ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ささっと篠山1

2016年08月31日 21時27分14秒 | ウォーキング

え~、では今日から四国旅を・・・
というわけにはいきません。
絵も描かないといけないし、
これまで歩いてためたネタもありますので
それらを整理しつつ進んでいきましょう。

今回はとりあえず
20日に出かけたこんな話を・・・

走り始めたころ、30年位前かなあ
大きなマラソン大会といえば
「篠山ABCマラソン」でした。

人気の大会だったけど、
今みたいに抽選とかそんなんじゃなく、
だれでも申し込めば気軽に
参加できる大会だった。

この大会には5回くらい出ており、
後半はフル経験のあまりない人を
引っ張ったりして出ていた。

最後のころは早いと
1週間くらいで定員になってたかなあ。
今はどうなんだろう。
簡単に申し込めて簡単に出場できるのかなあ。
あまりよく分かっていない。
最初の頃は30キロ過ぎくらいの
峠道が大変で、
これをどう乗り越えるかなんて特集が
ランニング雑誌で組まれたりもしていたなあ。

これを走りきることがマラソン
みたいな雰囲気でした。

でも、近頃はコースも変わって
ずいぶん平たんになっている
と聞いている。

マラソンのスタートは篠山城の
集会道路で、ゴールは場内の
グランドのようだったな。



で、今回はそんな篠山マラソンの
思い出を語るという話じゃ当然なくて、
本来なら歴史も多くある
この城の周辺をささっと歩いて
観光してみようと
出かけて行ったお話だ。

なにせ暑いから、
ちょっと簡単に歩けそうな
ゆかりのある地を選んで、
歩いてみようと
結局そこに出かけることにしたのだった。

篠山をササっと歩く旅、
始めまあす。

高速道路を使って、
所要時間は約2時間で到着します。



マラソンの時ならこんなところまで
車では入れないのですが、
普段は篠山城の三の丸西駐車場へと
入っていくのがいいようです。

駐車料金は一日200円と超お手軽です。

どこか日陰部分に車を止めようかなあ
と思いましたが、
そういう場所はもう満車です。

しかたがないので城の
参道の近くに車を止め、
そこから歩行開始です。



まず最初は城の中に入っていきましょう。

城の入り口あたりには
大きな石垣があります。



よーくみますと、
その大きな石一つひとつに
印が入っていますね。



それぞれの大名が持ってきた
その大名独特の石のしるしが
刻まれているのですね。

これは大阪城の見学に
行ったときに学びましたねえ。

篠山城は20あましの大名が
建築した天下普請の城です。
各大名はそれぞれこった石を納品し、
評判を上げようとしたようですね。

そうそうここには、
他の城同様の目立った
天守閣がありません。

徳川家康はそんな天守閣の
建築を許可しなかったのです。

「天守閣は人目に立って
敵方のねらいとなるだけで、
この城には無用のものである。
それよりも優れた城主を
置く方が肝要である」といった
といわれています。

結局、天守閣の用材は集めたものの、
建築せずに小さな隅櫓と
塀のみが造られていたとのことです。

それだけに石垣石の
評判が大きかったのでしょう。

では今は城の中は
どうなっているのかというと、

天守閣はなく、
この城の一番立派な建設物であり、
事実上の中核施設である
「大書院」が平成12年に再建され、
今の姿となっています。

古絵図、古地図、発掘調査をもとに
しっかりと再現されているそうです。



では、まずここから入っていきましょう。



え~っと入場料を払おうとしますと、
係員に

「実はこの城の周りには
いろんな展示場があって、
ここの入場料400円に
200円足すだけで
すべて入れますが」と
案内されましたので
迷わずそれを買いました。

城の周りなら、
暑いけれどもなんとか
まわれるだろうという判断です。

はい、ではまず大書院に入りましょう。
ここはまあ木造建築物としては
大きな建物です。

一大名の書院としては
破格の規模を備えています。



立派な天守閣の建設を
徳川に禁止されたから、
書院こそ立派なものをという
思惑があったかもしれません。

続く。


二日間のお参りでわかったこと

2016年08月30日 19時53分00秒 | ウォーキング

二日間、天気のすっきりしない中を
四国詣でに費やしてきました。
これまでは日帰りツアーだったのですが
ここにきていよいよ宿泊による
お参りとなってきているのです。

