ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

梅と温泉とアルコールと3

2021年03月11日 21時13分02秒 | 

月ケ瀬の梅の名所を
ぐるりんと歩いて回っています。

天神社の所には、頼山陽の歌なんかも
掲示されていたりします。



そんな中でも、ここは少し人気ありましたね。
この赤い梅は八代亜紀が植えたものです。



「月ケ瀬小唄」をレコード化したのをきっかけに、
彼女がここに植えたんだそうです。



「植る掌に 紅こぼるるや 亜紀の梅」。

平成31年のことでした。

そんな場所から少し下ってゆくと、
月ケ瀬梅林品種園に出てゆきます。

まあ様々なバラがその美しさを競っています。
結果的に黄色い「ろう梅」が印象的でしたね。

そしてここには立派な展望台と
トイレが設置されていますよ。



いろいろと予算をかけているようです。
そういえば月ケ瀬にはかつて
何度か来ていますが、こんな梅園に
来るのは初めてですねえ。

いやあ、なかなか頑張っているようですが、
かつてのVIPとしては、
観光地として、あと一歩。
もう少しすっきりきれいに
整備するとかしたほうがいいかなあ
って感じは持ちました。
でもまあ梅はたっぷり堪能しましたね。



そんな梅園を東口から出て、
次は真福寺の方を目指してゆきましょう。



道はどんどん住宅地の方へと入ってゆきます。

ふと時計を見ると時刻は12時です。
楽しい時間はどんどん過ぎてゆきます。
まだこのあとお風呂に入って
宴会となると少し時間が押してますねえ。

初めて梅を植えたといわれる真福寺は
今回は遠めに眺めて、ぼちぼちと
駐車場の方へと向かって行くことにしましょう。

村中には、こんなにたくさんの
レンギョウが植えられていたり、



お茶畑の横の広い道を気持ちよく下って、





ロマントピアの駐車場へと戻ってゆきました。



さあ、ではまずはお風呂だあと
車に乗って温泉に向かいます。

ああ、ここの駐車場もいっぱいです。
ウロウロと駐車場を回りながら
なんとか車をとめることができました。

ここの風呂はかつて何度か
来たことがあります。
でもこんなに人はいなかったあ。
2月14日から3月28日までの
うめまつりの期間中はいつもより
100円高い入浴料を払って、
入ってゆきます。

まずは露天ぶろでゆっくりです。
女湯は知りませんが男湯には
屋外の展望風呂というのがありますので、
身体がとけてしまうほど入りましたねえ。

梅で心もすっきり、
温泉で体もすっきりしましたので、
後はアルコール消毒です。

一時間ほどお風呂に入って、
お風呂に入る前に予約表に
名前を書いておいたのも
パアになってしまいました。

女性陣が出てくるまでの間、
二回ほど名前を書きなおして、
ようやく順番が回ってきたのは
二時頃でしたね。
やっと順番が回り食堂に入って
宴会が始まりました。

みんながいただいたのは、
伊賀牛の焼き肉定食です。



まずは生ビールで乾杯。
ふあ~うまかった。



今日は最高やねえと言いながら
宴会しているときです。
店員さんが近づいてきて
「すみません。こんな時期なので
お静かに願います」とご注意がありました。

ああ、そうですねえ。
確かにあちこちにそんな張り紙が
してあります。
でもそんな大声は出してないのになあ
と思ったのですが、
このあたりは厳しい感じでしたね。

宴会は小声で行い、でも生ビール二杯を飲んで、
もう皆さん上機嫌です。

この後、お酒を飲まない人の運転で、
梅に後ろ髪をひかれながら、
我ら5人は大阪へと向かって
行ったのでありました。

西名阪に乗ったところまでは
覚えていたのですが、
次に目が覚めたのはもう香芝です。

あっという間だった梅見物。
とってもよい旅でした。


梅と温泉とアルコールと2

2021年03月10日 20時51分25秒 | 

ロマントピア月ケ瀬では地図の確保に合わせて、
せっかくですからお土産も見てゆきましょう。

doironは迷わず買ったのが
梅酢たくわんです。

以前から月ケ瀬に来た時は、
必ずこのたくわんをお土産に
買っていましたからね。
固さが絶品なんです。

一緒に来た人も買ってはりました。
あとはシイタケなんかも買ってましたねえ。
そんなお土産を車の中において、
さあでは梅の散策に向かって行きましょう。

ロマントピアの西側の斜面を登ってゆきます。
ここは現在梅園の製作中なんだそうです。
小さな梅がいっぱい植えられています。



「桃栗三年柿八年。梅は酸い酸い13年」

といわれたりします。
ああ、ここに梅園ができるころには
78歳ですかあ。
生きてるかなあ。
そんな山道を登りきると梅の散策道路に出てゆきます。
このあたりに来ると、
結構観光客も来ているようです。
まだコロナの宣言期間内なんですが、
まあここは梅のきれいな花に癒されて、
みんな楽しそうに歩いていますね。
決して梅の花の形はコロナにそっくりやあ、



