ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ドジ旅日記長距離走の陰謀5

2017年03月31日 20時50分16秒 | ウォーキング

びわ湖マラソン8キロ地点です。





わお~、集団ですなあ。
写真も撮らないといけないし
選手も識別しないといけないし、
みんな早いし~と大変でした。

何とか、佐々木、一色、村澤は
見たように思います。
写真をチェックしてみましょう。



おお~写ってます。
旭化成の佐々木、その向こうに一色、
そして後尾の方に「村澤」です。

ではdoironもテレビカメラにも移りましょうと、
中継車の方を見たら、
な、なんとさっきまで静かに
見ていた女性がいきなり大きな
紺色の傘をさしているではないですか。

て、テレビカメラが見えません。

これはもう応援者に対する
長距離走の陰謀です。

家で録画してあったテレビで確認すると、
見事にカメラの前で
その傘の陰に隠れてしまいましたねえ。

むむ~、この借りは
後半の応援で返してやるで~。

8キロあたりだともう
10分くらいですべての
選手が通り過ぎていきます。

おお~最後尾だ。



頑張れよ~と偉そうに言ってますが、
それでもこの辺の選手は
フルを2時間半くらいで走る
超高速選手なのですね。

では、我々も先へと急ぎましょう。

この辺りは「粟津の晴嵐」
といわれる名称です。



東海道に生える500本の松が
晴れた日にも、
嵐のようにざわざわとなる様子から
そういう名前になりました。



きれいな場所ですから、
負けずにトイレに行っておきましょう。



長距離走の陰謀との戦いに
トイレは絶対欠かせませんからね。



さあ、ここから琵琶湖は
淀川となって流れていきます。



大阪湾まで約75キロという
長距離ですが、doironは
昨夏制覇しましたがね。
あの時も炎天下に
自販機もない陰謀などにも
ぶつかりましたねえ、大変でした。

で、この辺りで瀬田川の対岸を見ると、
たくさんの人影が見えます。



そう、選手はこの先の
南郷洗い堰を渡り対岸を
走ってくるのですね。

先頭が一人になっていないか
とか確認してみましょう。

おお~TV中継車が見えましたよ。

あ、どうも先頭は少人数に
なっているようです。
それは誰かまでは、
さすがに老眼では見えません。

これは折り返してくるのが楽しみですねえ。

解説の瀬古は一色のことを
すごく買っているようです。
箱根駅伝の時も二区の選手が
5人集団で走っているときも、

「一色君が全員を引き離していくでしょう」

といってましたが、
結局は神奈川大学の学生が
ぶっちぎっていきました。

で、この琵琶湖駅伝でも一色に
「7分台いけるよ」といってたのですが
どうなんでしょうか。

30km以降でも先頭周辺を
走っているんでしょうかねえ。

で、われらはこういう
アンテナケーブルなどが通る
共同橋をこえ、屋形船にも乗らずに





渡り船に乗って宴会することもなく
港を超えていきます。



で、その先でいよいよ
マラソンコースの方に
合流していきました。

先ほどたくさんの客がいてたのは
駅が近かったからで、
大勢の人に阻まれて、
ドジ旅で戦う我らの姿が
TV撮影から隠されてしまわないように、
ここでは応援ポイントを選びましたよ。

瀬田の唐橋から100mほど
進んだところの人の少なそうな
ところに陣取りました。

ここならテレビに映るだろう
と思って立っていたのですが、
観客たちは賢いですねえ。

瀬田の唐橋の向こうで
応援していた人たちが、
どんどん橋を渡って
こんどはこっちに応援にきます。

おお~鐘紡の応援団の人たちも
やってきましたよ。

doironたちのすぐ後ろと
全面に場所を撮り始め、
結構人が増えてきました。

でもねえ、前半ほどではないので
何とかなるでしょう。

ここはだいたい32km地点です。

キロ3分で走っていたら
96分くらいに通過のはずです。

あれ来ませんねえ。

ちょっとペースが落ちたようですねえ。
でも2~3分以内にはと思っていると、
2分後にテレビ中継車が見えてきました。

続く


ドジ旅日記長距離走の陰謀4

2017年03月30日 22時49分09秒 | ウォーキング

琵琶湖疎水を眺めてから入った



コンビニを出て、
お昼を食べに行ったのは
大津市を感じる景観スポットです。



と勝手に言ってるわけではありません。
ちゃんとそこに書いてありました。

大津の重要眺望地点です。
ここ。



琵琶湖が見渡せて



ミシガンもやってきますし、



比良山、比叡、街並みも



しっかり見渡せます。

そんな湖岸に腰掛けて
お昼をいただきましょう。



あ~でも皆さん大人ですねえ、
陰謀との戦いの中でも
ビールはしっかり飲んではります。

もぐもぐ

さあ、食べ終わったらきっちりと
トイレを澄まして、
続けて琵琶湖沿いに
南下していきましょう
とスタートしましたが、
な、なんとここには、
陰謀撲滅の金がありましたので
鳴らしておきましょう。



そしてなんとこれは
「陰謀ストップ」の記念Tシャツです。

おお~ドジ旅もこんなに
メジャーになりつつあるんですねえって、



ちょっとビール回ってますかあ。

でもねえ、この先の地名が
もうなんと今回のドジ旅を
予感させるような名前なんです。

「におの浜」



といいます。
我らが今回同伴として連れてきた
「N尾」さんの名前そのものです。

これはもうこの地域の陰謀に対する
熱い想いが待っていたような名前ですねえ。

N尾さんにはしっかりと
戦っていただきましょう。

え?そうじゃないやろって?