まあいろいろと準備も
大変でしたが
なんとかたくさんお寺を回って来ました。

日帰りの時は
3寺回るだけでしたが
それでも、しっかりと納経したりすると、
なんか心と体が
くたくたになってしまいました。

ところが泊りとなると
初日は6寺
二日目の今日なんかも
5寺も回ったのです。
最初こういう計画を見て
これまでのことを考えると
これは結構ハードな旅になるだろう
と予測し、覚悟していきましたね。

でもねえ、今回のように
こうしてお参りを今まで以上に
お寺を増やして重ねていくと
少しずつですけど
かなりつらくなくなって
きたような気がします。
礼を尽くしてお寺に入り
線香ろうそくをあげおさめ札を納め
長い読経を2回もする。
これまではお参り時でも
いろんなことが気になって
精神的に落ち着かなかったのですが
今回のツアーでなにかお参りの世界に
心地よく身を置いているような
そんな気持ちがちらっと
見えてきたような気がしています。
これが巡礼送りお参りの
効果なんですかねえ。

八十八寺をじっくり回ることで
自分の中のどこかの部分を
清ませていくような
そんな時間の過ごし方が、きっと
できるようになってくるんでしょう。

とにかくまあ、こうして二日間で
11寺を無事に回り
無事に帰ってきました。
これから撮った写真や各寺の思い出を
たどりながら、一寺1枚の
絵を描いていくことにします。

そうです、doironの四国詣では
この絵ができてワンクールなのです。
結願時には
少なくとも88枚以上の
絵が残ることになるでしょう。

あ、結願時には我が家で
記念焼肉パーティと
絵の展示会なんかもできればいいなと
思っている次第なのです。

そんな風に自分なりの四国詣での旅を
それなりにしっかり楽しんでいこうと
帰りつつそんなことを
改めて考えた今回の四国詣ででした。



台風近づく中、四国へ

2016年08月29日 19時34分50秒 | ウォーキング

あちこち迷走しながら
ひょいと日本列島に
近づいてきた台風10号。

風はどうだろうか
雨はどれくらい降るのだろうか
などという心配をしてきましたが
何とか四国詣でのバスは
大阪を出発しました。
そう交通機関はバスなので
なんとか目的地までやってきたって、感じやね。
今日の分の6寺は以外にも晴天の中で詣でを終えました。
つぎは明日です。
そうそして今回は初の1泊での詣です。

明日は5寺を回る予定をしているもんね。
荒れた雨の中頑張って
回らないとね~。
まあ、そんな苦労もあって
四国詣なんでしょう。
頑張ろうっと!

明日は空海さんの生まれ故郷の
善通寺さんも行くしねえ~
楽しみにしています。
詣での詳細はまた帰ってから
ゆっくりと書くことに。

いまから首Dさんと
明日に備えてビール乾杯だあ~


思いを込めて地蔵盆

2016年08月28日 20時41分28秒 | 最近の出来事

23日は地蔵盆の日である。
村人が一日地蔵にかかわって
いろんな作業をする
地蔵盆の行事が行われた。



我が村はずれにある5体の地蔵は、
これまでのあちこち歩きの様子からみれば、
やはりこれは村境界のお守り地蔵やろねえ。

我が村の北の端で
昔から和気道沿いに
じっと立っていたんだろう。

そしてそんな地蔵を崇める
村人の動きは、こうして一年に
一度の地蔵講を通じて
伝わってきたんだろう。

doironが子供のころから
この地蔵講でおにぎりを配っているし、
長老に聞けば、
その人が子供のころからも
ずっとそうだった
ということなので、
もういつから始まっているのかって
想像もつかないくらい
古くて長いしきたりだ。