とか騒いだりしてはいけませんよ。

まあ例年だったらこんな梅鑑賞道も
もっと人であふれているんでしょうねえ。

今回写真の好きな人は
メジロの写真を撮るんやあと、
カメラを持ってきておりましたが、
意外とこの梅園あたりには
あまりメジロは飛んでいないようでした。

人の多さとか太陽の加減なんかが
影響するんでしょうねえ。

鳥の鳴き声はあまりせず、
景色だけがキラキラと輝く
静かな梅園だったのでした。



しだれ梅は可憐ですねえ。



そして桜ほどはなやかではないですが、
赤や白の梅がこれからさかりだよ
という感じで可憐に咲き始めています。

 


何となく梅の香りも漂っていますねえ。

その先に小さなお店がありました。

「いこい茶屋」

という名前です。
店頭に手作りのお菓子とか
いろいろ乗せているのですが、
その中のひとつに手作りのよもぎ餅があり、
それが5個入りと我らに
ぴったりに売られているではないですか。
早速買って、あずまやでいただきました。



もちもちと大変美味でした。
え~皆さん山にも登られる方々なので、
お茶なんかもちゃんと持ってはります。
よもぎもちを食べながら、お茶で一服。

俳句も出てきそうな感じでいただきました。

で、こんなところでトイレは
あるんですかと心配されるかも
しれませんが、
それらはきっちりとあるようです。



中にはこんな風にオープンな
トイレもありますが、
ほかにもきっちり整備はされているようです。

さらに梅の散歩道を進んでいきましょう。
伊賀上野城にあった建物を
こちらに移築したという食堂があります。
ぼたん鍋やかも鍋なんかも
メニューにあります。



店の名前からしてきっと
月ケ瀬湖なんかを見渡せる食堂なんでしょうねえ。

でもまあ今日はお風呂も入りに行きますので、
ここは横目で通り過ぎます。
でもその近くに、月ケ瀬橋が見渡せる
いい場所がありましたよ。
ここで写真撮影です。



手前の梅がもう少し咲いていたら
絶好の場所なのにねえ。
そしてその先に天神社というのがあります。
金沢の前だけが、安泰二千日の
祈願を果たしたとして、
この月ケ瀬の森に古文書を
残したといわれています。

この天神社にその痕跡があるそうです。
前田家がなぜ月ケ瀬なのかは
よくわかりませんが、
いずれにしてもこの梅の月ケ瀬は
昔から風光明媚なところ
だったのでしょうねえ。

その天神社のところには
梅の里ふれあい館という
お土産屋さんのような
建物も残っていました。

続く

 


梅と温泉とアルコールと1

2021年03月09日 21時28分40秒 | 

doironが昔働いていたところは
月ヶ瀬ととても仲が良かった。

なんて書くと幼稚な表現ですが、
姉妹都市とか友好都市とか
いろんな言い方ありますよねえ。
今は一体どんな関係にあるのか
よくわかりません。
まあ、もうそんなことはどうでもいいのです。
そこには、我が職場関係の宿泊施設もあり、
昔はロングランの仲間たちも
ここまで走って行き、
宴会したりしましたねえ。

そしてdoironも退職前はここのVIPとして
訪れたこともあります。
そこは何が有名かと言いますと、
やはり「梅」ですね。

750年前の鎌倉時代に、
ここにある真福寺に梅が植えられたのが
始まりだといわれています。

芭蕉とかもここの梅園を訪れて、
歌を詠んだりしています。
大正11年には国の名勝地にも
選定されています。
約1万本の梅が山々に咲きほこる名勝地です。



かつては10万本もの梅が
あったといわれています。
ほかに何か特徴はと言いますと、
やはりお茶が有名ですね。
梅のような華やかさはないけど、
山のあちこちに茶畑が存在しています。



