ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ポンポン歩いた 1

2016年05月31日 20時50分49秒 | ウォーキング

え~っと、doironが
心停止ちゃんと出会い
AED様とお知り合いになってから
もう5年半。



脳こうそくちゃんと
お知り合いになってから
もう7か月になります。



なかなかお二人、
doironの人生を大きく変えてくれましたね。

人間の命って意外に
そこの曲がり角を曲がったら
ポロンと転がり落ちたり
するもんでしょう。

そう思うともういてもたってもいられず、
今の環境の中で
精一杯生きていかなくちゃね
って思ってしまいます。

一度脳がくたびれてから
ますます日にちの立つのが
早くなったような気がしますねえ。
これはまあ加齢ということも
あるのでしょうが、
やはりどうしてもそういう
精一杯の気持ちに
火をつけてしまいますねえ。

てなわけで、先日山歩き初心者の人に
「山に連れて行って」というお誘いを受けたので、
まあぼちぼち山行きも
初心者的に初めていいかなと
思い始めたのでした。

で、そういうことなら
どこに行くのがいいか、
メモの付箋を見ながらちょっと
考えてしまいました。

まあ、安全な山道で
人も多くて、初心者がよろこび
そうな山をと考え
そういう意味では
頃合いそうな「ポンポン山」は
どうだろうかと考えたのです。

山の岩質が柔らかく、
山頂に近づくにつれ
歩く足音が「ポンポン」と
響くことからそう言われている山ですが、
本当は「加茂勢山」という
名の東海自然歩道上の山です。

じつはこの山には過去に
上ったことがあります。

そう、あれは今から37年前の春です。

なんとdoironは23歳。
山はしきりに大学で登っていたので
丘を歩くような感じで
上ったような記憶がうっすらあります。

当時からもう「ポンポン山」
と言われていたのは覚えていますが、
何せそんな昔のことですから、
コースのことなんかは
もう記憶がかなり希薄になっていました。
どこから登って、どこに降りてきたか
なんかあまり思い出せず
最後はうっすら
摂津峡の名前を見たような気はします。

しかしまあ、ほとんど記憶がありません。
脳こうそくの影響ではなくて加齢です。
え~そこで、
この辺りを通勤定期を活用して
いろいろと歩きまわっている
というジダンにコースを
聞いてみましたら、
ふむふむなコースを教えてくれましたので、
それを参考にコースを
組むことにしたのです。

まず、地図は昭文社の

「北摂・京都西山」

に掲載されていますので、
それが役に立つでしょう。

また、ほかの山歩き資料を見てみても、
たいていこの山は資料に
含まれたりしていますから
それらも見ながら、
皆さんの移動のことも考えて
集合を阪急にし、
そこから登ってまたそこに降りてくる
というコースを考えました。

これでトータル12キロほど
ですから頃合いでしょう。

で、ゴールデンウィークも
とっくに終わった21日(土)に
出かけていくことにしました。

事前に調べてあった一日数本の
バスに間に合うように
待ち合わせして乗車します。

すると、このバスの乗客が
登山者だらけでした。

そんなバスに15分ほど揺られて、
到着したのがバスの終点
「川久保」という駅でした。



降りたところには、
自販機もありませんでしたので、
水やお弁当を事前に
用意しておいて正解でしたね。

この日は初心者も行くので
その辺の指南は
ちゃんとしておきましたもんね。

さあ、それではようやく歩き始めましょう。

まずは里山道を上がっていきます。



途中ユキノシタが咲く
こういう沢沿いの
気持ちいい道をいきますと、



こういう分岐点に差し掛かります。



そう、今回の歩き始めの問題は、
まずぐるっと一周するコースを
右回りするか、左回りするかです。

ここの分岐を右折すると、
尾根経由の道を通り、
釈迦岳を経てポンポン山に
左回りで至るケースですが、
どうもバスを降りた人で
こちらに入っていく人を見ていません。

みなさん曲がらずに
まっすぐ行くようですので、



本山寺経由でポンポン山に
行く人が多いようです。

これでしたら、ジダン指摘の
逆コースを行くことになりますが、
結構登山経験の少なそうな人も
行くようでしたので、
同じコースを上がっていくことにしました。



一緒に行ったのがまだ初心者ですし、
doiron自身の病明けの
初登山だったので
なんとなくそのほうが
安全なような気がしたのでした。

では、はたして37年前は
どの道を上ったのだろう
と思い出そうとしつつも
思い出せなくて続きます。


さて、次はどこ行こ

2016年05月30日 21時32分24秒 | ウォーキング

まあ、この夏に首Dさんたちとの
旅行も決まったのですが
ふだんはやっぱり場所を決めて
ぷらっと歩きに行ったりするのが
doironの大きな遊びです。

で、熊野古道や淀川完歩、
神戸リボン道なんかは
シリーズで歩いているので
わかるけど、
そのほかの地域に
歩きに行くときに、
その場所はどうして決めてるの?
という質問をよく受けます。

