ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

宝くじウハウハ淡シチ大作戦6

2018年03月31日 21時29分10秒 | 最近の出来事

さて、七福神巡りも最後のお寺となりました。

当初に考えたコースで行きますと、
この辺りから帰宅していく方向に
そのお寺があります。

寿老人の宝生寺です。



この寿老人というのは、
他の七福神に比べて
あまりなじみのない
神様ですねえ。

頭が長く酒を好み、
手には長寿のシンボルである桃を持ち、
牡鹿を従えさせています。

長寿の神様ですねえ。

もとは道教の神だそうです。
少し山道っぽいところに入っていきますと、
坂道をえっちらおっちら
上がっていった先に
そのお寺があります。



納経の色紙を出しますと
「最後ですねえ」といって
くれつつ記入してもらえます。



そして最後にここもまた、
太鼓をたたきつつ
般若心経を唱えてくれます。

般若心経を聞かなかったのは
一寺だけでしたねえ。

そこもしっかり
お参りはしときまたがね。

この最後は長寿の神様ですから、
健康で長寿をお願いしときましょう。



やったー、これですべて
回りましたねえ。

色紙にも朱印がすべて集まりましたよ。

それがこれ。



大阪市内の七福神は
こんなしっかりした
お参りもしなかったけど、
今回は般若心経も唱えたし、
お寺の人とも話をしました。

そうそう、そういえば、
うちの母さんも昔、
滋賀県の七福神巡りをして
色紙を作っていましたねえ。



村の人みんなで行ったからか、
わが村ではこの色紙を飾ってある家が
たくさんありますわあ。

おかげで介護であったけど、
楽しく長生きできたし
よかったんだと思いますよ。

doironもこうして、
急に遊びに行きたくなった
淡路へ飛んでいき、
七福神巡りも高田屋嘉兵衛の
展示館も行きましたし、
ついでに伊弉諾神宮も
お参りしてきましたもんね。

この一日で、残りの人生の
幸せもたくさんゲット
してきたでしょう。

目標としては、あと一つが
「わかめそば」の試食だったんですが、
これはもうねえ、
あちこちでお土産で売られているから
それを購入することにしましたよ。



食堂やお寺周りでも見かけましたしね。

では帰り道に突入です。

国道28号を北上していきましょう。
右手の大阪湾には遠くに
関空らしきものも
見えてましたねえ。

畑に花咲く菜の花も
鑑賞しました。



帰りの淡路サービスエリアで、
しっかりとお土産のわかめそばを買い、
明石海峡大橋を渡ったのでした。

さあ、では最後にもう一つ、
宝くじを買いましょう。

開いてるかなあ、お店。
幸い道はほとんど込まずに、
あっという間に三宮です。
市営の駐車場に車を止めて、
旅の最後に神戸を散歩です。

何とか閉まる前に宝くじを
駆けこみで買いました。

ロト7です。

旅の日にち、頻繁に通った
道路の28号など
旅の途中で見つけた番号を
そろえて買いましたよ。

実はねえ、もう元の
1500円のうち1000円は
当っているんですよ。

うう~来るよ来るよ~。

なんと最後は最高10億円。

もうどこにだって
遊びに行けますねえ。

南極目指そうかなあ。
サハラ砂漠を歩こうかなあ。

あ、そうそう、今回淡路島を
車で走っていて気付いたのが、
意外にこの島って歩くのも
楽しそうだったのです。

土地の名前もいろいろ面白かったよ。

例えば、久留麻、郡家とか、
他にも忘れたけど
なんかいわれのありそうな
名前が多かったし、
加茂神社なんて名前の神社も結構あった。

それにトレイルレースが
行われている論鶴羽山の
稜線も気持ちよさそうに
見えていたな。

まだまだ、淡路島には未知の
部分も多いようだ。

あの五色のログハウスに泊まって、
淡路みちをあちこち
ウロウロと歩き回るのも
いいかもねえ。

またそのうちに
淡路ウォーキングをやってみよう
と思いつつ今回の旅は
これにておしまい。


宝くじウハウハ淡シチ大作戦5

2018年03月30日 21時27分15秒 | 最近の出来事

わかめそばは、
けっこういろんなところで
お土産として売られていたので
それを買うことにしました。



なのでここはやっぱり
こんな海産丼でしょう。



ウヒャーとビール片手に
食べたいところですが、
そうはいきません。
車ですからね。

食堂の窓から穏やかな
福良の海を見ながらいただきました。

あちこちお寺や観光地を
回っていると、目に入るのが
自転車、そうツーリングバイクの
置き場です。
この福良にも自転車置き場があり、
こんな風にバイクがとまっていました。



