってみたくなったなあ。
今日はルネと青馬会主催の
3時間走のお手伝いに
久しぶりのバイクにまたがって行ってきた。
場所は大津川の河川敷。
1周3キロのコースを
3時間走り続けるという大会だ。
今回が第1回ということだ。
この河川敷は、昔たまに走ったコースだ。
ルネを出てここまで来て、川を遡行し
街なかを抜けて帰ってくる。
あるいは川を下って
海方面をぐるっと回って帰ってくるというコースの取り方や
和泉の方から河川敷を下ってきて
海近くでUターンして帰るという走り方をしたりした。
結構昔から使っていた練習コースなので
いろんな人と走ったことがあるコースだ。
河川敷で涼しい風に吹かれて
座りながら、あの頃を懐かしく
思い出したりしていた。
そんな懐かしい場所で
スタッフをさせていただいた。
役割は、テント張りと
最寄駅からの誘導案内
そしてレース中はゴールラインを
通過する選手のゼッケンチェックである。
ゼッケンチェックとは
単純作業のように思うだろうが
これがね、ちょっとしたメモリーを必要とするのだ。
ゴールラインを越えてから休憩する人
超える前に休憩する人
そこへ持ってきて
長い間へたり込んでから
再び走り始める人などを
憶えておいて周回チェックをダブルカウント
しないようにとかも
記憶しておかねばならない。
何事もやってみると
いろいろあるもんだねえ。
AEDや医師のランナーも参加
してくれていたようだけど
動員することなく無事に三時間を終えたようである。
よかったよかった。
私が言うのもなんですが、それが何よりです。
ルネとは近頃ずいぶん疎遠で、
もうスタッフの中にも
現役の頃に一緒に走っていた
メンバーもかなり数少なくなった。
それでもランニングというスポーツの魅力は
人を魅了し、脈々とつながって
次々と人々に感染していってるようだね。
少し離れてみていると
みんな本当に楽しそうであります。
選手がみんな帰った後、
撤収を手伝い、いったんバイクで帰宅。
打ち上げに参加するつもりでしたが
帰ってみたら、祭りの寄合のあることに
気付きました。
ほんの短い間の出番なんですが、
なんといっても、今年は8町の年番長。
サボるわけにはまいりません。
長い間祭りをしていると
いつかはこんな役も回ってくることは
覚悟していたけどね。
祭り、そしてランニングと
昔からの自分の足跡を
眺め続けさせられたこともあって、
今日はとりわけ長い一日を過ごしたって
感じがしているdoironなのでした。
スタッフ、選手のみなさん
お疲れさんでした。
7月11日に「大学ノート」と題したブログを書いた。
日々の申し送りを記録し、
これからの取組の参考にするためのノートを作っている。
そのブログには、
このノートをさらに洗練し、
名前をつけていきたいと綴っていた。
この結果について書いていなかったが、
今日ここにようやく報告することができる。
は?別に待ってなかった?
はいはいいいんです。
どうせ自分の日誌代わりに綴っているブログなので、
完結しておきたかっただけなんじゃがね。
で、なぜ今になったかというと、
日々の積み重ねを究極の形で綴ったページが
2ヵ月がかりでようやく埋まって完成したからだ。
これ。
どうです。芸術的ともいえる見事な記載、
とナルシストdoironは思っておる。
そしてそのときのブログにはさらに、
このノートに名前をつけたいとも綴っていた。
つけましたよ。
聞きたい?
え、どうでもいい?
そんなこと言わないで~
このノートに記載しているのは、
過去の出来事ばかりだ。
この過去の出来事を元に
未来について考えていくわけだから、
名づけた名前が、
今流行の「フェイスブック」にちなんで
「PAST BOOK」。
そう、このノートにはPAST(過去)がいっぱい詰まっている。
このノートに綴られたものは、
とても意味のあるものなのだ。
このノートの対象者は、
蓄積された多くの時間の果てに、
まぎれもなく生きている。
そして過去を知り、
過去を学ぶことで
未来を手繰り寄せているのだ。
ん?何のことかわからない?
いいんです日記代わりなのですから・・・
自分がわかればいいんです。
そんなPAST BOOKと名付けられた大学ノート。
裏表紙には、さなえちゃんではなく
「過去に訊け!」
と記しました。
我ながら、変なこだわりですな。
さて、明日は3時間走のボランティアです。
早朝からO津川河川敷に集合。
doiron自身のPAST BOOKに
またひとつ楽しい過去が記載される。