ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

スキージャンプ

2007年02月27日 23時46分24秒 | weblog
札幌で開催されている世界スキー2007
女子クロスカントリースプリントで
日本人女子初の5位入賞以来、
明るいニュースがなかったが、
ジャンプ団体で
かろうじて3位銅メダルを獲得し、
開催国の面目はようやく保たれた。

ジャンプには珍しく、
夜間のゴールデンタイムに決勝を行っていたので、
ついついTVに見入ってしまった。
そして、
見ていて思ったのだが
ジャンプの着地地点はどの時点を距離を測るのだろうか。
というのも
高校生の栃本クンが飛んだ個人の2本目、
彼は日本代表として
何としても遠くへ飛ぼうと思ったんでしょうな。
板のお尻が雪面に接しているのに、
そのまま強引に引きずるようにして10mは飛んでた。
それをするくらいやから、
たぶん解答は
足の部分がランディングしたときなんやろね。
それはまあそんな風に推察されるのだが、
ジャンプを見ていて
いつも疑問に思うことがもうひとつある。

それは、
スポーツとしてジャンプに取り組む時、
一体何をどう鍛えるべきなのかがよく分からないということだ。
アホネンなどという、
大阪弁の代表みたいな名前の
強い選手のようにどんなに追い風が吹こうと、
雪がはげしく舞っていようと、
強い者は強い。
彼らは一体他の人とどこが違うというのだ?
何の鍛え方が違うのだ?
飛行回数という経験値がものをいうというのなら
若い奴が強い筈はない。
そしたら何なんだ?
足を鍛えるのか?
それとも上半身なのか?
はたまた度胸をつけるために、
夏はバンジーなんかするのか?
平べったい体型が必要やろうから、
肩幅広げるトレーニングがいるんか?
そしたら減量も必要なんか?
普段の練習がどんなんかわからんから、
どうも、
結果の背景に努力の姿があまり見えず、
イマイチ感動が湧いてこないのは僕だけなんだろうかねえ。

でもゲームそのものは分かりやすく
わくわくするから
ついつい見てしまいますな

陽だまりの一日

2007年02月25日 21時08分35秒 | 自然
縁側の陽だまりで、
犬を抱きながら庭を眺めていたら、
数少ない花をつける梅の木に
メジロがつがいでやってくる。
梅の横に台をこさえて、
家人がみかんを置いてあるので
それが目当てでやってくるのだろうけど、
時折食べ飽きたら、
梅の花を愛でてから
どこへともなく飛んでいく。
いつもつがいで仲のいい鳥だ。
なんでも、
メジロを捕まえて飼っていると
(これは法律上いかんのだろうが)、
つがいの片割れが飛んできて
エサをもってきたりするらしい。
ほんで、鳥かごの周りでチーッ、チーッと鳴き続けるらしい。
我が家に来るメジロも
とてもよく鳴く。
陽だまりで呆けてパーになってる私に
じゃんけんで勝ったつもりでいるのか。
大丈夫、
膝に抱いている犬の名前はグーですから。
メジロの声は、
街の中でも意識していれば、
あちこちで聞くことができる。
この前も、
アルザのロータリーでもその声を聞いたなあ。

梅の花は、
もうすでにあちこちで見かける。
そういえば去年の今頃やったな、
熊取に梅を見に行って、
スピード違反で捕まったのは。
今年は風邪引きやし、
どうやら運勢上私の2月は
あまりよくないのかもしれない。

我が家の梅は、
梅酒にする実を採取するために、
実梅を植えてあるので、
花の数は少ない。
それがこれ。



花が咲き出すと、
家人が近所の公園に花粉の採取に行く。
採取の方法は、企業秘密だ。
今年はいくつ実がなるのかな。

今日は寒さが少し戻ったけど、
縁側にいると
陽だまりと抱いている犬の暖かさで、
春はもうそこまで来ているって感じに、
ジワーッと包まれたな。

風邪引きのため、
一日静かに家で過ごすと、
もうおじいさんになったような気分じゃわい。

風邪ひいたあ

2007年02月25日 10時52分13秒 | 生活

先週末の金曜日。
朝からお腹がシクシクし始めた。
前日から同じ症状で
母ちゃんが仕事を休んでいる。

風邪だ。

普通なら早退して医者に診てもらうところだが、
金曜日は午後から大事な記者会見がある。
会社の幹部が顔をそろえての会見だから
そうそう休むわけにはいかない。
この日のために
各部署を取材して回り
作成した広報メモを準備をし、
後ろに控えていなければならない。
何を聞くか分からない
記者の細かい質問に備え、
あらかじめできる限りの
質問を想定し
資料をそろえておくのだ。
午前中の準備をしている頃から、
いよいよ風邪が本格的に体内で暴れ始めた。