食事しているのかなあ、
それともこの港から出る
渦潮見学の船に乗ったり
しているんですかねえ。

それにしても無防備な
バイク置き場です。
ヘルメットなんか
転がっているもんね。

日本は平和でよろしいですなあ。

町を歩いていても
バイクウエアの人は
派手で目立つし、
カチャカチャとクリートの
付いたシューズで
歩いている人もいたりします。

淡路のバイクツーリングは
多いようですねえ。

さて、ビールは飲まなかったけど
お腹はいっぱいになりました。

では引き続き、
七福神に戻りましょう。

次は5番目のお寺、
恵比酒さんの万福寺です。



と、ここでなんか変なことに
気づきませんでしたか。

そう「恵比酒」という漢字です。

じつは「えびす」には
「夷、戎、胡、蛭子、
蝦夷、恵比須、恵比寿、
恵美須、恵比壽」など
様々な漢字があります。

夷、戎などには外来の神様
という意味もあるのですが、
このえびすが七福神の中でも
唯一の日本古来の神様です。

鎌倉時代から言われていた神様で、
いろんな形での信仰が
なされていました。

doironがこれまで歩いた中でも、
石津神社や北野天満宮では
「笑姿」と書かれていたり
しましたねえ。

なので、ここの恵比酒も
特別な意味でもないようです。



鯛と釣竿を持ち、
漁業、農業、商業の神様として扱われ、
「酒」が入ることで
豊かな感じを表している
のかもしれませんね。

このえびすさんは
耳がやや遠いとのことです。

石津神社には叩く木なんかが
置かれていましたねえ。

まあお参りは声に出さずに
行いましたけどね。

あえて言えば今のdoironなら
商業的なお参りですかねえ。

あ、友達が育てている畑にも
分けてもらえる収穫物が
いっぱい育つようにも
お願いしておきましょう。

この万福寺があるところには
古墳があります。



淳仁天皇の墓です。

天皇家内の対立により廃帝されて、
長く天皇と呼ばれていませんでしたが、
明治天皇によって
「天皇」に追加された人です。

静かな淡路のいいところに
墓がありましたねえ。

はい、では次のお寺へ向かいましょう。
残るはあと2寺。
一日に7寺と大変ですが、
時間的にはまだ余裕もありそうです。

一般道から山道に入って、
田舎の方へと進んでいきます。
村の一角に神社やお寺が
集まっている場所があり、



そこが毘沙門天の覚住寺です。



平安時代の鞍馬寺発祥で
四天王の一尊としてまつられる場合は
「多聞天」といわれ、
単独では「毘沙門天」と呼ばれています。

江戸時代は勝負事の神様のように
慕われましたが、
今では厄除け、難よけ、
財産勝として信じられています。

ああ、もうdoironは厄歳は
過ぎて終わってしまいました。

おとなしく、静かな年金暮らしを
祈っておきましょう。

このお寺に入っていったときに、

「今朱印を集めてる色紙を
しまう額がありますよ」
と勧められましたが
「七福神回って宝くじ買って、
それが当たったら買いますわ」
というと
「最初からちゃんと買って
やってたら当たるんやで」
とおばさんに言われてしまいました。