大和茶といわれています。

また春には3千本も桜も咲き、
見事な景色を作り出しますね。
あと、表には出てきませんが、
このあたりはソーメンの
産地でもありました。

以前ここを訪れたときに、
家でソーメン作っているよ
という人と知り合いになり、
おうち迄そのソーメンを
買いに行った記憶があります。

これらは卸場所によっては
三輪ソーメンになったりするそうです。
うまかったなあ。

その月ケ瀬にマージャン仲間が
梅を見に行こうという話になりました。
doironさんも行く?
という話だったので
参加させていただくことになりました。

お酒を飲まない人もいるので、
帰りはその人の運転で
帰ろうということだったので、
梅見物のあと温泉に入り、
食堂で宴会して帰ることに
なったので大喜びです。

ではあまり寒くもない気持ちのよさそうな日に、
奈良市の東の端にある
月ケ瀬に出かけて行くことになりました。

当日は家の裏の公園横の道で
お迎えの車を待ちます。
弥生博物館の入り口で待っていると、
現れました。

ではここから行きはdoironの運転です。

阪和道から西名阪へと向かいます。
参加者のうち一人を迎えに
藤井寺の市役所に立ち寄ります。
到着時間を予測してたら、
ほぼその時間に到着です。
まあこの辺りは通勤の知識を元に
的確ですなあ。

しばらくするとやってきました。
これで参加者5人が集またので、
藤井寺からまた出発となります。

昔、義父母が三重県に住んでいたので
この西名阪は懐かしいですね。
法隆寺から天理方面。
そして山に入って針も過ぎて
約一時間月ケ瀬に到着です。

川沿いからダム湖の月ケ瀬湖沿いの
道に入ると、旅行感覚も
盛り上がってきます。

「桜もきれいそうやねえ」。

山の見た目も、どことなく
春を感じさせるねえと
盛り上がってゆきます。

月ケ瀬橋のところに来たらこれを渡り、
観光拠点である

「ロマントピア月ケ瀬」

を目指します。
これは自転車ではちょっと登れんぞ
というような急傾斜の山道を登り、
くねくねと運転してたどり着きました。



ここには駐車場もあります。
一日600円でそこに停め、
施設の中で地図を確保してきました。



手作り感満載の地図です。
梅渓を歩く地図なんですが、
アップダウンもよくわからないし、
距離感もさっぱりです。
でもまあいい所を集めた地図ですね。
ページの片隅に書いてある、
周辺の自治体との関係図も、



こんなにさっぱりわかりやすい地図です。

続く


雪の高野を訪ねて7

2021年02月10日 20時48分34秒 | 

高野の奥の院に向かう参道には、
お墓や供養塔が並んでいます。
でも人が通らない道は
雪が積もっていますので、
メイン通りをどんどん進んでいきます。

あ、入り口の手洗い場は
しずくが凍り付いていますねえ。



この参道は中の橋から歩くことが多く、
一の橋からすべて歩くことは少ないです。
なので一の橋から中の橋の参道までは
これまであまり目にすることもなかったのですが、
ここにも様々な人の供養塔がありますよ。

今話題の明智光秀のほか
石田三成、武田信玄等々。

でもこんな供養塔なんかは
誰が管理してるんでしょう。
ご子息の方々なんですかねえ。

でも、あまりお墓や供養塔の写真は
載せないでおきましょう。

みんなそれとなくきれいにたたずんでいます。

これは、司馬遼太郎の文学碑です、
これは写真もいいですよねえ。

こんな感じです。



山の端を参道はどんどん進んでゆきます。

 


あ、南海電車の創業者の墓がありましたよ。
感謝して得きます。ありがとう

 


二キロくらいあるのかなあ。
この道沿いには大きな杉の木が
たくさん立っています。
供養のために寄付したという杉が
どんどん育って今はもう老杉の
林になっていますねえ。

戦争時も高野山に空襲はなかったんですかねえ。

アメリカ人はここの意味を
よく知っていたんでしょうか。

きょろきょろしながら歩いて行くと、
奥の方にお堂が見えてきました。

 


ここからが聖地中の聖地になるわけですね。
この橋から先はカメラも使えません。

以前四国のお礼参りに来た時も、
ここからの様子を絵にしましたね。



たくさん人々のいるところを、
人を省いて絵にしたのですが
今はもう写真でも人の姿はありませんね。

ではここからさらに歩いて、
お堂の裏にある弘法大師御廟に向かいましょう。

お堂の周りの道からさらに20mくらい
向こうの御廟に大使は今も
座っておられるんですねえ。

朝6時と10時30分に、
大師に食事が出されるそうです。
熱心に祈っておられる信者の姿が、
雪の中というのに熱い感じでした。

そこからさらに回って
地下牢に入っていきますと、
もっと大師に近い所に立てるのですが、
残念ながら今はコロナのおかげで
入場禁止になっています。
残念ですねえ。
またおちついたらここは
是非行ってみたいところです。