激しいお腹のP。
きしむ関節。

いよいよ記者会見本番というときには
雲の上を歩いているような状態になっていた。
幸い記者会見は順調に終わったが、
今心配なのは、
社長以下わが社の幹部に
風邪がうつっていないかどうかだ。
わが社のTOP4が出席していたから
全員ダウンしたら大変だ。

会見後の記者からの質問に備えての
職場待機は勘弁していただき、
家に帰ってばたん
Q
目がさめたら土曜日の朝だった。
かなり良くなったものの、
まだ若干熱がある様子。
こんな時は僕は熱を計らない。
計って熱があると
それだけでまたぶり返してしまうような気がするのだ。
血を見て貧血になるようなもんですな。
布団の中で本を読んでいるうちに
また寝てしまった。
そしたら、
その本の話がぐちゃぐちゃになって
現実と入り混じり、
うなされるような夢をいっぱい見た。
読んでいたのは、
三谷幸喜の「ありふれた生活」。
だから夢では、
舞台にいきなり引っ張り出されて、
せりふを全然憶えていないとあせってたら、
みんなアドリブなんだよといわれたり、
夜、有名人と我が家で麻雀をすることになって
家族みんなをたたき起こしたりとか
変なシーンが次々に続く。

ま、全部罪のない夢だからよかったけど、
こんな時には、
こんなふうに楽しい本を読まないといけませんな。
間違っても恐怖のファンタジーなんて
絶対読まないことですな。
夢の中で
悪魔にお尻をかじられたり、
虫に髪の毛を食われたり、
う~ん想像するだけでも身の毛がよだちますなあ。

土曜の午後からは、
熱も下がったようで
かなり良くなった。
あとは、
もう少し胃がシクシクするくらいだから、
もうビールを飲めば治るだろうな。
そこで、
気分転換に近所の本屋へ。
少しうろうろしてたら、
またもやおかしくなってきたので、
慌てて帰宅した。
風呂に入って、
ビールを飲んですぐに布団。
そして今に至るわけですが、
今日は1日おとなしくしていようっと。


朝のコンビニ

2007年02月21日 23時30分13秒 | 生活

車通勤をしていると、
たまに事故渋滞なんかに引っかかることがある。
年に1度くらいは遅刻となることもあるので、
それを見越して家を早く出ている。
とはいっても、
元来早起きなので、
そんなには苦にはしていない。
渋滞もなく、
スムーズに流れると、
仕事が
9時始まりなのに対して、
8時過ぎにつくこともある。
そんなときは、
これまで職場近くの喫茶店で
雑誌などを読みながら、
ゆっくり寛いでから出勤していたが、
半年くらい前からその店に、
以前から顔見知りの
口うるさいクレーマーが
よく出入りするようになった。
その人は、
どこの部署でも噛み付いているらしいので、
これまでわが社の社員でにぎわっていた朝のその店に、
ぱったりと社員が寄り付かなくなった。
店長にしてみれば、
大変な厄病客であるが、
来るなとも言えず不遇をかこっている。

僕も、
そんな寄り付かなくなった客の一人で、
他の店をさがすにも近くにはないため、
最近はもっぱら職場の手前のコンビニに車をとめ、
時間を過ごすようになった。

飲み物を買って、
車で本を読んだり、
家のスポーツ新聞を広げたりしている。
店の人ともぼちぼち顔なじみになってきたが、
以前のように
家族構成や犬の名前までばれるような間柄ではない。
ここで面白いのは、
店員よりも客のほうだ。
ちょくちょく寄っていると、
こいつは常連客やなという女子高生やおじさん、
おばさんなどいろんな人がいる。
ま、向こうから見れば、
わしも常連のおじさんに見えるんやろうけど。

今日はそんな常連客をいくつか紹介しよう。

一人目はアル中の源さんだ。
毎朝コンビニにやってきては、
ワンカップのお酒を1つ買い、
店を出たところでグイッと一気に飲み干すのだ。
何故アル中かというと、
きたときの
チャリンコのスタンドを立てるのももどかしげに
一直線にお酒売り場へ向かう様と
お酒を飲み干して、
満足そうに悠々と帰っていく様がまるで別人のようだから、
勝手に決め付けた。
名前の「源さん」も聞いたわけではいが、
夏のステテコとシャツ姿、
冬のキルティングのオーバーズボンと
襟に毛がついたジャンバーといったいでたちは、
どう見ても「源さん」なのだ。
いや「源さん」以外にはあり得ないなあ。