まあ「にお」のもう一つの説に
「カイツブリ」の旧名「鳰(にお)」が



たくさんいた浜という説もあるようです。

しかし、この辺りはいいところですねえ。
水辺の環境が我々ドジ旅の
メンバーのさわやかさに
一致していましたねえ。

そして相模川を渡るところからは、
テレビで全国にも中継される
長距離走の陰謀との戦い

「びわ湖毎日マラソン」

のコースへと入っていきましょう。

さらにずっと南下していって、


エイドも済んで

近江大橋も越え、





膳所城過ぎのところが8キロ地点です。



この辺りで応援していきましょう。

この戦いで注目されるべき選手は
何人かいます。
まずは、日本記録以上の
タイムを持っている
3人の外国人選手。

でもここで注目すべきは
彼らではありません。

2時間8分の記録を持つ佐々木と
同9分台を持つ石川くらいの
戦いが注目されるでしょう。

しかし、陰謀との戦いとなると
やはりマラソン新人選手の戦いからは
目が離せません。

青山学院の「一色」、
旭化成の「市田」、
日清製粉の「村澤」の戦いが
一番の注目でしょう。

一色君は以前東京のフルを
2時間11分で走っており、
二回目の挑戦となります。

強い強いといわれつつ、
箱根の二区ではいつも
一枚上手の選手に区間賞を取られており、
三年連続区間3位なんですが、
その安定性の評価は高いのです。

そんな彼を応援する人もいます。


お、お父さんだったりして

そして市田(宏)選手は
双子の兄(孝)選手とともに
旭化成の選手。
全日本実業団では
区間賞も持っている選手だ。

そして「村澤」は佐久長聖の頃から
名をあげていた選手。
パワフルに走るのその走りには
すごいパワーを感じるが、
逆にきれたときのダウンも大きい選手だ。

今回のマラソンでは
前半8キロくらいと
後半32キロくらいで
応援する予定なのだが、
前半はこの三人がトップで
走ってくるかが問題だ。

その応援場所の近くには
なんと「NIHO」という会社が・・・



「三尾神社」「におの浜」ときて、
ここで「N尾」さんとの名前の関係は、
なかなか因縁めいたものを感じますねえ。

とそうしているうちに、
doironの予想では
もう一分以内にやってきますよ。



と予想してたら
きっちりやってきました。
これが大津の曳山です、
じゃなくて長距離走の陰謀と戦う
男子の集団のTOPを走る人々です。
さあ注目選手は果たしているでしょうか。



続く


ドジ旅日記長距離走の陰謀3

2017年03月29日 22時57分37秒 | ウォーキング

さて、大津は湖上交通の要所でもあり、
北国街道と東海道の
合流地点でもあります。

なのでこの辺りには、
旅籠がいっぱいあり、昔は
長距離移動の使れをいやす地域でした。

また昔の絵なんかによると
この辺りに本陣があって、
結構にぎわったそうです。

しかし、その旧跡はもう
ほとんどなくなっており、
いまは明治天皇が休憩した
この聖跡碑が建つのみだそうです。



いやあ、昔の人の長距離移動の
かなめの地域だったのですねえ。

などと写真を撮りに行ってる間に、
二人はどんどんと進んでいきます。



広い道を曲がり、
上栄町の踏切を渡ったら、
道は三橋節子の美術館に


三井の晩鐘

向かって坂道を上がっていきます。

ヒーハーヒーハー、
待ってくれ~。



坂の途中から大津の町と
琵琶湖を見下ろして



進んでいきます。

こういう分岐を越えて
現れてくるのが「近松寺」です。



近松寺は「ごんしょうじ」と読みますが、
ここで20歳ころを迎えた
武家の次男は、何を目指そうと
この辺りで過ごし、



結局この寺の名前を撮って

「近松門左衛門」

という浄瑠璃および歌舞伎の作者
となったとのことです。

彼のゆかりの地である
お初天神や彼の墓
(大阪市内と尼崎の二カ所)を





まわったことがありますから
感慨深いですねえ。

そこから大津大神宮、



長等神社を経て



ウサギの狛犬がいたり、
手洗い場があったりする
神社にやってきました。





「三尾神社」です。

おお~なんと今回旅の
道ずれとなったN尾さんに
名前が似ています。

これはもう陰謀に潜む何かを
表しているのかもしれません。

ここには卯年生まれの人の
守護神がいるようです。



さあて、我々は今回のコースの
一番北のはずれ、西国第十四番札所





「園城寺」(通称:三井寺)

