ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

孫を訪ねて18切符3

2020年01月31日 21時15分21秒 | 生活

大阪から、米原、大垣、名古屋と

各駅停車を乗り換えて
今は中津川に向かっています。

もう都道府県も大阪、京都、滋賀、
岐阜、愛知と越えてきました。

各停や快速ばかりですが、
18切符の特性上こういう旅になります。
電車に揺られていると、
大阪で見かけた夫婦や
三人の子ども連れの
お母さんなんかの
顔を見ますよ。
みんな多分18切符で
旅しているんでしょう。

あ、子どもの18切符は
子ども料金なのかなあ。
そんなことはないんでしょうね。

インタビューしてみたかったなあ。

土岐、瑞浪、恵那を過ぎて
電車はガタゴトと進んでいきます。
まあこの辺は中央自動車道と
並んで走っているので、
景色はなんとなく見たような感じです。

孫は待っているかなあ。
でも電車でビールを飲んで
酒臭いオジイやと思われるかなあ
なんて思いながら、
外の景色を楽しんで進んでいきます。

中津川に着いたのは
名古屋を出発してから
1時間15分後の11時39分。
ここで乗り換えのために
21分間の時間的余裕があります。



早速改札の外に出てみましょう。
左の方に観光センターのような
建物がありますよ。
そしてそこには「地歌舞伎」の
案内が張られています。



地歌舞伎とは、地元の素人の
役者たちによって演じられる歌舞伎で、
地方に根付いた取り組みです。
こういう地歌舞伎の取り組みは
岐阜県がとっても熱心で、
芝居小屋なんかもたくさんあるそうです。

ミセスはちょっと興味を持って
眺めてましたね。

駅前の広場にもいろんな
彫刻物なんかも飾られていますよ。
中山道の案内なんかもありましたね。





あっ、中津川は「栗きんとん」の
発祥地なんですね。



栗がたくさん取れて、
昔は栗を年貢の代わりに
納めてた人もいたそうです。

地歌舞伎、中山道、栗きんとんの町
というわけですねえ。

さあではまた駅に戻りましょう。



駅の中に蕎麦屋さんの
カウンターがあります。
外に店を出している蕎麦屋さんの
駅内店舗カウンターが
あるのですね。
そこでそばを立ち食いで食べている
人もいますよ。
名古屋で弁当買わなかったら
こういうお店もいいかもね。
きっとおいしいと思います。

さてここから松本までは
1本の電車です。
この電車に乗らないと、
次は2時間後の電車となりますから、
どうも今回の経路を
18切符で行くのなら、
この区間の電車をうまく
利用しないといけません。
松本まで2時間20分の

電車が走りだします。

あ、もちろん席はちゃんと取れましたよ。
まだほかにも空席がある
くらいですから全然余裕です。
もちろん駅で買った2本目の
ビールも飲み始めます。

ミセスに「飲みすぎたらあかんよ」
とか言って注意されますが、
車だったら飲めませんので、
電車の時くらい好きにさせてよ
と逆らいます。

駅で買ったおつまみをいただきながら、
遠くに見える雪を頂いた山の景色、



これは御嶽山かなあ
なんて楽しみつつ、
昼寝もしつつと、のんきに
旅を続けていくのです。



木曽福島では学生時代に、
ここから中央アルプスを
上ったことがあるので、
そんな話をしてあげます。

途中、雷がとても怖かった
思い出でした。
よくよく考えたら、
昔は北陸の山でピッケルが
ウィーンとなるような雷雲の中で
沈殿したことがありましたねえ。

よくぞまあ、ここまで
生きながらえているようです。
しかも孫を訪ねて
ビール飲んで旅してるってねえ。
人生わからんものです。

電車は塩尻で少し停車します。
ほかの電車との関連だったようです。
ここはまたとても懐かしい駅です。
友達がこの駅近くに住んでいて、
遊びに行ったこともあったなあ。

4年前には中山道と
諏訪大社を訪ねる旅も、
ここを起点に行ったこともありますねえ。

このあたりまで来ると、
北アルプスの山々も見えてきますねえ。
今はもうあんな山には
気楽に行けなくはなりましたが、
若い時にいっぱい登っておいて
よかったなあなんて、思います。
そんな山の景色を見つつ、
しみじみと考えたりするのです。