ずぇ~たい、シュンスケとかヒデキなんて名前じゃない。
100歩譲ってゴロー、
200歩ゆずってトメさん
といったところやろな。

今朝もその源さんは
機嫌よくワンカップを飲み干してはりましたわ。

そしてもう一人は、

女子高生のマミちゃん。

実はこの名前も僕が勝手につけた。
毎朝、けだるそうにガムをくちゃくちゃ食べながら
コンビニへやってきて、
お茶を買っていきよる。
まつげは異様に長く、
高級万年筆の一本くらいなら
十分乗せられるくらいだ。
コンビニ袋と
教科書が入っていそうもない
薄っぺらいカバンを振り回しながら、
靴のかかとを踏んで去っていく姿を見ていると、
世の中の人々は
何のために苦労してるんやろって
思ってしまいますわい。

他にも、
毎朝作業に向かう土木作業員の若者達が、
缶コーヒーをすすり、
たばこをふかしながら待ち合わせをしていたり、
コンビニ入口の灰皿のところで、
たばこを吸いながら井戸端会議をしている
アン子
ポン子
タン子
の三人組(これも勝手に命名)もいる。
この三人は話をしながらも
コンビニに入ろうとする客を、
じろっとヒトにらみし、
出てきたらきたで
何を買ったのか探るようにコンビニ袋を凝視している。
怪しげな本でも買っていようもんなら
去っていく後姿を見送られながら
何を言われるか分かったものではない。
現に、
噂話のネタになっているであろう
お兄さんやお姉さんを
僕は車のフロント越しに何人も見ているのだ。

信号待ち読書とあわせて、
コンビニでの人間観察。
これも味気ない通勤時間の中の
楽しみの一つになってきている。

しかし、それにしても
あのクレイマーは腹立つ!
これから
団塊の世代が
社会からリタイアしていって
文句ばっかり言う
クレーマーの数も
きっと増えてくるんやろな。

年寄りは
若者が働くおかげで
その恩恵を受けているんやと
感謝の気持ちを
抱かんとあかんよなあ。
これまで、ワシらが年寄りを支えてきたんやから
年寄りとなったからには
若いもんに支えられて当たり前やというのと
年を取ったら
若い人に感謝しながら生きる
というのと
その感情の連鎖は
180度異なる。
感謝は感謝を生むんやということに
何で年寄り連中は
わからんのやろ。
だてに年取ってないやろになあ。

あれ、途中からグチになってしまった。
今日はここまで!


泉州初応援

2007年02月20日 22時17分47秒 | マラソン
日曜日に泉州マラソンの応援に行った。
今年で14回目を迎えるこの大会。
関空開港記念の
第1回大会からすべて出場していたが、
今年初めて外から見たことになる。
エントリーはしていたので、
朝の受付から出かけていった。
しかも、
申込選手に抽選で当たる
コース沿道の市町の物産も当たっているので、
ゴールにも行った。
といっても、
目的はあくまで応援やけどね。

スタート会場に向かう電車の中で、
さっそく知り合いに遭遇。
何で走らへんのと聞かれた。

ビンゴ!

今日は、
この質問を散々されるだろうという予感は早速当たったね。

スタート会場は
楽しそうな中にも若干緊張感が漂っており
なかなかいいもんやね。

仲間と写真を撮り、
いよいよスタート。

みんなを見送ってから、
浜寺の駅前で折り返してくる選手を待った。
スタートから約30分。
くるわ来るわ、
次から次と現れる知り合いに
声をかけたり、
向こうから声をかけてくれたり。

隣で応援していたおばあさんが
「あんたホンマに知り合い多いなあ」
と感心してはりましたわ。
このあたりを通過する知り合いは
ほぼ予想通りの順位。
だいたい最後まで見送ってから
、南海電車に乗って次の応援地点、
貝塚へ。
時計を見ながら、
そろそろかいさんが来る頃やから急ぎ足で、
コースへ行ったら、
ぴったりかいさんの姿が。
このときも隣にいたばあさんが、
丁度ぴったり間に合いましたなと
感心していた。