に到着です。



この通称は天智・天武・持統天皇の
三帝の誕生の際に
御産湯に用いられたという
霊泉があり「御井の寺」と
呼ばれていたものから
ついたもので、
いまはもうこの名前の方が
よく言われています。

この寺の有名な物のひとつに
「三井の晩鐘」があります。

琵琶湖の竜神が人に産ませた子供が
元気に過ごしているしるしに
晩鐘を鳴らしてくれといった鐘を
「三井の晩鐘」といいます。

ほかにも龍神にまつわる
話が伝わっています。

琵琶湖と龍、何となく
結びつきやすい伝説が
いくつかあるんですねえ。

この鐘を見たかったのですが、
入山料もかかるので、
今回の目的とは違うので
中に入るのはパスにしました。

こんど納経しにやってきたときに
入山することにしましょう。

さあ、ではここから琵琶湖の方に
向かって降りていきましょう。

三井寺の手前で流れていた
琵琶湖疎水のところに



向かって戻っていき、
流れをさかのぼっていきます。

この疎水は、もう今から
100年以上前に建設された
琵琶湖から京都への水の
長距離導入路であります。

この水は、京都の人達の
飲み物としても使われるとともに、
ものの運搬の他発電なども行われ、
その電気を用いた市電の発達は
京都の町に発展をもたらしましたそうです。

とまあ、普通の歩き旅の
話をしていてはいけません。

長距離の琵琶湖疎水に
陰謀を感じなければなりません。

立ちションをさせようとするのは、
この疎水の陰謀でしょうな。

京都市民をそんな目に
合わせるわけにはいきませんからね。

琵琶湖マラソンのコース添いに出たところで
コンビニがありましたので
そこのトイレに突入しました。

え~っと、ここではお昼御飯も
買わないといけませんね。

おにぎりはっと、
この際ですから豪華な
イクラセットを買っておきましょう。

そしてビールは、
糖質ゼロで体のことを考えて
おきましょうって、



だったらイクラおにぎり
やめとけってなもんですな。

続く


ドジ旅日記長距離走の陰謀2

2017年03月28日 21時34分37秒 | ウォーキング

南海本線から環状線、
湖西線、東海道線と乗り換えて、



大津駅に着いたのが



予定通り9時40分。

さあではさっそく歩き始めましょう。

実はこの日は、世界陸上の
マラソン代表選考会である
「びわ湖毎日マラソン」の
レース日でした。

だから、歩くコースと応援コースが
重なるようにコース設定をし、
膳所あたりのレースはじめ(8キロ)と
復路の瀬田の唐橋(33キロ)
当たりを応援できるように
地図も作り上げておいたのです。





最初は北向いて歩き、
三井寺から折り返すように
南下していくというコースとなりました。

この日本の一流マラソンに仕掛けられた
長距離走の陰謀がどのようなものなのか
一切わからないままの作業でした。

もし誰かが遅れたら、
再度大津駅あたりで
待ち合せたらいけるだろう
という方法も考えられる
コースにもしていました。
これまでの陰謀との戦いから
そんな緻密な計画だったのです。