う~ん、それはねえ
直観と四柱推命のなすところ。
・・・ではありません。

以外にこれ、
細かい日々の積み重ねの中で
決まっていたりします。

てかくとこれもまた
たいそうやなあと思われる
かもしれませんが、
そんなものではありません。

ただ単にそこに行く
他の用事があったから
というのもありますが
よくあるのが、
たまたま本やTVで見かけたから
といったのも結構あるのです。

先日、友達から母親が入っている
という旅行クラブの
パンフレットを
取りまとめたものをいただきました。

「doironさんやったら
こんなん絶対興味あるやろ」
と言って持ってきてくれました。



これで2回目です。

これがねえ、確かにおっしゃっているように
興味があるんです。
雨の日なんかにはパラパラ読みながら、
編集仕事の出来と
旅心を育てながら
読んだりするのです。

編集仕事の出来というのは、
脳こうそくの症状が出る前は
こういうパンフの制作仕事に
うまくいけば取り掛かれるぞ
という状態だったのですが、
病気で課題が送れずに
リタイアしている状態になっています。

まあこれもある意味、
自分の生活に自制をかけようと
してくれた神様の仕業なのかとも思い、
しゃあないなと
あきらめていたところがありました。

まあ、もしまたこういう機会があれば
書いてみることになるかも
しれんなとか思いながら、
旅記事を自分なら
こんなことも書いてみたら
面白いとかを含めて、
編集含めてつらつらと
読んだりしているのです。

そして、そんな記事の中で、

「あ、ここはこんなことを
調べに行った方が面白いかも」
とか思ったりすると、
そのテーマと場所を
付箋に書きとめ
アトリエの空いている壁に
貼り付けたりしています。

まあ、いわば編集の勉強と
テーマの勉強をするわけですな。

また、別の友達から

「doironさんはこんなん興味あるやろ」
といいながら旅本を
いただいたりもします。



するとこれがまた面白い、
というかいろいろと
話題になったことが
書かれていたりするのです。

そもそもその本は
歩き回ることを
あまり意識していないのだが、
歩いていくなら
こんな所を見ておきましょう
というような内容が
よく書かれてあったりするので、
それもまた付箋ネタになります。

また本には、
何が今まで歴史上明らかになっているのか、
そしてなにが謎なんかも
知ることができるという点で
貴重本であります。

結局、部屋の壁には
意外に興味のある情報が張られ、
doironの行き先の多くを
その中から決めることが多いのです。

ですのでその関連旅が終わるごとに、
付箋が一枚はがされるわけですな。

今、アトリエの壁には
12枚の付箋が張られています。

それは「伊賀上野」であったり、
奈良の「郡山」であったりするわけです。

まあ、増える付箋と
実旅の競争のような感じですね。

なので友達からもらった資料や
旅先で集めてきたパンフレット、
これらはとても重宝させてもらっている
とこういうわけなのです。

え~、もし他にもこんなところを
回ってほしいというような
リクエストがあれば、
コメントやメールで結構なので
また教えてもらえたら、
それもまた尚一層ありがたい
と思ったりするdoironなのでした。


大阪市内の猪養殖場 3

2016年05月29日 21時01分09秒 | ウォーキング

西俊徳地蔵を出て、
しばらく北上していきますと、
道がくにっと曲がるところで
「彌栄神社御旅所」に出てきます。



こんな感じで、
結構整備されています。

この御旅所の前の道が
くにっと回っているのには
少し意味があります。



これが昔の大阪の地図です。

大阪平野はかつて多くが
水につかっていたのですね、
特に河内湖という大きな湖が
広い面積を占めていました。

その河内湖にそそぐ川のうち、
南側の平野川(旧称「百済川」)が
今の鶴橋駅少し北の
小橋というところで湖に
注いでいる時期がありました。

そう、だからこの辺りは
川の下流の平らな場所で
あったわけですね。

そんな場所でイノシシを
飼ってる人が多かったから
猪甘の津(港)と言われていて、
のちに淀川とかのおかげで
陸地化したときに
「津」は「野」になり地名も
「猪飼野」になっていったそうです。

しかしまあそんな「猪飼野」も
行政区画エリア名の変更で
地名から消えてしまいましたが、
交差点名や橋の名前などで



若干残っている状態になっています。

その御旅所からしばらく歩いていくと、
そこにあったのが

「つるのはし跡」碑です。



そうこの辺りは海に面した
へいちというか湿地のようなところも多く、
昔は鶴がたくさん飛んできていたようなので、
平野川にかかる橋を
「鶴橋」と呼んでいたそうです。