そうかあ、まあとりあえず
家の額を合わせてみますわと、
断っておきました。

まあとっても気さくなお寺の人で、
楽しい時間を過ごしましたよ。

続く


宝くじウハウハ淡シチ大作戦4

2018年03月29日 21時14分30秒 | 最近の出来事

五色ウェルネスパークは
高田屋嘉兵衛を顕彰して、
長く彼の功績をたたえようとして
作られた公園です。

施設の中には、宿泊施設や
入浴施設、ログハウスや
コンサートも開くことのできる
広場なんかもあります。

そこにある菜の花ホールには
様々な彼の資料が展示されていましたし、







かつてNHKで放送された
番組のダイジェスト版なんかも
流されていましたね。



いやあこれはとてもいいところでした。

今回淡路に来た目的の一つは
しっかり果たしましたねえ。

さあ、ではこの菜の花ホールの
外に出て彼の墓を見に行きましょう。

この五色の山の中の方にあるのです。

途中で阿久悠の
「瀬戸内野球少年団」の碑がありました。



夏目雅子の「駒子」が彫られてますねえ。



いやあ、この時空は曇っていた。

山の奥の方にひっそりと
こんな嘉兵衛の碑が
立っていましたよ。



これは墓ではありません。

ここから小さな表式に沿って



ずんずん山の中に入っていくと、



ありました。

これが嘉兵衛の墓です。



小さな墓ですねえと思いましたが
違います、墓碑は近くの
多門寺に祀られているそうです。

嘉兵衛59歳だったそうです。

うわ~、今のdoironよりも
年下で亡くなっているんですねえ。
濃い人生だったようです。

当時の葬儀は、先ほどいった
長林寺で行われたそうですが、
車で5分のこの地まで
葬送の列は続いていたそうです。

さあ、ではまたお寺参りの方に
戻っていきましょう。

忙しい忙しい。

次は4番目のお寺を目指します。
布袋尊の護国寺です。



ああ、途中でやっとこんな
菜の花の畑を見つけましたよ。



来る前から予想してた通り、
鮮やかな春の景色でしたねえ。

さらに県道を走って行きますと、
五色には大きな風力発電の
装置がありましたね。



ふつうの風力計よりも
かなり大きかったです。
すぐ下まで行くと、
瀬戸内海の海風を受けて、
怖いくらいビュンビュンと
回っていましたねえ。



発電量は年300万キロワットで、
これ一台で900世帯分の
電気を産むそうです。

いやあ自然のエネルギーって
大きいですねえ。

さらに進んでいきますと、
ここが慶野松原ですねえ。



立派な松が海岸線に沿って
植わっています。



むかし、トライアスロンバイクで
アワイチをした時に、
ここでレーダーによる
スピード違反取締をやってましたねえ。

バイクをばビューンと飛ばす
元気な頃でしたから
危うく捕まりそうでしたな。へへ。

そして車は「護国寺」に到着です。

この布袋さんの石像が
境内に置かれていました。



あ、石像ではないですね。
淡路特産の瓦で焼かれた
布袋さんです。

大きな袋と軍配を持っています。

そして大きく突き出たお腹が
特徴ですねえ。

実は布袋さんの大きなおなかは、
人の世の悩み、苦しみを
すべてお腹の中に
飲み込んでいるからだそうです。

ああ~ダイエットが
うまくいかなかったら、
こういう理由にしようかなあ。

doironはすべてのイヤなことを
飲み込んで、楽しいことしか
言いませんみたいなねえ。

そういう悟りもあるんですねえ。

布袋さんのおまいりは、
幸福が得られますようにです。
のんきに生きながらえて
楽しく過ごしてますけど、
この際です、より一層幸せに
なれるようにしっかり
お参りしておきましょう。