まあ、その陰謀には
キロ3分ペースのN尾さんの
激走で勝つことはできましたけどね。

スタート後は
こういう精密コースですから
歩く方もだいたいの時間を
描きながら歩いていく
必要があります。

まずは、大津駅から歩いていきます。



とその前に駅前で
ジダンによる3人共同写真撮影です。



カシャ。



まあ今回は街歩き中心なので、
軽快な服装ですね。
N尾さんもウルトラな雰囲気は
醸し出しておらず、
軽快な格好で参加です。

よくこの格好でキロ3分ペースで
駅まで走ったものです。

う~ん、今日はいい天気ですねえ。

気持ちよく歩いていきます。



ちょっと静かな商店街を



進んでいきますと、
ここが大津祭りの曳山展示館です。



ここの見学はちょっと
予定に入れてあったので
寄っていきましょう。

無料だしね。



これがその曳山です。

毎年体育の日の前の土日に行われる
「大津祭」で引き回されるそうです。

ああ、ちょうどdoiron生息地の
だんじり祭りと同じ時期ですねえ。

これも江戸時代の初めのころから
続いている祭りです。

いやあ長距離ではなく
とても長期間続けられているんですねえ。

このへんにも何か陰謀が
潜んでいそうですねえ。

そんな昔から祭りをやってるくらいですから、
商店街にあるお店も古いのです。

ここは1650年くらいから
続いている酒屋で、



杉玉もかなり年期が入っていますな。



この大津祭りはある人が
狸の面をかぶって
踊った所から始まったそうで、
この辺のマンふたはどうも
そんなところを表現しているようです。



地域の盛り上げ方も
ほかにもいろいろ頑張っていて、
これが大津祭りの公式キャラクター

「チマ吉」



です。ちまきみたいな
長距離ロングな髪の毛に
あやかれますように、





と一緒に撮影です。

そしてもう一つ、
13の地域の曳山を引いている
地域の法被も面白い。



「湯立山」のは「湯」と書かれてます。

まるで風呂屋さん
みたいな感じですな、
なんて書いたら湯立山のひとに
なんてことをと言われそうやなあ。

さあ、ではこの施設を
出て先に進みましょう。

商店街が静かなのは、



みんなマラソンの応援に
いってるという長距離走の
陰謀なんですかねえ。



お、ここにはなんと
大津市の道路元標がありました。

もうこれはまるで
長距離走の親玉みたいな
存在ですね。

きっちりチェックしておきましょう。

おっと、その先には
京阪電車が通っていますねえ。



このあたりは線路が何本も通っていて、
何となく電車の経路が
入り組んでいて
ややこしい状態になっていますねえ。

狭い電車通路の中に入って
写真を撮ってみましょう。

え?それはあかん?

芸能人じゃないからいけるでしょう。
ということはありません。

実はこんな狭い踏切ですが
こんなさらに狭い道も通っていたりします。



あっ、こんなあほなことを
やっててはいけませんね。

先へ進みましょう。

続く


ドジ旅日記長距離走の陰謀1

2017年03月27日 21時03分53秒 | ウォーキング

さあ、ドジ旅セブンとなる今回の旅。
その陰謀元は、これまで我々を
さんざん虜にしてきた
「長距離走」である。

doironの歴史でいえば、
5キロをはじめて走った後は10キロ。
それを走ったら次はハーフ、
そしてマラソンと長距離走は
だんだんと長くなっていきました。

で、フルマラソンで終わりかと思うと、
まだまだ100キロ、250キロと
距離はどんどん伸びていったものでした。

ああ、長距離走の陰謀というやつは、
どんどんわれらを虜にしていくだけでなく、
距離もどんどんと、
のびていく一方だったのだ。

幸い短い距離のマラソンで
命を落としそうになり、
長距離化には歯止めがかかったものの、
その後に歩くようになっても
少しずつ距離をつないで、
長距離を走破しようという
自分の意向には少なからず
影響を与えたものだった。

今回ドジ旅で歩いた琵琶湖はまた、
いろんな意味で長距離と
戯れた場所だった。



一周駅伝、一周自転車、
いわゆるビワイチは
楽しくてしょうがなかったな。

またのちに、淀川完歩を目指して
そこをスタートしていったのも、
楽しい日々だった。

長距離の楽しさは
そのように否定できないものである。

しかし、気を付けなくては
いけないのはそれに気持ちをとられて、
自分を見失ってしまわないようにすることだ。

今回、琵琶湖を歩いてみて、
改めて長距離走の陰謀に
いかにして打ち勝つかを考え
これからの人生に生かしていくために
このドジ旅セブンを
実行することにしたのだ。

では、いよいよ始まります。

今回のゲストは、
女性ではウルトラの母といわれるほど
昔から長距離と戦ってきたN尾さんです。



旅は、そのN尾さん、ジダン、
doironにも最寄りの駅である
南海電車松ノ浜駅から始まるのです。

しかし、我らを取り巻く陰謀は
もうこの時点で始まりかけているのでした。

初のドジ旅の時、
ジダンが時間を勘違いして
遅れてきたことがあります。

あれは柳生一族の陰謀だったのだが、
それと同じことが初参加の
N尾さんにも起こっていたのだ。

家でゆっくりしていたら、
ふと時間を見ると
もう待ち合わせ時間が
迫っているではないですか。

ぎょえ~と慌てて家を飛び出し、
彼女はキロ3分ペースで
駅まで走っていったそうです。

必死に走っていたから、
こちらがメールをしても
出ることはできなかったそうで、
彼女は何かを勘違いしたかなあ。
こんなこともあってはいけないなあと、
前日に確認メールを入れて
やり取りしたから
間違いないのになあ、
と思いつつ仕方なくdoiron、ジダンは
ホームで約束の電車まで
待つことにしたのです。

もしこのまま来なかったら、
最悪はもう二人で
出発しないといけないだろう。

もし何かの都合でこれなかったとしたら、
あとの時刻で追いかけて
これそうなコースになっているので、
後刻参加になるかも
しれないなあと思っていたのだ。

なにせこの日は「大津駅」まで
行かねばならないし、
ちょっと時間の決まっている
イベントにも参加予定なのだ。

行くのは「泉大津」ちゃいますよ。
滋賀県の大津です。

で、その電車がホームに入ってきたときです。

エスカレーターを
走ってのぼってくるN尾さんの姿が・・・。

いやあ、感動のゴールです。



とちゃいますって、
まだスタート前ですし。

初参加の人々を襲う陰謀に、
彼女は長年戦ってきた
長距離走との戦いのことを思い出し、
無事に打ち勝ったのでした。

いやあ、これはもう
波乱の幕開けです。

電車に乗っても、
N尾さんの息はおさまりません。

はたから見ていると、
「この人らは運動の格好をしてはるけど、
もはやもう女性一人が
へばってるじゃないか。
オッサン二人でなに無理させてんねん」
て感じだったでしょうなあ。