なので村の連中はこの日も
仕事をしている人さえ一日休み、
朝からずっと夜の講参りに備えて、
てきぱきと動き回ることになる。

まず午前中は地蔵周りの
敷地整理とテント張り。

女性陣はたくわんの整理など
午後から握るおにぎりの用意をする。

そして午後からは大勢が
公民館に集まって
おにぎりを握るのだ。

昔は外でチンチロリンでコメを炊いて
ご飯作りをするところからやったんやろが、
いまは男性数人で給食会社に
炊き上がったコメを取りに行くのだ。



炊き上がり白米190kgである。

そうして公民館に運び込まれたコメは、
大体15人くらいの女性が握る担当で、
残りはパック詰めや米配布などの
役割をしながら握られていく。

男性は数の見守りと、
休憩などの準備
(毎年最後のお疲れ休憩には、
果物屋さんの特大包丁
でしか切れない超大型スイカを2個用意します)。



そしてあとは地蔵に備えた
お供え物の見張りなどに分かれる。

今年握ったおにぎりは
全部で2006個。
目標は2000個だから
ほぼ思惑通りの個数となった。

doironは休憩時に残りの計算をし、
今の大きさのペースでお願いします~
とか、ちょっと小さめでお願いします~
などという指示を飛ばす役。

なので、この結果は超上出来である。

そうして出来上がった
おにぎりを眺めながら、
地蔵講のメンバーの
いよいよ宴会が始まるのである。

いつも決まりの店から
お弁当をとって、ワイワイと始める。

「だれだれはイカが好物やから、
歯のあかん人は回したってやあ」

「あの人はピーマンあかんで、
周りの人間が取ったり~」

「あの人はビールより酒やで」
と細かい声が飛び交う。

また、話の話題は先日あった自殺騒ぎや
doironたちが行ってる麻雀騒動、競馬騒動。
だれだれの息子の就職のはなしや
娘が新たに始めた喫茶店のはなし
など内容は尽きない。

こうして村の人々の結束は
固まっていくんやねえ。

宴会で程よく出来上がったころに、
おにぎりを地蔵さん近くの配布所に運び、
六時半からお寺さんとともに納経が始まる。

これまであまり聞いていなかったが、
おお~挙げているのは四国でいつも唱える
「般若心経」ではないですか。

え~と覚えている3行だけ
一緒に唱えました。

そしてお経が終わったら、
おにぎり配布です。

ふと気が付いたら地蔵の周りに
村の連中が大勢集まっています。

これがまた大騒ぎ。

「だれだれさん、
おじいちゃんの分も持って帰りや」

「隣のOOさん来てないから預かったり~」

とかいいながら渡していきます。

そしてその配布がすんだら、
配るおさがりの配布です。

みんなからいろんなお菓子や
ジュースが地蔵さんに供えられるので、
それを分けて講の人の数だけ作成します。

doironは今年はこれを備えましたあ。



そのあとテントを片付け、
仏さんの周りも整理して
村の地蔵盆はようやく終了です。

村のはずれに立っている5体の地蔵さん。

こんなに熱い村の連中の
思いが込められて、
生まれたときからいつもそこで
我々を見つめておられるのです。

さて、台風が近づいてきている明日。
doiron達は初めて一泊で
四国詣でに行ってきます。

今月は11寺回ってきますから
行かなかったら、来月までに
自分たちでいかねばなりませんからね。
悪天候でもバスに揺られて
いかねばならんのです。
また向こうで簡単ブログすることにします~


流れ流れて、流れ橋5

2016年08月27日 21時13分44秒 | ウォーキング

暑い、暑い。

そう思いながら進んでいきます。

ちょっと陰を作るような木があれば、
よって休憩もできるのですが
そういう日陰もありません。

大きな橋の下が唯一の日蔭です。



そこでしばらくたっていますと、
おっ、草と草の間に
小さな橋の姿が見えます。



あれが「流れ橋」かなあ、
とおもって河川敷を進んでいきますと、



あれ?

それっぽく見える橋が通行止め?



まさかあ、
もうみんな流れるから
怖くなって通らなくなったのかなあ?
大金かけて修理したのに
これじゃやるせないやろなあ。

実はこの時doironの頭の中には、
流れ橋は大きな橋の少し下流
という記憶しかなかったので、
てっきりこの位置あたりだと
勘違いしていたのです。

でもなあ、こういう栄枯盛衰は
よくあることだしなあ、
通行止めになっても
おかしくないよなあ、
なんて思いながら念のため
さらに下流を目指して
歩いてみることにしました。