続く


孫を訪ねて18切符2

2020年01月30日 21時13分16秒 | 生活

大阪から米原行きの新快速に乗っています。
途中、これまで歩いた様々なところを通ります。

山城のあたりは少し前に歩いた所です。
琵琶湖疏水が走っていてね
とミセスに説明してあげます。
それから草津のあたりは
東海道を歩きましたねえ。

遠くに見えているのは
近江富士といわれる三上山です。

安土では、そうそうちょうど
あの山が安土城の山ですねえ。
そこらあたりは琵琶湖の水路が
入り組んで流れる場所になっています。

こうして電車の中から
周りの景色を説明していきますと、
ミセスに言われます。

「どんなけあちこちウロウロしてんねん」てね。

さていよいよ都道府県は大阪、
京都、滋賀と過ぎてきました。
次は米原で大垣行きの
各駅停車に乗り換えです。

8時41分に米原について、
5分後に大垣行きに乗り換えます。

岐阜県に入っていくわけですね。

そうそう米原は滋賀県内唯一の
新幹線停車駅でもありますね。
もう各停は飽きたから、
ここから新幹線に乗っていくわ、
なんていうミセスの声もありません。

その大垣行きに乗り換えですから、
5分ある乗り換え時の
タイムロスを意識して、
米原到着前に車内のトイレを
すましておきましょう。

電車はガタンゴトンと米原駅に
入っていきます。

大阪を7時15分に乗り、
米原には8時41分着となります。
次のスタートは8時46分。
ではスムーズに乗り換えていきましょう。

今度乗る電車もすでに
米原駅のホームに止まっています。
この駅発なので余裕で
座っていけますね。

日曜の電車だから通勤客も
少ないからなんでしょうねえ。
とても順調です。

大垣には9時19分着です。
途中、あのバイカモの咲く
醒ヶ井とかも通りましたねえ。
もうこの辺は東海道の宿の名前です。
この前に歩いた東海道の
関から山越えでやってきて
ここを通るのかなあ。

そうそうこの電車には、途中から
なぜか人がたくさん乗ってきます。
若いひとも多いですねえ。
岐阜や名古屋に遊びに
行く人も多いのでしょう。

大垣に到着する少し前は
もう満員電車です。

その大垣では約7分で
電車を乗り換えますが、
そこはさすがに人も多く、
焦っていかないと
席には座れませんね。

doironも唯一今回の旅で
座れなかった区間です。

大垣で乗ったのは
豊橋行きの特別快速です。
まあ、この時間に豊橋に
行けるんだったら、
いつかはこの区間も18切符で
行けそうですね。

その大垣から名古屋には
約30分で到着します。



この名古屋の乗り換えが
30分くらい余裕がありますので、
弁当を買いましょう。
次の電車は10時24分
名古屋発で中津川着が
11時39分。



そこで乗り継ぎが約20分なので、
名古屋の弁当を買って
おくのがいいでしょう。

次の電車のホームに行き、
そこのお弁当屋さんを
のぞきましたが、
あれ時間が早いからか
あまり種類がありませんよ。

結局こういうコンビニ弁当
になりました。
えびフリャーと味噌カツの弁当です。



これを次の中津川からの
電車で食べようと思ったのですが、
この日は朝の五時に食事をしたので、
もうおなかが空いてきています。
幸いこの電車にも座ることができたので、
中津川到着前にもう
食べてしまうことにしましたよ。

ミセスはおなかにこたえない
トリ関係の弁当です。

名古屋を出て30分も走ると、
のどかな景色が続き始めるので
弁当開封です。

あ、もちろんビールもついています。

エビフリャーがどえりゃあ
うまいなあ、味噌カツうまいんだぎゃ
とかいいながらビールも
ぐびぐびと行きます。

ちょうど座った車両のすみっこに
トイレもあるので安心です。
食後には大阪駅で買った
おやつもつまみにいただきましたよ。

350のビールでも、
幸せまで満タンです。

中央本線をイケイケ~とか
叫びながら中津川を目指します。



続く

 


孫を訪ねて18切符1

2020年01月29日 21時00分52秒 | 生活

さあて、今年ももう残すところ
あと11か月と少しになりました。
もう月日はまもなく2月です。

でもねえ、このブログはまだ
12月の出来事なんです。
なのでまあこの記事を最後に
新年の歩きにうつって
いくことにしましょう。

今回は孫訪ねの旅です。
ジジババ旅行ということですな。

実は今年の夏に友達からのお誘いで
18切符で岐阜城に行ってから
これで孫を訪ねてみようと
ずっと計画していたのことなのです。

このきっぷは年に三回しか発売されません。
夏と冬と春です。
学生さんなんかの若い人たちの
長期やすみの期間に
合わせているんですねえ。
なので今回は冬の期間の
青春18切符を買って、
それを使って長野県にいる
息子夫婦のところへ
孫を尋ねて行こうという旅が
したかったのです。
そんな期間にかかわらず
高齢者は毎日休みなんですがね。