すわ、さっきと同じばあさん?
まさかね、んなことはなかった。

ここでもいろいろ応援をしたけど、
せいぞー君が健闘していたのが目立っていたなあ。
「卵やろか」と今朝、
途中で朝飯に立ち寄った喫茶店の
モーニングの残りの
ゆで卵をさし出してやったら、
思いっきり笑いながら
「まだ笑う余裕ありますわ」
やて。
彼が一番元気そうでした。
他の人は「足が痛い」
「脚が重い」
「体がえらい」とみんな泣きごとを言うてましたな。

ランコさんまで見てから、
再度電車で今度はりんくうへ。
31キロ地点のたまらと合流し、
ひとしきり応援した後、
徒歩でゴールに向かった。

だいたい42.1キロ地点くらいに陣取り、
帰ってくる選手を次々に出迎え。
隣で応援していたおばちゃんが、
ここでも
「あんたの知り合いいっぱい出てるんやなあ」
と驚いてはりました。

4時間過ぎくらいまで見てから、
ゴールをした人たちに会いに行った。
今回の結果で
一番インパクトがあったのが、
S水の3時間38秒。
自己記録ではあるのだが、
わずかにサブスリーの夢は果たせず、
「ゴールしたときに、悔しさにまみれながら、
浮かんできたのはdoironさんの顔でした」
だと。
いやいや、私の場合は3時間1分2秒。
君のほうが100倍悔しいだろう。
しかし、後日結果を見てみたら、
S水の前に3時間00秒という人がいたで。
もし、その人が
まだサブスリーを果たしていない人だったら、
一億倍は悔しいだろうな。

それともうひとり、
せいぞー君が4時間の壁を破った。
ついにサブフォーの仲間入りだ。
結婚もして充実している日々やなあ。
彼の喜びがひしひしと伝わってきましたわ。

初めて、外から見た泉州マラソン。
寂しくないと言えばうそになるけど。
次々、走ってくる友人たちの
頑張る姿や笑顔を見て、
来年は出来るだけの努力をして
走ってみようという元気と勇気をいただいた、
有意義な応援でした。

選手、応援の皆さん、お疲れさんでした。

ヒゲソリ買ったよ

2007年02月17日 23時25分16秒 | 生活

昔から、
しょっちゅうちょこまか動いているので、
いつも時間に飢えている私。
だからひげそりも、
時間がかからず手軽にそれる
電気かみそりばかりを使用している。
そるのはいつも朝。
着替える直前にジョリジョリそる。
このひげそりが故障したことは、
先日書いたが
とうとう買い換えたのだ。
スイッチを入れてから
1分くらい経ってからようやくジジジと動き始め、
やがて正常に活動をはじめていたので
だましだまし使っていたが、
とうとうスイッチを入れて、
動き始めるまで10分くらいかかるようになった。
今日は休みやったからいいものの、
平日の朝の忙しい時間に
いつ動き始めるのかわからないのを
待ってなんて
いられない。
たまらず電気屋さんに買いに行った。

今回のひげそりで
もう何代目になるかなあ、
と思って記憶をたぐり、
学生の頃から指折り数えると
ほぼ8代目であるということになった。
一台4年使うとして約30年。
まあ、だいたいこんなもんやね。
最初は、
円筒形の上に丸い刃がついてるやつだったなあ。
乾電池で動くやつ。
若い頃はひげも薄かったから
一週間に一回そるくらいなんで
それでも十分やったんです。
しかし、
髪が少なくなるにつれ、
濃くなってくるひげに対応するため、
充電式、2枚刃と進化していき、
今回ついに顔の局面に密着し、
深ゾリしかもそり残しなし
を売り文句にしているシェーバーを購入した。
それがこれ。



日本語、中国語、英語
ロシア語、なんちゃら語で
書かれてあるカタログによると
顔に軽く当てながら
円を描くようにそるらしい。
う~ん、これがむつかしい。
刃物を顔にあてるというのは、
やはり気を使うもので
まだこわごわそっている。
深ぞり、深ぞりとあまり宣伝されると、
強く押し当てると
皮膚ごと削られるんじゃないか
なんて思ってしまってね。
そんなんでそりごこちは
まだ良くわからない。
まあ、今後私の髭剃りあとに
注目してみてくださいって、
誰が見るねん。

さて、明日はいよいよ泉州マラソン。
今年は初めての応援です。
いろんな人にご心配をおかけしていますが
体調は、ほんとに目に見えてよくなってるんです。
いつもこんなこと言って
長引いてるけど
今回は、かなり自分的に
いろいろコントロールしたんで
よい感じになってきてます。
もうしばらくの辛抱ですな。