暑~い中ですが、
ぜひとも見たいという
doironの思いが足を進めたのでしょう。

この辺りは「茶畑道」と
呼んでいるのですねえ。



さわやかな雰囲気が流れます。

そして大きな橋をまた一つ越えたところで、



あれ?前方に通行止めの
看板が見えるよ。



これはもうますます違うかなあ、
戻ろうかなあと思いつつ
見渡してみると、
草の間に
ああ~、なんか橋が見えますよ。



その映像と事前に仕入れていた情報と
照らし合わせたら、
あれがどうやら「流れ橋」のようです。

どうもすぐそばにあると
記憶していた大きな橋は
もう一つ上流の端だったんですねえ。



そこにある説明版によると、



この橋は長さ356.5mで
幅は3.3mの日本で最も長い木造橋。

昭和28年3月にかけられて以来
平成9年7月までに
15回流れたとかかれてありますが、
新聞では昨年までに
4年連続で流れたと書かれてあり、
これまで少なくとも
19回は流れていることになる。

工事により、もうかなり
流れにくくなったといわれているそうだ。

はしの面はこんな感じ。



板を何枚も渡してある。

板の木の幅が15cmだとすると
2000枚以上並んでいることになる。

探偵ナイトスクープでは
この板の数が数えるたびに
違っているとのお題だったかなあ。

探偵が枚数を数えていく
というお話だった。
結論は覚えていないなあ。

ではまあかぞえることはせずに
doironもわたってみましょう。

この長さだと速足で渡って
3分はかかるなあ。

とちゅう、こんな写真を撮ったりしながら
しばらく遊んでみた。



この日、この橋を渡りに来ていた人は
5組くらいいましたねえ。



なかには河原に降りて、
下を見上げたりしながら
遊んでいる人もいたよ。

堤防の上にはこんな石もありました。



そんなところから眺めた
この橋の遠景がこれ。

フムフム中々なものです。

さあ、これで今回の目的は果たしました。

さてどうして車まで
帰りましょうかと考えたところ、
近くに「四季彩館」という
地元施設があるようなので



とりあえずそこに行くと、



おお~八幡駅までのバスがあるとのことです。

ではこれに乗って帰りましょうと
時刻表を見たら、



次はちょうど1時間先までありません。

一瞬歩こうかと思いましたが、
あまりに熱いのでめげてしまいました。

この中をさらに歩いて帰ったら、
本日の走行距離は20kmほどになります。

仕方ないのでバスを
待つことにしましたが、
じっとしていることはありません。

その施設の資料室のようなところに入って、
橋が大水で流出する
映像ビデオをみたりしながら過ごしました。



一時間後、やってきたバスで



八幡まで行き、まだ回り切れていなかった
「飛行神社」などをゆっくりと尋ねながら、







あちこち流れ流れて
たどり着いた木津川「流れ橋」の旅、

酷暑の中トータル合計12キロほどを歩いて、





これにて終了です。


流れ流れて、流れ橋4

2016年08月26日 21時12分25秒 | ウォーキング

あの当時のエッセイ

「徒然草」

には面白い僧が登場します。
52歳にもなってまだ石清水を
訪れていないことを情けなく思い、
京都から歩いて参拝に訪れた僧がいたそうです。

てくてく歩いて、
そしてここにたどりついた僧は
男山ふもとの「高良社」や
「極楽寺」を拝んだだけで、
山の上にある石清水には気づかずに
帰ってしまったことが書かれていました。

いやあ、なんとも頼んない僧ですね~
と思いつつも、あちこち歩くdoironでも
詳しいことは知らずに、
そういうミスはいつも
犯しているのかもしれないなと、
ちょっとドキッとしたエッセイでした。

実はこの先にある「松花堂庭園」も
八幡観光では欠かせない
スポットなのかもしれませんが、
ここはまあ周りから確認しただけで
中に入らずに通り過ぎました。

でもまあ後で確認したら、
立派な庭園みたいで、
徒然草の僧のようになってしまいましたねえ。



ただ、周りを歩いているときに
こんな建物も写しています。



変わった名前のマンションやなあ
と思ったら、ちゃんといわれがありました。

この松花堂の中には、
ある男性に連れなくされ
悲しみのあまり水に飛び込んだ
女性がいたそうです。
その女の脱ぎ捨てた着物から
女郎花の花が咲いたという
「女郎花塚」がこの庭園の中に
あるそうです。
マンションの変わった名前も
そういういわれに
基づいていたのですねえ。
知らずに撮った写真にも
そういう背景がありました。

