昔、手塚治虫が描いた未来社会は
ビルとビルの合間を道路が流れ、
ロボットが家事をすべてやってくれる。
食事はチューブですべての栄養分を
摂取できる、みたいな社会だった。
しかし現代社会では、一部ビルの間を
高速道路がビルの間を縫うように走っているところも
あるにはあるが、意思のあるロボットが
掃除、洗濯、調理をするところまでは
発達していない。
2003年に生まれているはずの
鉄腕アトムももう7歳に
なっているはずなのだが
まだ小学校に入学したとは
聞いていない。
またアーサー.C.クラークの原作を
スタンリー・キューブリック監督が
映画にしたのが
「2010年宇宙の旅」。
多感な頃に見たこの映画は
全くわけのわからん映画だった。
しかし、2010年の頃には
こんな社会になっているのかなあと
思っていたような記憶が
かすかにある。
そんな、2010年がまもなく終わろうと
しているが
人々が自由に宇宙を移動できる時代には
まだなっていない。
残念ながら人類の進歩は
予想よりは緩やかだったようだ。
でもそりゃそうだろう
あの映画を見てワクワクしていた頃の自分と
今の自分を比べてみても
そんなに進化したとも思えないしな。
さて、そんな2010年を
doiron周りの出来事を
中心に振り返ってみようと
このブログを辿ってみたら、
実に様々な出来事に埋め尽くされている。
一つ一つここに書くと
新年になってしまうくらいだ。
出来事の多くは、あまり歓迎される
ものではなかったけど
どれもみなぎりぎりのところで
乗り越えてこられたことは
いろんな人のおかげだと感謝のひとことです。
無我夢中で過ぎてきた2010年。
まさに
「2010年夢中の旅」
がまもなく終わります。
一年間、この
ハブ ア ナイス doi!の
ご愛読ありがとうございました。
頑張って一日も休まず更新できたってことは
まだまだ人生に余裕があるってことだと
前向きに思うことにします。
アクセス数を見ると
毎日100人以上の人が訪れてくれているようです。
全然、ナイスなdoiではありませんでしたが
よくぞお付き合いしてくれました。
doironの大きな支えでした。
来年はもう少し
楽しく暖かい話をできることを
期待しまして
今年のブログを締めくくりたいと思います。
ありがとうございました。
そしてよいお年を!
TVは特番だらけだ。
もうずいぶん前に収録したものというのが
画面の端々から伺える。
見るともなくつけていたりすると
作り物の笑い声なんかが
白々しく響いている。
時折、流れるニュースや天気予報が
妙に新鮮に感じられるよなあ。
そんな、今年も後1日となった今夜、
このブログもちょっと特番で
病院暮らしのdoironの日常の
様子を納めた写真を
いくつか紹介しましょう。
戦場のカメラマンがブレイクした一年でしたが
これは、いわば病室のカメラマンが
捕らえたワンショット群です。
これは集中治療室の窓から見た景色。
なだらかな山の斜面に
もっこりと盛り上がっているのが
甲山(かぶとやま)
六甲の西の端のほうに位置するこの山。
今の寒波でもしかしたら
少しは白くなってたりするのかな。
これは、ある日の病院食。
ちゃうちゃう、マラソン前日の
忘年会で食べたテッサです。
本当はこれ。
カロリー抑え目の食事です。
味は、結構濃い味だと思っていたのですが
後で聞いたら、かなり薄味調理なんだそうです。
家に帰って話をしたら
我が家のご飯そのものが
かなり薄味にしてるんだと
ミセスdoironが言ってました。
そうだったんだ。
ミセスdoironのそんな配慮に
病院食を食べて初めて気づくなんて
doironの舌も最悪ですな
これは、セイゾー君が
入院翌日に早々に来てくれたときに
見舞いと称して持ってきてくれました。
やはり、doironには”イカ”だろうという
ありがたい配慮です。
さすがにセイゾー&たま夫妻の
見事な連携プレイといえるでしょう。
集中治療室がイカくさくならないか
チト心配しましたが
イカの誘惑には勝てず、
2ケースいただいて
入院中に半分の1ケースは
食べちゃいましたぜ。