経費は片道8000円くらいの所、
この切符だと2410円で
行くことができます。
しかし特急なんかの乗車券以外の券の
必要な電車には乗れないので、
各駅または快速なんかで
いかないといけませんから、
時間は少し余分にかかります。

あらかじめアプリを使って
時間をみてみると
和泉府中で6時台の電車に乗れば、
乗り換えを続けて
長野市に着くのは15時台でした。

9時間ですね。

まあdoironは全然平気なんですが、
ミセスはどうかと聞くと、
いいよ~とのことです。

まあ孫に会えるという楽しみが
そういわせたのでしょう。

「もしどうしてもいややったら、
途中から特急に乗ってもいいし」
なんて言ってましたしね。

まあそれなら実行だ
ということにしました。

長野市から上田までは、
JRから分離された
しなの鉄道で移動となるよ
なんてことにはあまり触れずにね。

じゃ、これで早速行ってみよう
ということで、切符発売となった
翌日の12月2日に
最寄り駅の自販機で
青春18切符を買い、
12月末に決行する
ことになったのでした。

この日は日曜ですから、
まあ息子らの都合に合わせて
夜間に会い、食事をともにする
という孫訪ねでした。

その日は僕らは上田の宿に泊まります。

午前6時に車で和泉府中に向かいます。
車は安い駐車場にいれ、
さあそれでは出発です。





ここからは大阪駅まで
乗り換えなしの関空快速に乗ります。
日曜日でしたから、
会社勤めの人たちは
少なかったからいいけど、
それでも席はいっぱいで、
下手に乗ったら座れない
ところでした。

何とか席に座れて、
幸先よく出発です。

この電車では7時2分に大阪着です。

その後に乗る米原行き新快速は
7時15分出発となっていますから、
乗り換え時間は13分と余裕ですね。

トイレとおやつを買って
ホームに並ぼうと計画を立てました。

一度に指示しても忘れられるので、
毎回こうして次回の乗り換えを
指導していきます。

乗り換え時に気を付けなくては
いけないのは、
途中で電車が分離して
別の方面に向かう場合もあるので、
見極める必要があります。

それと、トイレの位置も
できれば確認しておく
必要がありますね。

満員電車で3車両先まで
行かないといけないとなったら、
トイレも大変ですからね。

大阪駅に着いたら、
計画通りにトイレと買い物をすまし、
その電車のホームに向かいます。

電車の表示を見たら、
この電車は途中で湖西線に
分かれることもなさそうなので、
安心です。

しかも大阪発ですから、
並んでおけばまあ座れるでしょう。



電車到着後、慌てて乗って
何とか二人掛けの椅子を
確保しました。

これで、米原までは座って
いけるようです。

新大阪、高槻と止まって
あそこが天王山の登り口やでと
示したりしながら、
京都までは30分くらいで
到着となり、電車旅気分は
どんどん盛り上がっていきます。

息子にはこんな感じで
向かってるよとメールを入れつつ、
電車に揺られていく
doiron家なのでありました。

続く


2020とんど焼き

2020年01月28日 21時24分00秒 | 最近の出来事

お正月の松飾を掲げる
期間である松の内といえば、
いつまでのことを言うのでしょうか。

7日までといわれる
ところもありますが、
doironの住んでいるこのあたりでは
15日までといわれています。
その日に正月の松飾を外すのですね。
今年は、昔のマラソン練習コース横の
松をいただいてきました。
こんな門松を、
家に飾り付けていましたねえ。



それをその15日に外して、
氏子代表をやっている神社に
行ってとんどにくべたりしました。



火をつけているのは、
最近、親から神主を引き継いだ子どもです。
前の神主は一つ下の幼馴染で、
その息子は我が息子の同級生です。

この時もいろいろと
燃やすものは区別していましたねえ。

まずはプラスチック類は
燃やさないことですねえ。
ダイオキシンなんて言葉が
話の中に出てきます。

まあ燃やすものの量は
さほど大量ではないので
大丈夫なんでしょうがね。

そして門松の松ですね。
冬でも青々とした松は
新しい生命力の象徴と
なっており、神様が宿る
といわれてますから
正月に掲げるのですね。
古来の中国でも生命力、
不老長寿、繁栄の象徴とされ、
人々はこれを祈りの対象に
したりします。
ありがたい常盤高木ですね。