そしてこの庭園の入口の所には、
こんな料理屋さんがありました。



何年か前に問題を起こし、
「ささやき女将」と名付けられた女将が
記者会見に出てきたという
お店の関連社ですねえ。

あの時の事件でグループの
「船場吉兆」は廃業しましたが、
他のグループはこうして
営業しているようですね。

ここの草庵を作った「松花堂昭乗」が
愛用した小物入れに
弁当を詰めた「松花堂弁当」を
売りにしているようです。

この庭園を散策して、
かえりにここでその
高級弁当を食べて帰る
というのが、
大人の遊びなようです。

そうか、ではここで、
その弁当を一ついただきましょう・・・

うそですよ。
そんな高級なものを
いただくわけにはまいりません。
doironは近所のコンビニで
「冷麺」を買っていただきました。



doiron弁当はこれで十分です。

さあ、この最後の名称松花堂庭園は
こうして表面だけを舐めて
バカな僧のように通り過ぎました。

さてここからいよいよ、
本日の目玉である
「流れ橋」を目指して
歩いていきましょう。

八幡市役所周辺のにぎやかな通りを、



こんな道標を眺めながら



過ぎていきます。



しばらく行くと「橋」が架かっています。



「昭乗橋」と松花堂の
名前の付いた橋が架かっていたのは、



あの岩清水周辺だけ
「放生川」と呼ばれていた
大谷川です。

道はここから一気に
田園地帯へと入っていきます。



暑い中、田んぼに植えられた
「柿」や



「ブドウ」を眺めながら、



汗まみれになりながら進んでいきます。

「木津川はどこだ~」
「流れ橋はどこだ~」
と流れ流れて進んでいきます。

そしてようやく川の
堤防らしきところに
上っていく上り坂に出ました。



おお~木津川です。





以前奈良県の加茂を歩いた時に
堤防を歩きましたねえ。

青山高原に端を発し、
全長89キロの河川です。

堤防に出ると河川敷の道が続いています。



北の方を見たら、
あの三川合流地点である男山の北、
御幸橋のほうへと
続いて行ってるようです。

でも目的の「流れ橋」は
ここからまだ上流のほうです。

日陰もなく暑い中を
さらに堤防を歩いて
いかなくてはあきません。

大きな橋の下で
たっぷり休憩してから歩き始めました。

この堤防もわりと自転車が
たくさん走ってますねえ。

前からどんどん自転車がやってきます。
調べてみたら
「京都八幡木津自転車道線」と
名前がついていました。

まあ、こういう自転車のたびも
ぼちぼち経験しないとなあ
とか思いながら、進んでいきます。

あと1話続く


流れ流れて、流れ橋3

2016年08月25日 21時34分09秒 | ウォーキング

相槌神社をすぎて歩いていくと、
こんな石に会いました。



「松花堂舊跡」と出ていますねえ。

「舊」は「旧」の古い字ですね。
で、松花堂なんですが、
これは石清水八幡宮で出家した
松花堂昭乗の墓がある



「泰勝寺」です。

この人が作った草庵が
廃仏毀釈で移動しつつ、
後程出てくる「松花堂庭園」
となっているのだ。

ここからしばらく
こんな案内を見ながら
街道筋を進んでいくと



今度は「正平役城之内古跡」
という石が出てきます。



正平7年に南朝が
京都を奪還しようとして
八幡に立てこもり
正平の役を起こしました。

別名「八幡合戦」と
呼ばれている戦ですが、
いろんな動きがある中で
やはり南朝は敗れ去ったのですが、
その時の城の跡というのが
この辺りにあったという石碑です。

今は「本妙寺」という
お寺になっています。

そしてもう一つ石が立っています。

「日門上人墓所」とあります。

正平の乱のさらに200年後、
織田信長の安土問答で
弾圧を受けた
法華宗上人の墓所が
ここにあるという石です。

この正平の乱、
安土問答の事件は
調べて書くだけでも
膨大になってしまいますので、
ここではまあそのさわり
ということにしておきましょう。

まだあまり歩いたことのない地域です。
石や現場に出くわすごとに
いろんなことを調べながら
書いているので、
めちゃ面倒なブログになっています。

目標は「流れ橋」です。
途中の拾いものは
できるだけ省略しつつ
進めていきましょう。

といいつつも、
ここで八幡市のマンフタを見つけました。



ちょっと説明しておきますと、
基本デザインは前回紹介した
「安居橋」ですねえ。
そこに市の花である
さつきをまぶしているようです。

ついでながら道の端っこにある
放水口のふたはこんなデザインです。



なぜ「竹」なのかって?
よく思い出してみてください。

石清水八幡宮にあった
「竹」があのエジソンの電球の
フィラメントになった話がありましたねえ。
駅前に「エジソン通り」まで
作っているのですから、
当然そのつながりで、
ここにも竹が印刷されているんでしょうねえ。