そうそう、入院したのは
クリスマス、イブイブでした。
世間にはクリスマスソングが流れ
病室にかすかに流れていた
FMでも一日中、それっぽい曲が流れてましたわ。
恋人達は手をつなぎ
家庭ではケーキが振舞われる特別な夜。
そんな聖夜も今年は散々でした。
ていうか、
もともと、もうこの歳になれば
サイレントナイト
ホーリーナイト
なんてまったく関係ナイトですけどね。
でも、クリスマスプレゼントは
しっかり届きました。
ひとつは”命”
そしてもうひとつは
これ。
お見舞いにいただいた
”KAGEROU”です。
ポプラ社小説大賞を
受賞した作品で、作者は
ご存知”水嶋ヒロ”こと斎藤智裕。
臓器移植を背景に
「命」をテーマにした小説で
ジャンルは
「ミステリー」、「サスペンス」、
「ファンタジー」の中間点に位置する作品です。
どちらかといえばファンタジーよりかな。
ともあれ、退屈な病院暮らしも
そんな出来事や
集中治療室の
布団の中でこっそり交わしたメールや
これからのことについて
じっくり考えたりして
なにかファンタジックな時間でした。
他にも撮りたい写真は
いくつかあったんですよ。
とても親切にしてくれた白衣の天使
すなわちナースとの2ショット。
手術後、ドクターに頼みこんで
見せてもらった2本の血だらけのカテーテル。
鼻にカニューレを挿入したdoironの顔。
でもさすがにそこまでは無理でした。
あとから振り返れば
病院暮らしって特殊な日々やねえ。
規則正しく、プログラム通りに
進んでいくのが普通の日常番組なんだとしたら
病院暮らしの入院の5日間は
特番のような5日間だったというのが
まさにピッタリな特別な日々だったといえるでしょう。
つまり仕事納めの日だ。
朝から、せっせとデスク周りの
片付けと掃除をし、
サッパリしたところで
管理している応接室や
会議室のカレンダーやらを
みんなで付け替えた。
そして夕方には社長が社員全員に
今年一年のねぎらいと
来るべき来年に向けての
想いを訓示された。
秘書のひいき目を差し引いても、
若い社長らしく、トラクターのごとく
どんどん社会を耕していく気概のこもった
いい言葉を送られたように思う。
それにしても2010年はdoironにとっては
プライベートでも仕事でも
激動の年でした。
バイク転倒、10%のガン宣告、
辛かった友との別れ、自身の心肺停止
そしていっそうの介護生活、
秘書暮らしの始まり。
どれもこれも筆舌に尽くしがたい
思いをした、激動の年でした。
そんな中で一年間、このブログを
続けてきた自分だけは
ほめてあげれるかなと思っています。
今日は今年の仕事納めでしたが
人生でやりたいことはまだまだある。
そう、人生の仕事納めは
まだまだ先でありたいと思った
年末のdoironなのでした。
「死ぬかと思いました」
もし、doironが記者会見を
開いたとしたら
コメントはこうだ。
「まさか死ぬとは思いませんでした」
とりあえず海老蔵は超えたかな。
さて、昨日の続きを少々。
入院していたのは足かけ5日間。
うち半分は集中治療室、
残り半分は大部屋(4人部屋)で過ごした。
これはもうのんびりしましたぜ。
外は小雪の舞う厳しい気候のようでしたが、
病室は別世界。
一年分ののんびりを
満喫させていただきました。
特に集中治療室では、
体中に管やチューブ、コードがつながっており
自由がきかなかったのと
テレビなどの娯楽もまったくなかったので、
考え事をするか、
寝ているかのどちらかでした。
そうそう、
たまにやってきた看護師に
冗談を言って笑ったりもしたっけ。
「そういえば、あの蘇生後の
救急隊員の呼びかけで、
名前は言える?と聞かれたときに、
さすがに「保安官のロバート」ですとは
言えなかったなあ」
とか、
「人工呼吸の際に
私の唇を奪ったのはどんな人なんだろう」
なんて話は結構受けた。
大部屋に移ってからは、
本を読んだり、駅伝などのスポーツを
テレビ観戦したり
うつらうつら居眠りしたり・・・。
合間には
次々に友達も見舞いに来てくれた。
そのうちの一人に、
これから行くけど何かいる?