なのでこのあたりの地名が
今も「鶴橋」なんですねえ。



当時は鶴がよく来ていましたが
今は猫にもエサをあげてはいけないようです。

そうそう以前、つるはしを歩いているときに
「亀の橋」のあと碑を見つけましたから、



いやあ「鶴と亀」でおめでたいこってすな。

で、この「つるのはし」には
さらに古いいわれがあって、
「日本書紀」には日本最古の橋として
「猪甘津の橋」と期されていたそうです。

なかなか貴重な旧跡なんですねえ。

さてぼちぼちこのあたりで
お昼にしないといけません。

さっきつるのはしの手前に
コンビニがあったので戻ってみましょう。
で、そこで買ったのが、これ。




お湯もコンビニでいただいて、
つるのはし公園の片隅でランチタイムです。

いやあ、日本最古の橋でぜいたくですなあ。

しかも、この鶴の橋の前は
パン屋さんです。



そのおいしそうなにおいも
おかずになるってなもんです。

もぐもぐ・・・。
はあ、満足ですな。

さあ、食事を終えたら、
続きを歩きましょう。

さらに進んでいきますと、
こんな道標がありました。
「右 大阪」と刻まれています。



昔は「大坂」という字が
よくつかわれていたのですが、
ここは「大阪」ですね。

案内によると、この道標は
1866年に明治になる直前に
建てられたもので、
その時期に「大阪」とは
珍しいものだそうです。

そしてその先にあったのが



「御幸森天神宮」です。



この辺りは湿地で水鳥が多く、
仁徳天皇がよく狩りに来たそうです。
そして狩りに来た時に、
当時百済の人が多く住んでいて
反映していたこのあたりで
よく休まれたので、

「御幸森」という名前がついたそうです。

この日は工事もしてたので、
ジックリ中をうろうろすることが
できませんでしたが、



途中、「さし石」という遺跡を見つけました。



重さ70キロを超えるこの石を



持ち上げて、地元の者たちが
力比べをしたそうです。

本殿は静かな感じの社殿でしたね。



そしてこの神社を出たあたりから、
「コリアロード」という名前の付いた、
商店街が始まります。



売られているのは「キムチ」や
外国衣料、韓流メディアグッズなどが
次々と並んでいます。





見ていると、若い女性が
結構来られているようでした。

途中、チヂミを一枚買って



公園で食べたら、



これが大きくて
おなかがいっぱいになってしまいました。

キムチもお土産に
買いたかったのですが、
ちょっと電車でにおいが
気になりますからやめました。

結局トータル約8キロを歩いて、



鶴橋駅に到着。



古代の「猪甘津」や
「コリアタウン」を味わった
生野区の旅、これにて終了です。


大阪市内の猪養殖場 2

2016年05月28日 21時19分13秒 | ウォーキング

これが「生野八坂神社」の本殿です。



狛犬が2対いて、
古いほうは阿形の顔がこすれていましたな。

よく触られたのかな。
まあ、しっかりとお祈りしておきましょう。
パンパン。

さてコースはここから
北を向いて進ん生きます。

この通り沿いに、
レンガの長屋が続くと
資料にありましたが、
そのあたりはすっかり
建て替えられていましたな。

そうこうしているうちに、
道の突き当りに大きな木が
生えているのが見えてきました。



ここが「生野神社」です。



鳥居のわきにあるのは
「榎」だそうです。

このあたりも昭和40年代に
だんじりを手放し、
祭りの途絶えていた地域だそうですが、
6年くらい前に
河内長野からだんじりを購入し、
今は熱心に祭りをされているようです。