その先で「正法寺」を超え、



若干上っていく感じで
街道を進んでいき



「ありあけ公園」を過ぎたところで
道標が現れます。



左へ行くと鳥羽、伏見など
京へ通じる「京街道」に
つながっていることが
分かりますねえ。

また左折面には
東在所道と彫られていて、



渡しを使ってなどの
道案内が彫られていたりもする
立派な道標です。

まだ残念ながら
道標を通じて
どんな道を行けば
どう移動できるのか、
まだちょっとかすんでいますねえ。

それはこの先の
住宅地の中にひっそりと
立っている別の道標もそうで



覗き込んでみると
「樟葉道」と彫られています。



方角的に見て枚方のほうへと
向かう道のように思えるのですが、
それがなぜここで、
家の中の道標で
案内されているのか
あまりよくわかりません。

ま、まだ目的の道は
まっすぐ南の方へと
下って行ってるようです。



予定通りに進んでいきましょう。

斜めに入っていく道のところに
「水月庵」の道標がありました。



まだあるいて20分くらいの
ところにある「水月寺」の
案内板なんですが、
こんな遠くの施設を表す
道標が立っているのは、
この道が人の往来の多かった
「東高野街道」であることを
表しているようです。

結局ここの道をいったん右に折れて
「八角堂」のほうを目指しましたが、



山の中の道は通行止めで
上部の施設も大きくシートが
かけられてありそうだったので、
残念ながら引き返しました。

そしてまた「水月庵」の
案内道標を右に見ながら、



先に出てきた松花堂昭乗が
開いた草庵である「松花堂庭園」へと
向かっていきます。

流れ橋はもう少し先だなあと、
続く。


流れ流れて、流れ橋2

2016年08月24日 21時18分59秒 | ウォーキング

まず最初は、京阪の
八幡市駅を目指していきます。



岩清水八幡宮のふもとにある
この駅はこの市観光の
やはり起点となります。
観光案内所もありますし
数々のオブジェも立っています。

おっ、ロータリーの横に
「東高野街道」の案内板が
ありますねえ。
見てみましょう。



あ、そうかあ、今日歩こう
とする道は松花堂庭園までは
ほぼ東高野街道なんですねえ。

ここから摂津、寝屋川、
八尾と通っていき
河内長野へと通じる道で、
四本あるといわれている
高野街道の中でも最も長い道です。

京の人も京道を下ってきて、
ここで別れて高野へと
向かったわけですね。

ではその道を下っていきましょう。

まずは、前回の石清水を
訪れたときに最後に寄った、
「走井餅」の店のそばにある
「石清水八幡宮一の鳥居」ですね。



前回はケーブルに乗って
八幡宮に行った後だったので、
この鳥居からは入らず



帰ったものでしたが、
今回は歩く道と平行に
少し寄ってみようと
鳥居の横を入っていきました
(何せ、喪中なもので)。

参道の横の池には
ハスの花や



ヒツジグサの花、



そしてちょっと珍しい
アサザの花が咲いています。



いやあ、この暑さの中
水草は涼しげに咲きますねえ。

ここには「高良社」があります。



石清水が日本の神様なら、
高良社は八幡の産土神としています。

またここには「京都の自然200選」
のタブノキがそびえています。



かなりの大木ですねえ。

さあ、では道を並行して続いている
高野街道に戻しましょう。

神社の外に出たところに
木の橋がかかっています。



これが「安居橋」です。



何と読むかわかりますか?