さあ、これで七福神のうち
半分以上の4つの朱印がたまりました。

これでもう残りは
帰宅方向に向かいつつ
あと3か所ですねえ。

これでもう時間的に参れるでしょう。

ここで福良の町で
昼食と行きましょうか。



え~せっかくの漁業の町に
来たのです。
海産物が食べたいですねえ。

ほんとは3つ目の目的である
わかめそばを食べようか
と思っていたのですが、



ここはやっぱりねえ、
おいしい魚でしょう。

海辺の食堂へと入っていったのでした。

続く


宝くじウハウハ淡シチ大作戦3

2018年03月28日 21時20分40秒 | 最近の出来事

さて、次のお寺は長林寺です。

このお寺は
「洲本市五色町都志」にあります。

司馬遼太郎の
「菜の花の沖 第1巻」の
最初に出てくる地名です。

五色はこれまで2回、
ランニング友達といったことがあります。
とても居心地のいいログハウスがあって
合宿をしたことがありました。

BBQコンロもあって、
夕陽の見えるいい所ですよう。

またそんな企画があれば
ぜひとも参加したいところです。

そしてそのログハウスの近くには
高田屋嘉兵衛の
記念館がありましたねえ。

ちょっと場所が変わっているようですが、
この長林寺の後でそちらへ
回っていきましょう。

長林寺は「福禄寿」のお寺です。



この名前がこの神様を
よく表していますねえ。

幸福の福、身分をあらわす禄、
寿命を表わす寿を合わせた名前です。
ここでは「幸福、高給、長寿」を祈ります。

こんな海辺の県道を
南下していきますと、
右に駐車場が現れます。



まあ、この辺のお寺は
観光バスもよく来るようで、
しっかり整備されていますねえ。

この時は2台ほど車が
止まっているだけでした。

坂道をぐいーっと上がっていきますと、
広い境内に出ていきます。



本堂の中に入っていきますと、
女性が一人で座ってはります。

朱印を書いてもらって、
案内に沿って歩いていきますと、
その女性が僧の服に着替えてはります。

「女人住職」として
いろいろと苦労されたことを
しっかり話され、
その後太鼓と般若心経の
お唱えが始まります。

え~、この七福神のお寺は
こうして訪ねてきはった人に、
講和と般若心経を唱えるように
なっているんですねえ。

まとまって人が大量に来た時に
やってくれるんじゃなくて、
例えばdoiron一人がぽつんと
やってきてもきっちり
やってくれるようです。

ああ、お寺の人も大変ですねえ
doironはしっかりと
「健康長寿」をお願いしておきました。

さあでは、ここから
高田屋嘉兵衛の顕彰館へと
向かいましょう。

道を5分くらい少しもどって、
ログハウスのある五色の
公園の方に入っていきましょう。

これが旧五色町のマンふたですねえ。
記録しておきましょうねえ。



サルビアと松が基本です。

こういう町村合併の名残のふたは
やがて消えていくんですねえ。

駐車場に車を止めて、
高田屋嘉兵衛記念の
「菜の花ホール」に向かいます。



途中こんなロシア人との
銅像とかありましたねえ。



高田屋嘉兵衛はこの地方の
貧しい生まれでした。



それが地元の綱本の娘を連れて
村抜けし、神戸で船乗りとして
育っていきました。

彼の船乗り技術の高さは評判で、
若くして船を持つようになり、
北海道航路も開いていくのですが、
ロシアに拉致されてしまいます。

しかしそのロシアとの交流も
立派に果たし、日本に帰ってくる
というのがかれの人生のあらすじです。

菜の花ホール内には
そんな彼の歴史を表す
様々なものが展示されていましたね。

そうそう、昔は強い水軍を
作っちゃならないということで、
船の作成にはいろんな制限があって
思うような舟が作れなかったそうです。

じゃいったいどんな船だったのか、
今回ここを訪れたのは
そんな船の模型を見ることだったのです。



実際、いくつかそんな船も
展示されてあったのですが、
なかなかいい船に見えたんですがねえ。



残念ながらdoironの知識では、
そんな船の知識を得るところまでは
いかなかったようです。



ここではロシアでの彼の活躍が
大きく取り上げられています。



鎖国状態だった中で、
かれが果たした役割は大きく、
司馬遼太郎は「最も賢い人間」として
彼を評していましたねえ。

いずれにしてもずっと見たかった、
彼に関する様々な遺品や
当時の資料は、小説を読み上げた
ばかりのdoironには
とても興味深いものばかりでした。

続く


宝くじウハウハ淡シチ大作戦2

2018年03月27日 21時12分52秒 | 最近の出来事

八浄寺の境内には、
こんな立派なお堂もありますよ。



あ、そうそう境内の片隅に、
自転車をとめるバイクラックが
作ってあり、そこに

「アワシチ」

と書かれています。



淡路島七福神の略なんでしょうねえ。

昔は「アワイチ」といって、
淡路を一周するバイクツアーもあり、
それをやったりもしましたが、
最近はバイクで七福神をめぐる
なんていうツアーもよく
開催されたりもするんでしょうねえ。

頑張ったらできるかなあ。

あ、そうそうここのお寺の水場は
凝ってましたよ。



ひとが近づくと七福神の手から
水が流れ出してくるんです。
ハイテクセンサーがお寺参りを
サポートしてるんですねえ。

寺を出るとその周りには、
温室がたくさんあり、



どうもスイートピーを
栽培されているようです。



まだ今回この島に来てから
たくさんの花を見たわけでは
ないんですが、この島はやはり
何となく春の花の島
っていうイメージがしますねえ。

この後どんな花の姿を
見ることになるのかなあ。

さあ、では次のお寺に向かいましょう。

次は弁財天の智禅寺です。

大阪湾側ではなくて瀬戸内海側に
移動しないといけませんね。

おっと、その道筋で

「伊弉諾神宮」

を通りますので、
是非ここには寄っておきましょう。



計画していたので、
神社の納経帳も持ってきています。

この神社の祭神は伊弉諾尊と
伊弉冉尊の2神。
日本の国産みと神産みに関連します。

淡路の一宮で、伊弉諾尊が
静まった終焉の地で、
日本最古の神社といわれています。

ここには昔来たことがありますよ。
むかし、淡路のハーフマラソンに
出た時に、アップでこの神社へと
走ってきた記憶がありますねえ。

駐車場には大型バスが
止まっていましたねえ。

観光ツアーの一部にも
なっているんでしょう。

あるいてお参りに行きます。



池には太鼓橋がかかり、



地面の真ん中にカメの姿をした
噴水がありましたよ。



本殿では



「え~っと、曽根神社の氏子代表のdoironです」
とあいさつしておきました。

帰りには社務所で納経帳を渡し、
記入してもらいます。

ウヒャー、社務所の周りには
若い女子大生のような人たちが
たくさんいます。

まさか淡路島に卒業旅行?

いやあ、そうなのかもしれません。
さあでは、またお寺参りへと
戻っていきましょう。

次の七福神は紅一点の弁財天。



弁才天とも書きますが、
七福神の中では弁財天と
書かれることが多いそうです。

インドのヒンドゥー教の
女神であるサラスヴァティー神で、
音楽・弁才・財福・知恵の徳のある天女。

七福神では「芸術・学業」の
神様といわれます。

ああ、クリエイターdoironには
ぴったしの神様ですねえ。

そのお寺が智禅寺です。

そもそも、高野山真言宗の
お寺だそうです。
ああ、そう思いつつ見ると、
門の形が四国の7番、十楽寺に
そっくりで、



境内は四国の
22番平等寺によく似ています。



水かけ弁天に水をかけながら、
本堂へと向かいます。



境内のなかには金銀如意宝珠が
置かれています。



弁天様が左に持つ宝珠で、
上部が球形で下部が円錐という形は、
燃え上がる炎と滴り落ちる水を
表すよと言われているそうです。

そこにあったのが
ほんとにそんな形なのか、
いやあ、これはちょっと持ちあげて
みたかったのですが、
そ、そんな罰当たり的なことは
しませんでしたよ。

ではお祈りしておきましょう。

「いい絵が描けますように」
「立派なカレンダーができますように」
「あちこち歩いていろいろ勉強できますように」
「ブログもちゃんと書けますように」
「競馬も勝てますように」