この地域の祭りは夏に行われるようです。

泉州のだんじりとは
少し前の頃ですねえ。



写真で見る限りは
上だんじりのようですが、
前でこも入れての辻周りは圧巻のようです。

「打ちま~しょ、もひとつせ、
よーいやさんの」と
かけ声がかかるそうです。
地域によって微妙に祭りの
形も異なるもんですねえ。

それにしても、暑いときの
祭りって大変そうですねえ。

9月、10月くらいの泉州の祭りでも、
熱中症が出るくらいですからねえ。

で、このいま歩いているあたりの地名は
「舎利寺」という地名になっています。

電プレも「舎利寺東」になっています。



その地名のもとになったのが
この先にあったお寺「舎利尊勝寺」です。



黄檗宗のお寺で、
かなり施設内の西国三十三か所の
霊場碑なんかは古く、







とても趣を放っておりましたな。

境内を眺めたあとは、
外に出て、こんなユニークな
空気穴のある倉庫の壁を見ながら、



古い街を歩いていきますと、



やがて御勝山南公園に



出てまいりました。



昔は岡山と言われていた土地なのに、
徳川家康が夏の陣で
戦勝会をこのあたりで開いたので
「御勝山」になっているんですねえ。

ここは結構緑の濃い公園ですねえ。

中に入ってみますと、
向こうのほうで大勢の高齢者達が
集まっています。



ああ~公園らしく将棋か碁でも
指しているんでしょう。

でもさすがに人が多いなあ
と思いつつそちらへ行ってみると、



これが驚きでした。

将棋をしているのでも、
碁をさしているのでもありません。
高齢者羽生や



老年井山



がいるわけではなく、
そこで繰り広げられていたのは
3台の麻雀でした。

ウヒャア~
最近近所の幼友達との
麻雀に凝っているdoironには
驚きの光景でした。

確かにこの辺りは中国から
来ている人も多いと聞きますが、
この姿を見たら確かに
そうかもしれないと
思ってしまいますよねえ。

公園の北東の角には、
あの同性愛者「折口信夫」の
文学碑があります。



「小橋過ぎ 鶴橋生野くる道は 
古道と思ふ 見覚えのなき」。

と刻まれてありました。



そういえばこの公園はちょうど
1年前に大阪市内の低山アルプス縦走で
やってきた、標高14mの
御勝山古墳の横でしたねえ。



あの時はそのあと西向いて
茶臼山のほうへ行ったのですが、
今回はこんな御勝山古墳を眺めながら



さらに北のほうへと
上がっていきましょう。

このあたり、道には歴史の道の
案内石が埋められています。



それに沿ってしばらく行きますと、
「西俊徳地蔵尊」に立ち寄ります。



この前の道が「俊徳街道」と言われる道です。

このブログの読者なら
ちょっと前に聞いた名前ですね。



そう、東大阪の「司馬遼太郎記念館」に
行ったときに、解説して通った道ですね。

河内国高安の長者の息子で、
継母の呪いによって失明した
「俊徳丸」が落魄したのちに、
恋仲にあった娘・乙姫の助けで
四天王寺の観音に祈願することによって
病が癒えるという伝説があり、
その俊徳丸が四天王寺へと
通ったみちがこの
「俊徳道」または「俊徳街道」として
今も残っているんですね。

この地蔵尊の前から
その道へとつながっていきます。



前の道に半分埋まっているこの道標は
「瓢箪山」への道標なんだそうです。

過去の旅とちょっとつながった地蔵でした。
ふむふむと続く。


大阪市内の猪養殖場 1

2016年05月27日 20時55分58秒 | ウォーキング

大阪市内は結構歩いてきました。

熊野街道、天王寺七坂、
天神橋筋商店街、大川めぐりに
御堂筋、そして平八郎、
福島、平野など、
いくつかのエリアをぶらぶらと歩いてきました。

これだけ回ったら、
もう行くところはないだろう
といわれるかもしれませんが、
そんなことはありません。

やはり一時は日本の国の首都
でもあったエリアです。
まだまだ歩いてみるべきところは
いくつも出てきます。

今回はそんな未踏の
大阪市内の中でも
古代「猪甘津」という
朝廷に献上する「猪」を
飼っていた人の多かったところを
中心に歩いてみることにしました。

大阪市内でもそういう
イノシシ飼いの人たちが
いたわけですね。

スタートは電車でちょろっと
出かけた環状線の「寺田町」駅です。



ナビをセットして
駅の北口から奈良街道を
東に向かっていきます。

駅前は結構質素ですけど
いろいろとお店がありますね~。



こんなお寿司もちょっと
寄ってみたい気がしますねえ。



おっ、イカ焼き屋さんもあります。
なかなか高感度なお店配置ですね。



そんな街の片隅に
市の電光掲示板が立っていますが、
この上の行き先とか見たら、
あまり気合の入っていない案内ですねえ。

ファミマは結構気合が入っています。



2階に休憩コーナーがあったりして、
じゃお寿司とイカ焼きを持ち込んで、
コンビニのビールで休憩・・・
なんかしてたら進みませんな。

こんな道端地蔵を眺めつつ



進んでいきますと、
生野本通商店街の入り口に到着です。



しかし、やはりこの商店街も
寂しいですねえ。



こんなお店があったり、



他の商店街とつながっていたり



と頑張っているのですが、
やはりどうしてもいまの時代じゃ
限界がありますよねえ。



実は事前の調べで、
ここに古くからの

「源ケ橋温泉」

という浴場があり、
風呂屋・銭湯の建物としては
全国初の登録有形文化財に
登録されているので
確認したかったのですが、
残念ながら見落としてしまいました。

ちゃんと地図にしるしを
落としておかなくてはいけませんね。

温泉マークを持った自由の女神が
「ニューヨーク」ではなく
「入浴」を表し、
屋根の上には鯱瓦も載ってる
というおしゃれを
確認しておきたかったです。

ネットの写真でどうぞ。


大きな道路を隔てて、
今度は生野本通中央商店街に
入っていきます。



まるでスーパーの入り口みたいですなあ。

と、同じような商店街です。



さほど見どころもないので、
横道なんかも眺めながら
歩いていますと、
おお~ここなんか
道端の地蔵さんが
がっちり道をふさいでいます。



おおらかといいましょうか、
信心深いといいましょうか。



あ、ここには全国各地の
ふるさと地図マップ館があります。



壁には故郷マップが張られ、
各地の地図も置いています。

観光案内のついてるマップとかだったら、
doironが持ってるのも
たくさんありますよ。
ていうか、量が多すぎて
保管に困るくらいで、
期限の過ぎたイベントポスターなんかは
時々見直して捨てています。