続く。


西国三十三所 紀の川の粉河寺2

2017年03月26日 20時42分28秒 | ウォーキング

本殿に上がっていきますと、
先ずはお参りです。



え~っと、ここの本尊はといいますと、
当然千手観音ですが、
なんとこの本尊は「絶対秘仏」なんです。
住職もたぶん見ていないでしょう。
容器に入れられ、
地下に埋められているようです。

そんな秘仏を本尊とするときは
「前仏」という仏像が置かれていますが、
なんと粉河寺ではこの前仏である
千手観音も秘仏なんだそうです。

この前仏も1年に一度容器が開かれて
掃除が行われるそうですが、
それはお寺関係者だけで行われるだけで、
一般の方にはまったく
目に入ることはありません。

かつて西国の記念の年に、
三十三所の本尊を見せようと
したことがあったそうですが、
その時もここの本尊は
姿を見せることはなかったそうです。

なので、本尊に対するお参りも
心の中で本尊の姿をあれこれ思い描きつつ、
手を合わせておきます。

三十三所の納札も
用意してきておさめました。

ローソクは1本、線香は3本をあげて
いつものお参りですね。

用意してあった5円玉2枚を
賽銭にして、四国でお願いしているのと
同じような願いを込めて
お参りしておきました。

で、そのあとは納経所に行きます。

納経帳を渡すときは、
六波羅蜜寺で聞いたように

「1300年の記念スタンプもお願いします」

と言葉を添えておきましょう。

若い男性が、とっても丁寧に
記帳してくれました。

その時、横を見るとdoironくらいの
年齢の女性が一人で
でっかいリュックを背負って
納経してもらってはります。

ずっと歩いて回ってはるのですかねえ。

こういう場所に来ると、
いろんな姿や表情で
お参りをされているのを見ますねえ。

人々の願いって場合に寄っちゃ
とっても大きいのですねえ。

そうそうここには、
徳川吉宗公が寄進した、
左甚五郎の「野荒しの虎」と
いうのがあるはずです。



どれかなあと思いつつも
見逃してしまいました。

こういう姿なんですね。



え~doironは野荒しの猿といわれたりして~。



とそうしているうちに、
一人の添乗員のような人が、
かかかか~、とやってきて、
納経帳を山のように
積み上げていきます。

ああ~、このあとツアーの人たちが
やってくるのですね。

こういう西国ツアーも
企画されていたりするんですねえ。
20人くらいがやってきました。

で、この人らがお参りするときに、
みんなでお経を読み上げたりするのかな?
と思っていたら、
さすがに西国では四国のような
お参りはなさそうです。

どちらかといえば、
僧のような方が地道に
施設やいわれを説明してはりましたね。

それらを聞きつつ
doironのここのお参りも終わりです。

入ってきた径路をそのまま戻って、
帰りに駐車上のお金を払ったお店で
うどんを一杯食べて帰りました。



いやあ、西国三十三所の
お参りしたお寺も徐々に
増えていきますねえ。

近所のお寺はこうして日帰りでも
のんびり進むのですが、
山陰、姫路、岐阜、熊野の方は
ちょっと計画を立てて
行かないといけませんね。

たまにはのんびりと
旅館で一泊とかしながら、
歩き旅と合わせて
出かけていくのもいいかもしれません。

さて、次回はどこに行きましょうかねえ。

ーーーーーーー

さて、今回の三十三所めぐりは
これで終わりです。
明日からは、恒例の
ドジ旅シリーズが始まります。

今回の旅は、長距離走の陰謀と戦う、
2回目のびわ湖の旅です。
ゲストはウルトラ女王のN尾さん。
そして、日本の長距離陸上を
背負うたくさんの
実業団マラソンランナーたちです。

ビワイチなど長距離の
似合う琵琶湖で、
果たしてどんな戦いが
繰り広げられるのか。

お楽しみに~。


西国三十三所 紀の川の粉河寺1

2017年03月25日 21時58分08秒 | ウォーキング

昨年も今頃はよく
和歌山の紀の川添いの道を歩きました。

世間が何となく春っぽくなってくると、
よりあったかくて春の花が咲き
風のそよぐこの地域に
行きたくなりますねえ。

特に大阪に比べてメチャ温かい
ということもないのですけど、
南国和歌山の入口みたいな
そんな雰囲気で引かれてしまいます。

この日も和歌山から
たどり続けている大和街道を
歩きに行こうと考えたのですが、
まだもうちょっと勉強不足です。

ネットや資料でもう少し
情報を仕入れてから
出かけることにしましょう。

とはいえなんとなく
春の風が気持ちよさそうな
この地域にはちょっと行ってみたいなあ
と考え、この日は西国三十三所のひとつ、
第3番粉河寺に行ってみることにしました。