明日は寒くないといいなあ。
雨もやんでね。
ま、みなさん今年は
私の分までがんばってくださいな。


デジャブ

2007年02月15日 22時09分01秒 | 最近の出来事

今日の星占いは
12星座中3位。
やった~、などと
朝のテレビを見ながら言ってる。
う~ん、ラッキーポイントは
青い帽子か、
おっ、ルネの帽子やん。
とか、ぶつぶつ言いながら
テレビを見てる。
しかし、かと言って
仕事にルネの帽子を
被って行ったりはしないし
第一、職場に付く頃には
もう、今日が星占いが何位の日だったかも
はっきり思い出せない状態なのだ。
アルツハイマーではない。
それだけ、テレビの占いを
その場だけの娯楽として
ええ加減に見てるんだろう。
だいたい
世の中の人を
12種類に分類するというのも
かなり難しい。
個性豊かなルネのメンバーだけ見ても
12種類なんてとんでもないよなあ。

ただ、占いというのは
占う方ではなく
占われる方のその使い方
解釈の仕方のほうが
大切なんやないかなあ。

悪い占いは
それを避けるために示唆することが
たいてい、人生における
大切な心構えだったりする。
また、いい占いは
第三者の言葉に押されて
思い切った行動ができたりする。
そんなふうな使い方が
大切なんやないかな。

それに、占いに出てくるか
出てこないかは別にして
犬のウンチを踏んだ日に
扉ででぼちんをうちつけて
たんこぶを作るような
確かについてない日があったり、
市場の抽選で有馬旅行が当たった帰りに
買った宝くじが一等だったみたいな
妙にラッキーな日があるのも事実だ。
(実際にはそんな日はまだありましぇん)
何か、運命的な力が
確かに作用している日があると
僕は思っている。

まあ前置きはそれくらいにして
今日のテーマは
いろいろな一日が
ある中で
つい最近、
一年で一番神秘的な1日を
経験したという話を紹介しよう。
それが、タイトルにあるように
一日に2回のデジャブを
体験した日のことだ。

まず一つ目のいきさつはこうだ。

昨日も、仕事で編集真っ盛り、
愛用のマック(パソコン)に向かって
一心不乱に記事作りをしていた。
そうなると、僕の場合
周りの音も遠ざかっていき
意識が異次元を
さまよい始める。
あれは確か
カラーページの配色を
健康的なイメージにするためには
どんな色の組み合わせが
いいだろうかと、
カラーコーディネートに
没頭している時だった。
マイマックは壁を背にして
鎮座しているので、仕事中は
僕は世間に背を向け、
壁を向いて仕事をしている。
その時に、
誰かが背後でしゃべっている
内容が
無意識のうちに
意識のなかに刷り込まれていたのだ。
何の話かというと
職場の近所にあって
おいしいことで評判だったトンカツ屋さんが
突然閉店してしまって一年が経っている。
そのトンカツ屋の大将が
最近、別の店で
雇われ調理人として
働きながら
昔ながらのおいしいトンカツを
復活させているという話なのだ。
無意識の意識の中で
「今日は弁当だから
こんど外食の時に行ってみよう」と考えていた。
そうこうしているうちに
食事の時間がきた。
そしたら
弁当のご飯がトンカツだった
とそんな話ではありませんよ。
ご飯には、梅干が添えられてあって
それが
みなべのくずれ梅で
一緒に食べている人たちと
「南部の梅はおいしいよなあ」
などと話をしていた。
するとそこへ
出先機関で働く友達
(彼はかつてルネの練習会に来て
二人でイイチコの一升瓶を
空けてしまった一人だ)が来て
「doironさん、あのトンカツ屋の
親父が雇われ料理人で働いてる店があって
またトンカツを出してるらしいで」
というのだ。
僕的には、すでにその話は
聞いているから
みんなの反応も
「知ってる、知ってる」というようなものだと
思っていたら、さにあらん。
みんなが「へー、どこで出してるのん?」とか言って
興味津々に聞いている。
待ってよ、今朝その話で盛り上がってたやん。
場所も消防署の2件くらい隣とか
具体的に
言ってたやん。と叫びそうになったのを
こらえ、不思議な気持ちで
みんなの会話を眺めていた。
ひとしきり話が終わり、
話題の提供者も引き上げた後で
「さっきの話、午前中してたよな」て聞いてみたら
誰もおぼえがないという。
その瞬間、
背中にパピコアイスを押し当てられたような
寒気にゾクゾクしてしまった。