ちょっと変わった読み方で
「あんごばし」と読みます。

なぜそう読むかというと、
いろいろ説はあるようですが、
鎌倉時代から八幡で行われている
安居(あんご)神事からきている
という説が多いようです。



その橋の横に「やわた放生の景」と
書かれていますねえ。

これは何かと調べてみたら、
この川の名前からきているようでした。

この川はもともと「大谷川」
という名前なんですが、
この八幡駅近くの「全昌寺橋」から



「買屋橋」までの約200mの区間だけ
「放生川」と名前を変えます。

石清水八幡宮の神事
「放生会」にちなんでいるそうです。

橋の上から見ると、
それなりの整備がされているようですね。



でも一部だけ名前が変わる川
というのも珍しいですねえ。

橋からまた元に戻って
街道を進んでいきますと、
次の交差点には
「東高野街道」の案内板と
「八幡橋」という道標が立っていました。



右は奈良街道を指しているようですが、
この辺はまだ高野街道と
重なっているようですね。

一番下には「木津」「奈良」の地名が
書かれていました。

道はこの辺ではちょっと狭くなります。

ここに「山の井戸」というのがあります。
男山にたまった水ですかねえ。



そしてここにあったのが「相槌神社」です。



ちょっと変わった名前ですねえ。
調べてみたら、
京都三条粟田口に住む、
小鍛冶宗近という刀鍛冶が
天皇の勅命を受けて
守り刀を打とうとしたそうです。
しかしそんな刀を
一人では打てないので
刀鍛冶を手伝う者を探したところ、
ある若者と出会い
相方を頼んだところ、
その若者が鍛冶の手伝いをしてくれ、
見事な刀ができたという話が合ったそうです。

しかし後になってわかったところ、
その若者の正体は狐であったそうです。

なのでその刀は「小狐丸」
という名で呼ばれるように
なったというそうだ。

この鍛冶の手伝いをした狐を
祀っているのが京都三条にある
「相槌神社」である。

ここの鳥居の額を見ると、
「小鍛冶」「三條」と書かれてあるから、
ここの神社はその三条の
神社の関係社だろう。

ではなぜ「相槌」なのかというと、
これがトントン、トントン日野の二トン
ではなく、トンカン、トンカン
という鍛冶の音をあらわしている。
何か話をしていてなるほどと、
頭をトンカン下げる姿を
「相槌」というのは、
こういう話があって
できたのだそうだ。

なるほど。

トンカンと続く。


流れ流れて、流れ橋1

2016年08月23日 20時52分30秒 | ウォーキング

淀川完歩の途中で、
石清水八幡宮や



背割堤の花見など



何度か訪れた八幡市。

これまで一度も訪ねたことの
なかった地域だったが、
実際に岩清水八幡宮が
国宝に指定されたことや、
背割堤の花火があんなに
見事だったことで、
doironの中で一気に得点の
上がった地域となった。

またそれに加えて今年、
この市内を流れる淀川の
支線の一つ木津川に
「流れ橋」という
人が渡るだけの橋が
かけられていることも知った。



大水が流れてくると、
ばらばらになって流れることで、
川の災害対策になるという橋だ。

ここ数年間、
毎年流されているそうで、
そうして流れてしまうと、
それを元に戻すのに
1千万以上の経費がかかるそうだ。

で、そういった経費節減の意味も含めて、
見た目の流れ橋の景観を
あまり損なわないように、
流れにくくなるように
改良されたという記事が
新聞をにぎわしたのだ。

いやあ、これは面白そうだ。

それに思い出した。
実はこの橋は、
かつてテレビの探偵ナイトスクープでも
取り上げられたことがある橋だ。

橋の上にわたされた木の数が
謎みたいな話題だったな。



探偵が何度も床板を数えながら
橋を渡っていた番組だった。
そのときは
「ああこんな橋もあるんやな」
程度の興味だったのですが、
もう今となっては何としても
この橋を実際に渡ってみたい
という興味にかわって
しまっているんだよね。

人間、いろいろと興味の矛先が
変わっていくものなんですね。

なのでこれは何としても
行かねばならないと
改めて思ったわけである。

そこで、当時手に入れた
観光地図を見てみると、
八幡市内にはまだまだ歩いて回れる
施設も残っているし、
東高野街道も通っていることが
よくわかった。

なので、何度も通って
土地勘のできた石清水八幡宮あたりに
車を止めて歩いていけば、
そういうまだ未知の施設も
通っていけるし、
最後には流橋にたどり着ける
というコースをとれることが
分かったのだ。