とメールで聞かれたので、
先日ニュースで話題になってた小説の
「KAGEROU」が読みたい
といったら買ってきてくれた。
なぜ読みたかったかというと、
テーマが「命」だったからだ。
236ページの中篇だったが
ほぼ1日で読み終えた。
doiron評は、
小説としては未熟なものだったけど
選んだテーマがよかったかなって感じでした。
管がいっぱい刺さっていたので
風呂には入れなかった。
マラソン会場から搬送されてきたままの身体からは
親父臭が漂い始めたので
さすがに3日目は
熱い濡れタオルで
全身をくまなく拭きました。
そんなとき
ベッドで自分で自分の体を
しげしげと眺めてみると、
胸にAEDパッドの火傷痕が
くっきりと残っている。
また、心臓よよみがえれとばかりに、
人工呼吸では力いっぱい胸を押してくれたんだろう、
胸骨あたりが打ち身の時のように
今もきりきり痛む。
あ~さっぱりした。
でもあちこち痛いし
鏡に映る顔はなんともヒゲまむしでした。
そんなことを見て、感じているとどうしても
「命」
というものを考えてしまいました。
今、doironがここで痛みを感じたり、
ものを見たり、聞いたり、
話したりしていることを、
医者は神の仕業あるいは奇跡と言い切った。
何かに導かれ、
何かに授かったこの「命」を
これからは
ただ漫然と食いつぶしていてはいけない
ということなんだと、
しみじみと思ったもんだ。
大部屋に移ってからは、
8歳の男の子と隣り合わせのベッドになった。
陽気な男の子で25日には
クリスマスプレゼントやで
といって持ってきてくれたのが
1本のジャガリコだった。
「おっちゃん、クリスマスプレゼント他にもらった?」
と聞くので、
「おっちゃんは一度死んだんやけど、
サンタさんに“命”をプレゼントしてもらって
生きかえったんやで」と言ってやったら
目をキラキラ輝かせながら
「よかったなあ。最高のプレゼントや」
と喜んでくれた。
自分でも、このプレゼント説は
あながち冗談とも思えない。
いただいた命を何に使うか。
これはきっちりと考えていかねばなるまいて。
ま、そもそも4人も親を残して
おちおち死んでもいられませんがね。
息子にも電話をして
事実を赤裸々に伝えておいた。
doironの遺伝子を継ぐ
唯一の息子だから
親父のことはきっちりと
報せておかないとな。
しかし、その話は
息子には多分、
衝撃のクリスマスプレゼントだっただろうなあ。
あなたは死んだことがありますか?
僕はあります。
そう言える人はそんなに多くはないでしょう。
誰しも一度は死ぬ運命なのですが、
たいていは1度だけです。
その一度の経験を
生前にしてしまうという
すごい体験をdoironはしてしまいました。
今日のブログは
そんな体験を
赤裸々に綴る、このブログ最大の
問題作となるかもしれません。
文字通り、命を賭した体験談です。
平成22年12月23日
穏やかな気候の中で
開催されたハーフマラソンに参加してきた。
ハーフマラソンは、昨年の吉野川以来でした。
最近、腰痛も快方に向かっていたし
何より、長年苦しんだ
不整脈もほぼ治まりつつあった。
なので練習も結構順調に行っており
久しぶりのレースなので
ハーフの距離を、じっくり2時間かけて楽しむ
そんなつもりでの参加でした。
後方からスタートした直後は
選手が多い上に道も狭くて全く進まずでした。
最初の3キロで22分もかかったのをみて
「今日はもうタイムなんて気にせず
気持ちよく走りきろう」と
ジョグに徹して走ることにしました。
河川敷のコースは単調だったけど
それなりに色んな橋をくぐったり
アスファルトあり、芝生あり、でこぼこ道ありで
あっという間に折り返しがやってきました。
選手の中には、十字の入った
ビブスを被りながら走っている人もいて
「ああ、お医者さんも最近は
結構走ってるんやな」って感じで
眺めていたのを記憶している。
普段はあまり思ったことのない
そんなことに気持ちを向けたのも
その後のことを暗示していたのかも知れない。
このままのペースで走っていれば
2時間ちょっとでゴールできるな。
吉野川のときは、
歩いたり走ったりしながら
ゴールだったもんな。
身体と練習って正直なんだ、などと
考えながら、平然とゴールに向かっていた。
そしていよいよゴールが近づいてきたときだ。
ゴール手前20mくらいのところで
知り合いから声がかかった。
「おお~い、お疲れさん」
とこちらから手を上げて声に応えるほどの
余裕であった。
そして、ゴールまであと10mくらいのところで
急に気分が悪くなってきた。
あれ?なんで?今まで平気だったのに・・・
と思うまもなく
目の前が暗くなってきた。
ゴールまであと2m。
倒れた。
こんなところで倒れてたら
後から来る人の邪魔やから
とりあえずゴールしよと思って
立ち上がろうとしたが
手足に力が入らず
再び転倒!