昨年の大和街道歩きの時や
龍門山の登山の時に
寺の前は何度か通っているのですが、
中に入るのはどうも初めてのようです。

3月18日に京奈和自動車道の
和歌山jctが開通しましたが、
出掛けたのは三月になったばかりの
2日の木曜日でした。

天候はやや薄曇りの日でした。

車で近くまで行くと、
何やら事故っているようです。

車が1台と高齢者が一人で
駐車上の門柱のところで
ごちゃごちゃしています。

え~その前日doironは
高齢者の逆噴射を目の前で見てるから、
またここでもという感じでしたね。

大事なかったらいいのですがねえ。

そんな駐車場を横目に見ながら、
さらに中のほうに入っていきますと、

おお~お寺の駐車場がありました。

駐車料金を横のお土産屋さんで払い、
さあでは大門をくぐって
中に入っていきましょう。



このお寺は昔
猟師が光り輝く土地を発見し、
そこに庵を立ててやってきた人が
千手観音を刻みたてたのが
始まりだといわれています。

そして鎌倉時代に隆盛を極めましたが、
豊臣秀吉により全山焼失しました。

しかし江戸時代には再び堂宇が築かれて
再建され、今は紀州三大霊場の
ひとつとされています。

立派な大門をくぐって中に入りますと、
道は右の方へと曲がっていきます。

ふーん、外から見てただけでは
わからないけど、
中はかなり広いですねえ。

それにあちこちに、
説明用の札が立っていて、
いわれのありそうなところが
数多くありそうです。

これが子育て地蔵だそうです。



そしてこれが「仏足石」。





千手観音を掘った人は

「童男」

といわれる人でそのお堂もあり、
出現した池もそこにあるようです。





そして念仏堂もあり、



その先にあったのが「太子堂」です。



四国で普通「たいしどう」といえば、
弘法大師のお堂ですが、
ここでは聖徳太子のお堂であります。

その先にあるのが中門で、



そこに掲げられている山号

「風猛山」



の扁額は紀州十代藩主徳川治宝の筆
といわれているそうです。

なかなか豪筆な方だったのですねえ。

中門を超えても
まだまだいろんなものがあります。

これは芭蕉句碑で、



ここは身代わり地蔵ですね。



広い境内にあるいろんなところを
一つずつ細かく取り上げて
いくだけでもきりがありませんね。

この、ビャクシン、ソテツなどを
使って作った桃山時代の石庭は
面白かったですねえ。



和歌山のお寺には
こういう植物を使われることが多いようです。

ここは「国指定の名勝」とされていました。

さあいよいよ本殿に
近づいてきましたよ。

そこには、こんな大きな
クスノキがありました。



この神社が作られたころから
ここにあったことが
文書に残されており、
かなりの老木であることがわかります。

樹木にくっついて
耳をくっつけてみましょう。



なんか木の声が聞こえてきそうな気がします。

さて、では西国三十三所で
一番大きいといわれる
本殿に上がっていきましょう。

続く


芦屋上品ウォーク 3

2017年03月24日 21時12分46秒 | ウォーキング

さあ、では買い出しもしたので
それをもって海辺の道へと戻ります。



うひゃーおにぎりとビールで
超豪華な昼飯です。



おにぎり一口、ああ景色がいいなあ。
ビール一口、ああ風が気持ちいい。

と大満足で昼飯を終えました。

さあ、ではもう少し海沿いの道を
進んでいきましょう。
この先にはカヌーに乗った
芦屋浜があるはずです。

ここへ来るまでは
「芦屋の海ってどんなとこかなあ」
なんて考えていたのに、
実際来てみたら懐かしい景色でした。

これからは、ここはどんなとこかなあ
と思いつつ行ってみたら、
これまでマラソンやバイクで
走り回ったコースということも
あるのんかもしれません。

で、海沿いの道も終わりで、
さいごはカヌーで行き来したところを見たら、
海ともお別れです。



ここは芦屋の清掃工場ですか。
ばいじん、SOxは出ていませんが、
NOxは50くらいかあ。
まあPM2.5は大丈夫そうですね。
あ、Hclも少しは出ていますね。
でも海沿いの町ですから、
cl濃度はもとより高いんでしょう。