それがやはり大量に出てきます。

これをねえ、そのまま燻らすと
煙いこと煙いこと。
それから
正月飾りのミカン類は
取り外さないといけません。

これらはねえ燃やすと後で
杯の中にごろごろと漕げた
ミカンが残るんだそうです。

この作業を手伝うのは
氏子代表の仕事ではないんですが。

煙を避けて立ってると
ぽかぽか暖かいので、
近くで持ち込みのお札の
受け取りをしたりしています。

そうすると、村の人々が
次々と現れてきますねえ。

「氏子代表ってそんな仕事もするの?」
なんて言われたりしますが、
それはきちんと否定しておきます。
次回の代表を選ぶときに、
「あんなこともやるんやったら断ろ」
なんて妨げになってしまいますからねえ。

「いやあそんなことないよ。
楽しいよ~」という雰囲気を
出しておかないといけません。

任期は5年。
だから、あと三年後のことも考えて、
にこにこと神社でウロウロしている
doironなのでした。

それにしてもこの神社、
よろしくお願いしますと
本当に大勢の人が現れますねえ。
地域の人たちに本当に
親しまれているんでしょう。

あたえられた氏子代表の仕事は
今年もしっかりやらないと
いけませんねと思った
新年のとんど焼きでした。


東海道、亀山宿から井田川へ4

2020年01月27日 21時19分56秒 | ウォーキング

巡見使がとおったという道も
過ぎていきます。

東海道は東西の幹線ですから、
様々な顔を持っていますねえ。



やがて左に現れてくる看板には、
露心庵跡と書かれています。
昔、亀山が攻め込まれたときに
ここを守っていた関万鉄斎が
たった13騎でこれを撃退した
といわれています。
この戦の戦死者を亀山城の東の
この辺りに葬ったといわれており、
関氏の露心がここに
庵を立てたといわれています。

そういえば、先程江戸口門というのが
ありましたねえ。
あれは亀山城下の境で、
亀山宿となるとここが境となるようです。

その露心庵のすぐ先にいくと、
大きな鳥居が立っていますね。



この鳥居が能褒野神社の
鳥居ということになるといいます。
事前にネットで見てたのでは
まだここから、その神社までは
距離がかなりあるようです。

まだ食事もしていないし、
帰りの車のお迎えの時間を考えたら、
その神社に行くのはむつかしいですね。
鳥居のところで、
ヤマトタケルにお祈りしておきましょう。

さあ、ここまで来たら
あまり食堂もなさそうです。
その先にコンビニがありましたので、
中に入ってみましょう。



結局そこで弁当買って、
ビールを飲みながら食事を
することにしました。

ここで食べるといったら消費税が
10%になりそうなので、
持ち帰り風にしてもらい。
近くの駐車場のわきに
腰掛けていただくことにしましたよ。

あめももう上がって
青空も出てきているので
大丈夫でしょう。

駅で女性にいただいた傘は、
コンビニの傘立てに
置いていくことにしました。
また誰かが使ってくれるでしょう。

この時の弁当はこれです。



ちらし寿司とビール。
いいですねえ。
帰りのことを考えても
ビールは許されるでしょう。

井田川までかなり近くなりましたしね。
量は少なかったのですが、
ちょっと贅沢な昼ご飯です。
まあ交通費も浮くので
良しとしましょうかね。

ここからは高台を下がって
いくような感じで道が続きます。



あ、左に大きな木の生えている
ところがありますねえ。

近づいてみたら、
ここが和田一里塚跡です。

東海道の一里塚を復元したそうで、
大きな木が植えられています。
エノキかなあ。

そしてそこからさらに下っていくと、
左のすこし高台に大きなお寺がありますよ。



地図では石上寺と書かれています。



頑張って上がっていくと、
広い境内に結構多くの
参拝者がいましたねえ。



古い文書なんかが多く
残っているお寺だそうです。

七福神の旗も立っていましたよ。



ああ、渾身のお願いを
ここでしておきましょう。

さらに進んでいくと、
道が二つに分かれていますねえ。
ここは鈴鹿方向へ向かう分かれ道です。
そこに立っていたのが
「和田道標」ですね。



三重県内の東海道の道標の中でも
最古なんだそうです。

さらに進んでいきますと、
「谷口法悦題目塔」というのが
立っています。



これも昔から道案内の中で、
「河合の焼け地蔵さん」
とか
「法界塔さん」と呼ばれて
いたそうです。

昔の道案内になるのですねえ。

そこから椋川の橋を渡り、



大きな道路の歩道橋を



こえたら、ようやく
井田川駅に到着です。





時刻表を見るとうまい具合に
すぐに電車が来るようです。
電車で亀山まではひと駅ですね。



そこで亀山まで戻り、
お迎えの車を待つことにしましょう。
喫茶店のコーヒーを飲みながら、
お迎えの車の到着を待ちます。

そうそうお土産も買っておきましょう。
車の運転手に、
伊勢うどんのお土産を買いましたよ。

しばらくしたらやってきて、
行きと同じく西名阪で帰ります。

この日はいつもより少し遅くなるので、
帰宅したのは8時ころでしたね。

さあて次はまた三月くらいに
三重に行くだろうとのこと、
では次はどこに行こうかな
と考えつつ亀山の旅、終わりです。

 