う~ん、ちょっと欲深いですかねえ。

さて色紙に二つ目の朱印を
いただきましょう。

あと5つです。

頑張りましょうと続く。


宝くじウハウハ淡シチ大作戦1

2018年03月26日 21時58分48秒 | 最近の出来事

日根野から泉佐野市内を歩いた時に、
かつて淡路島行きのフェリーが
出ていた港を通りましよねえ。

その時には元気で運動していた
あの頃のことをしっかり
思い出してしまいました。

そして海を見ると遠くに
淡路島が見えていますよ。

ああ、あの島は自転車で淡イチをしたり、
ログハウスでランニング合宿をしたりと
楽しい時間をいっぱい
過ごしたところですねえ。

昨年なんかは四国巡りに行くとき、
帰るときは必ず通りましたし、
そうそうここで花見もしましたねえ。

歩きながらそんなことを考えてたら、
急に淡路に行ってみたくなりました。

じゃ、今度は何をしに行こうかと
いろいろと検討してみると、
やりたいことが3つ見つかりましたね。

ひとつが、最近読み終えた司馬遼太郎の
「菜の花の沖」の主人公である
高田屋嘉兵衛の展示館を見に行くこと、



友達からおいしいよ~といわれていた
わかめそばの購入、



そしてこれが一番メインになるんですが、
淡路島七福神巡りですねえ。



以前大阪市内の七福神を歩きましたねえ。
三年前の夏に

「宝くじウハウハ神頼み大作戦」

という名前を付けて歩いたことを
ブログにしましたよ。

今回はそれの淡路島版です。

今回は歩きではなくて車でですがね。
だから帰りには三宮によって
宝くじ購入というイベントも
きっちりつけておきましょう。

きっと淡路にはもう水仙が咲き乱れ、
菜の花も黄色くそよいでいることでしょう
と期待しつつその日を迎えました。

し、しかし残念ながら行こうと思っていた
なんとこの日は小雨がぱらつく朝でした。
でも行くぞと決めたからには出発です。

車だし、天気も良くなるかもしれませんし、
決行しましょう。
天気がよくなることを願いつつ、
早朝から家を出発した
doironなのでした。



まずは阪神高速湾岸線に乗りましょう。
そして途中から神戸線に乗り換え、
まっすぐ進んでいきます。

どうやら、雨も小降りで
落ち着いてきそうな雰囲気です。

「徳島」と書かれた表式に導かれ、
明石海峡大橋を超えるころには
雨も止んできたようです。

さて一番目のお寺は、八浄寺です。

高速道路を東浦で降りて、
大阪湾沿いの国道28号を
南下していきましょう。

車で走るたびに、
ああここで自転車乗ったなあ、
この海の港で蛸釣りやったなあ
なんて思い出しながら
走って行きます。

これから行く八浄寺は
「大黒天」のお寺です。



大国主命と神仏習合した神様で、
大きな袋を背負い、
打出小槌をもち、
頭巾をかぶられた姿が
一般によく知られています。

七福神の中では五穀豊穣の神
といわれているようです。

確かにこの八浄寺は
淡路七福神の中でも
最も立派なお寺です。



大黒天の御威光がありますねえ。

中に入っていきましょう。

入っていくと、
ちょうど太鼓をたたきながら
般若心経が唱えられています。

後ろに座って聞いておくように
と指示がありました。

ああ、昨年は100回以上
唱えたお経ですねえ。

一通り唱えられた後は、
続いて僧の話が始まります。
この時の参拝客は5人。
話の中で、参拝者の干支を
聞いてこられました。



「え~っと、そこの人の干支は何ですか?」
とdoironに聞いてこられます。

「申です」と答えると、

「ああ、なるほど見た目通りですねえ」
とは言われませんよ。

まあ申年の人の本尊は何で・・・
などという話を聞かされます。

ああ、すべてのお寺で
納経しこういうお話を
聞かされるのなら時間的には
忙しくなりそうですねえ。

人とおり話を聞いてから、
納経用の色紙を1500円で買い、
ここの分を記載してもらいます。

記入は一回500円です。

中に入ってお経を聞くのに200円。
ひと寺当り計700円必要ですから、
納経書も含めたら6400円と
意外に経費が掛かります。

まあ、これも超絶宝くじ
ウハウハ大当たりのための



淡路七福神巡りの経費ですなあ。

続く


歩きウェア破れてる~

2018年03月25日 22時34分58秒 | ウォーキング

自治会総会も無事に終わり
会計報告も済みました。
よかった、よかった。

で、来年の役ですがもう一年だけ
会計をやってくれと依頼がありましたので
仕方ありません。
このお金で競馬を買って
こっそり増やして得しましょう。

なあんて、あきませんからね

まあ仕方ないですかね。

それでも気になることが終わったし
気候も良くなってきたので
来週はしっかり歩きましょうかね。

それについて気になることが一つ
ウェアのことです。

あちこちに歩きに行くときに、
服装は色々とむつかしいんです。

こんな上着で行ったら寒すぎないかなあ。
これだとへんなおっさんに
見えへんかなあ。
こんな黒いウェアやったら、
ハチに襲われないだろうか。
あるいは、
こんな決まったウェアで
歩いてたらジャニーズと
間違えられへんやろか。