ごみが燃料ですから、
何を燃やすのかわからない工場なので、
この数字だとまあしっかり
除去はされているようですね。

一時はこういう仕事で
裁判関係の仕事をしていましたから、
なじみがありますねえ。



で、こういう地蔵なんかも眺めながら、



標高も1mから2.5mと



徐々に上がって町中へと
入っていきます。

ここの地名は「打出」といいます。



これにまつわる地元の話もあって、
この地域には打出の小槌をもつ
長者がいてこの打出を振ると
なんでも願い事がかなう
といわれていました。

でももうひとつ困ったのが
この小槌をふって鐘の音が聞こえると
すべての宝物が煙のように
消えてしまうというものでした。

はてさて、それでどんな物語が
起こったのかまでは書かれていませんでしたが、
ちょっとむかし話が
作れそうなはなしですねえ。

この近くには打出町のほか
打出小槌町というのもあります。

むむ~貧乏人には
住みにくい街ですねえ。

実際は京都からずっと歩いてきて
初めて海の見える場所に
打出てくるところから
この名前が付いたという説が
もっともらしいですねえ。

いまはこういう商店街や、



電車の駅や



打出の神社もあって



にぎやかな街にはなっているようです。

そこから住宅街を山向いて
進んでいきますと、
こんな石碑が立っていました。



おお~、阿保親王とは懐かしい。

実はdoironが働いて職場は、
松原市の「阿保」という地名にありました。
この地名が「アオ」と読まれたり
「アボ」、「アホ」と読まれたり
していました。

漢字は一つなのに
読み方が違うところで、
市役所のあるところの地名が
一つになっていないのは
珍しかったそうです。

この地域に住む人に電話がかかってきて、
「アホのOOです」と名前を答えると、
「そんなご謙遜を」と行った人がある
というのも聞いたことがあります。

この地域の「阿保」が
この阿保親王から来ている
ということだったのですが、
墓はこの芦屋にあったのですねえ。



しかも驚いたことに、
このブログに最初の頃に
でてきた在原業平は
この阿保親王の皇子だったんですねえ。

いやあ、芦屋を歩いて
最後にびっくりしましたねえ。

ここがそのお墓です。



街の中にぽっかりとあるんですねえ。

お参りしておきました。

ここから駅まで、
こういう人形とかを眺めながら歩き、
これで芦屋を歩くたびは終わりました。



ナビを見てみると
約12キロくらいでしたねえ。



初めてのところだと思っていたら、
かつてマラソンで走ったり
カヌーで楽しんだ海だったこと、
昔はずっと身近にあった
「阿保親王」の墓があったことなどに
ちょっと驚いた芦屋の上品歩き、

酔いを十分醒ましてから
車で帰ったdoironなのでした。


芦屋上品ウォーク 2

2017年03月23日 21時43分07秒 | ウォーキング

このぬえ塚橋を左折して
静かな住宅街に入っていきましょう。
上品なウオークですねえ。



このあたり、のども乾いていて
ぼちぼちコンビニか自販機で
お茶でも買おうと思っていましたが、
いやあ芦屋の町中は静かですねえ。



コンビニどころか
自販機も見つかりません。

かといって公園内の水道水も
飲みにくいし、我慢して歩きましょう。

静かな住宅地をしずしずと
歩いていきますと、
美術館がありました。



芦屋市内にいた小出楢重の
アトリエもあると事前に調べてありました。
アトリエというのは
気になりますねえ。
doironのアトリエも
かなりごちゃついてきましたから
参考にして片づけなければなりませんねえ・・・



が、な、なんとこの日は定休日だと。

うひゃー火曜日なのに~。
だいたい月曜日が多いのになあ。
残念。

でも隣接している谷崎潤一郎記念館は
空いていましたので、
有料ですがここも寄りたい
場所だったので入りました。



なぜ、ここに寄りたかったかといいますと
理由があるのです。



彼の代表的な作品に「細雪」
というのがありますよねえ。
そこに登場する姉妹の内、
一人がdoironの親戚に
嫁いでいるようです。

そのことをよく知っている
おじさんがいるのですが、
これがねえもうちょっと
年齢的にちゃんと説明できないで
いるのが歯がゆいんですけどねえ。

まあそんな谷崎氏の
履歴、作品群、彼の愛した
京都の庭を模して作ったところを
じっくり眺めてきました。

残念ながらここにも自販機はなく、
まあこのあと海の方に出たら
どこかにあるだろうと決め、
地図通りに進んでいきます。

このあと美術館の自慢の庭を
フェンスの外から眺め、



その場所を離れて階段を
上がって道路に出ていきます。



あれ?こんなフェンスに
絵を並べてある道は
かつて歩いた覚えがあるぞ。



よく考えてみたら
あ、そうかあ、かつて
2度ほど芦屋マラソンに
出たんだったなあ。

その時に駅までの生き返りに
通った道じゃないかあ。

そしたら海辺のコースも
ほとんど走った道
ということになるなあ。

あれはハーフマラソンだったもんなあ。

完全に忘れてました。

道をテクテク歩いていくと、
芦屋川のところに再び出ました。



河原の先っぽには砂州ができていて
そこで遊んでいる人も見られます。

そして遠くを見ますと、
六甲山もそびえています。
あああれが最高峰かなあ
って感じですねえ。



海辺にたたずんで景色を眺めていますと、



気持ちもさっぱり。
いろんなことがあるけど、
ここの風や景色のように
毎日の暮らしをのんびりと
送っていけたらいいですねえ。

そんな海辺の道を歩いていきますと、



対岸の埋め立て地のところに
カヌーをしている人々も。



ああそうかあ、思い出した。
この芦屋浜ではカヌーアスロンも
2回出たんやったなあ。
一回目の時は、大会初の
沈没をやってしまったけど、
doironのマラソン人生後半の
楽しい大会でしたなあ。