もうこれはいかねばなりませんね。
問題はこのときが
盆の頃の灼熱の暑い日が
続く季節だったことだ。

残念ながら、これまでの
炎天下での遊び癖からか、
どうもdoironは気持ちが
暑さを軽んじてしまうところがある。

ふつうなら暑くて、
体の血管に拘束ができそうな時でも、
「なあんや。これくらいは普通やん」
などと思ってしまっていたのだ。

しかし、これが本当に
体によくはないのだったね。

とくに血管関係にいろいろと
問題を抱えてしまっている今となっては、
もっともっと暑さに
敏感にならねばならないのだよね。



この日の気温は、
大阪でも38℃を超える
高温の日々が続いていた。

なので体のことを考えたら
用意は完ぺきにしておかねばならない。

まずは時間帯だが、
これはもう午前中に
ウォークの肝心部分を終え
午後の熱い時間には
帰り支度を目指すくらいがいいだろう。

で、水は半分凍らせたお茶を
バッグに忍ばせておこう。

首筋には湿らせたスカーフをかけ、
服装は風通しの良い
Tシャツがいいだろう。

そんな風に心構えと
準備をしっかりと抱きながら、
早朝に現場へと向かったのでありました。

あ、もちろん車の中には
ラン後の着替えなんかも
ほりこんでおくのですよ。

阪和自動車道から
第二京阪道路を通っていきます。

道がいろいろとあるので
ややこしいのですが、
まあだいたいこんな感じで
石清水八幡宮を目指していくのです。

あ、運転中もしっかり水を
取りながら行きますよ。

体を水分たっぷりにしておかないと
いけないからね。

まあ、逆に言えばちゃんと、
SAのトイレも忘れずに
寄っていかないといけませんがね。

で、結局依然に止めたことのある
駐車場に車を止めて、
もうそこからナビを動かし歩き始めるのでした。

続く


ブラジルの人、見えてますよ~

2016年08月22日 21時47分03秒 | スポーツ全般

さあ、リオオリンピックも終わりました。

今回は日本人頑張ったねえ。
メダルがいっぱい取れました。

柔道がよかったしね。

まあ、なかでもdoironが
一番感動したのは
陸上男子400mリレーかなあ。

それぞれの持ちタイムを合わせたら
ほかのチームよりぐっと下だったのに、
もう15年くらい取り組んでいる
アンダーハンドパスのリレー技術
の妙手が彼らを救ったんだよねえ。
いかにも日本らしい勝ち方だったよ。

あの銀メダルで、
世界のリレーはきっとまた変わるだろうな。
バトン渡しの技が
どんどん研究されるだろうて。

しかしそれにしても
こういう地球の裏側で行われていた
数々の競技のテレビの観察が、
ようやく慣れてきたのになあ
もう終わるんだよなあ。

あ、そうそう、アナウンサーの
言うことを聞いてても面白かったよ。

「さあ、リオジャデネイロのオリンピックです~」

とかね。

そしてねえ、オリンピックを見てて
疑問に残ったことが二つあるんだよね。

一つは、表彰式でメダルと
一緒に配っている
オリンピックマークの置物のような奴、
あれはいったい何なんですかねえ。

だれかは「筆立てちゃいますか」
なんて言ってたけど、
そんなことないよなあ。

ただの飾り?
それにしちゃたいそうに
渡していたように思うんやけどなあ。

いったい何ものなのか、
じっくりまた案内してほしいものです。

そしてもう一つの疑問は、
リオの郊外の山の上に立つ
キリスト?の人形なんやけど、
あれって中に人が入れるのかなあ。

アップで見ると、
窓みたいなものが写っていたように
思うんやけどなあ。

ちゃんと紹介してほしいものです。

まあ、もしそんな案内番組が
すでに流れていたとしたらごめんなさい。

いずれにしても、
今年のオリンピックは面白かったですねえ。
次の東京が楽しみです。
生き続けないとなあ。

で、オリンピックが終わったら、
つぎはパラリンピックですねえ。

まあ、こちらも注目競技は
いろいろあるんだよねえ。

詳しいことは、まだしっかりと
分かっていないけど、
感覚的に言ったら車いすマラソン、
水泳、テニスなどが
楽しみな種目ですねえ。

「ブラジルのみなさん、見えてますよ」

暑さの中、こちらの体の動きも
制限せざるを得ない中、
外でも無理な遊びは控えめにして、
涼しい部屋でもうしばらく
じっくり楽しませてもらいますかねえ。