おでこを打って
地面にキスをした。
あれ?変やなあ。息も荒い。
はあはあはあ
もう一度、今度は慎重に立って
ゴールをとりあえず超えたところで
係りの人に抱えられた。
そのまま、足を引きずるようにして
救護テントに運ばれた。
柿色のテント、白いタオルケット、数名の看護師さん。
上向きに寝るのがイヤで
「このまま横に寝かせておいて」と頼んだが
「あかん、上向かなあかん」といわれて
身体を起こされたところで
記憶は途切れた・・・
次に目覚めたのは
まさに救急車に乗せられようと
しているときだった。
あれ?なんで救急車に乗るの?
目が覚めたから帰れるのに。
「すみませ~ん、降ります、降ります」と
叫んだ。
まるで、ワンマンバスで運転手さんに声をかけてるみたいに。
「あかん、あかん、何言うてんねん!
帰すわけにはいかん」とえらそうに言う。
「いや、もう大丈夫やから。荷物もまだやし」
「あんたなあ、心臓止まってたんやで。帰れるわけないやん。
名前が言えるか?」
と聞かれて、普通に「doiron」ですけどと応えたら
「今度は、手を動かしてみ、足は?」
変なことを言うなあと思いながら
言われるままにしてたら
「よかったなあ」だと。
で、心臓止まってたってどういうこと?
と状況がよく飲み込めないまま
救急隊員の毅然たる決意に気圧されて
とりあえず病院に行ってみるかと
考えているうちに、すぐに病院に到着した。
あとで分かったのだが
そこは会場から
歩いても15分くらいのところにある
大きな病院でした。
ストレッチャーってうまく出来てるなあ。
救急車の乗り降りもとてもスムーズだし
病院に入っていくのも
まったくストレスフリーだ。
なんて考えていたら
部屋に入っていきなり全裸にされた。
ウヒャー恥ずかしい
そして、足の付け根、
つまりソケイ部にぶっとい針を
打ち込まれた。
あれ?これはどこかで見た景色だと
思いながら、ようやくこのあたりから
ことの重大性がわかってきた。
(以前、心臓カテーテル手術のときに
ソケイ部の注射は何度も経験している)
そして畳み掛けるように
足を動かして!
名前を言って!
住所は?電話番号は?
手は動く?
これが見える?
と質問攻めである。
どうやらこれはdoironの
バイタル検査のようであると
さすがに汲み取ることができた。
そしてすべての質問に答え終えたら
次に、医者らしき人が
顔を覗き込んで説明を始めた。
ゴール後、心肺停止状態になり
人工呼吸、AED措置で
2分後に蘇生したこと。
奇跡的に後遺症がないようだとのこと。
3分が生死の境だということ。
そして、しばらく入院となること。
が淡々と告げられた。
もう状況は完全に把握できた。
そりゃ帰れないわな、と
この時点でようやく観念した。
集中治療室に運ばれ
普段スーちゃんに付けてあげてるような
紙おむつが下半身に巻かれた。
う~ん、スーちゃんは
こんな感触なのか。
正月に家に居るときは
普通のパンツでも穿かせてあげようかな。
なんて考えてしまいました。
体中に、管やらチューブやらが差し込まれ
「ロボットみたいやな」って言ってたら
看護師が笑った。
その夜、主治医となる循環器の
T医師がベッドに来て
今後のことを説明してくれた。
doironのその時の状況や
既往歴も説明し、
いろいろと原因を議論、やがて
こんな提案がなされた。
「あんたの今回の心肺停止の原因は
多分あんたの既往歴からきているもんやろけど
原因は出来るだけ排除しておかないと
いけないからカテーテル検査もしておいた方が
良いと思うんやけどやる?