でも置いといたほうがいいかなあ。

展覧会ができるかもしれません。
パンフレットにブログの紀行文、
写真展やそれに絵も加えて
そのうちdoiron館でも開業しますかね~。

飾りではためいている
こいのぼりを眺めながら歩いていると、



この商店街の終点部分に
あたるところにおおきな
というかかなり刈り込まれた
古いクスノキが見えてきました。



ここが「生野八坂神社」です。



允恭天皇の竈臣の住まいが
あったとされる、
旧林寺村(このあたり)の氏神として
信仰されています。

京都の祇園の八坂神社に関連して、



いまも「生野の祇園さん」
と言われています。



淀川の「八坂瓊神社」を思い出しつつ、
続きます。


退職者サミットG3

2016年05月26日 20時39分02秒 | 生活

先日、さあてそろそろ
夕方の運動を始めようか
と思った頃です。

台所で水分補給をしていますと、
玄関の呼び出し音がなりました。

お客さんですね~
はいはい~
と行きますと、
頭にヘルメットをかぶった
高齢おじさんが立っているではないですか。

よく見ると、ああ、首Dさんでした。

「え~とねえ、
今からチャリンコで
なじみのパン屋まで
買い物に行くんやけど、
来月の旅行のパンフレットが
手に入ったので
ついでに持ってきたよ」と言います。

「まあ、旅行するんなら遊び部門は
doironさん担当やからよく見といてね~」
と言って置いて行かれました。

そうなんです。
首Dさんが50年の勤続を終え
(なんとそれが本日)、
毎日が日曜日になるのを祝して、
温泉旅行に行くことにしたのです。

行先は2泊で紀伊勝浦と伊勢志摩です。


紀伊勝浦


伊勢志摩

もっと遠くに行きたかったのですが、
doiron家のばあさんの出来事や
首Dさんの会社関係の人の出来事、
T本さんの母さんの
法事の都合もあります。

そう、みんな毎日日曜日になりますが、
それなりに生きていくのに
いろいろとあるわけです。

伊勢志摩は今、
「サミット」で話題ですね。
でももう僕らが行くそのころには
警備も落ち着いているだろう
ということで、
T本さんも含めて我々は

「退職者サミットG3」

を開くことにしたのです。
え~G3の「G」は本来の
グループというわけではなく
おじいさんのGですので、念のため。

移動は首Dさんのワンボックス車で、
運転はdoironです。
なので遊びはdoironが誘導します。

T本さんは料理担当です。
事前に宿と連絡してくれる
かもしれません。

それが終わったら核廃絶に向けて
広島にも、

ああそれは今回ちょっと行きませんが・・。

そしてさらに加えて、
首Dさんとは新しい取り組みも
始まるのです。

それが、四国八十八か所巡りです。



このたびツアーに申し込み、
各月1回、日帰りもしくは
1泊で四国巡りをすることになりました。
もともと自転車でやる予定だった計画を
建てていたのですが
二人の体力的問題から
ツアー参加で頑張ることにしました。

そのツアーも6月末から始まりますので、
まあこちらも超~楽しみです。

なにせ、先日四国巡りを満願した
マラソン友達も、
入院までした「アトピー」が治った
などという素晴らしい出来事を
聞かせていただきました。

まあいろいろあるdoironと
首Dさんですから、
きっと素晴らしいご利益を
いただくことになるでしょう。

年取ってくると周りにこういう時間も
豊富なお友達が増えてきますね。

さらにしっかりと
遊びに行きたいな
と思っておるわけです。

これでまたブログも
さらに忙しくなりますし、
なにか自分の中で新しい取り組みが
始まりそうな、
そんな楽しい予感もしている
旅行や四国巡りなわけなのです。


淀川完歩31 豊里大橋まで

2016年05月25日 20時55分50秒 | ウォーキング

淀川の水も、
大阪の飲料水になっていますから、
いろいろと規制水準が高く
ある程度きれいに
保たれているんでしょう。

このあたりの川ではこういう
ボート?遊びをしていました。



さあ、距離標もここではもう
18キロです。
刻一刻とゴールが近づいてきますねえ。

そういえば、以前、
このあたり大阪市内からの
フルマラソンで走ったことがありますねえ。
あの頃は力入れずに走ったら、
フル1本くらいは
ちょっと気合の入った
練習程度だったもんなあ。