とまあ、いろんなことが気になるのです。

だから歩きウェアも、
何か新しいものを買おうとすると
いろいろと探すのもむつかしい
ということがあるんです。

ジミーなのはいやだし、
かといって派手派手なのも限度があるしね。

どんな柄がいいかなあというと
例えば、バイクに乗ってる人が
少し遠くから見て、
あ、人が歩いてると
簡単にわかりそうな柄
という感じがいいかなあ。
ちょっと難しいけどねえ。

そんなこだわりを軽く胸に抱く
doironが今歩くときに、
一番多く着る服が一着だけあるのだ。

それがこの上着だ。



アルマーニ製である。

うそうそ、黄色と柿色で
結構目立つし、メッシュの
インナー付きで気候の変更にも
対応力は高いとお気に入りなのである。

そして何よりも安い金額だった
ということもあり、
その気軽さが捨てがたい
という面もあるのだが、
歩き始めてもうすぐ6年である、
さすがにぼちぼちこの服も
くたびれてきたといっても過言ではない。

こんなことが最近会った。

歩き仲間とこの服を着て
歩いてるときだ。
木に生えている葉っぱを触ろうとしたら
「あ、doironさんのウェアの
わきがやぶれている」と反応があった。



「え~、そうかあ。もう結構着てるもんなあ」
といいつつ、反対側もどうかなってる?
と手をあげて聞くと
「ウヒャー、反対側も破けている」
と驚きの反応だ。



「オッタマゲー」である。

どれどれと服を脱いで確かめてみると、
確かに破れているというよりは、
縫い目がほちけて来ているような
感じになっている。

う~ん、素肌に来てたら腋毛が
はみ出す感じだなあ。

これはやはり修理しないと
いけないだろう。

doironの人間国宝ともいわれるような、
華麗なテクニックで
縫い合わせてみよう。

ごにょごにょごにょ
そして完成したのが、これ。





うんうん。
これであと3年は着れるかなあ。

さあ、明日からの歩きも
がんばろうっと。

それにしてもみなさん、
着慣れた服でも点検は
きちんとしておかないとねえ。
いつまでも着れると思ってたら大間違い。
脇がやぶれているなんてねえ。
そう、まさにこれこそ、
脇の甘い話なのでした。

チャンチャン。


自治会の会計報告

2018年03月24日 21時27分47秒 | 最近の出来事

明日は、わが町の自治会総会がある。
今回は役員改選がないので
さほど重要ではないのだが
やはり報告は色々ある。

自治会の班編成をいじろうとしていること
公民館の火災体制について
あらたに防火管理者を決めたことなどは
会長さんの方から
今年の取り組みとして
報告されるだろう。

そして現在会計をやっているdoironには
やはり今年一年の会計報告という
重大な仕事があるのだ。

この日に先立って、
先日には、今年集まった金額
使用した金額を整理し
会計報告書を作成した。

結果的には、
合計17406円の黒字になったので
まあ、報告的にはしやすい感じだ。

あまり黒が大きいと
自治会費を安くしたらという
声につながっていくし
赤字が多くなってくると
もっと上手に使った方が
いいんじゃないの
みたいな意見がちらほら出たりする。

まあ、何もこちらが悪いわけではなく
実際にいる所に使っているだけで
何も得なことはしていない。
私らは全くボランティアだからねえ。

ホントに文句あるんなら
あんたが役員したり、
会計したらええやん
と叫びたいところなんですが、
まあそんな大人げないことも
いかんでしょう。

文句が出たりしたら
「へえへえ、だったらみんなで
考えていきましょう」と
声をかけたりしましょうかね。

この会計の仕事の中で
一番気にしておかないといけないのは
保険ですね。
保証金額が大きくなるし
ちゃんと手落ちなくかけているのかが
重要なことですね。
忘れて、何かあったら
これは会計の責任として
とても大きいものがあります。

ちゃんとかけておいたのか
金額的にはこれこれこんなんで
というような基本的なところは
報告時にはきちんと押さえておきましょう。

そして収益としては
市役所の広報配布や電気代補助など
様々な援助の制度を
うまく使っているかということも
ちゃんと報告しないといけませんね。
市から届く支払決定通知書なんかは
各種領収書とともに
きちんとまとめて綴って
持っていきましょう。

また、社協や防犯などの
寄付金と、それに伴う還付金
各種団体への運営補助金なども
きちんと報告しないといけない。
領収書があるものはきちんとそろえ
町内各種団体のものは
団体ごとの金額を一覧表にしておきます。