東海道、亀山宿から井田川へ3

2020年01月26日 20時56分15秒 | ウォーキング

遍照寺から上がってきて、
次はここから少し市役所方面に
あがっていきましょう。

前回は城に行ってから
そのまま西向て歩いていったので
この辺りは行っておかないと、
少し空白になってしまいます。

亀山市のシルバー人材センターも過ぎると、



今度は家老であった名川大右エ門氏の
屋敷跡を通ります。



ここはもう建物もなかったですねえ。
跡地の紹介でした。

そして亀山城東三丸跡を過ぎたら
遠くに市役所が見えてきます。



亀山市は人口が55000人ほどですが、
この人口で議席数がなんと18あります。
doironが住んでいるところは
人口が74000人で議席数は
16ですから、手厚い議会ですねえ。

まあ地域の動きにはとっても
敏感な市なんでしょうねえ。

その市役所の手前には、
亀山城の太鼓櫓跡があります。



高い所の櫓のてっぺんに
太鼓を置き、時を告げていたんですねえ。



これで亀山の中心地は
だいたい押さえましたね。

ではまた東海道の方に
戻っていきましょう。



もとの道の交差点に戻りますと、
こんな標識が上がっています。



それに沿って進んでいくと、
このあたりには食堂とかもありますねえ。
そろそろお昼です。
どこかお店に入りましょうかねえ。
でもこんな亀山味噌焼うどんの
キャラクターかめみちゃんの
キャラクターのお店なんかはねえ、
前回食べたしなあ。



何か他の物はないかなあ
と思っているうちに
食堂街も通り過ぎてゆきました。
またしばらくしたら
店をさがして入りましょう。
何か井田川に関する
食べ物もあるかもしれんしなあ、
なんてちょこっと思ったりしてね。

商店街の北の方に来たら
道がクニっと曲がっています。
ここが江戸口門跡です。



前回西の方で京口門跡を
通りましたねえ。
あれが城下町の西の端で
こちらが東の端ということになります。



ここが江戸口門というような
遺跡とか痕跡はないのですが、
地形とここがクニっと曲がって
いるところからそう判断されています。

ということは、
これで城下町は横断
ということになりますね。
そしたらもうにぎやかなところは
ないのかなあと思ったら
そうでもなかったですね。

江戸口門を出てもまだまだ
商店も並んでいたようです。
亀山宿そのものは
まだ続いているわけです。

あちこちにまだ屋号札が
かかっていますしね。

で、ここで屋号札と同じ名前の
建物を見つけました。

ここは「こうじや」と
札が付いていますが、



その商店の名前も
「糀屋(こうじや)」でしたし、



「とちぎや」という札のついている
ところも会社の名前が
「栃木屋」でした。



こんな屋号札と同じ名前の
会社やお店があったりするのが
面白いですねえ。
ずっと名前を受け継いで
きてるんでしょうねえ。
なんとなく長い期間の人々の
暮らしを連想してしまいます。

このあたりは古い住宅街
という感じですねえ。
道端で女性が井戸端会議をしていたり、
車を押して高齢者が
歩いていたりしました。

お寺なんかもあまりありませんね。

しばらく行くと右側が
花の咲く広場になっています。



名前は本町広場とつけられており、
その奥に看板が立っています。

この交差点は東海道と
巡見道が交差しているんだ
と書かれてありました。

巡見(じゅんけん)とは、
江戸幕府が諸国の大名・旗本の監視と
情勢調査のために
派遣した上使のことをいい、
この道を通って諸国を
巡視して回ったとのことです。

彼らは政治の実態を
「美政・中美政・中悪政・悪政」などと
格付けした他、
キリスト教禁止令などの
幕府法令の実施状況、
領内の物価や相場、
船舶や海防についてなどを
調査したそうです。

地方にしてみれば
うっとおしい存在だった
のかもしれません。

続く

 