今の自分から考えたら
全く別人でしたなあ。

ま、人生こんなものだろう。

で、ふと町のほうを見てみると、
さっきまでツインだったビルが
三本に増えていました。



ふむ~たったこれだけの間に
ビルが一つ建つってどうよ。
最近の建築技術はすごいもんだ

何度も何度も通っていた
おなじみの中央環状線を
こういう地下道で潜り抜けます。



そうして再び堤防上へ
上がっていったところが



17キロ地点です。

このあたりは周辺環境の中で
水面が入り組んだ形になっており、
ちょっと湾風に入り込んだところは
漁業基地になっています。

何をとるんでしょうかねえ。

ウナギ?
鯉?
まさか鮎とかじゃないでしょうねえ。

で、そんな漁業基地の
そばにあった神社が

「八坂瓊(やさかに)神社」です。



この「瓊」という字を
出すのに苦労しましたよ。
こういう旧跡名や地名は
ワープロで打ってても
漢字の勉強になりますね~。

この神社は京都祇園の
八坂神社のご祭神を
観請したものだそうです。

茨田の堤を持つ村々の
守護をしておるようですね。

対岸のほうを見てみますと、
これはいくつかある
大阪市清掃工場のひとつ

東淀工場です。



川は水の汚れを飲み込み、
清掃工場はごみを飲み込みます。

あ、これは万博公園からの
距離を示す表示です。



そういえば遠くのほうに
万博公園の観覧車も見えています。



でも、万博公園も
すさまじい事故で、
終わったよねえ。

この遊具も今は解体中のようです。

先日、三田のアウトレットに
行ったときの帰りにそばで見たら、
でっかいクレーン車で
囲んでいましたね。



そんな公園の存在に結び付いた
この河川敷の記述も
消されたりするんでしょうねえ。

河川敷の道はなおも
淡々と続いていますが、



ここでもっとも
大きな声で鳴いていたのが

「ヒバリ」でした。

河川敷の中に
巣でも作っているようです。
で、どんな鳥かといいますと、
ちょうど15キロの
距離標の上に
ちょこんと止まっていました。



この日はひばりだけでなく、
ほかにもいろんな鳥が
鳴いているようでしたね。

はい、そうしているうちに、
本日の最終地点と見込んでいる
「豊里大橋」が見えてきました。



その地点が13.8キロ地点です。



ここにこの大橋が
できたことによって、
かつての「渡し」であった
「平田渡し」の営業もなくなり、
ここでも渡し場がなくなったようです。

河川敷の記述によると、
なんと294年の暦が
この橋で消えたわけですねえ。



当時はこんな渡しだったと、
ネットに写真が出ていました。



そんな橋から町中へと下っていき、



今回はここまでです。

ここから大阪地下鉄谷町線の
「太子橋今市駅」に行き、
帰路に就くことにしましょう。



コースはナビの図でいうと
こんな感じとなりました。
距離でいうと13キロを
少し超えたくらいで、
なかなかのコースでしたね。



川沿いの道は日陰も少なくて、
暑さ寒さに弱いけど、
今の季節なら
風も気持ちよくなかなかですね。

次回のウォーキングは、
この地下鉄駅から始まることになります。

がんばったら次回ぐらいゴールかなあ。

でも下流のほうも
まだ見どころも
いっぱいあるようやしねえ。
まあ、何も焦らず
のんびりと歩いていきましょう。

今回の淀川完歩はこれにておしまい。


淀川完歩30 鳥飼大橋をくぐる

2016年05月24日 20時45分42秒 | ウォーキング

渡しを使ってやってくる人がいたので、
京街道に近いこの佐太天神宮の
入り口には道標があります。



その正面には「佐太天満宮」と刻まれ、



裏には



「もり口 一里 京ばし三里」



「野ざき七十丁 ほしだ二里 ・・・七十丁」
と刻まれている。

その佐太天神宮に入って行ってみよう。



道標や鳥居には「天満宮」とかかれ、
その他には「天神宮」と書かれているので、
ここでは「天神宮」と書きます。

参道をずっと歩いていくと、
こんな石が立っていました。



境内には蕪村の句碑があるそうです。
これは確認しないといけませんね。



これがあの淀屋橋をつくった
「淀屋」の寄進の石井筒です。



そしてこれが筆塚なんですが、
この字を書いたのが
最近東京オリンピックの時にも
頻繁に登場する「森喜朗」氏です。

文部大臣の時だから
30数年前の石碑ですね。
まあ、きれいな字ですから
いいんじゃないですか。

doironが書いたら
漫画みたいになってしまいますからね。

そしてこれが「蕪村の句碑」です。



「窓の灯の佐太はまだ寝ぬ時雨かな」。

この筆塚や蕪村の句碑の
後ろにある森が
「おおさか緑の百選」なんですねえ。





はい、大体これで
佐太天神宮の見どころは抑えました。

ここから隣にある「来迎寺」も
寄っておきましょう。



このお寺には見事な松があります。





あっちこっちから枝が伸びて、
どっから生えて、
枝がどうなっているのか、
これはもう難解な姿になっています。

木の枝をこんな風に育てるって
根気いりますよねえ。

そしてこの寺の中庭には
大阪府指定の有形文化財の
石塔があるとなっていますが、
ちょっとわかりません。



帰ってからネットで調べたら
こんな風な石塔でした。



こ、これは先日深井清水の
村中で見つけた石塔に
そっくりですねえ。

もし関連があったりしたら
驚きなんですが~。

さあ、ではこれでまた
淀川のほうに戻っていきましょう。



堤防に上がっていきますと、
春にしては強い日差しの中で
遊ぶ人たちは、
こんな木陰をうまく使って
遊んでいますねえ。



なかなか広くて心地よさそうです。

町の方はというと、
ちょっと向こうに
ツインのビルが見えていますねえ。



最近はこういうツインビルが多いですねえ。
大阪城公園、泉大津、堺市、八尾
など各地で見かけます。

で、たぶん、位置的には
守口の方なんでしょうねえ。

しかしこんなに暑いと
しっかりと水分を
取らないといけませんねえ。

今日の飲み物はねえ、
これにしたんです。



「香りが違うなあ」と
吉川晃司が言ってたりする
このお茶ですから、
きっとうまいに違いありません・・・
ってやっぱりあんまり
変わりませんなあ。
doironの舌も頼りないからかも
しれませんがね。