そうそう今年は自治会の
土地内の電柱貸出や電線補助金も
関電の方から
何年ぶりかで支払われてきたので
その場所等の確認も
事前にしておこう。

こんな風に、百均のファイルに
そんな関係書類を全部収納し
3冊の通帳と残現金もそえて
先日、会長に報告。
じゃ、これで会計監査に
監査をお願いしに行こうと
会長とまたまた書類をもって
年配の会計監査のところへと
訪ねていくのだ。

またそこでねえ、いろいろと
話しが弾むんだよねえ。
以前はあんな無茶なことを
いうやつもおったなあとか
そんな風にねえ。

やっとこさ、監査のハンコをもらい
すべての書類は完成したんやけど
今度はそれを総会で見てもらうために
報告書だけを参加予想人数分
百均の安いコピーを取りに行くんだ。

ああ、めんどくさい、めんどくさい

行ってみれば
お金の計算もややこしいし
必要書類の整理も
結構手間なんだ。
それに加えて会長への報告
監査への報告もあるし
明日は総会での報告と
質疑応答に答えていかないといけない
という役割も回ってくる。
こんな役をボランティアでやってるんですよ
みんなわかってくれてるんかなあ。

とにかくまあ、明日の総会には
今年の会計最後の役割を
果たしに行くことにしましょう。

会計も3年しました。
この役って、お金を用意したりするだけに
結構マメに自治会関係に
顔を出さないといけないんだよね。
ぼちぼち役割おろしてくれないかなあ
明日、会長にその辺も
相談してみようかなあ
なんて考えたりしているのでした。

まあ、とにかくうまくいきますように
総会、がんばってきましょう。



 