東海道、亀山宿から井田川へ2

2020年01月25日 21時12分38秒 | ウォーキング

思わぬ偶然できれいな
お姉さんに傘をいただいた
doironは飯沼慾斎の生家跡くらいから
傘をさして歩き始めます。



時折強く降ったかと思えば、
止んでくるというような
感じの雨でした。

そのあたりから東海道を
少し外れて北の方に入っていきますと、
真っ赤な椿が花を散らしていましたね。



その先にあるのが終南山善導寺です。



門のところにある石の灯篭が、
伊勢亀山藩の第二代藩主である
板倉勝澄から寄贈されたものだそうです。



寺の中には石造物や、
昔の武将の墓があったりしますが、



まあもういいでしょう。
天気も悪いし、今日は東海道歩きが
メインですので、
ここはスルーしていきます。

そして今日のコースはその先のあたりで、
右回りでくるりんと
回っていくことになります。
これ以上行くと、前回亀山城から
出てきた道とつながりますから、
大きくUターンですね。
向こうの方に見えているのは
鈴鹿の方なんでしょうねえ。



ちょっと地の利がないから
山方面があまりよくわかりません。

そんな景色を見ながら
歩く向きを東向きにかえて行きます。
雨の中ですから道も
あまりよくありませんね。



あ~あと思って歩いていると、
左側に大きく開けたところが
出てきましたねえ。



ここが西の丸外堀の
築城掘建設現場跡なんだそうです。



発掘してみるとここの堀は
通常の堀の建設時によく使われる
石垣を使ったのではなく、
丸太なんかを打ち込みながら
土を積み上げて作っていったそうです。



もともとこの堀は東海道に
面しているわけですねえ。
大勢の人間の目にさらされている
わけですから、城の防御上は
とても大切な堀ということに
なるそうなんです。

調べたところ、堀の深さは
180cmで、水の深さは60cm
程度だったそうで、
こんなんじゃ防御上はあまり
よくなさそうですが、
実はその後ろに設けた土居や
急な斜面などで
十分防御されていたそうです。
地方の伊勢亀山城は
こうして守られていたんですねえ。

でもまあ、江戸時代に
さほど大きな合戦というのも
なかったとは思うんですがね。

ここは広いスペースだったので
休憩するのにも良い所なんですが、
今日は無理なお天気ですね。
どこか屋根のある所で休憩しますか。

なおかつ東に進んでいきますと、



こんな古い家のところに出ます。



ここは亀山藩主石川家家老加藤家屋敷跡です。



立派な長屋門が続き、
中には土蔵が見えたりしています。
前の道も石畳が設けられ、
豪勢な感じになっていますねえ。

さて、これで城見庭園から入った
西町の並木は終わりですね。
ここから道はお堀の池の側の
ところに出ていきます。
ここからさらに東向いて、
池の南側の道を進んでいきましょう。



こんな感じの古い道です。

道の両側に家々には古い屋号札が
いろいろとついています。



いろんなお店があったのですねえ。
でもねえ、店の名前は
わかるのですが何を売っていたかは
あまりわかりません。



まあここは「えごま」を
売っていたんでしょう。



そしてここは荒物屋ですねえ。
でもこんなお店はわかりません。
そんな掲示もできたら
してもらった方が面白いんやけどなあ。
こうして歩いていると、
道は結構な高台の上を
歩いていますねえ。



右手に少し下がったところに、
お寺が現れました。
名前は「遍照寺」といいます。

ここは昔から「頭で鐘つく遍照寺」と
いわれていたそうです。
すこし高台にあるお寺なので
そんなイメージだったのでしょうね。
中に入っていきますと、
大きな無縁仏もありましたね。



階段がまだまだ下の方に
続いていましたので、
降りてゆくと墓場が続いていました。



う~ん、何か静かな参道が
続いているかなと思ったのですが、
そうではなかったようです。



続く

 


東海道、亀山宿から井田川へ1

2020年01月24日 20時48分13秒 | ウォーキング

松の内も過ぎたのですが、
まだもうちょっと昨年の
話が続きます。

今回は三重県に行った話です。
行先は前回に引き続き亀山。



前は亀山から西側の関の方へと
歩きましたが、今回は
その反対方向で亀山から
東の井田川へと歩いてきました。



足は友達の仕事車での送り迎えですから、
まあ楽ちんの極楽歩きですな。

ではさっそく向かっていきましょう、
ていうか車に乗せていただきましょう。

通いなれた西名阪自動車道で向かいます。
天気は曇り空の一日でしたが、
さほど寒くもない気候でしたねえ。

亀山の駅で下ろしてもらいます。
帰りの時間の目安なんかを
聞いておいて、さあでは
歩いていきましょう。

ここの駅前には大きな鳥居があります。
これが能褒野神社一の鳥居ですねえ。
ヤマトタケルが能褒野で
死去したとされ、
この能褒野神社の所の墓が
能褒野墓とされているそうです。