歩くときに効率よく
水分をとるのって
何がいいんでしょうねえ。

昔は断然コーラでしたね。
おしっこが黒くなるんじゃないか
というほど浴びるほど飲んだなあ。

けど、最近はねえ
そんなに飲めないし、
ちょっとカロリーや
吸収効率を考えてしまいますねえ。

こんなに体重増えちゃねえ。
水分はdoironの病気を考えたら超必要ですから、
まあいろいろと考えつつ
飲むことにしましょう。

この夏までにもっと痩せないとねえ、
頑張るぞ~。



などと河川敷で変な誓いを立てつつ、
さあ次の橋に向かっていきましょう。

たぶん淀川を渡る橋としては
いままで一番数多く渡った
橋ではないでしょうか。

大阪中央環状線の通る「鳥飼大橋」です。

この橋のところには
大阪モノレールも走っています。

まだ乗ったことのない交通機関です。

このモノレールを使った
歩きも計画していますが、
なかなか交通量とかも多くてね。
でも走るんだったら
モノレールランなんかも
いいかもしれんねえ~
とか考えながら続きます。


淀川完歩29 佐太の渡し

2016年05月23日 20時33分25秒 | ウォーキング

この水辺公園のところには
それはそれは見事な大イチョウがあります。



巨木を訪ねたドジ旅日記で
平野の大念仏寺で見かけた
大イチョウといい勝負するほどの
巨木です。

実は昔、国道1号線は京街道と言われ、
この堤防下を通っていました。

そこに河川敷の管理事務所があり、
その敷地に生えていたのが
この「大イチョウ」だったそうです。

へえ、こんなところを
国道が通っていたことにも驚きですねえ。

そしてもう一つ驚いたことが
書かれてありました。

先ほどから二段になってる
辺な形の堤防やなあ
と思っていた部分は、



なんとこの下の段が
昔淀川を整備するために
土を運んでいた
電車のラインだったそうです。

調べてみたら、
こんな写真も残っているようですし、



また左岸を歩けば
この電車が渡った
橋の足下駄の痕跡なんかが
残っているそうです。

瀬田川で走っていた
「おとぎ電車」とともに、
二本の線路が廃線になっているんですねえ。

さあ、距離標も21キロです。



草むらにはチガヤが広がり始め、
この先の「鳥飼仁和寺大橋」をバックに



大勢のランナーや
サイクリストが走っています。

ちょっとこの辺川の下も
面白そうですし、
降りて行ってみましょう。

お、階段にはメジャーがついています。



おお~、この辺が警戒水面のようです。



最近はこんなに水が
いっぱいになることもあるんでしょうかねえ。

あちこちに設置してある
トイレがみんな流されてしまいますよねえ。

ていうか、
ゴルフ場もわやくちゃになりますよねえ。
今は水利関係がきれいに整備されて
こんなこともないんでしょうねえ。

下に行くとまだまだ
クサフジは元気に咲いています。



ムラサキサギゴケや



ヘビイチゴの実、



そしてこれは「ツルマンネングサ」
でしょうかねえ。



以前紹介した尼崎の
「神崎川」にも咲いてたやつですねえ。

河原へ降りて、
さらにバイクもあまり通らない
川沿いの近くの方の道を通ります。

あ、栴檀の木に花が咲いています。



なかなか緑の深いところです。

そしてそろそろこの辺で
昼食かなあと思うのですが
なかなかいいところがありません。

川の近くは「あぶない」しなあ。



もう少し先まで我慢しますかね。

有料なこの橋の料金所の
下をくぐりますと、



このあたりにパターゴルフ場があります。



これでまたしばらく
道をふさがれそうなので、
すぐにまた土手の上に上がっていきます。



今回は、ただまっすぐだけじゃなくて、
上がったり下がったりと結構忙しかったなあ。

まだ、土汽車の線路あと敷地が
ありそうなところは
歴史が古いですねえ。

なんでもないところの家に
巨大な木が立っていたりします。



さてほんとにおなかがすいてきました。
下に降りるとベンチも
ありそうですから
再度降りていきましょう。

ギシギシの咲いている坂道を下り、



高齢者の人たちが
テニスを楽しんでいる
コートの横に簡単な屋根付きの
空いてるベンチを見つけたので、
そこで食事にすることにしました。

大体歩いているときは、
公園レストランや道端カフェが
多いのですが、
今日はテニスコートランチです。

メニューはこれ。
へへ、この頃はヘルシーでしょ。





今回は荷物も少ないので
ガスコンロです。

さすがに昼寝はしなかったけど
ゆっくり過ごして、
さあ歩き再開です。

この駐車場の管理小屋には
こんな風力発電がついていました。