デジャブ

予知夢ともいう
この言葉が僕の頭の中で
長Oの歌のように
不協和音を奏でた。

これは何かの兆候だろうか。
午後からはあまりの神秘さに
呆然としながらも
警戒心も抱きながら仕事を続け
帰り道、知り合いにあったところで
2回目のデジャブに遭遇した。

それは、これまでの話の中に
あったシーンの、まるで関連の
出来事だ。
その会社とはまったく関係ない友達から
「doironさん、
みなべのくずれ梅をお土産に
買ってあるよ~」
というメールが届いた。
これもまた、デジャブの一種なんだろうか。

こんな風に、昨日は
なんか神秘的な日でした。
そんな日ってたまにあるよなあ。
星占い
四柱推命
血液型占い
手相
花占い
コイン占い
風水
みんな駆使したら
こんな一日も
予測できるんだろうか。

まあ、それはさておき
今度は
宝くじに大当たりした
デジャブでもないかな?



故障を修理

2007年02月11日 22時27分17秒 | マラソン
故障が相次いでいる。
もちろん、体の故障も長引いているが
身の回りのモノの故障が続いているのだ。

先月は車が調子悪くなった。
以前から
変速機から異音がすると
クレームを言ってたんやけど
ディーラーに持っていった時に限って
症状が出ない。
あんまり行くたんびに
症状が出ないので
あの客は神経質な奴やなあと、
こっそりうわさされているんやないか
心配になってくるほど。
でも、先月末になって
徐々にその異音が大きくなってきたので
ディーラーにまた行った。
店員は、愛想良く振舞ってくれたが
内心、また来たんかと思っているんやないやろかと
顔色を伺いながらメカニックに同乗をお願いした。
恐る恐る発進してみたら、

出た、出た

やっと聞いて欲しかった
異音が明らかに。
原因は、やっぱり変速機。
僕の車は、CVなんたらいう
無段変速機が搭載されているんやけど
その変速機のベルトのゆるみが原因でした。
3日のドック入りを経て
やっと修理が完了しました。

次の故障は

カメラ

昨年買ったデジイチの
ピントを合わせる機能に不具合が出てきた。

それは、
横浜出張でホテルの部屋から
朝焼けを撮影していたときだ。
オートフォーカスでピントを合わせる時に
カラカラと異音がするのだ。

またしても異音

しかも、
ピントがぴったりあった時になる
ピピッ、という音も出ないし
ファインダー上に出るはずの
赤い印も出ない。
しかたないので
オートフォーカスを
マニュアルに切り替えて撮影した。
それがこれ。



暗いので、シャッタースピードが遅く
三脚もなかったので少しブレましたが。
(大きな写真を縮小しています。)
でもきれいでしょう。
インターコンチネンタルの
オーシャンビュー。
がんばってる自分への
ご褒美と
少し奮発してみました。
インターコンチネンタルというのは



中央やや右側の
帆船の帆のような形をしたホテル。
みなとみらいのランドマーク的建物やね。

カメラのオートフォーカスが使えなくなり
翌日からは
すべてマニュアルで撮影を余儀なくされ、
せっかくのデジイチの性能を
フルに発揮することができなくて往生しましたわ。

現在、カメラは修理に出しています。
光学系なので時間がかかるらしく
2~3週間待ってくれと言われました。
せっかく来週、
泉州マラソンの応援なので
知り合いの勇姿を撮ろうと思っていたのに
間に合うかビミョーやなあ。
それにしてもこの故障
保障は効くんやろな。

請求されたら暴れたる!

そして次の故障は

ヒゲソリ(電動)

昨日の朝
ひげを剃ろうとしたら
うんともすんとも言わない。
今度は異音ではなく無音。
ていうか、無動。
土曜日だったけど
朝から職場に行って
編集作業をし
夕方走って帰る予定をしていた。
取材じゃなくて
職場で気ままに一人で
パソコンと格闘するだけだから
ヒゲダルマでもよかったけど、
平日だったら困っていたなあ。

で、帰ってきてから
その故障のひげそりを
分解してやろうと
まず手にとっていろいろやってみた。
充電したばっかりだから
バッテリー切れではないだろう。
しかも電圧低下とかで
不具合が出る
そんな複雑な回路が
あるわけではないだろうから、
最初に疑ったのは

接触不良

スイッチを何度も入れたり、切ったり。
挙句の果ては
スイッチ部分をたたいてみたり。
それでも動かないので
今度は刃の部分を
クリクリ動かしたりしてみた。
すると何やらヒゲソリから
ジジジという異音がし始めた。
あわてて手を離して
洗面器の中に置いて見ていると
徐々に異音は大きくなり
ついに

ぶぁくはつ!