今日の歩き経路から少し北側に
その能褒野神社があるので、
寄って見れたらと
思っているのですが、
まあとりあえずは亀山市内と
東海道を通って
井田川へと結ぶコースを
歩いてみましょう。

前回歩いた時と同じく、
亀山城跡へ向かう坂道を
登っていきましょう。



右手に大きなお堀を兼ねた
「池の側」が見えてきたら、
そこが東海道との交差点です。

ではここから左側へ続く
旧東海道にはいってゆきましょう。



そこにはお城見庭園というのが
設けられています。



上がっていく階段の石垣には
亀山宿の説明やそれを絵にした
説明版が付いています。

「亀山領内東海道分間絵図」
が書かれてあり、このあたりは
城やお堀も見渡せる場所で
あったとされています。

確かに今もあずまやが作られて、
見晴らしのいい場所ですねえ。

このあたりは「西町問屋場跡」と
いわれています。



問屋場とは、公用の荷物を運ぶ
伝馬人足の継立や一般荷物の
管理を行うところで、
二軒の役員が交代ごうたいで
管理しているところでした。

これが城の方を見た景色で、



これが東の方に走っていく
東海道です。



ちょっと黄土色に色付けされた道で
静かな雰囲気が続いていますねえ。

家をよく見てみますと、
こんな木の札が張られています。
当時の状況を表現しているんだそうです。



ここが西町の「ひのや」さんということ。
ですね。この取り組みは
町並み保存会の人々がやってる催しで、
中には屋号札の名前と
そこの家の表札が重なる
ところもあって面白いです。

まあこの屋号札はいたるところに
ついています。
ぼちぼちと見ながらところどころで
紹介していきましょう。

ここに道標が二つありますね。





ひとつは「右東海道 左停車場」と
刻まれています。
停車場っていうのは、
亀山駅のことを言うのかなあ。

そしてもう一つは
「左東海道 右郡役所」と
書かれています。

郡というのは鈴鹿郡かなあ。
昔はそう呼ばれていた地域です。

そして何のお店かわからないところや



食堂を過ぎたら、



ここが飯沼慾斎の生家跡であります。



植物関連で草木図説を
出版した人で、
医者関連にも知識があって、
人体解剖なんかもした人だと
いわれています。

あの亀山城の所にも
こんな石碑が立っていましたねえ。



我が国の近代科学の礎を
築いた人です。

とそうしているうちに雨が
かなりふり始めました。

傘を差しましょう。
実は、亀山の駅で雨降りそうやなあ
どうしようと思っていると、
女性が一人近づいてきました。

「あの~旅の人のようですが、
この傘を使いませんか」と
声をかけてきはりました。



スーツケースを持って
遠出の旅に出かけるようで、
傘を始末しなきゃと
思っていたそうで、
そこに空を見上げる旅のおじさんが
いたので声をかけたようです。

「もう私はこんな街に帰ってこないねん」
とか
「彼氏を追って都会に住むのよ」
あるいは
「ハワイの気持ちい風が私をまってるわ」
なあんて考えていたのでしょうか。

そんな女性とおっさんdoironの
需要と供給が一致しましたので
ここはありがたく傘をいただきました。

続く

 


ひがあし、doiron山あ~

2020年01月23日 20時52分53秒 | スポーツ全般

一昨年の九月にブログで
相撲の行司のことを書きました。
ジムで自転車こぎながら
毎日相撲を見ているわけですが、
そんな中でふときずいた
変わった衣装の行司の事を
いろいろと調べてみたら、
ああ行司の世界もいろいろと
ということがわかりましたねえ。

それを知ってからは
ますます相撲を見るのも
楽しみになったものです。
例えば、今日はあの行司は相撲取りに
跳ね飛ばされて軍配を
上げられなかったなあとか、
その時に控えの行司が
軍配を上げたとか
そういう場面も印象に残ったりしましたね。

今場所は立行司の第41代式守伊之助が
結びの一番の豪栄道―阿炎で
軍配差し違えをして
口頭で進退伺を出した
という事件がありましたねえ。
まあそれは奮起を促されて
とどまりましたが、
いやあ彼はそれからの相撲の
軍配はややこしい取り組みに
ならないようにと、きっと
ドキドキしたでしょうねえ。
そんなところも相撲の
おもしろさで観戦したり
しているのですが、
最近よく画面で気が付くのが、
行司の名前と共に呼出の名前が
画面に表示されることです。
前からかもしれないけど、
今年はそれによく興味が
ひかれるのです。