どれくらいの発電量が
あるのでしょうかね。

で、うまく使えそうなら、
これからのアウトドアの
遊びにもっと活用されるように
なるかもしれませんね~。

さてこのあたりから
川から少し離れたところに
佐太天神宮があるので
そちらに向かってみましょう。

途中の溝のところに



こんな石が立っていました。



「淀川筋佐太渡船場」

と書かれてあります。
そうですねえ、
ここは淀川大橋のところにあった
郵便渡しの次の渡しに
なるんですかね。



ほかの面には、
「出水十二尺以上暴風雨渡船止」と
刻まれているのも面白い。



安全第一、そやねと続く。


淀川完歩28 茨田の堤

2016年05月22日 20時43分09秒 | ウォーキング

仁徳天皇といえば、
そうあの堺市に世界最大の
墓を持つあの天皇ですね。


(2013年6月撮影)

あちこちを歩いていると、
大きな工事なんかに
関連してこの天皇の仕事
という記述をよく見かけます。

精力的に事業を行ってきた
天皇だったのですねえ。

この茨田堤は当時の水害対策の一つとして、
淀川の分流にそって
20km超にわたって
築かれた堤防だったのですねえ。



今もその痕跡は守口市内に残っています。



ネットにも掲載されていました。

「土佐日記」にも
「わだの泊りの分かれの所」と
記載されていたりもするようです。

しかし、こういう河川工事には
いろいろと大変なことがあったそうで。

日本書紀にはこんな記述があります。

どうしても2か所くらいが
何度も切れてしまう。
どうしようかと悩んでいたところ、
天皇が夢を見たそうです。

その場所から人を流しなさいとのこと。

「コワクビ(強頸)」と
「コロモコ(衫子)」という人が
選ばれコワクビは泣きながら
入水したそうですが、
「コロモコ」は機転を利かせて
入水せずに済んで、
「ロコモコ」を食べていたそうです。

その機転とは、
川に水に浮くヒョウタンを投げて



これを沈めたらわしも信じて
入水してやるといったそうです。

結局、ヒョウタンは沈まず
かれは入水せずに済んだという話で、
そのコロモコが入水しようという場所が、
この「太間」の当たりだったそうです。

川の近くには「太間天満宮」があり、



そこにこのコロモコのことも
書いた碑がありました。



この天満宮にはこんな狛犬もあります。



うう~、重量の増したdoironには
こんな狛犬の間を通り抜けることは
できませんなあ。

これは新たなダイエット狛犬?

そんなことはないか。

それにしても、この「太間」という
地名なんですが、
すぐ近くに「絶間」という
交差点もあります。

よく切れるという川の場所を
「絶間」ということから、
それがきっと「太間」の語源になったようです。

「大麻」でなくてよかったですねえ。



河原に戻ると、
そんな神社やその横にあった
松のきれいな「西正寺」のほうに向けて、
屋根に鍾馗さんを乗せている
家もありました。



ん?でもちょっと違うぞと思ったら・・・、
猫でした。



これが本物の鍾馗さんです。



そして町の中のほうに
大きな建物があります。



「摂南大学」ですね。
かつてのdoironの職場の人らには
おなじみの大学ですね~。

きっと社長はこの辺の
淀川河原でスポーツを
されたりしてたんでしょう。

おっ、この色形の統一された
自転車軍は何でしょう。



よく見るとレンタサイクルのようです。

しかし、これだけ赤い色が
そろうと驚きますよねえ。

サッカーやったり、
野球をやっている子供たちが
借りてきたんでしょうねえ。



帰りは、どれが誰の自転車か
わかるのだろうかと、
ちょっと不安になってしまいますわい。

で、そんなものを見ながら
淀川大橋をくぐっていきます。



この辺りは、
下の河川敷の緑が濃くなってきますねえ。

一度下に降りて歩いてみますか、
と思っていると、
前方にこんな手作りの看板があります。

文字が消えかけていましたが
よく読むと
「茨田樋遺跡 水辺公園」
と書かれてあります。



上から眺めると、大きな銀杏の木があって
ちょっと古そうな遊園地です。

草刈機などで整備をしている
ようでしたが、
降りて見に行くことにしました。

「茨田樋」とは、
昔淀川から生活用水を引いていた樋は
枚方から毛馬までに
8か所あったそうですが、
すべて大水害時の堤防決壊を恐れて
閉鎖されていき、
そのあとが現存しているのが、
この「茨田樋」だけになったそうです。

こんな大きな記念石や



説明版がたっていました。



おそうじメンテ中に失礼しますよ~



と言いつつ続く。