じゃなくて、
洗面器の中で
殺虫剤をかけられて
もだえ苦しんでいる
ゴキブリみたいに動き始めた。
あわてて捕獲し、
外刃をつけて
したことは
今を逃してはいけないとばかりにひげを剃ってやった。
そしてそれが彼の最後の仕事だった。
ひげを剃り終えて
スイッチを切ったのが最後、
もう後はどんなにしても
うんともスンとも言わない。
これはもう修理じゃなくて
明日買いに行こうと思っている。
今度は外国製の高級ヒゲソリを買おうかな。
毎日使うことやし
しっかりしたんを買おう。
知合いに聞いたら
ええやつは

ずぇ~んずぇん違う

らしい。
深ゾリという言葉に
男は憧れるよね~。

しかし機械の故障は
こんな風に修理したり
買い換えたりできるけど
体の故障はなかなか
修理もままならない。

僕の故障も長引いているけど
ここ2、3日は明るい兆しが見えてきた。
体ができていないから
一昨日、ローラーで飛ばしても
しんどいのはしんどいけど、
体の不調は出なかったし
昨日の通勤ランも
18キロを
飛ばしに飛ばして帰ってこれた。
そして今日は
神戸で開催された
ローカルレースに行き
5キロを22分台で完走。
復活時計もずい分進んだかなあ。

部品交換も
買い替えもきかない体の故障。
やっぱり自分でじっくり修理していくしかないな。

復活時計

2007年02月08日 22時30分17秒 | マラソン

今日は横浜の話は一旦休憩。

昼休みに眺めていた雑誌でみたのが

「世界終末時計」

世界情勢、
主に核による人類滅亡を終末になぞらえて、
そこまでの残り時間を象徴的に表す時計で、
45分から正時の部分を切り出した形をしている。
現物はシカゴ大学の中にあって、
アメリカの科学誌
「原子力科学者会報」が管理している。

具体的にどんなものかと言うと、
例えば米ソが水爆実験に成功した1949年には
終末が最も迫った2分前
(便宜的にこれを11時58分と呼ぼう)
の設定だったものが、
米上院が核拡散防止条約を批准した
1969年には
11時50分まで巻き戻された。
その後、
再び米ソの軍拡競争が激化した1984年には
11時57分まで進み、
ソビエト連邦崩壊や
各国の核保有宣言による進んだりもどったりを経て
つい最近5年間は
11時53分となっていた。
これが、
2007年には北朝鮮の核実験などで
11時55分まで進んだと、
とこういうわけだ。
固い話をくどくど書いたのは、
この終末時計になぞらえて、
自分のランニングに関する時計を作ってみた。

「復活時計」

始まりは、
昨年の皆生トライアスロンを終え、
どっと体に不調が現れたときを
復活15分前、
すなわち11時45分と設定したところから始まる。
日々の練習や体調で
この復活時計、秒単位で推移しているが、
トピック時を中心に書いて見ると、
10月28日串本ハーフをほぼキロ5分で走れたときは
11時53分まで進んだ。
あと7分で復活だ。
そして、
福知山マラソンに連続出場のこだわりを捨て、
断腸の思いで参加しなかったのが、
結果的によかったから11時54分。
ところが、
初体験となったホノルルマラソン。
貴重な体験をしたが、
やはり体への負担は大きく
ここで
11時50分まで戻ってしまった。
その後も、
地道に自主トレを続け、
元旦マラソンを走ったときには、
5キロのラスト1キロをキロ4分ペースで走れたことで
時計は一気に5分進んで11時55分。
そして1月20日の大泉の練習で
30キロを走りきれたことから
11時56分と
順調に復活が近づきつつあった。
しかし、そんな矢先、
スピードを上げて練習してみた1月27日、
またもや不調におそわれて、
11時53分。
その後横浜で充電したが、
今週月曜の通勤ランでまたもや不調に襲われて
53分のまま。
そして今に至っている。

日々、進み戻りしながら、
一体いつになったら12時になるのかな。

それにしても、
この復活時計、
なかなか自分の体調を把握するのに面白い。
しかも
も少し精密にルール化すれば、
いろんなことに応用がききそうですな。


横浜紀行その2

2007年02月07日 23時00分59秒 | 最近の出来事

横浜と言えば、港というイメージがある。
映画やテレビでは、
たいてい港の夜景を背景に恋愛ドラマが生まれたり、
港の倉庫を舞台に犯罪が発生したりする。
それは、
港が遠い場所への出発点、
異国との接点、
物や人そして心の水際であることから、
人の感情に何かしらの刺激を与えるからだろう。
遠くへ思いを馳せるとき、
人はまなざしとともに、
心も震わせる。