それが友達と同じ名前だったりすると
印象に残ったりしますしねえ。
なので今回は呼出について
調べてみることにしました。

呼出の仕事とは、
取り組みの際に力士の名前を
呼びあげる「呼びあげ」だ
と思っていたのですが、
実際の仕事はもっとたくさんあります。

まずは土俵整備。
取り組みの合間にほうきで
土俵やその周りを
掃いたりする仕事です。
それから、関取の時間前に
タオルを渡したりもします。

あ、太鼓をたたいたりするのも
呼び出しの仕事です。

まだまだありますよ。
顕彰幕を掲げて土俵周りを回ったり、
力士や審判委員の座布団を変えたり、
土俵入りや横綱土俵入りの
拍子木を売ったり、
取組後にさっさと懸賞金を
行司に渡したりする仕事と
実に様々です。
座布団が投げられたら
慌てて回収に回ったりしていますしね。

そんな呼出のランキングは9段階あり、
それはだいたい年功序列で行われています。
受け継がれている名前はありませんが、
みんな下の名前だけで呼ばれています。

ランク付けで一番偉いのが立呼出で、
続いて副立呼出、三役呼出、幕内呼出、
十枚目呼出、幕下呼出、三段目呼出、
序二段呼出、序ノ口呼出と続きます。

立呼出は40年以上務めた人か
30年以上で特に優秀な者
とされていたりします。

現時点では立呼出、副立呼出は不在で
4人の三役呼出から
42人の呼出がいます。
意外に大勢ですね。

相撲を見ていると、
どうも土俵のすみっこに
力士が飛ばされそうになったら、
水桶を除去したりもしていますねえ。
さりげなく大変な仕事をしていますねえ。

あ、それから呼びあげの時も
いろいろルールがあって、
十両最後の取り組みや、
三役以上の時は関取の名前を
二回呼ぶなどのルールもあります。

そうそうエピソードで、
もの言いがついた相撲に気づかず、
次の力士の名前を呼びあげて、
審判員から注意を受けた
呼び出しもいたそうです。

呼出の服装は、
着物と袴で、背中に「なとり」や
「紀文」の広告が目立っていたりしますねえ。
永谷園なんかもありますね。
そこに足袋と呼び出し時には
白い扇子を持つそうです。
これは土俵に唾を飛ばさない
ためなんだそうです。

そうそう、呼び上げの時の
声の通り具合などの
声量は評価の対象になるそうです。

どうですか。

相撲を見ているだけでも、
行司の仕事、呼出の仕事が
気になるようになりましたか。

横綱二人が休場。
ご贔屓の豪栄道が
大関陥落とさえないニュースがあったり
古い力士の活躍が見られないなど、
相撲そのもののイメージが
あまりよくない今場所ですが、
ジムの自転車こぎの合間に
こうしてほかに色々見つけては
相撲を楽しんだりしている
doironなのでした。


カニの次は牡蠣三昧

2020年01月22日 21時24分11秒 | 最近の出来事

お正月が明けて、先日ラン友から
牡蠣が大量に届いた。
いやあとてもありがたくうれしい。

なにせ牡蠣は多分doiron
最後の食卓に選ぶかなあ
というほど大好きなのだ。
なんでも実家が広島にあるらしく、
その関係で地元の牡蠣屋さんから
送ってくれているらしい。

じつは以前も送って
いただいたことが何度かあり、
連絡先を控えているので
こちらから注文しようかな
と思っていたほどでした。

届いたのは、こんなこのまま
火にかけることができる
入れものに入った生ガキと



皮をむいた牡蠣のセット。
この生ガキがとてもうまい。
こんなやつです。



きれいな真牡蠣ですねえ。
全体の量はだいたいこれの
3倍くらいありますね。
これを火にかけてしばらく蒸すと、
すこしだけ貝殻がらが開くので、
そこに添付されてある
牡蠣分解ナイフでこじ開けていきます。
出てきました。
これが本体です。



ポン酢をかけていただきます。
ウヒャー、うまい。



もう海のミルクというだけあって
口に入れた瞬間から
口の中が海になります。

牡蠣はよく当たるとかいいますよねえ。
でももうこんなにうまい牡蠣なら、
後で当たったとしても
本望かもしれません。
全然当たりませんでしたけどね。

ツルンツルンと、どんどん次々
おなかに入ってゆきます。
結局、殻がこんなに出てきましたよ。



2~3個は庭のすみっこに
ほっちらかしておきましょうかねえ。
ええ肥料になりそうです。

それにしても、
ほんとにありがとうさんでした。
もうとっても幸せを
いただいたような気分です。

お返しにいいお酒を買いに行きますね。

そうだそうだ牡蠣の絵も
描かないといけませんね。
何べんも言います。
本当にありがとうございました。