再び参道を戻っていきます。

中の橋のところまで来たら
バス停があるので、ここで
お土産を買った後バスに乗って
今回の旅を終えることにしましょう。

では何かお土産を見に行こうと、
近くのお店に行くと、
あれ~あまりお土産がありません。

一軒なんか中にはいろうとすると、
出てきたお客さんが
「ここにはお土産はないですよ」
と言ってますよ。

ああ、客が少ないので、
今は休止しているんでしょうねえ。
これはダメだと判断し、
ではここから先ほどの
千手院あたりまで戻りましょう。

もうここから帰ろうと思っていたので、
雪をよけながら歩道をすこし速足で歩きます。

携帯を取り出して確認してみると、
もう今日は1万5千歩くらいは歩いてるようです。

その後ようやくお土産屋さんに入り、
ごま豆腐やパン類を買い
3000円のお土産券を
効率よく使い買い物です。
ああ、「高野の休日」のサービス券を
しっかり消費しましたね。

さあではここからバスに乗り、
雪の高野を後にしてゆきましょう。



高野山駅に到着し、
今度はこんな切符で自宅を目指して
帰ってゆきます。



橋本までの電車はガラガラで
気持ち良くてねえ。

山道に揺られながら今度は仏教の世界から、
自分の夢の世界へ旅立ちですね。

高野山で、気持ちいい雪の景色と
人々の祈りに出会いました。

南海電車さん、
とてもありがとうございました。

 


雪の高野を訪ねて6

2021年02月09日 21時15分01秒 | 

床の間を背にして食事が始まります。

もうまるで殿様のようです。
料理を見てみると、



まるでウナギのような料理が。。

 



でも違いますね、
こんな生ものは使うはずがありません。
これは多分豆腐で作ったウナギ風料理でしょう。
そして煮ものがあって、




ユバの汁ものと



野菜としいたけの鍋、



てんぷらも野菜ですね。



あとはシュウマイのような野菜もの、



ゴマ豆腐、そしてデザートは



焼いたミカンとリンゴです。



こんな体に優しい精進料理なんですが、
恐る恐る聞いてみました。
ビールは行けますか?
と聞くと「かつっ!」としかられた
かというとそんなことはありません。

瓶ビールなら、というので、
一本付けていただきました。

庭を眺めながらと思いましたが、
寒いので閉めました。
ぶるぶる~

ビールを持ってきてくれた人に

「最近の高野はこんなにすいているんですか」

「はい。もうまるで外国人の方が
大勢こられていたのにさっぱりです。
南無阿弥陀仏」

「雪は結構ありますね」

「今年はとてもたくさん降りましたよ。
移動するのも大変なくらいで、
久しぶりでした。南無阿弥陀仏」。

コロナで大変な時に、
雪が降って来る客と言えば
こんな変なおっさんのみと
もう地獄のような状態ですね。

その後、床の間を背に

「これからの日本はどうなるのだろう」

と殿様のように考えながら
至福の時を過ごしたのでありました。

ひとつ気になったのは、
部屋の中の金屏風を開けたら
どうなってるんやろうという感じでした。
きれいどころが並んで座っていたら
仰天やでなあ、なあんて
殿様みたいな想像に笑ってしまいました。

料理も量的には多すぎるわけでもなく、
丁度腹いっぱい、胸いっぱいで終了です。

ランチを終え、寺の廊下を
迷わないように戻ってゆき、
支払いをツアーについている
3000円の食券を交えて終え、
殿様はまた高野の旅に
出かけてゆくわけです。




さあ、ここはもう大門の裏側あたりですから、
ここから奥の院の御廟所まで
歩けば高野の縦断です。
雪の道で歩きにくいのですが、
頑張って歩いてゆくことにしましょう。

雪道を歩いていると、
前から僧侶の集団が
更新するように歩いてきます。

頭を下げながら見てみると、
なんとまあ女性の若い僧の
集団じゃないですか。

女人禁制だった高野山も、
いまはそんな女性僧もいるんですねえ。

質素な僧の服を身にまとい
(いや豪華な服なのかもしれんけど)
頭を丸め寒い中をさっさと歩いて行く姿が
静かな雪の高野を進んでゆきます。

あなたがたの生きる意味はなんですか。
人の心を救うこと?
それとも自分の心を救うこと?
いずれにしても「人」という
大海の中に自分を投じて行くんですねえ。
時折出会う大きな波にも耐えて
頑張っていってくださいねえ。

そんなことを考えながら、
雪にまみれるような高野山を
しみじみと進んでいきますと、
千手院の交差点のところで
宿坊協会の前をとおります。

中では何人か事務仕事を
しているようでしたが、
寂しいんでしょうねえ。

普段ならこの辺は多くの観光客や
参拝者がウロウロするところなんでしょうが。
今は人出もあまりなくさっぱりです。
コロナは宗教にさえ影響を及ぼすんですね。

狭山池公園やみさき公園みたいに
高野山がなくなったりしませんように。

ま、それはないでしょうが。

全く人のいないお土産屋さんを
横目に見ながら通りすぎ、
一の橋のところまでやってきました。



ここから道は奥の院への
参道にはいってゆきます。

ざっくりいえば左右に
お墓や供養塔のある道に
なってゆくのです。

続く

 