ただし、2~3000人に一人は死ぬけど」
というのだ。
この先生のざっくばらん度はどうだ。
でもかえってこのときはそのざっくばらん度が
とても信頼できるような気がしたのだ。
よほど自信がなければこんな言い方は
しないだろうし。
その時点で、すっかり状況を飲み込んでいたdoironも
お返しにざっくばらんに返事をした。
「どうせ一度死んだ身ですから
先生にすべてお任せします」
「よっしゃ!ほな今からやるで」
てっきり正月明けにでもここに来て
色んな検査をした後やるもんだと思っていたから
今からと聞いて驚いた。
「ただあんたはようわかってるから、サインはするやろけど
死んだら家族がなあ」と先生が言うので
「ここから電話しますから聞いといてください」といって
ミセスdoironに電話をし
無理やり了解を取り付け
それを先生にも確認していただいた。
準備が出来たら呼ぶよと言われて
1時間あまり待った。
その間もずっと自分の選択は
間違っていないと言い聞かせつつ
どうせ一度死んでるやんと繰り返し
説得させたりしているうちに準備が整ったようだ。
「行くで」という先生の声を合図に
右手の手首の動脈にカテーテルが打ち込まれる。
痛みはあまりない。
身体にどんどんカテーテルが進入してくる。
でも、太い動脈に打ち込まれているから
それほどの違和感はない。
「造影剤入ります」という先生の
合図の直後だった。
「あ、狭窄があるわ。doironさん見せたるわ」
画面が顔の近くに持ってこられた。
そこに写っていたのは
心臓を取り巻く太い動脈
すなわち冠動脈のうち
一番太い部分の血管が
いびつな砂時計のように
一部くびれている。
「ここやねん。わかるやろ」
確かに一目瞭然でした。
「doironさん今からもう治療するで、ええやろ?」
と先生が言うので、「お願いします」としっかり応えた。
結局、狭窄部分にステント
(血管を広げる金網の筒のようなもの)
をいれ、すべての手術は小1時間で終わった。
カテーテルを抜き、
止血作業をしているときに先生がポツリと言った。
「doironさん、あんたテレビの
九死に一生スペシャルにでれるくらい
奇跡的に運のいい人やで」
まず第一に
倒れたのが、AEDのすぐそばだったこと。
あれがゴールから100mでも離れたところだったら
そこへスタッフが連絡を受けて駆けつけるだけで
3分間のアドバンテージを使い果たしていただろう。
すなわち、蘇生していなかったか
よくて半身or全身マヒまたは寝たきりだったという。
あんたは神様に導かれるように
AEDに向かって走ってきたんやと先生は
しみじみと語ってくれた。
もし冠動脈の狭窄が原因だったとしたら
日常生活のどの場面で起こっても
不思議じゃない。
たとえ家であったとしても
あんたは助かってないんやから。
と何度も何度も「奇跡は起こるんや」と
呟いておられた。
ある人はdoironにこう言った。
「4人も親の介護の面倒を見てる
doironさんを神様が見捨てるわけがない」
たしかにそうかもしれない。
誰かのために生きることについて
ブログを書いたばかりだ。
もしかしたら、神様も読者?
そしてまたある人は言う。
「年内の出来事でよかった。
今年は最後の最後まで色々ありすぎたdoironさん。
これで来るべき新年は新たにリセットで
もうこんな目にあうことはないよ。」と。
そうであることを切に願うばかりだ。
あなたは死んだことがありますか?
僕はあります。
あの記憶の途切れた
濃密に真っ暗なところが死なんです、きっと。
三途の川も花畑もない完全な「無」。
「命」って案外あっけないのかもしれません。
もう少し明日に続きます。
飲んでる仲間達との忘年会。
その反動で、こんな日くらいは
豪勢にいこうと、
選ぶのは何故か
何とかの一つ覚えのように
ふぐ
T岡町にある
「たますし」というお店に集った。
メンバーは全部で7人。
ふぐのほか
天然ブリのしゃぶしゃぶもあり
お腹いっぱいになりました。
で、明日は宝塚ハーフ
走れるかなあ。
朝、早いのでもう寝まあす。