港と言う漢字が、
巷(ちまた)という字に
水を表すサンズイをつけてできているのは、
港には人が集まり、
様々な思惑が交差する場所と言う意味が
きっと籠められているのだろう。

ある音響機器メーカーが、
各都道府県の音というのを選んだときに、
神奈川県の音は

「横浜港の音」

だった。

横浜港の音ってどんな音だろう。
よくドラマでは、
港の雰囲気を出すために、
あのキュ、キュ、キューと
甲高く鳴り響くサイレンのような音を
流しているが、
実際の港に今はもうそんな音は鳴り響かない。
通信機器の発達、
運航管理システムの発達にともない
消えていった情緒のひとつだろう。

宿泊先のホテルで聞いた、
横浜港の音は、
夜通し走り回る車の音と、
ビルの空調音、
眠らない人のざわめきぐらいで、
汽笛の音は聞こえてこなかった。

そんな何の音ともわからない横浜の音を打ち破るように、
遠くから鳴り響いてきた
救急車のサイレンで目覚めたのは早朝だった。
カーテンを開けると、
隣のビルとビルの間から、
うっすらと明るくなり始める空と、
そこにきらめく明けの明星、
金星が見えていた。
時刻はまだ6時前。
もう一度寝なおそうかと思ったが、
どうも昨夜から枕があわず、
首がおかしいので枕をいじっていると、
何やら廊下が騒がしい。
ドアについている覗き穴から見てみると、
ストレッチャーを押す救急隊員の姿が見えた。
同じフロアーの宿泊客が要請したのだろう。
近くの部屋から人が運び出され、
気配が遠ざかっていくのと反対に、
こちらの意識ははっきりしてきた。
もう眠気もないので、
よしと思い立ち
早朝ランで横浜見物に行くことにした。
ランニングウエアで外に出てみると、
まだ6時過ぎというのに、
もう通勤の人々が動き始めている。

まずは、
山下公園に行ってみようと港に向かって走り始めた。
その公園には20年前に横浜を訪れたときに、
確かに行った記憶はある。
当時はたしか、
その公園の前にある
ホールのようなところが用務先だったからだ。

「赤い靴はいてた女の子、
異人さんに連れられて行っちゃった」
山下公園には
この歌のモデルとなった女の子の像がある。
この子は実在の女の子で
名前は岩崎きみちゃん。
静岡から北海道開拓に向かう母親が、
娘のきみちゃんを宣教師に預けて行った。
ところが、
帰ってきたときには、
宣教師ともどもいなくなってたので、
きっと横浜港から異国の地に連れて行かれて
今頃は宣教師と幸せに暮らしてるんだろうと、
娘を偲んだ母親の心情を
推察して、野口雨情が歌った歌だといわれている。
しかし、
この話にはもう少し続きがあって、
実はこのきみちゃん、
外国に行ったわけではなく、
母親が北海道に行ってる間に胸を患い、
9歳のときに日本で亡くなっているという
悲しい話が残されている。

それを知らずに過ごした母親は、
幸せだったのだろうか、
不幸せだったのだろうか。



これがそのきみちゃんの像。

20年前、
この地を訪れた私には
こんな知識はこれっぽっちもなかった。
ただ、「赤い靴・・・」
の歌のゆかりの地なんやろうな、
ぐらいにしか考えてなかったにちがいない。
それが悪いということではない
若さとはそういうものだ。
やがて
過ぎていく年月の中で
ひとつずつ、
少しずつ、
物事が見えるようになってくる。
齢を重ねるというのは
こういうことなんだろうね。

ベンチに腰かけながら、
そんなことを考えた。

この公園からは
ベイブリッジや風力発電機、
みなとみらいの近代的な建築物を
一望できる。




しかしそんな最先端の都市景観が望まれる
この公園が、
実は、関東大震災で
大量に発生した瓦礫でできていることも
当時は知らなかったが、今の私は知っている。

自分の足元とそれを囲む景色との
間にある年月の隔たりが、
自分自身に刻まれた
年月の隔たりをいっそう増幅させた
朝の公園。
空にいっぱいカモメが舞っていた。


さらに続く・・・