雪の高野を訪ねて5

2021年02月08日 21時17分55秒 | 

高野山の壇上伽藍をまわっています。

なあんて書くと修行しているみたいですねえ。
六角経蔵の次に行ったのは
「三鈷の松」です。



空海の主行事や生前の話は
いろんな形で伝わっています。
中にはいかにも人間らしい
苦悩の話や彼の厳しい修行の話
なんかもあります。
空海さんがここに井戸を作った
という話は、歩いていて
あちこちで目にしました。

そんな空海さんお話の中でも、
この三鈷の松にかかる話は、
これはもう作り話というほかはないやろう
という話です。

中国の明州で投げた三鈷が
ここの松に引っかかっていたというのです。
まあ様々な話で空海伝説は作られています。

ここの松は普通、葉が二本の松なのに
三本だといいます。

ひらって見ると確かに三本に分かれています。



う~ん何かもッといいことあるかなあ。

今この松は、doironのアトリエで
お水取りの焦げた杉と共に飾られています。



この後は根本大塔です。



この施設を起点として紀の川の近くの
慈尊院まで、一町ごとに180本の
町石が建てられており、
それが高野の参詣道である
「町石道」と言われています。

この道はレースで4回走りましたねえ。

doironのトレイルランの
原点かもしれません。

その道の起点となっているのが
この根本大塔です。

壇上伽藍は真言密教の根本道場で
ここはそのシンボルとして
建立されているので
「根本大塔」と言われています。

本尊は宇宙のすべてを知る
大日如来で金剛界の四物と
16大菩薩も描かれ、
道内そのものが立体の曼陀羅
と言われています。

なので、あの町石道マラソンも

「あなたを曼陀羅の宇宙へ導きます」
というサブタイトルが
付けられていましたねえ。

さてこれでまあ、
高野山の中心物はほぼ観光を
終わりました(外観だけ)。

時間も精進料理ランチの
予約時間が迫っています。

この壇上伽藍の裏側にある予約した
子院へ向かっていきましょう。

今日のランチは3000円の食券に
少しプラスし、さらにビール代も
含めての豪華精進料理です。

しかし材料になま物は使わない
ヘルシーな料理ですよ。
壇上伽藍を出て、
こんな雪の道を滑らないように
注意しつつ歩いてゆきます。



天候は晴れてはいるが、
さんさんと明るい感じはなく、
スギの木に積もった雪がばさと落ちたり、
遠くから聞こえる鐘の音なんかが
周辺に漂っています。

景色のずっと底の方に
静かに人々の祈りが
漂っているような感じである。

一歩ずつ雪の道を進んでいく。



あ、見えてきたのが目的地だ。
お寺って、お参りに行ったり
過去の遺物を見に行ったり、
あるいは墓参りでいったり
するところなんですが、
なんかランチをいただきに
お寺に入るって変な感じです。

入り口から入ってゆくと、
お寺の人が出てまいります。

予約したものですがというと、
ではそこで靴をお脱ぎください
と言われますが、ほかに客は
いないようです。

ではご案内しますと、
寺の中を複雑に移動してゆきます。

あ、帰りは道に迷ったらあかんぞ
と思いながら、注意して進んでゆきます。

広い部屋も無人です。

「ああ、今日の客は僕だけですか」
と聞くと
「ほかにもありますよ」とのこと。

ずっと奥の無人の狭い部屋に通されます。



そこは金屏風が張られていて、
後ろが床の間になっているところに
食事が置かれています。

ここでお待ちいただけますか、
揚げ物などが届きますので
と案内の僧は出てゆきます。

小さな庭に雪がつもり、
池や石なんかが置かれている
中庭の横の部屋です。



まあ、もうここで一日坐禅を
組んでくださいというような感じ。

続く

 


雪の高野を訪ねて4

2021年02月07日 21時06分02秒 | 

金剛峯寺の建物の中にはいる拝観料も払わず、
あちこち外観だけ見て金剛峯寺は見終わりました。

空海さん、こんなお寺が山の中に
完成してうれしかったでしょうねえ。

時間を見ると、まだランチの
予約した時間までもう少しあります。
ではこのまま歩いて、
次の壇上伽藍の方に行ってみましょう。



あ、こんな雪だるまと言うか
雪人形が可愛かったですねえ。

外に出てさらに西向いて進んでいきます。

歩道のすみっこにも結構な雪です。
ここにある大師協会は般若心経の
写経をやったところですねえ。

これまでお寺での写経は4回やりました。
いろんな思いでを用紙に書き込みましたねえ。

あ、右手に池がありますよ。
見たら凍っています。



ウヒャー寒いんですねえ。

そしてやっと壇上伽藍のところに到着です。



壇上伽藍とは高野山の主な法会が
行われるところで、高野山全体を
金剛峯寺と考えると、ここはその中心核
と呼ばれるところで、様々な施設が
曼陀羅のように配置されています。