海沿いの道を、
どこかに自販機がないかなあ
とか思いながら進んでいきますと、
横にカヌーが並んで走っていきますし、



水上スキーはやってくる、



一人乗りの魯でこぐボートも
やってくると、
海上スポーツも派手なところでした。

浜寺公園みたいですね。

で、いよいよのどが渇いて
これはもうちょっとコースを外れても、
自販機を探さなきゃと
川沿いをのぼって行ったら、
その先にダイエーがあるようですので、
この際ですからそこに昼飯も
一緒に買いに行くことにしました。



ああ、この川沿いの先にある
公園はマラソンの会場でしたねえ。
歩いていたら思い出してきました。



そういえば、この日は家に
あったごはんでおにぎりも
作ってきてましたから、
弁当というよりはお茶と

缶ビールを買ってしまいました。



か、缶ビールとなあ

続く


芦屋上品ウォーク 1

2017年03月22日 21時05分03秒 | ウォーキング

え~昨日のお腹の嵐は
ようやくピークを過ぎたようです。
医者で確認したら風邪ひきのようで
まだ少し余波は残っていますが
机に座ってパソコンを打つ分には
問題なさそうですので
いつものようにブログを続けていきます。

ーーーーーーー

さてブログの日付は先に進んだり、
後ろに戻ったりと、ここんとこ
ややこしくなっていますねえ。

整理をしておきましょう。

ネタをたぐってみたら、
今回は2月末日に歩いた日のことを
書かねばなりません。

それは、上品なdoironにふさわしい街、
芦屋を歩いた日のことです。

さあてどこを歩こうかなあと、
地図を見ていたらこの町のことが
書いてありました。

ああ、ここはdoironにお似合いの
静かな町と海沿いのきれいな道が
続くコースなんだ。

これは行って見なくてはと思い、
ぶらぶら出かけたのでありました。

電車で行くのもいいですけど、
まあここなら駐車場もあるだろうと、
車でJR芦屋の駅を目指しました。



やすそうな駐車場に車をとめ、
ナビをセットして歩き始めました。

まずは「在原業平」の歌碑を目指します。

駅から東向いてしばらく進むと、
川に出ます。

「芦屋川」ですね。



この川にかかる大正橋のところに
「松ノ内緑地」という
かつての幼稚園の跡地の一画に
業平の歌碑が置かれています。



ここに刻まれているのは



「世の中に 絶えて桜の なかりせば 
春の心は のどけからまし」という歌。

業平は実際この辺りに住んでいて、
芦屋川の桜を見ながら
歌った歌であろうといわれています。

その公園に植えられているのが
「業平桜」で、この近くには



業平橋、



業平公園なんかもあり、
彼は地元の人々に長く
愛されていることがわかりますねえ。

なんと線路の南側には
「業平町」という町名まであるそうです。

その歌碑から少し上流に行きますと、
月若橋という橋がかかっており
その東詰めに「月若公園」
というのがあります。



そこには、ホトトギスの
親子三代(虚子、年尾、汀子)の
歌碑も置かれています。



これもみんな芦屋川の春を呼んだ句碑ですねえ。

この辺の地元の人は
こういう文学が好きなんでしょうねえ。

芦屋川の桜がいっぱい咲いている頃に
来てみるのもいいかもねえ。

さあ、こっから芦屋川を
海に向かって下っていきましょう。

月若橋、大正橋、平成橋を越え
業平橋で橋を渡って
川の右岸の中を歩きます。

あっ、これは徳川が
大阪城築城のために
砕石した石ですねえ。



共同住宅地の建設現場から
出てきたそうです。

割とこんな近いところで
砕石していたんですねえ。

六甲山の花崗岩がよかったのかなあ。



きょうもいい天気で、
この芦屋川沿いは犬の散歩や



BBQ禁止も厳しくしているようで



きれいな川沿いの道が続いています。



あ、そうそう、芦屋のマンふたは
二種類ありました、
一つがこれ。



海と市の木である松を配置しています。
そしてこれは何かなあ。



市の花は「コバノミツバツツジ」ですが
どうもそんな風には見えないかなあ。
でも調べたらその通りでした。
ちょっと開きの悪いつつじですねえ。

さらに進んでいき、
公光橋から上に上がりますと、



そこに市役所がありました。



意外に芦屋って人口は
10万人もなく少ないのですねえ。
市役所も何となくさっぱりしていましたね。

その先にあるのが芦屋公園です。



350本の松並木が
芦屋川の景色と一つになって
きれいですねえ。
昭和10年に一斉に植樹された
松並木だそうです。



公園の中には、あの阪神大震災の石碑や



ぬえ塚というのがあります。

この「ぬえ」というのは
京都でやっつけられた
「ぬえ」(頭はサル、体はタヌキ、
手足はトラ、尾はヘビという化鳥)
が桂川に流され大阪湾に流れ、
ここ芦屋に漂着し、
芦屋川をさかのぼって流れてきたそうです。

それを見た芦屋市民は
恐れおののいて墓を作ったそうです。

公園内にはぬえ塚、
そしてその横の芦屋川には
ぬえ塚橋が架かっています。



続く