再び五條へ 4

2018年03月23日 21時24分02秒 | ウォーキング

ゴルフ場の周りは、
道も広くていい感じですねえ。
そう、だいたいこの辺りが
荒坂峠です。



春になったら、スミレやつつじや
いろんな花が咲きそうですねえ。

のんびりと遊べそうな感じですねえ。
そしてすごいことに気が付きました。
この辺り、冬イチゴが大群落を
作っています。



ウヒャー、これは今年の冬に
来ないといけませんねえ。
しっかり収穫して
ジャムづくりをしましょう、
と遊びを広げていくことばかり
考えてしまいます。

ゴルフ場の入り口を見ながら、
右の方へと荒坂峠を下っていきましょう。



ああ、道の上の通路を
ゴルファ達が通り過ぎていきますねえ。

と、その下辺りに万葉歌碑が立っています。



「たまきはる 宇智の天野に 馬並めて
朝踏ますらむ その草深野」



舒明天皇が宇智野で遊猟(みかり)を
された時、中皇命(なかつすめらみこと)
が詠われた歌のようです。

ああ、ここにきて下りた駅の名前
「北宇智」の名前が出てきましたねえ。

地名にもなかったんですよ。
もしかしたら「近内」という名前と
つながっているのかなあ。
よくわかりません。

でもまあ万葉集の頃は
このあたりは「宇智」と
いわれていたんですねえ。

周りには建物も何もない
さみしいところに立つ万葉歌碑でした。

右に京奈和自動車道を
見ながら下っていきます。



下の広い交差点にさしかかると
右に神社があるようなので
行ってみると「御霊神社」と
書かれてありました。



こんな長い階段を上っていく
参道を高齢の女性が歩いています。

なんかちょっと後ろから
行きにくいのですが、
まあ足音を元気に立てて
登っていきましょう。

上に上がったら結構立派な神社でした。



さあ、ではここから駅まで
一気に下りです。



広々とした景色を眺めながら
降りていきますと、その道の



終点がJR五條駅です。

歩道橋を渡って駅の向こう側に出ると、
朝立ち寄った観光案内所に
再度寄っていきましょう。



「北宇智駅」から歩いてきたこと、
古墳が意外に身近だったこと
なんかを報告しておきました。

そこで、五新線のことを
もう一度聞いてみましたよ。
やはり線路道には入れないですけど、
道端に旧の線路跡の痕跡が
残っていますよとのことです。

では、とりあえずはそれを
見に行きましょう。

朝から時間があったので、
その旧跡の場所なんかを
しっかり教えてもらいました。

とりあえず吉野川に
向かって歩いていき、
橋を渡ります。

しばらく歩いていきますと、
ああ、あのあたりが
高くなっていますねえ。

あれが線路跡かなあと
思ったところで、
前方にコンビニが現れました。

そういえばまだ昼ご飯を
食べていませんので
ここで食事を買って、
あの線路跡の方に歩いて行ってみましょう。

今日の昼飯はこれ。



マルちゃんで~す。

コンビニでお湯をもらって、
それを持ってきたのが
線路跡のところでした。
向こうからずっと堤防が続いてきて、





後ろを見ると駐車場の向こうに
その線路道が続いています。



ああ、昔はここに線路が
通っていたんですねえ。
電車も走ったりしたのかなあ。
食事後したに降りて少し先まで
行ってみると、こんな橋脚が
ありましたねえ。



立派な橋でした。
ではその先は一体
どうなっているのでしょう。

また少し先まで行くと、

「市有地ですので一般進入禁止」



の看板が立っています。
奥を見ると、道の真ん中に
バリカーが置かれていますねえ。



でも歩きだったら
普通に入っていけるような感じです。

「進入時の事故は個人の責任」
とか書かれていますから、
まあ事故を起こさなければ
入る人もいるのかなあ。

誰か通って来ないかなあと
見ていましたが、その時は
来なかったですねえ。

事故に注意して歩いてみようかなあ
とふと考えてしまいましたが、
今日はまあ時間の関係で
ここまでにしときましょう。

またネットでも情報探りながら
研究してみましょうかねえ。

五條の山手の古墳巡り、
新町通り、五新線の線路跡など、
ちょっと興味深いところになった
五條なのでした。

おしまい


再び五條へ 3

2018年03月22日 21時22分33秒 | ウォーキング

せっかく古墳の中に入ってきたので、
墓の上に登頂してみましょう。

細かい木々をかき分けるようにして
登っていきました。

ウヒャー枯草や小枝で
ズボンがやぶれそうです。

で、結局そこにはすこし
ぼんやりした広場らしい
ところがあるだけで、
石柱などは何もなかったです。



木の枯葉でずっぽりと
おおわれていました。

さあ、ではまた北宇智駅の
方に戻っていきましょう。

ここまで来た道とは少し違った
経路を通って帰ります。



線路の横道を通り駅まで戻ると、
さあここから住川街道を
通って山の方へと
向かって行きましょう。



地図全体をよく見てみると、
おお何かこの辺は、
ずっと前に歩いた葛城古道の
風の森の少し南側に
当たるんじゃないですか。

古墳があったりで
歴史の古いのが
地理的にもよくわかります。



山の方に向かって
じわじわと登っていきます。

京奈和道も超えて、



さらに金剛山の前衛峰に
向かって進んでいきますと、
おお出ました。

次の目的地である
「つじのやま古墳」への案内です。



村から離れるように出て行って、
静かな田畑の道に出たところの
山側にその古墳が見えてきました。

入り口のところには案内板があります。



この墓は近内古墳群の
最後の首長墓とみられるようです。

風の森峠とこの後訪れる
荒坂峠をむすぶ道に面しています。

発掘調査もしたようで、
埴輪や木製品が出土されているそうです。

いろんな調査から、
この古墳はさっき訪ねた
西山古墳と同じ設計図によって
作られているだろとのことです。

山の方に上がって
いこうかと思いましたが、
ここはちょっと上がりにくそう
だったので、案内板だけ読んで
過ぎていきましょう。

西側に金剛山、東側には遠くに



吉野の山々が見える



気持ちのいい場所でしたねえ。

道をそのまま進んでいきますと、
京奈和道の歩道に出ます。



この道も開通してから
交通量が増えたでしょうねえ。

坂道を上がっていって、
道を渡り今度は下っていきますと、
そこにあるのが「猫塚古墳」です。



坂道を下って歩いていくと、
看板はありましたが、



ん?古墳はどこ?



と思ったら、なんと目の前の
田んぼのような空き地に
四角い山がありますねえ。

これが古墳なんです。

いやあ、なんか熊の
土俵みたいな土の塊です。

この古墳もやはり
盗掘されていたらしいですが、
鏡、小玉、鉾、鉄斧なんかも
出土したそうです。

そんな出土品を見ていると、
大陸とのつながりを示す装飾品や
この地域の鍛冶道具を
保有する点などから、
この墓の被葬者が鉄製品作成の
人々の集団を統括した
人物だといえるそうです。

いやあそれにしても
あけっぴろげな古墳ですねえ。

さあ、ここから次は
道路の下のトンネルをくぐり、
旧道を歩いていきます。



もう、季節はどんどん
春に近づいてきてますねえ。
日当たりの良い所では
オオイヌノフグリや



ホトケノザがいっぱい開いています。



そしてこんな竹林も、



たけのこがもう地面の中で
もこもこし始めているかも
しれませんねえ。

そうして気持ちのいい
山道を進んでいきますと、
この少し先が荒坂峠です。



で、ここに瓦を焼く窯跡が
発掘されたとのことです。



周辺にある瓦を分析すると、
明日香の川原寺のものと
一致することから、
この窯は白鳳時代に
川原寺の瓦を焼くために
創設されたといわれています。

実際にその窯を見てみますと、
建物の中にあるのですが、
壁の隙間から中がのぞけます。



その窯の姿はこんな具合に
なっていました。



かなり再現されているようですねえ。

では続きを歩いていきましょう。



道はこの辺は意外にきれいです。
近くにゴルフ場(奈良カントリー五條コース)
があるからですかねえ。

ほとんど車は通らないのですが、
たまに立派な車が通ったりしますです。

続く