まず入り口は中門です。



高野山の門である大門に続いて、
ここは壇上伽藍の入り口となります。

この中門は江戸時代に何度も火災でなくなり、
そのままになっていたのですが
つい最近高野山開創1200年を
記念して再建されました。

ここには昔からの持国天・多聞天に加え、
現代の大仏師松本氏の手により
新造された広目天・増長天の
四天王が置かれています。

これがその広目天。



胸にセミが止まっていますねえ。
鳴き声は遠くまで響き渡り、
悪を退けるといわれています。
手に筆を持っているのは、
絵を描くときのdoironのようです、
へへ。

そしてこれが増長天。



胸にはトンボが止まっています。
これは前を向いてしか飛ばないという
意味をもたせており、
「断じて悪は通さない。後へは引かない」
という意味を持たせています。

そんな中門を過ぎると正面に金堂があります。
本尊である薬師如来は高村光雲作で
秘蔵とされています。

むかし小学校の頃に高野山に
林間学校で来ました。
涼しい部屋で眠った記憶もあるのですが、
この壇上伽藍で絵を描いたことを覚えています。

あの時に先生がdoiron描きかけの
絵を見て言った言葉は今でもはっきり覚えています。

doiron君。障子の絵を白だけで
書いてはいけないよ。
あの白い障子の世界の奥は
何色してるかな?
それを考えて描かないといけないよ」
と言われました。

中は茶色かなあと思い、
茶色を塗ってから、
白で塗りつぶしましたねえ。

あの時はきっと比透明水彩絵の具を
使っていたんでしょう。

でももっと深く言えば、
あの中にいる薬師如来を頭に
思い浮かべながら描きなさいという、
先生の熱い想いだったのかもしれませんと、
最近そんなことをちらっと考えたりもします。



金堂の次は、壇上伽藍の西の方にある
「六角経蔵」に向かいました。



ここは昭和元年に火災で消失しましたが、
昭和9年に再建されています。
紺色の紙に金でていねいに描かれた
お経が入っています。
その「紺紙金泥一切経」は文化財として
霊峰館の方に置かれていますが、
この経蔵の腰部分より下のところに
棒が出ており、



それを回すことができるようになっています。
一周すれば経を読んだことになるそうです。
では実際に回してみましょう。

「う~ん。重い」。

足元は雪で半分凍った状態のところも
あり力を入れにくいです。
でもまあ何とか動き始めると、
今度は惰力で軽く動き始めます。

そうしてお堂の下の棒が
グルリンと一周してdoironは
お経を読んだと同じ功徳を手に
入れましたとさ。南無阿弥陀仏

続く

 


雪の高野を訪ねて3

2021年02月06日 21時14分22秒 | 

極楽橋駅から高野山駅までの

ケーブルカーに乗っています。





あ、もちろんキャンペーンへの当選により、
このケーブルカーも高野線の
電車と同じく無料での乗車です。
いやあありがたいですねえ。
南海電車さん本当にありがとうございます。

かなりの旧傾斜をどんどん上がってゆきます。



もし自分がこの傾斜を登るんだとしたら、
どれだけのエネルギーがいるかって考えたら、
それはそれは恐ろしいです。
でもケーブルは平然と登ってゆきます。



ここで標高634mでスカイツリーと
同じ高さだそうです。
この時点でもうどんどん周りは
雪景色っぽくなっており、



高さに合わせてどんどん深くなってきます。



上の高野山駅近くだともうこんな感じです。



標高800mの高野山は
夏でも涼しいはずですね。



約5分くらいでケーブル乗車は終わります。
昔、戦争時には多くのケーブルカーが
運航停止にななったのですが、
この高野山ケーブルは観光だけでなく、
高野に住む人々の生活の足だったので、
とまらず営業し続けたそうです。

そして人々はこの駅からは、
バスで移動してゆきます。
今はもう大門の方へ回ってゆく
バスはないようですね。
女人道から千手院を経て大門方向へと
向かうバスと奥の院方向へと
向かうバスがあるようです。

doironがまず行こうと思っているのは、
金剛峯寺と壇上伽藍ですので、
大門方面行きのバスに乗ってゆきます。

バスの運賃はすべてただ。

乗車して降りるときに、
「高野の休日」バス券を運転手に
見せるだけです。

あ、ありがたや、ありがたや、
南無阿弥陀仏です。

バスは数名乗せて走り始めます。
高野山駅を出て女人道までは
人は通行禁止です。
なので道の端っこに雪の積もった道を、
ゆっくりと登ってゆきます。

深い谷を横に見ながら、
まるでケーブルカーのようにゆっくりです。
そしてやがて女人道のところに
差しかかると、右側に
「お竹地蔵」が現れますね。



「この地蔵尊は安政年間江戸の
大地震でなくなられた人々のため、
又自分の父母の菩提のために
自分の身を仏様に捧げて
30年の年期奉公し身を粉にして
蓄えたお金で建てられた。

というお地蔵様です。
建立された人は横山竹さんと
申される女性で江戸(もと飯田町)のかたです。

 女人堂前のお竹地蔵さんと崇められ、
今なお多くの参拝者で
線香の煙が絶えることがありません。」

と説明版には書かれています。

このあたりから一気に高野山の
神聖な空気が流れだします。

宿坊なんかが続き、高野山警察の前から
一気に高野の中心部に入ってゆきます。
ここの手錠は数珠の形だそうです。
ウソです。

千手院の交差点を右折して、
広い駐車場の前に出たら
そこが金剛峯寺前のバス停です。



では無料チケットを
「下がりおろう」みたいな感じで
見せつつ下りてゆきます。
あ、嘘ですよ。ありがとうございました、
と丁寧に降りてゆきます。

金剛峯寺は右手です。

以前、四国八十八ヵ所のお礼参りで来た時は、
ここの広い部屋で先達さんのお話を聞きました。

最近テレビを見ていて知ったのですが、
この寺には日本画の千住博氏の
「瀧図」と「断崖図」が昨秋に
奉納されたそうです。
ここへ来た時に、それがあることを
知っていたら、拝観料を払って
中に入ったのでしょうが、
まあこの時はお礼参りの時に
入ったので外観だけをチェックしておきました。



屋根の上にある樽は火事に対する
備えのようです。



また鐘楼も古くて和歌山県の
指定文化財です。



そしてその後ろにある檜皮葺の塀も
金剛峯寺のかご塀として、
同じく指定文化財です。



続く

 


雪の高野を訪ねて2

2021年02月05日 20時59分37秒 | 

では、抽選で当選した「高野の休日」に出発です。



と、ここでいきなり質問です。
高野山ってどういうところか
知っていますか。

高い山の上にお寺が一杯並んでいるところ、
というとまあほぼ正解です。
いまから1200年くらい前に
空海が修繕の道場として開いた
日本仏教聖地のひとつです。

金剛峯寺、檀上伽藍をはじめ
100以上の子院が軒を連ね、
今は空海が入定している
奥の院も含めた地域で、町石道等を含めて
ユネスコの世界遺産に登録されています。

doironはそんな高野に招待券を
もらって修行に行くわけです。
あ、ちがう?すみません。

まずは南海電車で出かけます。
もう運賃はいりません。
こんな切符で進んでいきます。



松ノ浜駅から電車に揺られ、
羽衣で急行に乗り換えて、
天下茶屋まで行きます。

ここから高野線に乗車です。

ちょうどいい電車がありました。
もうこの電車で極楽橋まで
行けますから余裕ですね。
めったに乗らない高野線なので
途中、北野田や大阪狭山、



河内長野の駅なんかを
しっかり眺めてゆきます。

河内長野を過ぎると山道に入ります。
山裾や田んぼ道を進んでゆき、
橋本に到着です。



ああ、大和街道歩きもここまで来てますねえ。
早く続きいかないとなあとか思いつつ、
電車はもう紀の川を越えてゆきます。

親戚のいる学文路を過ぎ、



九度山についたら、
ここから高野線はドンドンと
山道を登ってゆくことになります。



あ、「九度山」の語源はわかりますよね。

空海さんが母に会いに、
ひと月に9度高野山から
下りてきたというところからです。

母に会いにねえ。

理由はそれだけかなあ。
なんかいろいろと推測してしまいますねえ。
彼が高野と往復する道は
「町石道」と言われています。

下りはどれくらい時間がかかるのかなあ、
登りはどんなに早くても
2時間くらいはかかるでしょう。
いや3時間はかかるかなあ。
そこを月に9度も往復するって、
結構なトレーニングです。

往復距離はフルマラソンほど
あるんですからね。

電車は九度山を過ぎると、
かなり低速度になります。



山の形に合わせてくねくねと
続いているから、キュイン、キュインと
タイヤのキシミ音をやまに響かせながら
ゆっくりと登ってゆきます。

普段はこんな電車もお客さんは多いのかなあ。

今はコロナなので、
なんと一両にdoironともう一人の女性が
乗っているだけでした。

どんどん上ってゆきますと、
駅で時間待ちのときに
扉のところに行くとかなり
気温も下がっているようです。

そして、天下茶屋をスタートして
約1時間半で電車は「極楽橋」に到着です。

駅から歩いて3分くらいのところに
かかっている橋の名前が駅名の由来です。



電車はここまでとなります。
そして、ここからはケーブルカーに乗り換えです。



全長は0.8kmと短いのですが、
その間に328mも上り下りします。
東京タワーくらいの高さの差があります。

乗車時間は約5分。

昔、このケーブルに乗った時は
こんなに座席が斜めなのに
驚いた記憶があったなあ。



さぞや製造もむつかしいんでしょうねえ。

昭和5年に開通し、今、使っている
ケーブルは4代目になるそうです。

動力は一本のワイヤーで
巻き上げるという方式。

両端に1台ずつ車両のつく、
つるべ式という形で運航されているそうです。

数人の客がこのケーブルに乗って出発。
遠くの景色もよく見えますねえ。
でも一番目を引いたのが、
雪の様子です。



ケーブルが上がっていくにつれ
周りの景色の雪がどんどん増えてゆきます。

まだまだ旅はここから続きます。

続く

 


雪の高野を訪ねて1

2021年02月04日 21時33分55秒 | 

新年をはさんで、
何かいろいろとついている。

麻雀では四暗刻を上がったよ。

終盤、どんどん進んでいって、
ラストの自摸の手前でてんぱった。
グルリンと自摸が一周回り、
doironが最後の自摸(つも)となる予定だあ。

「あ~これで上がったらすごいぞ。
役満だあ」と言って積もってくると、
おおなんと積もって来たではないか。

こんな感じ。



まあなんかああいうのを上がる時って
神づいている様な気がするなあ。
さあ役満だあなんて言葉は
ゲーム中にはあまり出ないんだけど、
あの時はなんかとてつもない予感があった。

我が村の麻雀大会では、
新年になってからとても盛り上がっている。

この一月にはdoironの四暗刻と
友達の国士無双が出現している。



まあ地元の楽しい麻雀なんだが、
こんな大技が出ると大いに楽しいし、
ビールがうまいんだよね。

年末には、応募した南海本線の
「高野の休日」という
キャンペーンに当選している。



抽選に当たると、高野山と地元駅の間の
交通費がすべて出るのと、
山でのバスが乗り放題、
お寺での精進料理のお食事券3000円分
とお土産券3000円分が出る
というキャンペーンだ。

そしてさらにあの空中庭園への
入場券も当選している。



まだあるよ。
大阪狭山池の池底散策ツアーにも当選している。
念願だった竜神渕も覗けるし、
池の博物館にも無料で
立ち入りができることになった。

そしてまだあるね。

あのS経新聞への絵の掲載だ。



いやいやもう本当にありがたい。

あと願ったけどまだかなってないのは、
宝くじの高額当選だけやなあ。

まあそんな具合に願ったことが
うまく重なって当選が続いている。

今日はその中のひとつ、
あの抽選で当たった高野山へ
お参りに行ってきたので、
そのことを書きましょう。

まず一番最初にするのは、
精進料理の予約です。

高野の精進料理のランチは、
生臭物は一切使わず、
厳選された調理方法で作られた料理です。

以前四国巡礼のお礼参りで
高野山に行った時、
ツアーでお寺に入り、
いただいたのを忘れません。

食欲のあまりない首藤さんも
「おいしいなあ」と言って
食べておられました。

あんな食事がしたいなあという事で、
天気の様子を見て日にちを決め、
宿坊のようなところで
3000円程度で食事がしたい
という事で予約を取ることにしました。

実は初もうでを兼ねて、
正月の早い時期の予約を
希望していたのですが、
なかなか正月の営業というのは
少なかったですね。

まあコロナのときという事も
あったのでしょう。

なので日にちを一月後半にかえて、
再度宿坊協会の方に依頼をしたところ、
じゃ調べたうえでという事で
いったん切りましたが、
すぐに折り返し連絡をいただきました。

いくつか当たってここならという事で、
ひとつの宿坊を紹介いただき、
そこを予約することにしました。

地図で見ると高野山の壇上伽藍の
北側の宿坊です。
では日にちも決まり、
食事の予約もできましたので、
次は切符の手配です。

「高野の休日」当選券を持って
駅に行きます。
最寄りの駅は無人駅なので
泉大津の駅に行きました。

この日にちに宿坊のランチを
予約しましたので、切符を
お願いしますと申し込み、
いただいたのがその日と
次の日も使用できる切符類です。



たぶん、このキャンペーンに
あたったので、宿泊しよう
という人もいるからでしょう。

お土産券は何か所かで使えるように、
1000円券と2000円券に
分けて入っています。

高野を盛り上げようという
キャンペーン側の取り組みに
頭が下がりますねえ。

続く